いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2010年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

「昨日まで無かりし花」

▲ 朝方、ばりばりっ~と空が割けるような雷鳴と雨音で目が覚めた。
いつもなら雷がこわくて大騒ぎしているとこやけど。昨夜は「蚊」に何度も起こされて夜中に蚊帳(一人用のテント型)を広げたので蚊帳の中で落ち着いており。
激しく長い雷鳴も蚊帳の麻糸の細い織り目をぼぉーっと眺めながら、大人しくその音に聞き入っていた。
そうそう、子どもの頃は「雷が鳴ったらおへそかくして蚊帳の中に」っておまじないみたいに言うてたなあ。部屋いっぱいに吊った蚊帳の深い緑色や、雷が鳴ると何をおいてもまずシャツをパンツに挟みこんでいた事を思い出して、一人くすくす。

▲ やがて雷もなりを潜め雨が上がると、しんとしてあたりはすっかり「秋」になっていた。昨日のあの蒸し暑さは何だったのかと思うほどにひんやり。
台所に立つと、やかんの湯気があったかくうれしく感じた。
湿気った雨戸をよこっらしょと開けると、雨にぬれた草の中に朝顔が高野槙の下にひとつ咲いているのがみえた。雨で花はちょっとひしゃげていたけれど、儚げなそのあおむらさき色がほんとうにきれいで胸がつまるようだった。

▲ そういえば、春に種を蒔いたとき余った種をいつもドクダミの群生地(苦笑)となる庭木の近くにぱらぱら蒔いて土をかぶせたのだけど。
いつしかそんなことも忘れて何度か鎌でばさばさとじつに乱暴に草刈もしてたのに(ごめん)。よく無事でいてくれたものだ。ツルをたどってみると、やっぱり種を蒔いたあたりに根をはっている。そんなことを相方に話してたらちょっと前の新聞に載っていたうたを教えてくれた。(朝日新聞Be刊、磯田道史の「この人、その言葉」)
それは橘曙覧(たちばなのあけみ・1812~ 1868)という幕末の歌人の『たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時』だった。わたしもまた「昨日まで無かりし花」がうれしくて何度も窓から身を乗り出すようにしてあおむらさき色に見入っている。

▲ さて、お昼ごはんに、と今夏冷蔵庫につねに欠かさなかった冷奴を出したら、なんだか寒くて食指がのびない。これからは母にまた 「あんたとこはまた鍋でっか」とからかわれる季節だ(苦笑)
先述の橘曙覧は 『独楽吟』(橘曙覧著・グラフ社刊)でこんなうたをうたっている。(「独楽吟」とは第一句を「たのしみは」でうたいだし、末句を「時(とき)」で結ぶ形式)
『たのしみは つねに好める 焼豆腐うまく烹(に)たてて 食はせける時』
煮た豆腐の湯気がうかぶようで、湯豆腐や焼き豆腐の甘辛く炊いたんやら食べたくなる。

▲『独楽吟』にはこの他にも食べ物のうたがいくつもあって、貧しい暮らしの中 その「たのしみ」のようすに頬がゆるむ。
『たのしみは まれに魚烹(に)て 児(こ)等(ら)皆が うましうましと いひて食ふ時』
『たのしみは 木の芽瀹(に)やして 大きなる 饅頭を一つ  ほほばりし時』
橘曙覧の生涯は「清貧」そのものだったようだが、たべものや人、読書のよろこび、日常生活への視線がほんとうに温かい。いま一首あげるとしたらこのうた。
『たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲め物を 食へといふ時』
ひさしぶりのあの人、この人を誘って「鍋」をつつき、のみたい、話したい、そんな季節になった。(やっと)


*追記*
『独楽吟』五十二首は ここ(福井市橘曙覧記念文学館HP)でも読めます。
昼寝や居眠りのうたがけっこうあって、うんうんとうなずいたり、わらったり。
『たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の 煮えてある時』
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by bacuminnote | 2010-09-23 22:24 | 本をよむ | Comments(0)
▲ しゃきしゃきという歯切れのよい鋏の音で目が覚めた。どうやらお隣に来ている植木屋さんらしい。親方の「あ、そこはもうちょっとこのへんから・・・」と、木の上の職人さんに言うてはる声がそのしゃきしゃきの合間に聞こえてきて、あれ?今年は早いなあ~と寝ぼけた頭で思いつつ寝床でぐずぐずしていたのだけど。
ちらりと見た目覚まし時計に「わあ、もうこんな時間!」と、あわてて飛び起きた。あああ。寝過ぎたり、寝不足だったり。ほんまむちゃくちゃな夏であった。(←もう過去形にしたい)

