いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2007年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

「だれだか きます」

▲ 今日は(も)朝からぽかぽかと暖かくて、日だまりにいると
ほんまに春みたい。明日はもう2月になるというのに。
庭いっぱいに洗濯物を干していたら、何故か突然「ゆきのふるよは たのしいペチカ」という歌が口をついて 我ながらおどろく。
よりによって。こんな穏やかなお天気の朝に、ね、とおかしくなって濡れたタオルを手にかけたまんま一人笑いながらも つづきをぼそぼそと歌うのであった。

▲これは昔 母がすきで、かすれた声でよく口ずさんでいた歌だ。
幼いわたしはペチカとはどんな物かも知らなかったのだけれど「ペチカもえろよ お話しましょ むかし むかしよ~」というのがすきだった。「むかし むかしよ~」のところになると、わたしの中に 白いもこもこのコートを着た まっかなほっぺのちっちゃなおんなのこが現れて「おはなし」するんよね。たいていはその子が遠い寒い国から一人大きなトランク抱えてやってくる話だったような気がするけど。そのころ読んだ本とごっちゃになってて、よくおぼえていない。

▲ 大人になって信州の山の中で暮らすようになって、あるときストーヴに薪をほおり込んでいて、今朝みたいにふっとこの歌が口をついて出てきたことがあった。そしたら、ものすごーくひさしぶりに「白いもこもこのコートのおんなのこ」のことも思い出して、不覚にも泣きそうになった。
「ペチカ」がどんな暖房具なのか、この歌の続きはどんなのか、と調べたのはそのときだったと思う。

▲「記憶」というのはおもしろいものだ。
だんだん年をとってきて「フォルダ」の数ばかり増えるのに、ちっとも整理ということができてないもんだから、時々こんな風にどこかで眠っていたり、あるいは在ることすら忘れていた「引き出し」が突然 なんかのはずみで開くのも、 いと をかし。

▲で、そのときまで知らなかったんだけど、この歌(北原白秋・詩 / 山田耕筰・作曲)の続きにはこんなのもある。
「雪の降る夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ 誰だか来ます お客様でしょ うれしいペチカ」
いまもこれを書き写していたら
しんしんと雪の降る日、家の前に車が止まり、やがてばーんとドアを閉める音が響き、玄関の前で だだだっ~と足踏みして長靴の雪を落とす音がして。「きっと○○さんだよ~」と、まだ小さかった息子がストーヴでほてった顔で小躍りしながら飛び出してゆく姿が浮かんでくる。

▲雪と共にある暮らしは時に過酷だけど「物語」に満ちている。
 ああ、それにしても。
「だれだかきます」「お客様でしょ」「うれしいペチカ」とは 泣かせるなあ。


* 追記
突然ひらく「引き出し」などと、うれしがっていたから、って
ことはないはずやけど。
この間 引き出しどころか全体がひっくり返った。
いや今回こけたんは、わたしじゃなくてmacのハードディスクです。それはDVD を見終わったすぐあとのこと。いきなりクラッシュするんやもん。その名もcrying fist (泣拳)という映画を見ていたのですが。映画にもクラッシュにも 泣いてしもた。
でも。
こころやさしい友人たちにアドバイスやサポートしてもらって、いまは信州の友人宅にて「受診、治療中」。
困ったときばかり連絡するのに、いつもかわらない暖かさで教えてくれるあのひと、このひと。
ほんまにおおきにです。

*そして、もうひとつ追記(07.02.03)
今日は一転。大阪でも小雪舞う 寒い朝でした。
ここを読んで 本橋成一監督『アレクセイと泉』に出てくるペチカ思い出した、と友人が今朝一番にメールをくれました。残念ながら わたしはこの映画を観ていないのですが、いまネットで検索していたら本橋氏の『ペチカのぬくもり』と題したエッセイにであいました。
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by bacuminnote | 2007-01-31 17:51 | 開田村のころ | Comments(0)

