いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

そしてゆりの木は。

▲ 図書館帰り、いつもの歩道橋を渡りながらいつものように橋詰に立つゆりの木を見る。あれ?何か様子が変だ。急いで近づいてみたら、木のてっぺんから1mほど下の枝に作業服の男の人が登っていたのでびっくりした。一瞬何のことか意味がわからず、視線を下に移して、もっとびっくりした。枝がわずかに残っているのはてっぺん辺りだけで、歩道橋の階段の下には切り落とされた枝がいっぱい散乱している。その横のゆりの木にも腰にロープ巻いた人がいて、同じようにのこぎりで大胆に枝を次々落としてゆく。

▲胸がどきどきしていた。「なんで?なんで?」と思いながら、橋の手すりから身を乗り出して のこぎりが ぎこぎこと動くたびに揺れる木をただ見入る。「これ以上は怖くて登れへんなあ」とその人は隣の木の人にむかって言っていた。
しばらくしてわたしは歩き始め、階段を降りながらも、何回も立ち止まって枝のない木を見上げた。ぶつぶつと切り落とされた、枝の切り口の白さが痛々しくて、なきそうになる。ふっと人の気配を感じて振り返ると、同じように腕組みしながら怒ったような顔で木を見上げてる年配の男性がいた。

▲ こんなふうに街路樹を驚くほど大胆な(無残な)剪定(切り落とす)が何年か前から始まった。わたしの住む市だけではないらしく隣市の友人も嘆いていた。何のためにこんなことをするのだろう。通行のじゃまになっているわけでもない、むしろ道行くひとの憩いになっているのに。落ち葉が大変だから?でも、二年前にトーテンポールか電柱かと思うような切り方をされた近くの街路樹の落ち葉(の量)は、切られる前と変わりないように思えるんだけど。

▲ そんなことをmixiに書いたら友人が一冊の絵本を教えてくれた。その本 『木はいいなあ』(ジャニス・メイ・ユードリー 作/
マーク・シーモント 絵/
西園 寺祥子 訳)は
題名そのまま、木のよいところをひとつずつあげてゆく。風から守ってくれるとか、木陰をつくってくれる、とかね。すてきだなと思ったのは、そんな大きなことじゃなく「ねこは、いぬに おいかけられると、 木のうえににげる。」とか「ぼうきれも 木から とれる。ぼうきれで すなにえを かくんだ。」なんてことが 次々語られるところ。

▲いちばん気に入ったのは「木には、 ぶらんこが つけられる。ブルーン、ブルーン。えだに 花かごも かけられる。はたけで ひとやすみするときは、 くわを 木に たてかけておくよ。」というページで。とくに「ひとやすみするときは、 くわを 木に たてかけておくよ。」ってところがすき。
何かの、誰かのやくにたつ、ってことは 大きなことばかりではなく、こんなふうにさりげないものこそ こころに残るのだと思う。
いい本 おしえてくれたひと ありがとう。

▲外に出ると絵本の中の「はっぱは なつじゅう、そよかぜの なかで、 ひゅるひゅるひゅるーっと、 くちぶえをふいているよ。」を思い出しながら歩く。春になれば、それでも芽吹き、夏になれば、はっぱはふさふさになるかなあ、と。
でも、歩道橋に来ると足がとまる。あのあと、とうとうてっぺんまで まるはだかにされてしまったゆりの木の前でわたしは今日も立ち止まって、ちょっとの間 動けないでいる。


* 追記 *
インターネットで検索してみると、各地でこの「ブツ切り剪定」は問題になっているようです。
疑問に思っていた落ち葉の量については、むしろブツ切りによって「枝の徒長を早め、葉の量を増大させるもとになる」「徒長した枝を間引くことで、枝数を減らし葉の量を少なくする。素直に伸びた横枝は成長も遅いので、樹形保持のためにも通行や電線に支障のない程度にそんな枝を残す」と「透かし剪定」をしたという造園屋さんのHP記事がありました。リンク先のページ最後の方の「現場での対応」「街路樹剪定のあり方に関する参考記事」(この中の『秋田からのたより』など読んでみてください ) 福岡造園HPより
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by bacuminnote | 2010-01-26 14:37 | 本をよむ | Comments(0)

申し遅れましたが。

▲日曜の朝、縁側の廊下がほんのり温かった。久しぶりの陽気。洗濯物を干す手をとめ、大きく伸びをして空を見上げてるうちにひらめいた。
「せや、これからよしのに行こ」
お正月に行きそびれ、その後も次々と用事ができて、母にも「そのうち」「近いうち」を繰り返していたから。急な思いつきで何の支度もできていなかったけど、相方の「ええ天気やし行って来いや~」に「うん!」と出発。駅前で母も姉も好物のシュークリームや食べ物を大急ぎで買って地下鉄に飛び乗る。よしの行きは去年の9月叔母の法事のとき以来だ。

