いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

わたしのまんぞく。

▲ 梅雨だし、毎年のことなのだし、とわかってはいるけれど。
むしむし、じめじめに、気がつくと「あああ」とため息をついている。それでも朝昼夕とたっぷり汗をかき、夜ゆぶねにつかるとからだの底から「あああ」とマンゾクの声あげて一日はおわる。
だが、それも長くは続かず、むううと暑い寝室でまたもやため息をつくことになる。

▲毎年このころになると 開田高原の家の山寄りの部屋がしんそこ恋しい。ガラス戸を開けるとすぐ裏は山で、つめたいみどりの風がすぅーいと入ってくる。ササユリがひっそりとうつくしく咲いているのが見える。そうそう、村の古い家の多くは網戸がないから開けっ放しにしてると時々いろんな虫は入ってくるんだけど、気温が低いからゴキブリも蚊もいない。そんな部屋で寝転んで本を読みながら知らんまに寝入る、というのがわたしや相方の「満足」だったなと思う。

▲ この間さがしものをしていて、引越し以来そのままの段ボール箱をがさごそやっていたら古いノートの間から色褪せた紙が何枚か出てきた。それは学習雑誌の終わりのページにあった投稿欄を乱暴に破いたもの。よくもまあ、こんなのを残していたものだ、とわれながら呆れたり懐かしかったりで、しばし眺める。はるか昔 高校生だった頃、ラジオの深夜放送にこの雑誌に、とベンキョーそっちのけでよく投稿してた。深夜放送は小話みたいなものを、雑誌の作文教室は原稿用紙一枚が規定だったので、授業中の「内職」にはちょうどよい長さでもあり(苦笑)
はがきを番組で読み上げられた日や、雑誌に名前が出た時は友だちとわあわあ大騒ぎしたものだ。

▲なつかしの「学燈作文教室」一等は金ペン万年筆、二等は高級ボールペン、優秀作品は二百円の図書券と書いてあった。(この「金ペン」「高級」「二百円」というのが泣かせマス・・笑)成果のほどはよく覚えていなけど、ええとこ「二百円」やった気がするなあ。いま調べてみたらこの雑誌は去年休刊となったようだが、わたしが高校生だった1970年代にはこの他にも『高◯コース』『高◯時代』という学習誌があってどちらにも文芸コーナーみたいなのがあった。(これらもずいぶん前に廃刊となったらしい)

▲ なんでこんな恥しい話を書いたかというと、先日読んだ俳人・今井聖氏の 『ライク・ア・ローリングストーン(俳句少年漂流記)』(岩波書店刊)は今井さんが中学2年のとき『中二時代』(旺文社刊)に初めて出した俳句が第一席で入選したところから始まったから。わたしみたいにしょぼい投稿少女と天才俳句少年では、スケールも才能もちがうから話にならんのだけど、投稿して次の雑誌がでるまでの間どきどきしてたときのことを思い出して、ときめくような気持ちで読み進めた。
今井少年はこれがきっかけで俳句にのめりこんでゆくのだが、この時の選者は石田波郷だったそうだ。

▲ 今井氏は1950年生まれ、とあるから、この時代の「ちょっと先行く」男のコだったらエレキかアコースティック、どっちにしてもギターやロックに走るかと思うけど。中学生から俳句に、というあたりが渋いというかおもしろい。そうしてどんどん腕をあげた今井少年、高校生になっても雑誌に新聞に、と投句を続ける。学習雑誌の投句欄の選者は石田波郷のあと秋元不死男や楠本憲吉、そして寺山修司へと替わる。寺山が劇団「天井桟敷」を始めた頃のことだ。

▲ ところが今井少年、どうも寺山嫌いだったらしい。『寺山は前衛であり、反権力であり、インテリジェンスであり、異端であって、啓蒙的であった。それはその当時も感じていた。だからこそ、というべきか、ど田舎の十六歳はその挑発に乗るわけにはいかなかった』(p11)とある。で、寺山の俳句にたいする思い、批判、『あんたに俳句欄の選者になる資格があるのか(寺山修司の俳句は、当時ごく一部の寺山マニアにしか知られていなかったと思う)』なんてことを長々と書いて、選者寺山修司に書き送ったらしい。すごーい!

