いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2008年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

▲先日のこと。予定より帰りが遅れて、出先から戻ったのは七時前になった。
それでも、少し前なら暗かった道がまだぼんやりと明るくて。もうじき4月も終わりやもんなあ、と思いながら門扉を開けたら「ピンク」が散らばった階段に足がとまった。
お隣の八重桜だ。
早く、早くと小走りで帰って来たのに、ちょっとの間、そのまんま ぼーっと見とれて。
のしのしと踏みつけるのは なんだか申し訳ないようで、つま先立ちでそろりと上がった。

▲いつもは閑人シュフにて、買い物には午前中か昼ご飯の後に出る。夕ご飯も6時か6時半と「早い」(←と、たいていの人に言われる)
だから、この日のような時間帯にスーパーに行くことはめったにないんだけど、明らかに朝や昼間とはちがう空気を感じる。おそらく「勤め帰り」のお客さんが多いのと、閉店時間まであと1~2時間ということで、「早いとこ買って帰らなきゃ」と「早いとこ売り切ってしまわないと」が店を活気づけているのだろう。

▲両手いっぱい荷物を持った若いお母さんに目がいく。
自転車の前後ろに 子どもを乗せて、カゴには今買ったものやら、保育園のタオルや着替え袋やら入れて、薄暗くなった道をペダルこいで、お家に帰ってそれからご飯作りなんやろなあ。
「そんなん買わへんからね。さあ、もう行くで!」と、レジ近くのおまけ付きお菓子に見入る子どもを 促すママの背中に「がんばってや」とおもう。そして、そんなママの服の端を掴んで半泣きで後を追う子どもにも、また。

▲「家族揃ってご飯の食べられる」のが子どもの頃のわたしの夢やったけど。
世界中のあちこちには「いっしょに」どころか、 今「ご飯が食べられる」ことすら叶わない子ども、その存在すら忘れられた子どもたちがいっぱい いる。
去年の公開時に見そびれた『それでも生きる子供たちへ』(原題『ALL THE INVISIBLE CHILDREN』)という映画をこの間 ようやくDVDで観た。この映画はWFP(国連世界食糧計画)やユニセフの協力のもとで製作されたそうだ。厳しい現実に生きる7か国の子どもたちを それぞれの国の監督が撮った7編のオムニバス映画になっている。

▲ルワンダの少年兵、家族ぐるみの窃盗団で少年院への出入りを繰り返すセルビアの少年。リヤカーで段ボールや空き缶を集めてわずかな収入を得るブラジル・ファべーラ(貧民街)に住む兄妹。そして、エイズベイビーと呼ばれるブルックリンの少女、イタリアの窃盗団を背景に金持ちから大胆にモノを奪う少年。裕福だが(この映画で唯一お金持ち)いがみ合う親のもとで暮らす中国の少女と偶然であう貧しい老人と暮らす孤児の少女。
どの話も切実で、フィクションとわかりながらも、その1話1話が胸に突き刺さるようだった。

▲とりわけ印象深かった作品が二編あった。
一編は『タンザ』というルワンダの少年を描いたものだ。「自由」の名のもとに強制的にゲリラ部隊に入隊させられたタンザは、携えた銃も大きくて重そうに見えるまだ十二才の少年兵だ。ある日、タンザは真夜中に時限装置付きの爆弾を「黄色い建物」においてくるように命じられるんだけど、鍵をこわして侵入するとそこは学校。彼が通うことのかなわない場所。まだ幼さの残る眼差しで教室のあちこちに見入るタンザ。彼の頬に流れる涙に ことばを失う。なんと言えばいいのだろう。

▲もう一編は『ビルーとジョアン』というファベーラに住む兄妹の話。
細いからだに大きなリアカーを引き、空き缶や段ボール箱を拾ってゆく、その兄妹の姿をカメラは追っているだけなんだけど。
大変な仕事をしている中にも「あそび」をみつけ笑う顔がほんまにかわいらしくて。そのひたむきさと屈託のない明るさにじんとくる。リヤカーがパンクしてしまったり、風で段ボールが飛ばされたり・・・わたしは映画だということも忘れて、はらはらする。回収したものをお金に換える所の人っていうのが、子どもだからと甘くはないけど、子どもだからと見くびりもしない風だったのが(つまり大人と同じ扱いしている)いい感じだった。
この短編の監督は『シティ・オブ・ゴッド』を(フェルナンド・メイレレスと共に)共同監督した女性だそうだ(この映画も重いけれど、とてもよかったので、納得。)

