いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

知る。

▲ 寒く、温く、の日々に、タンス周りは仕舞えないままの冬物と春物が散乱している。若い頃は季節の先取りでおしゃれしたつもりになっていて、親に「伊達の薄着」を「また風邪引きまっせ」とからかわれたものだけど。今は「寒い、暑い、きゅうくつ」が何より耐えられなくなってきて、まずは人目より快適、とおもう。でも、そうやってどんどん「構わなく」なっていくのかもしれない。

▲ 今日スーパーに行く途中すれちがった高齢の女性。目も覚めるようなそのグリーンのスプリングコートに「わあ、春!」と思わず立ち止まり、振り返り、しばしその後ろ姿に眺め入る。この方(かた)かなりのおしゃれ上級者で、とうてい真似などできそうにないけど。わたしも暗い色ばかり着てんと、たまにはあんな風に明るいキレイな色着て、せめてココロだけでもぱっと花咲かせよう(笑)と思うのだった。

▲さて、先週末のこと。若い友だちと通称「みんぱく」( 国立民族学博物館)のゼミナールに行って来た。「みんぱく」は児童文学館(建物が「そこ」にあるのに閉じてる姿がかえすがえすも残念)や民芸館同様、万博公園内にあってウチから車でなら十数分のキョリ。が、近い所ほど遠く。なかなか行けない場所のひとつだ。
その日は前日の大雨もからりとあがり朝からぽかぽか陽気だったから、駅の周りはハイキングにBBQに、バトミントンのラケット、バット、サッカーボール持った若いひとやファミリーが両手に食料や飲み物一杯持ってあふれていた。

▲ 友人とは ゼミナールの始まる午後に待ち合わせだったけど、せっかくやから講演のテーマでもある「言語展示」も観ておきたかったので早い目に到着。
『星の王子さま』や絵本の『はらぺこあおむし』をいろんな言葉で聞いてみたり、日本語とおなじ語順の言語は世界にどれくらいあるのか、探ってみたり。案内にあるように「6000とも7000ともいわれる世界のことばにみられるたくさんの不思議」にコーフンする。

▲ 中でもわたしが一番夢中になったのは方言のコーナーだ。ここでは「ももたろう」の話(桃から生まれてくるあたりまで)を日本の各地22箇所の方言で語ったものを録音してある(1970年代の採取)。函館、青森、横手、仙台、沼田、長岡、志木、金沢、名古屋、京都、岸和田、松山、南国、松江、広島、福岡、那覇、首里、宮古島、八重山、東京八丈。(←すみません。全部メモしてきたはずが今数えたら一箇所足りないのデス)

▲ これに加えていまの若者(沖縄・大阪・東京)が同じように「ももたろう」を語るのもあって。(2009~2010年採取)これがもうサイコー!
テレビの影響で、今や若い子のことばは沖縄でも大阪でも東京でも、イントネーションの違いこそあれ、ことばそのものの差はあまりなくなっているのがよくわかる。だけど、沖縄の若い子の語りでは、おじいさん、おばあさんのセリフのところだけ昔からの言葉になっている事も興味深かった。

▲この機械、パネルのスピーカーがあるのがちょうど腰くらいの高さなので、しっかり音声を聞き取りたいわたしは耳をスピーカーにくっつけるようにしてしゃがみこむ。方言って、深いなあ。他に人がいてはらへんかったのをええことに延々と聞く。
それにしても、友人の姿がない。みんぱくフリークの彼女のことやから、とうに来てるかと思ったのに。メールしたら「モノレール、反対方向に乗ってしもた」と返信。まるでいつものわたしである。が、そんなことは棚にあげて声あげて笑わせてもろた。(す、すまん)

▲その後、ぶじ友も到着して 菊澤律子さん (先端人類科学研究部・准教授)による講演が始まる。と、言語展示の会場のようすが大きなスクリーンに映し出され。「ももたろう」のブースでデカイおばちゃんがしゃがみこんでる図!にびっくり。(そういえば、あとの方で職員っぽい人が写真撮ってはるなあ、と思ってたんだけど、その人こそ演者の菊澤さんだったのだ)
講演で印象に残ったのは「ありがとう」ということばについて。
どんな言語にも「ありがとう」(を意味することばが)ある、と思っていたけれど、ない言語もあるのだそうだ。というか「ありがとう」にあたる概念がない。つまり「ありがとう」は全言語共通の概念ではない、とのこと。

▲ 『物をもらったり、何かをしてもらったり、それに対してどう解釈するのか、これは社会的に定義づけられることらしい』( 菊澤律子さん『あおむし日記』2010.01.25より抜粋)ううむ。衝撃だ。「こうあるべき」「これが当たり前」という自分の固い頭を叩かれたような。叩かれて、目の前がさーっと拡がったような。
展示室にもあった「ことばのおもちゃ箱のなかからあなたのお気に入りをひとつ見つけてください。そこから大きな大きなことばの宇宙がひろがりますよ」を実感。

