いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2006年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

千両 一枝 買ってみた。

▲2006年もあと三日でお仕舞い。
けど、窓の外は気味悪いくらい暖かな日が続き、そうかと思ったら、突然いまは冬だと思い出した「冬」が(苦笑)冷たく
強い風を吹かせて・・・天も地も乱調のまま「今年」も暮れてゆく。

▲今朝 母から電話があった。
春から新しい家で姉夫婦と同居が始まった母だが、予定通り今年いっぱいで、前まで住んでいた古い家を空けることになったそうだ。
そして先日ようやくいろんな手続きも終わり、ご近所やお世話になった人たち、町内会の方に、と ご挨拶を終えたら
「もう力が抜けてしもぅて、胸がいっぱいになってん」 と言うのを聞いて わたしも泣きそうになる。
ここ数年は、あっちでも こっちでも雨漏り、湿気は多い、冬は寒いし、そのうえ段差だらけ。年老いて一人暮らしの母には、ええとこなしの古い家だったろう。それでも、近くには長いつきあいの 気心の知れたご近所のひとたちがいて、それに100年あまり 何世代分もいっぱい思い出の詰まった家やもんね。わたしも今日は一日 家のことを思ってた。

▲子どもの頃は普通に玄関のある家、ガラガラ~って戸を開けたら「おかえり~」とおかあちゃんの声の響く家に住む友だちがうらやましかった。
うちは間口の広い家で、左が旅館の玄関で、右がすし店、真ん中のいつも開きっぱなしの戸から「いってきまーす」と出て行き「ただいまー」と帰って来た。忙しい商家に育って、親には いっこもかまってもらえんかったけど、そのかわり働いてはる人、お客さん・・・いつもだれかはそこにいて。
「ただいま」と言うて「おかえり」の声が返ってこない、ということが なかったのは シアワセやったな、と今ではしみじみそう思う。

▲入って突き当たりは調理場で、左には食器の棚と大きな配膳台があった。
当時は木材市の幕の内弁当も作っていたので、市の立った日には、家の前までだし巻きや鰆の焼いたええにおいがして。外から帰えるなり、板場さんにだしまきの端っこをもらって頬張ったものだ。
右には上がり口があって、角火鉢の前にはいつもおじいちゃんがこわい顔して座ってはった。

▲そうだ。火鉢の横の茶棚の下の引き戸にはトースターが隠してあった。それは真ん中にニクロム線があって、その両側にパンをおき、片面が焼けるとひっくりかえす古いターン・オーバー型。
まだパン食は、ぜいたくな時代だったのだろう「(米のある)すし屋がパン食べてどないする」とおじいちゃんが言うから隠してあったらしいが。そのおじいちゃんが買い出しに大阪に行くとおみやげは いつも気に入りのパン屋の「あんぱん」やったって話やから、ほんまは自分もパン好き だったのだろう。

▲おじいちゃんが大往生のあと、わが家の朝はパン食になり、隠していたトースターもいつの間にかポップアップ式に替わった。
すし屋の孫がパン屋になったん知ったら、おじいちゃんはどんな顔したやろか、と思うとおかしい。
棚からトースターを出して、いっつも一人だけ食パン焼いて、バターいっぱいつけて食べてた親父(←おいしいモンは独り占めのジコチュウなお方)もまた、パン屋になる前の年にあわてて逝ってしもたし、ね。

▲その頃の実家の大晦日はおせちのお重の注文がいっぱいあって、大人はみんな夕飯も食べず忙しく働いていた。全部出来上がるのは「紅白」が始まる頃だったと思う。男の人らは配達に出て、母たちは後片付けをして、調理場の床に水まいて、玄関先きれいにして、家用にさっさと余り物をお重につめて。(なんせ余り物やし、やたら多いものと ちょっとしかないものもあった)
「はよ、おいで。アイ・ジョージ(←その頃 母がすきだった)出るで~」と子どもたちが わいわいさわぐ中、水仕事のあとの真っ赤な手を割烹着で拭き拭き、やっと母がテレビの前に座ってくれて。子どもたちもほっとするのだった。

▲「紅白」が終わると、そのまま みな車に乗り込んで初詣に生駒さんに行った。
うれしくて、うれしくて。ずっと起きてようと思うのに、わたしはいつも道中すぐに寝てしまっていた気がするんだけど。
そうして朝、寝坊して起きてくると、もう母は起きていて「お祝い」の用意をしていた。そのうち仲居さんたちがきれいな着物着て挨拶に来はる。ほんの一日だけの休みの賑わいは、古い家の記憶と重なり、いまもわたしの奥ふかくに 在るちいさな たからものだ。

