いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2009年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲まだ6月なのに、早々と真夏の暑さがやってきて、暑いのに弱いわたしはめげている。それでも今はまだ 夕ご飯を食べる頃になると、昼間の煮えるような暑さがうそのように、窓からすず風がすぅーっと入ってくるのがうれしい。そういう時はだれともなく「 開田(前に住んでいた信州の村)みたいやなあ」と言うた後、皆しばし口を閉じるのは、静かにしている方が風をかんじていられるからやろか。

▲そんな時にわたしの中にうかんでいるのは開田の元住んでいた家の裏山で唐松が風にゆれるとこ。のっぽのそれが新しい緑を纏(まと)ってからだを揺らすとこ。それから家の前の牧草が波のようにうねるとこ。近く 湧き水がきらきら光ってパイプからとくとくと流れ出てくるとこ・・・と、ああ開田こいしや の季節だ。

▲この間、福岡の緑深い所に暮らす友だちが今年も箱一杯の山椒を送ってきてくれて。夕ご飯のあと、台所で床に新聞紙ひろげ相方と小枝から実をはずした。山椒の青くつよい香りが一気に部屋を満たす。以前は軸もていねいに取っていたけれど、いまは老眼のせいにしてエエ加減。夕方、蚊やアリに刺されながら山椒取りをしてくれたであろう友の姿を思い(じつはまだ会ったことがない!)「大変やったやろなあ」と話し、思いがけなく葉っぱについて九州からやって来た小さなカタツムリを掌に載せ眺めながら、実をちぎる フウフの時間もまた、友の贈り物か。おおきにNちゃん。

▲さっそく塩ゆで、さまして冷凍。翌日は出かける用事があってできなかったので、翌々日に山椒昆布を炊いた。昆布は少し硬めに、甘くせず、ちょっと舌がぴりぴりするくらい山椒がよく効いたのが好みだ。昔は母もよく炊いていたけど、その頃はできあがったものに関心はあっても、「作り方」には無関心な娘だった。ケッコンしてしばらくは相方のおかあさんが炊かはると貰って帰り、やっぱり長いこと「食べる専門」(苦笑)。
そんなわたしが自分で炊くようになったのは、開田の家の敷地に山椒の大きな木があったから。

▲いや、それだけでなく、山暮らしの間は食べたいものが簡単に手に入らなくて「食べたい」一心で何でも作った。だけど大阪に引っ越して、いろんな食材が揃うこの町に住んでからは「買う」ことがふえた気がする。年をとって、「たまに」「少量」ほしい身には、その方が経済的であることも多い。それでも、こんなふうに友だちの送ってくれたものを使って「作る」時間はやっぱりとくべつ。もちろんそれを食する時間もとくべつ。
それに、彼女に送った少しの山椒昆布にさっそく「媚びていない真っ直ぐな炊き方。くみさんらしい」なぁんて返信もらって、めちゃうれしい。
さて、元気が出たとこでタオルを首にかけて 茄子焼く夕暮れだ。
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by bacuminnote | 2009-06-25 17:52 | 開田村のころ

いなもの、あじなもの。

▲いつものように朝一番、珈琲を淹れるのにお湯を沸かしてる間、台所に掛けてある「日めくり・英会話」をめくったら6月13日『Marriage is a lottery』とあった。<英語の訳>『結婚はくじである』には、思わずおっきな声を上げてあはは~と笑ろてしもた。せやかて、今日はケッコン記念日なんやもん。当たりか、はずれか、って考えてみたこともないけど、訳文の下に<日本の諺>として書かれた『縁は異なもの 味なもの』には納得、の朝。
30年!ごくろーさん。

▲が、我々の間で「記念日」はもはや話題にものぼらない。そんなことより気になるのはこの前まいた朝顔の種(笑) 
あれから無事、芽を出し、双葉になり・・・各自毎日数回「あさがおのかんさつ」の愉しみ。

▲わたしは子どもの頃から理科が苦手で、花や虫にも関心がなく、お日さんがどっちの空から出て、沈むのかも(そもそも東西南北も)わからんような子だったから、自然の不思議はいつも「そういうふうになっている」で片付けて来た(苦笑)
だからこの年になって土の下の種の発芽を思って、じっとしゃがみ込んでいる自分がしみじみ可笑しい。

