いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2007年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧

夏果てて。

▲この頃買い物に行く道中 歩道橋の階段を「三十一、三十二・・・」と頭で数えて登ってる事が多い。暑いし、しんどいし、知らず知らずのうちに我が身をはげましてるのだろう(苦笑)
この間 その途中で「ちがう、ちがうって。せやから35や、って」と声がして、えっ?なに?何?と、思わず立ち止まった。
なんで(わたしが数えてるの)わかったん?と、振り返ったら、後方で若い女の人がケイタイにてお話中で。(・・年の話でもしてはったんやろか?)
都市生活同様、ケイタイにもだいぶ慣れたけど、この「歩行中の通話」にはいまだ慣れず、時々「話しかけられたのか」とどきっとする。

▲そんなわけで、途中から数がわからんようになったりしつつも、52段をのぼり、ふううと一息。
この歩道橋の上からみる風景がすきだ。ビルにマンション。高速道路やモノレールが立体交差し、途切れることなく車が走り、バックには大きな空がひろがって。子どもの頃に見た手塚治虫のまんがみたい。
あの頃は遠い「未来」のように眺めていた絵が目の前に広がってる。さすがにまだアトムは空を飛んで来ないけど。

▲昼時はこの橋いっぱい、あちこちのビルからランチタイムのサラリーマンのグループが「おお、外は暑いなあ」「たまらんなあ。で、何食う?」などと言いながら横一列で歩いてはる。
たまに、急に立ち止まったかと思ったら、かばんを下に置き分厚い資料みたいなのを出してきて「オンシャが」「ワガシャでは」と橋の上でビジネスの人もいて。やっぱり「ケイタイ」にはおどろかされるのだった。

▲ずいぶん涼しくなったとはいえ、まだ橋の上にふく風は生ぬるい。
それでも、何かのはずみにつめたい風がふく。ひんやり。ほんの一瞬のことなのに、すーっと汗がひいて。ああ、ええきもち。
「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ・・・」(『徒然草』第百五十五段)と、かの兼好法師は 言うてはるけど、今年は、もう とことん暑さふりまいて「夏が果て」秋が来る、そんな気がしている。

▲そうそう、夏のできごとで書きそびれていた事ひとつ。
お盆休みに帰省していた姉(二番目)が大阪にも寄ってくれたんだけど、一番の目的はかわいい妹(笑)ではなく、妹の友だちのうらたじゅんにわが家にて会うこと。
この二人はかつて同じ仕事場のセンパイ・コウハイの関係だったのだ。
じつに27~28年ぶりの再会は 「いやあ、ねえさま(←わたしの友人たちはみな姉のことをこう呼んで 慕ってくれていた)いっこも変わってへんやん」「わあ、じゅんこそ、そのまんまやん」・・・と互いに「変わってない」「若い」と、ハタで聞いてると 恥ずかしくなるような応酬が続く(笑)

▲当時京都で友禅の仕事をしていた姉とじゅんは、しばし職場の話、図案の話で盛り上がる。そうしていきつくところは「絵を描く」こと。
空の色の明るさに、まんぞくできず何枚も何枚も描き直した話。絵の具、構図、そして表現するということについて。
いつもはおしゃべりのわたしも、この日ばかりはそんなふたりの話に聞き入るのだった。

▲この9月にあるじゅんの個展の案内のはがきを手に「なかなかええやん」と姉が言う。
上気した顔ではずかしそうに頷くじゅん。「ねえさま」の前ではいつまでも18の女の子だ。
『夏のてっぺん』というその絵の
目を引くひまわり。夏の空は高く、あおくて。鉄棒に腰かけて少女は何を眺めるのだろ。
穏やかで静かな日常を描きながらも、彼女の描く木々や花や鳥、少女の後ろ姿には いつもどきんとするなにかが とおくちかくに見え隠れする。

▲病気して、手術して。いっぱい心配な時間もあったけど、そのつどしっかり復活しては「新しい世界」を見せてくれるじゅん。そんなじゅんの世界に東京 青山で しずかにノックアウトされる ひとたちのことを思いながら。

うらたじゅん個展『夏のてっぺん』
会場:南青山ビリケンギャラリー
9月1日(土)~13日(木)12時~19時 月曜休み
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by bacuminnote | 2007-08-30 15:24
▲もう限界~と思うくらいの暑さが続いたが、この間の雷雨のあとようやく呼吸も気持ちも、少し楽になったような気がする。長くてきびしい夏にもそろそろ出口がみえて来たかな。あ、けど「気がする」や「~かな」としか書けないのは、今日もそれなりにやっぱり暑いからなんやけどね(苦笑)