▲ よく砥がれた鋏のその規則正しい音は、いつもなら秋到来をかんじて身の引き締まるような思いがするのに。その日は何か落ち着かなくて煩わしく感じてしまったのは「秋一番」の剪定のはずが天候は「まだまだ夏」だったからか。それにしても、朝早くからすでにものすごく暑いのに、木に登って剪定の職人さんもたいへんやなあ・・などなど、いろんなこと思いながら、汗かきながら、珈琲を淹れた。ネルの中、お湯を注ぐや湯気と熱気。ぷくぷく泡といい香り。あ、けど、熱いのみものは朝の珈琲だけ・・という日がつづいてるなあ。ふうう。

▲ この前デパートに(涼みに)入ったら、なんか全体が茶っぽい。お決まりの季節の先取りディスプレイだ。ひんやり空調も心なしか低めになってるんとちゃうやろか。一歩外に出たら焼けつくような日差しやのに。騙されへんからね・・と思いながら服売場を歩いてたら、そのうち洗って洗って色あせたシャツ姿の自分がみすぼらしく感じ、やがて「やっぱりおしゃれは秋からやなあ」とか何とか。おばちゃんはおばちゃんなりに、買わへんなりに、あらら、いつしか気分は秋、になってしまってる。

▲ 今さら言うような事でもないけど、まちに出たら、テレビつけたら、ネット立ち上げたら、雑誌開いたら・・・とにかく何でも「購買」に結びつくように演出されているものね。
かつて信州の山暮らしの頃、そしてまだパソコンも持ってなくて、ネットで買い物なんて夢だった頃。車の運転が苦手だったわたしは友だちから「クミちゃんのは村内限定免許だね」とからかわれるほど行動範囲が狭かった。(正確に言うと村内でも無理、という所あり)
くわえて相方は超のつく出不精で。週一回一番近いまちまで買出しに車で20分余り、彼の運転で行くほかは、村の食料品(「村の百貨店」と呼びたいくらいいろんなものを置いてはった)と農協購買車(演歌鳴らして「走るコンビニ」やまびこ号!)で食材やら日用品を買っていた。あのころ「購買欲」を刺激されるといえば、若い友だちの履いてた雪に強い外国製の長靴や手袋。お向かいさんがまちで買ってきたという雪かきの軽いスコップ!本とCD以外はとにかく生活に必要なものだった気がする。

▲ ふと 『にぐるまひいて』 (D・ホール作 / B・クーニー絵 / もきかずこ訳/ほるぷ出版)という絵本をおもいだした。舞台は19世紀初頭のニューイングランド州の山村。お話は収穫の秋10月、とうさんが市場へ出かけるところから始まる。とうさんが刈り取った羊の毛を、かあさんがつむいで織ったショール、娘が編んだ手袋。息子がナイフでけずって作った白樺のほうき。家族4人一年かけて作り、育てた作物を荷車に積んで10日かけてとうさんはまちの市場にむかう。

▲ ようやく着いた市場でとうさんは、積み込んできたものを売るんよね。品物を入れてきた袋や箱も。荷物がぜーんぶなくなると最後は荷車も牛、手綱までも。それからとうさんは次の一年の暮らしに必要なものを買う。やかん、縫い針、ナイフ、それにペパーミント・キャンディも忘れずにね!暮らしの中で使う小さな道具たちと、ほんの少しの楽しみの品。

▲ 帰り道は身一つ。お土産を入れた鍋を棒に通してとうさんは来た道を反対にそっくりなぞって家族が待ちわびる家にてくてく歩く。
やがて冬がきて、一家はまた娘は編み物をし、息子は木をナイフでけずり、若牛のための手綱を編み、新しい荷車を作る。春になると羊の毛を刈り取り、楓の蜜を採って、野菜作り。そうして再び10月が巡って。そのくりかえし。

▲この話は「古きよき時代」のお伽話だろうか。
「時代」のちがう今こんな暮らしはとてもむずかしいけれど。時々おもう。食べるものだって、着るものだって、暮らしだって、本来はそれほど「変化」のあるものじゃなくて、おんなじことの繰り返しじゃないかなあ、って。自分のものぐさの言い訳するみたいでちょっと気が引けるけど。
余分なものをもたない生活に「変化」をせまってくるものは何なのか、購買欲を刺激してくるものは何なのか。自分がほんとにほしいものは何か。「今さら」だけど、考えてる。


* 追記
「購買欲」と広告といえば、前にここで「四季」について書いたとき紹介した 『先見日記』(駒沢敏器さん版06.8.21『日本の夏が終わる』)をふたたび。ぜひ。
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by bacuminnote | 2010-09-13 14:31 | 開田村のころ | Comments(0)

人として尊ばれる。

▲ 暑い暑いと唸ってる間(ま)に8月が過ぎてしまった。この間ニュースでこの辺りが38.1度と報じられて一瞬絶句の後、なんだかぐったり。ほんま言うと、その日は湿気がなくそれほどまでに暑く感じなかったんだけど。38度と聞いたとたん反応するわたしの正直な(単純ともいう)身体・・・。
それにしても。つめたいお茶に炭酸水。ビールにアイスクリームにかき氷。そして扇風機とエアコン。このあと、秋の体調を思うとちょっとこわいなあ。