▲ 講演が終わって、友人と珈琲をのみながら 共通の関心・ことばの話や積もる話。そのうち喫茶店がクローズになり(館内喫茶室はしまうのが早い)「ほんなら、行きましょか」と彼女の案内で ビデオテークに。
「えっと、『地域でえらぶ』と『テーマでえらぶ』どっちにします?」
「じゃあ『テーマで』」
「テーマはどれがいい?」
「食べる。かな」
「やっぱりね(笑)」
ということで、学芸員のような手際のよさで操作。彼女推薦の二作(彼女はすでに何度も観ているらしい)「パンの発達史」と「ドイツのソーセージづくり」を鑑賞した。
いやあ、すごい。すごいなあ。なんだかちっちゃい子の感想みたいだけど、これに尽きる。知らないことって、まだまだ。まだまだいっぱいある。

▲閉館きりきりまで粘って、館をあとに。ひさしぶりに「知る」よろこび。満たされた時間。誘ってくれたWちゃん感謝!
この日の夕ご飯の時間は「世界にある言語数は?」のクイズから(笑)「ももたろう」の方言バージョン、「ありがとう」の話(つねづね家族にわたしへの「ありがとう」を強要してる身(苦笑)としてはナンですが)、パンとソーセージの話まで。大独演会の夕べであった。


*追記
その1) 世界で話されている言語の数は約7000足らず(by ユネスコの発表)だそうですが、カウントの仕方には様々な定義、考え方があり「みんぱく」では3000~4000と捉えているそうです。

その2) どこに行っても 好奇心も探究心も底知れず。Wちゃん的世界は『三度笠書簡』で。
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by bacuminnote | 2010-04-22 23:32 | 出かける | Comments(2)

訪ねていくひとになる。

▲ 寒い、寒い、寒い、温い、寒いの日々。今日は「寒い」の番。仕舞おうかと思ってた上着を又着こんで歩く。散る桜を背景のこの寒さに開田高原の遅い春を思い出す。もっとも、かの地は今雪が降っているらしい。(さもありなん)
歩道橋の上は風がつよくて「おお、寒ぅ」とつい声が出て首をすくめる。
ふっと下をのぞきこんだら、今年初め無残に切り落とされたゆりの木の枝の一つにちいさな緑色を発見。ヨカッタ。ヨカッタ。

▲ さてさて、まだまだ寒い中だけどわたしは冬眠からさめたクマのように!いつになくごそごそ動き始めている。というか、だれかが「脱・出不精」キャペーンでも張ってくれてるかのように(笑)ちょっとふしぎなくらい次々とものすごく久しぶりに会う人、初めて会う人の「出ておいでよ」「いっぺん会おうよ」がつづく。

▲まずはネット繋がりの友が仙台から奈良まで来はったので初対面を果たし。かつて友だちの結婚式帰りに名古屋→大阪の電車で話しただけの友だちの友だちと去年秋にネット上で再会。なんと今はベルギー暮らしの彼女が3月に一時帰国するので「ちょっと会おか」ということになって、31年ぶり二度目の再会。長らく住んだ沖縄から数年前 滋賀に戻ってきた友人一家も「おいでよ」と何度も誘ってくれてたんだけど、先日ようやっと近江八幡まで。 ヴォーリズ建築の古いけどそれはすばらしいお家訪問。20年ぶりの再会だった。そして、先日はとうとう福岡までひとに会いに出かけてきた。

▲二泊三日のみじかい旅ながら、こんなふうに一人で出かけるのはケッコン以来初めて。行くことが決まってからの数日はそわそわ落ち着かず、前夜はもうまるっきり遠足前のこども状態。バッグの中身を入れたり出したり。寒いのか暖かなのかわからない天気ゆえ、何を着て行こうかと悩み。ようやく準備万端整えて早めにお風呂に入ったのに、なかなか寝付けず(『最後の場所で』 チャンネ・リー著/ 高橋 茅香子 訳)を読み始めると、これがぐいぐいひっぱる文章でどんどん目も頭も冴えてきて。こりゃ徹夜か、と思ったけど、さすがにそれはなくていつのまにか眠っていた。それでも朝は目覚まし時計が鳴る一時間余りも前に起き出してしまった。