▲先日ちょっと調べたいことがあって、かつてつけていた十年日記というのをひっぱり出してきた。上の子がわたしの誕生祝いに贈ってくれたものだ。
スタートの1995年はあの阪神・淡路の大地震の起きた年で。10年目の2004年はわたしたちがパン屋をやめて信州から大阪に越した年だ。
毎日おんなじことのくりかえしのようで、こうしてみたら10年というのは、じつにいろんなことがあるものだ。

▲書き始めの年はまだわたしも40だったので フウフげんかもエネルギッシュで、その記録?は なかなか愛にあふれ迫力がある(笑)
当時は下の子がまだ2才。病院通いの日々。夜もなかなか眠れず、仕事もあり、どこにそんな時間があったのか。
相方への不満や自分の不甲斐なさへのいらだちを何頁にも書いていて。
寝る間も惜しんでかっかしてる!自分も、そんなときにも「書きたかった」自分もおかしくて、それに、ちょっといとおしくもある。
そして、そんなハハを見越して こういう贈り物をしてくれた息子(その1)に改めて
おおきに、と思う。
そうだ。彼はその年の11月、一人で神戸入り。長田区で震災後のボランティアに長期参加。まだ15才になったばかりだった。

▲いろいろな思いに浸ったあと、切り抜きやら はがきやら いっぱい挟んだ10年日記の間から こぼれ落ちたコピー。
それは「風呂敷包」というだいすきな随筆の一部だった。(『内田百鬼園随筆』より)
『本を読むのが面倒くさくなったから、なるべく読まないようにする。読書と云う事を、大変立派な事のように考えていたけれど、一字づつ字を拾って、行を追って、頁をめくって行くのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いている様なもので、うるさい。目はそんなものを見るための物ではなさそうな気がする』
なぁんて、内田百けんセンセは言うてはるのである。

▲そうして
「人の書いたものを読まない様にして、自分が人に読ませる原稿を書いているなども、因果なハナシである。人間の手は、字を書くのに使うものではなさそうな気がする。暮に文藝春秋社から手帖をもらったから、お正月から日記をつけ始めた。昨日は誰が来たか知ら、今朝は曇っていたか知らと考え出すのが、段々面倒臭くなって、一月二十一日、土曜日に、「スンダ事ニ用ハナシ。モウ今日限リ止メル也」と書いて、今年の日記は、お仕舞いにした。」
・・・そうな。

▲いやあ、まいりました。
スンダ事に用ハナシ・・・かぁ。
昔をなつかしみ、うしろ向いてうずくまってる間にも、時はすぎ、こどもはどんどん大きくなる。
病院と縁のきれなかった下の子も、いまは病気知らず。相方の背を越し、親から離れようとしてるし、上の子は時に親より大人で。今日 27才になったし。
わたしもうしろをむくのは「モウ今日限リ止メル也」。
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by bacuminnote | 2007-08-25 15:33 | 本をよむ
▲うるさいのは「五月蠅」やなく「八月蝉」である。
今日も窓の外は 朝早くから 遠く近く八月の蝉の鳴き声であふれてる。それでも道端で ひっくり返ってる蝉たちを見ると、ああ、もう次の季節がそこまで来てるんやなぁと思う。とはいえ、まだまだ今日もやっぱり !マークと ため息付きの暑さだけど。

▲昨日読みおえた本のことを 熱気でぼぉーっとする頭で考え込む。
その本『黙って行かせて』(ヘルガー・シュナイダー作・ 高島市子・足立ラーベ加代 訳/ 新潮社刊)は元ナチスの親衛隊員でアウシュビッツ第二収容所ビルケナウの看守だった実母に、4才のとき捨てられた娘(著者)が27年ぶりに訪ねてゆく話。実話、とある。

▲こどものとき別れて以来 娘が母に会うのはそれが初めてではない。1971年に一度会って、彼女は母がナチス親衛隊員だったことを知り、たいへんなショックを受ける。しかも母は過去を恥じることがなかったらしい。
その時から三十年近くたって、母の友だちだという人から一通の手紙を受け取る。母は自宅から出ていったきり、帰り道がわからなくなったり、ガスの栓を締め忘れたり、で、老人ホームに入るようになったこと。もう九十に手が届くような年齢だし、最後にもう一度会いに来てはどうか、と。

