いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

<   2005年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

きょうのこんだて。

▲いいお天気の日が続いています。おかげで布団や座蒲団干したり、大物の洗濯、扇風機を拭いて仕舞ったり(やっと!)、代わりに加湿器出して来たり・・と
家事がはかどりすぎる気もする(苦笑)今日この頃。
そもそも家族みな三食 家で食べてるし、粗食とはいえ買い物に行き、作って、食べて、片づけて、とやってると何か 知らんまに一日たっており。わたしの今日一日はナンだったのだろか(笑)と思うこともあるけど。

▲「食べる」と言えば、わたしは子どもの頃は超がつくほどの野菜嫌いで、給食は決まって居残り組。だから、毎朝登校するや一番に見るのは掲示板に貼ってあった『きょうのこんだて』でした。
すきやき風煮や鯨の竜田揚げやコロッケだと小躍りして教室に駆け込むんだけど、大根や茄子の煮物や野菜サラダだったりすると、いじっとそこに立ちすくんでた 小学生のわたし。

▲果たして昼休みになると、ミルク(脱脂粉乳!)嫌いの子、お肉が苦手な子、わたし同様野菜がだめな子・・・居残りの面子はいつも同じで。
外で皆の遊ぶ声が窓越しに聞こえると「ああ、早くドッジボールがしたい」と気持ちばかりが急くのに箸(否!先割れスプン)は進まず、ついには「残して持って帰っていい」パンに食べられなかったおかずを無理矢理詰め込んでビニールの臭いのするナプキンに包むや、あわてて給食室に食器を運び校庭へと走ったこともありました。

▲しかし、そんなパンを家に帰って食べるはずもなく、犬のえさ入れの皿に入れたか、こっそりゴミ箱に捨てていた気がして。このことは思い出すたび、そしていくつになっても、胸のあたりがちくちくします。
パンに詰められないようなお汁のおかずのときは、休み時間内にも食べられず、学級文庫という本棚に入れておいて放課後再び。けど、そうなったらもう「食事している」感じは皆無で、なんだかお仕置きされてる気分でいつもの「居残り組」は深く頭を垂れるのでした。

▲あれから40年近くたって、
泣きそうになって、よく噛みもせず飲み込んだ大根も大好物になったし、菜っ葉類はいつでも食べられるように、ゆがいて冷蔵庫に切らしたことがないし。ケッコン前、相方と入ったサンドイッチの店で「ノー・キューカンバー」と注文つけたら「あほか」と彼に言われてしまった (苦笑)キュウリも 今じゃ丸かじりできる。

▲「あほか」と言われて、好き嫌いの多いわがままな食生活に気づいたのか、キライだと思いこんでいたものが、自分で料理するようになったら結構イケルことに目覚めたのか、病気したことや、子どもが生まれて「これではいかん」と思ったのか、とにかくあれやこれやがきっかけとなって「いろんな味」に親しめるようになったことは、ほんまによかった。(「まだ漬け物もよう食べんくせにエラソーに何言うてんねん」・・とあちこちから言われそう)

▲けど、今になって思い返せば「居残り組」の中にはわたしみたいな食べず嫌いだけじゃなく、食物アレルギーの子もいてた気がして。まだアレルギーが正しく理解されていなかった時代とはいえ、そういう意味でもずいぶん乱暴な「食教育」だったなあとも思う。
「食べない」ということひとつ考えても「身体的に受け付けないもの(ときに命までおびやかすもの)」と、好みとして「嫌いなもの」、あるいは自身の主義で「食べないもの」とあって。単純に「わがまま」ではくくれないし。
飢餓と飽食。農薬と添加物。何をどう食べるかはそれぞれの人生観にも関わる問題だし。「選んでいる」つもりの食生活が実は「選ばされている」という政治マジックもあったりして。「食教育を」というのなら、ガッコウもそこまでやってほしいと思うのだけど。

▲そうそう。
今日は友だちがおいしいモンを食べに連れて行ってくれました。
話には聞いていたけど、なんと丁寧な仕事ぶり。若く魅力的なふたりの女性がきびきび、しゃかしゃか(笑)動く姿はとてもすてきで。
それなのに「せわしない」気がしないのはなんでかなあ・・などと思いながら、カウンターの前でわたしは しばし彼女たちの「ごはんをこさえる」様子にみとれるのでした。
この日の日替わりランチは「麦やじゃこや葱など入った春巻き二個・肉じゃが味噌風味・れんこんやブロッコリーや人参などの野菜のサラダ・おみそ汁・七分搗ごはん・漬け物」(「おいしかった記憶」にのみ頼って書いたので間違ってたらごめん)

