いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2008年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

そも、何か。

▲雨の日の草がすきやから、今日は朝から何度も窓辺に立つ。
ぬれたそれは圧倒的な緑色で、あらためて草が生き物だと感じてなんだかどきんとする。
日々すごい勢いで 地面を覆い尽くすように増えてゆくドクダミもこんな雨の日は、はっとするほどうつくしい。その濃い緑の葉っぱも、白十字も。そうそう、わたしがずっと花だと思ってた「白十字」は苞・ほう(葉の変形したもの)というもので、花は黄色い穂状の芯の部分なんだって。しらんかったなぁ。
ああ、それにしても。
庭に自慢できる花のひとつもなくて、草やドクダミに見入ってるやなんてねぇ・・・と ひとり苦笑しながらも、飽きずに又窓の外の草を眺める。

▲週末には義母も快復。無事退院したので、わたしたちもいつもの生活にもどった。
久しぶりに病院に詰めて印象深かったのは、病棟の看護師さんのつねに廊下を走るような忙しさだ。とりわけ人数が少なくなる夜間は、ほんまたいへんそうで。「呼んでも、なかなか来てくれへん」とこぼす義母に「後回しになるっていうのは、それだけお義母さんが よくなってるって事やから」と返事しながらも、何年か前の病院(今回の病院じゃないんだけど)とは目にみえて看護師さんが少なく感じた。

▲ここ二週間近くはニュース見ても、本を読んでも、音楽聴いても、なんかどこか上滑りで入ってこなかったし、レンタルビデオも見ないまま返してしもたし。
そういうわけで、今日は朝からあれやこれや読んだり、聴いたり。そして考え込んだり。
まずは時々ここでも書いている『先見日記』を。目次に 渡辺保史さんの日記の「宇宙基本法」というタイトルを見つけて、あれっ?と思って(いつもは政治的なことは書いていない方なので)読んだ。

▲『「あの時、もっとちゃんと議論していれば、こんなコトにはならなかったんだ」――後でこんなことを言う人が出てこないことを祈るばかりです。』
と、日記冒頭にあるように、とても大事なことが、殆どの人の中で波風も立てないうちに、なんかわからんうちに(このことに限らず)次々と「成立」し「始動」するのはこわい。何より「ああ、また通ったのか」と慣れっこになるのはもっとこわいと思う。

▲ほんまに人間とはつくづくどうしようもない、懲りない生き物だ。どのニュースにも、どのニュースにも、深くため息ばかりついてしまう。
そう言えば、何年か前に辺見庸氏の『永遠の不服従のために』という本を読んだ。講談社HPによると『愚かな時代を生きるための「抵抗」術を、孤高の知性が輝きを放つ言葉で綴る、闘いの書』とある。

▲この本にはいろいろ引きたいところあるのだけれど、一番心に残っているのは氏が埴谷雄高著『罠と拍車』で出会ったというフルク・グレヴィルの戯曲「ムスタファ」の詩句だ。

「おお、堪えがたき人間の条件よ。
一つの法則の下に生まれながら、他の法則に縛られて、
虚しく生まれながら、虚しさを禁じられ、
病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて、
かくも相反する法則によるとせば、自然の意味とは、そも何か。」
[PR]
by bacuminnote | 2008-05-27 00:03 | 本をよむ

おいしおます。

▲相方の友だちの畑名人がえんどう豆をどっさり届けてくれたので、今夜は豆ごはん。サヤを開けると、つやつやの青い豆がお行儀よく並んでて、いつもこれ見ると赤ちゃんのかいらしい足の指を思い出す。
炊きたてのあつあつをおしゃもじから掌に取って、ワイルドに頬張るのもウマイし。
もちろん、お茶碗にもいっぱい。お代わりもして。次の日のつめたくなったご飯で おにぎり(→わたし)にお茶漬け(→相方)もおいしい。

▲この日はざるいっぱいの取り立て苺もいただいた。
ときどき忘れてしまいそうになるけど、本来 苺は五月のくだものだったんよね。親子三人ざるを囲み、黙々とたべる。もちろん水で洗っただけ。何もつけない。畑でもいだ苺そのままの味。うう~うまい。
こういう「季節の贈り物」のできる人になれるといいなあ、と思いながら、相変わらずいただくばかりのわたしたちなんだけど。

▲えんどう豆というと、ちょっとほろ苦い思い出がある。
まだケッコンしたての頃、相方の両親が旅行の間、おばあちゃん一人になるのでわたしたちが親の家に留守番に、となった。で、今日は帰って来るという日に、義母の好物のえんどう豆を煮ようと思った。それまでも親の家に来て、料理を手伝うことは何度もあったけれど、わたし一人だけでみんなの食事の支度をするのは、もしかしたらその時が初めてだったかもしれない。
他に作ったものが思い出せないんだけど、とにかく『きょうの料理』を見ながら作ったえんどう豆の甘煮を見て「やあ、ウチの好物作ってくれてんねえ」と大喜びの義母に、わたしが何度も味見してたのを見ていたおばあちゃんも「よかったなあ」と言ってくれた。

▲ところが一口食べるや「これ、水くさいなあ」と言わはって お箸は次のお皿にうつったのだった。
「水くさい」は親しい間柄なのによそよそしいというのと、大阪弁では料理の味付けが水っぽいとか、薄すぎるという意味があって、もちろんこの場合後者である。
義母は甘い目にしっかり味付けしたお豆さんがすきだったのだ。
まだ24、5歳の頃のことで、わたしも若く、傷つきやすい年頃で(苦笑)これは、もう非常にこたえたのであった。

