いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2008年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

道も聞かずに。

▲きょうは朝から一人で出かけた。
昨夜から明け方まではげしく降っていた雨もからりとあがって、スキップしたくなるような陽気。(→ついこの前ひっくり返って泣いたとこやからスキップはあきらめる)きもちのいい朝。
ここにもよく書いてるように、並はずれた方向おんちゆえ 初めての所には「だれかと一緒」の方が安心なんだけどね。
この頃では たまに相方と外出する時も、家を出るや、右に左に、駅までそれぞれ気に入った道で別々に行くこともあるねんよ~と、若い友だちに話したら、えらく受けて「インディペンデントなフウフ」(笑)と 名付けてくれたし。その名に恥じないように!
失敗をおそれず(たいそうやなあ)ひとり歩きもたのしもうとおもっている。

▲人がいると 話したいことの山が(たとえそれが年中一緒にいる相方であっても)絶えないおしゃべりのわたしだけど、ひとりのときはおとなしく(あたりまえ?)本を読む。
きょうは道中、電車のなかで中井久夫著 『時のしずく』を開いた。この方のエッセイの文体も書かれていることも。
読んでいると、人がいっぱいで、ざわざわしている電車の中ということも忘れて、本の世界に入ってしまっていて知らない間に、しんそこ しずかな自分になっていることに気づく。

▲この感じ、いつかどこかでもあった。そうだ。と思いついたそのときに繰ったページがその 須賀敦子さんのことを書かれた章で、うれしいおどろきだった。
中井さんは須賀敦子ファンだそうで。「このような、やわらかで、しかも凜とした文体に1990年に出会うとは、奇跡のようであった。そして過不足のない文の運びがあった。ピトレスクな文章でないのに、読むにつれて過不足のないイメージがわいてきて、穏やかな現場感とでもいうべきものが私の中に満ち満ちるのであった」(『須賀敦子さんの思い出』より)と絶賛してはる。

▲あるとき講演会でお話をされた中井さんが講演が終わって、関係者でイタリア料理店で食事をすることになったそうだ。講演会の折、前方の客席に印象に残る年輩の女性がいたのだけど、果たして隣の席に座った方がその女性で、紹介されたら、なんと須賀敦子さんだったとか。
「こういう方が、いきなり隣の席におられることを教えられるということは、いくつになっても、どぎまぎすることである。私はあまりうまくお話ができなかったような気がする」(同上)とあって、
少年のようにはにかむ姿が浮かぶようで、ほほえましいエピソードだなと思う。そして中井センセイをどぎまぎさせる 須賀敦子さんのあふれる教養も、その人格も、そして「やわらかで凜とした」空気にも、あらためて深くあこがれる。

▲途中乗り換えて、あっという間に桃谷駅に着いた。天王寺からふたつめ。ひとつむこうは鶴橋だ。
駅を降りるとすぐに商店街に出る。
道幅は狭いけど、途切れることなくお店がつづく長~いアーケードで。
パン屋、時計屋に文房具店、薬局に靴屋、店いっぱいにひろげた肌着、靴下。豆腐屋の店先には漬け桶があって。魚屋にはパックされていない魚が並ぶ。金物屋に写真スタジオ。漬け物屋にたこ焼き、お好み焼き。それに揚げたてコロッケやカツも売ってたなあ。
ほんま、ないものはないくらい次々いろんなお店が現れて、わくわくする。通りにはいろんなにおいが混じりあって、そんな中 おっちゃん、おばちゃんの張りのある声が響く。高校生が連なって歩き、お年寄りが押し車を押して、ちっちゃい子がぐずってママのチュニックの裾を引っ張ってる。

▲わたしは歩きながら、さっきまで読んでいた本にあった
イタリアの詩人サンドロ・ペンナの詩「ぐっすりとねむったまま生きたい 人生のやさしい騒音にかこまれて」(須賀敦子訳)を思い出していた。
あっち見て、こっち見て、いろんなことおもいながら歩いてたのに。
なぜだか今日は道も聞かずに目的地に着いた。

