いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2007年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧

こんなときでさえ。

▲叔母が急逝 のしらせによしのにむかった。
あべのから近鉄特急に乗って窓から外を眺めてたら、チチキトクの電話を受けて、おんなじようにこの電車に乗った二十年以上前のことをおもいだした。あの日もごとん、ごとんと電車はゆれ、緑が跳ねておどってるように見えた。悲しいとかさびしいとかいう感情でもなく、起き抜けに空を仰いでるような、頭もこころもからっぽで、妙に感覚だけ冴えていて。
ただただ 窓の外に見入った。
やがて川が見え始める。川のみえるあたりになると そわそわする。
いつも。
こんなときでさえ。

▲同郷の友だちに話したら「わたしもおんなじ」と返ってきてふたりで笑った。
これまでも何度もいろんな思いで帰省したけど、川がみえると、どんなに落ち込んでいても、こころが沸き立つのはどうしてだろうか。
それなのに、帰途は外もみないで本を読んだり眠っていたりするのはなぜだろか。

▲色とりどりのお花に囲まれた写真の主はとびきりのえがおだった。
そうそう、よしのに帰ると叔母はいつもこのえがおで「よう帰って来てくれたなあ」と迎えてくれるのだった。
駅前でお店をしていたから 駅に着くと必ず寄ってちょっと話してゆくんだけど、大人になっても「これ持って帰り」とわたしのすきなパラソルチョコやアイスや羽衣あられを持たせてくれたっけ。

▲お焼香の列の中にもう何十年もあってない同級生の顔をみつけた。声をかけてくれた旧友もいて。
なつかしい顔のあのひとも、このひとも。いっぱい来てくれはったで~と一番におしえてあげたいその叔母がいない。
かなしいのに、おなかは空いて。ごはんを食べたりビールをのんだ。母や姉や姪と思い出話をして泣いた。笑った。居眠りもした。しばらく皆だまって窓の外を眺める。
すぐそこに ながれる吉野川。

▲二日目の夜、ばたばたと支度をして大阪行きの電車に乗った。
がらんとした車内に乗客はわたしともう一人きりだった。
窓際にどすんと座り目をつむる。
そうか。帰途 窓の外をみないのは外が暗いからだ。
闇にまぎれて 川も緑もみえないからだ。
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by bacuminnote | 2007-09-29 21:05 | yoshino

剥げた灰色のその上で。

▲この夏は(今もだけど)ハンパな暑さじゃなかったから、いつもは歩いてゆくスーパーにも自転車で出かけることが多かった。ところがこの自転車、空気を入れてもすぐにぬける、パンクの回数も多くトラブルばっかりで泣かされる。今回もまた両輪がパンク。みかけはまだまだキレイなそれを前にためいきをついている。

▲以前はこの家の近くに市場(とうになくなった)の中に自転車屋さんがあった。大阪に二十年近くぶりに戻って来て「都会ではいい自転車はすぐ盗られるよ」と聞いたわたしは そこで5000円の中古自転車を買った(苦笑)
たしかに見かけは5000円だったけど(笑)よく走ったし、何よりこのお店、パンク修理も安くて丁寧でありがたかった。

▲だけど、ここはいつ行ってもひまそうで。たまに来る客もわたしみたいに「買う」より「修理」みたいだったし、自分が新品を買わないで、こんなん言うのも申し訳ないんだけど、大丈夫なのかなあと内心思っていた。周囲にはスーパーを始めホームセンターに量販店と安売り自転車はいっぱいあるし。
そしてある日、買い物帰りに寄ったらひっそりシャッターが降りていて、剥げた灰色のその上で 閉店の知らせの紙がひらひらしていた。二年前のことだ。

▲その後その自転車がだめになり、しばらくしてからちょっと先にある今風の自転車量販店で「古自転車引き取り・いつでも修理に伺います」という安い自転車を買った(先に書いた不調続きの自転車というのがそれである)
パンフレットにあったように、確かにその店では電話一本で出張修理をしてくれるけど、当然のことながら高くて。
それに、ブレーキがきぃきぃいうのも、しょっちゅうパンクするのも(安物だから)仕方ないっすねえ、と若いおにいさんに言われて、そうなのか、そうやよね~とおばちゃんは納得するしかない。(もちろん自分で修理できたら言うことないんだけど)

