いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2007年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

▲字を書くのがすきなこどもだった。
衣更えの頃はたいてい家業が忙しくて、必要にせまられ、母が気のついたところからちょっとずつ仕舞い始めるのだけど。
「よっしゃ。できたでぇ。はよ書いてや~」と呼ぶ声がすると、待ってましたとばかりにわたしは、読んでいた漫画や本をほっぽって座敷に走る。そして○○テーラーと書いた紙箱に「父、冬物上着」とか「母、ウールよそゆき」なんて風にマジックで大きく書くのだった。

▲だから、春、新学期が始まり教科書を買って帰った日なんて(当時はまだ有料だった)スペシャル・デイ!あれにもこれにも、と喜々として名前を書き込んだものだ。
そんなに字を書くのがすきだったのなら、字も上手だったか、というと それがちっともうまくはなくて。母には耳にたこができるくらい「下手でもええからせめて丁寧に書きや~」とくりかえし言われてた。

▲その頃の通知簿の所見ベスト3は「落ち着きがない」「よくしゃべる」「字が乱雑」だったもん。(→つまりはその後も成長のあとが全く見られない)
もしかしたら「思い」に字が追いつかったのかなあ。いやいや、こういう思いこみ と こじつけこそが相方に「僕がしらんのをええことに、おまえは『過去』をかっこよく ねつ造してるやろ」と 、笑い飛ばされるゆえんかもしれない→気をつけよう。

▲大きくなると、さすがに名前書きには飽きて(笑)手紙を書くようになった。文通相手に、クラスメイトに、友だちに、深夜放送のパーソナリティーに、すきだったひとに。
それはもうせっせと書いた。
手紙の返事も又「ソッコウ」で、「せっかく、やっと、返事書いて出したと思ったら、もう次のが来るんやもん」と友だちにはよく笑われたものだ。
入院中の親父は、いつも看護婦さんが にこにこ顔で「はい、今日もラブレターきましたよ」と、わたしのはがきを枕元に届けてくれるのだ、と言うてた。さいごのその日も わたしは間に合わなかったけど 「ラブレター」はちゃんと枕元に置かれてあったっけ。

▲やがてパソコンがわが家にやってきて、はじめは「麦麦通信」をアップするのにも、原稿を一文字ずつ写すようにキーボードを叩いていたけど、そのうちワードも使えるようになった。一本指打法は二本指へと進化し(苦笑)それと共にわたしの右の中指のタコは日々退化しつつある。
けど、字は書かなくなっても「書く」ことが、きっとすきなんやろな。
せやから これからも 。たぶん、ずっと。
書く事と どっかで繋がっていくのだろうなとおもう。「下手でもていねいに」書いてゆきたいとおもう。
  —おもいもかけず「書いたもの」が入賞した日に—
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by bacuminnote | 2007-07-25 11:10
▲夕方6時前くらいになると缶ビールを1本飲んでいいことにしている(笑)
冬とはちがって今のこの時間帯は まだまだ「日の明るい内」で、ちょっと気が引けるのだけど。
ガス台の上で玄米(←わたしだけ)炊く圧力鍋がしゅるしゅる気忙しく鳴り、菜っ葉を茹でる大鍋に水を沸かすそのそば 安物の丸椅子に腰掛けてビールをぐびっと一杯。そうして読みかけの本を開く・・・わたしのゴキゲンな時間だ。

▲窓のむこう、お隣との境の高いブロック塀の上をいつもの灰色のネコがすまし顔で歩いてゆく。赤い首輪がグレイのボデイに映えてカッコいい。よっ、とばかりにヒュウヒュウ口笛ならすも しずかに無視される。そのうち空はすこし色こくなって、風は遠慮がちに吹き抜けてく。

▲ふだんほとんど外食をしないので、粗食ながらも毎日三回家でごはん。いつだったかウチに泊まりに来た友だちに「あんた見てたら、なんかずっと一日だいどこ(台所)やなあ」と言われたことがあった。
そう、そうかもしれん。こどもがたいへんだったその頃はほんまに「一日だいどこ」だったしね。けど、いまはもうその子も成長し、ずいぶん手抜きもできるようになって。元々が「作る」より「食べる」派なので(そんな派閥があるのかはしらんけど)ちょっとでも「抜ける」のはありがたい。

