いま 本を読んで いるところ。


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<   2009年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

ちいさないえ。

▲隙間の多い家やからか、庭の草むしりをさぼっているからか、いや、蹲(つくばい)に溜まった水がアカンのか。蚊に泣かされている。夜中耳元でぶぅーんぶぅーん飛び回って、足先、指先の、よりによって一番痒いとこを刺してゆく。
アンチ・モスキート(アロマオイル)に昔ながらの菊花線香と、やってみるが蚊の威力に追いつかず、くわえて喉の弱い身には線香もつらいので、ふんぱつして蚊帳を買うことにした。

▲部屋に吊った蚊帳はきれいだけど片付けるのが一仕事だし、その「出入り」では相方と揉めること必至である。
蚊帳経験のない若い人にはわかりにくい話かもしれないけど、蚊帳の出入りにはちょっとしたテクニックが要る。大胆に蚊帳をまくって入ったら蚊も一緒に中に入れてしまうので、子どもの頃は大人からよく注意されたものだ。それで、蚊帳をパタパタとして蚊帳にとまっている蚊を追いやってから、さっと中に入るんだけど。これが結構むずかしいんよね。(←うちの場合フウフげんかに発展する気がする)

▲そういうわけで、ワンタッチで開くテント型の蚊帳を二つ購入。
傘みたいにぱっと開き 設営完了。織った麻糸がレース編みのように繊細できれいだ。細身の相方が入って横になると、虫かごのカマキリみたい。デカイわたしもすっぽり収まり、やや小さめの大の字(苦笑)になって蚊帳越しに天井を眺める。ああ、きっと子どもだったら、中に本やおもちゃやお気に入りの人形まで、いっぱい持ち込んで大騒ぎする事だろう。だって、大人のわたしでもなんかうきうきしてるしね。

▲小さな頃、布団の上に寝ると足をまっすぐ上にあげて、タオルケットや布団を持ち上げ「テント!」とか言うて得意になってた。布一枚でできた「自分の家」がうれしくて、足がだるくなるまでそうしてた。
近所の友だちは押し入れのちょっとした隙間が彼女の「家」だった。そういえば『ジョゼと虎と魚たち』という映画では、主人公のジョゼの読書の場所も押し入れの中だったっけ。

▲この前読んだ絵本はその名も『あなただけのちいさないえ』(ベアトリス・シェリング・ド・レーニエ作 /アイリーン・ハース絵/ ほしかわ なつよ訳)といって、「ひとは だれでも、そのひとだけの ちいさないえをもつひつようがあります。」と始まった。
食卓の下、木の上、ベッドの毛布の中や、肘掛け椅子、大きな傘の下、はてはお面まで。だれもがもつことのできるちいさな場所。

▲もちろん友だちや家族との時間も楽しいけれど「ほんの、ときどき」みんなと はなれて ひとりになりたいと、おもうときがあるから。
そうして、それは子どもだけでなく大人も同じ。新聞を読んでいるお父さんも、うたたねをしているお母さんも、それは「ちいさないえにかえってきているのとおなじです。ドアもまどもしめて。おかあさんは、ひとりにしてほしいのです。」と、自分以外の人のひとりの時間もまた尊重しなければ「それはふこうへいです」と作者は語る。(なんでお父さんが新聞で、お母さんがうたたね、なのかはちょっとひっかかるけどね・・・)

▲絵本はこんな一文でおわる。
『そして、もし あなたが、だれかのちいさないえのそばを とおるときは、わすれないでいてください。とてもれいぎただしくすることを、そっと あるき、おだやかに はなすことを。』

▲「ひとり」と言えば、以前ここにも書いた『子どもが独り(ひとり)でいる時間(とき)』(原題は"Children and Solitude" エリーズ・ポールディング作・松岡享子訳 こぐま社刊)とういう本がうかぶ。

