いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧

たねとなって。

▲ 起きたばかりなのに、なんだかもうくたびれつつ(暑いし、ね)窓を開けたら、朝顔の花が見えた。わあ、咲いた、咲いた。ちょっと来てみぃ、と大声あげて相方を呼ぶ。
去年とった種を庭のすみっこに何気なく蒔いたのはいつだったか。芽が出て双葉になってツルがのびるあたりまで順調だったのに。その後一向に咲く気配がなく、このまま夏終わるんかなあ、とそのうち水やりもしたり しなかったりで。(ごめん!)けど、そんな間にも朝顔は「開花」に備えていたんやね。
窓から眺め、外に出てまた眺める 涼し気な「あおむらさき色の花」ふたつ。いっぺんに力わく朝となる。おおきに。

▲ それにしても暑い。
8月ってこんなに暑かったかなあ、と30年前のお産の8月や、その子が10歳のとき 北米への長旅をした8月を思う。
そういえば、このまえ『ニューヨークの思い出は、10歳の時に親とバックパック背負ってエンパイア・ステートビルを見上げたこと』と息子が某所で「つぶやいている」のをみつけて、ちょっとびっくりした。せやかて、あの子ゆうたらね(と、とたんにおかあちゃんになるわたし)この時の話が出ると、たいていは「覚えてへん」と言うので、そのつど「へえ、そんなもんか」と気落ちしていたのだ。

▲ でも思い返してみるに、旅の一番の目的はカナダに移住できないか視察・考察(←おおげさ。結局はただの旅行になったのだが)であり、二番目はカナダのパン屋を訪ねるのなら、そのリポートを書いてみないか、とA新聞から言うてもらったこと。だから、子どもの喜びそうな所に行くこともあまりなかったし、英語がだめな親は「目的地に行く」ことすら思うようにはいかず、毎日毎日「宿探し」が目標みたいな旅やったし。いや、そもそも「思い出作り」(苦笑)なんてモンのために旅したわけではないのだ。「すぐに忘れるんやなあ。ほんま連れて行き甲斐が ないわ~」とか言うて、ぼやくおかあちゃんの方が間違ってる、と反省してみたり。

▲ とまあ、そんなわけで、あの日着いたばかりのNYで親子三人(当時はまだ下の子が生まれていなかった)見上げたエンパイア・ステートビルを 息子が覚えていたことに、じんときたのだった。つぶやきは「次の日に最上階に行くはずが腹痛と発熱で断念」と続いていた。そうなのだ。伊丹からまず韓国に飛び一泊、韓国からNYへ、という旅程だったのだが、どうやら前夜「カライけど、めちゃうまい」といっぱい食べたあれやこれやが息子とわたしのおなかを直撃したのであった。

▲ 相方はひとり無事だったけど、そんな妻と子を置いて一人で出かけるわけにもいかず、三人三様あこがれていたNYは着いた日の夕方歩いただけで、あとはずっとホテルの中だった。このホテル、ピッツバーグの友人のお父さんがよく使うというので予約してくれたこじんまりしてるけどえらく上品な所で。(息子も日記に「今日のホテルは上等でした」と書いてたのを覚えてる・・・笑)そんな宿に日本からのバックパッカーの親子が、チェックインしたまま出てこないというので、ホテルのマネージャーから部屋に電話がかかってきた。

▲ たぶん「何事かあったのか」と心配しての電話だったのだろうけど。まいった!何たって本に載ってないようなややこしい英語の会話は不可能なのだ。「えっと、ええっと『ゲリ』ってどう言うんやった?」と受話器ほっぽり出して三人辞書とりかこんで、しどろもどろで説明(したつもり・・・泣)
夕方には少し元気も出て、相方がとったルームサービスの夕食をちょっともらって一息。

▲こんなことなら昨夜エンパイア・ステートビルの最上階まで行っておけばよかったなあ(クローズしてると思いこんで「また明日」と引き返したけど、調べたら8時までだったのだ)と悔やみつつも、翌朝は早々にピッツバーグの友人宅に行くべくホテルを出た。それでもグランドセントラルステーションに向かって軽やかに歩き、みじかい道中ながら、あっち見てこっちのぞき。そうそう、この時 旅に出てはじめて写真も撮ったんよね。

