いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2006年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲京都は暑いしなあ・・・としばらく迷ってたんだけど。
考えてみたらそんなん大阪かておんなじくらい暑いんやし。思い切ってこの間 富本憲吉展を見に 京都の美術館まで出かけた。
京都岡崎公園あたりは十代の終わりに よくうろうろしていた所で。
府立図書館、京都会館、国立近代美術館、京都市美術館、観世会館や京都勧業会館にいたるまで。「館」のつくおおきな建物がこれだけいっぱいあるのに広々としていて、すぐそばには平安神宮の朱色の鳥居がどーんと鮮やかで、ちょっとむこうには動物園もある・・ふしぎな場所。
そして、何より。
ここは、わたしにとって どこを切り取っても なつかしの景色になってしまうところだ。

▲行きはJRで京都駅に。あとはバスで岡崎まで出ることにした。
初めはわたしと中高年の夫婦らしき人だけがバス停で待っていて。
地図を広げて平安神宮のあとはどこに回るか、ああでもない、こうでもない、とその二人が言い合ってるのを聞くともなしに聞きながら「その譲り合わないセイシンはいずこも同じ」と 秘かに笑いつつ(よそさまの言い合いはおもしろい)のんびり欠伸なんかしてたんだけど。
そのうち外国の方たちも含め、老若男女、列を作っていっぱい並び始め、始発からバスはたちまち満席。さすが観光都市、京都の市バスである。
窓際の席は陽が差してハンパな暑さではなかったけれど、車内はガイドブックや市街地図片手に窓の外を眺める人々が大多数ゆえ、日よけを下ろすに下ろせず(苦笑)汗かき、かき、わたしも懐かしい京都のまちの景色を楽しんだ。

▲さて、富本憲吉展である。
彼の記念館が奈良県生駒郡にあることは、知っていたけれど、奈良県民だった頃はあまり関心がなくて一度も行ったことがない。
若いときって、しばしば「近く」より「遠く」のものが気になるもんで。
それに同じ「民藝」の流れでも濱田庄司や河井寛次郎、バーナード・リーチの方がすきだったし。
だけど、ここ数年、相方のおとうさんの遺品を整理していたら、美術館で求めたたくさんのポストカードの中に富本憲吉の作品が幾枚もあって。眺めてるうちに印刷ではなく、あのあざやかなイエローやグリーンの実物を見たくなって、ちょうど企画展があると知って「そうだ、京都に行こう」(笑)と相成ったのだ。

▲思いの外の人出はバスの中だけじゃなく、美術館内も高齢の方から若いカップルまでいっぱいだった。
富本憲吉の作品は小さいものも多く、一人 展示の前に立ち のぞきこむと、うしろの人は何も見えない。
ふと横を見ると、4~5才の女の子ふたり、7才頃のまっくろに日焼けした男の子とそのママがちょっと引いた場所で作品を見ている。
三人とも とてもいい顔をしていて。子どものことだから、熱心にのぞき込んでるかと思うと、先さき前に進んだり、隅っこに座り込んだりもする。けど、その後ろ姿を見ているだけで なんだか顔がゆるむのは、作品をけっこう楽しんでるみたいだったこと。なんとなく おかあさんの鑑賞時間を壊さないように、子どもたちなりに理解してる雰囲気だったからかもしれない。

▲ママもキュートでセンスがよく、時にぐずる子どもをなだめ、兄妹げんかの仲裁に入ったりしながらも、自らが「みる」ということを おざなりにしない。三人の子連れで、この暑さの中、きっと、みたくて、みたくてやって来たのだろうな。
こころに残る親子の姿だった。