Solitude---独り居(ひとりい)。なんと美しいことばではありませんか?もしわたしたちが無礼にも、子どもからひとりでいる機会を奪い取ってしまったら、子どもたちは、内に秘めている宝や、外で得る経験をどうやって生かすことができるでしょう。』
本文中にあるこの言葉どおり、自分を熟成させていく時間、それがひとり、”solitude”。そうやって大人も子どもも生きる力を養ってゆくんやろね。
さて。
今夜もそろそろ蚊帳の「ちいさないえ」に入って寝るとしよう。
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by bacuminnote | 2009-07-31 20:46 | 本をよむ
▲暑い。あまりの暑さに「お昼は素麺がええなあ~」と相方と息子が口を揃えて言う。けど、ご飯がたくさん余ってたので却下。そうは言うたものの、ほんまに暑くてご飯はのどにつかえる。「夕ご飯こそ素麺やなあ」と再び話題は素麺にもどった。「けど、夕方には涼しいなるで」「いや心配せんでも、夕方でも、夜でも、暑い、って」と話し合いの結果(←たいそうやなあ)夕食は素麺と決まった。

▲シーズン初めてのものは、たいてい作り方やちょうどいい量を忘れたり、専用の器をしまいこんでたりで、もたもたして。案の定つゆを作るのに分量を忘れてしまって古い料理帖を繰った。わたしにだけ判読できるシミだらけのノート。でも、走り書きのメモながら「醤油半カップ」というのさえわかったら、あとはするすると味醂やだしの分量が出てくる。(すぐに忘れる図書館のカード番号も最初の三桁を言ってもらったら、九桁ぜんぶ口について出てくるのと同じ。あ、けど、そのうち全部思い出せなくなるんやろけど・・苦笑)

▲ところが、大汗かいて素麺茹でて、早めに作って冷蔵庫に入れたつゆも、器までもよく冷えた頃になると、なんと窓からひんやりすずしい風!
たいてい初素麺の時には上がる「やっぱり夏はコレやなあ」という歓声もなくがっかり。内心「これやったら『にゅうめん』のほうがよかったかも」と思ったりしながら、ふと窓を見たら 全開だったそれもいつのまにか半分ほど閉めてあって。やっぱり、素麺は昼間カァーっと汗かきながら「おお、つめた」とツルツルやるのがおいしいんよね。手間と汗の結晶はかくして大量に余ることになった。

▲ちょっとふやけた素麺は翌日のお昼に「にゅうめん」となって、大汗かきながら完食したけど。こんなふうに暑いし「喉通らへん」とかアレは食べとうない、とか贅沢な事 言うてられん状況にいつかなるかもしれんよなあ・・・そんなことを思いながら、家よりは涼しい図書館に出かけた。

▲その日、手にしたのは『おとうさんの ちず』(ユリ・シュルヴィッツ作 さくま ゆみこ訳 あすなろ書房刊)という絵本だった。これは1935年ポーランドのワルシャワに生まれた著者の自伝的なものがたりだ。作者は1939年(4歳のとき)ワルシャワで大空襲を経験し、まもなく家族は当時のソ連のトルキスタン(現カザフスタン)に。そしてこの本は「とおいとおいひがしのくに」「なつはとてもあついし、ふゆはとてもさむいところ」トルキスタンで暮らし始めた頃の話だ。

▲一家はよその夫婦と小さな部屋で暮らす。食料はとぼしく、土でかためた床の上で眠る毎日、当然おもちゃも本もない。ある日お父さんが市場にパンを買いに出かけた。日が暮れる頃ようやく戻ってきたお父さんは、パンではなく長い巻紙を抱えて帰ってきたのだ。ほこらしげに「ちずをかったぞ」とお父さん言う。持っているお金で買えるパンはとうてい空腹を「だませる」量ですらなかったから。お母さんはつらそうに「ゆうごはんはぬきね。ちずはたべられないもの」と言う。ぼくは怒る。ひどいお父さんだ、ゆるせない、と。

▲次の日、お父さんは壁一面に買ってきた地図を貼る。そしたら暗かった部屋に色があふれて。ぼくは、うっとり何時間も地図を眺め、しらない国や町のなまえを口にし、運良く紙があるときは、地図を描き写したり。何もない狭い部屋でひもじさも忘れて「はるか とおくで まほうの じかん」をすごすのだった。

▲ぼくは「パンをかわなかった おとうさんを ゆるした。やっぱり おとうさんは ただしかったのだ。」とお話はおわる。
最後のページ、作者のこどもの頃の写真と共に、紹介されている絵は彼がその頃描いたアフリカの地図だ。使い古しの便箋の裏に描かれたそれは胸にせまる。