▲産地偽装に始まって、製造日偽装、添加物偽装。
なんでもかんでも国産100%、自然、手作り、という偽装表示。
くず肉をかためたステーキだけでなく、世の中の「食」は嘘でかためられている。
だけど。
一方では¥750のランチにこんなにもチカラもこころも込める仕事をする人たちもいるのだ、とうれしくて。
帰り道、地下鉄への通路をわたしはシアワセの満腹感でちょっと?重いからだで、スキップするのでした。


*room cafe ロカ
 大阪市西区新町1-29-16 第五中村興産ビル 中地階  
06-6532-1524   日祝休

 



  
[PR]
by bacuminnote | 2005-11-29 11:23 | たべる

もこもこに着ぶくれて。

▲昨日お昼すぎに自転車で買い物に出たら、風がものすごくつめたくてびっくり。11月も半分過ぎたんだから「納得の寒さ」なんだけど。
そういえば、まだ物置に扇風機が汚れたままになっている事を思い出しました。すぐまた暑さがぶり返して使うかもしれん、と「取りあえず」入れておいたんだっけ。

▲長い夏のあとは「秋立ち、秋欄(た)て、秋仕舞う」で、気が付けば もうそこは冬、というわけです。
で、自転車のハンドルをにぎる手のあまりのつめたさに、スーパーに着いて一番に手袋を衝動買い。オフホワイト一色の毛糸の手袋がちょっと「北国の少女」みたいで気に入ったのです。
すぐに使うからと包装をことわって、さっそく少女気分で(我ながら あほらしい)はめて歩いてたら、急に陽が照り始めてぽかぽか陽気。
結局、帰り道は素手でした。

▲この間『ぼくの好きな先生』という映画(DVD)を観ました。フランスの小さな村の小学校の子ども13人と先生のドキュメントです。寒いところらしく、もこもこに着ぶくれた子どもたちが朝 スクールバス(普通のワンボックスの車)でピックアップしてもらって登校してきます。
この学校は一クラスだけ、先生も一人きりなので、子どもは三つのグループに分かれて(日本でいえば幼稚園・小学校低学年・高学年)学習します。

▲先生は特にこだわりの教育(ということばもナンかおかしいけど)をしてるわけでもないし、時に説教臭かったり、子どもへの質問が多かったりして「ちょっと、ちょっとセンセイ」と声をかけたくなる(笑)場面もいくつかあったりするのだけど。
それでも彼の子どもへの視線は終始 優しくしずかで、白髪まじりの髭と黒やグレイのタートルネックのセーターのよく似合うすてきな雰囲気の先生でした。
映画はあと一年半で退職するこのロペス先生と子どもたちの日常をゆっくりゆっくり映し出すのですが、何より 人数は少ないけれどいろんな年齢の子がひとつ部屋で学んでる、そのバラバラな感じがよかったです。

▲学校や先生、教育制度に関しては相変わらず思うことが山盛りあるのだけど、一番言いたいのはそういう「バラバラ感」(笑)を大事にしてほしいってことに尽きる、と改めて思いました。もうほんまにずいぶんと前から個性を大切に、と教育現場では繰り返し言うてはるけど、そのじつ 子どもに求めてるのは「没個性」だという気がするから。

▲そうそう。
休み時間に雪遊びの子どもたちの濡れた手袋が教室に干してあって、その色とりどりな手袋がかわいかったな。
そうして 降りしきる雪の中 揺れる樹木、凍てつく道を走る車、暖かな教室に入ってきたときのこどもたちの赤いほっぺ、干した長靴や手袋を眺めながら、山での暮らしに思いを馳せるのでした。

▲学校、子どもたち、といえば同じく最近DVDで観た『ベルリン・フィルと子どもたち』というドキュメントがすばらしかったです。ほんと言うと今日はこの映画のこと書くつもりだったのに、どうも「寒いところのお話」には弱いわたし、でありました。

