いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2008年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲ちょっと前までは、デパートの秋冬ものをただ見ているだけでも暑苦しく感じたのに。今日は買い物帰りに、マフラーやショールの売り場で立ち止まってしまった。
赤や明るい色に手が伸びるのは、灰色の世の中や今日のお天気のせい?それとも、わたしの年ゆえか。
で、見るだけのつもりが、魔が差したのか(苦笑)高校生みたいな赤いチェックのマフラーを買ってしまった。

▲わたしの中高生くらいの頃はまだ 手編みのマフラーを彼に、というのが「愛の贈り物」ナンバーワンだったんよね。だけど、その頃のわたしは「手編みのマフラーなんか
貰ったら 重たいで」と かわいげのない事を言うており。いや、そもそも縫う、編む、は大の苦手。もっと重要な事は そんな贈り物をする相手もいなかったんだから、ほんま お話にならんのやけど。
教室の窓辺 秋のやわらかな光のなか、器用に編み針を動かすクラスメイトを「すごいなあ」と「なんやのん」の入り混じったきもちで、ちょっと離れたところから眺めていたことを思いだした。

▲そういえば、たしか中学の家庭科の授業に「編み物」の単元があって。(まだ男子は技術家庭科、女子は家庭科、と男女別の授業の時代だ)このときばかりは「眺めて」ばかりもいられず。その苦行のような時間は、理科や数学以上だったかもしれない。
とにかく授業中は必死でがんばってるフリをし、家に帰ると忙しい母に無理を言って手伝ってもらって宿題をしていく、ということを繰り返していた気がする。そのうち「単元」がおわるだろうと思っていたら「まとめ」に、冬休みにはいろんな編み方を5cm四方で編み、台紙に貼り付けて出す、というわたしにしたら、ものすごく難易度の高い宿題が出た。

▲表編み、裏編み、ガーター編み、ゴム編み、メリヤス編み・・・
ああ、今これ書いてるだけで頭がくらくらしてくるなあ(泣)
ただでさえ忙しい年末年始に、こんな宿題を母に手伝ってもらえるわけもなく、何とか自分の力で、と決心したのもつかのま・・・クリスマス、大晦日、お正月、と 冬休みはせわしなく、たのしく、矢のように過ぎ。いよいよ明日は始業式、という日になった。

▲宿題は、チャレンジしてみたものの、やっぱりうまくいかず、ほったらかしたままになっていた。家のすぐ近く、何をするにも一緒だった一つ年上のNちゃんに話したら、彼女が去年同じように提出した宿題を出してきてくれた。台紙から彼女が編んだものをはがして、新しい台紙にはりつけたらどうやろ、という事になったのだ。
そして、几帳面で手先が器用な彼女は張り替え作業!までも(とろとろしているわたしを見ていられなくて)手伝ってくれた。
何故、正直に「できませんでした」が言えなかったのかなあ、と今になったら思うけれど。その家庭のセンセはそれはもうこわい存在で有名で、とてもそんなことを言い出せる空気じゃなかったのだろう。

▲40年近く経っても、そのときの(ズルをしてしまったという)晴れないきもちや、Nちゃんのあつい友情への感謝!や、きれいに貼り付けた台紙をあざやかに思い出す。
たしか毛糸はえび茶色だった。
その毛糸でお母さんが編まはったカーデーガン姿のNちゃんがうかぶ。
それにしても。
件の提出物、センセにはきっとバレバレだったのだろうな。

▲編み物と言えば、もうひとつ。
相方が修行のため、パン屋で働き始めた頃のこと。わたしは子ども服の会社の倉庫、物流センターにアルバイトに行っていたのだけど、仕事の初日に手渡されたのが、なんと編み針で。
倉庫でのピッキング(注文のあった商品を揃える)、検品、値札付け、というのが仕事内容のはずだったのに、と一瞬真っ青になった。(はずだ) あとから主任の説明で、それは値札付けに使うものだとわかった。

▲ジーンズや生地のしっかりしたものにはピストルと呼ばれる道具で、タグピンつけをするのだけれど、薄物やニットなどはボタンホールや首のネームに糸のついた値札やタグをひっかける。それにかぎ針を使うわけだ。
これは不器用なわたしでもすぐに慣れたので、ほっとした。今でも、ときどき買った服や下着に糸つきのタグを見ると、いつも作業服のポケットにかぎ針を入れていたあの頃のことをなつかしく思い出す。わたしのジンセイで一番長く編み針を握っていた時期だ。