▲最初わたしは、そんなにも大きな地図を買えるくらいのお金でどうしてパンが買えないのか、とおもったのだけど。
相方とこの本のことから、ものの値段の話になって、かれに「荷車いっぱいのお金でパン一個、なんていう時代がぼくらが生きてる間にも来るかもしれん」と言われてはっとする。
ものの値段というのは、いつも「今」と同じではないのだ。

▲それにしても。
ああ、わたしだったらどうしただろうと考える。パンをたのしみに待ってる子どもに、例えそれがひとかけらでも買ってかえる。いや、そんな一瞬にしてなくなるようなものを買ってもよけいひもじいかもしれない、と思ったり。
どうしたらいいか決められず、そこにうずくまってしまうかもしれない。
パンより地図を買った父親とて、おそらく市場の中を何度も行きつ戻りつ考えたにちがいない。だからこそ、その決断と思いの深さを心底すごいなあと思う。
『How I learned Geography』この絵本の原題だ。







 


 

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by bacuminnote | 2009-07-18 14:00 | 本をよむ

天麩羅。

▲その日、夕ご飯は相方と外で食べることになった。ふたりで外食は二年ぶりか・・・(苦笑→前回
最近は家で揚げ物をしなくなったので、今回も天ぷらに決定。。
今日は首にタオル巻いて台所に立たなくてもいい。ああ、揚げたての海老のかき揚げとよく冷えた生ビール!・・・と、いつもは夕方ばたばたと取り入れる洗濯物も早々と入れ丁寧に畳み、5時頃からそわそわ、のわたし。「この頃はもうなーんもご馳走なんかいらん」とか何とか、言うてるくせに。

▲で、やっと6時になって「そろそろ行こか」と相方を促して家を出た。昼間の空の青を残した、明るいけど落ち着いた空色を背景に街路樹のみどりが きれい。冬の間にこの十数本の木を 市がまるで電柱か と思うほどばっさりチェンソーで枝を落としてしまった。
乱暴に腕をもぎとられたみたいなその木々を見るたびに、胸のいたむ思いがしていたんだけど。まだ枝は伸びていなくて不自然な形ながら、どの木もあざやかなグリーンの葉っぱがふさふささ増え始めているのを「ちょっとほっとしたなあ」と相方と言い合って見上げる。

▲店に着くとテーブルは満席でカウンターに座った。いや、むしろテーブル席より料理人の仕事ぶりのみえるカウンターがすきなので、目の前に天ぷら鍋!の席に満足。あちこちの席のお皿の中を気づかいながら、鍋をのぞきながら、次々揚げものを入れてくれる板さんのその「動き」はみごとだ。ああ、それにしても、ひさしぶりの天ぷらのおいしいこと。あ、ひさしぶりやないけど生ビールもうまい。

▲カウンターの横に年の頃なら70後半の男性が一人すわった。どうやら常連さんのようで「今日はえらい一杯やなあ」と板さんに話しかけながらグラスワインを飲んではる。そのうち奥の席に60代の(たぶん)女性二人が座った。仲のいい女ともだちとジョッキで乾杯してはるのに目があって、おもわずにっこり。わたしもおいしい夜に乾杯だ。

▲そのうち、おじいさんが独り言ともつかない調子で「わしは一人やねん」と言い出した。そしたら女性二人が「やあ、わたしらかて一人です」と応える。
「そうかぁ、さびしないかぁ?」「まあ、はじめのうちはね。ちょっとだけ。でも、いまはものすごく気楽で楽しいですよ」と口を揃えて言わはったのがおかしかった。

▲その上「友だちも皆そない言うてはる」と付け加えるもんで、おじいさん、やおらわたしの方にむき「あんたは主人大事にしぃや」と言わはった。
そしたら「大事にしぃ、って、おくさんの方が大事にしてもらわなあかんよねえ」と彼女はわたしを見て笑った。ほんま、ほんま。
ほんのひととき、知らないひととこんな風にかわす会話は愉しい。

