いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2008年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲この間ひさしぶりに大根の煮物をつくったら、しみじみとうまかった。この夏はほんとに暑くて、台所で火の前にたつのは苦行のようで、いい加減にすませることも多かったんだけど。
そろそろ「いつものご飯」かな。日中はまだ暑いものの、窓の外は空の色も雲のかたちも吹く風も、かくじつに次の季節に踏み出しているし。

▲そういうわけで、今日は夕飯の支度と同時進行で明日用の「おでん」を。だしをとって、大根や里芋の下ゆで、こんにゃくのアク抜き・・・。炊飯器からは湯気があがり、ヘルシオでさんまを焼いて、ガス台ではかぼちゃを煮て、小松菜をゆがいていたら、台所はものすごい熱気で汗びっしょり。やっぱり、おでんはまだ時期尚早やったかなあ、と思いながら、がまんできずにぐいっと飲んだビールの ああ なんておいしいこと!

▲そうそう、前回の「旅」話で書きそびれていたことひとつ。
いつだったか地下街を歩いていたら、前をサラリーマン風の二人連れが歩いていて「あのなあ、だいたいホスピタリティというのはな、こっちが気がついたことを何か相手にする、というんやないねん。お客さまが望んではることを望み通りに、して差し上げると言うこっちゃ」という大きな声が聞こえた。

▲別に後ろに張り付いているわけじゃないけど。ついつい「ほほお、それで?」と「聞こえる」んじゃなく「聞き耳をたててみる」(苦笑)
だいたいこのおっちゃんの説教、声も大きいしちょっと芝居がかってたんだけど、連れの新人とおぼしき若いコがまた、わかったのか、あるいはわからんけど面倒くさいからか、話が終わらないうちに「そうかぁ。そうですよねぇ」と早々と相づちを打っているのが「望んではることを望み通りに、して差し上げる」をさっそく実践しているみたいでおかしかった。

▲ちょっと調べたいことがあって、ここんとこ「旅館」関係の本を読んでいた。そしたら、出てくる、出てくる「おもてなしの心」「さりげない心遣い」という言葉。ちょっともう満腹状態で、ふと、そういえばと件の「ホスピタリティーおっちゃん」の事を思い出したのだった。

▲この前も書いたけど、いまや旅先のことはほとんどがインターネット上で再現されていて、旅館やお店に関していえばホームページに書いてないことでも、その利用者によるくわしいレポートがブログ上で写真やときに動画で発表されており。アップされるや、瞬時にその旅の詳細は皆の知るところとなる。だから、いい評判も悪しき評判もそんな風にあっというまに伝わる。

▲着心地のいい上等な寝間着も、部屋のあちこちに趣味よく生けられた花や、残ったごはんで作ってくれるおむすびも。そうして帰るときには何回振り返ってもそこに立って見送る主とか・・・。ただ、そういう「心遣い」も「おもてなし」も「書かれる」ことで、次に訪れる人の期待となって「さりげなさ」は、だんだん遠くなる気がするんだけど。そしてサービスは「お客さまが望んで」はらへん ことまで ひろがってゆく、そんな気もする。

▲さて。
これを書いてるうちに「今日」は昨日になって、あと一日で八月もおわりだ。
いくつになっても、毎日が日曜的くらしでも(苦笑)夏休みのおわりは、いつもなんだかさびしい。
以前も紹介したことのある映画 『藍色夏恋』の中で高校生の男の子と女の子が夏休みのあいだじゅう「ただ走り回るばかりで何もしなかった~」と話す好きな場面がある。その昔なら、当たり前のことのように聞いたかもしれないこのセリフも「ただ走り回る」なんてことができなくなっ今、その若さがちょっとまぶしい。