▲貧しい子も富める子も、それぞれに深い重いものを抱えて生きている。それは大人も同じなんだけど。
時に子どもたちに過剰にものを与えて、時には非情なまでに子どもたちからものを奪うのも大人で。
子どもを救わなければならないのに、たくましく生き抜く子どもに、途方もないエネルギーやユーモアに、その存在そのものに、わたしたち大人たちの方が救われている。
だけど。
そのかがやく瞳や笑顔に「癒されて」よかった~ではこの映画製作や上映の意味がない。貧しい子も、富める子も、そのなかであげてる悲鳴を大人はしっかり聞かないと。何を、どこから、どうしていいのかわからないけど、何ができるのだろうかと「考える」ことだけは放り投げたらあかん、とおもう。

▲映画のエンドロールで
“All grown-ups were once children. Although few of them remember it “
『星の王子さま』の「覚えている人は少ないが 誰でも昔は子どもだった」のことばが出てきて。
ずっとこらえていたものが 一気にこみあげてきた。
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by bacuminnote | 2008-04-28 21:39 | 映画

きけてはりますな。

▲4月は第二の「師走」のようやなあと思う。
ふだんは白いままのわが家のカレンダーもこの月は書き込みが多い。文字通り「師」も走りまわってはるし。
田舎暮らしの間は そこにじっとしていても、ドアを開けたら山がすぐそこにあり、川があって。パンのお客さんを始め、友人知人が近く遠くから、いつもだれか訪ねて来てくれたから「行きたいところ」に行けなくても「ほしいもの」が手に入らなくても、そのうちにたいていはどっちでもよくなった。

▲だから、大阪に戻っても、どこかその延長線上のような感じで過ごしてきたのだけれど。そこにじっと「待つ」のではなく、行きたいところに出かけ、人に会いにゆき、たまには息せき切って「走ってみる」のもええかな、とおもう春だ。
そう、足腰のしっかりしているうちに。
とはいえ、そもそも余分なお金もないし、すぐにくたびれるエナジーの低い体質やし。何より、この程度の動きを「走る」なんて言うてたら、あのひと、このひとに笑われそうやけど。(あ、ほんまに「走る」という意味じゃないです・・苦笑)

▲そういえば。
くたびれた、というのを故郷のことばで「きける」という事を、この間久しぶりに思い出して、あまりの懐かしさにおどろき、胸がつまるような思いがして、そういうきもちになっている自分にもう一度おどろいた。
それは歌人 前登志夫氏の追悼文の記事がきっかけだった。
前さんは吉野の方で、その最期もまた前さんらしく「入院加療中の身を、どうしても今年の桜を見る、といって、自宅に帰って亡くなられた」らしい。(読売・4/15「生涯 吉野の山びと 前登志夫さんを悼む / 岡野弘彦」)
この記事の中にわたしとかかわりのある名前があった、と友だちが切り抜きを送って来てくれた。

▲記事を読んだあと、 インターネットで前さんのことを調べていたら
web日本語
(小学館)というサイトの中「わたしのすきなお国言葉」というコラムに前さんが「大和びとのやわらかく、思いやりのあるいくつかの方言の一つ」として「きけてはりますな」ということばを挙げてはった。
「きける」とは心身ともに「あーしんど」というようなときに使う方言で。
前さん曰く「つらいことや苦しいことのために、心身共に疲れている状態をいたわるとき「きけてはる」という。おそらく、気が欠けるとか、生気が消える、あるいは気力が枯れる状態をさすのでしょう」と。
長いこと すっかり忘れていたのだけど、このひとことを思い出すと同時に、その昔、おばあちゃんが上がり口でごろんと横になって「きけた~」と言うてたその光景がぱっと蘇った。

▲いまは「大阪のおばちゃん」のわたしだけど、考えてみたら吉野で生まれ育ち、学生時代は京都ですごし、ケッコン後は大阪府下をあちこち、パン屋開業のため滋賀、長野と転々としているので、見かけは大阪でも(笑)厳密にはいろんな土地のことばが混ざっており。だから、いまの自分から時間的に遠い吉野のことばは知らないうちにどんどん忘れてゆく。

▲けど、ことばの記憶というのはおもしろいものだ。
なにかひとつ思い出すと、するすると、いまはもう使わなくなった方言が、次々口をついて出てくる。
どれが吉野弁なのか、関西一帯でも使われるのかわからないけど。「回りする」(支度する)・まとう(弁償する)・「おとろしい」(面倒くさい)・「もむない」(まずい)あ、「げんろく」(膝頭)なんていうのもあったっけ。

▲小さいときは何も考えずに、近所のこどもや大人たちと同じことばをしゃべっていたけれど、京都や東京のガッコに行った姉たちが帰って来て話すことばは、そのたびにかくじつに変わっており。なんとはなしに、都会のにおいがして、あか抜けしてるように聞こえ始めた。
やがて、わたしが高校生になって電車通学するようになると、ガッコで「吉野の山奥から来てる」風に言われるのがくやしく恥ずかしくて。だから、その方言も又かっこ悪い、と意識的に使わなくなってしもたんよね。
でも、いま、こうして並べてみると、ほんのりぬくい山のことばが いまの自分に馴染んでいる、とおもう。

