いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2006年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲11月も今日で終わりだというのに、ぽかぽか陽気の続く大阪。
自転車で買い物に。けど、この時期に 手袋もニットの帽子もなし、しかも上着も着ないで 自転車ですいすい走れるやなんて、ね。これはやっぱりおかしい。
歩道橋の上、自転車押しながら歩いてたら
「これからでっか?いつまでも、ぬくぅて、なんや気色悪ぅおますなぁ」
「ええお天気やし、あちこち片付けてたら今頃になってしもて。けど、ぬくいと、なんや肩こらへんでよろしなあ」
買い物に行って来た人と、これから行く人が向いあってしゃべってはる。
年の頃なら70代後半くらいだろうか。曲がり気味の腰をかばいながら、ショッピングカーを引くお二人。ゆっくり、しかしその流れるような大阪弁に聞き惚れる。

▲わたしは根っからの大阪人みたいに思われることが多いんだけど、奈良県 南部の産。加えて、学生の頃は京都に住んでたし、ケッコンして大阪に暮らし、その後は滋賀で、とあちこち まぜこぜの関西弁やから、ほんまもんの大阪弁とはちょっとちがうかもしれない。だから というわけじゃないけど、ネイティブスピーカー!の話し声が、どこからか聞こえてくると「ほんまもん」に ついつい聞き耳をたててしまうのだった。

▲「大阪の人はどこに住んでも大阪弁をしゃべる」とは よく耳にすることばだけど、本人は特に意識して大阪弁に こだわっていたり、まして自信があるわけでもない、気がする。でも「じゃあ、どうして?」と聞かれると、うう~ん・・・なんでやろ?
信州にいた頃「麦麦さんって、大阪弁 全然抜けてないよね。それって、ポリシーか何かあるん?」と大阪から越してきたばかりの人に聞かれて「ポリーシーやなんて」と 笑いながらも、内心ちょっとショックだったことがある。
せやかて、ね(と、今はもうしっかり「戻ってる」が)引っ越し当初は、近所のちっちゃい子に「おばさん、英語しゃべってるみたいだね」なんて言われたこともあったわたしも、その頃は関西を離れてすでに7年も8年もたった頃で、自分としては関東風にスマートに(?)しゃべってるつもりやったんやもん(苦笑)

▲上の子は10才まで関西だったけど、下の子は信州・開田高原で生まれて育って、特に保育園に通い始めてからは「~したらあかん」ではなく「~しちゃだめだよ」という風だったので、大阪の友だちから電話がかかって、この子が受話器をとると「ひゃあ、すごい。あんたとこの子が東京弁やって~」とえらく受けたものだった。
それなのに、村の友だちが「うちの子がさぁ、保育園に 大阪弁の男の子がいるよ~って教えてくれたんだけど。だれかと思ったら、お宅の息子のことだったのよ」と言うもんで「あの子だけはバイリンガルかと思ってたのに、ね」と大笑いしたことがある。
そうして彼女曰く「夕ご飯のときにね、ダンナが『あ、今日は麦麦さんと会ってたな~』って言うのよ。昼間くみちゃんに会ってしゃべってると、わたしのことばがどうも大阪弁になってるらしいのよ」

▲こうして考えてみるに、どうやら大阪弁というのは他の方言に比べて「濃い」のかもしれない。けど、濃いもうすいも、話し言葉というのは その人の歩いて来た道が近く、遠く、見え隠れする気がして とても興味深い。新しく知り合ったひとと話していて、やがてことばの端々にちょっとずつ「故郷」が現れると、顔がゆるむ。
そういえば、村で育った友人は「小学校で『方言を使っちゃだめ』って指導するセンセがいてて、忘れられない」って怒ってたなあ。方言=恥ずべきもの、とセンセが教えてどうする、って
一緒になって怒ったわたしだけど。

▲その昔、中学生の頃 自分の育った田舎町のことばが嫌だった。夏休みに来る大阪の従姉妹の話し方がなんか都会っぽく思って、従姉妹と話すその時だけ真似してみたり。
ガッコ帰り 好きな子に 「じゃあね」か「さよなら」だとかっこいいのになあ(←「じゃあね」や「さよなら」のどこがかっこいいの?・・・なんだけど、当時はそう思いこんでいた)
なんで「ほんなら」や「さいなら」なんやろ? けど、そこだけ方言じゃないのも、やっぱりヘンやしなあ・・・とか思ってるうちに、相手は「さいなら」って言うて帰ってしまっており。
ああ、昔に戻れるなら、その頃のわたしに(たぶんことばだけじゃなく、劣等感のかたまりみたいだったわたしに)「そのまんまで 『かいらしい』 よ~」 とそっと言うてやりたい。
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by bacuminnote | 2006-11-30 12:03 | Comments(0)
▲その日、いつものように相方は夜中二時半すぎに起きて、パンを焼き、わたしはあちこちに発送準備をし、お送りするお客さんに便りを書いて。それから、袋詰めするまでの間にホームページの「麦麦通信」に この日一段ときれいやった朝のことを書いてアップした。