▲先日『十三歳の夏』という乙骨淑子さんの本を再読した。1974年刊のこの本に出会ったのは、それから十年以上たってからのことで、当時わたしが抱いていた「児童文学」のイメージを壊してくれた ふかく心に残る一冊だ。
この本の「あとがき」にもたしか朝顔が登場していたはずと、久しぶりに段ボール箱から探し出して来たのだった。(←引っ越した時のまんまの段ボール箱がまだそのまま)ちょっと長くなるけれど引用してみる。
*わたしが持っているのはあかね書房版。上記リンク先は理論社刊。

▲『夏の朝早く、露をふくんだ朝顔がひらいているのを見て、ひどく心をうたれることがあります。朝顔の種をまいたら、花が咲くのはごくあたりまえのように思いますが、考えてみると、どうしてあんな小さい種から、みごとな花がひらくのでしょう。

また、今から何十億年も前に、熱いガス体で空間をぐるぐるまわっていた惑星の一つである地球が、しだいに冷えてゆき、ここに生物が誕生したということも、とても不思議です。

不思議といえば、私たちの誕生も不思議です。この地球上のどこを探しても、私とおなじ心と体をもった人間はおりませんし、何百万年をさかのぼっても、この私とおなじ人間はおりません。

まったく私は、かけがえのないたった一回の私だと、もっとしっかり思わなくてはと、ふと考えることがあります。主人公の利恵も、そんなことを心のどこかに思って、二度とこない十三歳の夏を過ごしました』(同書「あとがき」より)

▲本文中にも、主人公の利恵と友だちの大江なみ子と「不思議」を語る場面がいくつか出てくる。蜘蛛の巣をみながらオスグモとメスグモの生態について。ひなを守るために襲ってきたカラスのこと。そして寝ころんで見上げた風にゆれるいちょうの葉に。
なみ子が言う。「ねえ、あのいちょうの葉、毎年秋がくると黄色くそまり散ってしまうわねえ。冬には枝だけになってしまうわ。でも、春になると芽ぐんでくるわねえ。その芽ぐんでくるとき、ほんとうにふしぎだとおもうのよ。どうしてちゃんと、毎年毎年ふくらんでくるのかしらって」

▲そんなふうに思ったことのない利恵は「だって、そうなっているのでしょう?」とそのときは答えるのだけど。なみ子の問いかけや話に、しだいに自然への不思議と感動に思いを馳せるようになる。

▲そして「不思議」は自然ばかりではないことに気付く。東京駅の人の群れの中に立つと、これだけのたくさんの知らない人の中でさぶにいちゃん(利恵が慕ってるだいじなひと)やなみ子に「であえた」ふしぎ、「たった一度しかあわないのに、忘れられない人もいれば、毎日あっていても心のかよいあわない人もいる」ふしぎ。

▲久しぶりに読んだら本が付箋だらけになった。まだまだいっぱい書きたいことがあるんだけど、だいじな本やからゆっくり、また。
そうそう。冒頭書いた日めくりの最後には Marriage is a lottery.に同じ意味の諺として、こんな一文が紹介されていた。There is no telling which two will make a couple. 直訳すると「どの二人がカップルになるのかわからない」そうだ。というわけで「であえたふしぎ」の30年前にカンパイ。

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by bacuminnote | 2009-06-14 14:21 | 本をよむ

書棚から呼ばれる。

▲雨戸を開けたら外はからりと晴れ。いつのまにか紫陽花ふたつ くっきりと色づいていたので、洗濯も朝食の支度もほったらかして急かされるように庭に出た。つっかけたサンダルは前日の雨で水びたしだったけど、お構いなしにそのままぺたぺた歩く。素足につめたいサンダルの感触はひさしぶりで新鮮。前夜の雨粒つけて「水の器」紫陽花は空とおんなじ色してしずか。