▲この夏、読んで ふかく残った本 『あなたはそっとやってくる』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳)もこれくらいの年頃の男の子と女の子の話。つらいけど、心の奥までしみいるような物語りの最後のページにはこんな一節が。
『時間はゆっくりと静かにやってきます。
 そしてしばらくのあいだ、そばにいてくれます。
 でも、こっちがまだ支度さえできていないのに、
 もう過ぎ去って いってしまうのです。』
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by bacuminnote | 2008-08-31 00:37 | 本をよむ

いま ここにある。

▲今夏は開田高原にも「帰らなかった」し、ホントどこにも出かけていないので、よけいに暑くて(いや、暑いから出かける気が失せる、というのもあるのだけど)長い夏に思える。
その昔、滋賀でパン屋をやっていた頃は、夏は窯のジゴクの熱さに、仕事が終わったら夕飯の支度もそこそこに、皆で隣町の公営プールに汗を流しに・・・いや、泳ぎに行った。仕事が終わってからひと泳ぎやなんて、若かったんやなあ(笑)
そんな風だったから、店の夏休みなんて子どもよりも心待ちにして、海に山に、お金かからんとこばっかりだったけど、あちこち出かけて行ったものだ。

▲ただ一回ものすごいぜいたくな夏休みを送ったことがある。
それはカナダを横断した’90年の夏で、このときはなんと一ヶ月半も店を休んでの遠出だった。
その行程は大阪→韓国→NY→ピッツバーグ→トロント→ハンツビル→キングストン→ケベック→ガスペ半島→カルガリー→バンフ→ゴールデン→ジャスパー→カルガリー→バンクーバー→ビクトリア→ナナイモ→バンクーバー→大阪・・・と、いまこれを書き写しながら この移動をも楽しめた若さをしみじみ思うのだった(一日一カ所出かけるだけでひいひい言うてる今のわたしからは まぶしいくらいである・・笑)

▲けど、わたしらフウフはともかくとして、この出たとこ勝負の「低予算」旅行は当時10才(小4)の長男にとっては、楽しいというよりハードな経験だったかもしれない。余分なお金はないわ、親の英語力と言ったら中学1、2年程度やしね(←3年が抜けているところが重要・・苦笑)
まずホテルの予約がその日一番の大仕事で。公衆電話でしどろもどろながら大奮闘のわたし。地図ひろげ場所を確認しつつ、長引く交渉に(笑)近くのコインランドリーに両替に走る相方。電話の近く、緊張の面持ちで荷物番の息子。

▲ほんま謙遜でも冗談でもなく、あるのは相方の度胸とわたしの愛嬌、そして息子の笑顔と忍耐力。来る日も来る日もホットドッグ食べて。
それでも、伊丹空港着陸のアナウンスに、機内の三人はそろって溜め息をついて同時にこう言い合った。「もう帰って来てしもたなあ」「また、行こうな」「ぜったい行こな」

▲開田高原に越したのはその翌年のこと。
そこは気候も自然もカナダみたいだったから。
くわえて、13年ぶりの赤ちゃん誕生や、もういろいろありすぎて。海外どころか国内旅行もまったくしなくなったから、このときの旅はよけいに思い出深い。そうそう、この後しばらくして、長男は地球をぐるぐる何周もするようになる。

▲前に新聞で写真家の 石川直樹さんの「旅とはなにか」という文章を読んだ。(朝日新聞’08.4.12「異見新言」)
どんな場所のことも瞬時にいろいろ調べられるようになった現代において、一般的な観光旅行は、ガイドブックなどに紹介された場所をなぞる行為になっている。そこには実際に見たり触れたりする喜びはあるだろうが、あらかじめ知り得ていた情報を大きく逸脱することはない。
一方、そうした旅行から離れて、旅を続ける人がいることも事実である。ここでいう「旅」とは決められたスケジュール通りに地名から地名へと移動することではなく、精神的な営みをも含んでいる