▲さて、これを書いている間も、窓の外はつめたい雨が降り続く。えらく冷えるので昼食は熱々のにゅうめん。それに掘りごたつの準備もした。もう、10月もおわりなんやもんね。この時期、きまって書くことば『秋立ち 秋闌(た)て 秋仕舞う』(闌とは たけなわ、終わりに近づく という意味)そう、言うてる間にまた「ああ、寒ぅ」の季節がやってくる。マフラーの出番ももうすぐだ。
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by bacuminnote | 2008-10-26 13:21 | Comments(0)

おくればせの。

▲ようやく調子が戻ってきたかな、とほっとしていたら、こんどは息子が風邪でダウンしてしまった。そんなこんなで迷った末、よしの行きをやめることにした。受話器の向こう、母の「残念やけど、しゃあない。○ちゃん、だいじにしたってや」の声がちょっとせつない。

▲昨日は亡き父の二十三回忌だった。生きている間はなかよくした事よりけんかした事の方が多い父娘だった。それなのに、二十年を過ぎた今もなお、すぐそこにいるみたいに「おとうさんやったら、きっとこう言うやろなあ」と、相方との会話にも、たえず登場するほんまにしつこいおとうちゃんである (苦笑)

▲昨日は大阪でも終日つめたい雨が降り続いた。川のすぐそばにある実家はさぞかし冷え込んだことだろう。帰ることができなかったわたしは昨日ずっと家にいて、何度となく父のことをおもっていた。
だからというわけでもないのだけれど、インターネットで桂小米朝が五代目 桂米團治襲名のドキュメントをみつけたので観た。米朝さんは亡き父によく似ているのだ。そして、すっかり年とらはった姿をみていたら、不覚にも泣いてしまった。

▲64才と、今思えば若くして逝った父だけど、生きていたら米朝さんみたいな感じになっていたのかなあ。
お供えには父が一日何杯も飲んでいた紅茶を送ったのだけれど、それとは別に持って帰りたかったものがある。すきだったメロンパンだ。

▲相方がパン屋修行でおせわになった店のメロンパンというのが絶品で(残念ながら今はもうそのお店すらなくなった)肺癌で入院中の父を見舞うときに、よく持って行ったものだった。
元気なころには183cm余りあった父が、しぼんだ風船みたいに、こぢんまりとベッドの上に正座して、わたしたちに「また帰って来てや」と言う姿は、それまでの多くのけんかも腹立たしさもぜんぶぜんぶ忘れてしまってもいいぐらいに(忘れへんけど・・)かわいそうでやさしいものだった。

▲傍目にはわたしのことを「くみちゃん、くみちゃん」とにこやかに笑う大きなえくぼの「やさしそうなええお父さん」も、蓋を開けたら、わがままで、がんこで、短気。やたら怒りっぽいくせに、あかんたれ。そして何より究極のジコチュー。(書きながら 自分にもかぶさる事に唖然とするのだが)
望みの男の子が授からなかったからか、わたしたち四姉妹は抱っこしてもらった記憶も、手をつないで歩いたことも、おそらく一度もない。

▲親子というのは、ほんまにやっかいなもんである。
この間から 『シズコさん』(佐野洋子著・新潮社刊)と『おくればせの愛』 ペーター・ヘルトリング著・上田真而子訳・岩波書店刊)という二冊の本を読んだ。前者は母と娘の、後者(再読)は父と息子の重く、深く、そして時に切ない葛藤が描かれる。
佐野洋子さんが言う【肉親は知らなくてもいい事を知ってしまう集団なのだ。家族だからこそ互いによくも悪くも深いくさびを打ってしまうのだろう】(p154)には、しみじみ、そうかもしれない、そうだ、と思った。そして、ときどき忘れそうになるけれど、じつはこのわたし自身も欠点だらけの「親」であり、子どもにいろんな思いをさせてきているわけで。

