いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2009年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

▲ この間 今年最後の鍼灸をしてもらいに出かけた。電車の乗り換えの時間を入れても30分ほどの道中ながら、日頃は徒歩にて駅前に(スーパー・デパート・各種店舗・図書館あり)行くのと、バスにて義母のホーム行き・・・と、行動範囲の狭いわたしにとって月に二回のたのしい「おでかけ」である。

▲ 電車は途中大学のある町を通るので車内は学生が多く、隣に座ると聞こえてくるバイトや恋の話。開いてるノートや本、ヘッドホンから漏れる音楽もシンセンだ。(おばちゃんが何をうきうきしてるねん、と思われているかも)
けど、残念ながら今は冬休み。少しのあいだ車内はしんと静かだったが、次の駅で乗って来はった高齢の母娘とおぼしき二人がこれまでのジンセイを熱く語って、語って。ほんま 電車の中にはいつも物語がいっぱい詰まってるなあと「つづき」がちょっと気になりながら(苦笑)下車。
 
▲ その日は別の用事があって、施術を受ける前に駅前の市場を通り抜けたんだけど。寒風の中、その活気と熱気には いきなりノックアウトされる。道の両側の店はたいてい通路まではみ出す商品陳列。ショッピングカーに、押し車、ベビーカー、歩く人、小走りの人、その合間をぬってチリンチリンと忙しなくベルを鳴らして自転車が走ってゆく。ええなあ、ええなあ。この空気。なんかわくわくして、つめたい風で強張ったほっぺたがどんどん緩んでいくのを感じる。

▲ 八百屋に魚屋からは「安いで、安いで。さあ、買(こ)うてや。こうて」のイキのよい声がかかり、肉屋の前では香ばしいにおいがぷんぷん。コロッケ、牛カツ、メンチカツ!豆腐は水の中でぷかぷか浮かび、黒豆、鶴の子大豆、小豆に花豆・・・お豆さんは昔ながらの升で量り売りだ。鰹節にイリコ。味噌屋に餅屋にパン屋。居酒屋、パチンコ、純喫茶があって。婦人服に紳士服。靴屋に薬局。散髪屋に化粧品店。布団屋のとなりは映画館だ!「さあ来てや、来てや。何でもあるで~」とおばちゃん(←わたし)は、街頭に立って呼び込みしたいほどで。その後の鍼灸もあって、元気がからだをかけめぐる(笑)状態にて帰路についた。

▲ 最寄りの駅に着いたらそれなりの賑わいはあるものの、あの空気に比べたら静かなモンで何か物足りなく感じた。
そして、その翌朝のこと。友だちのブログ 『加藤わこ三度笠書簡』を見たら、ジッカの隣町の商店街の写真が目にとびこんだ。撮影の日付は12月の第一日曜である。だれもいない、だれも通らない、どの店にもシャッターが降りた、その閑散としたさまを写真は哀しいほどにうつくしく捉えている。カメラの持ち手のこころが 近くで生まれ育ったわたしにもじんと伝わって泣きそうになった。

▲ 子どもの頃、この隣町はわたしやわたしの育った町に住む人たちにとって「ちょっとした繁華街」で。ウチの近くには置いていない本や参考書、レコードも、友だちの誕生祝いに贈るしゃれたモノも。お年玉や何か特別なお小遣いを貰った時など、電車でみっつ向こうのこの商店街に喜び勇んで行ったものだ。
とりわけ本屋さんは目を瞑ると、どのあたりにどんな本が並べてあったか浮かぶ。ここは本も参考書も品揃えが豊富で、来るとあの本、この雑誌、どれにしようと迷うこと、迷うこと。ようやく決めて、入り口近くの椅子に座ってはるおっちゃん、おばちゃんに本を渡すと決まって「あんたは本が好きなんやなあ」と声をかけてくれはる事もうれしかった。

▲ 毎年二月にはわたしの町の「上」の市、かの地は「下」の市と「初市」があって、夏には花火大会と灯篭流しがやっぱり両町にあって賑わった。ガッコの児童会ではその日のお小遣いの取り決めと同時に「子どもたちだけで隣町の『初市』『花火大会』には行かない」という規則もあったっけ。隣町のほうがどちらも規模が大きく人出も多かったからだ。

▲ 再びインターネットの写真を眺め、かつて憧れた人が老いて独り佇むのを見てしまったみたいなきもちになっていたら「三度笠」さんの『さりとてなにもないものは 案外しぶとい』の一文。ふかく頷く。そうか、そうかもしれん。だとしたら、どうかゆるゆると、しぶとく残っていてほしい、と思うのだった。