 
[PR]
by bacuminnote | 2005-11-18 10:43 | 映画

「人生はこれからよ」

▲今日もうらめしいばかりにうつくしい秋の空。
そんなブルーを背景に 干したシャツやタオルやハンカチの「白」がきもちよさそうにゆれている。
せっかくの上天気なのにまだ腰が本調子じゃないから散歩にも出られず悶々。
ひとり暮らす母が電話で時折こぼす「あっちこっち痛くてあれもできんし、これもできん・・」には「できんことばっかり数えるより、いまできること考えたらええやん」などとエラソーに言うておきながら「できんこと」に苛立つ自分・・・に、また腹が立ったりして(苦笑)

▲こんなふうに「痛いところ」「動きにくいところ」があるときは、ちょっとした動作・・例えばテレビのスイッチや新聞、ティッシュ、ペンとメモ・・・を「切って」「取って」と家人に頼むことになるのですが。
「できんこと」をいちいち ひとにたのむ面倒や、してもらいたいことの微妙なニュアンスが伝わらないとき、その一方で世話かけてごめんという思いもあって・・・こういうきもちは「痛い」に加えてストレスだなあ、と思うのでした。

▲先日NHK教育で『こんな介護者がほしい』という番組があって、たまたまその最後のほうだけを見たんだけど、「自分でも『できる事』を介護者にたのむ障碍者への不満」を発言した介護者に対して「そりゃがんばったらできるかもしれん。けど、わたしらはオリンピックの選手じゃないんだから。いつもいつもがんばってられないし、がんばることで症状が重くなることもある」という風なこと(わたしの記憶にたよって書いてるので
ちがう部分もあるかもしれません)を障碍を持ってるひとが言わはったのが、強く深く残っています。
心のどこかで「介護を受ける人」には 忍耐や努力が当り前みたいに思ってたのかもしれない。だから、そんな 自分の傲慢さを指摘されたようでどきっとしたのかもしれません。

▲「できて当たり前」「効率優先」の視点は、誰もがいつ障碍を持つことになるかもしれないって事や、「老い」は誰の上にもやってきて「できんこと」はひとつひとつ増えていく、という想像力に欠けていると思う。
知れば知るほど憤りと疑問を感じる『障害者自立支援法』も(名前だけがええかっこしてるから余計腹立たしい)そんな経済優先の人たちと多くの「無関心」が通してしまったのだろう。

▲そんなこんなで、いらいらしたり腹立てたり、考えこんだりしながらも、今週はおとなしく読書の日々です。
そしたら、たまたま読んだ本『八十二歳のガールフレンド』(山田稔著・編集工房ノア刊)にも『風味絶佳』(山田詠美著・文藝春秋刊)にもかっこいい高齢の女性が登場して、こころ浮き立つわたし。
とりわけ数年前に九十歳で亡くなられた翻訳家の久保文さんが登場する『八十二歳のガールフレンド』は読んでいると、おいしいワインをのみながらすてきな映画を観てるみたいで。読み終えてしばらくたってもまだ「香り」も「酔い」もいい感じに残ってる。

▲京都で著者・山田氏が久保さんをすっぽん鍋の店に誘い、いっぱい飲んで店をあとに。久保さんは「これくらいは酒を飲んだ内に入らぬと言わんばかりの確かな足取りで、何時ものように背すじをすっと伸ばして歩いた」そうで。
それから自然に山田氏の腕をとるや 笑いをふくんだ声で
「東京の若い人たちに言ってやってるのよ、私には京都にすてきなボーイフレンドがいる、って」と言わはった、とか。

▲そうして「バスで帰るわ、タクシーなどめったに乗ったことがないから」という彼女を バスはいつ来るかわからないし寒いからと、タクシーを拾った山田氏が「どうか気を付けてお帰り下さい」と声をかけたら
「人生はこれからよ」と言うことばを残して帰っていかはったそうです。

▲赤いカマロの助手席に 若いボーイフレンドを乗せて走る 山田詠美の描くかっこいい「グランマ」に、
「人生はこれからよ」の彼女に ノックアウトされた夜。
今夜はふたりに乾杯!です。
そうだ。
82 歳のわたしの母にもこの話を してやろう。

**文中紹介したNHKの番組のストリーミング配信は『自立生活支援センター/フリーダム21』にあります。
10/29『こんな介護者がほしい』180分  
11/8『障害者自立支援法・負担はどう変わる』30分
[PR]
by bacuminnote | 2005-11-09 17:25 | 本をよむ