いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

<   2007年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

▲明け方から雷が響き今日は「来そう」やな、と思ったけど、想像以上の大雨が降った。つめたくて激しい雨だったのでレインコートを着て出た。信号までの道はわたしひとりだったから。ちっちゃい子みたいに、ぴちゃぴちゃ音たてて歩く。水しぶきがストッキングにしみを作るけどかまわない。街路樹が突然のシャワーに気持ちよさそうに伸びをして。草も木々も。みどりいろってこんなにいっぱいの色があったんやね。
雨の日にじっとりした家で本を読むのもけっこうすきなんだけど、思い切って出て来てよかった。義母としゃべって、笑って、あつあつのお好み焼きを食べてる間に、窓の外はうすくひかりが差し、やがて青空になった。

▲この間、姪の結婚式が横浜であった。横浜は山下公園前に停泊していた船『氷川丸』に泊まった中学の修学旅行以来だ。もう36年も前のことだけど、このときのことはよく覚えている。ただでさえコーフン気味の田舎の中学生が♪ブルーライトヨコハマ~(←このころ流行ってた いしだあゆみの歌)の船に泊まるやなんて。海のない奈良県の子どもたちは大はしゃぎで乗船したものだった。なんたって、今みたいに家族旅行をする家は ほんまに少なかった頃の話だしね。

▲夜になって、だれから聞いて来たのか「この船は戦争中は病院船やったんやぞー」と言う男子がいて。「うっそぉー」と返しながらも、かたいベッドとカーキ色のごわごわした毛布、それに船内に漂う油のにおいが妙にリアルで、皆一瞬しんとして。そのうち、なんだかこわくなって皆きゃあきゃあ騒いだ。
いま、その日のことを思い出したので、ネットで『氷川丸』を調べたら、あの夜 男の子が言うてたように、戦争中は海軍に徴用され病院船として、戦後は外地からの復員船としても運用されていたらしい。それだけでなく、この船 かつては「北太平洋の女王」と呼ばれた客船でもあり、その人生(船生?)はなかなか波瀾万丈だったようで興味深い。だけど当時はそんな歴史もドラマも知らず、「アールデコ」なんて思いもよらず。センセが夜に酒盛りしてたとか、だれそれがあの子に告白したとか、そんな横浜の一夜だった気がする。

▲さて、結婚式の前日はひとまず東京に。東京には「船」を降りて二年になる息子がいる。「二人だけで会うても仕方ないしなあ」などと、母子で身も蓋もないような会話をしていたのだけれど。息子のガールフレンドが同行してくれることになったあたりから「ハハの東京物語」は急転回。ご飯は何食べる?どこか行きたいとこある?とやっと物語の雰囲気が盛り上がるのであった(ありがとう、○○ちゃん!)

▲青山でリクエストの野菜料理を食べ、ホットケーキとスコーンと珈琲のうまい店に行き。ずっと行ってみたかった青山ブックセンターにも寄って、本の森をかけめぐる。
荷物を持ってもらい、あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロの「おのぼりさん」はふたりが歩くちょっとうしろから歩く。肩よせあうふたりの背中がなんだかいとおしい。その昔、義母が「あんたがいるから、まだあの子(わが相方)と話するけど・・・」と言うてはったことをふっと思い出した。

▲夕方に横浜入り。その日は都会の空気に酔ったのか、枕がかわったからか、それとも10332歩 歩いたからか(←いつも皆から「ええなあ」と言われる歩数計つき携帯)なかなか寝付けず、ちょっとうとうとしてはすぐ目が覚めて、気がついたら外が明るくなりはじめた。
海のないところ育ちには夢のような景色が窓の外にひろがっていて、思わずとなりのベッドの母を起こす。停泊している船、ベイブリッジ。しずかに揺らぐ水面のむこう おおきな陽がのぼってゆく。

▲その日は幾組も結婚式があったようで、エレベーターで廊下で花嫁やその家族を見かけた。昨今の演出過多なウエディングプランには思うところがあるものの、若い(若くなくても!)笑顔のふたりはいいものだ。結婚式ではカップルがうつくしくkissをするのにみとれ、だいすきな賛美歌312番をきもちよく歌い、そして花嫁の母(三番目の姉)の涙に胸がつまった。