▲けど、考えてみたら
普段から義父も相方も義母の料理に容赦なく「これ、あかんなあ」「おいしないなぁ」などとバンバン言うのである。つまりはそういう家風なんよね。わたしの実家では、父も母も料理人だったからか、そんな台詞はちょっと許されないような空気だったし。しかも忙しい中、時間やりくりして母が作ってくれてるの見てるし、とても文句など言いようがないのである。
が、相方の家では、言われた義母の方もまるで動じることなく、こう返す。
「そうでっか~ ウチには おいしおます」
ケッコンして来年で30年にもなるけど、残念ながらわたしはまだ義母のこの堂々たる領域には達してなくて、家族に作ったものを けなされると相変わらず大人げなく むくれたりしてる。

▲そんな威勢のよかった義母もここ数年急に老け込んだ。
この間はおもいがけず入院して、それだけでもびっくりしてたのに、翌日には緊急手術になった。寝間着二枚に腹帯二組、バスタオルにフィットパンツに・・と看護師さんから準備する物を告げられ、メモしながら「落ち着いて、落ち着いて」と言い聞かせた。
幸い手術もその後の経過もよく、あとは「日にち薬」で、よくなっていくのだろう。
でも、今日も病室から帰るとき手を合わして「ありがとう。ありがとう」となんべんも繰り返す義母に あの「ウチには おいしおます」の元気がなくて わたしはさびしい。
[PR]
by bacuminnote | 2008-05-18 22:00 | たべる

すべてのこどもたちに。

▲いつまでも窓の外が明るいので、機嫌よく掘りごたつに足つっこんで(もちろん電気はオフ。これからの季節は、ここに足を入れるとひんやりして気持ちいい)寝ころんで本に読みふけっていたら、5時をとうに過ぎていてびっくり。いつまでも冬のような気分ですごしていたら調子がくるう。
体調も然り、である。暑かったり肌寒かったり時々刻々変化の春に、からだがついてゆけなかったのか、連休の間はずっと風邪で寝込んでいた。あんなに長いこと 起きあがれなかったのは初めてかもしれない。ちょっとくやしい気もするけれど、その回復が遅いのは 姉や友人もみな口を揃えて言うようにやっぱり「年のせい」なんやろな。

▲ほんまにしんどい時は食べ物も、人の話し声も、音楽も受け付けられないし、本も読めないんだけれど。
ちょっと元気が出てくると、台所から ああでもない、こうでもないと相方と息子がご飯の支度する物音や、どこか遠くで幼い子のはしゃぐ声も、それに道路を走る車のごぉーっという音さえも「もぉ、うるさいなあ」ではなく愛おしいようなきもちになる。
そうして、子どもの頃の「たいしてしんどい訳じゃなかったけどガッコを休んだ日」のちょっとだるいような、昼下がりの長い時間と、そんな日には飲ませてくれたサイダーの鼻につんとくるあの感じを思い出したり。
ああ、治ってよかったな。何より元気になるまでゆっくり寝ていられることが ほんまにありがたい。病気になっても回復するまでゆっくり休める、そんな「当たり前」のことが かなわない人がどれだけたくさんいることだろうと思いつつ。

▲さて、そんなこんなで「子どもの日」に書こうとしていたことが遅れてしまったのだけれど。
先日インターネットで調べ物してるときに「児童憲章」に出会った。
初めてわたしが児童憲章なるものを知ったのは28年前のことだ。
市役所でもらった『母子健康手帳』をさっそく帰りのバスの中でぱらぱら見ていたら、裏表紙に書いてあるのを見つけて、胸があつくなった。
だけど、もう長いことその存在すら忘れそうになっていたので、改めて何度も読み返しやっぱりじんときた。

▲敗戦後の混乱や窮乏の残る1951年に、子どもの自由と開放をめざしてこんな憲章が発布されたなんて。ほんとうにすばらしい。
だけど、いま、この環境を保証されている子どもたちがどれくらいいるのだろうか。子どもにとって「当たり前」の環境のはずが、その現実はあまりに遠くて(遠すぎて)かえって虚しく思えたり、考え込んでしまう。いや、でも、だからこそ、忘れないように、全文を書いてみようとおもう。

▲われわれは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んじられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる

一、すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二、すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三、すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四、すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果すように、みちびかれ る。
五、すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六、すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七、すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八、すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九、すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
十、すべての児童は、虐待、酷使、放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一、すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不十分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二、すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

1951年(昭和26年)5月5日制定


*追記*

児童憲章について 
『この児童憲章とは、すべての児童の幸福をはかるために、児童の基本的人権を社会全体が自覚、確認し、その実現に努力する目的でつくられた12か条の文章です。1949(昭和24)年中央児童福祉審議会で制定しようという意見が出て、これをきっかけに直ちに児童憲章制定準備委員会が設立、1951( 昭和26)年には、55名で構成された児童憲章草案準備会の手で草案が練られました。この草案を、内閣総理大臣が、国民各層から選んだ協議員からなる児童憲章制定会議に提出し、その決議を経て、その年の5月5日、子どもの日に宣言されました。ただし、法律として国会において制定されたものではありません』 「大人のために児童憲章」求龍堂刊 より
[PR]
by bacuminnote | 2008-05-08 20:44