▲そうして、こんなの中でも9月1日にはあちこちでガッコが始まって。
買い物帰り、前をゆく中学生たちが広告うちわをパタパタ仰ぎながら、だるそうに歩いてるのを見て、ふかく同情する。教室に2~3台の扇風機では、まだまだ学習できる気温やないよね。
久しぶりの友だちや、まだ終わっていない宿題、夏休みの間にあった 話したいことや、言いたくないこと。憂鬱となつかしさのうちに始まる二学期初日。

▲そのむかし、覚え始めた英語、12ヶ月の内いちばんすきだったのはSeptemberだったけど。考えてみたら、それは夏のおわりを感じることのできた遠い9月の話かもしれないな。今日もつよい光線は容赦なく、おばちゃんの肌も感傷もみごとにチリリと焦がしてゆく。

▲ 今朝 友人から仕事の休めない娘さんにかわって、熱のあとすっきりしない赤ちゃんのおせわに出かける、とメールがあった。これだけの暑さやから、体調をくずしたのだろう。仕事を持ちながら(いや、持たなくても)子どもを育てる中で、たすけてくれる人がそばにいてくれるのはうれしい。たとえ直接の手助けをしてもらえなくても、愚痴をこぼしたり、お茶のみながら話せるだけでも、ずいぶんきもちが楽になる。
友よ、暑いけどきばって「グランマ」してきてください。「お孫ちゃん」どうか早くよくなりますように。そして、こんなとき親が安心して休める(または働ける)社会を、と改めて思うのだった。

▲ そういえば、わたしは上の子が赤ちゃんのころ、しょっちゅう扁桃腺を腫らして医者通いをした。病院には子ども連れで行くこともあったけど、点滴となると時間がかかるので、そんな時は近くに住む友だちに頼んでウチに来てもらった。子どもは元気やのに母親であるわたしが病気ばっかりで、情けなくて、めそめそ、気弱になっていたから、友だちと息子のことを弟みたいに可愛がってくれる彼女の娘Mが来てくれると、ほんまうれしくて ありがたかった。わたしたちの親は近くにいなかったけど、恵まれていたなあとおもう。

▲ あれから30年近く。いつしかMも母となり、友はグランマになった。
『悪友が母となりたる秋真昼』(土肥あき子『鯨が海を選んだ日』(2002)所収)というすきな句がある。仲間内で一番早く「母となった」友に「ほおお~」と感慨深かかったものだけど。若いときからあほなこと一緒にしてきた「悪友」から 携帯の待ち受け画面の孫の写真を見せられる日が来ようとは。でも彼女の「ばばばか」ぶりを笑いつつ、そういうわたしだってエレベーターの中で乗り合わせたベビーカーの赤ちゃんから笑いかけられただけで、その日はハッピーな気分になる。子どもの笑みのもつ力はすごい。

▲けど、子どもは写真やないから、ずっと「いいおかお」してくれるわけもなく。時々スーパーで買い物の途中に全身でぐずるちっちゃい子のその泣き声の凄まじさに、しばらく忘れていた育児期のドタバタの日々を思い出す。
元気な子は元気ゆえに、からだに弱いところのある子はその弱さゆえに、親はそのつどふりまわされ、走りまわり、怒ったり、怒りすぎたと悔やんだり。そのうち子どもの笑顔にはっとして、つられて笑うて。親もまたすこしずつ育ってゆくのだけど。
いや、それはそれとして。その前にまず必要なことは生活の基盤だ。
くりかえされるつらいニュースに、やるせない思いで以前ここで(08.5.8 「すべてのこどもたちに」)書いた児童憲章を読み返しながら、いま、この環境を保証されている子どもたちがどれくらいいるのか、と再び考えこんでいる。


【児童憲章】
われわれは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んじられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる

一、すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二、すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三、すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四、すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果すように、みちびかれ る。
五、すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六、すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七、すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八、すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九、すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
十、すべての児童は、虐待、酷使、放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一、すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不十分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二、すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
             
 1951年(昭和26年)5月5日制定


*追記*

児童憲章について 
『この児童憲章とは、すべての児童の幸福をはかるために、児童の基本的人権を社会全体が自覚、確認し、その実現に努力する目的でつくられた12か条の文章です。1949(昭和24)年中央児童福祉審議会で制定しようという意見が出て、これをきっかけに直ちに児童憲章制定準備委員会が設立、1951( 昭和26)年には、55名で構成された児童憲章草案準備会の手で草案が練られました。この草案を、内閣総理大臣が、国民各層から選んだ協議員からなる児童憲章制定会議に提出し、その決議を経て、その年の5月5日、子どもの日に宣言されました。ただし、法律として国会において制定されたものではありません』 「大人のために児童憲章」求龍堂刊 より
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by bacuminnote | 2010-09-03 20:49 | 俳句 | Comments(0)