▲この 前さんの文章には「喜寿」とあるから、亡くなられる5年くらい前のものだと思われるのだけど、最後はこんなふうに結ばれている。
「かえりみれば、現代の日本人は老若を問わず、みんなひどく「きけてはる」のではないかと思われます。わたしの命終のとき、木々や鳥や虫が、「きけてはりますな」といたわってくれるにちがいありません。」
おもいどおり、吉野の桜に、とびかう鳥や虫に見守られ、やわらかな大和のことばをかけてもろて、遠くにいかはったのかな。合掌。

『山櫻 そのひとつだに伐(き)らざりき いさぎよく山の家 棄てざりき』前登志夫


*追記*
上記「web日本語」の 「わたしのすきなお国言葉」の連載は終了していますが、バックナンバーはなかなか楽しい読み物です。方言というのは皆それぞれの「こどもの時間」のことばでもあるんですよね。
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by bacuminnote | 2008-04-19 20:52 | yoshino

花はなくても。

▲よく晴れたこの前の日曜日の朝のこと。
開店早々のデパートの食品売り場に行くと、すでに結構な人出。何か催しでもあるのかな、と思ったら「お花見弁当」を求める人でごったがえしているのだった。
そういえば、去年も今ごろ相方のおかあさんのリクエストでお花見弁当買って行ったことを思い出して、大きいのと小さいの、ふたつ買ってバスに乗り込んだ。

▲ホームに直通のこのバスには、わたしの他は入居者の方たちで5~6人乗っていたのだけど、「今日はコースをちょっと変更します」と運転手さん。
何?何?と思ってるうちにバスはいつも行く道の手前で曲がって、桜並木に出る。期間限定「走るお花見号」という粋な計らいに、みな「ほぉー」と口々に声をあげてはる。
そうしてひとしきり、きれいなあ、みごとやねえ、すばらしい、と にぎやかな感嘆の声が途切れたとき、ひとりの方がふう、とちいさなため息をついて
「また、来年も、見られるかなあ」と言わはった。
一瞬バスの中がしんとなって、「ほんまやなあ」「来年もまた見られたらええねえ」という声が続いた。
それから、皆・・・わたしも又 だまって窓の外、淡いピンクの花が流れるように走ってゆくのを追いかけた。

▲やがてホームに着いて。
部屋に入るなり買って来たお花見弁当を広げたら、「いやあ、きれいでんなあ」と義母の顔がぱっとあかるくなった。
筍、ふき、鰆のゆうあん焼き、厚焼き卵、海老の芝焼き、花びら百合根、生麩の木の芽和え。下の段には筍ご飯。添えられた小さな花見団子がかいらしい。
「おいしそうやなあ」
「けど、なんぼなんでも、まだお昼には早すぎるわなあ」と笑いながら、あわててお弁当の蓋をするも、それからものの10分もたたないうちに「やっぱり食べましょか」と蓋を開け、予定変更、大きいほうをおかあさんに差し出した(苦笑)
窓から春のひかりがぽかぽか暖かく、花はなくても、おんな二人 花見弁当がおいしかった。

▲年をとって できなくなったことや痛いところがひとつずつ増え、義母のうったえは
たえることがない。この日もまた話を聞きながら、わたしはやさしい事言うたり、いらいらしてキツイこと言うてしもたり。
前にここにも書いた『水曜日のうそ』という本のなか、イザベルがおじいちゃんのことを言う「自分が思ってることをちゃんと話せるときには、愚痴など出てこないのかもしれない」ってことばを思い出しながら。
帰りはいつも複雑な思いだ。
バスの乗り場に立って、ふと上を見たら上階の廊下の窓から義母が手を振っているのが小さく見えて。わたしも手を振ってバスに乗った。

▲帰途、昼すぎのバスは花見客でにぎわう公園の前をとおる。
あちこちで家族づれや若いひとたちのグループに、バーベキューの煙があがって、その歓声まで窓越しに聞こえてくるようで。「えらい人やなあ」「にぎやかやねえ」と、みな一斉に車窓から公園を見る。
朝の花見号とは又ちがった空気のなか「ここはバーベキュー禁止やのに」と言わはった方の声をのみこんで バスは早や公園を通り過ぎ駅へとむかうのだった。
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by bacuminnote | 2008-04-09 12:01 | 本をよむ