▲『おくればせの愛』の「おくればせ」について、上田真而子さんが「訳者あとがき」でこう書いてはる。

【ヘルトリングは私が「おくればせ」と訳したこのタイトルの元のドイツ語(nachtragen)には次のように三つの意味がこめられていると言いました。「あとから届ける」「いつまでも怨みに思う」、そして「あとから付け加える」の三つです。この三つは独和辞典にもちゃんと載っていることですが、あらためて著者自身の口から父への思いをこめてはっきりそう言われてみると、その言葉の重みがひしひしと伝わって来たのを、訳しおえた今、また思いだしています。そしてそれをそのまま日本語に置き換えられないもどかしさを感じたことも。】(p254)

▲先述のドキュメントで、何度か映った米朝さんのちょっとさびしそうな笑顔に、この「おくればせの愛」という言葉を思いだしていた。
生きている間には、追いつけなかったから、わたしはあんなに嫌いで反抗ばかりした「おとうちゃん」を今もおもうのかもしれない。
なぁんて言うてたら「ほれ、おまえは口が動いたら すぐまた手が止まる。早う おとうちゃんに紅茶いれてんか~」と、遠いとこからぼやかれそうやけど。

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by bacuminnote | 2008-10-15 12:31 | 本をよむ | Comments(0)

ぼちぼちまいります。

▲せっかく、食べても、のんでも、読んでも、観ても、聴いても。そして夜更かしもまた愉しい秋がやってきたのに、思いがけずダウン。しっかり寝込んでしまった。
そういう「お年頃」なのか、今までだったら平気、持ち堪えられる、と思える疲れ(のはず)が、ある日突然 抱えきれなくなっている事に気づく。誰もが そうやって年とっていくんやから、と思いながらも ちょっとだけくやしい。

▲ものすごくしんどい時は物思う余裕もなかったけれど、少し具合がよくなると、「おはなし」の続きを考えたり、大好きな小沢昭一的俳句『疲労困ぱいの ぱいの字を引く 秋の暮れ』(『変哲』三月書房)なぁんて句を思い出したり。*「変哲」とは小沢氏の俳号。
そうそう、内田百間(けん)センセの『御馳走帖』読みたいと思いながら読んでないなあ、とか。子どもの時から弱い子やったし、お布団の中 あれこれおもう時間はきらいじゃない。

▲それに。
まめまめしく男ふたりが(←残念ながら? 相方と息子その2デス)洗濯物を干しながら「おい、今晩のめし何にする?」などと話してる様子を寝床で、聞くともなしに聞いているのは、なかなか ええもんで。
ところがよーく聞いてみると「夕飯 どこに食べに行こか?」とふたり喜々として相談しており、えっ? あれっ? わたしのは? と、病人だということ忘れて思わず身を起こして問い正す。「あ、けど、今日はどうせ何も食べられへんやろ」と返され それはもうごもっとも と、大人しく横になるのであった。

▲と、まあ、そんな一週間だったけど、昨日あたりから徐々に元気が出て来た。それと共に落ちた体重も、上げ膳据え膳・特別待遇もあっという間に元に戻って。
今日は久しぶりに エプロンのひもをきゅっと締めて台所に立った。
具だくさんの豚汁(お汁というより野菜のごろごろ煮のよう)と、みんな好きなちょっと上等の辛口塩鮭、小松菜のお浸しと分付きご飯。それだけやけど、どれもおいしかった。

▲そう言えば、上の息子が子どもの頃、友だちのお家で豚汁をごちそうになって。
帰って来るや開口一番「すごいねんで~○○さんとこの豚汁、野菜より豚肉の方が多かった」とコーフン気味に言うので大笑いしたことを思い出した。
息子よ、相変わらずウチの豚汁の豚肉は「だし」程度に少量ながら、それなりに(苦笑)うまい!
いつも忙しそうにしているけど、東京で今頃どんなものを食べているんやろか、そんなことを思いながらお椀いっぱいに豚汁をよそった。

▲声が出にくかったこともあって、ここ一週間ほんまにしゃべってない(気がする)ので、夕飯食べながら いっときも黙らないわたしに相方が「長いことしゃべってへんから、次々湧いて出てくるんやな~」と呆れたように笑うけど。ま、いきなりスピードあげたら、又こけそうやし。ぼちぼちまいります。
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by bacuminnote | 2008-10-05 19:56 | 本をよむ