▲昨日は残念やったけど、無事おなかも治ったし朝食でも食べていこうや、と駅構内のショップを見て。「あ、でも、その前に念のために乗り場だけ確認しとこか~」と切符売り場の人に聞いてみた。ん?何か早口で言うてはる。なんかわからへんけど「否定」の雰囲気は感じる。それで「すみませんけどここに書いて下さい」と紙を差し出すと「PANN STATION 33th st.なんたら・・・」と書いてくれたんだけど。
「え?何?どういうこと?ここグランドセントラルやのになあ」と相方とわあわあ言うてたら、後ろに並んではった男性が「その電車はこの駅発じゃなくPENN駅からだ、って言ってますよ」と日本語でやさしく教えてくれはった。

▲ ひぇー。「そ、その『ペ』なんとかっていう駅って、ここから遠いんですか?」「タクシーでどれくらい?そんでもって・・・」日本語になったとたん饒舌になるわたし。NYからピッツバーグまで9時間。日に2本きりの電車なのに朝の便に乗り遅れたら、むこうに夜中着になってしまうんやもん。「ゆっくり朝ごはんでも」と言うてる場合やないのである。「わあ、ほんま。おおきに。助かりました。よっしゃ、早よ行こう」と三人リュックゆらしダッシュしてタクシーに乗り込み、ああ無事ペンシルバニア駅(ペン駅と当地では言うらしい)に到着。・・・と、まあ、騒々しくもこれが「わたしのNYの思い出」だ。

▲ 「また、ぜったい来ような」とあとにしたNYだったけど相方とわたしは行けないまま。 旅慣れない親にふりまわされた少年は その後地球をぐるぐる回るうちに 旅を企画、準備する側の人になり、NYにも何度か再訪しているようだ。「忘れた」とか言うてるけど、はっきり記憶にのこっていなくても、子どものときに出会ったものやひとたちが、たねとなって、水や日光の力を借りて、忘れたころにぽっと花咲いたら愉しいなあ。
今朝のあおむらさき色の朝顔みたいに。
ともあれ、あの夏の旅から20年。早い。君も今日でもう30やね。
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by bacuminnote | 2010-08-25 21:10 | 出かける | Comments(0)

あんたき。

▲ その家は奈良市内の古い通りにあり、長いこと和菓子屋さんをやってはったそうで。
戸を開けて息を吸い込むと甘いにおいがした。おみやげにもらった赤福餅のふたを開けたときみたいに、折箱とあんこのにおいが混じったような。「あのにおい取れまっしゃろか」「いやあ、なかなか消えへんかもしれへんなあ」と親たちが困った顔で話してたのを覚えている。わたしが中学生になった頃のことだ。父が支店を出すと決めたその家は、それからすっかり改装されて郷土寿司の店となり、いつのまにかあんこに代わって酢や鯖や鮎のにおいが染み付くようになった。

▲ 今でもあんこのにおいを嗅ぐと「開店前」のあの家のにおいを思い出す。けど、困り顔の父はそのじつ下戸で無類の甘いもん好きだった。カステラにケーキ、クッキーにチョコレート。回転焼きと丁稚羊羹。それに最中や薯蕷饅頭も。おまけに食い意地が張ってて「だいじなもの(←お菓子)は子どもには分けてやれん」と一人で抱え込むタイプだったので「もらえなかった」子どもの方も父のことは未だにうらみ続けてる(笑)

▲ 甘いにおい、といえばもう一つ思い出がある。パン屋の頃・・滋賀県愛知川(えちがわ)の旧中仙道沿いで店をやっていたとき一時期、週末限定で甘いパンを焼いていたことがあった。他のパンはどれも主食になるような「甘くない」ものばかりだったから、お得意さんであるご近所のおばあちゃんたちに「甘いのは焼かへんの?」とよく言われていて。「ほんならいっぺん焼いてみよか」とメロンパンとあんパン、それに生クリームやごまペーストをはさんだのも作ってみた。メロンパンは相方が修行していた大阪は空堀のパン屋で焼いていたのがそれはおいしくて。でもそれはイーストのパンだったから「ウチのパン」で再現してみたい、と始めたのだった。

