いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2009年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ゆりの木。

▲昨日の「曇りのち雨」の暗い空が一転、今日は朝から透き通るような青空がひろがって きもちよかった。買い物に出たらやっぱりマスク、マスクの町。ちょっとは(目が)慣れたものの、ナンか、どこか、ちがう世界に迷い込んだようで落ち着かない。それに、マスク顔ってみんな不機嫌に見える。
そう言うわたしも毎年この時期は花粉症(イネ科)でマスクは手放せないんだけど、自分の吐いた息が熱を帯びてもあ~っと戻ってくるわ、眼鏡は曇るわ、の不快感。きっとわたしもこわい顔して歩いてるんやろな。

▲せっかくの上天気の中 そんなこんなでうっとうしい気分の帰り道、道沿いにつづくゆりの木を見上げる。
日々大きくなる葉っぱが五月の風にさわさわ揺れて、見え隠れしているのはクリーム色に朱色のラインの入った特徴のある花で、ちょうちん袖みたいにぷっくりしてかいらしい。そして、わんさか茂る掌形の葉っぱのまだ若いみどり色に、そのわずかなすきまからもれる空の水色にも、思わずマスクを外し買い物袋を下に置いて見入る。きれい!

▲この木の名前を知ったのは去年の5月のことだ。
ガッコで連休の間の課題として「木を(文章で)デッサンする」というのが出た。それは各自身近に観察できる木を選びデッサン(文章化)して、夏にはその変化を見ながら、こんどは原稿用紙二枚の超短編小説を書く、というものだったんだけど。
吉野で生まれ育ち、木曽で十数年も暮らしたクセに、わたしは木々にも草花にも疎くて。いつも「関心は自然より人やねん」と言うてごまかしてるけど、ちょっと情けないくらい 知らないことが多い。ほんまに あんな木だらけのところで、何見て大きいなってん?である。(そら「ひと」やろ~と、もう一人のわたしが答える・・苦笑)

▲で、その課題には唸った。
ここに越してからは一度も車の運転をしていないし、最近は自転車も乗らないから、たいていはあっち見て、こっち見て、ゆっくり歩いている。だけど街路樹はどの木も「木」でしかなかったんやろね。
ただ、そんなわたしにも名前は知らないが、なんとなく「いい感じ」という木はあったから、その木のことを書くことにした。

▲それは歩道橋の階段脇にそびえる木で、52段の階段をのぼってもなお 橋の手すりから二メートル近く上まで伸びる背の高い木だ。家に帰って相方に話すと「あの木は『ゆりの木』やで」と言うのでおどろいた。だって、わたし同様に(以上?)「知らん」人かと思ってたから。聞けば、ずいぶん前に散歩途中に木の名札が掛かっていたらしい。

▲そういうわけで、ここに越して5年目の春にその木の名前を知った。ふしぎなもので、名前のついた木はその日からわたしにとって ちょっととくべつな木になった。課題の「デッサン」には泣かされたけど、以来 歩道橋の階段をのぼるときも降りるときも、あるいは道沿いにつづくこの木の前で 立ち止まる。そして、今日のように荷物を置いて仰ぎ見て、そしてまた歩き出す。

▲それにしても。
こんなにも木に惹かれるのは、名前を知ったからか、まちで暮らすようになったからだろか。
そんなことを思いながら今日はひさしぶりに 『森の絵本』(長田弘・作 / 荒井良二・絵)をひらいてみる。開田村で住んでいた家の窓から見えた山がしみじみとこいしい夜だ。
『森が息しているのは ゆたかな沈黙です。
 森が生きているのは ゆたかな時間です。』(本文より)
[PR]
by bacuminnote | 2009-05-25 20:21 | 本をよむ

本代くれてありがとう。

▲めずらしく母から手紙が届いた。冒頭に「あなたの手紙が雑記帳からでてきて、読んでいたら胸があつくなりました」とあって、びっくりしたりとまどったり。娘として五十余年心配をかけてばかりだから、何を言われてもしゃあないなあとは思っている。でも、褒められたり「胸が熱く」なんて言われると逆に緊張するのであった。

▲「あなたの手紙」というのは いつだかの「母の日」に出したものらしいのだが、恥ずかしながら書いた本人はすっかり忘れてしまっている。で、その内容は「子どもの頃は育ててくれて、ありがとう。思春期には本代くれて、ありがとう・・・(と、つづいていく)」
というものだったとか。自分で書いておいてナンだが「本代くれてありがとう」は自分でも受けた(苦笑)

