いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

▲ 昨日も今日もよい天気。寒い日や雨の日がずっとずっと続いてたから。空が青いと、ただそれだけでうれしくてじっとしていられなくなる。この感じはおそい春を迎える開田高原の時間に似ている。けど、ここは大阪で、しかも明日はもう6月だというのに。
朝からみんなの布団カバーを洗い、ついこの前まで着てたセーターやカーデーガン、ニットの帽子に手袋も洗って、ちょっと草刈りもして。例によって晴れた日(だけ)は働きものだ。

▲ いっぱいの洗濯物を干し終えて庭にぺたんと座り込み、足元の草をぽつぽつ抜きながらあれやこれやと思ってみたり考えたり。
世の中はいろんな事がごぉと音たててものすごいスピードで通り過ぎていくようで、自身の考えがちゃんと立っていないまま、気がつけばもう新しい事が起きている。
そういえば、と昨夜読んだ本(長田弘 連続対談『問う力』』みすず書房刊)の中、キャスター・国谷裕子さんとの対談で印象に残った「堰きとめる」ということばを思う。

▲ 長田『(中略)今ニュース番組のなかでも、これまでの足跡をふりかえって見るということが、ごくふつうにビ デオによっておこなわれるようになっています。そういう意味で、ビデオの登場以前と以降では、ニュースのあり方は変わった、ニュースの受けとめられ方は根本から異なった、と言えないでしょうか。』

国谷『(中略)わたしがアンカーを務めているNHKのニュース番組「クローズアップ現代」は、同時中継で何かが起きているということや、「生」でのインタビューはいたしますけれどもニュースとはちょっと違っていて、すべて「生」で伝えるということはなくて、「堰きとめて伝える」報道番組です。ですので、ビデオを通して、そうした事柄を「堰きとめる」ことで、視聴者が自分たちでその事柄の底流にあるものは何かということを感じとれるように伝えています。そうした番組づくりをしていくうえで思うことは、強力な映像が繰りかえし流されると、その映像の迫力によって、その映像で映しだされていることは捉えるけれども、その見えない部分についての想像力が…』

長田『落ちてしまう。』
国谷『そうです。』 (p111-112「テレビ(ニュース)は「記憶」をつくるコミュニケーション 」より抜粋)

▲さて、勢いつけ(すぎ)ての家事でちょっとくたびれたので、夕方気分転換に図書館まで。
郵便受けには今朝取り出したとこなのに、また広告チラシが入ってた。こうして日に何度となくポスティングされるいっぱいいっぱいの紙。宅配ピザに清掃サービス、庭木の害虫駆除、畳の表替え、外壁工事に、水道工事。「古道具買います」から「仲人します」果ては「浮気調査」の探偵社!なんてものまで。スゴイのが入っていると相方とわたし、閑人ふたり「大きなお世話添削」会。(←「 」は前回紹介のアーサー・ビナードさんのことば)

▲ 今回のテキストは分譲マンション編(以前もココに書いたことがあります)。「街とプライベートとの結界」「街の喧騒感を振りほどき」「徹底的な優越感か、豊かな機能性か。」「天空にお客様を迎える非日常の空間。」とやっぱり?ツッコミどころ満載で。「天空」やら「結界」やらには絶句。でも、ネットで検索してみたら近頃の住宅の広告で「結界」は流行りなのか、あちこちで発見。そのうち、こういう文面を考えてる人の事をふと思ったりして、ためいきついて添削の会は解散。チラシは畳んで古新聞の袋にしまうのだった。