▲披露宴が始まって、しばらくすると「くじ引きスピーチ」とかいうのがあった。箱の中に出席者の名前のカードが入ってて、新郎新婦が引いたカードのひとがスピーチをする、という趣向らしい。姉(二番目)と「当たったらかなんしトイレにでも行こか」と相談中、司会者の「それでは新婦の叔母さんの○○くみこさん」という声が聞こえ姉と無言で見つめ合う(泣)
あろうことかトップバッターだった。どうでもいいことならいくらでもしゃべるくせに、こういう時には突然無口になってしまう困ったひと(わたし)である。ケッコンはゴールじゃなくスタート・・と、なんかわかったような、わからんようなこと言うて着席。ああ、はずかしい。
[PR]
by bacuminnote | 2007-05-30 21:45 | 出かける | Comments(0)
▲雨戸を開けたら、まぶしい光とはっとするような青い空が目にとびこんできた。なんだか秋みたいな空色だ。
けど、お向かいの新築工事の、トントンと懐かしい金槌の音や「はいよ~上げ。もうちょい。もうちょい下げ~。はーいストップ」と材木を動かす音が、なんだか今朝のこの空色に似合っている。
それにしても、今日も風がつめたくて肌寒い朝だ。もう五月も半ばを過ぎたのにね。

▲昨日は久しぶりにまちに出かけた。大阪に戻って一番の変化はこうして一人外出の時間が増えたこと。相変わらずの方向音痴で無駄に歩き回ることも多いけど、一人歩きの身軽さは、たとえ道に迷う不安があってもおもしろい。
行き先はミナミの本屋さん。わたしたちのパン屋の先輩であり、家族ぐるみのおつきあいの『パン工房 楽童』さんの開店23周年!バースデイライヴ(山村誠一Live in std.)に。

▲23~24年前といえば、それが後に仕事になるなんて思いもせず、わたしは家でパンを焼いていた。(このころまでは『星野天然酵母』という酵母を使って)これがうまく窯伸びするときと、アカンときがあって。けど、まだその頃は天然酵母のパン自体手に入りにくく、資料も本もなかったので何をどう学んでいいのかもわからなかった。

▲わからんかったものの、雑でええかんげん、加えてめんどうくさがりの このわたしがパンを、家で、しかも天然酵母で、って事に、自分自身けっこう満足しており・・(苦笑) 今思えば、発酵不足で目のつまった ちょっと白っぽい焼き上がりのパンでも(なかなかやん、とそのときは思ってた)気取って?白い紙に包んで麻紐かけたりなんかして、友だちに贈ってたなあ。(ほんま、はずかしいです)

▲それでも、こころやさしい友だちや周囲のひとたちは珍しさと、そんなわたしへの「はげまし」もあってか「おいしい」と言うてくれた。ただ一人「なんで同じように焼けへんねん」と言うひとがいて。
「パンのこともなーんも知らんとエラソーに言わんといて!」と返しながら、内心わたしも安定しないベイキングをなんとかしたいと思い始めてたから。
その「ただ一人」(←相方)の指摘には、よけいに腹が立ったんよね。

▲ちょうどそんなとき、いつも読んでいた『自然食通信』という雑誌に『楽健寺』という所で天然酵母パンの講習会があると書いてあって。「これ、これ」とすぐに電話したら、ちょうど三日後に開かれるけど、もう定員一杯になったとのこと。がっかりしてたら「あ、でも当分もう開く予定がないのでいらっしゃい」と言っていただいた。

▲そしてその日、まだ小さかった上の子を大阪の義母に預かってもらって、久しぶりのわたし一人の外出。
バスや電車を乗り継ぐ中、息子と手を繋がない左手がなんだかすーすーと頼りなく、何度も後ろを振り返ってしまって「あっ、きょうは一人なんや」と苦笑した。
東大阪の小さな工場が並ぶ中に楽健寺はあって、十人ほどのその日の受講者と教えて貰いながらプチパンを焼いた。りんごやにんじん、山芋を使って自分で酵母をおこして増やす「自家培養酵母」を使ったパン焼き。楽健寺のパンは自然食品の店で買って何度か食べていたけど、この日のパンはカンゲキのうまさだった。

▲そしてこの講習でわたしはパン屋志望の一人の若い女の子と知り合い、講習後も居残って「センセに聞きたいことあるし」という彼女につきあうことになった。彼女のおかげで「パン屋になるには?」の話や、ちょうど天然酵母のパン屋を開業しはったばかりの楽童さんの話をセンセから聞くことになったのだった。
けど、そのときは、ただのつきあいで話を聞いていたわたしだったのに。

▲それから、しばらくしていつのまにかわたしにかわり、ウチのパン焼き係となった相方が、ついにはパン屋修行に、ということになり。話を聞かせてもらいに「パン工房 楽童」を訪ねた。
穏やかな雰囲気のアキラさん、おもしろいセツさん、そしてにぎやかな男の子三人。気取らず、明るく暖かくて、そしておいしいパン。「わたしたちも」という思い一杯で帰って来た。「麦麦」が滋賀県愛知川で開業したのは、その二年後だ。