「帰り着くたびに」

▲いつだかの雪と冷え込みで、この冬 後半はけっこう手強いかも、と覚悟していたんだけど、寒かったのはその何日かだけで、思いのほか長いことぽかぽか陽気が続いている。
いつも買い置きしている「貼るカイロ」も「靴下に貼るカイロ」も (←冷え性です)だから今季は出番がうんと少ない。
それでもデパートに行ったら、むっとする。相変わらず暖房ききすぎ。
厚ぼったい上着を手にかけつつ 汗ぬぐうお客に、半袖、薄着、早くも春色でキメた店員さんがバーゲンの冬物を「これ、すごく暖かいんですよぉ」 と勧めてはるようすは、なんか滑稽。
このおかしさに 一体いつになったら 気づくんやろか。

▲滑稽て言うたら。今日、明日は新聞の折り込み広告が一杯になる日だ。マンションや分譲住宅の広告がほとんどで、それがまた一様に厚い紙質だから どっしりと重い。(配達の人はたいへんやよね)
開田村で暮らしてた頃は、折り込み広告なんてちょっとしかなくて(そもそも近くにお店がないし)この種のものになると全然ないに等しかった。だからここに越した当初はいっぱいの広告がそれは珍しくて、おもしろがって 家族で くまなく眺めてた(笑)
でも、そのうちだれも何も見なくなって、届いたままのカタチで 古新聞の袋に直行だったんだけど。

▲最近 うちの周辺も 家にマンションに、と建築ラッシュ。こんなに建てて買う人いてるんやろかと、気になって(苦笑)わたしの広告ウオッチングが再開したのであった。
これが まあどこも同様に「高級感」を競ってて、紙も上質で光沢あり。そしてコピーがまたすごい。
「光と風が確かに存在する快楽主義者たちの空間」
「それは、すべてがここに出逢ったというプレミアム」
「ときめきを覚える私生活の序章」
「上級生活街」
「帰り着くたびに微笑みを誘われ、これから過ごす豊かなひとときへの期待を高めていきます」

▲これでもか、というような広告文は滑稽で、そしてなんか もの哀しい。
それに、重箱の隅つつくみたいで ごめんやけど 『帰り着くたびに・・』の一文など どう考えても日本語としてヘンやで~ と、 ツッコミを入れたくなる。
相方に言うたら「そんなん、だれも いちいちそんなとこまで気にしてへんって。売る側は雰囲気。雰囲気だけでええねんって。だいたいそんな細かいチェック入れるんは だれかみたいに買う気もお金もない閑人くらいやろし」と 笑われてしもた。

▲ふと、買い物の帰り道にある豪邸に干してあった二組の布団を思い出す。「高級感」あふれるその家に干した布団は、なんともおかしかな光景だったんだけど、わたしはなんかほっとした。
「暮らし」に 高級もナンも ないもんね。
今日も窓の外 「新築工事」で地面を掘る音が騒がしい(これから一年かかるそうだ)
さて、どんな家が建つのかな。
そして、どんなひとが住むのだろう。

*ちょっと長い 追記
前にも書いたかもしれないけれど(物忘れの「お年頃」やろか。最近こんなんばっかり。ブログ内容も重複多しかもしれませんが、笑って流してください。)吉村順三氏のことばより。

建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。 日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。
家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。つまり計算では出てこないような人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計というものであって、設計が、単なる製図ではないというのは、このことである。
』 
 (「朝日ジャーナル」 1965年7月11日号)
『建築は詩_建築家・吉村順三のことば100』
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by bacuminnote | 2007-01-20 10:15 | Comments(0)
▲二・三日前だったか 雪が降った。
朝から冷えるなあ、とは思ってたけど。まさか「降る」とは思わなかったから驚いた。
大阪でこんなんやもん。信州では やっぱり「ドカ雪」だったらしい。
友だちからメールで届いた写真に、しばし茫然とする。屋根にうず高く積もった雪。軒に垂れ下がる太く長いつらら。雪に埋もれるような車。とにかく、年末の景色からは あっという間に一変。あたり一面雪まみれだ。

▲大阪に戻って三回目の冬。
雪のある生活や零下10度だ20度だという寒さの実感は、年々遠くなっている気がする。雪のことでは「あんたがやって」「早く手伝え」・・と、何度フウフげんかをし、親子げんかを繰り返したことか。
「そこで生まれ育ったから」ではなく「自ら選んで越してきた地」での暮らしなのに。
かいても かいても積もる雪に、ちょっと放っておけばすぐにかちんかちんに凍ってしまう雪に、泣いてる自分が 心底なさけなくて。けんかのあとの意地もあって、かっかして休憩もせずにスコップをふり続けたこともあった。

