いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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▲ この間のこと。買い物に行ったらあちこちで「父の日の贈り物」という張り紙の前に、人が列を作ってた。ああ、そうか~ 今日は父の日だったのかと気がついて、買うつもりもないのに父の好物だった甘いもんのショーケースをついついのぞきこんだ。マンゴームースも色とりどりのマカロンも。クレーム・ブリュレも生キャラメルも、あの頃はまだ売ってなかったんよね。

▲父が亡くなってもう25年。相方が父の「その年」近くになってきて、改めて「えらい早うに死んでしもたんやなあ」と、父の知らない25年間を思う。教えてあげたいおいしいモンに便利なモン。「孫たち」のめざましい成長とうれしいできごと。そして、おとうちゃんが知らんでよかった、ということも。

▲ 父はわが子を可愛がるより自分のことを大事にされたい人(たぶん)だったので、小さい頃は怒ってるか、出かけていないか、の父親像しかなく、たのしい思い出はほとんどない。
だから、子どもたちは仕事の合間にほんのわずかな時間 連れて行ってもらった奈良のドリームランドがいつまでも忘れられず、母の留守に仕方なく作ってくれたバターライスだけの夕飯や、家族に、というよりは父自身が食べたくて大阪で買って帰るシュウクリームとエクレアのカスタードの夢みるような甘さが、今もしっかり残ってる。

▲ そんなふうだから、四女のわたしだけでなく姉たちもまた「父」にはどこか屈折した思いを持ってきたのではないか、という気がする。
学生時代、友だちの家に泊めてもらったら、娘の友だちが来るというので箱いっぱいケーキを買って帰ってくれはったお父さん。アパート住まいの友だちを「近くまで来たから」と寄っていくお父さんにも。結婚式で友のウエディングドレス姿に大泣きだったお父さんにも、当時のわたしはただただ羨ましかったんだけど。
後になってよくよく聞くと、一見 仲のよい父娘の間にもみなそれぞれに愛憎劇(苦笑)があり。そもそも父と娘とは、親子とは、そんなものかもしれない、とようやく思えるようになった。

▲ 今年はじめだったか『父・山之口貘』(山之口泉著・思潮社1985年刊)を読んだ。貘さんは高校生の頃からすきな沖縄の詩人で(パン屋のなまえ「麦麦 ばくばく」にもそのきもちを込めたつもり)これは貘さんがミミコと呼んで可愛がってはったという一人娘の泉さんによる父の思い出を綴った本だ。貘さんの貧乏は有名だけど、ほんまに貧乏で(というのもおかしいが)、そんな暮らしぶりと詩人・山之口貘を泉さんが、娘でありながらきわめて冷静に書いていて、すごいなと思うと同時にずしんとこころに響く作品だ。

▲ 貘が一編の詩を書き上げるまで、推敲に推敲を重ねることはその詩にもあるし、他の人が書いたもので知っていたけれど、これほどまでに厳しくむきあっていたのか、とあらためて思った一節がある。
父(貘)の仕事中、母は口をきくこともひかえ、忍び足で歩く。幼い泉さんは父の仕事が終わって自分と遊んでくれるのをじっと待っている。
『机に向かっている父の姿は、まるで、一匹の固い甲羅をもつ河童のようである。その冷たい甲羅に血が通いはじめ筋ばった広い背中の緊張が緩んでほどけると、父は、やっと、私の遊び友達にかえるのだ』

▲ ある日、泉さんが待ちくたびれ退屈しながらそんな父の背中を眺めていたとき、父のペンを走らせる手が一瞬止まり、二、三度首を動かしたのだそうだ。きっと肩が凝ったのだろうと、気をきかせたつもりで泉さんが駈け寄って首のうしろをとんとんと叩いた。
『と、途端に私の体は父の怒声にはねとばされてしまったのである。』
おそろしさと口惜しさで泣きつづける娘の声にびっくりしてとんで来たお母さんの膝の上で、泉さんは胃の中のものをみんな吐いてしまう。