▲わが家もかつて、こんな風に子連れで何度となくここに来たものだ。
いつだったか、帰りにわたしの昔の下宿先に親子でおじゃましたら、おとうさんが日本画家だったというおじさんが「こんなとこまで来て美術館では子どもがつまらんよなあ。おじさんも昔な、親父に、本物を観るのは大事なことや、とか言うて美術館に連れられてんけどなあ。美術館なんかより動物園の本物のほうがよっぽど見たかったわ」と息子の方をみて笑って言うてはったのを思い出す。

▲そうそう。
いちばんの目的だった実物のイエローやグリーンはやっぱりとてもきれいで。
陶芸作品だけでなく、東京美術学校(東京芸大)では図案科・建築専攻だった憲吉の設計図なども展示されていて興味深かった。友だちへのはがきや手紙の横に描かれた絵もいい感じで。
それに、若いときの憲吉の写真がなかなかかっこよくて。
尾竹一枝(日本画家の娘として生まれ、後に『青踏』の平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝と共に、日本で最初の婦人解放運動を牽引した一人)との有名な恋愛や結婚の話のあれこれを思ったりしながら、しばし眺める。
ああ、来てよかった。

▲美術館を出て向かったのは、うろうろしてた頃の立ち寄り所である(笑)珈琲ショップ。
お店の中はすっかり変わってて、いつも「あんたら しっかり勉強しいや」と言うてはったママの姿もなく。
でも窓から見る通りは一緒で、前のお寺の屋根と 道ゆくひとを眺めながら飲む珈琲もトーストサンドも懐かしい味だった。そのまま帰ろうかと思ったけど、どことなくママに似た店主に「今日はママは?」と聞くと「えっ?久しぶりに見えた方ですか?お袋は6年前から難病に罹って・・」と近況を話してくださった。

▲そうか。そうだったのか、と、しょんぼりしてお店を出るが、今日のもうひとつの目的の女の子が炎天下 自転車で駆けつけてくれ。
太陽のような笑顔でドアの外、手を挙げてくれる。
ともだちのともだち、同郷、というだけでなく、いっぱい共通のキーワードをもつひと。
だから、ちっとも初対面の気がしなくて、ノンストップでしゃべって笑った。圧倒的時間不足だったけど、あえてうれしく、
ああ、来てよかったと思う。
超がつくほどの方向オンチのわたしに、わかりやすい通りまで 自転車を押しながら、つきあってくれた三度笠chanほんまにおおき。
あ、この日の歩数計10587。
相変わらず、迷い、寄り道、遠回りの ジンセイやなあ。
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by bacuminnote | 2006-08-28 21:14 | まち歩き | Comments(0)
▲昨夜も とうとう一晩中 扇風機を回しっぱなしだったみたいで、朝起きたらなんかだるいなあ、と大きく伸びをしかけて・・・あ、イタ、タ、タ~そうだ。まだ肩が治っていないんだった。
早くから蝉は「これでもか」というくらいに派手に鳴き続けてるし。珈琲を淹れに台所に立ったら、ビールの空き缶がゴミ箱からはみ出していて。
そういえば、lazy morning~って うた あったなあ と思う朝。

▲子どもの頃はこんなにも暑くなかったけど、毎日毎日、もうそこしか行くとこがない、というように炎天下 ぞろぞろ歩いて川に泳ぎに行ってたっけ。
いまで言うプール当番みたいなものが保護者に回ってきて、親は同じ班の子どもたちを連れて川に行くんだけど、なんたって、ひとが遊んではるときには超・忙しいわが家。
夏は 春の桜についで、家中、店中が毎日ひっくり返ってる。
終業式の日 早く見せたくてとんで帰るのに、通知簿より先に水泳当番表を見ていた母を思い出す。(まったく、通知簿を早く見せたいやなんて、小学生低学年限定の思い出だけど)

▲旅館のお昼前から3時過ぎは仲居さんや板前さんこそ小休止の時間だけど、家の者は、その間にその日の夜の段取りやら事務的な用事やら私用もあって、それこそだれにも替わってもらえない仕事の時間だったようで。いや、しかし、そうはいっても子どもとしては、毎日たのしみに泳ぎに行く川。だから、嫌がらんと来てほしいなあ・・・と思ってた。