▲そのまま「つくぼって」(・・と書いて、あれ?これは大阪弁やろか?共通語ではどう言うのかな、と調べたら「しゃがむ」に当たるそうだ)そのあたりの草抜きをする。雨のあとは木々も草も、緑の勢いがすごい。こんなところに、というほど草はどこにでも、にょきにょき生え、伸びる。抜いた草の小山がいくつかできた頃、そうだ!と去年夏の終わり 封筒にいれた「あさがおのたね」を思い出して(←洗濯も朝食の支度も忘れたまま)スコップや軍手を出してきて蒔いてみた。

▲いつもの家事以外の事をすると、だれかに自慢したくなるので(苦笑)さっそく相方に告げると「あんまり深く埋めたら芽が出てきいひんぞ」と言う。
「ふん。そんなこと言われんでもわかってるし」と答えて、ふと、前にも同じような会話があった気がして、去年の今頃のブログを見てみる。案の定 一年前も同じことを言われ、同じように言い返している。進歩、ない。(どっちが?)

▲信州からここ大阪に戻って来て丸5年になった。つまりこのブログbakubakuも始めて5年だ。早い!この間(かん)小学生だった下の子は高校生に、その親もまた40代は50代に、50代は60代に突入した。トイレに乾燥機、ドアフォン、給湯器、自転車がこわれ、修理したり買い換えて・・・ああ、家も家電も、人もかくじつに古くなってゆくなあ。

▲先日図書館に行ったときのこと。
予約していた本を数冊手にして帰ろうかと思ったとき、ふと書棚から「呼ばれる」。あれっ?と思い立ち止まり、いっぱい並んだ本の中から迷うことなくその一冊を抜き取る不思議。きっといつだか、どこかだかで目にしたり、人から聞いたり、あるいは書評を読んだりした記憶がそうさせるのだろうけど。こころときめく瞬間だ。

▲その本は『「アボジ」を踏む―小田実短篇集』という文庫本だった。
小田実といえば、去年テレビ(NHK・ETV特集『小田実 遺す言葉』)で見た闘病中の氏がベッドの上でこの国が「行く道をまちがえた」とその無念を語り嗚咽する場面は今も鮮烈に残っている。

▲これまでに彼の小説を読んだことがなかったわたしは、軽いきもちで最初の表題作『「アボジ」を踏む』(川端康成文学賞受賞作)を読み始めたのだが。
一行目からひきつけられ、とまらなくなって、とうとう立ったまま最後まで読んでしまった。あとがきによると原稿用紙23枚の短い作品だけど、読み終えてからもしばらく書棚の前でぼーっと立っていた。結局借りて帰ってもう一度、もう一度と読む。

▲これは小田氏が「人生の同行者」とよぶ妻・玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さんの「アボジ」(朝鮮語でお父さん・作品中アボジは「 」付きで表記されている)を中心にその家族のことを書いている。生前アボジは「ぼくは生(な)まで帰る」と死んだら故郷・済州島のお墓に土葬してほしいとオダ君に(と著者は呼ばれている)話してはったらしい。十七、八才で済州島から渡って来たアボジとオモニは海女舟の漕ぎ手、土方、人夫、行員、行商、闇屋、そして最後はゴム靴製造と働きながら7人の子どもを生み育てる。7人みんな女の子だったそうだ。

▲その末っ子の婿になったオダ君とアボジの会話は、いつもユーモアとペーソスにあふれ、そして「この国がやっとること」への眼はくもりがない。
やがてアボジの病気、阪神淡路大震災で被災・・・。こころに深く残ったのは文字通り「アボジを踏む」済州島の名山ハルラ山の墓地で土葬の場面だ。アボジの遺体は娘や孫、オダ君によって「アボジの魂が石組の墓の穴の底から外に出て、あてもなくさまよい歩かせないがために土をみんなで踏んで堅く固め」られる。

▲みんなが足踏むなか、著者の小学三年生の娘も「ときどき飛び上がっては全身の重みをその跳躍にかけるようにして懸命に踏んだ。」彼は言う。自分にも又言う。「もっと強く踏め」。すると足の下からアボジの声がする。
「オダ君、そんなに強う踏むな。ぼくは痛いんだヨ。ぼくはもうどこにも行かん。ぼくの長田の家はもぅつぶれてないヨ」と。


NHK/ETV(『小田実 遺す言葉』は 第217回 2008年3月9日のところ)
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by bacuminnote | 2009-06-04 11:04 | 本をよむ