▲ それから泉さんは仕事中の父のそばには近づかなくなり、遊んでもらおうと、後ろ姿を眺めて待つこともしなくなったそうだ。それでも『遊んでくれるときの父は、相変わらずいたずらっぽく剽軽(ひょうけい)だったが、私の心の底には原稿を書いているときの父の厳しい表情が焼きついて離れなかった。だから、少し大きくなって父の書いたものを読めるようになったとき、私はとても不思議に思ったのである。こんな変てこなおかしな文を書くのに、どうして父はあんなにおそろしい眼つきをするのだろうか』
(以上、引用は「最初の記憶」p11~12)

▲ 一間きりの間借りという環境で、詩人一家の生活はどんなものだったのだろう、と想像しつつも「こんな変てこなおかしな文」というくだりに、貘の詩を読む少女の頃の泉さんを思って笑ってしまう。
わたしのすきな詩ひとつ。

「座蒲團」
『土の上には床がある/床の上には疊がある/疊の上にあるのが座蒲團でその上にあるのが樂といふ/樂の上にはなんにもないのであらうか/どうぞおしきなさいとすすめられて/樂に坐つたさびしさよ/土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに/住み馴れぬ世界がさびしいよ』
(『定本 山之口貘詩集』原書房刊)


*追記
わたしが読んだ『父・山之口貘』はすでに廃刊となっていますが、今年1月 同じ思潮社から新版 『父・山之口貘』 が出ています。
同じく詩集も昨年末 原書房から新装版がでました。『 定本 山之口貘詩集』

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by bacuminnote | 2011-06-22 11:55 | 本をよむ | Comments(0)
▲ ひと雨降るごとにものすごい勢いで草が伸びているのにおどろく朝。
うす灰色の空、ドクダミの濃い緑色と白十字、たっぷりの葉っぱが さわさわと風にゆれる梅の木。
『六月を奇麗な風の吹くことよ』
正岡子規のこの句は子規が療養中の作だと、どこかで読んだ。今日はそれが なんかワカル気がする。
しばらく空を見上げてたけど、洗濯物は軒下に干すことにした。

▲ 「伸びる」といえば、うちの柱のキズ(ではなく鉛筆で書いてる)を見ると、下の子の成長ぶりに、信州からここに越してきた時間の長さを思う。もう7年も経ったんやもんね。大きいなるはず。
先月のこと開田村(←とうに木曽福島町にかわっているが、わたしの中の開田高原はやっぱり「開田村」なのでご了承を)の元お向かいさんから携帯にメールをもらった。かつてわたしたちが暮らしてた家(借家)は、続いて知人が入居。やがて彼の転居後は空き家のままと聞いていたんだけど。
「まちから若い人が移り住んできたよ~」という文面。

▲ 目をつむると家の前の道がうかぶ。
道のむこうは今時分は ♪くさーのうみ かぜがふくよ~の牧草地で。そのむこうには山が連なって見える。家のすぐ裏も山。夕暮れから少したつと、そこらへんはほんとうにほんとうに真っ暗闇。そんな中にぽっとあかりの灯った家と笑顔のおむかいさんご夫婦がうかんでくる。
ソッコウ返信メールを打ち始めたけど、まどろっこしくて、声が聞きたくて、電話してみた。「わあ、ひさしぶりぃ」のあとはすぐに7年前に戻って、アハハ~と大口あけて笑って話す。「家があるのに真っ暗だとさびしいからさぁ、明かりがあるのはうれしいよ」受話器のむこう、なつかしい開田ことばのその温かい声が、このところイライラとげとげの心に沁みる。