▲ 長いこと「行きたいけど、なかなか行けない」とばかり思ってた所は、けど、切符買って(←まあ、ここんとこが結構ネックだったりするのだけど)「のぞみ」に乗ったら、窓から外を眺め、昨夜の本の続きを読んでいるうちにあっという間に着いてしまった。たったの二時間半!
博多駅まで迎えに出てくれ、二晩お世話になったKさんは『麦麦』の開店当初からのお客さんだ。いつも、何回でも書いてるけど、お客さんから大事にしてもらったシアワセ者のパン屋だったと、今もほんまに感謝のきもちでいっぱいだ。

▲ 電車をのりかえ「そろそろ海がみえるよ」のことばにどきどき。いつだったかテレビで「奈良県人は車窓から海が見えると必ず『わあ』と声あげて立ち上がる」と言うてたけど、わたしもその口。身をよじり、そのうち立ち上がる。いや、川が見えてもやっぱり「わあ」と席を立ってしまうから、水のあるとこにはヨワイんやろね。

▲ 半時間余りしてKさん家に着く。彼女らしい温かなふんいきの台所(台所と本棚にはそのひとがでると思う)と大きな冷蔵庫。毎月箱いっぱい送らせてもらったパンはこの冷凍庫に入ってたんやなあと、しみじみ眺める。そういえば、Kさんちの三番目の子どものはじめてのことばは「パン」だったそうで。(当時パンといえばウチのパンだったらしい)その子ももう22歳の青年。15年前の夏休みに開田へファミリーで訪ねてくれて以来、今回二度目の再会だ。その後もずっと手紙に電話に、とおつきあいは続いているからちっとも「ひさしぶり」の気はしないけど、顔を合わすとすっかり年をとってしまったお互いに、しばし照れ笑い。

▲ 今回もう一人会ったのがKさんの紹介で知り合ったIさん。彼女は糸島というところの山の中、焼き菓子の名手。『スモールバレー・デザートカンパニー』と、その名もすてきなお菓子やさんだ。彼女ともメールに手紙と電話のやりとりでは、古くからの友だち並の親しさながら、会うのは初めてだった。
雑誌の記事やメールで写真はみていたけど「小さな谷」にある工房も住まいも、そしてご本人もとってもすてき!何よりここの台所にはうっとり。窓の前は森。シンクもガス台もたくさんの鍋やボールに籠も。清潔だけどいい感じに雑然 。グッドセンス。九州とはいえ山の中だから薪ストーヴのぬくもりが心地良かった。

▲ Iさんの運転で、彼女の仲間のお店に連れて行ってもらう。福岡と佐賀県境にある山の中のカフェは『クロモジ』。ここの厨房も本棚もやっぱり「あるじ」を表わしていてじつに魅力的。ていねいに時間をかけて作られたにちがいないごぼうのポタージュや椎茸と菜の花のトーストサンドの味も、あれもこれも手にしたくなるいい本もおもしろい本も、廃材をセンスよく使った店内も。そしてあるじの笑顔もこころにのこる。

▲春の海辺のパン屋はその名も『のたり』。お店の横に干してあったちいさなズボン。靴を脱いで上がる店先にはベビーベッドがあって、若いふたりの「いらっしゃい」のすてきなこと。ミキサーにオーヴン、ああ、これ、これ、このにおい。そしてそして、カンパニューおいしかった!
決して裕福ではないけど(たぶん)こころゆたかに暮らす人たちがいて。開田の頃の生活や友だちを思って、とてもなつかしい時間だった。

▲ 夜、Kさん心づくしのご飯をいただいてたら「ただいま~」の声。なんと仕事で離れた所に住む娘のAちゃんが顔をみせてくれたのだった。「麦麦のおばちゃんに」と何度か手紙をくれた小学生の女の子は、いつのまにかうつくしくしっかりした大人の女性になっていてカンゲキ。老親がよく言うように「ほんま、わたしらも年とるはずやなあ」とおもう。

▲たのしい時間は「あっという間」にすぎて、帰る日がやってきた。朝からIさんが車で迎えにきてくれスモールバレーにてIさん自作バジルペーストたっぷりのパスタやサラダをごちそうになった。出かける前、彼女からもらったメールにあらためてじーん。
「いつも人を迎えるタイプの人と思うから たまには 訪ねていく人になってね」
ふたりに迎えてもらった夢のような時間を思いながらも、二時間半後は大阪だ。家に帰ったら、相方と息子がレトルトカレーを温めているところで。ああ、ゲンジツ(笑)
出発前々日から煮ておいた大鍋おでん(炊き出しに使うようなでかいアルミ鍋)もみごとに完食。外食一回。ごちそう尽くしだったわたしに比べたらえらいシンプル。すまん。留守番おおきに。あ、けど、また行きたいです。
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by bacuminnote | 2010-04-16 14:29 | 開田村のころ | Comments(0)

