いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2011年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ただ 家の窓から。

▲ その日は朝早く目をさましたのに、外はすでにねっとり暑かった。早朝散歩から戻った相方と朝食のあと、洗濯機が唸ってる間パソコンの前に。友だちのブログを見たら、彼女んちの近くの川や魚捕りする少年の写真。昼の熱気冷めた夕方、夏の川。あたりの緑は黒く川に影をおとして、刷毛で白く塗ったような雲も涼しげで。ええなあ、ええなあと見入ってるうちに頭の中は川、川、川・・でスイッチ・オン!急遽、吉野行きを決めた。
こういうとき、自分のからだの中には「川」が入ってるのかもしれへんなあ、と思う。釣りをするでもなく、泳ぐでもなく(久しぶりに泳いでみたい気もするが)ただ家の窓からぼーっと吉野川眺めてみたいだけなんやけど。

▲ 「しゃあないから、そのうち、予告なしに会いに行くことにしよう」と前回のブログに書いた翌朝のことだ。「予告なし」と書いたものの、ほんまに何も言わずに行って、もしや母が留守だと困るので、家を出る前に電話して「急やけどこれから行くし」とだけ告げる。「あんたも忙しいのに。肩痛いのに。暑いのに・・」と例によって「~のに、~のに」の連呼のあと、しかし「そうかぁ。帰って来てくれるんかぁ。ほな、楽しみに待ってます」と弾んだ声が返ってくる。よかった。

▲近鉄あべの橋駅周辺は最近開発で様子がすっかり変わってしまい、それでなくても方向音痴なわたしは、おろおろ、うろうろ。
地下鉄御堂筋線から階段上がると新聞売り場があって、そのむこうには近鉄百貨店の地下入り口、というのがわたしの覚えてる図。まずは入り口近くで「赤福」のちっちゃい箱ひとつ買って、すぐ上の「たねや」をのぞき、そのあとは「桃林堂」「福寿堂秀信」「巴堂」と勝手知ったる「ひゃっかてん」の甘いモン売場。その後、上階に上り吉野行きの切符を買う、のがいつものコースやったのになあ。残念。

▲ さて、吉野行き特急電車が走りだすや、なぜかわたしの周りの席のみなさん、それぞれ買ってきたお弁当をひろげて、ええにおい。あれ?この電車10:40発やったはず~とあわてて時計を覗き込む。斜め向こうの四人掛けでは「ウチ、待ち合わせの前に“モーニング”食べて来たとこやし」という声は「だいじょうぶ。こんなぐらい入るって」という残り3人のお仲間の力強い声に説得されたのか、そのうち「おいしいなあ」「これ、もひとつやなあ」とか何とか、かしまいこと。なんだかわたしまで旅行気分になって「あとで」と思って買ったたこやきを頬張る。(あ、これ、もひとつやったなあ・・・苦笑)

▲ よしの行きのことはここにもう何回も書いている。
乗る電車の時間も、川が見える右窓側の席に座るのも、買って帰るおみやげも。毎回ハンコで押したみたいに同じなのに。そのつどコーフン気味に「帰ったらこれ書こう」「あれ書いとこ」と思ってる自分が、おかしい。たぶん前にも(もしかしたら数回!)書いたことかもしれないのに。いや、けど、正確に言うと、そのつどちょっとだけちがう。その「ちょっとだけ」に、又どきどきしてるんよね。

▲ それにしても。
こんなにもこいしく思う地を、若いころ何故あんなに忌み嫌っていたのか。山と山に囲まれた小さな町がもつ妙に気位の高いとこ。世間の狭さ。◯◯のだれそれ、と必ず名前の前につく各家の屋号。山間部の方言の野暮ったさ。それに町もひとも すっぽり包み込む暗さはまるで川の深い青緑色のようで。そんな中 コンプレックスの固まりみたいに縮こまってた気がする。だから、夏休みに大阪からやってくるイトコの洗練された明るさにくらくらした。いま、その大阪に暮らして、どこが「洗練された明るさ」やのん!?と自分でツッコミを入れて笑ってる。

