いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2006年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

ずっとずっと窓の外を。

▲いつものことながら四月というのは、天気も気持ちも落ち着かなくて。
それでも、その日 朝一番に雨戸を開けたら まぶしいばかりに朝の光が廊下や畳に勢いよく差し込んできた。前日の雨も風もうそのように、きもちよく晴れ上がった空に 何かのコピーみたいに「そうだ。吉野に行こう」と思い立つ。

▲天王寺に着いたのはまだ10時前で、デパートも閉まってて何も買って帰れないから「お昼は駅構内にあるパン屋でサンドイッチでも買って行くし」と母に電話したら「帰って来なくてもいい」と言ってたのに「あ、サンドイッチやったら作ってあるねん」と弾んだ声が返って来た。
その日は実家から仏壇やピアノを姉のところに運ぶ日で。ばたばたするだろうと前夜おそくから作っておいたらしい。その用意周到さにすごいなあと 思う 行き当たりばったりの娘だ。

▲吉野行きの特急電車は出たあとで、急行に乗り込む。桜の盛りをすぎて 人出も少ないかと思ったのに、車内はじきにハイキング風スタイルの中高年の小グループでほぼ満席になる。
懐かしい近鉄電車の海老茶色のシートに座り込み、わたしは遠足に来た子どものように身をよじってずっとずっと窓の外を見る。

▲同じように外を眺めながら扉近くに立っている非番の車掌さんの先輩・後輩風二人が話してはる声が聞こえる。
「ちょっと前みたのと、もうちがう。だんだん、どんどん緑が濃くなっていきますねえ」
「あれっ?鯉のぼりやなあ」
「あ、ほんまや。じつはうちもね迷ってますねん。ヨメさんの家から何や送ってくる、て言うてますねんけどね。家は狭いし・・鯉のぼりやったらええかな、と思ったんやけど。ヨメが五月人形って言いよるんですわ」

▲昔は田圃と畑とうしろに山しか見えなかった沿線も、あたらしくて、ちょっと気恥ずかしいような明るい色の おんなじ格好をした家が何軒も連なって建っている。すぐそばに、取り残されたみたいに大きい古びた家がぽつんとあって、その家の広い玄関先に鯉のぼりが きもちよさそうに青い空をバックにゆったり泳いでおり。車掌さんならずとも「そりゃ兜や鎧よりこれやで」と言いたくなる。

▲やがて聞き覚えのある駅の名前が続くようになって かつて通った高校のあるまちに。
窓のむこうに、ふてくされて歩く制服姿のわたしが見えるようだ。脇に抱えたレコードと本だけが救いだった十七才のわたし。突然 ガッコ帰りによく行った濃い珈琲とアイスまんじゅうのおいしい(救いはココにもあったんだ!)「純喫茶」を思い出すも 名前が出てこない。

▲少しずつ緑濃く深くなる山と、ふるさとのことばに近い話し声が耳に入るようになると、ますますわたしの眼は外に吸い寄せられる。駅舎がすっかり変わってるところや記憶にあるままの駅もあるけど。そうしているうちにジッカのある田舎町に着いた。
建て込んでいた家が歯抜けのように、ところどころ更地になって母が言うところの「としよりのまち」はひょろりと、ひっそり
在って。

▲ジッカに着いたときにはすでに仏壇が運び出されていて、あちこちの戸を開け放してあった。
仏間の外の庭には、昔 池があって料理用の鯉やうなぎを放していていた。料理するときに、ぼんさんと呼ばれる若い見習いさんが池から竹駕籠に網で掬うのだけど、うまく掴めなくて鰻が手からすべって大奮闘していたのを、きゃっきゃっ言って姉や仲居さんたちと見ていたことを思い出す。

▲そういえば、網で掬うのをのぞき込んでて、何回かこの池に落ちたことがあった。うなぎのぬるぬるがつめたくて気色悪くて思いっきり泣いて、うなぎなんか、と思ったくせに今もうなぎはすき。
旅館を別の所に移転してから、その池はじゃりで埋めてしまったのだけど。子どもの時にプールのようにも思えた池が久しぶりに見るとうんと小さくてびっくりした。