*追記
須賀敦子さんのプロフィール(わたしは観ていませんがBS朝日で特集番組があったそうで、その番組 HPです)
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by bacuminnote | 2008-03-25 00:12 | 本をよむ

ここからはじまる。

▲いつものようにタイツの上にレグウォーマーはいて出かけたら、さすがの冷え性(←わたし)も足にカイロ巻いてるかと思うほどあつくて、まいった。
ふと、道行く人々を見渡したらなんと半袖姿のひともいて。まちもひとも春の空気に満ちている。
ガッコの茶封筒持って歩く母と子や、歩道いっぱいに広がってきゃっきゃっ言うてる高校生たちの手に花一輪。その開放感にあふれた笑顔に、とおりすがりのおばちゃんも横から「おめでとう」と言いたくなる。

▲とはいえ「おめでとう」の春ばかりでもない。
一つ前や一つ後ろの数字があって、なんで真ん中はないのか。こんだけいっぱい数字が並んでるのに、なんでわたしの番号だけ飛んでるん?と地団駄ふんだ遠い春を思い出す。
あ、けど。
失敗は ときに発見やシアワセの素になったりするんよね。

▲そういえば、この間雑誌を開いてたらこんな一文にあった。
「春です。フレッシャーズの皆さんは期待と心細さに胸ときめいていることと思います。この「心細さを伴う期待」を「自由」というのだ思います。一人で行くいう決心を胸に、歩き出す厳かな気持ち。大好きです。」(槇村さとる「いまだ磨かれざる者へ」光文社 『本が好き!』
この「一人で行くという決心」というのがええなあ。フレッシャーズであっても、なくても(苦笑)。そう、どんなことも。きっとここから始まるんだとおもう。

▲さて。
世間がこう温うなったんでは「きょうも鍋」というわけにいかんので、だいどこ担当はこまっている。スーパーに行くと「きょうは、お宅何しはるん?」「ほんま毎日何しよか思うなあ」なんて会話を決まって耳にするけど。
結局のところ、どこのウチでもたいていは同じようなものをローテーションで食べてるんやないかなあ・・・と思いつつ、レジの順番を待ちながら 前の人のカゴをちらりと のぞくのであった。

▲いま『十代に何を食べたか』という本を読んでいるんだけど、この本、1975年生まれの人を筆頭に1903年生まれまで、時代を遡って39人の人がそれぞれの10代の頃 食べたものを語っていてとても興味深い。
トップバッターは「”食”住一致の日々」と題して武者小路千家の千宗室さん(せん・そうおく/’75年生まれ)
曰く『友人に聞かれるたびに困った質問がある。「千クンのうちって、いつも着物着て家族揃って正座して懐石料理食べているの?」というもの』
この「いかにも」な質問がおかしくて笑ってしまう。

▲それで思い出したんだけど。
子どもの頃、友だちのお家でごちそうになると、決まっておばちゃんが「あんたとこは 料理屋さんやから、いっつもごっつぉー(ごちそう)ばっかり食べてるやろし、こんなん食べへんかもしれんけど・・」と言わはるのだった。
旅館に限らず、たべもの商売の家は「ごはんどき」が一番忙しいときやから、たいていドタバタとあわただしくて、おばちゃんが思ってるような「ごっつぉー」はお客さん用で、家の者は概して粗食だった気がする。

▲それより、何より、わたしは家族みんなで食卓を囲む友だちの家がうれしくて。「おいしいなあ、おいしいなあ」と言うて何度もおかわりさせてもろた。(当時の友だちと話すと「せや、くみちゃんウチでもよう食べてたなあ」と言われ、その図々しさに申し訳なくて赤面する。今ごろ言うてもナンですが、その節はほんまにごちそうさまでした)
そうそう、十五代家元後嗣 千クンは友だちの質問にこう答える。
「ごめん(何故謝るのか疑問ですが)。うちはいたって普通。例えば朝はほとんどパンに紅茶だし」
つまり、たいていのお家は、フツーのごはん食べてはるんやろね。たぶん。
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by bacuminnote | 2008-03-14 08:26 | 本をよむ