▲ 一時間ちょっとでよしのに。単線のこの駅も、その昔は夏ともなればホームいっぱいに川遊びの家族連れや大きなリュック背負った大台ケ原行きの人たちが埋めたものだけど。
三連休だというのに、お昼前だったからか、降りた人は普段と変わらず数人きり。いつも電車が発車したあとホームから身を乗り出して見るのは、今通って来たばかりのトンネル。(早いこと切符回収して、中での業務しようと思ってはる?一人きりの駅員さん、毎度ゆっくりしてすみません・・・)最後のトンネルは短くて、その先に小さく光が見える。たぶんあの光の先にあるものがほしくて、まちに、まちに、って思ってたのかもしれない。

▲ 駅からタクシーに乗る。この駅のタクシーの運転手さんたちは、今会ったばかりなのにずっと前から知ってるみたいにすいすい話しかけてきはる。「今日も暑いでんなあ」「ほら、見てみなはれ。川の側(はた)にバーベキューの人いっぱいでっしゃろ。後片付けきれいにしてくれたらよろしねんけどなあ」てな具合。その後、一人暮らしのお年寄りの家をときどき訪ねてるという運転手さんの日常ルポにまで発展して。窓に顔つけて静かに川をみていたい気持ちもあったけど、なつかしの方言がちょっと心地良くもあり、わたしにしたら珍しい聞き役(苦笑)のひととき。そうこうしてるうちに、車は橋を渡り、川のすぐそば 母の待つ家に着いた。
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by bacuminnote | 2011-07-30 18:32 | たべる | Comments(0)
▲ 今年は遅いなあと思っていたが、一昨日あたりからそろそろ蝉の鳴き声が耳につき始めた。「ないとさびしく あるとうるさい」などと勝手なことをぶつぶつ言いながら、それでも例年に比べるとずいぶん大人しい鳴き方やなあ、と気にかかりながら・・・早くも汗だく、首にタオルの朝。
そうこうしてると、お隣りさんが庭木にホースで水やりをしてはる音がしゃー、しゃーと聞こえてきた。葉っぱにあたった水が跳ねるぱちぱちという音も。なんだかわたしも緑たちと一緒にシャワー浴びてるようで、ほんの一刻(いっとき)涼風がすうーいと通る。ああ、きもちのいい夏の朝。

▲ 今日は母の88歳の誕生日。
電話ではしょっちゅう話してるけど、長いこと顔もみていない気がするし、この間「いっぺん帰ろうかなあ」と言うと、予想通り?「こないに暑いときやから」「肩まだ痛いんやろ?」「あんたも忙しいねんから」・・・つまり、無理して帰ってこんでよろし、というわけだ。別に無理してないのになあ。すなおに「わあ、うれし」「帰って来て」と言うてくれたらええのに。ほんまにもぉ、お母さん言うたら、すんなり人のきもちに甘えらへんていうか、クッセツしてるねんから、とムスメは受話器を置いたあと一人毒づいている。

▲ いや、わかってる。それはへそ曲がりとかクッセツとかやなく。ずっとずっと、そんな風に、自分の思いより周囲のことを先ず考えるクセがついてるんよね。それに会ったら会ったで、あとが寂し、ということも。わかってるんやけど。しゃあないから、そのうち、予告なしで会いに行くことにしよう。

▲ 今冬のこと。どなたのブログで出会ったのか忘れてしまったが、山田恵子さんという方の詩「独りに慣れているのに」(2011.2.21神戸新聞「読者文芸」に掲載 /選者は安水稔和氏)が転載されていて、思わずノートに書き留めた。老いた母をたずねた娘は こんな場面を何度も思いながら帰途につくのだろうな。
『独りに慣れているのに/ 寂しさを思い出させに/ 帰っているようで/ ベランダで見送る母に/ 明日また来るみたいに/ 素っ気なく手を降った』