▲先日、麦麦の元お客さんで、いつしか友だちの三重県四日市のTさんと 久しぶりに会おうか という話になった。
それなら大阪と四日市の中間地点(電車の)で会うというのはどうだろう、ってことで、検索してみたら大和八木駅という結果が出た。まさか開田繋がりの友人と奈良・大和八木で待ち合わせをするとは思わなかったけど、その日は朝早くから遠足気分でそわそわと支度するのだった。
田舎暮らしのわたしはもちろん、彼女も開田高原を訪れるときはいつもラフな格好だったので、お互いに初めての「おでかけ着」での再会がちょっと照れくさい(笑)
「どこかでお昼ご飯を」とデパート内をうろうろしつつ、しかし「ここ」というところがなくて、おのぼりさんよろしく何度もぐるぐるレストラン街を歩き回った。

▲彼女曰く「このごろ、どこで食べてもカンゲキってモンがないんよなぁ」「どれもこれも『そこそこ』やねん」「ほんま、ほんま」と意気投合しつつ「けど、どっか入らんと おなかすくしなあ」と結局、某店に入ったんだけど。
Tさんじゃないけど「そこそこ」定食だったな。琴のBGMも耳ざわりだったし。(いや、おばちゃん二人のしゃべりのほうが騒がしかった、という声もある・・・)
それでも、何でも、久しぶりのおしゃべりはたのしくて。
食事のあとは喫茶店二軒はしごしたけど、話はエンドレス。あっという間に時間がすぎて、別れを惜しみつつ二人とも近鉄特急に乗りこみ、右と左に別れるのだった。

▲・・・と、こんなこと脳天気に書いて(ブログほっぽって)たら大型台風がやってきて、あばれながら過ぎて行ったら、こんどは地震がおきた。
無惨に潰された家や道路の映像、そのすぐ後の原発の事故報道にことばを失う。ひと一人いない広い敷地、黒煙、うしろに吹き出す白い蒸気?
わたしは数日前にたまたま観た映画(DVD)『みえない雲』(DIE WOLKE)がオーバーラップしてしまい、背筋が凍るようだった。
ああ、どうかこれ以上何事も起きませんように。
そして絶対に誤魔化したりせず、何ひとつ隠し事のない発表や報道を、とつよく思うのだった。
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by bacuminnote | 2007-07-19 19:38
▲毎年いま時分になると、居間の窓から木槿(むくげ)の高い木のその先に白いやわらかな花がふたつ、みっつ咲いているのがみえる。いっせいに咲くというのでなく、いつ見てもふたつみっつ咲いている、というのもこの清楚な花のふんいきによく似合っている。

▲この花、朝早く暗いうちに咲いて夕方にはしぼんでしまうので「一日花」とよぶそうだ。『それがしも 其(そ)の日暮らしぞ 花木槿』(小林一茶)や 『昼酒も たまにはよろし 白木槿』(→どこかで見たのかも忘れてしまったのだけど、だいすき)なんて句をよむとますます親近感がわいて、そのはかなさも また愛おしい。
ところが、今年はどうも花が少ないなあ・・と思うのと、窓越しに見える木がどんどんこっちに近づいてる!と気づくのとほぼ同時期で。よく見たら何本かに分かれた枝木がえらく傾いているのだった。

▲ちょうど数日後、植木の剪定に来てくれたシルバーセンターのおじさんに、話したら一目見るや、ううむと腕組み。「こら もうあきまへんなあ。えらい根腐れしとりますわ。切ったらんとしゃないなあ」と言いながら、木槿の木が寄りかかっていた物干し台から片手でちょっとずらしたらあっけなく根元から折れてしまった。
「ほら、ね。皮一枚でようよう繋がってたんやなあ」 
そうだったのか。気がつくのがおそくなってほんまにごめん、とおもう。
いつも紫陽花のあとは木槿やったのに、さびしい七月の庭となってしもた。