はじまり、はじまり。

▲一昨日はひさしぶりに電車に乗ってでかけた。
大阪市内で6時半開演のコンサートに行くのに、3時前には家を出るわたしを相方や息子に笑われてしもたけど。コンサート前に別の所でちょっと買い物もしたいし、何より超がつくほどの方向音痴だし。行き慣れない場所2つを訪ねるにはこれくらいでちょうどええんよね。
で、地下鉄の駅に着いたのが3時ジャスト。
階段を駆け下りホームの売店にて夕刊を即購入。そう、実はこの夕刊が早く見たくて、の出発でもあったのだ。

▲バッグを小脇に抱えて新聞を広げるのは、けっこう難しい。新聞も荷物も落としそうになりながら、連載小説の頁をさがす。この日 読売新聞・夕刊にてあたらしい新聞小説が始まった。(夕刊のない地域は翌4日から)
おお、あった、あった。唐十郎作『朝顔男』
挿絵は我らがうらたじゅんである。その題字にも、乾電池にすわる男や描き込まれた画面にも、いきなりノックアウトされる。

▲彼女に初めて会った18の春のその日から、数え切れないほどその作品を見せてもらってるけれど、そのマンガや絵に接して「友だちが描いたもの」ということを忘れて見入るようになったのは、いつからだろう。
この日も新聞を買うときは「友だちの絵が載ってる新聞」と思ってたのに、絵を見たその瞬間そんな思いなどどこかに飛んで、持つ手がふるえた。
会えば相変わらずじゅんはあほなこと言うて笑ぅてるけど、わたしの知らない時間、一人の時間、描いては消し、唸っては描いて。破り、また描き始めているのだろう。そうしてマンガだけでなく、去年9月にはビリケンギャラリーでの初個展・・・と、彼女はかくじつに「うらたじゅん」の世界を広げ、そして深いものにしている。

▲それにしても、あの細いからだのどこに そんなチカラがひそんでるのか、彼女
なかなかしなやかに強靱だ。子育ても親の介護も、ビンボー(苦笑)も、大病も。世に言うたいていの「苦労」は一通り経験してきてるのに、いつまでも世間知らずの少女のようにふわふわして、とぼけていて、かいらしい。
あ、けど、だまされたらあかん。目をこらしてよーく見ないと。
じゅんの世界はなつかしさや かわいさや 耳ざわりのよい言葉をこえたものをいつだって抱えているから。

▲わたしはコーフン気味にホームから「見たで!」メールを彼女に出した。
夕刊配達がまだの時間帯だったし、きっとくやしがるやろな、と にらんだから。
案の定「わあ!ウチとこはまだ届いてない!早く見たい(笑)」とソッコウ返事があって、にんまりする。
それから何度 袋から新聞を取り出して眺めたことだろう。電車の中でも、喫茶店で、コンサートを待つ間にも。自分ひとりで見てるのはなんかもったいなくて。そのへんのひと、そこらじゅうのひとに自慢したいきもちでいっぱいだったんよね。(そういうわけで、きょうはここで「自慢」することにした)

▲さてその日は
心斎橋に行って目的の店に電話して聞き、駅員さんにも教えて貰って靴やさんに到着。靴を買い(足がデカイので靴選びには苦労するが、「あほの大足、まぬけの小足、中途半端のろくでなし」なんて言うそうやから(苦笑)、どんな足でも「これでよし」ということはないらしい)その後、地下鉄で淀屋橋まで出て、二人に道を聞いてフェスティバルホールに到着。

▲最初は間違って試写会に来た人の列に並び「なんかちがう」と思って聞いたら「コンサートはむこう」とのことで。まあ、相変わらずの珍道中ながら、無事(ん?)会場に到着した。
やがて仕事場から猛ダッシュで友だちがかけつける。去年このコンサートに(←これがわたしのフルオーケストラ初体験だった)誘ってくれたのも彼女だった。
大阪フィルが奏でる『新世界』に のみこまれた夜。「また、来年も聴きに来ような」と淀屋橋駅でわかれる。
わたしにしたら とびきり上級扁@まちあるき の一日だった。