▲さて、母は88歳になった今も好奇心旺盛で、知らないことを見たり聞いたり教えてもろたりするのが大好きだ。いつだったか、ツイッターのことを話したら「それはどういう字書くの?」と、きた。わたしの大阪弁的発音では「突いた」とでも聞こえたのかも。ひとしきり大笑いしたけど、そんなわたしもエラソーなことは言えない。「新しく」知ったことばを覚えて、自在に使えるようになるのは(年とってくると)ほんまにたいへん。

▲ このまえ読んだ 『君がいない夜のごはん』(NHK出版)の著者・穂村弘さんはわたしより7つも若いけど、新しいもの(ことば)が登場するたびに奮闘してはるようで、苦笑のち爆笑。曰く
『私はパスタとの苦しかった戦いを思い出す。 ナポリタンとミートソース、その二種類のスパゲティを食べ続けて我々は何十年も平和に暮らしてきたのだ。ところが或る日、カルボナーラとかボンゴレなどというものたちが現れた。それらはパスタという食べ物だという。(中略)やがてタリアテッレ・ゴルゴンゾーラとか、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノなどというミドルネームだかをもつものたちが現れたのだ。私は歯を食いしばって覚えた。ところが、さらに数年後、ペンネ、ラヴィオリ、コンキリエ、ファルファッレたちに紹介された。ショートパスタという一族だ。(後略)』

▲ そういえば、わたしは長い田舎暮らしのあと、大阪に戻って来て初めてスターバックスに入ったとき何を注文していいかわからなかった。(ほんま言うと今もあまりわかってない・・)だから穂村さんの『ミルク・コーヒーとカフェ・オ・レとカフェ・ラ・テとカフェ・クレームは四人姉妹かと思ったら、化粧がちがうだけのなんと同一人物だった』には笑ってしまった。


▲『ヴィシソワーズに初めて会ったときも驚いた。確かに以前どこかで・・・。そうだ。私が子供の頃、家にあった「暮しの手帖」の記事で「じゃがいもの冷たいスープ」として紹介されていたのだ。』(以上「ショコラティエとの戦い」より抜粋)にも納得。
本を読みながら、せや!そのとおり!なんでも横文字がええかっこやと思うんやないで~と一人声をあげている。そのくせ相方(わたしより7つ上)が「今風」なことばがわからなくて、とんちんかんなことを言うと、ここぞとばかりに息子(十代)と一緒にあはは、と笑ってる。(すまん)
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by bacuminnote | 2011-07-15 20:36 | 本をよむ | Comments(0)

そのころに。

▲この間から五十代になって二回目の五十肩に。けど、これは五十代だからということではなく三十代でも四十代でも、ときには高齢者にも起こる症状らしい。いつだったか母が「わたし、五十肩になってなあ」と電話で言うてきたとき「お母さん、いくらナンでもその年で『五十』は厚かましすぎやわ~」と笑ってしまったけど。(こんど謝っておこう)
五十肩って、突然、何かの動作で激痛が走るんよね。こむら返りが起こったときみたいに、痛みが大人しく立ち去るまでの間、身を硬くしてしずかにじっと待つしかなくて。ふうう。

▲ それでなくても、今春来これでもかというほどにいろんなことが重なって、しょげかえっているのに。泣きっ面に蜂。踏んだり蹴ったり。ああ、前門の虎 後門の狼。(しつこいって?)というわけで、いつもお世話になってるまき鍼灸院に向う。駅の近くで 『ビッグイシュー』を買って電車に乗り込んだ。この前は『原発よ、さよなら』で、今号は『この夏、非電化生活』が特集だ。『節電』でないところに、ちょっとほっとしながら冊子を開く。いや、何も節電に反対なわけではない。去年の夏もほぼエアコンなしで過ごしたし。でも、このところ一斉の節電コールにはなんか変やなあ、と思うときあるから。