▲けれど決して冗談じゃなく、小さな頃には「手」をかけて大きくしてもらい、親の「手」がなくても食べて寝て、ができるくらいに成長した頃 適度に放っておいてくれたこと。「本代」と言えば小遣いをくれたことに しんそこ感謝してる。たとえ、それは子どものことを構ってられないほど 忙しく過ごしていたから にしても。母にとっては不本意だったとしても。

▲そうやって親からもらった「本代」はときにレコード代になり、映画代になり、やっぱり本代になって消えた。いや、消えたけど消えてなくて。わたしの中にはちゃんといまも残っている。
わたしはどうかと翻って考えてみたら、お金は(あんまり)出さず、口だけは(たっぷり)出してる気がして。子どもたちよ、すまん・・・と反省の「母の日」だった。

▲さて、昨日はお昼ご飯を食べてから思い立って隣町のシネコンまで一人バスに乗って出かけた。
ひさしぶりの映画館は水曜日(レディースデイ)だったからか、老いも若きも女性客が多かった。でもわたしの入った部屋は「若き」より圧倒的に「老い」が多かったのは老人が主人公の映画だったからだろか。

▲わたしの左隣は70才前後の男性二人連れで、席につくなり「ローハイド」の話からイタリアに~そしてここ数年の仕事ぶりへと、クリント・イーストウッドの話で盛り上がってて、一人笑ってしまう。というのも、出かける前に相方と昼ご飯食べながら、同じように ローハイドの話から最近の作品について話してきたところだったから。
右隣は60すぎくらいのご夫婦のようだ。二人でよく映画に来てはるのかチケット売り場でもらった冊子を開きながら映画の話をしているのが聞こえる。口数は多くないんだけど「ふだんからよく話してる」という雰囲気が伝わってきて、いいなあと思う。

▲この日観た映画 『グラン・トリノ』は主人公ウォルトの妻の葬儀の場面で始まった。葬儀の席に在って、携帯をいじり、へそ出しルックの孫娘にしかめっ面をするウォルトを見ながら息子二人は「親父はいつまでも50年代を生きてる感覚なんだろう」とせせら笑っている。実際ウォルトは、飼い犬デイジー(このラブラドールの表情が泣かせる)と72年製フォード車「グラン・トリノ」だけが心の友、という偏屈で頑固なじいさんだ。

▲隣に越してきたモン族の一家にも、その親戚にもこれでもか、というほど露骨に差別的な発言をする。つねに手入れを怠らない芝生、玄関ポールには星条旗。そしていつも苦虫をつぶしたような顔で周囲を眺め、デッキで一人缶ビールを飲んでいる。
かつて朝鮮戦争で自分がしてきたことへの悔い・・・しかも、それが命令だけじゃなく自らの意志で若い命をも奪ったことへの思いは つねにウォルトの胸の底に沈み、深い心の傷になって癒えることがない。

▲このウォルトが隣の一家・・・とりわけ気の弱い息子のタオ、しっかり者の姉スーと関わってゆくことで、すこしずつ変わっていく。彼の強い偏見もタオとスーの存在や、隣家の人たちが振る舞ってくれる心尽くしの「おいしいもの」で とけてゆく様子は、みていてうれしくなる。それだけにタオやスーに、しつこくからむギャング気取りの従兄のグループの惨いやり口も、それに対するウォルトの言動も やるせない。
ストーリーは予想していたように展開していくんだけど、ラストはやっぱり衝撃。心がしんとなる。そしてエンディングの海(湖かも?)沿いの道が泣きそうになるほどきれいで、流れるうたがかなしかった。

▲映画がおわり暗闇から明るい外に出て、暑いくらいの陽差しの中 バスを待ちながら、いま観てきたことを思っていた。アメリカ、銃、移民、差別、戦争、そして老い・・・幾重にもかさなる主題がぐるぐる頭の中で渦巻く。
いつのまにか母や義母や、彼女たちとおなじ年頃のあのひと、このひとの顔が浮かぶ。ときどき前触れもなくみせるその寂しいえがおを思った。
気がついたらバスが停まっており、はっと後ろを振り返ったら 隣の席に座っていたご夫婦らしき二人が それぞれのかっこいい自転車で颯爽と走り抜けた。