▲でも考えてみたら、おにいさんに言われるまでもなく「安さ」の後ろにはその「わけ」がある。昔みたいに良心に支えられての「安価」もたまにはあるが(つまり滅多にない)、たいていはそれゆえに粗悪品だったり、国内なら下請け、孫請け。あるいは外国の信じられないような安い労働力の元で生産されたもので。
ものにはそれなりの値段というものがあるのやから、と考え込む。

▲故障しても「買うたほうが安い」では修理の仕事が成り立たない。で、買ったものは簡単に捨てられる。売れればよい、儲かればよい、で消費者もまた「より安い」ものへと手がのびる。
そういえば、今夏の暑さに扇風機を買い足したのだけど、電器屋さんに行ってあまりの安さに驚いた。売値がこんな安いってことは、製造元は一体一台あたりいくらで納品してるんやろ?この工場で働いてる人の賃金は?と考え始めると「安く買えた」がうれしいはずなのに、帰り道なんとも気が重かった。

▲ちょっと話は ずれるかもしれないけど、パン屋をしているときに、よく悩んだのはそのねだんだった。
酵母のもとになる果物や野菜。小麦粉、自家製粉のための小麦も胡麻もなたね油も国産のもの。他にもオーガニックの食材。市販品の3倍以上の価格のものもあって。
田舎だったから、これらのものは全部別々の所から送ってもらうので運賃も高かった。そんなこんなで、フツーに計算するとえらい高いパンになってしまう。

▲けど、そもそも天然酵母のパン屋を始めるときからフツーの原価計算などは通用しないパン と思っていたので、できるだけ安く、を心がけたつもり。途中仕方なく値上げをしたこともあるけど、可能なときは値下げもした。それでも市販のパンよりは高かったし、その上 地方発送のお客さんには送料も負担してもらうことになる。

▲それでも買ってくださる方がいてありがたかった。
ただ焼ける数は 限られていて、仕入れの分を差し引くと手元には少ししか残らず。「なんとかなる」とエラソーに言うてたくせに、泣きそうだったこともある。けど、そのかわり(いやそれ以上に)豊かな自然のもとでゆったりできる時間があり、ここにも何回も書いているけど(何回書いても書き足りない気がする)お客さんとのおつきあいは ほんとにうれしく「友だちから荷物が届いたみたい」「ありがとう」と何度もお礼を言うてもらい、手紙や心づくしのおくりものをいただいた。何より「おいしかった。また次の便 待ってます」と言ってもらった。そんな声が一番の支えだったし、誇りだった。売れる、儲ける、が優先だったら得られなかった大きな財産だったとおもう。

▲それにしても。
「売る」と「買う」の間がどんどん遠くなり、どんなところでどんなふうに作られているのか想像もできない(しない)のは さびしいし、おかしいよね。自転車や扇風機のみならず、食べ物でさえ。
そうそう、身近であるのに、よく知らない、わかっていない食べ物のことを追った映画があるそうで、気になっているところだ。「いのちの食べかた」というこの映画 森達也氏による同じタイトルの(この理論社よりみちパン!セシリーズはここで以前も紹介しましたが、どの本もなかなか)を前に読んだことがあるが、原題OUR DAILY BREADの邦題として氏の書名をかりたらしい。