▲仏壇を動かしたあとはそこだけ時間が止まったみたいに、色白の板の上に綿埃が舞っていて。雑巾で拭いてたら なんか胸がいっぱいになった。
そのうちピアノの業者さんも来て、古くて重いピアノも運び出してもらって この日の予定は終了。
掃除が終わって母とサンドイッチをつまむ。薄焼き卵とハムの入ったのと、ハムとレタス入り。おいしかった。

▲どちらからともなく、古いアルバムを開いて母と娘の「むかしばなし」は尽きることがない。
あっという間に夕方になって電車の時間が来た。
帰りは特急で。
窓の外はすでに薄暗く、朝のセンチメンタルなきもちもすっかり忘れて熟睡。
「次は終点、あべのばしぃ~」のアナウンスに飛び起きるのだった。
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by bacuminnote | 2006-04-29 21:28 | yoshino | Comments(0)
▲ここんとこ 行く先々に「連休のお休みは・・」と書いてあって。ああ、もうそんな時期なんだな、と 時のたつ早さにどきりとする。昨日や一昨日のことは覚えていても その前日や一週間前はどうだったか?と聞かれたら、うううと唸ってしまう。
なんだか階段を一段飛ばしで、いや二段飛ばしくらいのスピードで一日、一日が暮れてゆくようで。そうして気がつけば、ここに引っ越して来て三年目に入ろうとしてるんやもん。
けど、この二年間で読んだ本と観た映画の数や逢った懐かしい顔、出かけて行ったところ・・を思えば、田舎暮らしの十年分くらいの「できごと」があった気もして。ゆっくり、ゆっくり流れてたかつての時間を思い出す。

▲わたしも相方も本がすきなんだけど、これまで住んだ所の多くは図書館のない村や町だった。
田舎には自然があればいい? いや、田舎にこそ充実した図書館が必要だと思う。
そして機会あるごとに「図書館を!」と言って来たけど、残念ながらわたしたちが住んでいる間には とうとう実現しなかった。
だから、○○に住民以外に貸してくれる図書館あると聞けば飛んで行き、××には県立図書館があると知れば、遠くても出かけて行ったりもした。

▲信州では村の中学校の図書室の一般開放というのがあって、たしか掃除の時間~終業までが貸出時間で。本借りたさに大急ぎで用事すませて、ひとり苦手な車を走らせた。
ただ、ここは悲しいくらいに本が少なくて。「予算も少ないし、それに借りる子も少なくて・・」とセンセが嘆いてはったけど。どうせ借りる人は少ないんだからって、本を入れなかったら借りたい人まで離れていく、よね。

▲それでも、この図書室は新刊本の紹介コーナーや本の並べ方も工夫してあって、担当のセンセは(たしか教科と担任に加えて図書も、という多忙の中で)部外者のわたしにも「いい刺激になるからどんどんリクエストしてくださいね」と声をかけてくれたり、センセの「本好き」とその奮闘ぶりが伝わって。だからこそ 本や利用者の少なさはさびしいなと 行くたびに思った。
けど、いつだったか(たいていわたし一人電灯つけて入室してたんだけど)薄暗い本棚の前で、女の子が立ったまま本を読んでいる姿に出くわして、その本の世界にすっかり入ってる姿や彼女のまわりの空気がもう何ともいえず。担当のセンセに伝えに走りたいきぶんだった。

▲そうそう、忘れられないのは下の子の通った保育園の豚豚(とんとん)文庫という ちいさいけど、おもしろくて上質な保護者向けの文庫。ここも一般開放されていたので、子どもが通園中はもちろん、卒園してからも相方と放課後によく立ち寄った。メイ・サートン『独り居の日記』や須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』、高野文子のマンガ『るきさん』から辰巳芳子の『味覚日乗』、それにデレク・ジャーマンの『Derek Jarman's Garden』まで、まだまだ他にもいっぱい。じつに多彩でセンスのいい本とここでであえた。小さな文庫の前に座り込んで、子どもが園庭で遊ぶ声を聞きながら 本を選んだ夕暮れのひとときは、からだの弱かった子どものことで 右往左往してたその頃のわたしに とてもたいせつな時間だった。

