いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲金曜は終日はげしい雨降りだったので、満開だった梅の花が散って庭がピンクに染まってる。まだ2月やというのに、もぁーっと温い日が続いてきもちわるかったけど、最終日の今日は きりっと寒いモノクロの朝。
だから、ピンクの庭が夢の中のようにそこだけくっきりカラーで、ふしぎな光景だ。

▲ 返却日まであと一日なのに、まだ最後まで読めていない本を持って図書館に行く。600ページ余りもある分厚い本やから、残りは館内で読んでそのまま返却すればいい、と袋に入れてきた。
ところが、いつもは混んでるエレベーター前にはわたし以外だれもいなくて、おかしいなと思ったら「やっぱり!」の休館日。ふうう。毎日が平日でもあり休日でもあるという生活を送っているので 時々こういうことになる。

▲ このまま重い本を持って帰るのもなあ、と階下の公民館のソファのあるスペースで最後まで読んでいくことにした。ここには円形のソファがいくつかと隅っこにはテーブル席がひとつあって、この日はテスト中なのか女子高生が四人、数学の問題を皆で考えているみたいだった。短めチェックのプリーツスカートと紺のジャケットのよくある制服姿。瞬きするたびにバシャバシャと音がしそうなその長いまつげは、離れたところからでも くるりんとカールしてるのがわかる。

▲さて、 本の残りはあと2章。
時おり聞こえるきゃっきゃっ楽しそうな笑い声と、もうすっかり忘れてしまってるホウブツセンやらインスウブンカイという言葉にどきん。こういうのに泣かされた日々を思い出したりして、続きはなかなか進まない。あかん。ここでは気が散って読めへんなあ・・と顔をあげたときに、年配の男性が湯気のたつカップラーメンを持って、そろりそろりとそのテーブルに向かった。

▲どうやら その雰囲気から、おっちゃんがテーブル席に荷物を置いてお湯を入れに立ってる間に、高校生グループが座ったみたいで。向こうから歩いてきたときからそう決めていたかのように、おっちゃんは迷うことなくさっと自分の荷物を持つとソファ席に移動した。女の子たちは「あ・・・す、すんません」と 口の中でごにょごにょ。おっちゃんは「いやいや、こっちでもええし」と答えてはった。けど、さすがにテーブルのない、背もたれもないソファでラーメンは食べにくそうだ。

▲ ラーメンの匂いがフロアに広がり、ずるずるという音と、高校生のぼそぼそ何やら言う声が響く。
と、そのとき。「そんなところでカップラーメンなんか・・・」という声がして。びっくりして本から顔を上げた。てっきり館の職員が何か言いに来たのか、と思ったのだ。そしたら一人の女の子が「そんなとこでラーメンは・・」と言い、別の子たちがそれに継いで「そこでは食べにくいやろから、こっちに」「そう、こっちに来て座ってください」と言うのだった。

▲ あのぼそぼそ声は数学の問題対策じゃなく「おじいさんに悪いことしたよね」とか言って相談していたんだろな。「どうぞ、こっちへ・・・」と口々に誘う笑顔がほんまにかいらしくて。「ありがとう。けどな、恥ずかしいし、ここで食べるわ」とはにかみながら答えるおっちゃんもまたええ感じやったから。
結局、気は散りっぱなしで(苦笑)ひざの上の本は先にいっこも進めなかったけど。
マンゾク。数学のテスト うまくいくといいね、って心の中でおもいながら、わたしはまた重たい袋持って公民館を出た。
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by bacuminnote | 2010-02-28 15:41 | 本をよむ
▲雨あがりの朝、雨戸を開けたら梅の花が咲いているのが見えた。
紅いのも白いのも、まだ固くまるい蕾にも、雨粒きらきらひかる。
あまりに「かいらしい」ので朝ごはん食べたあともしばらくガラス戸越しに 梅の木を眺める。そしたらふっと一枝ほしくなって、履物を取りに行くのももどかしく裸足で庭に出た。

▲か細い枝の間から見える どんよりくもり空の灰色さえも 花の色が入るとキレイだ。
「どれにしようか」と上をむいて迷っているうちに足元からじんじん冷えてくる。昨日いちにち雨を吸った置き石が裸足につめたい。やっといい枝を見つけたけれど鋏持つ手が背伸びしても届かなくて。
ええい、と手水鉢の端に足をかけて手を伸していたところに相方が突然登場。「えらい大きい猫がゴソゴソしてると思ぅたら」という声に一瞬ぐらりとするも、なんとか無事採取。玄関に、台所に、トイレに、あちこちに一輪挿し。ついでにちっちゃなお雛さんも出してきたら、ぽっと辺りがあかるくなって。ああ、ハルガキタ。ココニキタ。