▲昼前になると近所の班長さんの家の前に旗が出る。
白だったら水泳。赤だと中止になる。雨で増水したり、台風接近などで赤の旗が出るとがっかりするわたしの傍ら「ああ、よかった、よかった」と母がほっとしたようにいうのは、子ども心にいたく傷ついたモンだった。
白い旗の日は、それを持って当番さんが二人、班の子どもたちと川原まで歩いていく。
川に更衣室なんかないから、みな家で着替えて 水着の上にバスタオルひっかけて ゴムのサンダル きゅっ、きゅっ 鳴らして歩く。

▲最初に準備体操して、川に入るときに自分の名前の書いた木札を当番のおばちゃんに。プールとちがって監視員がいるわけでもないし、小学生だけやのぅて中高生も泳ぎに来てるし、よそから泳ぎに来てる人たちもいるから、この札は子どもたちの確認をするのに大事なものだ。だからこれを忘れたら絶対泳がせてもらえへんかった。
地元のひとが泳いでて溺れる、ことは聞いたことなかった気がするけれど、よそから来た人が溺れて大騒ぎ、ということはひと夏に何回もあったし。いくらふざけても「こわいとこもある川」とみんなわかってたと思う。

▲あんな鬱陶しそうな声出してたくせに、当番のおばちゃんと大きな傘さして、川原に座って話してる母は楽しそうで。そんな母の笑顔が、けど わたしもうれしかった。
一時間ごとに鐘がなって、みな一斉に川原まで上がって休憩する。たいていは川原に寝ころんで、色の出る石を墨をするようにして。ねっとりした岩絵の具みたいなのを指の先につけて、友だちの背中に指であだ名を書いたり、絵を描いたりして、そのまま日焼けするん。けど、次の鐘が鳴るや、競うようにして川に飛び込んでるようでは、時間不足だったんやろね。字が白く残った背中なんて見たことがなかったもん。

▲3時になったらもう一回鐘がなって点呼。自分の木札をもらって、川にだれも残ってないことを確かめると、またぞろぞろ。サンダル ぺたぺた 帰り道。焼けたアスファルトの道路に 水着のしずくが ぽたぽた落ちてはすぐまた乾く。
家に帰って水着をゆすいで干してたら、もう母は旅館に行って いなかった。

▲お盆だからと だれもが休みじゃなく、日曜だからと 休めないひともいて。
いや、そういう日こそ忙しい家や仕事のひともいる。
ニュースでたくさんの人でごった返す行楽地や駅や空港の様子を見ると、思う。
そんな家の子どもたちにも、たのしく心に残る夏休みのひとときが あるといいな、と思う。


 
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by bacuminnote | 2006-08-17 16:50 | yoshino | Comments(0)

ごちゃまぜ。

▲信州に行って来た。
7月後半の大雨の後ということもあって急遽予定を変更。今回、開田高原 は泣く泣くスルーして、友だちの写真展に伊那・松本まで。
久しぶりの中央高速は引っ越し以来、だ。見慣れた名前のSAのプレートを見ただけでぼんやりしていた記憶の糸がするする繋がって。恵那峡、中津川あたりまでくるともう限界。思い出すことが多すぎるセンチメンタルジャーニー。

▲伊那インターでおりて(このあたりは前々回わが家のアウトドア篇!にも登場したところ)会場まで直行した。
会場は地方都市によくある ゆったり、ぜいたくな空間で。
硝子戸の向こう、なつかしい顔が手をふっているのが見える。
友だち、と言うてるけど、もともと彼は下の子が3年通った保育園の「センセ」だった。もっとも彼もわたしたちも「センセ」という呼び名は好まなかったので、親子共々よびすて、なんだけど。
「とおい所からこのために来てくれたんだから、大きく書いといてよ」と言われて、ゲストブックに大きく大阪府・・・と住所と親子三人分名前を書いた。