*追記
森達也氏の「よりみちパン!セ 」の本はこのほかにもう一冊
『世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー』というのが出ています。(この本もよかった)
このシリーズには最後に谷川俊太郎氏から著者への四つの質問というのがあって、「何がいちばん大切か?」とか「誰がいちばん好きですか?」という風に四問 聞いているんだけど、森さんが好きなのはニール・ヤングだそうで。気に入った!(笑)
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by bacuminnote | 2007-09-21 18:51 | 本をよむ
▲いったん家の中で室内物干しに洗濯物を干して、それをさっさっと外に持ち出し(その際ぼーぼーの草は見ないようにする)庭の真ん中にぽんと置いて、ソッコウ 家の中にとんで入る、というのがこの夏のわが家の洗濯干しスタイルだった。
けど今日は朝から涼しい風にさそわれて、ひさしぶりに外でゆっくり洗濯物を干す。淡いブルーの空高くヘリコプターがぱたぱたと。近所の新築工事の電動ドライバーとトンカチの音。上と下で「そこ、○番で頼むわ~」「よっしゃ~」というかけ声がとびかい。郵便配達のバイクが停まり、また出てゆく。遠くできゃんきゃん犬の吠えるのが聞こえてきて。ああ、ようやく、の秋である。

▲しかし、まあ、ほんまに暑い日が長く続いた。
汗だくになっては着替え、洗って、干して、乾いたらそれをまた着ていたから。じつに「たんす要らずの夏」(苦笑)だった。
そんなわけですっかり色あせてしまったシャツを干しながら、ふと足もとを見る。素足に朝の空気がちょっとつめたい。夏じゅうおんなじサンダルで通したし、サンダル脱いでも履いてるみたいにくっきりと日焼けのあとがついてしもた。けど、もうそろそろソックス履かんとね。

▲ちょっと涼しくなっただけなのに、ずいぶん動きが軽くなってきた気がする。せやから本が「すすむ」。図書館に予約して借りてきて読む。返しに行ってまた借りて読む。
さて、この間から続けて読んだ本がまだずっと残ってて、夕方ご飯ごしらえしているときにふっと思い出したりする。
それは『10歳の放浪記』『せっちゃんのごちそう』という本で。
たまたま なんだけど、どちらも貧しさと父親のお酒と母への暴力の中で、子ども時代をすごしたおんなの子の話だった。
『10歳の・・』は上條さなえさんという児童文学作家の、『せっちゃん・・』は人材育成コンサルタント 辛淑玉さんの自伝である。

▲1960年、なこちゃん(上條さなえさんの呼び名)が10歳の頃、一家は借金取りから逃れるために、家を転々とする事になる。そのうち母や異父姉妹の姉とも別れ、父と二人一泊百円の簡易宿泊所を泊まり歩くんだけど、現住所が借金取りにわかるといけないから、と学校にも行けない。だから父が日雇いの仕事をしている間 なこちゃんは公園で水を飲んだりしてすごす。中には一日一食の日もある。

▲なこちゃんより9歳年下になる 在日コリアン三世の少女 せっちゃん(辛淑玉さんの日本名「節子」から)は「我が家では、食事の基本は自己調達」という。口を開けて待っていても、食べ物は飛び込んではこないから。迷子と思われないよう、お客のふりしてデパートの試食を回る。食べるものがない、お金がない、とお母さんが訴えると「だったら、布団を売ってこい」とお父さんが言って布団はお米にかわる。その日、ごはんは食べられたけど夜に布団がなかった。
そしていろんな場面で「差別」はせっちゃんの頬を思いっきり叩いてゆく。

▲この二冊の本に共通しているのは「食べる」にまつわる話が多いこと。
「食べる」ことで傷つき「食べる」ことで夢見心地になって。
満足に食べられないひもじい思いも、食べられたときのうれしさも、そして親子やきょうだいが食卓を囲むよろこびも。
そのときの様子がこどもの目や耳や舌、そしてこころを通して語られ、それがもうじんじんと伝わってきて。せつない。
ああ、食べるってことは生きることやもんね。

▲子どもの頃 わたしは「夕ご飯やで~」と呼びに来てくれる家の子がうらやましかった。鍋一つの煮物に家族全員がちゃぶ台囲み、ごはん食べてる友だちの家がうらやましかった。子ども心に「お金なんかいらん。家族一緒にご飯食べられるとええなあ」と思ってたけど、ほんまにお金がなかったらご飯も食べられへん、ということまで、そのときは想像力が及ばなかった。