*ふろく
Gran Trino Theme Song (Jamie Cullum & Clint Eastwood)
[PR]
by bacuminnote | 2009-05-14 16:02 | 映画

はじめての。

▲親子4人みなそれぞれに音楽は「なくてはならない」だいじなものだけど、好みのジャンルやミュージシャンは4人4様だ。でも、中にはみんながすきなバンドやミュージシャンもいて・・・キヨシローはその内のひとりだ。
息子たちがこどもだった頃は車で出かけると、カセットテープに吹き込んだ彼のうたをくりかえし聴いた。反原発の歌もラブソングも。ブルースもバラードも。

▲つい4,5日ほど前に、角田光代さんの『何も持たずに存在するということ』でRCサクセションと清志郎を熱く語っている一文にうん、うん頷きながら読んだばかりだったのに。一昨日は彼女による追悼文『忌野清志郎がいない』(読売新聞5.4掲載)をネットで読んだ。「深夜、私たちは迷子になった子どものように途方に暮れていた」と書いてあって。わたしも「迷子のように」うなだれる。

▲友人、知人、有名人、フツーの人・・・あちこちのブログでたくさんの人たちが「初めて買ったレコードがRC」「中学生のときラジオから流れるのを初めて聴いた」とか「初めてのライブがRCだった」(たしか先述の角田さんの本にもそうあった)と書いてあって。読んでいると、どのひとの文章も「はじめて」の出会いのどきどきが伝わるようで、それこそキヨシローに届けたいようなすてきなメッセージだった。

▲「はじめて」といえば、わたしが初めて自分でレコードを買ったのは中学生の時(1960年代の終わり)だった。田舎のことで、レコードは電車で駅三つむこうまで行かなければ買えなくて。だけどその店もレコード専門店というわけでなかったので、考えに考えて行っても(電車に乗って出かけること自体めったになかったから)目当てのレコードはないことが多かった気がする。

▲で、初ドーナツ盤は何かと考えたんだけど、アニマルズ(The Animals)の「悲しき願い」とか「朝日のあたる家」か、ビージーズの「マサチューセッツ」だったか。いや、あのレコードは当時京都のガッコに行ってた姉が持ち帰ったものかも・・・。だとすると「悲しき天使」(メリー・ホプキン)とか「マンチェスター&リバプール」(ピンキー &フェラス)だったかなあ・・・と、すっかり忘れていたような曲名が次々浮かんでくる。

▲さっそくyoutubeで探してみたらあった、あった。「マンチェスター・・・」は、わあ、こんなん聴いてたんや~とこけそうになったけど(→だれでも「はじめての」は 恥しいことが多い・・笑)
イントロを聴いただけで、ぱーっとその頃のウチの応接間(死語か?)や足のあるステレオ!が浮かび、歌詞もするすると口をついて出てきて、おどろく。数少ないレコードだったから、きっと何度も何度も聞き込んだのだろな。
そのなつかしいメロディラインのむこうに、冬、セーラ服の下にずぼんをはいた田舎の中学生のわたしが見えるようで。なんだかとてもいとおしく、歌詞にはこんな一節があって、泣かせる。
You may roam but it's still home
Although you travel far away
どこをさまよっても 故郷は故郷。
どんなに遠くに旅しても。

▲そういえば。
高校の頃よく行った小さなジャズ喫茶は昼間 客がわたし一人だったりすると、店内のピアノでそこの子どもが「おけいこに行く前に」と、バイエルを練習する(苦笑)ような所だった。そういうときはマスターが「悪いなあ」と言いながら、珈琲のおかわりを淹れてくれたっけ。その子が(小学低学年の女の子)あるときからハリー・ベラフォンテに開眼したらしく、マスターはやっぱりわたしに「すまんなあ。これ一曲だけ」とか言いながら、娘にせがまれて、バナナ・ボートを かけてはったんよね。ジャズ喫茶でバイエルもバナナ・ボートも冗談みたいな話だけど。
「はじめて」がベラフォンテだったあの子は今頃どんな音楽を聴いてるのだろう。

*ふろく (youtube)
マンチェスター&リバプール
悲しき天使
[PR]
by bacuminnote | 2009-05-06 12:46 | 音楽