▲ とはいえ、まだまだ毎日寒い。とっても寒い。。
今日は午後から義母のホームをたずねた帰り道、ちょっとの間だったけど小雪が舞った。いつもは食べて、しゃべって、笑って、ほこほこ気分で帰ってくるのに。なきごと、うらみごと、くりごとに どこまでも終点がみえなくて、つい語調がきつくなった。ざらざら、ぞわぞわ、もやもやしながら、大股で走るようにバス停までの坂道を下っていたら、冷たくて白いものが降ってきた。

▲ けわしい表情のまま冷えて固まった顔で(たぶん)家に帰ると元お客さんから思いがけず贈り物が届いていた。ありがとう。パン屋をやめてもう7年にもなるけれど、お客さんはいつのまにか かけがえのない友だちになっている。贈り物を手に「麦麦(ばくばく)」時代のいろんな場面を思い出しているうち、きもちもからだも温もった。

▲そういえば、この間はこのブログに書いているアドレスにお客さんからメールがあった。友だち(この人もはじめはお客さん!)の紹介で何度か注文してくださった方で。「パン屋 閉められたんですね」との文面。ふとウチのパン思い出して麦麦のHPをご覧になって、ここ(ブログ)を見てくださったのだろうか。今さらながら、こうやって紹介、紹介で、近く遠くのお客さんに支えてもらってたんやなあ、とうれしくてありがたくて。こころからおおきにです。

▲ 贈り物の主Hちゃんが初めてパンの注文をしてくれたのは、たしか週刊誌で宅配パン屋の特集が組まれたときだったと思う。いまファイルを探して読んだら、ウチの紹介文のなかに「箱をあけるときつね色に焼けたパンが並び、お店の人からの手書きのお便りが入っている」とあって思わず顔がほころんだ。店に来てくださる方とは話せるけど、ウチは宅配が主だったので顔のみえないお客さんに何か話したくて、パンの箱にはきまって手紙を入れていた。

▲ 大きな紙を用意すると、おしゃべりのわたしの文章がどんどん長くなって宅配便の集荷に間に合わないので、そのうち はがきサイズのメモ用紙に決めて書くようになったんよね。「パン屋やのにペンだこ」とわたしの指のタコを見て、友だちによくからかわれてたけど、パン屋のおかみサン言うても「いらっしゃい!」と声に出せない分「はがき一枚」のおしゃべりがわたしの愉しみの時間でもあった。あんなにたくさんの人に手紙を書くことはもうないやろなぁ。

▲ 夜になってHちゃんちに電話をしてひさしぶりに話す。気まぐれでたよりない情けなーいわたしに、うんと年下の彼女はいつもゆったりやさしくて。きもちも疲れもほぐれたところで、昼間のことを思い出しながら「たまには きつぅなってもええやん」と自己弁護して(苦笑)ビールをぐいと飲んだ。
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by bacuminnote | 2010-02-19 11:17 | 出かける | Comments(0)

むずかし おます。

▲ 駅に行ったついでに電車のプリペイドカードを買った。
外に出るときは眼鏡(近視)をかけているけど、ここ数年は老眼も加わって頻繁につけたり外したり。だから切符一枚買うにも、見上げた路線図のごちゃごちゃの中(苦笑)自分の行き先の駅がなかなか見つからなくて(←これは視力のせいばかりではないが)運賃もわからないから。どこに行くにも、とりあえずカードを買って財布に入れておく事にしている。

▲ しかしこの券売機、年々複雑になり使い方が難しくなっている気がする。
多少?ドンくさいとはいえ50代のわたしですらこうなんだから、機械を前に途方にくれてる年配の方は結構いてはると思う。実際「切符買うのにどこのボタン押したらいいの?」と何度か聞かれたこと あるし。よりによってこんなわたしに と思うけど、駅も自動券売、自動改札、と何でも「自動」になってしもて、尋ねようにも駅員さんを探すのがまた一苦労やし、ね。

▲ 「ジドー(自動)は むずかしおます」と相方のおばあちゃんがまだいてはった頃、新しい電気製品の使い方で自分の「とんちんかん」を指摘されると きまって怒ったような顔で言うてはったことを思い出す。
そういえば、最近はトイレも なかなかむずかしい。
昔は水洗式トイレといえば、どこもレバーか引っ張る鎖がついているか、のどちらかで。次に「大」「小」をえらぶレバーが登場して。その後いつのまにかボタンを押すもの、センサーに手をかざすもの、何もしなくても勝手に流れ出すもの・・・と次々に新しいものが出てきたんよね。