▲娘は思う。もしかしたら、あれから母は変わってるかもしれない。自分を捨てたことも、ナチスに荷担した過去も悔いているかもしれない、と。そこで従姉妹と共にホームを訪ねることになるのだが。
年老いた母に娘は問いかけ、糾弾する。なぜ家族を捨て看守になったのか、収容所ではいったいどんな働きをしたのか。

▲けれど、母は過去をまるで悔いることなく、むしろ残虐なその「仕事」のあれこれを自慢し、ヒトラーへの変わらない敬愛とユダヤ人への憎しみを語る。その確信に満ちたことばに、駆け引きのように話を聞き出そうとする娘に、わたしは息苦しくて途中何度も本を閉じた。
訳者のあとがきによると、イタリアのメディアは「歴史的な証言を伝えるために、これほどの苦悶に耐えたヘルガ・シュナイダーに我々は感謝しなければならない」犠牲者のために「実の母親を糾弾することさえ厭わなかった」と賞賛した、と紹介していた。と、同時にドイツでは母親の過去について「物的証拠」がないことなどに疑念を露わにしているらしい、とも。
そして、この本の中心となる「母娘の再会」はイタリアのテレビ局がドキュメンタリー制作のため、著者を説得し実現したことも書いてあった。

▲彼女の物書きとしての欲や「小説」としての「つくりごと」はあるかもしれない。が、「実話」であるか、ないかということより、この本の芯になるものはもっと他のところにあるように思った。
ねじれ歪んだ母娘の対話は、はげしくも痛々しい。そして、もつれた糸はほどけることがない。それでも母は「お願い、マミィと呼んで、キスをして」「行かないで」と懇願し、娘は「黙って行かせて」とねがうのだった。
なんとも重い読書の時間だった。
著者の母の言う「あたし、正直だっただけよ」「あたしは命令を実行したまでよ」がいつまでも残っている。

*追記 
これを書きながら、『だれ一人忘れない、何一つ忘れまい』という言葉を思い出した。
ロシアのペテルブルグ(旧レニングラード)の墓地にあるモニュメントの壁に刻まれた言葉で、女性詩人オリガ・ベルゴーリツの鎮魂の詩だ。












 
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by bacuminnote | 2007-08-15 17:30 | 本をよむ
▲2004年信州から大阪に戻った最初の夏、まだ荷物が散乱する中 とにもかくにも、と買ったものは、葦簀(よしず)とすだれとエアコンだった。もともとクーラーは相方もわたしもあまり好きじゃなかったけど、外出するときも鍵を閉めない山の暮らしから、夏でも雨戸を閉め切って寝る、という都市型生活(苦笑)に変わったから。嫌いもナンも、そんなん言うてられんくらい大阪の夏は暑かったんよね。

▲滋賀県は琵琶湖の東で四年(ここも大阪に比べたら格段に涼しい所でエアコンなし)それに十数年に及ぶ信州での暮らしで、すっかり身もココロも寒冷地仕様になってしまったのだろう。窓から入る風はつめたい高原のそれ、というイメージが頭から離れず、いっそう大阪の夏を暑くしていたのかもしれない。だから最初の年は家族で暑い、暑いとしつこいくらい言うて、扇風機もエアコンもフル稼働してたなあ。
信州生まれの下の子は、ひどいあせもでお医者さんに行ったり(寒冷地育ちの子がいきなり暑いところに行くと熱出したり、ひどいあせもになったりするらしい)ほんま冗談やなく、ひと夏やっとの思いで過ごした気がする。

▲そんな夏からもう三年。エアコンは最小限に控えて、の日々にも慣れた。(暑いのには相変わらず弱いが・・・)
けど、夏になると彼の地のみどりの風が恋しくなる。
去年は予想外の大雨で、近くまで行きながら泣く泣くスルーして帰って来たので、今年こそは、とこの間 息子(その2)とふたり信州への旅に出た。
反抗期のさなかやし、ハハと子で遠出なんて すでにもうタイムリミット状態で。もう今回が最後かもしれへんね~と息子と話しながら、やっぱりけんかしぃしぃ計画を立てた。