▲ そんな手紙を二、三通書いたある日(←わあ、一通だけやなかったんや・・・)投稿欄の誌面に寺山からの返信が載る。
自分はこれこれこういういきさつで俳句も書いている、という説明のあと
『今井君。細かいことをこせこせ言わずに、ホーマーの 「イリアッド」や「オデッセイア」でも読みなさい』と。
いやあ、わらった。わらった。未だ「イリアッド」や「オデッセイア」も知らんわたしが言うのもナンだけど、あの頃の寺山修司に噛み付く十六歳も、それに「細かいことをこせこせ言わず」本を読みなさい、と返す寺山もいいなあ。サイコー。(つまり 「書を捨てる」のはそれから、ってことやね~と今ならわかる)
若いというのはどこまでも恥しいけど、ほんますごいね。

▲ 今井少年、このあと京都で二年間の浪人生活の末、東京で大学入学。時代は70年代。学生運動に、俳句に。今井青年はこけたり駆けたり。やがて加藤楸邨主宰「寒雷」に。大きな口あけて笑いながらの読書だったけど、俳句への思いや「いつも新しい領域に挑戦している」師・加藤楸邨のきびしさには、背筋がのびるようだった。
それから、合間に語られる獣医のお父さんの話も、病弱なお母さんの口ぐせ「しずかにするだが」のエピソードも可笑しくて、哀しい。そんなお母さんが五十五で亡くならはったときの今井聖の句。
『朝焼へ微塵となりてゆきにけり』

*追記
その1
友部正人さん(今井さんと同じ1950年生まれ)がこの本の書評を book japan に書いてはります。

その2
わたしの作文への寸評で思ったこと。
「もっと若い女性らしく」とか「最後の二句はいただけません。いかになんでも女だてらにアラレもない」とかあって。(←評だけで、原稿は掲載されてないので内容は不明だけど。いったい何書いたんやろ?・・苦笑)
38年前はこんなとこにまで「女のコらしさ」を要求してたんやなあ、と・・「時代」を感じます。

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by bacuminnote | 2010-06-29 23:08 | 俳句 | Comments(0)
▲ いきなりだけど、食べることがすきだ。
グルメとかいうんじゃなくて、ただ、おいしいもんに会うとうれしいし、そんな食卓を家族や友だちと共にできるともっとうれしい。たべものについて話すこともたのしいし、本を読んでも、映画を観ても「食べる場面」がいつも気になる。
で、料理好きか、というとそうでもなくて。「作る」よりは「作ってもらって食べる」が断然好きだ。
それでも生家が「たべものや」ってことで「料理好きで料理上手にちがいない」と思われることがよくあって。そんなときは急に無口になる(苦笑)
わたしはそのどちらでもなく、誰かが作ってくれたら「なーんもせん」気がするから。

▲ けど、こともあろうに相方はそんなわたしよりもっと上手だった。(←残念ながら「じょうず」ではなく「なーんもせん」の「うわて」と読む)やがて親となり、かつての偏食ッ子のナマケモノのわたしも「なーんもせん」わけにはいかず、よっこらしょと起き上がり台所に立つことになって、そのうち子どもに「おいしい」とか言われるとうれしくて。ああ早や幾年~というのが現実だ。ご飯づくりは毎日のことやから、乗り気のときも仕方なしのときも、うまくいくときも失敗することもある。まだ若かかった頃は失敗を相方から指摘されると泣きべそかいてた「あかんたれ」も、今は「家で食べるご飯いうもんはこういうこともある」と応えることにしている。