▲『パン焼きの日のスタート時はまだ星空ですが、朝6時頃になるとようやくあたりが少うし明るくなってきて。それでもまだ空は深いブルー。そんな空をバックに黒い山々の稜線がシャープです。こんなすばらしい光景を 相方と二人だけで見てるのがほんともったいないと思う。そのうち山々も眠りから覚めるように色を帯びてきて。
こういう景色を 当たり前に見ることのできる 日常に、心からありがとう!と思う朝なのでした』(2003.11.18/麦麦通信)

▲まさかこの日が最後のパン焼きになり、最後のパンの発送になるなんて、思いもしなかったのに。さっき改めてこれを読んでたら、なんか どこか「当たり前」じゃなくなる日を予感してるみたいで、どきんとした。

▲このあと、すこしして病院から義父危篤の知らせを受けて、わたしたちは大急ぎで大阪に向かう支度をしたのだった。主治医のことばから、最悪の事態を覚悟しながらの帰省となったので、道中 初めての携帯電話を契約して車内で説明書を読みながら、親戚や親しい人に連絡をして。そして、大阪まで まだ2~3時間はかかろうかという所で「たったいま」と知らせを受けた。

▲それからあとのことはよく思い出せないくらい、いろんなことがあって、胸の中も頭の中もぐじゃぐじゃだった気がする。
麦麦通信に「パン屋やめます」と書いたその一文があまりにそっけない、と上の息子に怒られたんだけど。
「決心」したくせに未整理のきもちがいっぱいで、書き直せば書き直すほどに事務的になって。というか、こぼれる何かをひとつでも書き始めたら終始がつかなかったのかもしれへん。

▲相方は義父の死の後、大阪でしなければならないことが山盛りで、信州と大阪を忙しなく往復していた。それでなくても大変なことの多い冬の暮らしに、このころ「店」じまいに、引っ越し準備に、と開田村の友たちには ほんまに言い尽くせないほど支えてもらい、助けてもらい、忘れられない冬となった。

▲ああ、もうあれから3年。
きょう 義母のところにむかうバスの窓から紅葉した街路樹をぼんやり眺めながら、あれやこれやと思い出していた。
「あっという間やったねえ」と、義母とサンドイッチをつまみ、ぽつぽつ話す。しんみり 始まった義父の話が、いつのまにか脱線、脱線で、そのうち大笑いして。
「おとうさんが、おい、ちょっと静かにせんかい~って ぼやいてはるやろか」とまた笑って。お供えした珈琲をあたためて飲んで、帰って来た。

▲「パン屋のおばちゃん」やめて「次はどんなおばちゃんになるの?」とは、友だちやお客さんにその頃よく聞かれた質問だけど、あいにく未だに「これ」と差し出せるものがないまま、でいる 。(これは正直ちょっと、くやしい)
この間は 姉に「けど、あんたはどこで住んでも楽しそうやなあ」としみじみと 言われた。
せやろか。

*追記
開田にも来てくださったことのある お客さん・・山口県のUさんからいただいたおたより。
「開田のすばらしさは、
思い出の中だけでなく、子どもも大人も、おとづれた人たちにも
きっといい肥やしになっていることでしょう。
前進なさい」

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by bacuminnote | 2006-11-18 16:49 | パン・麦麦のころ | Comments(0)

真夜中の雷に。

▲昨夜は地響きかと思うようなすごい雷に、こわくて(家で一番のこわがり)目が覚めた。同じように相方も目が覚めたみたいで、ふたりごそごそ起きだして。
妙にむしむしして、喉がかわいたのでジンジャーエール飲んでちょっとしゃべってたら、すっかり目が冴えた。時計をみたら3時半。「寝てくる~」と布団に戻る相方の背中を見ながら、ふと、夜中にこんな風に話せる人がそばにいるのはええもんやなあ、と思った。
あ、いかん、いかん。想像たくましいわたしは今 "midnight thunder " というタイトルで(笑)小説か映画の主人公になってるやん・・・ははは~ ひとり 真夜中に「あほらし」と笑う。