▲ 「家」といえば、信州から大阪に越したのはちょうど今時分のこと。
いまだに歩道橋に立つと、目の前にひろがるのが 海のように波打つ「みどりのまきば」ではなくて、高いビルと何車線もの道と、空を横切るように走るモノレールであることが、いまここにいることが、なんだかとても不思議なきもちになったりするけど。
ああ、もう6年たった。
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by bacuminnote | 2010-05-31 13:37 | 開田村のころ | Comments(0)
▲いちにち雨が降っていた。
でも夜の雨はしっとりしずか。雨戸を閉めるのに窓を開けたら、庭木の緑が闇のなか雨にぬれて 部屋の灯りになまめかしくひかってる。遠くで高速道路を走る車の音がごぉごぉ響き。じぃと外を見ていたらなんだか闇と緑たちの間にすうと引きこまれそうで、あわてて雨戸をガラガラ大きな音たてて引いた。

▲まったく。ええ年して、こわがりなのである。
だから映画を観てもすぐ「その気」になって、きゃあきゃあとうるさいので家族からは「一緒に観る」ことを拒まれている。みな映画好きだからわたしが借りてきたDVDはたいてい三人とも観るんだけど、そういうわけで「各自鑑賞」がキホン。で、みんな見終わったあとは夕ご飯をたべながら感想会となる。

▲ この前観た『かいじゅうたちのいるところ』(原題『 Where the Wild Things Are』)でも、わたしはいたずらでちょっと甘えん坊の主人公マックスになりきり、部屋が森になって、森から海へ、やがて かいじゅうたちのいる島へと旅して。子どもはいとおしいけれど、自分の仕事もコイビトのことも。いっぱいいっぱいの母親のきもちに胸がつまったり。「かいじゅう」になって森の中を大きなからだで思い切りジャンプして。笑うたり、泣きそうになったり、きゃあきゃあ言うたり、にぎやかに(←せやからきらわれる)一人鑑賞。

▲この映画は上映中 複数の友だちからもすすめられてたのに行けなくて、DVDのレンタル開始をまちかねてその日に借りに行った。
原作の 絵本『かいじゅうたちのいるところ』(モーリス・センダック 作・絵 /神宮輝夫・訳/ 冨山房刊)はこれまで何度も手にしてるから、わたしの中にはしっかり残っているけれど。手元に残っていないところをみると、だれかにあげてしまったのか、そのつど保育園や図書館で借りていたのかなあ。息子たちにも時を経て(上の子の誕生から13年たって下の子がうまれた)読んだはずなんだけど。

▲ そんな絵本なんて「忘れた。ていうか、覚えてない」とか言うのである。そもそも息子がこの映画に興味持ったいちばんの理由は、劇中流れている音楽(Yeah Yeah Yeahs ってバンドのカレン・O)ゆえ、らしく。もしかしてこわがりのわたしがセンダックの描くあのかいじゅうにびびって、子どもにも読まなかったんやろか。いやいや、そんなはずはない。(たぶん)

▲「ほんなら、あの本は覚えてる?この本は?・・・毎日読んでたのにぃ。君、いったい何聞いてたん?」といきり立つおかんに息子は「自分こそようそんな前に読んだ絵本のことまで 覚えてるなあ」と呆れるのであった。
そら、ときに声優になりきり(笑)ときに居眠りしながら(朝の早い仕事やし)毎日毎晩、何回も何回も声に出して読んだんやもん。子どもの成長やいろんなできごととセットで覚えてる。

▲息子の「忘れた」はちょっとショックやけど。まあ「覚えてる」本もあるらしいし、本を読んでもらった記憶というのはたんぽぽの種みたいにふわふわ飛んでって、土や光や水やいろんな条件がうまい具合に重なったとき・・・思いもかけなかった時にひょいと芽を出し花が咲くのかもしれないし。あ、当然 芽もでない,花も咲かないまま、というのもアリで。
子どもは二人でも、年が離れてるぶん長いこと 絵本や子どもの「本読みの時間」があって。それはだれよりもわたしという畑にいっぱいの種をまいてくれ、育ってるから。わたしのほうこそ「おおきに」やね。