▲わたしんちではお正月だから、と特別なことをしなくなって久しい。うちの子たちが思い出す大晦日やお正月は、だからふだんの週末や休日のようなものかもしれないなぁ。お正月準備で賑わうスーパーの帰り道、ふとそんなことを思った。
そしたら、なんかちょっと申し訳ないようなきもちになって、人だかりの花屋で千両を一本だけ買ってみた。(我ながらせこい)
ま、何はなくとも、みな元気に年越しできることに感謝しつつ。
『数へ日の ともあれ わたくしの居場所』土肥あき子(東京新聞・中日新聞2003.12.27夕刊所載)


やりきれない 腹立たしいことの多い一年でした。
ここんとこ 毎年 暮に思うことひとつ。 来年こそよき一年でありますように。
今年もありがとうございました。
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by bacuminnote | 2006-12-28 23:56 | yoshino | Comments(0)

霧吹き しゅっ しゅっ。

▲ぽかぽか小春日和の土曜の朝。
庭に干した布団。縁側。日向のにおいのする廊下で
♪サヨナラから始まることが たくさんあるんだよ~(←永積クンすき)なんて口ずさみながら、しゅっ、しゅっと障子紙に霧吹き・・長いこと気になっていた障子の張り替え。
前にこの障子紙を張ったのは本職さんなので、じつにきれいにぺろりと剥がれて、思わず「おお」と声がでる。おかげで桟は水拭きしただけで済んだ。丁寧で うつくしい 「仕事」は、さすが!

▲信州で暮らしてた頃、障子の張り替えはいつも夏の仕事だった。
障子戸をはずしても寒くないのは夏しかなく、だから戸を開け放して作業できるのも夏しかなく、そして外で桟を洗えるのも夏しかなかった、から。
わたしたちの前に住んではったというおばあちゃんは、戸の水洗いなんて何十年もできなかったのだろう。たぶん古い障子紙を剥がすや、そのまま糊を上に重ねて重ねて張り替えていたのだろう。そんな お年寄りひとりの暮らしを思いながら、家の前に戸を何枚も運び出して洗った。けど、古い桟に何重にも こびりついた糊が、真夏だというのに冷たい開田高原の水道水で、よけいに かちかちになって なかなか剥がれへんかったんよね。

▲きちんと、几帳面に、正確に、という どの言葉も当てはまらないわたしなので、障子紙をまっすぐに切ることも、桟にのりを均一につけることも、ぴーんと、たるみなく紙を貼ることも、うまくいかない・・のは いつものこと。
それでも、なんでも、張り替えた「白」はまぶしく、部屋がぱっと明るくなった。
すばらしい!と自画自賛しては、相方と息子に「見て、見て」と促す。

▲けど、翌朝起きて、改めて裏側を見てびっくり。
多少のツレはともかくとしても、糊がはがれてるところ、糊がにじんで紙が茶色くシミになってしまっていたり、と無惨。
わたしのいい加減さに点数つけられたみたいで、ちょっと凹む。それに、障子戸四枚の内 破れの目立った二枚だけを替えたもんで、残る二枚との「差」が明白。
つまり新しく明るいが、くしゃくしゃなのと、日焼けと汚れは あるものの、ぴしっときれい、なのと。
ううむ。甲乙つけがたい(笑)
さっき母に電話して「2枚張り替えてん」と ちょっとばかり得意気に言ったら「障子やてぇ?懐かしいわぁ。旅館の頃は わたしひとりで30枚は 張り替えたなあ」と さらりと返されてしまった。
はい。まいりました。

▲さて。
もう何年も前から定期購読している月刊ミニコミ誌がある。
『子どもとゆく』は定型の封筒に収まる小誌ながら、そのサイズからは考えられないくらい、いつも中身はぎゅっと濃くて、そしてたのしい雑誌だ。読むたびに「そうだ!そのとおり!」と共にイカリ、笑って読んできた。
残念なことに終刊が決まり、最近は表紙に最後まで○号目って書いてあって、ほんまにさびしい。今月号の特集は「教えず おこらず ときどき 途方にくれる」と題した対談で、斎藤次郎(教育評論家)池見恒則(数学塾むれ・河合塾コスモ)藤田悟(「子どもとゆく編集部・大学教員)の各氏が子どもや若者についていろんなことを語っていて 興味深く読んだ。

▲その中で斎藤氏が、小学校のPTAの役員を9年間したときのことを話してはって
『「たとえば総会で学校の子ども管理が乱暴だと批判するでしょ。それで終わってからゲタ箱のところへ来ると、「私もずっと思っていました」「胸がスッとしました」って集まってくるわけ。「じゃあ、おまえも言えよ!」(笑)』
いやあ、かつてわたしも経験したこの光景。そして何度となく がっかりした瞬間。
氏は「じゃあ皆さん、ぜひ来年は発言してください」って別れるんだけど、次の年も次の年もダメ。