何度も何度でも。

▲ 桜は咲いたのに、季節はかなりうしろむきだ。
つめたい雨。灰色の空。足元からぞくっとするような冷気がはいあがって、先月末にはみぞれや雪まで降ったしね。けど、昨日も今日も晴れ。ブルースカイ。朝からぽかぽか陽気で。今のとこ、春。明日のことはわからないけど。
一枚薄着の午後は身もこころも軽くて、ひさしぶりに聴いたシャンソンの口真似して
るるぅらりるれぇろぉ~(笑)出鱈目を口ずさみながら縁側にぺたんと座って日向ぼこ。早くもからりと乾いたタオルや肌着をていねいに畳んでみる。

▲ そうして陽気にさそわれ出かけることに。
駅は沿線の大きな公園に花見に行く人たちで、子どもから年寄りまで満員。日曜日やし、ええお天気やし、桜はちょうどええ感じに花が咲き。でも、わたしは公園とは反対方向の電車でリコーダーの演奏会を聴きに。
子どもの頃は音楽の授業のある日もない日も、ランドセルの端にいつもリコーダーを差し込んでた。ガッコの帰り道は、一人で、友だちと並んで、ぴーぴーやっていた笛吹小僧だったんよね。

▲ それでも大きくなると興味はどんどん別のものに移り。長いこと忘れてたリコーダーを又吹くようになったのは、子どもたちがガッコでやるようになってから。
そうそう、信州でいる頃はときどき外でも吹いた。相変わらず小学生レベルだったけど「高原の乙女」になりきって(←あほらし)山々やひろく澄んだ空を見上げながらの笛吹きはサイコーだった。音楽の教科書にあった簡単な二重奏を子どもと一緒にできた時は、うれしくて母に電話。「聞いて、聞いて」と受話器にむかって吹いたこともあったっけ。

▲ あるとき、開田の家に大阪から若い友だち(元はパンのお客さん)が寄ってくれて、いろいろ話してるうちに彼がリコーダーをやっていたと知った。「笛あります?」と聞かれて「ガッコで使ってたのやったら」と出したら、さっそく吹いてくれた。おお~彼の吹く音は教材用笛とは思えない、それはなめらかないい音で、いきなりノックアウトされる。すごいなあ、いいなあ、よーし、わたしもがんばって練習しようと、その時は思ったんだけど。ちょっとやってつまづくともう動きが止まってしまう。それなら、アイリッシュホイッスルに、と心が動いたり。家族には「何年かに一回のサイクルで 三日ほどだけ笛吹きたくなるねんなあ」と笑われている。恥ずかしながら、ほんまもんの?三日坊主なのだ。

▲ だから、図書館の情報コーナーでアマチュアグループのリコーダー演奏会のちらしを見つけた時は思わず「わあ」と声が出た。
「出不精」「方向音痴」がキャッチフレーズみたいなわたしだけど、ここんとこ出かける事が多くなって、初めての所も、ちょっと遠くにも、けっこうスイスイ(とまではいかんが)一人で行けるようになったから。今日もふらり単独行動である。(←たいそうやなあ。たかが市内の文化ホール行きデス)

▲ 演奏会は四つのグループが出場。さすがにガッコのリコーダーではなく、たくさんの種類のリコーダーが並び、壮観。何より、どのグループのどの人もみな緊張しながらもほんまに楽しそうで、こっちまでうれしくなる。
なかでも一番印象に残ったのは、この間まで小学生だった子たち(今春より中学一年生)5人組の演奏。今回が5人の最後の舞台だとか。グループ紹介には一年前に入部して「10ヶ月でこんなに吹けるようになりました」とあったから、それはもう何度も何度も練習したんやろね。バロックから現代音楽まで、譜面なしでじつに堂々と。リクツではなく、からだの芯に音楽が入ってる感じがして 。きもちよさそうに吹く姿に、いつしか前のめりになって聴いていた。

▲さて、会が終わって案の定というかやっぱりというか、家に帰ったらまたリコーダーを出して・・・なぁんてコーフン気味に思いながら、知らない町をきょろきょろしつつ駅にむかった。迷わず駅に着いて一安心。どうやら電車が来たみたいで、前を歩いてた若い男子二人が駆け出した。つられて、ひいひい言いながら階段を登ってホームの「梅田行き」の電車に飛び乗った。
花見帰りか、あっちでもこっちでも、胸に幼い子を抱いてお父ちゃんやお母ちゃんがぐったり眠りこけていて、微笑ましい。そのうち「つぎは◯◯~」のアナウンス。ん?あれ?おかしいな。
そうだ。ここに来るときもたしか「梅田行き」に乗ったのだった。
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by bacuminnote | 2010-04-05 10:56 | 音楽 | Comments(0)