▲友だちからは「我が家にはこの絵本の歌があるんですよ」とか「好みのかいじゅうが(家族で)それぞれきまっていた」とかメールがあって。「そのころ」の友人宅を想うと頬がゆるむ。
思い出深いだいすきな本だからこそ「映画は気になっていたけれど、絵本のイメージが崩れるのが嫌で見ていません」という若い友だちもいて。その感じもとてもよくわかる。絵本は文字も少ないし、それだけに子どものはてしない想像力で物語は即興演奏のように、日によってどんどんいろんな方向にひろがってゆくから。読んだ子どもたち(大人も)それぞれの胸にそれぞれの「かいじゅうたちのいるところ」があるんやろなあっておもう。

▲だから、やっぱり本は本。映画は映画なんだろう。
そうそう、このDVDの特典映像の中に『撮影の舞台裏~子どもたちのいるところ~』というのがあって、これがまたよかった。出演している子どもたちだけでなく、映画づくりのスタッフの子どもらもみなしょっちゅう「現場」にいて、子どもらがカメラ回したり、追いかけっこしてたり。ああ、こんなにぎやかでたのしい雰囲気の中で撮影したんだなあと、みていてうれしくなった。
監督がどこかのインタビューにこたえて「僕は子ども向けの映画を作ろうなんて思ったことは、これっぽちもないんだ。僕が目指していたのは、観ている人たち自身が9歳の子どもになれる映画なんだ」に納得。


* 追記 *

多賀谷 浩子さんのコラム (mamm.tv)にもこの映画のこと紹介されていますが、スパイク・ジョーンズ監督の写真・・・えがおもピンクの靴下もすてき!
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by bacuminnote | 2010-05-21 20:52 | 映画 | Comments(0)
▲ 桜とゴールデンウィークがおわり、緑にうもれるように静かな(はずの)よしのに向かった。とはいえ五月晴れの日曜日の朝だから。家族連れや中高年の夫婦やグループで特急電車の中は賑わって、なんだか遠足のバスにまぎれ込んだみたいな気分であっち見てこっち見て。おちつかない。おかあさんの膝の上には子どもの赤いリュック。横から男の子が手を伸ばしておやつを出そうとして「着いてからでしょ」と言われてる。

▲ 遠足いうたら、バスはたいてい前の方の席で、リュックのポケットにビニール袋は必須アイテムやったなあ・・・と思い出しつつバッグから本をとりだして開いた。窓の外に見入るのはいつも橿原神宮や飛鳥を通り過ぎ吉野口駅あたりからなのだ。
あ、けど、こんなふうに乗り物の中、平気で本が読めるようになったのはいつの頃からやろ。「本読んだら車に酔いまっせ」「遠くの方を見ときなさい」とうるさく言われてたのは小学生ぐらいまでやろか。

▲そして、やっぱり小さい時は車酔いの多かったウチの息子たちにも「下向いてんと 外の景色みとき」とか「マンガ読んだらあかん」とか、くりかえしたっけ。そうは言うても田舎に暮らしてたら、買出しでも他市の図書館や病院に行くにも 車に長い時間乗る事はしょっちゅうで。はしゃいでた子がだんだん無口になると要注意。退屈しないように、酔わないように、といろいろ遊びを考えた。

▲ 一番よくやったのは漢字ゲーム。「大」とか「中」とか簡単な漢字で、順番にその字を使ったことばでつないでいく。大会・大根・大空・大木・・というふうに。一通り出尽くすと、大運動会・大駐車場、とか、ね。「大売出し」なんていうのは字余りやけど大サービス(笑)でセーフ。そのうち大北・大江・大畑・・・なんて名字シリーズになって、ようやくゲームオーバー。
あとは、目的地まで同じ交通標識がいくつあるか当てっこ。トンネルに入ると通過時間の予想。車のナンバープレートの地名はどこが多いか、なんてことを言い合った事もあったっけ。