▲ 「家でのご飯」といえば、ジッカと同業の友人知人の幼い頃の話を聞くとたいていは、家族で食卓を囲む事などめったになくて、ご飯もけっこうエエかげんで、フツーの家庭がうらやましかったと、口を揃えて言わはるので「ああ、やっぱり」と、そのつど納得したり「ウチだけやなかったんや」と妙に安堵(苦笑)したり。
いまでこそ「まかない」特集なんていう雑誌が出ていたりして、「厨房の人」たちっておいしいもん食べてはるんやなあ~と思うかもしれないけど。
昔と今では状況も変わってきてるとはいえ、まかないの基本は何たって「早く出来て、早く食べられる」だから。食べるにはおいしくても、食材なんかも偏っている事が多いと思う。あ、けど、いまフツーの家の主婦になったわたしが拵えてるもんが偏ってないか、というとどうも自信がない。

▲それに、 自分で言うといてナンだけど「エエかげんなご飯」ってどんなご飯なのか?
栄養バランスがとれていないこと?品数が少ないこと?加工品?・・・と、家で食べるご飯についてあれこれ思いをめぐらしているのは、この間『家族の勝手でしょ! 写真274枚で見る食卓の喜劇』(岩村暢子著・新潮社刊 / このリンク先↑には「立ち読み」ができるようになっているのでぜひどうぞ)という本を読んだからだ。

▲ この本、発売当時 気になってネットで検索してみたら『お父さんが居るとき居ないとき』『「主食重ね」は豪華な食事』『加工食品尽くしの食卓』『「疲れる」主婦たち』と・・・。目次だけでもう十分ため息やなあと 思ってしまった。で、ようやく図書館で順番が来て手にすると、写真がほとんどで200ページに満たない本なのに、見ているとだんだん気持ちが重くなって何度も中断。想像以上にくたびれ果ててしまった。

▲ この本のもとになっている【食DRIVE】調査とは『1960年以降に生まれ、首都圏に在住する子供を持つ主婦を対象とした、家庭の食卓調査である。』とのこと。そして、その120人の主婦たちに提供してもらった食卓の写真や日記とアンケートへの回答を抜粋して著者が解説している。(データは2003年~2008年の6年分)
数日かぎりの調査では、回答者がふだんよりがんばってほんとうのところが見えないようで1週間の調査となっている。なんと序章には「調査初日VS最終日」というのがあって「同じ家の初日と最終日の食卓写真を対にして並べて」ある。

▲ お菓子だけの朝食や、具なしの素ラーメンや素焼きそば。家族そろってもバラバラのメニュー、食べたい時にそれぞれが食べる「勝手食い」に「団欒には単一素材料理」・・・これでもか、というくらい次々よそのお家の食卓写真がつきつけられる。
いくらなんでも、と思ったり、こんな家ばっかりとちがうで~と思いながらも、あれ?「これ、ウチと一緒」と苦笑する記述もある。食べることは生きることで。それぞれの生き方があるようにそれぞれの食のスタイルがあるから、それこそ「家族の勝手」なのか。

▲ 著者が言うように『食卓はまるで現代日本の家族や社会を映し出す「映し鏡」』(「はじめに」p3)だと思う。一方『かつて親は、まず子供を健康に育むことを考え、ゆえにしばしばお節介で、時に押し付けがましく口うるさくもあった。子供を一人前にするまでは、その任が自分にあると考えていたからだろう。だが、今の主婦たちはどうも違う』(「あとがきにかえて」p188~189)というような視点は、昔のようにガツンと言う人がいたら、みたいで納得出来ないなぁ。読んでいる間じゅう重い気分になったのは現状のひどさだけでなく、この視点にもある気がした。
今も昔も「食」の根っこは(も)やっぱり教育(「食育」なんていうのではなく)やと思う。




*追記

なぜ主婦なのか、については
『本調査では「主婦」を対象としているため、主婦の発言や行動中心に書かれているが、それは「食事の支度は女性がすべきもの」と考えているからでもなく、ここで語られるさまざまな問題が「主婦」や「女性」だけに起因すると考えているからでもない。「主婦」に焦点を当ててみれば、このようなことが見えてくるということであって、その点も誤解のなきようお断りしておきたい』(本書「調査概要」p184~185)とある。
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by bacuminnote | 2010-06-20 23:56 | 本をよむ | Comments(0)