▲ かの個室に入るときはたいてい気が急いてるから(苦笑)意識もしないけど、用をたしたあと「あれ?ここではどうするのかな?」と周囲を見渡す。単純レバーだとほっとし、そうでないときは説明書きを探すものの「消音」ボタンと「流す」ボタンの違いもあるし、最近は公共の施設にもウォシュレット機能付きのトイレが増えて、これもまた複雑でむずかしい。説明を読めない人はもっと困ってはるやろな。「人にやさしく」とか言うてどこがやさしいねん、といつも一人ぶつぶつ言いながら出てくる。

▲ より使い易く、と研究や開発を重ねて便利になっているはずが、そのつど操作が複雑になって使いこなせる人が限られるんだったら、それこそ不便やなあ、と思うことがある。外国語や音声ガイダンスの機能のある券売機も、そもそもその機能の存在や操作の仕方を知らなければ意味がないし。それより身振り手振りでも 教えてくれる人が、だれかいたら、その方がずっと心強いと思うなあ。

▲ 先月のことになるんだけど、テレビ(NHK / ETV特集)で『なまえをかいた~吉田一子・84歳~』というドキュメントを見て、その中で紹介されていた『ひらがなにっき』(長野ヒデ子 作・絵/ 解放出版社)という絵本を読んだ。
これは主人公の吉田一子さんの実話をもとに描かれている。吉田さんは1925年(大正14年)生まれ。幼くしてお母さんを亡くされ、奈良の生家から大阪のあるお家にもらわれていくが、そこでも又7歳のときに養母が亡くなる。そして、その頃から家のことや子守をしたり、で学校に行けず、お義父さんから九九だけは教わったものの読み書きを知らないまま大きくなる。

▲ 「戸籍」も奈良にいた実のお兄さんに問われるまで「入っていない」ことを知らなかった吉田さん。「一子」とはそのお兄さんが入籍の際 つけてくれた名前だそうだ。
そんな吉田さんが60歳になって一念発起して識字学級に通い始める。鉛筆を持つことからのスタート。歩みはほんまにゆっくり、ゆっくりだ。

▲あるとき吉田さんは初めて一人で電車で出かけ、途中ラーメン屋があったので食べて帰ろうか、と思ったけれどメニューの漢字が読めないのであきらめる。銀行では払い出しの手続きに自分の名前が書けず、自分のお金なのに引き出せないというとても悔しい思いをする。(この場面では何故銀行の配慮がないのか、腹立たしかったが、今は銀行の「規約」も変わったらしい)

▲生い立ちも経験談もつらい話が多いけど、吉田さんの持つ明るさや強さ、それに絵本の作者である長野ヒデ子さんのユーモアと温もりある絵と文で「学ぶ」ことの愉しさ、すばらしさをしみじみ思う。
なにより、吉田さんの日記には字やことばに対する愛にあふれている。たとえばこうだ。

【えきで らくがきを みました。びっくりして はらたって なみだが でました。】
この日記の隣のページには【なに かんがえてるんやろね だいじな かわいい じ つこて ひとの わるぐち かいて ばち あたっりまっせ】とある。識字学級に行った日には【わたし じ べんきょうしたら そのじ にげんようにって てにかいてね ぐっと にぎりしめて いえに もって かえるんですわ】って、ね。
その様子が目にうかぶようで、じーんとなる。

▲それから「おばあちゃん」をはげます孫の「つかさ」君や、時にきつい事も言いながら「学ぶ母」に声援を送る娘さんの姿に、吉田さんが暖かな家族と共に在ることを心からうれしく、よかったなあと思った。
絵本のあとには吉田さん自筆の文章や、当時の識字学級の先生のことばもあって「読み書きできない」ことで伝わらなかった悔しさや哀しみ、そして「伝えたい」という熱い思いに胸が詰まった。


* 追記*
この番組と絵本を見た後、学習権について調べてみました。
学習権とは
『読み書きの権利であり、
 問い続け、深く考える権利であり、
 想像し、創造する権利であり、
 自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、
 あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
 個人的・集団的力量を発揮させる権利である。』
  ユネスコ学習権宣言  1985年3月29日採択  (子どもの権利条約をすすめる会訳)

加えて ユニバーサルデザインについて。

『ユニバーサルデザイン7 つの原則』
誰でも使えて手にいれることが出来る(公平性)
柔軟に使用できる(自由度)
使い方が簡単にわかる(単純性)
使う人に必要な情報が簡単に伝わる(わかりやすさ)
間違えても重大な結果にならない(安全性)
少ない力で効率的に、楽に使える(省体力)
使うときに適当な広さがある(スペースの確保)



  

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by bacuminnote | 2010-02-07 19:57 | 本をよむ | Comments(0)