いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

<   2008年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲朝からの雷雨がうそのように、しずかな午後。窓を開けると雨あがりのひんやりした風が半袖姿には寒くて、あわてて閉める。もう、秋だ。
毎日毎日、これでもかというようにひどいニュースが流れて。
「おもしろくもないのに大騒ぎしている番組やら、信じられないような事件やら。もうテレビなんか見たくない」と、母が電話で嘆いていたけれど。とりわけ「食」の偽装問題は、かつては母が、それにちょっと前まではウチも「食」にかかわる仕事をして来た者としても唸ってしまう。

▲先日、ちょっと見たい記事があって季刊誌 『うかたま』のバックナンバーを図書館で借りてきたのだけれど。
08.4.1発行のこの号に、工業用米の流通のことが書かれていて、再び唸る。すでに関係者には、この時期(もっと前に?)にわかっていたのだろう。そして、そういうことは十分に「あり得る」事として予想していた人も少なからずいたのだろう。ちょっと長くなるけれど引用してみる。(『うかたまvol.10』「食品表示は信用できない!?」魚柄仁之助 p88~p89)

▲『偽装をみぬくためにDNAチェックをやるべきだという一見正義の味方の意見もあるが、これがまたやっかいである。日本で種苗登録された苺の「とちおとめ」や、米の「コシヒカリ」。これらの苗や種モミがこそっと海外に持ち出され、中国、韓国、米国、豪州などで、違法栽培されている。そのニセ「とちおとめ」や「コシヒカリ」が日本に輸入されておる。DNAチェックをすればまちがいなく「ホンモノ」と出る。そしてパッケージには、栃木産とちおとめ、などと表示される。
食用米とは異なる基準で定められている工業米は、食用米より安く流通されるのだが、これだってDNAを調べりゃ食用米と同じなの。しかし工業用だから殺虫剤なども使い放題なんですな。これらが、食用の銘柄米として偽装されておる例もある。だからDNA等の検査を国がやれば食の安全が保たれる・・・などと思うのはとんでもないお人よしといえるのです』

▲混乱気味のわたしだけど、だからといって
何を信じていいかわからない、とか、そんなん言ってたら何も食べられなくなる、とか言って「考えること」を放棄しないようにしようと思う。魚柄氏は『生産者から生産物を適正な価格で買い取る加工・流通業者→それを適正な価格で買い支える消費者。この三者間の信頼関係が、食の安全を担保できるのです』と言う。
そもそも「適正な価格」も「信頼関係」というのも「商い」の基本なんだけどね。

▲話はかわって。
この間 『子どもの涙』という本を再読した。(わたしが読んだのは柏書房刊・リンク先は小学館の文庫版です)副題「ある在日朝鮮人の読書遍歴」のとおり、徐京植さんが子どもの頃から青年期まで読んだ本を何冊か取り上げ、一冊ごとに読んだ頃のこと、その本の周辺のことを書いたエッセイ集だ。最初に読んだのは出版されてすぐだったので、もう13年も前のことになる。信州から大阪に越して来るときに多くの本は貰ってもらったり、処分してきたけど、この本は「また読むかもしれない」と箱に入れたのだと思うが、捨てずに持ってきてほんとうによかった。
本を読むという「ひとりの時間」が、どんなにか深く、豊かで、広がりを持つものなのか、をあらためて思った。

▲紹介される本も興味深いし、そのエピソードについても書きたいことがいっぱいある。
その中のひとつ。徐京植さんが中学時代の英語の時間の話である。彼は中学入学を機に、それまでの通名でなく、姓だけは本名を名のることにした。始まったばかりの英語の授業でI am a Japanese.という文章を習い、教室では ならんだ順番に列の先頭から先生の口まねをして「アイ・アム・ア・ジャパニーズ」と繰り返す。

▲やがて順番は徐京植少年になったのだが。
『わたしは口を閉じたまま一言も発することができなかった。教室中の視線を感じた。どうしたんだ、簡単じゃないか、と再三にわたって先生に促されて、わたしは意を決して口を開いた。「でも、ぼくは日本人と違うし・・・・」 わたしはまだ、「朝鮮人」というのを英語でどう言うか知らなかったのである。先生はわたしにKoreanという単語を教えてくれる代わりに、英語の授業中は余計なことを持ち出さずに自分の指示どおりにせよと不快そうに言った』(『子どもの涙』より p87~p88「いやな奴 / 太宰治『思ひ出』」)

▲こうして書き写していても、順番を待つ徐京植少年の緊張も「余計なこと」と言い放つ教師に対してのたまらない思いも、じんじん伝わるようでくるしい。
この先生がたったひとことKoreanと教えたら、少年は「学ぶ」ことの意味も、自由も、よろこびも、どんなにか感じただろうに。誇りをもってI am a Korean.と言えただろうに。読み返す度に「教育」とは何なのだ、と思う。

▲この本のタイトルはエーリッヒ・ケストナー 『飛ぶ教室』からの引用だ。
『どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころのことをすっかり忘れることができるのでしょう? そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?
(中略)子どもの涙はけっしておとなの涙よりちいさいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません』
[PR]
by bacuminnote | 2008-09-26 16:53 | 本をよむ

あんぱん ひとつ。

▲よしの へ向かう朝はいつも決まってねぶそく気味だ。
どこに行くにも支度に時間のかかるわたしやからか、日頃緊張感のない生活を送っているから、たいてい朝早い出発となるからか、それとも何度もリュックの中を確かめる遠足前の子どものように、あれもこれも、とバッグの中のものを出したり入れたり、気分が高揚しているせいか。
ようやっとバッグのファスナーを閉めて床についてからも、いろんなことが浮かんでは消え、うとうとしてはまた目が覚めて。とうとう朝になった。まどの外、ひとつ咲いたあさがおの紺色がきれいだった。
『朝顔の紺の彼方の月日かな』(石田波郷『風切』所収)