▲そういえば、と出てくる直前まで読んでいた山田太一氏のエッセイ「女と刀」(『考える人』’09冬号掲載)に出てきた『車中のバナナ』という氏の昔の随筆を思い出した。これはもう30年くらいまえの作品だそうで、わたしもずいぶん前に読んだ記憶がある。
話はこうだ。
電車の四人掛けの席で、中年の男が他の三人(老人と若い女性と山田氏)に、話しかけてきた。気の好い人柄に見えたその男性はやがてかばんからバナナを取り出し「お食べなさいよ」と配りだした。山田氏は「遠慮じゃない。欲しくないから」と断ったが男性は「まあ、ここに置くから」と窓際にバナナを一本置く。

▲「おいしいでしょう」と勧められるままに食べかけた二人に彼は同意を求めるように言う。そして食べない山田氏にも「ほら、おいしんだから、お食べなさいって」としつこい。やがて食べ終えた老人までもが「いただきなさいよ。せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と言い出した。山田氏は「貰って食べた人を非難する気はないが、たちまち『なごやかになれる』人々がなんだか怖いのである」と書く。

▲いやあ、なんとも気の重い列車の中の場面が浮かぶようである。山田氏も「女と刀」に書いてはるように、ほしくないのも本心、知らない人から簡単にものを貰って食べてもいいのか、という用心もわかる。「断る」ことも自由なはずなのに、「あんた大人げないよ」とか言われ始め「次第に窓際のバナナが踏み絵のようになって来る」「つまり、たちまち『なごやかになれる人』は『なごやかになれない人』を非難し排除しがちだから怖いといったのだった」には、その通りと思う。

▲ちょっと話は、ずれるかもしれないがケッコンしたての頃、近所の人が自宅で料理講習会をするから、と誘ってくれた。
まだ引っ越してまもないわたしは「誘ってくれた」ことがうれしくていそいそと出かけて行った。当時わたしが住んでいた古い「文化住宅」とちがって、彼女の家は新築のテラスハウス。白い壁のおしゃれな家で、おなじテラスハウスに住む何人かの若い主婦らが集まった。

▲早くおいしく炊けるお赤飯や、シチュウや、鍋で焼けるケーキなど試食しながらなごやかな会だったが、それは鍋の宣伝販売の会でもあった。(そういう販売方法が始まった頃だった)終盤、営業の若い男性がそれが当たり前というように、注文の契約書を回し始めた。
「主人に相談してから」という人には「分割にすると月々わずかな金額だから、おくさんの家計の腕でじゅうぶん払える」と説得。みんな次々サインして、結局5,6人の中で断ったのはわたし一人だった。そのとき「それでは」と家に帰るのに 鍋はまさに「踏み絵」のようだった。

▲たしかに、そのステンレスの鍋はいいかもなあと思ったけど、そもそも「セット買い」も「分割払い」もすきじゃないし、かといって一括購入するお金もないし、断ることに迷いはまったくなかった。
それでも、帰るときの気まずい空気は30年たった今でも忘れない。
しつこい営業マンよりむしろ成約の記念品をひろげながら盛り上がるご近所さんの「こんな特典付きなのに、なんで○さんは買わないの?」が、突き刺さるようだった。

▲バナナと鍋の宣伝販売は一緒には考えられないけど、場の空気をこわさず「上手に断る」なんてこと、あるのやろか・・・と思う。
山田氏の話のつづきは「車中のバナナ」には書かれていないのだけど、「途中の藤沢で老人が立ち上がり『あんたがいらないんなら私が貰うよ』とそのバナナをとって『ありがとね』と中年男に礼をいっておりて行った。こういうのを見事というのだろう。」とあった。

▲さて、天ぷらのコースの最後の天茶とデザートをたべおわった頃、自称「ジツギョウカ」のおじいさんはお皿に天ぷらを残したまま「ほな」と席を立ち、わたしたちも少ししてレジに向かった。店を出るときふっと振り返ると、「女ともだち二人」はからだを揺らして笑いながら、天ぷらをほおばりジョッキを傾けていた。いい夜を!