▲「なつかしいでしょ」と友人の送ってくれた開田高原の雪景色は、だから、郷愁以上のいろんな思いがあふれて、ついウエットになってしまう。
けど、雪かきはつらくてハードだったものの、いつの間にか「苦」じゃなくなってる時があった。これって、もしかしたら「ランナーズハイ」みたいなものなのかなあ。
長靴の中の足先は感覚がないほど冷え切ってるんだけど、全身汗だくで、顔は上気して、疲れ果てたところで、スコップの手をとめる。そしたら、ふと見上げた空の青さや神々しいまでに白い山々に胸がどきどきして。なんだか泣きそうになるん。いま、ことばにすると 気恥ずかしいけれど、それは ちょっとコイにも 似た胸の高鳴りなのだった。

▲開田に引っ越した頃はまだスキーのこともよく知らなくて、親子でゲレンデスキーの板をはいて、雪で地続きになっている川を歩いて行ったこともある。あとで友人に言ったら「ええっ~?その板でクロカン?」と大笑いされたっけ。
それでも新参者には何もかもが珍しくて楽しかった。真っ白で まっさらな雪原にうさぎか何かの足跡をみつけては、どきどきし。そもそも「川を渡り歩いている」という現実だけで、もう十分にエキサイティングだったし。
家からは車で5分くらいでスキー場に行けたので、休みの日には朝からすべりに行き、板はゲレンデに置いたままお昼を食べに帰って、また夕方まですべりに行ったものだ。

▲引っ越しの翌年の冬には、二人目の子どもが13年ぶりに うまれた。それから次の冬が来て、上の子はようやく歩けるようになったちいさな弟のために、何時間もかかって、家の前の空き地に雪の滑り台を作ってやっていた。それは短い滑り台だったけど、着ぶくれて ころころの「弟」は大喜びで、おにいちゃんにねだって、何度も何度も滑らせてもらってた。
雪の中 響くきゃあきゃあ と はしゃぐその高い声が しみじみとなつかしい(→いまや その声も声変わりの最中やし)
保育園では毎冬「親子そりすべり大会」なんていう行事があった。
肥料袋に古着を詰め込んで、紐でしばった手製そりを 各自持参して、親子で参加する。歓声あげて すべってるうちにいつの間にか「大人とこども」は「こどもとこども」に。
雪あそびは ひとの心を一気に こどもに帰してくれるんよね。

▲今からもう一回あの日々と同じことを、と言われたら、ちょっと、いや全く自信がないけれど、雪の写真見たら いまも心がさわぐ。
今季は全然雪がなくて、それはそれでさびしいし大変(村にはスキー場関係の仕事のひとも多いし)と、開田の友だちとは年末に 電話でそう話してたんだけど、こんどはいきなりの大雪でほんまに大変やろなと思う。

▲当たり前のことながら、自然はこっちの思い通りには 動いてはくれない。(自然にとっても、人間はいつだってわがままで乱暴者、と怒ってるかもしれん)
だけど。
今年もこの季節、雪深い地に暮らすみなさんがどうか無事にすごせますように。
長い長い冬の間 しんどいこともいっぱいあるだろうけれど、まちに住むわたしたちが経験することがかなわない、そんな雪のたのしい時間がいっぱいありますように。
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by bacuminnote | 2007-01-09 15:12 | 開田村のころ | Comments(0)
▲暖かいお正月だった。
元旦の朝、のろのろと起きてきたけど、だれもあとに続いてこない(やっぱり)
だから、いつものようにまずは朝一番の珈琲。お湯をわかし、ネルを「解凍」している間に(もうずいぶん前に友人に教えてもらって、以来ずっとネル。で、使ったあとのネルは冷凍庫に、というのが友人流。つまり使う時は解凍してから)お雑煮用のだしを取る。
前にも書いた気がするけど、お雑煮は昆布と鰹のだしのすまし汁に、焼いた丸餅と水菜だけ。相方とケッコンして初めて知ったこのお雑煮。シンプル、うまい、おみごと!と、作るたびに思う。
そして、だれかと新たに生活を共にする大きなたのしみは、こんな「食」の文化交流にこそ あるのかもしれない、と。(もっとも、そのためにモメることもあったりするんやけどね・・・)