▲満足に食べられない、ということはもちろんだけど、両親のけんかや暴力も子どもにはつらく痛い経験だ。お金がないからけんかする、けんかするから又お酒に走る。お酒に走るから暴力をふるう。そして暴力をふるうから夫婦はどんどん冷えてゆく。
二人の少女はそんな中でもやさしく暖かな人にであい、やがて自立し、すばらしい仕事もしてはる。そして、いまこれを書いてるのは大人になったお二人・・・というのがわかっていても、本を読んでいると文章の間から「お父ちゃん、お母ちゃん、もうけんかはやめて」と子どもたちのすすり泣きが聞こえてくるようで、胸がしめつけられる思いだった。

▲それでも、子どもは親がすきなんだと思う。上條さんは「はじめに」のところでも「おわりに」にも今は亡き両親への愛を語り「父と母が生きているうちは、二人がかわいそうで、とても書けませんでした。だれが好きこのんで十歳の子どもをホームレスにしようと思うでしょう」と書いている。

▲辛さんは亡くなったお父さんのことをこう語る。
弁護士を目指し苦学して中央大の法学部に入ったのに、敗戦で日本での司法試験受験資格をなくし、差別と貧しさの前で父は「弱く哀しく不器用な人だった」と。
けれどもし生まれかわるのなら「今度もまた、在日朝鮮人として、父の娘で生まれてきたい。そして今度は、今度こそ失敗しないで、父にもやさしい言葉をかけてあげる」と。そして「父の手を引いて、町中で一番暖かい洋服を買って着せてあげて、おいしいものをお腹いっぱい食べさせてあげて、十万円を思いっきり使わせてあげる・・・。」と。
(生前お父さんが「十万円を思いっきり使ってみたい」と言うてはったらしい)

▲「お金や力があればあるほど見えなくなる、人の「良心」にこれほど巡り会えた人生は、極上のものであろう」という辛さんのことばを読み返しながら、いま、どこかで声も上げられずに泣いてる子どもたちにも、どうかそんな出会いがありますように。そして、なこちゃんがもぐりこんだ映画館でいろんなことを学んだように、本や映画や音楽にも、出会えるものがありますように、と思う。
子どもを取り囲む環境はどんどんひどくなってゆく、とんでもない世の中だけれど「なにより大切なのは子どもが元気で楽しくいること」(『子どもとゆく』より)それが可能な世の中を作るのは大人やということ、忘れたらあかんとあらためて思う。
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by bacuminnote | 2007-09-12 13:54 | 本をよむ

as it is

▲朝起きて雨戸開けたら、すいーっとすべるようにして 入ってくるつめたい風。まちがいなく秋。「もういちど」とリクエストして(笑)窓辺に立つけど、すぐには来てくれへんのよね。「ま、いいか」と行こうとしたら、また少し すいーっ。
ああ、もう秋やねえ~とひとり声に出して言うてみる。

▲そんな気分のよい朝だから。
開いた本の世界もとても近くに感じられて、うっとり写真を眺める。きのう図書館で借りてきた『ひとりよがりのものさし』というその本は古道具屋「坂田」の坂田和實氏が、ご自身で言うてはるところの「ひとりよがり」の「ものさし」で選んだうつくしいものが紹介されている。その気取らない文章も写真(筒口直弘・広瀬達郎の両氏による)もとてもいいかんじ。

▲骨董ではなく、古道具、と断り書きがあるくらいだから、すばらしいけど、決して近寄りがたいものたちではない。まず冒頭は「ボロ布」である。(古い布団地の藍色がきれい)あと、ブドウ棚の針金や鉄のうなぎ取り(これがまたいい)。平瓦や李朝白磁なんてものもあるかと思うと、ペラペラの杉板で出来た粗末な(素朴な、ということばのほうが似合う)厨子。アフリカの穀物倉庫の扉なんていうのもあって。ああ、みんな紹介したいくらい。