▲ とにかく天然酵母で国産小麦のパン屋そのものもまだ少なかったときだったし、珍しがられたし「おいしい」と言うてもろぅて、店でもあっという間に売り切れて、メロンパンとあんパンは地方発送のぶんもすぐ予約で埋まった。とはいえ、小さな店で一日に焼く量はわずかなものだったけど。
そうそう「あん炊き」はわたし。(職人さんの世界ではあんを炊くことをこう呼ぶらしい)
だれに習ったのでもなく自己流の小豆炊きだったし、水加減がほんまに難しくて、いくら前回のデータをくわしく書き留めておいても豆が変われば、同じように炊けなくて。「あん炊き」は一日にして成らず、である。それでもけっこうイケてたのは(←カンペキに手前味噌)採算とか考えず、できるだけ上質の豆や砂糖や塩を選んでたからかもしれない。あ、何より、あんこをはさむ相方の焼くパンがおいしかったんよね。(←手前味噌その2)

▲ だいたい、わたしはパン屋のおばちゃんといっても実際にパンを焼くのは相方で、わたしの仕事は生地の分割に加わるくらいで、あとはパンの袋詰めや発送準備。買出し、店売りと、出先でウチのパンのことを「しゃべって来る」営業活動(笑)だったから。この「あん炊き」担当というのがちょっとうれしく張り切ってた。
ところがそのうちメロンパンの甘いにおいが週開けまで工房内に残っていて、それはパンが焼き上がるときのふわーと立ち上がる酵母のいい香りより「つよく」だんだん鼻につくようになってきて。あんパンだけでも続けようかとかんがえたけど、結局わがまま言わせてもろて、またいつもの主食パンのラインナップとなり、わたしも元通りの雑用係に戻ったのだった。

▲ このあいだ 『何度でも食べたい。 あんこの本』(姜尚美著・京阪神エルマガジン刊)という本を読んだ。(眺めた。いや見入った、と言うべきか)図書館で予約して長いこと待って、やっと借りたのだけど。その内容の深さに、貸出期間では追いつけなくて購入。
まず、表紙の写真がすごい。青々としたよもぎ餅に著者曰く「アワビ型のあんこ」がたっぷりのっている。しかもこの よもぎ餅奈良県産なのである。(ショック!わが故郷の近くにこんな名菓があるなんて知らんかった・・)

▲ この表紙の幅広・白い帯には『つぶあん、こしあん、だけじゃない 京都発、日本全国あんこを知る旅。』とあって、ほんまに初めっから最後まで、あんこ、あんこで、あんこ好きにはたまらない。が、意外や著者は以前は「あんこが苦手」だったそうだ。ところがあるとき出会った上生菓子で開眼することに、とあった。

▲いやあ「出会う」っておもしろいなあ。本でも音楽でも、人でも、あんこでも。周りにいっぱいあふれていても「そのとき」が来ないとほんまには「会えない」のか。そうそう本文中にはあんパン屋さんの店主夫妻の馴れ初め・・・あんこやの息子さんとパン屋の娘さんの恋の話なんていうのもあって。出会うって愉しいと、あらためておもう。
そしてそして、涼しくなったら、この本をみながらあちこちの「あんこ」に会いにでかけようとおもう。
ああ、そんな涼風の秋よこい。早くこい。


*追記
その1)
そういえば、滋賀・愛知川で借りていたお家はわたしたちが信州に転居したあと、和菓子屋さんが入らはったそうで。(現在は別のところに移転されたと聞いていますが)ふしぎ。ふしぎ。

その2)
メロンパン話は以前にここにも書きました。よかったら読んでください。
'05.10.23 『喪失』 
'08.10.15 『おくればせの』
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by bacuminnote | 2010-08-19 14:06 | 本をよむ | Comments(0)