▲その日は天気予報では大雨。どうなることかと思ったけど、いっとき小雨がぱらついたくらいですんだ。
シルバーセンターから来てくれはった方たちは見たところ平均70才くらいだろうか。予算の関係で「ながく保つように、とにかく短めに剪定」(泣→ウチの家族の散髪と同じ)と、年一回だけお願いしていて今年で三年目になるんだけど、いつも和やかな雰囲気で仕事してはる。

▲休憩時間になると「どっこいしょ」と腰をおろし、お茶をのみながら道具談義が始まる。「あんたの新しいのどうや?」「これ、ええやろ」「おっ、今度買うんやったらこれやなあ」 庭から遠く近くに聞こえるたのしい会話が少年たちのそれみたいでほほえましい。チョキチョキとはさみの音が響くのも、このごろでは聞けなくなった ほんまもんの大阪弁がばんばん行き交うてるのも、なんともええ感じやし。それにみなさん、きりりと いいお顔をしてはる。

▲「顔」といえば、先日 図書館で『PERSONA』というすごい本を借りてきた。
鬼海弘雄氏のこの写真集は土門拳賞も受賞していてご存じの方も多いかもしれないが、撮影場所はぜんぶ浅草寺境内で市井の人々 166人が撮されている。
鬼海氏が30年に渡って撮りためたポートレートらしいが、その「顔」たるや、テレビや雑誌でほほえんでいるような「スマートな」ひとは一人もいなくて。
どの方もその人生が滲み出ているような迫力があって、(といっても、撮影してる人も、その写真を見ている者にとっても、それは想像でしかないんだけど)そうして なんとも もの悲しい。

▲「遠くから歩いて来たという青年 」「青森刑務所で服役中、短歌を詠むことを覚えたという男 」「青い鼻緒の日和下駄を履いていたひと」・・と一枚一枚に著者のキャプションが日本語と英語で記されていて、たった一行のそれをわたしは読み流すことができなくてノートに書き写すのだった。

▲「物静かな労務者」は白い顎髭をたくわえて、その透き通った深い瞳とまなざしは哲学者のようで。「ただの主婦よというひと」は襟に毛皮のついた黒いスーツを着て立つ「ただの主婦」には 見えない女性である。
「わたしの東北訛りに、死んだ友人を思い出し泣き出したひと」 はシャツの下、マフラーがわりにタオルを巻いて、泣き顔で鼻水をたらす。「使いかけの電車のプリぺードカードを買わないかと訊く男」には、いったい何があったのだろか?
顔面にガーゼ、鼻の穴に詰め物をしたその男性が腕にかけてるのは きっちりした上着で。

▲そうだ。
ひとの顔というのはこんな風にみな、ひとりひとり違うものだ、と思った。
昼時に駅近くの歩道橋を煙草を吸いながら 横一列になって、ご飯を食べに行くサラリーマンの群れも、キレイにお化粧して髪を逆立てスカートをずらし気味に歩く女子高生たちや、スーパーで無心にきゅうりを選ぶ中年女性も。就活中の黒スーツの学生たちも。
ときどき みんなみんな同じに見えるけど。
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by bacuminnote | 2007-07-11 22:17 | 本をよむ

skhole!

▲それでなくても、蒸し暑い午後に熱っぽいお方(←iBook)と向き合ってると、こっちまで熱が伝わってぼぉーっとする。シャツやタオルが物干しでゆっくり揺れてるところをみたら、風も少しは あるみたいだけど。
暑いのは苦手。
こどもの頃は、夏に運動場で朝会があると貧血を起こして保健室へ、 の常連だった。からだはほってっているのに、首筋のあたりからすーっと血の気がひくような、まるで窮屈な服を着せられたような。あのなんともいえない息苦しさは、わたしのガッコ嫌いと、どこかで繋がってる気がする。