▲近鉄あべの橋駅に着いたら、特急は出たばかりで久しぶりに急行に乗りこんだ。休日の冬のこの線は 車窓から差し込むお日ぃさんの光を遮る乗客の姿もほとんどなくて明るい。向かいの男性は新聞広げたまんまこっくりこっくり舟をこぎ、隣のおばちゃんはおつれあい風のおっちゃんの話になんべんも「ふあああ」と大きな欠伸をしつつ「そうでんなあ」と適当な相槌(笑)。車窓の外、流れる景色は大きな家に小さな家、長屋にアパート、マンション・・・どこもかしこも色とりどりにいっぱいの洗濯物と布団が気持ちよさそうにお日ぃさん浴びて。ああ、のどかなり。近鉄南大阪線。

▲この電車 次発の特急(有料)に遜色ない走りながら、途中「通過待ち」5分というのが二回もある。その間(かん)電車の扉は開いたままなので、冬は寒いのナンのって。でも、この「待ち」の時間 お尻はほかほかしてるのに、足先と顔だけがどんどんつめたくなる感じや、しんとした車内、それにだれもいないホームでちゅんちゅん飛びはねて鳴く雀は、わたしが高校生だった40年前とまるで変わらなくて。その変わらなさにカンドーだ。

▲飽かずに外を眺めているうちによしのに着いた。冬の吉野川も山々も年老いたひとのように、枯れてしずかで、その深い皺もシミまでもしみじみとうつくしい。ずっとずっと嫌いだった田舎をこんな風な眼で見入る時が来ようとは。ジッカまでの道すがら今日は母にそんなことも話そうと思ったんだけど。顔を見るなり着てきたコートの超特価自慢から始めてしまった。まったく。
そんなこんなの他愛ない話で笑っているうちに、母のいつものセリフ。「ほらほら、暗ぅならんうちに早ぅ帰らなあかんやろ」

▲今年87になる母の衰えぬ好奇心やさびしさや愉しみや悩みや痛みを思いながら、こんどは特急にて帰途につく。乗って十分もしないうちにいつもの通りの爆睡。そうして一時間後「次はあべのばし、あべのばし、終点です」のアナウンスに飛び起きた。家に帰ったのは6時過ぎで。よしのでの事を相方や息子に報告しながら夕ご飯を食べてると、携帯に母からメールが届いた。
不覚にも泣きそうになったのは、句読点なし、ノンストップの母の愛ゆえか。
「よく帰って来て呉ました一杯積もるお話があったのにあっという間にお別れの時が来て残念でした又ゆっくりお電話します△さんに◯ちゃんによろしく申し遅れましたがおこころ尽くしのお土産有難う」
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by bacuminnote | 2010-01-19 23:43 | 出かける | Comments(0)

大きな声をだしてみる。

▲ 今朝、雨戸を開けたら空の中にお向かいの家がぽっかりと浮かんで見えて驚いた。「あれ?」と寝ぼけ眼をこすった次の瞬間、空があまりにも青一色だからと気がついて。顔がぴりぴりする冷気の中、窓を開けたまましばらく夢のようなベビーブルーに見とれてた。重い雨戸を「よっこらしょ」と引いたとたん 真っ暗な部屋にお陽ぃさんの光が 一気にさあーっと差し込む朝とあおいあおい空は、もうそれだけでチカラがわく。天気と元気はつながってる。

▲ お正月は家族が風邪をひいたこともあって、どこにも出かけず篭って(ま、それでなくても出不精なんだけど)のんで食べて寝て、いただいた年賀状に返事を書いた。いつものグッドセンスも、ひねりあるものも、定形賀状も。そして手書きもパソコン印刷も。何日かの間は郵便受けを開けるたびにはがきが届くのはうれしいものだ。掘り炬燵に足を入れると、つい机の上の賀状の束を繰っては眺める。「らしい文字」になつかしく見入り、写真つきのはがきには子どもたちの成長ぶりに声をあげ、それからもう長いこと会ってない人のことをしみじみと思う。

▲ 友人Eの賀状は家族で遊園地の急流下りかジェットコースターで下って来るとこ。「きゃあっ」と今まさに声を上げてる瞬間をとらえたもので、それぞれの緊張感とはじけた笑顔がたのしい写真だった。で、書き添えられた彼女のことばが奮っていて。曰く『ずっと歯を食いしばって乗るものだと思ってたジェットコースターは、「キャー」と大きな声を出して乗る方が「楽」なのだと気づいたのは40近くなってからでした。』
はがきのすみの方には小さな字で『人生もそう!?』とあって。ううう、深い!(笑)
そんなわけで改めて「ジェットコースターとジンセイ」を考える新年だ。

