いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2007年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

流れる空気は。

▲ここ数日うんと冷えてきた。
ちょっと前まではきもちよかった朝一番の雨戸開けも億劫になってきたし、ふと見上げた街路樹の葉っぱはもう残り少なくなって・・そういえば、前を通るといつも落ち葉掃きしてはった 近くのマンションの管理人さんの姿もここ数日みかけない。
家の中でもmacの前では 気がついたら椅子の上に正座してるし、ね(笑)
けど、寒くなって当たり前。じきに12月やもん。

▲道行くひとも はじめはマフラー、次にコート姿が増え、そしてこの頃は手袋が目にとまるようになった。
じつは(というほどのこともないけど)手袋好きである。いや、コレクションしてるとか特別に凝ってる というわけではなく、手袋の似合ってるひとを見る(見つける)と、よろこんでいるだけ(笑・・本を読む姿のうつくしい人を見るのが好きなのとおなじかも)

▲この間のこと。夕方買い物帰りに手をつないだ高校生のカップルとすれちがった。つないだその手は素手なんだけど、もう一方の手には同じグレイの手袋を片方づつしていて。ちょっとベタなドラマの一場面みたいな気もするけど。おばちゃんはなんだかうれしくなって、少しがまんして間をおいてから(苦笑)そっと振り返り寒風の中 若いふたりの後ろ姿に見とれてた。
『手袋にキップの硬さ初恋です』(藤本とみ子・現代俳句歳時記1989)なーんて句を思い出したりして。冬と初恋、手袋と恋はよく似合う。あ、けど、今の高校生に「硬いキップ」なんてもう通じないんだろな。ともあれ、このふたりが今週のわたしの手袋観察・ベストワン。

▲「暑い」より「寒い」に惹かれるのは冬生まれだからか、寒いとこ育ちだからか。そのくせ寒がりの冷え性なので、大阪から琵琶湖・湖東(けっこう寒いとこ)、そして信州・開田高原へとどんどん寒い所に移動するわたしたちに、親もきょうだいも、そして友人たちにも驚かれたり呆れられたりしたものだ。

▲「寒いとこ」といえば、先日から読んだ本二冊はどちらも北海道出身の作家だった。一冊は『遠別少年』(今回は 光文社文庫版にて再読) 北海道の最北 稚内市から日本海側に少し降りた遠別という小さな田舎町で少年時代をすごした 装丁家の坂川栄治さんの短編集。もう一冊 『海炭市叙景』は函館出身の佐藤泰志さんの遺作となった短編集。

▲これらの本は同じ北海道が舞台の小説ながら、人口5000人に満たない遠別と、海炭市という架空の地方都市と、描かれるまちも時代も全然ちがうんだけど。そこに住むひとびとのよろこびや哀しみ、ひとの愚かさもきれいごとじゃない切羽詰まった思いも。その背景に流れる空気は北のまちのそれだ。
いつだか観た映画で主人公の若い女性が「寒いと生きている実感がするわ」と言ってたのをおもいだした。

▲さて、今回再読した『遠別少年』は初めに読んだ時 その世界にノックアウトされてわたしは坂川栄治さんに手紙を書いた。と言ってもどこに出していいのかわからないので、出版社のリトル・ドッグ・プレスの方にお願いしたら坂川さんのもとに届けてくださった。

▲手紙にはその本のこと、それから『写真生活』のことを書いた。坂川さんは、ブックデザイナーかと思うと文章も書き、写真も撮り、写真のギャラリーもやってはった多才な方で。その『写真生活』にはいろんな国の16人の写真家のことが紹介されているのだけれど、唯一日本人でとりあげられている山沢栄子さん(1899-1995) は相方(ときどき忘れそうになるけど、パンやになる前はカメラマンだった)の写真の師。彼は先生の最後の弟子として長く助手をつとめていた。