▲昨日読んだ本に天野祐吉氏が『スクール(学校)のはじまりはスコーレ(遊び)だというのに、いまのスクールにはスコーレがない』と書いてはった。だれかにもらった古い本なので文中の「いま」は15年ほど前の話なんだけど。たぶん2007年の「いま」もそのことにかわりはない。
『で、「学び」は「遊び」だと実感できるような学校がほしいネ』『先生は「表現や学問の分野で、ちゃんと遊んでいる人がいい」ということで、一年余り「夜中の学校」としてテレビで開講したらしい。それがどんな授業になったかは知らないが「表現や学問の分野でちゃんと遊んでる人」が先生、というのはとても大事な条件のひとつだと思う。

▲先月のこと。日曜の朝、何気なく開いたタウン誌にピーター・フランクルさんの講演が近くで開かれることを知った。ピーターさんの印象といえば、大道芸人で、数学者。NHKの子どもの算数の番組「マテマティカ」に出ていたおじさん、十二カ国語が話せる人、という他は知らなかったのだけれど。案内を見たら興味深い内容だったので急遽出かけることにした。
会場に着いたら、外でジャグリングしている若い男の子がいたり、親子連れもいたけど、演題が「わたしの教育再生」ということもあってか教員らしき人が多かった。なんでわかるかというと、グループで来ている人が多くて、あっちこっちで「センセ」「センセ」の連呼だったから(苦笑)

▲最初はピーターさんの「大道芸」から始まって、なごやかな雰囲気での講演ながら、言うてはることは(「部活漬け」「部活偏重」の中学・高校への批判から、教育基本法改正に対する疑問、日本人の自己表現力の欠如 等々)なかなか手厳しくて、わくわく(笑→あとになって自分に返ってきたりするのだが・・・)するのだった。
「自分の限られた時間というのをもっと意識してほしい」
「どうでもいいこと」に時間を費やす前に30秒「いま、自分はもっとやるべきことがなかったか、考えてほしい」という話は、怠惰なわたしが50をすぎて日々痛感していることでもある。「もうあんまり(人生の)時間ないし」とひとに言うと笑われる事もあるけど、あふれるほどに元気と時間があった若い頃とはちがう、とほんまに思っている。

▲「まじめ」や「考える」がどこかカッコ悪いことのようになっている世の中だけど、ピーターさんが自分の父親のことを「かっこいい」と思ったのはその知識の深さだと言う。知識をもつことのかっこよさを父から学んだ、と。
彼は知識ということばを使ってはったけど、その意味は単なる知識というより教養というものかなあ、と思った。

▲そういえば、ここでもよく紹介しているGRAPHICATIONに『教養の再生』特集というのがあった。(いま調べたら2006年11月号)
この号の巻頭対談は木田元氏と池内紀氏が「いま教養が必要な理由」をテーマに。その中で池内氏がこんなことを言っている。
「教養とは時代に流されない的確な判断力とか生きる知恵といった、いわば人間の総合力を養うものです。だから、高学歴で教養のない人はたくさにるし、反対に教育とは縁のない暮らしをしていながら教養の深い人もたくさんいますしね」
「権力者が教育をいじる時代はやはりよくない時代ですね。教養がない政治家ほどすぐに教育を言い出す。最初に言ったように、もともと教育と教養はほとんど関係がないし、本当は国を愛する教育より、ものごとの本質をみきわめ、流されないための教養を身につける方が大事だと思うんですけどね」(・・・書いておいてナンですが、対談の抜き書きでは話の流れが不明瞭。ぜひこの対談を読んでいただきたいです)

▲そうそう、かんじんなことを書き忘れるところだった。この日一番印象に残った事は、なんと講演が終わってからの話だ。
花束贈呈などのあと、なぜか市長が挨拶に立ったのだけど、ピーターさんに「この○○市の子どもたちが今どうやって勉強したらいいか、ひとつ即効性のあるものをお教えしていただけないか」というようなことを質問しはった。
結果より過程、じっくり考えることの大切さの話やったのに。何聞いてたん?と苦々しく思ってたら、にっこり笑ってピーターさんがこう言った。
「教育をだめにしてきたのは、教育にそういう即効性を求める行政や親なんです」「人生80年以上にもなっているのだから、知性のピークが40才くらいがベストではないか、子どもたちにはゆっくり学んでもらいたい」と。
会場の大きな拍手がきもちよかった。
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by bacuminnote | 2007-07-02 17:59