▲彼はこうも言う。
例えば人を好きになること、新しい仕事を始めること、一つの研究に没頭すること、生まれ育った土地を離れること、結婚したり子育てをしたりすること、そうした営みはすべて旅の一部なのだ》と。
そうかもしれない。
あのちっともスマートじゃなかったかつての長旅も、そして、どこにも行かなかったけれど開田高原で暮らした時間もまた。パスポートの用紙が足りなくなるほど あちこちに行った上の子も、今はまだ本州以外の所に行ったことがない下の子にも。「旅のフィールドは、ここやあそこではなく、目の前に、今ここにあるのだ」から。
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by bacuminnote | 2008-08-18 23:19 | 出かける
▲クーラーのよくきいた電車から降りて、駅のエレベーターに乗り込んだら(足が弱いもんで・・)熱気で眼鏡が曇る。乗り合わせた同じく眼鏡の年輩の女性と思わず顔見合わせて「暑いですねえ」と言う。この誰彼かまわず、つい口にしてしまう「暑さ」だけど、そんな中にもここ数日はふっと涼しい風をかんじることもあって。ああ、でも秋は近く遠い、んよね。

▲先日、若い友だちが子どもを連れてあそびに来てくれた。山暮らしのころの夏休みを思えば、ひっそりと暑い(苦笑)大阪暮らしだけれど、こうして友だちが時々訪ねてくれるのは ほんまうれしい。
それに。小さなお客サンなんて、ほんまに久しぶりで。
ごはんは何作ろうか、何を用意しよか、と何日も前からそわそわ。もう長い間 寄ることもなかったおもちゃ売り場をちらりのぞいたり、大人のお客の時よりちょっとだけ丁寧に掃除機をかけたり、ね。

▲さて、その子はピンクのかわいいリュック背負って、麦わら帽子をかぶってやってきた。駅で出迎えて いきなり手をつないで歩こうとする初めてのおばちゃんを嫌がりもせず、ぎゅっとにぎり返してくれるちっちゃな手に感涙。
絵を描いたり、ハンコ遊びのあと「もういっかい」「もういっかい」とせがまれ 繰り返し読む絵本もなつかし。
「まんまる おつきさま こんばんは こんばんは」一緒に声に出して何度も読んだこのフレーズがいまも耳に残ってる。

▲子どもってすごいなあ。たった2年半でこんなにもいろんなことができるんだ~と、ちょうど50 年上の! おばちゃんはしみじみと思うのだった。
というか、息子たちが子どもだった頃の時間は どんどん遠くなって、いろんなこと、ほんまにたくさん忘れてしまってる、と気がついた。
この日もやっぱり暑い一日だったけど、さわやかな風がすーっと窓からすべりこんだような いい時間だった。
Sちゃん、またあそんください。

▲夏休みだからか、いつも行くショッピングセンターでも親子連れの姿が目立つ。そして、そのほとんどは「ほのぼの」からも「ほんわか」からもほど遠く、子どもが親に叱られている。何にもなくても腹立たしいようなこの暑さやし、親がかっかするのも わからんでもないけど。
汗だくで、肩ふるわせて泣いてママのあとを追う子どもや、その手にもった溶けかけのアイスみてたら、なんかこっちまで怒られてる気分で、うなだれてしまう。

▲「もう、勝手にしなさい」と言われて、ほんまに「好き勝手できる子」なんて、たぶんいてないし。理不尽、と思っても、子どもはしばらくの間 大人のあと着いてゆくしかないし。 だから『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン作)の強さや自由にあこがれる。
かつては同じように何度もかっか怒ってたこと あるくせに。
今はそんな様子をみて、ついつい ちっちゃい子の味方したくなるのは 年のせいやろか。
いや、あまりに世の中がひどいからやろか。
『なにより大切なのは子どもが元気で楽しくいること』(『子どもとゆく』より)

*追記
だいすきだった『子どもとゆく』は2007年4月/ 224号で終刊。
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by bacuminnote | 2008-08-07 11:09 | 本をよむ