よう来てくれて。

▲ この前まで野菜みたいに薄緑色だったアジサイがじょじょに色づき始め「紫陽花」に。朝いちばん雨戸を開けてその「七変化」ぶりを見るのが楽しみだ。
根っからの不精者だからここに越してきて植えたものと言うたら、食べたあとおもしろ半分で植えたアボガドの種と、ポスティングのチラシに添付してあった朝顔の種くらいで。
「花より団子、花より緑」派だけど、毎年その時期がくれば花咲く庭木や紫陽花は 忘れかけた頃にきまって顔をみせてくれる友だちみたいで、心がはずむ。今年も忘れないで、よう来て(咲いて)くれて。おおきに、と思う。

▲ 先日、散歩から戻った相方が「これ、郵便受けに入ってた」と一枚の紙きれを渡してくれた。
「何時かはお声かけて頂きましてありがとうございます」と流れるようなきれいな字で書かれたそれは、同じ町内にお住まいのMさんという義父母の友だちからの手紙だった。
かつて相方がパン屋修行のあいだ、二年近く今のこの家で義父母や祖母と同居していたから、義父母が親しくしていた方たちに買い物の途中たまに会うことがある。けれどみなさんもうかなりの高齢で、しかもあの頃からもう二十数年。わたしの事など覚えてはらへんかも と、あえて挨拶もせず通り過ぎるのだけど。

▲ ワインレッドのシニアカーに乗って颯爽と街ゆくMさんを見かけたときは思わず声をかけた。ちょうどその数日前に「ウチの前をシニアカーに乗ったMさんが通らはって、ちょっと話してん」と相方から聞いたところだったから。
この方、当時は短歌の会に入っておられタウン紙を開くと短歌のコーナーにはいつもお名前があったのでよく覚えていた。その頃,一人句作に励んでいた義父を「短歌もいかがですか」と誘ってくださった方でもあり。ジッカの母と同じ年(87歳)と聞いていたので親近感もあって、義父母の友人というだけでゆっくり話したこともないのに「Mさん!」と呼び止めたのだった。

▲ 「わあ、なつかしい。あなたがパンの箱に入れてくれてた手紙をお義母さんから見せてもらって、いつもたのしみに読んでいたのよ」と、手をとって懐かしがってくださった。(その昔、義母がご近所の方と麦麦のパンを「共同購入」してくれていて、Mさんもお客さんの一人だったのだ)
「長いこと足が痛くてね、どこにも出かけられなくて、悶々として。することもなく友だちに電話ばかりかけていたんよ。でもそんなこともだんだん虚しくなって。けど、コレに乗って外を自分ひとりで自由に走れるようになって、視界がひろがったよう」とMさんは少女のように笑う。

▲短歌は?と聞くと、ちょっと表情がくもり「家の中でばかり居たから。長い間なーんも浮かばなくて。でも、この頃こうやって外に出ると、やっと何か『感じる』ことができるようになってきた気がする」と仰るので「それやったら、ぜひまた短歌を!」と言ってその日は別れた。
帰ってから義母と母にさっそくこの日のことを報告。とりわけ同じ年の母には,足が痛くてもあきらめないで、と伝えたかった。

▲ さてさて、Mさんの手紙のつづきにはこう書かれていた。
「先日は短歌のことを言って戴きまして、ながく休んで居りましたが、久しぶりに一首出しましたので、お忙しいと思ひますが◯◯(掲載紙)を見て頂きます様よろしくお願ひ申し上げます」
わあ、また始めはってんや~と相方とよろこぶ。
このことを伝えるためにウチまでシニアカーに乗って手紙を届けに来てくださったのだ。
はげましたつもりだったけど。
力づけられたのはわたしのほうだ。
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by bacuminnote | 2010-06-10 21:03 | パン・麦麦のころ | Comments(0)