▲まえがきにもあるが、こどもの頃 氏は「自分が好きだと思う品物と友達が選ぶものとがずいぶんかけ離れていて、何か自分の感覚に欠陥でもあるのではと思い悩んだこともある」そうだ。
やがて「人は皆違う人格を持つのだから、その選択が異なるのは当たりまえ」と思うようになったようで。「美しさは知識からは見えてこない。自由な眼と柔らかな心がその扉を開く鍵らしい。ムツカシイ理論よサヨウナラ。高い品物の中にしか美しいものがないと信じてる人、ゴクロウさま」と潔い。

▲そういえば、今夏訪れた松本民藝館にも 創館者の丸山太郎氏の「説明があって物を見るより無言で語りかけてくる物の美しさを感じることの方が大切です」が掲げられていたっけ。
ひととは違うかもしれないが、自分がよいと思うものを選び取るチカラの基になるものは何なのだろう。
彼は言う。「僕とあなたは違う人間。同じ物を同じくらいに好きということはあり得ない。(中略)一人一人が自分の責任で何が好きなのか、つまりはどんな道を歩きたいのかを声高く言い続けなければならない」

▲坂田氏は目白の古道具店の他に千葉に小さな美術館も開いてはるらしい。
その名も"as it is "だ そうだ。(どこかで聞いた名前と思ったら、前にお気に入りの一冊として紹介した『おじいちゃんの封筒』の展覧会の会場でもあった) 
“as it is “とは かの柳宗悦氏が英国で仏教美術について講義したときにその基本思想を伝えるために使った言葉で、禅の用語では「只」、ひらたくいえば「そのまんま」だとか。

▲そうそう、この本を読んでいて「近く」感じたことふたつ。
ひとつは「古いもの」の中でただ一点「現代陶芸」が紹介されているのだけど、
以前は「現代美術なんて」と思っていたらしい坂田氏が、誘われて渋々行ったマグダレーナ・アバカノヴィッチ展(ポーランドの女性現代美術作家) で「頭をハンマーで殴られ、心を揺さぶられた」と綴ってはった。

▲この’91年の展覧会には 当時滋賀にいたわたしも相方と出かけて、今なお強烈に記憶に残っている。(巡回展だったので、わたしたちは滋賀県立美術館に、氏はセゾン美術館で)
黄麻布で作られた人体像には頭がない。おなじ方向を向いて立つ群衆にもまた頭がない。物体のようなひとびとは空虚ゆえ哀しい。そして「おまえはだれ?」と問うてくるようで、しばらく作品の前から動けなかったことを思い出す。

▲もうひとつのおどろきは、南アフリカの皮のスカートと共に紹介されていた一枚のシャツだ。ぱっと見たときから 何故か印象に残っていた一枚のシャツ。あれ?これ見たことあるなあ。写真につけられたキャプションには「著者が20年近く着ているY’sのシャツ」とある。うう~ん。色はちがうけどこのデザイン・・・
せや!わたしが持ってたのと同じやん!(←コーフンして叫んでる)この本のもとになってる「芸術新潮」掲載が2000年だから、20年近くってことは ちょうど同じ頃のものである。

▲上の子が生まれたとき「お祝いに、赤ちゃんのものは一杯もらうやろから、おかあちゃんのものを」と友人たちがお金を出し合って選んでくれたのが、当時すきだったY’s(山本耀司)の白い長袖のシャツと茄子紺色のマフラーやったんよね。それがとてもいいデザインで、ふとっちょのわたしにもよく似合ってた(と思う・・・笑)
新しい服など、しかもY'sのものなんてとても買う余裕のなかった頃(今もやけど・・)この贈り物がどれだけうれしかったことか。

▲せやから、それは、もう だいじにだいじに着てたんだけど。
さすがに20年を越えると布が薄くなり、首の後ろ側が破けてしまい、信州からこっちに越してくるとき、泣く泣く処分してきたものだった。それが思いもかけず、こんな所で「再会」できるやなんてね。
あらためて、すてきな贈り物をしてくれた友人たちありがとう。
あ、それから坂田さんにもスペシャルにありがとう、です。
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by bacuminnote | 2007-09-03 11:35 | 本をよむ