▲さて、スティール・パンの名手 山村誠一さんのライヴは楽童さんの空気そのまんまで、たのしく、暖かく、おもしろくて、そしてしみじみと旨かった。手が痛くなるほどの拍手も手拍子も久しぶり。
帰途、ふと楽童さんが23才ということは、ウチも続けてたら今年ハタチやったんやなあ、と思ってちょっと感傷的になるも、道を間違わないように緊張してるうちにそれも忘れて、夕暮れの御堂筋をすたすた歩くのだった。
[PR]
by bacuminnote | 2007-05-21 19:29 | パン・麦麦のころ | Comments(0)

もういちど つなげる。

▲昨日大阪は30℃もあったらしい。よりによって、そんな日に散歩と呼ぶにはちょっと遠いところまで歩いて、一人坂道であっぷあっぷしてたんだけど、そこまで上がっていたとは。
それなのに今日は朝から冷たい雨だ。買い物に出たら長袖シャツにカーデーガンを着ていても肌寒かった。買い物前に図書館に寄ると、ほっこりして、つい座り込んで借りた本をさっそくに読んでしまって。はっと気がついたらお昼近くで、焦ってスーパーへと急ぐ。雨の日の図書館は居心地がよくて、いつまでも動きたくなくなるからこまる。

▲そういえば、この間やっぱり雨の降る朝、何気なく聴いたwebラジオで紹介されていた絵本『ルリユールおじさん』(いせ ひでこ作・理論社刊)が気になったのですぐに図書館に走った。
絵本の舞台はパリ。木がすきだ、という女の子ソフィーはだいじな植物図鑑がばらばらになってしまって、途方にくれていたら、「本のおいしゃさんみたいな人」ルリユールおじさんのことを街の人が教えてくれる。歩き回ってやっとみつけたそのおじさんの店は路地裏のひっそりした通りにあって。

▲店の窓から背伸びして中をのぞくソフィー。そのうちおじさんが外から帰って来る。深い紺色のコートと帽子。手にはバゲットを持って。(←かっこいい!)窓の外の女の子がずっとそこにいるので、やがておじさんは中に招いてくれて。おじさんの仕事場には、巻いた色とりどりの紙や裁断機や、名前のわからないいろんな道具がいっぱい。

▲ソフィーの図鑑を見ておじさんは「こんなになるまで、よく読んだねえ。ようし、なんとかしてあげよう」と手際よく本をなおしていってくれるのだけど。
このあたり、製本の細かな行程が絵で紹介されていて感動的だ。あらためて、知らないこと、ってほんとにいっぱいあるのだなあと思いながら、見とれてしまう。(そう、すでにわたしは絵本の中、ルリユールおじさんのお店の中に入ってソフィーと一緒におじさんの手元に釘付けなのだ)

▲ルリユール(RELIEUR)ということばには「もう一度つなげる」という意味もあるのだそうだ。もはや 60工程すべてを手仕事でできる製本職人はパリでも一桁になった、とあとがきにあった。いろんな場面で、機械化、IT化の波。人の手を通さず、より早い仕事がよし、とされる世界に在って「手仕事」はきえてゆくばかりだ。

▲おじさんの子ども時代、おなじようにルリユールだったお父さんがこんなことを言う。「本には大事な知識や物語や人生や歴史がいっぱいつまっている。それらをわすれないように、未来にむかって伝えてゆくのがルリユールの仕事なんだ」「名をのこさなくてもいい」「ぼうず、いい手をもて」
最後の場面もすてき(書きたいけど、がまんしよう)。最初から最後までシアワセなきぶんで本を閉じた。
(タイトルは「ルリユールおじさん」なんだけど、表紙上には「RELIEUR ET ROBINIER」(製本職人とアカシア)とあって、これもいい感じ)


* 追記 *
「手仕事」で思い出したけど、もう一冊『おじいちゃんの封筒』(藤井咲子著・ラトルズ刊)という本もすばらしい!
文字もなく、著者のおじいちゃんが大工の棟梁、という仕事を退いてから80~95歳くらいの間に作らはったという封筒の写真がただただ続きます。
毎日、淡々と続けられた「紙の仕事」(と、ご自分で呼んではったらしい)は、そのへんに普通にある紙で作られているのだけれど、一度見たら忘れられない「なにか」があって。ぜひ手にとって見てください。
[PR]
by bacuminnote | 2007-05-10 16:12 | 本をよむ | Comments(0)

children's day

▲歩くのに、きもちのよい陽気になった。道中まわりのみどりが少しずつ濃くなって、風に さやさや揺れているを見ると「おお牧場はみどり 草の海 風が吹くよ~」なんて知らん間に口ずさんでおり。調子にのって「よく茂ったものだ、へい」って、あたりまで続けてしまい(笑)一人赤面する。そうして、いまは花盛り、みどりの海、の開田高原を思い出してちょっとホームシックな気分になるのであった。