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by bacuminnote | 2009-07-10 12:23 | 本をよむ

さあ、図書館にゆこう。

▲雨降りの午後、机のまわりに積み上げた本を片付けていて、ふと手にした本(『遠い朝の本たち』須賀敦子著・ちくま文庫)をぱらぱらめくったらなぜか『父の鴎外』で手が止まって、そのまま座り込んでしまった。
案の定というか、やっぱり掃除は中断。おまけに中途半端に手を出した机の上はいっそう混乱状態となってしまったのだけど。窓の外、大きく育った紫陽花の葉っぱにパチパチはねる雨音を聞きながら、本をめぐるいろんな話に、自分の「遠い朝」を思い出し、考え、みたされたひととき。
こうしてすでに読んだ本が、時に初回よりもずんずん深く入ってくるのは、読み手の「旬」のようなものやろか。

▲そのエッセイはタイトルの通り著者のお父さんと、お父さんが愛した森鴎外のことを本を通して語られている。
ある日、お父さんが「私」にいきなりこう言う。「おい、おまえ、鴎外は読んだか」。ああ、この一言でわたしはノックアウトされる。なんと言っても「読書家のお父さん」は、昔からあこがれなのである。しかも、このときのお父さんは「かたちのいい背中に」兵児帯をしめた着物姿だ。
お父さんは続ける。「鴎外は史伝を読まなかったら、なんにもならない。外国語を勉強しているのはわかるが、それならなおさらのことだ。『渋江抽斎』ぐらいは読んどけ」

▲この『渋江抽斎』(しぶえちゅうさい)という本、鴎外ファンの間では名著として名高いものらしい。(という事しかわたしは知らないのだけど・・)後日、言われたようにその本を読んで著者は「ますます父にあたまが上がらない気持ちだった」という。自分がそれまで考えていた「小説」とあまりにちがって、おもしろさがわからない。「漢字ばかりの字面がざらざらと目のまえを流れていくだけで、どうすれば中に入り込めるかもわからず、入口のない建物のまえに佇んでいるような心細さだった」 著者の中でその後もお父さんの言葉がくすぼりつづける。「あんなふうに父が言ったからにはなにか根拠があるにちがいない」と。

▲そうか。「読書家の父」にはこういうレベルの高いことを要求されるのだ。ただ そういう雰囲気に単純にあこがれていたわたしは、ひとごとながら緊張し身をすくめる。(やっぱりわたしには『会社四季報』のおとうちゃん、だ)
だけど、この「入口のない建物」「心細さ」というのはよくわかる。背伸びばかりしていた若い頃、幾度も、建物の前で足踏みしていたから。「その価値が理解できないのであれば、それは当方の無知無学ゆえに決まっていたから」(p173)という思いもまた。

▲そういえば、こういう心細さについて、たしか前にも読んだな、と『古本道場』(角田光代・岡崎武志著/ ポプラ社刊)という本を思い出した。
岡崎武志さんは小説家になりたくて入った大学の文芸専修科でクラスメイトの「文化人みたいに物知り」なのにおどろく。「十八歳の私は中上健次も丸山健二も武田泰淳もなーんにも知らなかった。梅崎春生も尾崎翠も永井龍男も知るのはずーっとあとで、教科書に出てくる作家くらいしか、読んだことはなかった」のに。

▲当時、著者の選択していた授業でよく出てきた「マラルメ」然り。『「マラルメ」という文字が私に思い出させるのは、最底辺の無知に甘んじている、あのころの心許なさである。古本屋の棚の前で、十八歳の私は不安に震えていた。世のなかにはこんなに本がある。いつになったら読み終えるのか。それは知識の分厚い壁だった』(p93「早稲田」)

▲大学生だった岡崎武志さんはひそかに決意する。「生物とか、数学とか歴史とかフランス語とかもうそんなものは無理だ、でもせめて、せめて、せめて、小説くらいは人並みに読もう、だって小説家になりたいんだから。と。」
この三回つづく「せめて」には何度読んでも泣かされる。
須賀敦子さんは「『渋江抽斎』について、私がまとまった意見のひとつも言えないうちに父は死んでしまったが。私は、近頃になって、やっと史伝への私なりの入口が見つかったような気になっている」と締める。

▲いつのまにか雨はあがり、窓の外がぱあっと明るくなった。ぎしぎし重い戸を開けたら、待ってましたとばかりにすいーっと光の束が部屋に入ってきた。わたしの中にもすこし光が差したのをかんじる。
さあ掃除はこれくらいにして、図書館にゆこう。
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by bacuminnote | 2009-07-02 12:00 | 本をよむ