▲さて。
準備はできたけれど、いっこうにだれも起きては来ないので、珈琲をのみながら新聞を取りに外に出て、深呼吸ひとつ。暖かい。見上げた空はあおくて。そう思って見るからかもしれないけど「正月の空」の青、の気がする。
郵便受けいっぱいの新聞と、年賀状の束。
自分は今頃になって書き始めているというのに(ごめん)元旦に届く賀状というのは お正月気分 にしてくれて すき。だから
いつも輪ゴムをはずすのも もどかしく、玄関に上がる階段の途中で立ったまま読む。そのうち、脇に挟んだ分厚い朝刊がずり落ちそうになって・・・こんな多量の広告やつまらない特集より「知りたいことをきちんと知らせてよ」と思うのも 例年通りである(特に この頃の新聞というたら・・・)

▲夕方には 東京から上の子が友だちと一緒に帰って来た。
大人数の家で大きくなったわたしは、一人よりふたり、二人より大勢(笑)がすき。
ふだんとほぼ変わらないご飯も、いつもは空いてる席に息子がいて、お客さんがいて。
取り皿やお茶碗の数が多いだけで 食卓がうんと華やいで、うれしくにぎやかな夕餉のひとときだった。2日は相方のお母さんちに顔を出し、3日は息子たちと吉野に向かう。母や姉たちの顔を見に、ということもあったけれど、実を言うとわたしは この前ここで書いた「家」をしっかり見ておきたかったのだ。

▲吉野に着いて、お昼ご飯を食べてからすぐ近くのお寺に。
長いこと「ごぼーさん」と何気なく呼んでいたけど、「ごぼー」が歴史ある「御坊」であると知ったのは大人になってから。
坂道を上がり、お寺の裏山の上にある蓮如上人御廟を目指すも、そのあまりの勾配に足腰の弱いわたしは(苦笑)断念。それでも途中まで上がったところで、すでに空気がちがうことに気づく。わあ。すごいなあ。澄んでいる。うつくしい、と みんなで言い合った。空気を意識するなんて、久しぶりのこと。それだけいつもは汚れた空気の中で暮らしてるってことなのかもしれない。ちょっとの間だったけど、母とも姉とも姪とも しゃべって笑って、夕方家を出た。

▲いつもは車で送ってもらう駅までの道を 歩いて、この日一番気になっていた 生家の前を通る。
何もかもはずし、看板をおろした家は なんだか よけいに古びて寂れて見えて。
玄関横、古い木枠の からっぽのウインドウ。だれかが磨いてくれたんやろか、そのガラスが思いのほか きれいだったのが、ほんまにうれしかった。
そうして、二階の二つの手すりを見上げていたら、獅子舞や三河漫才が来た遠い日のお正月を思い出した。

▲とりわけ獅子舞は大ファンのおじいちゃんが、ふだんは「こまかい」クセに(大阪弁で始末屋とかケチというような意味)獅子舞だけはご祝儀はずんで。(と、おばあちゃんや母がこぼしてた・・)だから、うちの前では特別長く獅子が舞ったのだった。
わたしは獅子が頭を 噛みに来はるのが怖くて、いつも姉たちときゃあきゃあ言って二階に駆け上がり、その手すりに前のめりになって舞いを眺めてた。そのうち近所の人が皆集まってきて。狭い道に人垣ができて、それはにぎやかだったのにね。

▲いまは、しんとして、だれも外に出てこない。もはや小さな子どもは その通りの家にはひとりもいなくて、ほとんどが年寄りの住まいになっている。
ここに立っていると、あれもこれも思い出して。
このあと この町はどんなふうに変わってゆくのだろうか、としみじみ 思う。
電車の時間がせまってきたので、大急ぎで写真を撮ったり、撮ってもらったりして、駅に向かった。
ここに戻ってさっそく写真を見てみたら、主のいない「家」の写真のなんとさびしいこと。
たった一枚、子どものときから変わらん まぬけな顔して わたしが笑って立ってる写真だけが明るくて・・・やれやれ。自分のまぬけ顔に救われるやなんて、ね。
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by bacuminnote | 2007-01-06 23:03 | yoshino | Comments(0)