▲ところが初日から事故の影響で電車が遅れるというアクシデント。いきなり駅で、いつ復旧ともしれない電車を待つことになった。
人身事故とのアナウンスに、うかれた思いが一気にダウンする。全くなんという社会なんやろ!とやりきれない思いと憤り。それなのに、しばらくすると「暑いのにホームで延々待たされる」ことへのいらだちに変わってしまってる自分に気付き、深くため息だ。
あっちこっちから不満の声がもれ聞こえる。
列の中 山行きスタイルの親子は 子どもが待ってる間におやつを食べ尽くしてぐずり始め。横にいた中年の女性は「こんなに暑いところでずっと立ってたら、買ったお弁当が腐っちゃうわよ」とぼやく。

▲やがて、皆から「ほお~」という安堵の声がもれる中、見慣れた姿!の「特急しなの」がやっとやっとホームに入ってきた。1時間半の遅れだった。
この日息子は終点・長野泊。わたしは松本経由でひと足先に開田入り、と、初日は別行動。ところが電車が遅れたため(最終的に2時間の遅れとなった)わたしは予定していた松本での時間が正味1時間ちょっとになってしまうわ、息子は息子で電車が終点まで行かず急遽松本止まりになるわ(つまり別の電車に乗り換えなければならない)で、ああでもない、こうでもないと、さっそくけんかが始まるのであった(やっぱり、ね)

▲それでも、長野行き特急に乗り換えてぶじ息子も出発、わたしは払い戻しで得たお金で(特急が2時間以上遅れると払い戻しされるらしい)タクシーをとばして目的の松本民藝館に。
前にここを訪れたのは学生時代の夏休みだったから、もう30年ほど前になる。その後 思いがけず長野県の住人となって松本にはしょっちゅう来ていたのに、ほとんどが子どもの病院通いで、ここに足をのばすことなど思いもしなかったのだ。開田から出て来て、診てもろて、帰るだけで精一杯やったから。

▲館長の話では何年か前に大規模な改修をしたらしい。入り口が違ってたのはそのせいか。けど、静かな雑木林に囲まれた「なまこ壁」の蔵造りの建物の醸し出す雰囲気は昔と変わることがない。ついでに来館者も少なく(地元でも知らないひとが結構多い。とてもすばらしいところなのになぁ・・・)静かで、この空気を独り占めできるぜいたくも かわらなかった。
開け放たれた中二階の小さな窓からふと外をのぞくと、軒先からおおきな蜘蛛の巣がかかっているのが見えた。光る糸も、その模様のうつくしさも、巣のむこうに見える畑の濃いみどりも、民藝館にとてもよく似合っており。息きらしてタクシーに乗りこんで、何度も時計をのぞき込みながらの入館だったクセに、いつのまにかもう時間を忘れてる。そしてまた来たくなってる。たぶん、ここはそういう場所なのだろな と思う。

▲たのしみにしていた『李朝展』は一室だけの企画展ながら充実していた。館長にていねいな説明をしてもらいながら、白磁の大壺のおおらかな曲線に魅入る。竹張箪笥もきれいだったな。あっという間に1時間。車を呼んでもらって松本駅に。
この日は長野:松商学園の高校野球決勝選だったらしく、その関係の車で渋滞する中、運転手さんの「それは いい試合でねぇ」と、熱の入ったリポートを 時計見ぃ見ぃ半分うわの空で聞きながら(苦笑)すべり込みセーフで駅に到着。
そうして夜には開田の友人宅に。ああ、夜のなんと暗く心地いいこと。目覚めの朝のなんとさわやかで清々しいこと。
風がちがうんよね。
来てよかったなと思う。

▲それだけじゃない。着いたその日も、息子と合流した翌日も翌々日も、あっちでもこっちでも熱烈歓迎してもろて。「よう帰ってきたね」と言うてもろて。「かわらない」山と空と友だちは皆シャイだから。さりげなく、やさしく包んでくれて。
あらためてこの村でわたしたち一家が得たものの大きさをおもうのだった。
若い友だちも、同世代の友だちも、ジンセイの先輩も。それに今回初めて出会ったひとも。笑って、食べて、のんで、しゃべって。気がつけば けんかもせずに親子で笑う。
時をわすれ、また来たいとおもう わたしのすきなところ。
きっとここは そういうところだ。
おおきに。また、帰ってきます。
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by bacuminnote | 2007-08-05 22:39 | 出かける