▲ ああ、年は暮れてゆく。賑わう町にも、しずかな町にも 。
掃除も、賀状も、お正月の支度もまだ。
「まだ、まだ」だらけやけど、まずはいっぱいいきますか。
『その前に一本つけよ晦日蕎麦』(鷹羽狩行)

今年もかわりばえのしない「baku的日乗」におつきあいくださって、こころから おおきにです。
みなさまも佳き年をお迎えください。
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by bacuminnote | 2009-12-31 12:27 | 出かける | Comments(0)

てぶくろひとつ。

▲買い物をすませて地上に出たら、いきなりからだが凍りつくようなつめたい風が待ちかまえていて、思わず荷物を置いてコートのボタンを上まで留めた。地下の食品売場はまだ終わっていないクリスマスを越え、早くも「迎春」モードに入っており。「まだ一週間もあるのに」と思いながらも数の子の値段にため息つき、黒豆の袋を手にとって、店の空いてる今の内に買うとこか、いや、まだ早いしな・・・とうろうろ。つい長居してしもて。けど、火照ったほっぺたもその風で一気に冷えた。

▲荷物をおろしたついでに 手袋、手袋とバッグの中をごそごそしたんだけど、片方しか見つからなかった。おかしいなあ、と思いながらも仕方なく片手だけ「履いて」(とわたしの故郷では言う)は みたものの 手袋のない右手がつめたく痛い。途中とうとうがまんできなくなって、再び荷物を下に置き またまたバッグをかきまわしてみるも、やっぱり手袋は出てこなかった。あれぇ、どこで落として来たのだろ。

▲ なくした右手の方は昨シーズンに親指のところを鍵で引っ掛けて小さな穴があいたまま 気になりながら繕いもせずに使ってた。ああ、ちゃんと繕っておけばよかった・・・となんだか手袋に「ごめん」のきもち。ふたつ揃って一組のものを、ひとつなくすと落ち着かない。お菓子の空き缶には片方だけのイヤリングがいくつか、長いこと待機中だ。もう出てくることはないだろうと思うのに、捨てられないでいるんよね。

▲家に帰って食材を冷蔵庫にしまうと、冷え切った台所の床にぺたんと座り込み、もう一度バッグをひっくり返し、コートのポケットもひっくり返してみたけど、出てくるのは要らないレシートや糸くずばかり。手袋ひとつで、その日はすっかりしょげかえってしまった。

▲穴のあいたくたびれた手袋なんて誰か拾ってくれるやろか。たとえ拾ってくれたとしても名前が書いてあるわけでもないし。
気をとりなおして次の日にスーパーやデパートの手袋売り場を見てみた。けれど、気に入ったものは高く、予算に合うものはつまらなくて、結局買えずに店をあとにした。

▲こんな日に限って外は「真冬」だ。
どんなに寒くても一度は立ち止まって空を仰ぎ、何車線もの道を走る車を見下ろすいつもの歩道橋も、どこで落としたのだろう?いや、そもそも、いつ片方だけ外したのか?となくした手袋のことばかり考えて、立ち止まることもなく下を向いて歩いてた。

▲子どもの頃はよく物をなくした。
当時は親も家業が忙しかったし四人姉妹の末っ子で甘やかされていたのか、しつこく泣いてねだれば、学校で要るものなら「代わり」を買ってもらうことができた気がする。

▲いつだったかジッカに帰ったとき、昔使っていた学習机の引き出しを開けたら、母があちこちから見つけたという三角定規と分度器のセットが幾組もあった。もちろんわたしの物だけでなく姉たちの物も混じっていたはずだけど、マジックで大きく名前の書いてある所を見たら
ほとんどがわたしの物だったのだろう。物を大事にしなかったかつての自分が恥しくて、傍で遊んでいた息子に見つからないようにそっと抽斗を押した。

▲そんなことを思い出してるうちに気がつけば橋を渡り終えていた。
ぼんやり歩道橋の階段を降りながら、ふと道脇のゆりの木を見上げたら、すっかり葉の落ちた木の枝が微かに揺れて、むこうにひろがる空の青はどきんとするような冬のそれで。
なくしものだけじゃなくあの事もこの事も。
いじいじくよくよしてる自分に活を入れられたみたいで。

▲そうだ。今夜は粕汁をこしらえよう、となぜかひらめいて(笑)そう思ったら、とたんにからだの奥がぽっと温く感じて、背筋のばして大股で帰り道を急いだ。信号を待つ間、荷物を置いて手をこすり合わせる。明日こそ手袋を買おうと思いながら横断歩道を渡り、ポストの前で はたと足がとまった。