▲ T子さんはわたしよりちょっと上のおねえさん。しんそこやさしい人。自分のいい加減さにうんざりしたとき、いつも彼女のことを思い出す。だから、このかたに「また『帰って』おいでよ」と言われるとちょっと泣きそうになってしまう。
最初のころ、慣れない村の集まりや、お葬式のお手伝いも、ぜんぶ彼女に教えてもらった。朝、仕事に出る前、ウチの玄関先に畑のものをきれいに洗ってさりげなく置いて行ってくれた。家の前でお互いの家族に呆れられるくらいに立ち話して。引越しの日に渡してくれた手紙も。思い出すことは山盛りいっぱい。今年は「里帰り」できるといいなあ。

▲ おもいがけないT子さんのメールのあと「開田 on my mind」に浸ってたら、こんどは開田「池上きのこ園」から楽しみにしていた干し椎茸到着。今季は4月が寒く収穫が遅れてると聞いていたので、残りをだいじにだいじに使っていたのだ。
収穫期の超のつく忙しさの中、いつもの几帳面な字で綴られたメッセージに、山ん中 みごとに並ぶほだ木と池上夫妻に想いを馳せる。おまけに入れてくれた生椎茸はさっそく網で炙って食べた。うまい。さすが池上さん。さすが原木栽培。さすが農林水産大臣賞受賞者!すごい~と唸ったあと、テレビでみた福島県の椎茸の生産者の方が「山の中での原木栽培、すべて廃棄だって」と言うてはった事を思い出した。

▲ 開田暮らしの間、池上さんたちの働きを身近に見てきて、ほんの少しだけどお手伝いしたこともあり、原木栽培のしんどさ大変さをちょっとはわかってるつもりだから。やっとやっと収穫の時をむかえたのに、捨てなければならない無念さを思うと言葉がない。
昨日は福島県会津の豆腐やさんの「廃業のお知らせ」というのをネット上で読んだ。食べたことはないんだけど、このお店 「おはら」さんのことは何かで見て覚えていたのでおどろいた。おどろいたけど、ものを作ってきた人の誠意と怒りがじんじんと伝わるその文章と「苦渋の選択」に深く深く頷いている。

▲ 店主の小原さんは「1999年に一目惚れした会津に移住し、2000年6月に豆腐屋を創業」して、去年 10年目にしてようやく念願の福島県産無農薬大豆100%の地産地消を果たしたそうだ。
「おはら」のホームページにこんなことを書いてはる。もちろん原発事故が起こる前の文章なんだけど。だからこそ、ほんとうに胸がはりさけそうな思いになる。
『 地元の大豆を使って、地元の方に喜んでいただける豆腐を提供する地産地消型の小さな豆腐屋。それが理想です。
会津は、豊かな自然と清らかな水に恵まれた人情豊かな土地柄です。 せっかく当店に来ていただいても、売り切れの商品もあるかもしれませんが、すばらしい温泉も多く、 のびやかな時間を満喫できることは間違いありません。是非、一度会津へお越し下さい』

▲ 4月末には東京の天然酵母パンのお店が閉じたと聞いた。他にもそういうお店が(もちろん生産者の方々も)いくつもいくつもあるのだろう。子どもからお年寄りまで、みな安心して食べてもらえる、何よりおいしいものづくりに、食材のひとつひとつを吟味し、儲けは少なくてもお客さんの「おいしかったよ」をはげみに、朝の暗いうちから仕事場に立ってはったであろう、あの店、この店がこうしてきえてゆくのは、ほんとうに惜しく、 そして何よりくやしい。小原さんの『私は、県外へ避難した後も、福島県民のはしくれとして、県民の避難の支援、事故とその後の不手際な事故対応、情報隠しの責任者に対する責任追及を生涯をかけてやっていく所存です。』(「廃業のお知らせ」より抜粋)に、ふたたび頷く。

*追記
上記パン屋さんのブログ(「発酵屋の毎日」には閉店、転居後も引き続き原発に関する情報発信をしてはります。
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by bacuminnote | 2011-06-08 14:52 | 開田村のころ | Comments(0)