▲自他共に認めるインドア派のわが家だけど、この陽気に誘われて、この頃は時間があると三人三様に外にでかけている。と言っても、歩いて行けるところ、自転車で行けるところ なんだけど。相方と息子はあちこち散策しているらしく、ご飯食べながら、今日はどこそこまで行った、あのあたりは緑が一杯できもちいいとか、あそこに本屋があった、○号線の裏の道行けばあんな所に出るんやなあとか・・・と、情報交換。なんか言うと「うっさいな~」の年頃の息子と親父ながら、なかなかほほえましい。

▲ここに越して丸3年がたち、駅、病院、図書館、公民館、スーパーに市役所がわかっていれば、の「とりあえず」の暮らしから、ちょっとその周辺にまできもちが動き始めているのかもしれない。
相変わらずわたしは散歩というより、行き先の決まった「歩き」(図書館と本屋、買い物にビデオショップ)なんだけど、二人に負けじと、あれやこれや出先でキャッチしたことをしゃべりまくり。
連休とはいえ、どこかに出かけるということもなく 近所ウロウロ わが家のきょうも騒がしい食卓ではある。

▲この間のこと。
相方は、ちょっと遠いとこまでパン買いがてら(←もうすっかりパンを「買うひと」だ)散歩に、息子は友だちんちに出かけ、わたしはひとり残って、あれこれたまった家事。
窓の外を見れば梅の木がまた大きくなっている。こんないいお天気の日に、家にいるなんてもったいないなあ・・と思いながら、針箱を出す。長いこと気になりつつ、しそびれた息子の服の寸法直し。

▲この子は小さい頃から相方に似て細身なので、丈さえ気にしなければ、いつまでもそのまんま着られるので 安上がり!と思う反面、ちょっとつまらなくも あった。
けど、このところ どんどん服が小さくなってゆく。衣替えをしてたら、このシャツもあのジーンズも、と色褪せたそれらを入れたビニール袋がすぐに満杯になる。
成長期のこどもって、見るたびに大きくなる新緑の山みたいだ。瑞々しくて、力強くて、まぶしくて。時にその自己主張の強さに、ふううと ため息をついたりするんだけどね。

▲ひさしぶりの針仕事・・・やっとのことで針穴に糸を通して、袖口とずぼんの裾をのばす。これが思いのほか大変で、途中くじけそうになるも、もはや、あとに引き返せず泣きそうになりながら続行。
さっさかお針仕事できる人には心底 憧れる。
小学校から高校まで、わたしは不器用なくせにセンセの話をよく聞かず、家庭科の授業はいっつも怒られてたっけ。課題も母や姉頼みだったし。だから、いきなりテストで「袖付け」の実技なんて出た日には茫然自失状態。

▲けど、そのうち着てみたい服が高い、小さい!で、買えなくて、せっせと安い布を買っては自分で染めたり、縫ったりしたこともある。そうは言うてもわたしのすることやから、でたらめもええとこ。加えて根気もないし。やってもやっても永遠に終わらない(ように思えた)ギャザースカートの裾まつりに、がまんできんようになって、残りはホッチキスで留めて!そのまま仕立て上がり(と言えるのか?)をはいて友だちに会いに行ったこともある。

▲つくづく、こんなわたしが息子らにエラそーなことは言えんな、と思う。(言うてるけど・・・)
不揃いな縫い目ながら、若い頃よりはずいぶん辛抱強くもなってなんとか終了。伸ばした袖口やズボンに霧を吹き、アイロンをかけた。もわぁと立ち上る湯気の中、うっすら残る元の折り線は 「柱のキズ」だ。
おーい、こどもたち。 親などひょいと超えて もっともっと大きくなっておくれ。
(そして、できたら縫い物上手なひとになってください)

* 追記 *
いつだかここにも書いた『子どもとゆく』が4月号(224号 /'85年創刊)で終刊しました。
ちっちゃい冊子ながら内容はおおきく深くきびしく、そしてあたたかでした。
『子どもは未来。希望を持ち続けることを大人に対して要求する存在なのですから』 ( 『子どもとゆく』より )
[PR]
by bacuminnote | 2007-05-05 21:51 | Comments(0)