▲『「めんどくさくない立場を保っていたい、発言しないほうが目立たなくて都合がいい、そういう価値観があるよね。「そこで黙っていたら、決定がなされたときに、その場にいた人間として責任を負う」というセンスはまったくない』
これはPTAに限らず、だ。
「そこで黙っていたら、決定がなされたときに、その場にいた人間として責任を負う」
ほんまその通り。
痛いことばだけど、「黙ってたけど、ほんとはね・・・」では伝わらない。
そして何より「わたしはそうは思わない」をいつでも堂々と言える世の中でないと。

▲そういえば、障子張り替えながら口ずさんでた歌はこんなふうに始まるんだった。
 『そこから旅立つことは とても力がいるよ
  波風たてられること きらう人ばかりで
  でも君はそれでいいの 楽がしたかっただけなの
  ぼくをだましてもいいけど 自分はもうだまさないで 
(後略)』 (サヨナラcolor/永積タカシ作詞)

*追記
「子どもとゆく」はあと3号で終刊となりますが、2004年に刊行されたこの本もおすすめです。
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by bacuminnote | 2006-12-18 15:24 | Comments(0)

流されないためにも。

▲とうとう12月になった。
ああ、今年一年わたしは何をしてたんだろ?と思いながら、残り一枚になったカレンダーを眺める。
だけど、こんな風に ぼんやりしている間にも世の中は動いている。こわいくらいに。

▲先月末(11/27朝日新聞夕刊『夕陽妄語』)加藤周一氏が「2006 年11月に太平洋の両岸でおそらく歴史に残るだろう二つの事件が起こった」として、米国の「中間選挙」での共和党の大敗と、日本では衆議院での与党による「教育基本法」改定案への強行採決を挙げていた。前者は「米国の有権者のイラク戦争政策批判」として当然の結果という気がするけれど。もうひとつの「歴史に残るだろう」大きな事件がこの国に起こっているというのに、何事もなかったような顔で2006年は暮れてゆくのだろか。

『GRAPHICATION』no.147という広報誌に「いま教養が必要な理由」というタイトルで木田元氏(哲学者)と池内紀氏(ドイツ文学者)の対談が掲載されていた。その中で池内氏がこんなことを言っている。
「権力者が教育をいじる時代はやはりよくない時代ですね。教養がない政治家ほどすぐに教育を言い出す。最初に言ったように、もともと教育と教養はほとんど関係がないし、本当は国を愛する教育より、ものごとの本質をみきわめ、流されないための教養を身につける方が大事だと思うんですけどね」

▲「ものごとの本質をみきわめ、流されないための教養を身につける」
子どもたちにそれを伝えるにはどうしたらいいのだろう。いや、子ども以前に大人たちは(わたしは)果たしてそれをできているのだろうか?と、考え込んでいる。
たいていはじっくり考え続ける、ということが苦手で、すぐ途中で放り投げてしまうわたしだけど。時代を見きわめ「流されないため」にも、考え続けることを自分に課そうと思う。

▲さて、暗いニュースばかりの毎日ながら、この間は久しぶりにしみじみと いい映画に出会えた。うれしくて「よかった、よかった」とあちこちで言いふらしてる。
でも10年くらい前の作品だし、何より「名作」なので観たという人もけっこう多かった。その映画『イル・ポスティーノ』は1950年代イタリアのナポリ沖の小さな島での話。

▲水道もない貧しいこの島にチリから亡命したパブロ・ネルーダ(実在した詩人)が住むことになり、世界各国から届く彼への郵便物をマリオという青年がその専用配達人として働くことになる。マリオは配達をしているうちに、詩人に届く郵便の差出人に女性が多いことから詩人になれば女性にもてるのか、と詩に興味を持ち始める。それで詩人に詩について教えてもらうようになる。

▲漁師という仕事に興味が持てず、ぶらぶらしていたマリオが詩人と出会い、やがて「詩」そのものにも出会ってゆくのだけれど。
自分を表現するなにかを獲得できるって、なんてすばらしいのだろう。そうして、彼は一目惚れしたベアトリーチェという娘に詩を送ろうとする。

▲詩人とのであいはそればかりでなく、不満に思うばかりだったその小さな島の美しさをマリオに気づかせる。
初めは「島で一番美しいものは何?」と詩人に聞かれて無邪気に「ベアトリーチェ」と答えた彼が 波や風の音、教会の鐘、それから ベアトリーチェのおなかに宿った赤ちゃんの心音・・・それらを後にチリに戻った詩人に聞かせるため 録音する場面は、島への愛、妻への愛、そして詩人への深い友情を感じて胸があつくなる。

▲「ニュー・シネマ・パラダイス」のフィリップ・ノワレ演じる詩人ネルーダがとてもいい感じ。そしてこの映画のクランクアップの12時間後亡くなったというマリオ役のマッシモ・トロイージがせつない。作品そのものが詩のような気がした。
詩への思いや、生まれ育った田舎のうつくしさに気づくのにずいぶん回り道した自分 が重なって、忘れられない映画となった。
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by bacuminnote | 2006-12-09 15:15 | 映画 | Comments(2)