うらにまわる。

▲ 猛暑の合間の曇天、ちょっと涼しくなった午後に思い立ってひとり墓参にでかけた。始発から終点まで一時間近くバスに乗る。
高いとこ(車窓)から街ゆく人や、呼び込みの声まで聞こえて来るような人盛りの八百屋、お店の人の姿も見えない金物屋。時間がとまったようなガラス張りの車のショールームを、子どものように窓に頭くっつけて眺める。
帰ったらコミさんの『バスにのって』を読み返そうとか、そのむかし姉妹で「歌合戦」やると三番目の姉が決まって歌ってた『東京のバスガール』の歌詞が突然口をついて出てきたり、ね。バスは♪「明るく明るく走るのよ~」

▲ やがて終点のJRの駅に到着。
駅前の花屋さんでお盆前だけどお盆価格のお花を買って、タクシー乗り場に立つ。が、客待ちの運転手さんが居眠りしてわたしに気付かず、後ろの運転手さんがクラクション二回鳴らして起こしてくれはった。
夏の日の午後はみんなくたびれてるんよね。とはいえ、運転手さんの寝起きのうつろな眼がちょっと心配なので「曇ってきましたねえ」「いやあ、なんか降りそうですねえ」と、目的地に着くまで何かと話しかける客。(←わたし)

▲ お墓に着くと、しんとしてだれもいなかった。枯れた花、伸びた草、空になったコップ。うらに回ってみたらまた草、の夏のお墓。
そういえば 放哉の句に『墓のうらに廻る』というのがあったなあ、と「ハカノウラニマワル」意味をかんがえながら草を抜く。うらにもまわって抜く。
そのあと、水汲み場で花立てを洗っていたら、中年の女性がバケツに水を汲みに来はった。

▲と、そのとき涼しい風がすぅーいっと通って。一瞬間(ま)があって、どちらからともなく「ええ風ですねえ」と手をとめて「次」がくるのを待つともなしに待つ。
おお、来た、来た。「ああ、ええきもち」と顔見合わせてにっこり。
ふと前方を見たら、いつのまに来はったのか首にタオルがけのおじいさんが、まだ新しい墓石を磨くのがみえた。休むことなく全身で磨くすがたに胸がつまる思いがした。

▲ 墓参の間もいつ降りだしてもおかしくない曇り空だったが、あとちょっとくらいは保つ気もして、帰りは歩くことに。鍼灸院、たばこ屋、郵便局。酒屋の前を通り、和菓子屋さんのウインドウ・・・お盆の干菓子にお団子を見ながら、ゆっくりゆっくり。駅に着くや、ほっとしたのかいっぺんに汗がふきだした。
こんなときは「とりあえず生ビールひとつ!」と言いたいとこやけど(笑)注文はソフトクリームなり~。でも、これはこれでおいしくてマンゾク。

▲そうこうしてるうちにバスが来た。乗り込むや5分もたたないうちに外が急に暗くなって、大粒の雨がものすごい勢いで降り始めた。本を読もうと膝の上に開いたものの、アイスでベタベタする指を持て余してるうちに、知らんまにうつらうつら寝入ってしまったようで。
「終点、終点、◯◯でーす」のアナウンスに飛び起きた。件のタクシーの運転手さんみたいな目をして(たぶん)バスを降りたんだけど。外に出たら、土砂降りの雨に一気に目が覚めた。

*追記
『東京のバスガール』ココで聴けます。
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by bacuminnote | 2010-08-14 15:17 | 本をよむ | Comments(0)

座布団二つ折りにして。

▲ 去年は来客のとき以外エアコンOFFの夏だった。息子などは「今日はお客さんが来はる」というと「誰が?」と聞く前に「やったー!」と喜んでたっけ。けど、なぜか来客の少ない夏で、結局エアコンつけたのは3回ほどだった気がする。そして今年も去年同様に・・・と初めは扇風機だけで過ごしてたんだけど。いやはや、さすがのわたしも無口になる大阪のこの暑さ。しかもわが家はいま60歳以上の人やら、コーネンキの人やら、アセモに弱い人(寒冷地で生まれ育っているからか)という面子ゆえ、まあ無理せず、一部屋だけは時々ONってことにしよか、と決定。

▲それにしても。
30℃なんて冷房とも言えんような温度設定でも、この部屋に入ると「おおお、すずし~」と生き返る。ありがたや。
若いわたし(高齢者に比べたら、という意味デス)ですら、こんなにぐったりしてるんやから、と気になって義母のところを訪ねたり、母に電話を入れたり。思ったとおり二人とも開口一番「暑いなあ」で(笑)
からだにしんどいとこや痛いとこを抱えている人には、よけいこの暑さはこたえると思う。