▲この間、同じく「夢みる乙女」な(笑)友だちと出かけた。
その日は朝から冷え込み、それでも雨戸の隙間から細くまっすぐに差す光が暖かそうで、よし、と起き上がる。珈琲を淹れ、朝食の支度して、昨夜から水につけた大豆を煮て、洗濯物干して。『芋・たこ・なんきん』も観ず、「何着て行こか」と鏡の前でうろうろしながら 何度も時計をのぞき込み。結局いつもと変わらん格好に落ち着いたのが9時ちょうど。「いってきまーす」と家を出た。

▲暖かそうに見えたのに、道を歩いてるとけっこう風がつめたくて身が縮む。同じように駅に向かうひとを見ると、冬の防寒スタイルからTシャツ一枚の薄着派までじつにさまざま。それだけお天気が不安定ってことだけど、「街」は11月に入ったとたん もうクリスマス商戦に走り出している。いくらなんでも早すぎ、と思いながら ビルの壁面を飾る大きな天使のイルミネーションを、まだ点灯していないその電線を見る。
長い夏のあと、なんだかよく実感しないまま秋は「早送り」で 冬にバトンタッチしてしまうんやろか。

▲友だちとの待ち合わせの駅に着いたら、約束の時間までまだ10分以上あったので、改札から出てくる人・人・人を眺める。たくさんいてはるなあ。そういえば何年ぶりかで信州から大阪に帰省したとき、人の多さに「なんか一年分ほどの人見たなあ」と笑ったことを思い出す。
そのうち改札の向こうから友が来て、予定通りまずは映画から。

▲じつは彼女もわたしも友人間では方向オンチで通った「仲間」。前夜 相方に「10時半に始まる映画に、駅で10時待ち合わせやて?あいつとおまえで、移動時間30分はキツイで」と言われ、息子まで「せや、せや、絶対無理」と言い出す始末。再度連絡して結局「そしたら10分だけ早くしよか」(笑)ということになったのだけど。
無事、余裕を持って到着!(って「!」マークつけるほどの難関場所でもないのだが)

▲映画は彼女がチケットをもらったというもので、村山由佳原作のラブストーリー。
思いがけず、背景はわたしたちが若いとき過ごした京都のまちで、平安神宮、美術館に動物園、鴨川に八坂神社と続いて、なつかしかった。映画が終わるや、二人であの場面、この場面「わたしやったら、こうする、ああする」談義が始まる。あれはなんぼなんでも、あり得んで。けど、あの場面はよかった~と無責任に、でも真剣に話すのはたのしくて、そしてエンドレス。

▲映画のあとはお昼ごはん。今日は「○○定食」ではなく「○○御膳」である。ゴーカ!おいしくて、たのしくて。
ご飯のあとは、この日のわたしたちの一番の目的、太田順一氏の『大阪24区』という写真展に。
長屋、その狭い玄関の前にいっぱい並ぶ植木鉢、ポリバケツ、ビルとビルの間のちいさな家、銭湯、団地、三輪車と自転車、どこかの工場 の中 物干し竿にゆれる 何枚もの作業服。段ボールハウスのその上には「家」を守るかのように大きな木・・葉っぱが風にそよいでいる。「暮らし」「いとなみ」ということばがうかぶ。そしてファインダーのむこう、太田氏のいかりや やさしさに満ちた眼をわたしは想像する。

▲残念ながら会場に太田氏はご不在だったけれど、写真のそばにあったことばをノートに書き留めて帰る。(太田さんには無断ですがここに書かせてもらいます)
『季節のうつろいにふれる
 のが 散歩なら
 街歩きは
 人の世の変わらぬもの
 変わらざるものを
 目の当たりにしていくことー   太田順一』

▲写真を見ている間、しずかだったわたしたちも、会場を出て少しするとまた話し始める。ふだんだったら「もったいない」と入ることのない紅茶の店に入って、おいしいお茶の香りにうっとりしながら、話は尽きることがない。気がつけば、外は薄暗く、街はイルミネーションが白く光っていた。
わたしが田舎暮らしの17年間、ほんの二、三回しか会えなかった友だちと、いまこうして話せることが ほんまにうれしい。
さて、この日の歩数計は9653歩。
この日のことを 作家 ひこ・田中さん(→大ファンなのです)にメールしたら「その歩数と同じくらい たくさん友だちと お話をされたのでしょう」 と返信をもらった。
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by bacuminnote | 2006-11-11 14:16 | 出かける | Comments(0)