▲そんなわけで、またもや寝足りないぼーっとした顔や頭のまんま、先週末、叔母の一周忌でよしのに向かった。
急逝のしらせが信じられなくて「どうして自分は今この電車に乗っているのだろう」と、ふしぎな気持ちで近鉄特急に乗った日から、もう一年たった。あの日、主をうしなった家の食卓に 残されたあんぱんが とてもかなしかったので。
あんぱんひとつ 持って来た。

▲家を出るときに降り始めた大粒の雨がうそのように、よしのはからりと晴れて暑いくらいだった。駅まで姉夫婦が迎えに来てくれて、車で細い道をどんどん上るとお寺がある。
開け放たれた本堂で、何台もの扇風機がくるくると回って。
お坊さんのよく響く声の読経に耳を傾ける。外はみごとな秋晴れで、ご近所の草刈り器のうぃーん、うぃーんという音が重なる。ときどき山の風がすぅーいとやってきた。経本を手に、目はお経を追っているつもりが思いはあちこちへと飛んでゆく。

▲長いときは10年も帰らなかったジッカだけど、大阪に戻ってからはなんべんも帰る。何の根拠もなく、ずっと続くように思っている母との時間にも、いつか終わりの時が来るんやなあ。
そんなことをおもい始めると、ふっと気になって傍ら読経の母の横顔を見る。そのチカラのある目の光や、85になっても衰えることのない好奇心と負けん気のつよさを思って、娘はちょっとほこらしい。
おかあさん、まだまだいっぱい話 しような。まだまだいっぱい吉野の話 聞かせてちょうだい。

▲甘いもん好きの叔母のお供えものは、やっぱり甘いもん。
お下がりに『夜の梅』と、故郷でいちばんうまい甘いもん「こばしのやきもち」をもらった。帰途、姉と別れてからも、叔母のこと、叔母にかわいがってもらったこどもの頃のことを思い出していた。あざやかに思い出せることも、靄がかかったような思い出も、こぼれ落ちた思い出も。みんなみんないつのまにか夢の中。「あべのばし、あべのばし」のアナウンスに飛び起きるのだった。
[PR]
by bacuminnote | 2008-09-16 20:39 | たべる

September!

▲中学校の英語で12ヶ月の単語を習ったとき、一番気に入ったのはseptemberだった。
その響きと口の動きがすきでセプテンバー、セプテンバーと声にだしながら少女は(←わたし)何度もノートにその綴りを書いた。それなのに、よりによって夏休みが終わってガッコが始まるのもセプテンバーの一日目で。やり残した宿題や、休み中できなかった前方倒立回転も、言えなくて飲み込んだ「スキデス」も。その始まりからしていっぱいの「後悔」を引き連れていたけれど。
今朝 庭に咲く九月のあさがおの清々しいブルーに、とつぜんseptemberのスペルが浮かんで、なんだかどきんとするのだった。

▲この間のこと。信州暮らしの頃のご近所さんがトマトや野菜を送ってくれはった。開田の野菜はとうもろこしも白菜も開田ウリ(普通のきゅうりよりちょっと太短い)もおいしいんだけど、ここのお家のトマトは絶品。開田村に住んでいた頃も山盛りの完熟トマトをいただくと決まってトマトソースを作っては冷凍保存した。そのソースを料理に使うと息子が「あ、これは○さんのトマトだね」といつも言い当てたっけ。

▲すぐ食べる、その日に食べる、というのと 「急ぎ」じゃないものを作るときって、同じ台所に立つにも「きもち」がちがう。はじめは「めんどうくさいなあ」と思いながらの作業も、いつのまにか頭のなかがからっぽになって、そのうち部屋じゅう、家じゅうに「おいしいもん」のにおいが充満しだすと「ああ、作ってよかったな」、こういうのが「ぜいたくな時間」って言うんやろな、と思う。
あ、けど、このあと静かにしていられなくて、家族に母に友だちに「なあ、聞いて、聞いて。今日は○○炊いてん」とか言うて自慢しまくるあたりがわたしの小さい(苦笑)とこなんやけど。
前に読んだ本の中に「贅沢というのは、欲望を達成することではなくて、目標や効率などに関係なく生きることだろう」とあったのを思い出す。(『元気がなくてもええやんか』森 毅 作・青土社 刊)

▲さて、トマトのお礼の電話をかけると、はじめにご主人が出て来はって「おひさしぶり~」と近況を話した後「大阪は暑かったろう。どうだね、もう一回こっちに引っ越して来んかね」と言ってくれはった。
久々のゆっくりとあたたかい開田ことばに、あの顔、この顔、あの山、あの川・・・浮かんでくるものもいっぱいで。ちょっと泣きそうになった。何より、もう大阪に戻って丸四年がすぎた今もそんな風に声をかけてくださる方があって、うれしくてうれしくて。
ほんま心からおおきにです。

▲つづいて、おつれあいに受話器がバトンタッチされると、ブランクの時も忘れ(今夏は「帰れ」なかったし)ソッコウかけ合い漫才よろしく大笑いの会話が始まる。ああ、こうして彼女と畑のそばで、家の前で、集まりの席で、若いコみたいにきゃっきゃっ笑い転げて話したなあ、となつかしい。そうして「麦麦さんのパンが恋しいよぉ」ということばに、またまたうるうるしてしまうのだった。
そういえば、開田村に引っ越したのはちょうど今時分だ。やっぱりご近所からもらった蒸したてのトウモロコシがあまくおいしかった。
もう17年も前のことになる。
[PR]
by bacuminnote | 2008-09-10 14:47 | 開田村のころ