▲ 赤いポストの上に白い毛糸の手袋がひとつ、たよりなげに のっかっている。
まさか、そんなことないよね。でも、見るだけ見てみようと、そろり手を伸ばしたら 真ん中に縄編み一本、右親指のところに小さな穴のあいた手袋だった。
早速バッグの中から「左手」を取り出して、ポストの上に並べてみる。まちがいなくわたしの手袋だ。
うれしいくせにちょっとバツが悪くてまわりに誰もいないのに「あらあら、こんなとこにあった。おおきに」とひとりごとみたいに言いながらあわてて仕舞った。

▲ あの日、手紙を投函するのに 手袋の手ではバッグから封筒を取り出せなくて、右手だけ外してポストの上に乗せたのかもしれない。
いや、外してそのまま落としたのをどなたか拾ってポストの上に置いてくださったのかもしれない。夜露にぬれたのか湿った手袋は家に帰ってからていねいに洗って干した。
で、その翌日か、翌々日だったか。
ポストの前を通ったらこんどは黒い男物の手袋の片方が上に のっけてあった。

だいすきな小沢昭一さんの句。
『床に児の片手袋や終電車』 (「新選俳句歳時記」所載1999・潮出版)

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by bacuminnote | 2009-12-23 15:05 | 俳句 | Comments(0)

本は だめ。

▲ この間、来年のカレンダーと手帖を買った。真新しいそれらはぴしっと硬い。さっそく新しい手帖に名前や電話やあれこれ書き込んでいると、新学期に教科書を持って帰った(そういえばわたしのガッコ時代の初めはまだ「買う」ものだった)小学生に戻ったような気分だ。
字が下手なくせに名前書きがすきだったわたしは 学校から帰るなり机一杯に「硬い」教科書を並べて組と名前を書き入れた。そうしてさっそくぱらぱら頁をめくって。どの本も一通りざっと読んでしまうと、まだ始まってもいない一年がなんだかもう終わってしまったみたいな気がして、ふううと長い息をついて本を閉じた。

▲ けど。実際の一年はそんな簡単に「ぱらぱら」とも「ざっと」ともいかなくて、途中 何度も読む手がとまり、ちょっとの間 動けなかったり、ぽいと投げ出したくなったり。やがてまた気を取り直してページを繰って・・・。いつのまにか手帖やカレンダーをすっかりやわらかくして ちょうどいい感じになったころ、一年は暮れてゆく。

▲ カレンダーを買った書店ではいろんな国のクリスマスの絵本を集めてディスプレイしてあった。
毎年のことながら、あの本見てもこの本見ても、とっくに背丈も親を越し えらそーな口を聞く息子たちの「かいらしかった」時代が重なって。アルバムを開かなくても 絵本を見ただけで「そのころ」の子どもと、時に読みながら居眠りして横からつつかれてた「若い母親!」が浮かんできて、しばらく絵本の前から離れられなかった。

▲ そういえば、滋賀でパン屋を始めたころA新聞にウチが紹介されたことがあった。全国版だったので「記事を見た」というお客さんがあちこちからたくさん訪ねて来て下さった。信州のKさん夫妻も「新聞読んで、これだと思った」とさっそく遠路 車でかけつけて来られたのだった。Kさんもウチと同じ転職組。経営するペンションで出しているピザをぜひ天然酵母を使って焼いてみたい、とのことだった。

▲この時の出会いが 4年後にカナダへの長旅、そして開田高原への転居の布石になったのだから「であう」というのはおもしろい。で、その年の春だったか、こんどはわたしたちがまだ雪の残る信州の道をひやひやしながら軽自動車で走って、Kさん自作のログハウスのペンションを訪ねた。
木の香りのするホールのテーブルもKさん作。本棚には保育士をしてらしたおつれあいのY子さんの集めた絵本や児童書がいっぱい詰まって、中央には薪ストーブがどーんと座って。(「座る」と言うのが、なんかかっこいいなあと思ったんよね)部屋にはわらのベッド。お布団の中には湯たんぽが入ってた。

▲ ホールにも部屋にもテレビはなかった。
当時はわが家にもテレビがなかったので息子は最初がっかりしたみたいだったけど。外に出て、ログビルダーのKさんに木の皮むきを手伝わせてもらい大はりきりで。たっぷり汗をかいたあと、お風呂に入り、夕ご飯までのひととき薪ストーブのそばで親子三人それぞれに本を読んだ。その頃あまり本を読まなかった息子も いわむらかずおさんの14ひきのねずみシリーズを次々持ってきては楽しそうに開いてたっけ。