▲うれしいおどろきだった。しかも「要塞とサックス」として、その作品をアルバート・アイラーのサックスを重ねて語っておられて。アイラーは相方が昔から好きでよく聴いているから。そして坂川さんのギャラリーで「山沢栄子写真展」も開かれたことを知ったのだった。先生が亡くなられた翌年のことだったらしい。
そうそう、手紙を出して すこしして坂川さんからお返事をいただいた。A4の紙びっしり手書きの手紙は4枚もあって感激した。
「一冊の本が送り手と受け手をつなぎます。まさにこの手紙がそうです。」(手紙の中から)
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by bacuminnote | 2007-11-29 21:38 | 本をよむ

いるもの、いらんもの。

▲この前の日曜日は相方のおとうさんの祥月命日だった。
なんだか遠い日のようで、なんか昨日のことみたい。なんだかワケわからん一日で、そのわからなさにないた日。
結局あの日のパン焼きが 麦麦最後のパンになってしまったのだけど。 あれから4年、である。

▲朝からバスで義母のところに行った。
部屋の窓からは ぽかぽか陽気に見えたのに、外は風がつめたくて思わず首をすくめる。
多いときは日に三度も義父が飲みに寄ってたらしい喫茶室の珈琲を供える。珈琲の香り ひろがるその部屋で 買って行った松茸弁当を義母と食べた。相変わらず、笑うたびに脱線するおんなふたりの話に、秋の陽差しは畳の上にやさしくあたたかく長くのびて。ご飯のあと、去年もそうしたように、供えた珈琲を温めて飲んだ。

▲帰り道、黄色や茶色の落ち葉をかしゃかしゃ踏みながら歩いてたら、上でごおーという音。飛行機をみつけると、いつも反射的に「旅がしたいなあ」とおもう。そんで、こわいものしらずだった若いときでさえ外国に一人旅なんてよーせんかったくせに「やっぱり旅は一人で、やよなあ」なぁんて エラソーにおもうのであった。

▲けど、この間観た映画(DVD)に知らん人と一緒の旅!のおもしろさをいま思っている。その映画『サン・ジャックへの道』はフランスからスペインまでの巡礼路・・・ル・ピュイからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで1500kmも続く道のりをただひたすら歩くツアーの一行の物語だ。

▲まず、亡き母の遺産相続の条件として(この条件にはお母さんのいろんな思いが詰まってることが、やがて明らかになるのだが)このツアーに参加することになった仲の悪さも、その個性もハンパじゃない中年の兄姉弟三人、ガイドのギイ(←なかなか かっこいい)山歩きかと思って参加した女の子二人、アラブ系移民の若者とその従兄弟、訳ありげな物静かな女性、と9人のメンバーが様々な動機で出発。携帯も通じない!アップダウンのはげしい道のりを一日7時間も8時間も歩き続ける。

▲巡礼と言うても、あんまり宗教色は濃くなくて。でも「歩く」というシンプルな行為ゆえに、みんな旅をしながらいろんなことを思い、気付き、考えるんだけどね。自分一人が背負うことのできる荷物は限られていて。何が必要で、何が不要か。荷物は重いから捨てるのか、要らないから捨てるのか。旅はジンセイに似ている。途中リュックのシャンプーや化粧品やドライヤーを置いてゆく女の子、不要なものを捨てて行こうと、うっかり薬まで置いてきてしまった男のひとを笑いながらも、わたしだったらどうだろう?と自分に問うてみる。

▲二ヶ月もの日々を、そうやって歩いていると、ひとは一枚一枚要らない服を脱ぐように 心もしだいにオープンにしてゆく。徐々に堅いこころがほぐれてゆく様子・・それは予想した通りの展開なんやけど、それでも、しんそこ「ああよかった」と画面に見入るのだった。
とりわけ不仲のきょうだいの「姉」クララがメンバーの一人、失読症の少年に 旅の間じゅうひそかに根気強く読み書きを教えるところは、しみじみとあたたかく頬がゆるむ。少年はクララのおかげで文字を獲得し、クララは少年と出会ったことでねむっていたやさしさが染み出てくるんよね。

