いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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熾き火のように。

▲夜になると足元からじんと冷えてくるものの、日中お陽ぃさんが照っている間は歩いてたら肩や背中がほんわか温い。庭の梅も白いのはほぼ満開で、紅いのは蕾が細い枝いっぱいについて、空の水色をバックにほんまにかいらしい。
この前書いたぎっくり腰もようやくなおり、下の子の試験も無事おわったし。スプリングハズカム~とばかりにここ数日ぼんやり、ぼぉーっとしてたら(←いつもやん!という声がとんできそう)今朝カレンダー見てびっくり。わあ、2月もあと9日でおしまいやん。

▲わが家ではわたしの「ぎっくり」以来、腰に力の入る重たい雨戸の開け閉めは相方の係になった。いや、前から「僕がするし」と言ってたんだけど。わたしがいつも先に起きるから彼が起きてくるまで、閉じた雨戸の夜みたいに暗い部屋に電灯~というのが鬱陶しくて。それに、朝一番開けた戸口から さあーっと差し込む光の束を受け取れないのはなんだか物足りない気もして。とにかく、そのほんの半時間か1時間のことが待てずに(このことだけに限らず・・・)無理して開けて回ってたんよね。
そういえば、腰痛で唸ってる時、鍼灸師のMさんが注意点などと共に『「任せる」という事が今一番必要な処方箋かも』と携帯にメールをくださって、布団の中でふかく同意、のち反省。

▲ この間のこと。腰も治ったし、と久しぶりに相方のおかあさんのホームを訪ねたら「今朝ケアの人が来てくれるのがなかなかで、待ってられへんし加湿器の水を替えようとして こけてん」「それにな、洗濯モンも干しに来てくれるの待ってたら、お昼になってしまうもん。自分でそろそろとベランダに出て干してるねん」と言わはった。
「こけた」と聞いてどきんとしたけど、幸いけがも痛いところもなかったようで。よかった。
「おかあさん、こけたら大変やし、少しの間のことなんやから待ってないと。加湿器も、洗濯モン干すくらいの事、ちょっとくらい遅れてもよろしいやん」と言うてしまい、あとで一人沈黙。考え込んでしまった。
わたしだってその「ちょっと」が、「~くらい」のことが、待てなくて人に「任せる」ということがなかなかできないのやから。いや、そんなことより他人には「ちょっとがまんすればいい」と思うようなことも、本人にとっては切実な問題であるかもしれないし。

▲ この日は義母にたのまれて買って行ったものが、たまたま義母が思っていたものとちがってた。義母ならきっとこっちだろうと、迷うことなく選んだのだけど。「あんたに頼むとき◯◯のほうって言えばよかったなあ」と義母が言い、「売り場から電話で確かめたらよかったですねえ」とわたしが言うて。お互いにあやまったり、笑ったり、そして少しがっかりした(たぶん)。

▲任せる側の柔軟さも任された側の誠実さも。老いの問題だけでなく、心身に不自由を抱えた時のことなど、考えれば考えるほどにいろんな場合があって、家族と福祉の現場でもちがうだろうし。簡単じゃない。あ、でもむずかしく考えるより、結局はそこに相手に対するどんなきもちがあるか、ってことやろか。
前回紹介の『クレアモントホテル』訳者の最所篤子さんあとがきにあった「老いとは当たり前に思っていたものが一つづつ去っていく過程でもあります」という一節をバスの中で思い出しながらホームから帰ってきた。

▲ さて、明日は母に会いに行く予定だ。
母もまた「できなくなってしまったこと」に向きあう日々のようで、ときどき受話器から小さくもれる「ふう」というため息がなんともせつない。
でもでも、まだまだ熾き火のようなぬくもりも強さもしっかりと残ってるよ~と言うてこよう。照れくさいけど、ことばにして、声に出して言わないと伝わらない時もあると この頃思うようになったから。
ああ、明日も今日みたいにぽかぽか陽気の佳い日になりますように。
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by bacuminnote | 2011-02-19 20:29 | 本をよむ | Comments(0)

欣喜雀躍。

▲その日はわたしの誕生日だった。
「ええ歳して、今さら誕生日も何もないやろ」と毎年きまって相方に呆れられるが、わたしにとっては全然「今さら」なんてことはなくて。
親しい人から届く「誕生日おめでとう」は、なんだか「あんたに会えてよかったわ~」と言うてもろてるみたいで、いくつになっても、毎年聞いても、そのつどちょっと照れくさくて、そしてうれしい。

▲わが家には誕生日にかぎらず記念日を祝う、という事があまりなくて、キホン「いつもとおなじ」だ。若い頃の日記(というか育児日記のようなもの)を読むと「今日はわたしの誕生日だった。大根の煮物と鯖の塩焼きとほうれん草を食べた」とか「焼きそばだった」とか。どこかうらみがましく、しかも食べもんのことばっかし書きつけて。不満!というほどのことはないけど、それでもちょっと拗ね顔の若いわたしの顔がすぐそこに見えるようで、笑ってしまう。

▲小沢昭一氏(すきです)の俳句で『母の日の常のままなる夕餉かな』(句集「変哲」所載)というのがあるけど、つまりそんなわけで今年も「常のままなる」誕生日の朝をむかえ、昼ごはんにはやっぱり大根(←大根にうらみはない)とじゃがいもにお揚げさんの煮物と小松菜を食べた。お昼過ぎに相方と息子はそれぞれでかけ、わたしも台所を片付けて夕飯の買い物に出た。
魚や豆腐を買ったあと、デパート地下のケーキ売り場でふと足が止った。せや、たまにはケーキでも買って帰って一人で食べよう(←家族でケーキ食べるのはわたしだけ)と思ったんよね。いやあケーキなんて買うの久しぶりや、とあちこちのお店のウインドウを眺めて回る。わあ、きれいやなあ。わあ・・た、高い・・・(苦笑)