▲まあ、そんなこんなだったので、大阪に18年ぶりに戻って来て一番のヨロコビは、歩いて図書館や映画館、ちょっと無理すればレンタルビデオ店にも行けること。
引っ越してすぐに図書館登録して、次々予約しては本借りて、映画館にも行って、DVDもいっぱい観た充実の二年間。
だから、信州の本好き・映画好きの友人たちはそんなわたしの近況に「いいなあ。うらやましいなあ」とみな声をそろえて言う。

▲けど、やっとの思いで読んだ本や映画はからだの奥底まで染みこんでいるもので、田舎暮らしの頃 あれやこれや書き込んだノートを開くと、今より活字や映像をだいじに見ていた気もする。
とはいえ。
身近に本や映画がある暮らしはやっぱり魅力的だ。
だから、わたしは明日になれば(水曜はレンタルショップのサービスデイ)きっとまた 喜々として往復1時間歩いてDVDを借りに行き、次の日には重い袋下げて図書館に行く、と思う。
そして、本屋もない村(いまは町になったけど)にこそ 充実した図書館を と改めて思うのだ。
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by bacuminnote | 2006-04-26 00:48 | 本をよむ | Comments(0)

この家の窓から。

▲一昨日自転車で太極拳の教室に走ったんだけど、風がもう ものすごく冷たくて。とてもとても、春の風とは思えなくて。案の定 体育館に着いたら、からだが芯から冷えており。
こんな日は太極拳より温泉やなあ・・なぁんて 思いながらも いざ教室が始まると センセの動きに必死に ついて行くうちに
いつのまにか ぽかぽかしてた。

▲この部屋には天井近くにある高い窓から公園の背の高い木が見える。
その四角の大きな窓ガラスの外、雨上がりの まだ若いみどりのはっぱが はらはらと風に揺れてるのが見えて、無機質な体育館の一室にもその息吹が伝わるようで。だから その窓がよく見えるところに立つ。

▲滋賀・長野とあわせると結構長いこと田舎暮らしをしたので「アウトドア派」と思われることが多いんだけど、わたしも相方もたぶん インドア・たらり~ん派だ(苦笑)
その体育館じゃないけど「窓のむこう」を感じることのできる「場」があれば、それで結構 満足している気がする。

▲そういえば(これは以前『麦麦通信』にも書いたんだけど)'03年11月義父の葬儀がすみ、パン屋をやめると決めたあと・・・何気なく見たテレビで倉本聡氏が北海道に移り住んだ頃、ある廃屋を覗いたときの話をしていて。
事情があって夜逃げでもしたのか、ふと見た壁に「またこの家の窓から見える山が見たい」というようなことがなぐり書きされてあった・・・と。

▲その頃、夜中2時半すぎに起き出して まさに仕事場の『窓から見える山』が刻々と変わるさまを眺めながらパンを焼いていた相方が「なんか『この家の窓から・・』っていうのがよーわかるだけにツライ話やなあ」と彼にしては珍しくしんみりと言ってたことを思い出す。
どこに行っても山はあるけど。 『この家の窓から見える山』は この家のこの窓があって、のことで。
わたしもかつての暮らしを思うとき、まっさきに浮かぶのは その窓から見た山と空だ。わたしが仕事場に入る頃にはもう日が昇り始めて 濃くて深いブルーの空が少しずつ 少しずつ明るくなって。それと共にどんどん表情のかわる山々。

▲じつは、その時の倉本氏の話には続きがある。
その廃屋にはついさっきまで家族でご飯を食べていたかのような散らかりようだったらしい。
追っ手でも来て、片付ける間などなく着の身着のまま逃げ出したのだろうか?
だとしたら、壁の字はいつ書いたのだろう?・・・と、その時も相方と話し込んだのを覚えている。
きれいに片付けられた家と 食べ散らかしたままの情景を交互に思い浮かべては 壁の言葉が、ああ どっちにしても重いなあ。真偽のほどはだれにもわからないんだけど。