▲さて、先日届いた『GRAPHICATION』の特集は「理系と文系の間」で、インタビューには分子生物学者の福岡伸一さんが登場。(やっぱり!この特集やから出て来はると思った)理系にはまったく疎い、あるいは敬遠、恐れ多くて近づけないわたしだけど、この方の文章だけは別格。とりわけその中に須賀敦子さんのお名前を見つけてから、ちょっとは近く感じるようになった。(とはいえ、やっぱり難しそうなところはスルーする、という実にいい加減な読者だけど)

▲このインタビュー、氏が分子生物学に出会うまで・・・「本の虫で、同時に、虫の虫」つまり昆虫少年だった頃のお話から「捕虫網を置いて、ミクロの世界の実験道具を手に遺伝子ハンターに」なるまで、たのしく語ってはって興味深く読んだ。そうそう、最後の質問『福岡さんは文学書もよく読んでおられるようですが、それが研究上役に立つことはありますか?』にはこう応えてはる。

▲『直接ヒントになることはありませんが、物語を読んでいると、世の中は九十五%くらい失望でできていることが自明なこととしてあるのがわかります。(中略)人間は人類が誕生して以来、繰り返し同じことをやっているに過ぎないのだから、まあいいんじゃないかなと、諦める。諦観は文学が教えてくれたことですが、それは科学をやる上のヒントではなくて、科学をやる上の「よすが」にはなっていますね。』(以上インタビュー「理系・文系の溝を埋めるには」p23~25より抜粋)

▲ この記事を読みながら、ふっと友人Eの年賀状がうかんで。
今はもうジェットコースターに乗ることはないけれど、ジンセイの坂道では歯なんて食いしばらず「キャー」と派手に大きな声でも出して転がってみようと思うのだった。

* 追記
『Book Japan』にある北條一浩さんの書評を読むと福岡さんの『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)も読みたくなります。
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by bacuminnote | 2010-01-11 22:36 | 本をよむ | Comments(0)

うどん にしとこか。

▲ いつの頃からか、お正月休みに「ただいま~」ではなく、「おかえり~」と子どもを迎えるようになった。
何日も前から何をこしらえようか、とこの頃では開くことも少なくなった料理本を出してみたり、食品売場であれこれ新しい食材を手に取っては「いやいや、いきなり冒険はやめておこう」(笑)と、また棚に戻したり。でも結局そうやって悩んだ時間はいったい何だったんだ?というほどに いつもと変わらない大晦日、いつも通りのお正月を迎えるんだけど。

▲ その昔、年末大阪に家族で帰省すると、朝食も済まない内にきまって義母が「クミコさんお昼はどうする?」と聞いてきはった。えっ!?さっき起きて来たとこやのに。それに相方も息子もお義父さんもまだ寝てるやん・・・と思いながらも「えーっと、おうどんでええんとちゃいますか?」なぁんて答える。すると、義母は「せやなあ、お昼はうどんにしとこか」と言うや取って来たばかりの朝刊を開き、メモ書きできそうな広告を取り出しペンを握って「で、夜は何する?」と言うのだった。

▲ ほんまにもう!とせっかちな義母にため息のまだ若いわたしだったけど。あらあら、いつのまにやらせっかちな「おかん」がここにもいる。今回も東京から帰省してきた息子に何べんも「まあ、ちょっと落ち着き」と言われてしもた。考えてみれば、母もまた義母以上にせっかちで。わたしもその母の子で、一年中ひとの出入りのはげしい旅館とたべもの屋の子やから、もともと「その気(け)」はあったのかもしれないけれど。これでも大昔は「あんた待ってたら日が暮れる」と、親のお墨付きの でんと落ち着いた娘(苦笑)やったんよね。

▲ まあ、そんなこんなの代わり映えしない食卓も、上の子とガールフレンドが加わり、彼らが買って来てくれる「新しい」たべものやワインが並び、グラスとお皿の数、それに何より笑い顔もふえ 賑やかに愉しくおいしくて。佳き時間はあっという間にすぎ、じきに「行ってらっしゃい」の朝は来た。
なんだか家の中が急に「がらん」として、しょんぼりおかんは庭いっぱい干した洗濯物がゆらゆら揺れるのをちょっとの間 眺めてた。けど、一日たち、二日すぎ。そんな思いも知らんまに忘れてる。
またいつもの生活が始まった。

『只の年またくるそれでよかりけり』 星野麥丘人「新日本大歳時記」講談社 所載

* あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくおねがいします。
あたらしい年に ちょっと古いけど(なつかしの"Exodus"にあった)すきなうたひとつ。『One love』 playing for change song / around the world 
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by bacuminnote | 2010-01-05 13:29 | 俳句 | Comments(0)