▲二人の母のことが気になったのは、暑さばかりではなく先日 『オカン、おふくろ、お母さん』(文藝春秋編)というエッセイ集を読んだから。この本「各界の著名人」が(あいうえお順で87人!)それぞれの母を語っている。平凡なお母さんもトンでるお母さんも。まだまだ元気な人も、空のうえに逝ってしまった人も。けど、皆「遠い日」のことを語っているからか、どのエッセイも筆致はやさしい。というか、これが『オトン、おやじ、お父さん』なら、これほどまでに書き手を無防備にさせへんやろなあ、って思った。母を語れば皆「子ども」になるのかもしれないな。

▲ 脚本家の市川森一さんは三十九歳の若さで亡くならはったお母さんのことを。
わずか二ページの短いエッセイながら、短編小説を読んでいるような、いや、映画を観ているように情景がうかびあがり何回も何回も読み返した。
文章は『油照りの夏の日盛り』に太い蛇が道を遮断するように寝そべっているところから始まる。疎開先の田舎道、お母さんと二人エノケンの映画を観に行く道中でのことだったらしい。お母さんはためらいもせず、著者の手を取り昼寝中の大蛇をまたいで、あとを振り返りもせず駆け去ったという。この日のことは『絽の着物に白いパラソルをさした母と手をとり合って宙をとんだあの瞬間のおそろしくも胸はずむ記憶』として著者のなかに今なお残っているそうだ。

▲ そのお母さんは生家がおこし屋(米の干菓子)で、職人も家人も皆早起きだったので、実家では昼過ぎには昼寝、三時にはおやつの習慣があったらしい。結婚して『呉服屋の若奥さんになった母は嬉々としてこの良い習慣をここでも実施しようと夫や舅姑、使用人さんたちの前で高らかに提唱した。「昼寝とおやつはなかなかよか事ですばい」一瞬の気まずい沈黙のあと、番頭あたりが冗談めかしてとりなす、「店の者が皆昼寝しとったら、お客さんのさぞびっくいなさっとでしょ」』

▲ ところがこの冗談もお母さんには通じず『さいばさ(だからね)交替で順ぐりに昼寝すればよかよ』と返したらしい。拍手!やるぅ!!なかなかチャーミングなお母さんである。が、黙ってられないのが祖母(姑)だ。
『そぎゃん寝たりんなら独りでねんさいッ!そぎゃん喰いたりんならおやつでん何でん、独りで喰いんさいッ、家(うち)にはあんたのごたるいやしか者はおらんッ!』と返すのだった。

▲ やがて戦争も末期となり物資統制で呉服屋ののれんはおろすことになって。そんなある日のこと。
『夏の昼下がり、祖母と母が、仲良く並んで昼寝していた。退屈虫の私が母を起こそうとすると、わきから祖母が「シーッ」と合図した。祖母はとうに起きていたのだ、どうやら病身の母の昼寝につき合っていたらしい。「もうちょびっと眠らせてあげんさい・・女はいつでん(いつでも) ねむかとやけんね」』(「おんなの昼寝」’91・6 より)

▲そういえば、ケッコンしてまだあまりたってない頃。
相方の親の住む家に帰ってきて、お昼ごはんの片付けを義母としたあとの事。手洗いから戻ると茶の間の掘りごたつの所で義母がごろんと横になって寝てはった。その頃ジッカの母はまだ店の先頭にたって働いていており、病気以外でひるまに寝てるところを見たことがなかったので、ちょっとびっくりしつつも「おんなの昼寝ってええもんなあ」と眺めてた。
少ししてはっとしたように義母は起き上がるや「ほら、あんたも横になり~きもちええで」と座布団を二つ折りにして差し出してくれた。「あれ?お義母さんのは?」と聞くと「わたしのは、ほれ、ここに」と有馬温泉と書いた炭酸せんべいの筒缶を指さした。
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by bacuminnote | 2010-08-07 14:57 | 本をよむ | Comments(0)