▲写真は、彼が立ち上げから関わった山の中のちいさな保育園の子どもたちを撮ったもので。四季に分けて写真(段ボールをカットしてパネル様にしていて、それが素朴なかんじで写真の雰囲気によく合っていた)と、子どもたちの木切れの工作やおむつの布を使って草木染めしたもの、ちくちくお針しごとしたもの、段ボールに描かれた絵などが展示されていた。
野を駆け山を歩き、ちいさな虫の前でしゃがみこみ、泥んこになって遊び、畑を耕し、味噌を仕込む。そうして冬には雪まみれになって遊ぶ。
そんな子どもたちのおっきな声やささやき。泣き声に笑い声。流れる汗。雪のお団子作った冷たい手や体温までがまるごと伝わってくるような写真だった。

▲展示のいちばん初めに「もっともっとおもしろいときは写真なんか撮るのも忘れて」とあったけど、きっとそうなんだろう。もっともっとエキサイティングな時間は子どもたちと彼と当番で入る保護者だけが知っているのだろうな、と思いながらわたしはそんなひみつの時間にちょっと しっとする。
会場の窓が大きく開け放たれて、緑のすずやかな風が惜しげもなく入ってきて。
ああ、信州に来たんだなあ、と思いつつ。
あまりのここちよさに写真を見終わってもしばらく わたしたちはそこのソファに座ってじっとしていた。
その後、松本に移動してのんだり、食べたり、しゃべったり、わらったりして。
でも翌日はもう昨日来た道を引き返すのだった。

▲子どもたちがごちゃごちゃしている感じがすきだ。
子どもだけでなく大人もまたあっち向いたりこっち向いたり、ごちゃまぜで。
みんなそれぞれに自分の世界を持ってるんだけど、なーんとなく一つのテーブルに集まってくる・・というような感じがすきだ。
暑い暑い大阪で、あの緑の風と写真展を思い返しながらそんなことを改めて思っていたら、今日観た映画『スパニッシュ・アパートメント』は、まさにその「ごちゃごまぜ」の世界だった。

▲スペイン・バルセロナの家を七カ国の(フランス・スペイン・イギリス・ドイツ・イタリア・デンマーク・ベルギー)の留学生たちがルームシェアーするんだけど、価値観も母語もちがう学生たち(これがまたそれぞれに個性的ながら憎めない)がぶつかり、せめぎあい・・・。
原題は直訳すれば「スペインの宿」という意味らしいが、フランス語のスラングで「ごちゃまぜ」「混乱」という意味もあるのだそうだ。そういえば、劇中「人は混乱の中から何か得る」ってセリフもあったっけ。

▲もちろん異なる社会や文化的背景を持つ人間が集団で生活するのは、こんな風に簡単にうまくいくとは限らないだろうし、ここに出てくる七カ国以外の国ならどうか?例えばここに日本人がまざったらどんななのか?・・・と疑問も次々浮かんでくる。それでも。主人公のたった一年のスペイン滞在ということや、経済的に贅沢はしないまでも困ってもいない「学生」という身分など、条件つきとはいえ、ごちゃまぜの生活が光って見える。

▲そうそう。
これはあんまり主題とは関係ないんだけど。
主人公のフランス人の男の子が 越してきたばっかりのベルギーの女の子の部屋で彼女のCDを見ている場面があって。
「なーんだぼくと同じCDばっかり持ってるんだね」みたいなことを言いながらアリ・ファルカを二人おなじようにからだを揺すってノッテ聴いているところが、よかった。共通の音楽って、ひと と ひと を うんと 近くしてくれるんよね。

*いま上映中?の「ロシアン・ドールズ」はこの映画の続編らしい。
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by bacuminnote | 2006-08-03 16:37 | 音楽 | Comments(0)