*追記
小説『朝顔男』は読売新聞夕刊にて約半年間の連載になるそうです。
上記 読売の記事中にもあったけれど、唐十郎の世界とじゅんの絵がどんなふうにからみあっていくのか、たのしみです。
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by bacuminnote | 2008-03-05 17:59 | 音楽

うめのしずく。

▲明け方に雨が降ったのだろう。朝、雨戸をあけると雫にぬれた梅。
青空と白い雲を背にみる梅は可憐だけれど、雨のあとのそれはしずかで儚げだ。『梅一輪一輪ほどのあたたかさ』(服部嵐雪)『人としてあること哀し梅一枝』(大道寺将司句集『鴉の目』)おなじ 一枝の梅を詠みながらも、まるでちがうふたつ句をおもって、深呼吸ひとつ。つめたくなった手で窓をしめた。

▲昨日はぽかぽかと暖かな一日で、お布団干したり、あちこち開け放って大掃除したりしたのに。薄曇りの今朝は風がとても冷たかった。手を伸ばせば、もうすぐそこにいそうなのに。いつだって春は思わせぶりなんよね。
というわけで、今日もくるくる変わる空模様に洗濯物を気にしながら図書館と買い物。
駅までほんの十数分の間も日が差してぱぁーっと明るくなったかと思うと、暗転。ぱらぱらと冷たい雨が降り始め、周囲はみな小走りになる。

▲週末のショッピングセンターは若いファミリーでいっぱいだ。子どもを抱っこしたり、ベビーカー押したり、荷物持ったりしてる若い父親の姿は、もう当たり前のようで。でもフウフで協力しあってる姿は微笑ましくていい感じ。見てると頬がゆるむ。反対に女性が右に左に重そうな袋持って歩いてるのに、自分は手ぶらでさっさか歩く年輩男性も相変わらず多くて、ほんまに腹立たしい・・・と、よそさまのことながら かっかしてるうちに雨はやみ、また日が差し始めた。

▲図書館は新館ができるまでの間一ヶ月半も休みだったもので、連日すごい人出だ。いつもはゆったりした雰囲気の館員さんも、みなさん余裕なさそう。「ぜんぶ(レイアウトが)変わってしもて、何がどこにあるやら いっこもわからへんがな。わし、今からは もうよー覚えんわ」と ぼやいてはるおじいちゃん(実はわたしも・・・)。
「ママ、おとなもこどももいっしょだね」とはしゃぐ子ども。(前は「一般」と「子ども」は階がちがった)「新装開店」状態の図書館は、まだまだがやがや、ばたばた、落ち着かないけど。ひさしぶりに「本の森」にまようたのしいひとときを過ごした。

▲前は目立たないところに貼ってあった「図書館の自由に関する宣言」が入口の掲示板にあって、立ち止まり改めてじっくり読む。何度読んでも力強くすばらしい。
そういえば、去年息子が「職業体験」で図書館に行ったとき「図書館で何が大事か?」という質問に「プライバシー(を守る)」と館員の方が言うてはった~と聞いて感激したことを思い出す。

▲残念ながら今日はまだ予約の『梅一輪』は入っていなかったけれど。
何冊か本をぱらぱらと読んでいたら与謝野晶子の歌にであう。
『白梅を見てときめきしその日より 老い給はぬも君が年月』
夫・鉄幹が六十歳を迎えたときに詠んだ歌だそうだ。帰途「白梅にときめく」か~ロマンチックやなあと思いながら、いつのまにか「せやせや」晶子といえば駿河屋、駿河屋といえば羊羹。羊羹といえば「夜の梅」。
あ、けど、やっぱり「夜の梅」は虎屋かなあ・・と。最後は「花より団子(あ、羊羹か?)」に落ち着くのであった。
(去年だか一昨年だかの今ごろにも同じようなこと書いた気がする→毎年この時分になると羊羹のこと考えてるのね・・やれやれ)

 
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by bacuminnote | 2008-03-01 22:41 | 本をよむ