▲大きな事件が起きるわけでもなく、すごいラブストーリーがあるわけでもなく、かっこいい俳優が出てるってのでもないけど、気がつけば自分もリュック背負って一行と歩いてる気分になっている。雨の中ようやくたどりついた宿泊所が満員だと断られると、落胆し、道中のすばらしい自然に目をみはる。そして終着点のサンティアゴ・デ・コンポステーラにそびえる大聖堂、スペイン最西端のひかる海に胸がつまった。
「人生って捨てたもんじゃない」(←映画公式HPのコピーでもある)


*ちょっと長い追記*

その1
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(サン・ジャック)はエルサレム、ローマと並んでキリスト教三大聖地のひとつ。9世紀にキリスト12使徒の一人である聖ヤコブの墓がこの地で見つかったとされる。サンティアゴ・デ・コンポステーラのコンポステーラとは「星の平原」という意味を持つ。サンティアゴは、聖ヤコブのスペイン語。フランス語ではサン・ジャック。
「公式サイト」より

その2
この間 観たもう一本も「旅」つながり。
「パリ空港の人々」(フィリップ・リオレ監督/1993年フランス) モントリオールの空港で居眠りしている隙に搭乗券以外の所持品すべてを盗まれてしまったという男性が、パリのドゴール空港で拘留され、そのまま空港内トランジットゾーン(外国人用処理区域)で同じ境遇の人たちとであい、そんな空港に共に「暮らす」話です。
トム・ハンクス主演の映画「ターミナル」の元になった、というか監督のスピルバーグはこの「パリ空港の人々」にインスパイアーされて「ターミナル」を撮ったのだそうです。が、わたしは「パリ空港・・・」のほうが深く染みました。
帰るべき場所を失った人々の、強さや弱さも、たくましさやユーモア、哀しさも。「どこでもない場所」(トランジットゾーン)では国籍も人種もなくただの「人間」でしかないのだけど、だからこその思いやりや優しさに「人生捨てたもんじゃない」と思い、そして、ああ、どこかに行きたくなります。一人で?いや、にぎやかに(笑)
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by bacuminnote | 2007-11-20 20:01 | 映画
▲その日は朝からきもちのよい青空に、さすがの怠け者のわたしもじっとしていられなくなって、布団を干したり、大物の洗濯したり、仕舞い忘れた夏物の残りを片付けた。すっかり葉の落ちた梅の木の細い枝越しに見える空はすきとおり、そんなブルーにお隣の大きな桜の木の紅葉が映える。
庭に干した洗濯物と三人分の敷き布団、掛け布団、毛布に枕。少しの間ひとり日向ぼっこしながらじっと眺めてたら、思い出すのは開田高原の秋だ。
洗濯物を干す手を何度も何度もとめて見上げた裏山の唐松の紅葉。けど、今頃はたぶんもう山はすっかり薄茶色だ。肌をつき刺す冷たい冬の風が吹いて、のっぽの唐松はゆうらゆらと揺れているのだろう。もしかしたら、もう白いものが舞い始めてるかもしれない。

▲・・・なぁんて物思いにふけっていたら、しらんまにお昼前になっており。あわてて自転車で買い物に走った。だいたいわたしが急に働き者になって調子にのるとロクなことがない。この日は帰りにぎゅうぎゅう詰めの駐輪場で、隣のバイクがひっかかってなかなか自転車が引き出せず、仕方なくバイクを動かそうと持ち上げたその瞬間キタッー!
というわけで、ぎっくり腰(泣)にて整骨院通いである。
けど、今回は早く診てもらったのがよかったのか、思いのほか軽くすんだ。
ここの明るい整骨院!のことは前にも書いたけど、ここに来ると待合室でお年寄りが話してはるのが聞こえてたのしい。

▲この間は「かわいいおばあちゃん」話で盛り上がってた。
「あの人もな、もうちょっと かいらしい(大阪弁で「可愛い」)年寄りにならんといかんわな」「あの人ね、心はやさしい人だと思うんだけど口開くときついから」「なんちゅうか、物の言い方に可愛げというモンがないんよね」「いやあ、けど、考えてみたらウチかてそうかもしれんわ。孫にもかわいらしいおばあちゃんにならなあかんで、おばあちゃん~っていっつも言われるねんけどね」