▲ときどき本の見開きに「○○に。クリスマスにおくる」と書きこみがあって、Kさんの家のクリスマスや子どもたちを想像して、あったかな気分になった。
クリスマスの贈り物といえば、その昔 息子がサンタ・クロースに書いた手紙の文面を今思い出して、ひとり夜中に吹き出している。
「サンタさんへ。ぼくはラジコンがほしいです。本はだめ。」(笑)
しかし「本はだめ」と言うたこの子もいつしか本好きの青年となって、帰省のバッグにはいつも本が何冊も入っている。
『子へ贈る本がたんすに聖夜待つ』大島民郎
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by bacuminnote | 2009-12-12 23:54 | 本をよむ | Comments(0)

しずかにおもう。

▲ たずねてくれた友人を家の近くの角まで送った。まだ六時前だったのに、あたりはもう暗くて、道沿いのお家の電飾が道を明るく照らす。
街も人も年々クリスマス色に染まるのが早くなって。けれど、商業主義の色濃い空気にも知らないうちに慣らされてしまったのか、まるでテレビのコマーシャルのように ただ背景に流れてる感じがする。
それでも。12月。クリスマスを待つ時間はいくつになってもいいものだ。
そろそろ、わたしもお決まりのクリスマスのあれやこれやを出してこよう。

▲クリスマスの飾り物の大方は母の友だちが毎年贈ってくださったものだ。(この方のことは去年も ここに書きました)信州から大阪に越してくる時、いくつもあった「クリスマスの箱」は若い友人の、甥や姪の、子どもたちとシェアーして、いま箱は一つきりになったけど。毎年このころになると、会ったことのない母の友を、息子たちがまだちっちゃかった頃を、そしてわたし自身のクリスマスを思い出して、箱を開けてはなつかしく温いきもちになる。

▲母と友だちとのおつきあいは二人がまだ「娘時分」に彼女が吉野に「疎開」してこられた頃から始まったらしい。女学校の途中に大阪から吉野に転居した母にとって、大阪からやってきたその人にはなつかしいにおいがしたのだろう。すぐ仲よしになって以来六十余年。
だけどもう何十年もの間 会ってなくて、年に何回か手紙か電話だけ。
「お互い年とって、杖や押し車押して歩かなあかんようになったんやもん。無理して会わんでも、若いときと変わらへん声でしゃべって元気を確かめられたらええ。そんなつきあいもええやん、って言わはるねん」と母がよく話していた。だから、二人の間にゆっくりと流れる時間はいつも「娘時分のままやねん」とも。

▲そんな母が先日「今日電話があってん」と言うてきた。いつもの「あの子が」「あの子が」と女学生の如く高揚した声ではない。何があったのか、どきどきしながら話を聞く。ここ数年病気のために外出もできなくなり、ご自分で出来ない事が増えている、というのは知っていたけれど。いろんな事情も加わって先だってある施設に入所された、という。「”たまたま今日は家につれて帰って来てもろたし。ありがとう。こないして電話できるのももう最後やから”って、電話くれはってん」と母は声を詰まらせる。

▲「最後」やなんて。あの子が無理だとしても、こっちから電話をかけたり手紙を出したりできるのに。どこに入所したか?連絡先は? なんとか調べられへんやろか?・・・受話器のむこうで母が泣いている。
ああ、でも、でも。
あの方のことだから、電話をかけるまで きっと考え考え なやみ尽くしはったにちがいない。とても、ものすごく、さびしいけれど、こころを決めたひとに応えて母もわたしも「何かしたい」きもちを抑え、しずかにおもっていようと話した。

▲そうは言うたものの「しずかにおもう」ことのなんと心許なく苦しいことやろか。
わたしは電話のあともしばらくぼーっと立っていた。そうしたら突然 京都『末富』の包装紙が浮かんだ。きれいな「末富ブルー」に鮮やかな黄色の扇、紅葉の絵。一度も会ったことがないけど、この包装紙がわたしの描く母の友のイメージだ。いつだか送ってくださった和菓子のお礼の電話をしたら「わたしね、末富はんのお菓子もやけど、あの包装紙が好きですねん。ほんまに かいらしぃでっしゃろ」と昔ながらの大阪弁のあとは少女のようにふふふと笑わはった「かいらしい」声が耳に残る。

▲ 日中はぽかぽか陽気だったのに、ぐずぐずしてたら夜になってしまって冷え込み始めた。今頃から、と思いながらも分厚い上着を着て二階にあがり物置の「クリスマスの箱」を開けた。
わたしのお気に入りを袋から取り出す手がふるえる。ちょっと渋目のサンタクロースがリースにぶらぶら腰掛けて微笑んでいる。 Sさんありがとう。いっぱいありがとう。

『サヨナラから はじまることが
 たくさん あるんだよ 』
(『サヨナラcolor』詞・永積タカシ)
 
*youtube 『サヨナラcolor』(by ハナレグミ&忌野清志郎)
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by bacuminnote | 2009-12-02 11:09 | 音楽