▲結局まよったあげく買ったのはシュウクリーム一個。(いや、イジケテルんじゃなくシュウクリームも好き)それがたまたまウインドウの一個でおしまいで、たった一個だし、と辞退したんだけどりっぱな箱に入れてくれはって恐縮しつつ。それでも帰途レンタルショップに寄って出たばかりのDVDも借り、ほくほく気分だった。
その日、風はつめたかったけれど空はすっきりと晴れわたり「ああ、ええきもち」と、さっさか大股で歩いた。早く家に帰って・・と思うと、信号待ちももどかしい。

▲突然、この間どっかでみかけた『きんき じゃくやく』ってことばが浮かんだ。「こういうのを『きんきじゃくやく』って言うんやろか?あれ?そういえばどんな漢字やったっけ?」と立ち止まったり。道端のちゅんちゅん雀たちに「せや、これ、これ。雀が躍るや!」と思い出しては、またせかせかと「きんき」の方はすっかり忘れたまま歩く。ほんま、だれにも会わなかったからよかったけど、挙動不審なおばちゃんは(苦笑)こうして家に戻ったのだった。

▲そうして夕飯に買ったものを冷蔵庫に入れ、珈琲を温めてシュウクリームをお皿に、DVDをセットして「お楽しみはこれからだ~」のはずだったんだけど。
見始めて少しすると急に陽が翳って、窓の外が暗くなった。ええとこで中断するのも嫌やし今のうちに洗濯物を中に入れておこう~とDVD を一時停止。立ち上がった。映画館で観る映画とちがうのはいいも悪いもこういうところだ。庭に出してあった室内物干し器を部屋の中に入れることにして「さあ、早う続き、続き」と物干し器を畳んだその瞬間のこと。ん?あれ?あら?曲げた背中のあたりで何か嫌な変化があった。

▲まいった。
ぎっくり腰だった。もうそのあとはひたすらに「痛い」の二文字。もちろんDVDは中断したまま(シュウクリームは食べたけど・・)「常のまま」どころか、さんざんな誕生日となった。
しかし、ぎっくり腰というのはその名前のかわいさ?からは考えられないほど痛いんよね。そして痛いのは腰だけのはずなのに、その痛みゆえ全身がガチガチにかたまってあっちもこっちも痛い。寝返りを打てないのに、おなじ格好で寝てるのも痛い。トイレに立つのにも、靴下履くのも、お茶のもうとちょっと首動かすのも痛い。家事はみな相方と息子にバトンタッチして、ひたすら休養。

▲ 三日目くらいにやっと少しは痛みも和らいで、ちょうどそのころ相方が図書館から予約本をどさっと持ち帰ってくれた。うれしい!
向こうの部屋からは相方と息子がエジプトのデモの様子をネットのニュースで追いながら熱っぽく話しているのが聞こえてくる。パソコンやニュースから離れてたった3~4日の事なのに。なんか自分がものすごく遠くいるように感じる。

▲届いた本の中の一冊 『クレアモントホテル』(エリザベス・テイラー著/ 最所篤子訳/集英社文庫刊)はいま劇場公開中の映画の原作だ。
本の舞台はその名のとおりロンドンにある長期滞在型のクレアモントホテル。
主人公のサラ・パルフリーは最愛の夫アーサーに先立たれ、娘から自立して新聞広告で見つけたこのホテルに一人やって来る。だけどホテルは彼女が想像していたのとちがって落胆するんよね。
住人のほとんどが高齢者で。老いてゆくことの哀しみが、ぎっくり腰で身動きもままならない自身と重なり、切々とせまってくる。
『年をとればとるほど、時計を見る回数がふえていく。そのことに彼女は気づいていた。そしていつも、その時間は思った時間よりも前だ。若い頃は、いつも思ったより後だったのに』
『かつて歩くことは呼吸と同じように無意識の動作だった。』

▲みんなさびしくて誰か自分をたずねて来るのを待っている。ある人はそんな自分のことをどこかに連れ出してもらうことを待ってる「寄宿学校の生徒みたいだ」「わたしが人をどこかに連れ出すことはもうないんです」と言う。
サラもまた、近くにいるはずの孫がなかなか訪ねてくれなくて、あれやこれや住人たちに言い訳を繰り返すんだけど。
あるとき外出先で転んだサラを助けてくれた、ちょうど孫と同じ年の青年と出会って、彼女の日常にぽっとあかるい火が灯り始める。

▲ひとりでいることの寂しさや尊さも、ひとがひとと繋がることのよろこびも しんどいことさえも、愛おしくおもえた。映画版もぜひ観たい。それに、腰がよくなったら義母のホームをたずねよう。それから 11月以来会ってない母の顔見に、よしのに行ってこよう。

* 追記
原作本の作者はエリザベス・テイラー(1912~1975年)とあって、あれ?あの女優の(1932年~)・・と思われるかもしれませんが、同じイギリス生まれ のまったく別人で「20世紀のジェイン・オースティン」と呼ばれる作家だそうです。

映画『クレアモントホテル』 公式HP
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by bacuminnote | 2011-02-07 16:53 | 本をよむ | Comments(0)