▲ そうそう、わたしの膝の上の本はこのところ夢中になっているアーサー・ビナードさん(前回紹介したボブ・ディラン『はじまりの日』の翻訳者)の『日本語ぽこりぽこり』(小学館刊)。読み進めていくとこの本にも「carsick」話がでてきた。
ビナード家では『窓外の看板に書かれた単語のABCを順に集め、最初にZまで到達した者が優勝する「アルファベット・ゲーム」。それから、他の車のナンバープレートが何州のものなのか、先に見た者がその州名を声に出して獲得、より多くの州を集めたら勝ちという「ライセンスプレート・ゲーム」』だったとか。
いやあ、車酔い対策って海を越え山を越えても!同じようなことを考えるんやなあ。

▲ この話はやがて車酔いもしなくなったアーサー・ビナードさんが日本に暮らすようになり、夜行バスに乗ってラジオの仕事で東京から青森に行く話へと発展する。長時間の深夜バスでなかなか寝付けないアーサーさん。一応バスには「読書灯」がついているけれどわずかな明かりだし、ほかの乗客は寝ているのに悪いような気がして、コートにくるまって目をつぶりいろいろ考え事をする。

▲『おもしろくない詩集を読んだあと乗車すると、どこが問題なのか、どう改造したらおもしろくなるか、「大きなお世話添削」を延々やっている。うっかりと、新聞の腑抜け社説を読んでしまったときは「無駄骨反論」が、福島県に入っても続く。そして、やがて、本当に気分が悪くなっていく』(「夜行バスに浮かぶ」より抜粋)

▲「大きなお世話添削」も「新聞の腑抜け社説」に「無駄骨反論」も声あげて笑うた。この方のものを見る目、ことばへの目は深くするどく、そしておもしろい。
『人はパブロフの犬よろしく、無意識のうちに操作されていることがたくさんある。文章を書く作業は、ぼくの場合、自分を疑(うたぐ)るところから始まったりもする。「疑る者は救われる」とは限らないだろうが、少なくとも「信ずる者」よりは、面白く生きられると思う。疑る手段として、母語の英語だけでなく日本語も得て、退屈することは皆無だ。』(「あとがき」より抜粋)

▲ あらあら、アーサー・ビナードさんの世界に入り込んで、笑い、考え込んでいるうちに、気がつけば乗客はごっそり減り、窓の外は緑、緑で。川が陽の光を受けて はじいてきらきらしてる。
よしのに着いたらさっそくこの本で知ったあれやこれや。『点々のあるとないでは大違いハケに毛がありハゲに毛がなし』なんていう狂歌や、「灯台下暗し」の灯台って部屋のあかりの灯明台のことなんだって。それからそれから・・・と母にいっぱい話してあげよう。87歳、まだまだ好奇心のかたまりが「なに?なに?」と飛びついてくる顔を思いながら一人にやにや 本をバッグにしまった。


* 追記 *
アーサー・ビナードさんのインタビュー記事をみつけました。( cafrglobe.com 2001.10.23) 古いものですが、来日したころの事が書かれていて興味深いです。
それから、この絵本もぜひ。『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(アーサー・ビナード著 / ベン・シャーン 絵 / 集英社刊)
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by bacuminnote | 2010-05-12 10:31 | 開田村のころ | Comments(0)

ひとりをたのしめ。

▲ いつもの時間に起きて、洗濯して、買い物に行って、人の多さにようやく「いつも」じゃないことに気がついた。いつのまにかカレンダーの赤い字も黒い字も、ゴールデンもシルバーもない単調な毎日に馴染んでしまったようで、図書館に寄ったあと 人混みの中からにげるようにして帰ってきた。道中「五月」と名付けたいような青空を何度も何度も立ち止まって仰ぎみる。

▲子どもの頃は赤い字の日はきらいだった。その日は朝早くから家業が忙しくて、厨房をちょろちょろしたり、ぐずぐず言うたりしては「ほれほれ、子どもは外で遊んで来なはれ」と追われるように外に出る。けど、「あーそぼ」とたずねた家は留守やったり、家族でお饅頭食べてたりするんよね。「あんたも上がって食べていきー」と言うてくれる声が背中の方でして。普段なら「おおきにー」と大喜びで上がりこむわたしも、家族みな揃ってるとこに加わるのは、子ども心にも気が引けて。「ほな、また」と走り去った。