さくらのわたし。

▲この風邪が治ったら。肩の痛いのがおさまったら。
足が痛ぅて。温うなったら・・・と、母の「又あんたとこに行きたいねん」の思い叶わぬまま季節がめぐり、春が来た。
相方のお母さんもわたしの母も八十をこえてから「痛い」「しんどい」がとたんに増えた。それでも、ちょっとしゃべって笑ってるうちに 声に張りが戻って来ることも多くて。ほっとしたり「なぁんや。元気やん~」と思ったり。けど、年を重ねることの深さも重さも、けっして遠い「他人事」ではないんよね。

▲いつか、いつかと、母がわが家に来るのを待ってる間に、下の子がわたしの背丈を越したんよ~と話したら、「ええっ~ちょっと見ん間にそんな大きいなったん?顔みたいわあ」と言うので、こっちから会いに行くことにした。
平日だし「吉野(山)の桜」にはまだちょっと早いからか、特急は二両きりだったけど、窓から見る近鉄沿線にはあっちにもこっちにも桜の花が咲いており。茶っぽい山々の中に、ぽっとそこだけ灯りがともったみたいにピンクで、かいらしい。例年より10日は早い開花だそうだ。

▲吉野山の桜のうつくしさは「別格」として。
吉野でなくても、わたしは山の中にぽつんと在る桜がすきだ。時に妖しげ、時に可憐、時に楚々とした桜の木に惹きつけられる。
さて、いつものように川が見え始めると、窓際の空席に移動する。
春の川はきらきらひかって「ほら、ほら。川やで」と、年甲斐もなく はしゃぐハハに「見えてる」と思春期の子のつめたい返事。(しょぼん)
阿部野橋駅から1時間、六田(むだ)駅を過ぎるあたりになると、その景色に「ああ、吉野に帰ってきた」という気持ちになる。相変わらず電車は揺れて騒々しく走る。きぃーきぃー、がたんがたん という音を聞いてると、この小さな田舎まちを出ることばかり考えていた「わたしの思春期」がよみがえってくる。

▲家に着くと、母が電話で何度も言うてたとおり、庭の桜が咲き始めており、その淡いピンクの花びらも、つぼみの濃い色もとてもきれいだった。樹齢100年を優にこえる貫禄も格好もなかなかええ木だ。
母は会うなり「ほら、ほら、桜。きれいやろ。ほんまええ時に帰って来たわ~」と窓の外を指さす。
まるで「川がきれい」と同意を求めるだれかさん そのまんまなので思わず苦笑。
一年ぶりの孫の姿に「わあ、大きいなってぇ。ほんま大きいなったなぁ」と派手にハグして喜ぶ母が、かいらしい。
はずかし、照れくさいを堪えて、されるがままの思春期の少年(笑)も又。

▲何べんも言うてる気がするけど。
桜の季節はあんまりいい思い出がない。子どものときは、新学期やというのに家業が忙しくて母がかまってくれなくて、拗ねて。思春期の頃は日曜日というと「無理言うて皆にも(臨時雇いのひとたち)来てもろてるのに、家のモンが遊びに行ってどないするねん」と父に怒られ、出かけられなかったし。
ケッコンのことで父と大げんかしたのも桜の季節やったし。

▲そういえば、その頃 ちょうど岩崎宏美が歌ってた歌を友だちが「なんか くみちゃんらみたいやろ」と レコードを持って来てくれて。たしか父親に結婚反対されている恋人たちの歌で、♪桜の花はもう六分咲き~というんだった。
何ていう歌か忘れたけど~ と、何年か前に ひこ・田中さん(なぜか岩崎宏美にくわしい!)へのメールに書いたら、ソッコウ「ロマンチックですなあ。それは『春おぼろ』です」と歌を送ってくれはった。(まさか二十数年ぶりにこの歌聴けるやなんて、ね。びっくりするやら、うれしいやら、気はずかしいやら・・)

▲母や姉ともこのあたりのことが話題にのぼって、ほんま冷や汗モンだ。
『いもうとのままに老いたり桜餅』(平沢陽子「詩歌句」所載)というすきな句があるんだけれど。吉野に帰ると、50すぎのおばちゃんも アマエタの末っ子のくみちゃんのままなのである。
話しても話しても、崩れることのない話の山に 退屈したのか、呆れたのか、いつのまにか息子はテレビで高校野球を見ていた。

▲そうして気がつけば、もう帰る時間になって。
橋を渡ったところまで母が送ってくれる。ここはかつて吉野川の三大渡しのひとつ「桜の渡し」とよばれたところだ。
「また、帰って来てや」という母が、何度ふりかえってもそこに立っているのが、うれしくて、さびしかった。その昔は橋ひとつ渡る時間もなくて「ごめんやけど、ここで」と仕事に戻る働き者やったから。「また、大阪にも来てや」と返事して手を振った。
行きは つんつんしてた息子と帰り道はいっぱい話しながら駅まで二人ならんで歩いた。
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by bacuminnote | 2008-04-02 22:07 | 出かける