▲今日は 昨日まで降ったり止んだりの雨もようやく上がりきもちのいい青い空が広がっている。
バスタオルにパジャマにあれやこれや、と ほおり込んだ洗濯機の唸る音さえも なんだか春の朝にふさわしく(笑)きもちがいい。
相方と下の子は兵庫県まで美術展に。
そして、わたしは どこにも出かけずに ひとりたらり~ん と伊藤比呂美『ラヴソング』を読みながらout on the weekend ( by neil young)を聴いている。

▲伊藤さんはこの唄の一節を(彼女曰く「わたしの耳に聞こえたように、詩に書いてみた」)こう訳す。
『もう考えるのはやめて/軽のバンでも買って(数万のボロでいいんだ)/思いっきり物を捨てて/それで残ったものだけ持って/どっか行こうかな/どこでもいいから/知らないところ』ってね。 
あ、窓の向こう モノレールが走ってく。
いつの日か、また、この家の窓から見えるあの4両のモノレールを思うことがあるのかなぁ。
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by bacuminnote | 2006-04-16 14:57 | 開田村のころ | Comments(0)

さくら。

▲肌寒かったり雨だったり、いつものように落ち着かない春の始まりだったけど。
買い物に行く道沿いの桜は もうどれも満開。
夕方になると、時折 バスケットや敷物持った花見帰りかな、と思えるひとたちが きもちよく疲れた顔で歩いてるのに出会う。
この花が咲くと、なんでか みんな浮かれるんやなあ・・と桜の木を見上げる。
そのほそい枝と かすかに揺れる花の隙間から見える 四月の空が
すき。

▲だけど。
わたしは「花見」というものをしたことがない。
桜の名所と呼ばれる田舎まちで生まれ育って、山々がピンクに染まるその季節は もう家中ひっくり返るような忙しさで。
猫の手ならぬ ちいさな子どもの手もかり出され。
あちこちから、もういっぱい花見に、花見に、と来るひとたちが うらめしく。
そしてうらやましかった。

▲子どもの頃はまだ家に「おくどさん」(へついさん、と呼んでた)があって。
その上には大きな五升釜が三つ並んで、順番にご飯が炊きあがって来るんよね。
おくどさんに向いあうように横長の台と長椅子があって、働いてる人たちが そこに一列に並んでご飯をかけこんでいた。
みな一通り食べ終わると、子どもの番。

▲ご飯は炊きあがったばかりの釜から 直径1mくらいもある飯台にうつされると 一気に四升分の(五升釜で四升炊く)湯気が束になって立ち上ってくるん。酢を合わせる前にさっとその中からお茶碗一杯分よそって、お皿持って調理場に行って 切り落として ちょっとかたくなっただし巻き卵の両端をもらって食べた。
けど、そういえば その頃「おかあちゃん」が座ってごはんを食べてるとこなんて 一度も見たこと なかったなあ。

▲そんな家で育ったから 春はきらいだった。
親はガッコがいつから始まるかも知らなくて。新学期の用意を手伝ってもらえないとか、持って行く雑巾がなかったりとか。今思えば「そんなくらい自分でしたらええやん」って思えることも、当時は かまってもらえへんのが ただ哀しかったんやろね。

▲ま、そんなこんなで泣いたり拗ねたりしてるうちに大きくなって。知らんまに「花より団子派」になって。(笑)
いつのまにか「花見」がうらめしくも、うらやましくもなくなった。
けど、この頃は新聞や雑誌でわたしがうまれたところの 桜だらけの写真を見ると、なんかどきどき そわそわする。
そんで、だれに、ということなしに ふるさとの桜自慢 をしたくなってる自分に思わず苦笑いする。

▲それに。
子どものとき、仕事が終わって用事ででかける両親に、一回だけ夜 山に連れて行ってもらったことがあって。そのときの桜がものすごくきれいだったことを急に思い出したり。
忘れていた「山又山 山桜又 山桜」(阿波野青畝)なんていう句を思い出したり。
そんなわけで 今年は吉野の桜がちょっと気になってる。
年 とったんやろか。
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by bacuminnote | 2006-04-06 20:45 | yoshino | Comments(0)