▲わたしは会ったこともない「あの人」に思いを馳せる。最近息子さん一家と同居することになったけど、どうもしっくりいかないらしい「あの人」。こういうときに、よく出てくるのが「かわいらしいおばあちゃん」だけど。
そもそも「かわいい」ってどういうことなんやろ?見た目のかわいさ?一緒に暮らす者にとってやりやすいってこと?素直でにくたらしい事を言わないってことやろか?それに、なんでおじいちゃんじゃなくおばあちゃんなん?
この話を聞く前にも、このところ老いも若きもよく口にする「かわいい」にはもやもやしていたので、しばし考え込む。

▲そんな折、たまたま図書館で借りて来ていた『母の友』(10月号 )をぱらぱらめくってたら、連載「中村征子の絵本講座/ 絵本・子ども・保育」で「たくさんの人が好きだという「かわいい」絵本について考えてみたいと思います」とあって思わず「おお」と声をあげる。
中村氏が保育の現場や保育者を目指す学生に「どんな絵本が好き?子どもにはどんな絵本を選んでやったらいいと思う?」とたずねると、一番多くかえってくるのが「かわいい絵本」という答えだという。では「かわいい」とはどういうことなんだろう?と彼女は問いかける。

▲「『ピーター・ラビット』の絵はきれいで、かわいいですが、その物語の中には自然界で引き起こされる、かなりドラマチックでシリアスな、食うか食われるかの様子が描かれる」し、『三びきのこぶた』だって、もとのお話とおりだと、藁と木で家を作ったこぶたは二匹とも狼に食べられ、その狼も最後はお湯の沸いた鍋の中に落ちて、三匹目のこぶたに食べられてしまう。

▲「やはり大人は、往々にしてにしてそういうものを「残酷」だと思い、子どもに見せることにためらいを感じます」「そのためらいが大人に、物語のおもしろさは二の次で、「かわいさ」だけを取り出して子どもに与えようとさせるのではないでしょうか」「かわいさ」には、波風を立てない無難さ、面倒なことを考えなくてよい安全さがあり、大人はそれによりかかってしまいます。そういう気持ちが、『三びきのこぶた』で最後におおかみを救ってやりたくなるようなことにもつながっていくと思うのです」

▲中村氏の文章はこの後も 他の絵本の「かわいい」についても論をすすめてはるのだけど、わたしは読みながら 年寄りに求める「かわいい」も同じきもちから出てくるのではないか、という気がした。
中村氏はこうも言う。
「「かわいい」は、人も困らせないし、無害で、安心感もあって、だれにでも好かれます。ですが、それは言葉を換えれば、「無難だ」ということになるのではないですか?無難さは生きていくことの生々しさを漂白してしまいます。 世界はもっと深い意味を持つできごとがたくさんあるはずです。それなのに「かわいい」という基準だけで物事を選ぶと、「汚い」「残酷」「暗い」「気持ち悪い」と大人が感じたものがどんどん排除されることになります。それが子どもを縛ってしまうことに気づかずに」

▲人は幼くても、思春期にも、大人になって、やがて年をとればなおさら きれいなものと汚いもの、よろこびもかなしみも、愛にあふれたかと思うと妬み、冷酷で あたたかで、暗く 明るくて、泣くし笑うし怒るし、ね。いろんなものがまじりあって在る「生々しい」生き物だから。
時にうっとうしいことも我慢ならないときもあるのだろう。けど、だからといって、そのなかの「やさしい」や「かわいい」だけになんて、うまいこと応えられない、とおもう。
せやから、老いも若きも「かわいい」をめざすのは やめにしようよ。
わたしはそんなのより「かっこいい年寄り」になりたいな、とおもう。で、どんなのがかっこいいかというと「差別しない、うそをつかない、物事をしっかり見ることのできる」ひとだ。