▲ しかたなく自転車でその辺をぐるぐるまわり、それにも飽きると家に歩いて帰って、こっそり業務用の大きな冷蔵庫からサイダー出してラッパ飲みして、げぽっ~と大きなげっぷに どきん。
夕方になって「あ、せや!行きは自転車やった」とあわてて暗くなり始めた道を走り駄菓子屋さん、本屋さん、と順番に自転車探しするのだった。
なぁんて事を最近になって話すと、母など涙目で「えらい淋しい思いさせたんやなあ」とか言うんだけど。そんなでもない。サイダーのラッパ飲みできたし(笑)ひとりをたのしんだし。

▲そんなこんなを思い出しつつ家に帰って来て、図書館で借りてきた絵本を開いてびっくりした。
最初に男の人が「DIG YOURSELF」と書いた本を開いてみせていて、なんとその上には「ひとりをたのしめ」と書いてあったんやもん。
この本はかのボブ・ディラン作 『はじまりの日』だ。(原題は『FOREVER YOUNG』ポール・ロジャース絵 / アーサー・ビナード訳 / 岩崎書店刊)。ディランのこの歌は昔から好きだったけど、はずかしながら詩の意味を考えたこともなく「いつまでも若く」みたいな歌かなと思っていた。だからこの本の最初に彼が「ぼくはひとりアリゾナ州に行って、そこで息子のことを思いながら『フォーエバー・ヤング』という歌をつくった」とあって、初めて子どもを思う歌だったのだと知った。

▲ もとの歌がすばらしいのは言うまでもないけど、アーサー・ビナードさんの訳がとてもいいかんじで、ぐっとくる。
「やくそくをまもって うそを きらいますように
 このひろい 世界が きみの目に 光りますように
 背を まっすぐのばして いつでも勇気がもてますように」

「きみの手が ずっと はたらきつづけますように
 きみの足が とおくまで 走っていけますように
 流されることなく 流れを つくりますように」
 
そして、くりかえす。
 「毎日が きみの はじまりの日  
 きょうも あしたも 
 あたらしい きみのはじまりの日」

▲ もうひとつ。
絵の中にポール・ロジャースさんがいっぱい仕掛けをしてはって、本を開くたびにあたらしい発見があって楽しい!よく見ると、部屋のすみっこにウッディ・ガスリーのレコードジャケットがあったり、椅子の上に置いた本が『ON THE ROAD』(←ケルアックの・・・かな?)だったり。アレン・ギンズバーグ風の人が登場したり、ギターケースに『THiS MACHiNE KiLLS FASCiSTS』なんてシールが貼ってあったり、ね。というわけで、先に書いた「ひとりをたのしめ」の男性はどうやらディランのようだ。


* 追記(その1)
Bob Dylan Animated Video for New Kids Book - Forever Young (you tube)

アーサー・ビナードさん
『日本語ハラゴナシ』


*追記(その2)
この本とは話がかわって。
すてきな「自立する」料理の本の紹介。
『ロカの定食』 (京阪神Lマガジン刊)
著者はわれらが木村緑さん。
かっこいい本だけど、かっこだけじゃなくて。
小さい本だけど、ロカ(みどりちゃんのお店)的おいしい世界がぎゅっと詰まって。
わかりやすくて、ほんま ていねいに本を作ってはるのをあちこちで感じます。
これ見たら、台所に立ちたくなりますよ。
あ、なんで「自立」かというと、この本、開いて目玉クリップでとめると、ひとりで立ってくれるから。
本を見ながら料理できマス。

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by bacuminnote | 2010-05-01 21:33 | 本をよむ | Comments(0)