追記
○その1
文中では絵本の話からお年寄りに、と話が移り 中途半端な引用しかできなかったのですが(反省!)この「絵本講座」はとても興味深い内容です。ぜひ図書館などで本書を手にして読んでいただきたいです。
○その2
昨日(11/12)開田の友人から「雪がふりました」メールが届きました。やっぱり、ね。
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by bacuminnote | 2007-11-13 15:59 | 本をよむ
▲夕方ジッカの母と電話で話していたら、おわりがたには決まって「で、今晩あんたとこ 何するん?」とくる。そして、自分から質問したくせにわたしの答えを待たないで「あ、また、鍋でっか?」と言うや おもしろぅてたまらんという風に笑うのである。
「お母さんって、ウチとこがいっつも鍋ばっかりしてると思ってるんやろ。けど、残念でした。今日は鍋とちゃいます!」と娘はきっぱり返事するのだった。
が、昨日は・・・鍋でした。(苦笑)

▲夕暮れ時の空の色も、街路樹の赤や黄色のはっぱの散り具合も、そして4時をすぎると急にやってくる冷え込みも。ああ、季節は「鍋」登場にふさわしい。
そして、これからは母の言うように「また鍋でっか~」の夜がふえるわが家だ。
けど、かの高浜虚子さんかて うたってはる。『又例の寄せ鍋にてもいたすべし』

▲秋とは思えない陽気が長いこと続いたから、わけわからんようになったけど、いつのまにやらカレンダーもあと残り一枚になってしもた。
もう11月。今年はほんまにいろんなことがあったなぁ。 哀しいこともうれしいことも。泣いたり笑うたり。であったり、わかれたり。
せやから、あと二ヶ月は静かに、ゆっくり、おだやかに暮れてゆきますように、と思いながら 鍋に入れる肉団子をねちねち、くるくると丸めた。もうもうと湯気のたつ鍋。ごま油の香ばしいにおいに満ちて、夕方のだいどこ(台所)はあったかい。

▲先々週の土曜は東京で息子とガールフレンドに会い、翌日曜は姪の結婚式で横浜にいて、火曜日は京都で友人の写真展に、木曜は相方のお母さんちを訪ねて、土曜日は叔母の四十九日の法要で吉野に。
この間(かん)乗った電車もじつに新幹線・山手線・京王井の頭線・東急東横線・横浜線・東海道線・阪急京都線・近鉄南大阪線、そして地下鉄御堂筋線。ふうう。まるで一生分の電車に乗ったような気分だ。
息子たちが連れてってくれたすてきなイタリアンに、姉夫婦が皆を招いてくれた和食のお店。結婚式ではフレンチ、とごちそう続き。めずらしくて、おいしくて、カンゲキの完食(ふとった・・・はず)
友人の写真展ではあたらしいであいもあったし、どの集まりもたのしくて、とてもいい時間だった。

▲そういうわけで、ほっといたら何日でも家でいる出不精がちょっと考えられんくらいに動いたもんで、ここ数日はぼーっとしていた。 聞いてもらいたいことも、書きたいこともいっぱいあって。それなのに、あまりにきもちがあふれると、ことばってなかなか出て来ないんよね。
だから「とり散らかった部屋の中で、何から手をつけてよいかわからず茫然と立ちすくむわたし」状態が続くのであった(苦笑)

▲そうして、今日は朝から整体院に行ったのにシャッターがおりていて。(ぼーっとしてたせいで、今日が臨時休業と聞き、明日に予約を入れておいた事をすっかり忘れてた!)仕方なく来た道を引き戻し、期間中に読めなかった本を返しに図書館に行った。本棚と本棚の間でしばらくうろうろしてたら、だんだん「いつもの感じ」が戻ってきた気がする。ああ、この感じ。長いことゆっくりゆっくりな生活してきたんやもん。これくらいの線で行くのがちょうどええかげんかもしれんなあ。
さぁて、今夜は魚を焼いて、おひたしに具沢山の粕汁をたっぷりこしらえようかな。
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by bacuminnote | 2007-11-06 19:26 | Comments(0)