▲ 一つむこうの駅で乗り換え。「弱冷車」が前か後ろかわからなかったけど、10時という時間帯や「時節柄」どの車両も弱冷にちがいない、と思って乗ったら、寒いの何の。場所が悪かったか、と席を替わっても同じで、念のために持ってきたスカーフを痛む肩あたりに掛け、膝の上には布バッグを置いて「暖」をとる。ぎゅうぎゅう詰めのラッシュアワーにはこれくらいの冷房は必要かもしれないが、ガラ空きの時間帯にはちょっとは緩めたらええのに・・・と思う。(しかしこんなこと、もう何十年も前から思ってるんですけど)

▲ さて、特集の「非電化生活」というのは「非電化工房」主宰の藤村靖之さんへのインタビュー記事。元々は大企業のトップエンジニアだった藤村さんが「非電化」に取り組むようになったのは1983年、子どもさんの喘息がきっかけだったそうだ。周囲をよく見渡すとアレルギーのこと、環境破壊、自殺者、登校拒否、イジメの問題・・など、そのことを機によく見えるようになって。「唖然としましたね。昨日まで自分が夢中になっていた経済成長は何だったのかと。その時、僕の頭に浮かんだのは、シーソー。つまり、子どもの安全や環境を下げれば経済が上がるというね。たかがそんなことなら、自分がやってきた発明なんか大したことない。ほんとにすごいのは、子どもの安全や環境を犠牲にしない技術や経済だと想い定めて、次の日から会社で宣言したら、初めて社をあげて反対された。それで、発明起業家に転身して、すべてはそこからなんです」(p14)

▲ 藤村氏がどんな「非電化」の道具や家を考えてはるかはビッグイシューを読んでいいただくことにして(「非電化工房」HPにも写真あります)インタビューの中で印象に残ったのがこの一節。
『アインシュタインは「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(心の枠組み)のままで、その問題を解決することはできない」と言ったけれど、まさに今の私たちは原発事故を引き起こしたのと同じマインドセットで問題が解決できるかのようにふるまっています。電力不足なら省エネ家電を買って、原発がダメなら今度は自然エネルギーで、というように。だけど、それは同じことの繰り返しです。今真剣に考えるべきは、本当に私たちはこんなにたくさんのエネルギーを消費しないと、幸せになれないのか、ということ。僕はそうじゃないと思っています』(p13)

▲ ほんま、いつからこの国では「買う」ことが「作る」ことより豊かさの象徴になったのか。今 『Jr.日本の歴史』 7 巻・国際社会と日本1945年から現在(大門正克著 少学館2011.4刊)という本を読んでいるんだけど、これはタイトルどおり ジュニアに向けた歴史の教科書のような本だ。しかし、わたしのガッコの歴史の授業ではまちがいなく「あとは各自読んでおくように」で終わった範囲。当時は試験にも出ないらしいわ~と「あと」で、きちんと読むことさえしなかった気がする。

▲ 本を読みながら1945年以後の日本を追っていると「知っていたつもり」の事が、そのじつ穴ぼこだらけのまずしい知識や認識でしかない事がよくわかり、今まで知らないできた事がほんまに恥ずかしい。
この中の「高度成長の時代」という章には敗戦から10年すぎた1955年(昭和30年)頃になると日本の経済が戦争被害から回復し、その後1970年初めまでの20年ちかくにわたって経済が発展しつづけたこの時期を高度成長と言う、とある。

▲この20年というのは、わたしが生まれた年から学生の頃にぴったり重なる。
『「エネルギー革命」「消費革命」「流通革命」「台所革命」などのあたらしいことばが登場』(p96)した時代でもあり、古いものを捨てひたすら「買う」に走った時代。(あ、この間(かん)もちろん捨ててよかった古い価値観もあった、ことは忘れたらあかんと思う)
記事を読みながらいろいろ思ったり考えたりして、もうちょっとで乗り過ごしそうになるも、なんとか鍼灸院に。
同じ年のセンセ(なんて呼んだことはないが)のまきさんに、ていねいに施術してもらいながら、家族の話、原発やヒ素ミルクのこと(森永ヒ素ミルク事件も1955年のこと)学生のころの話。

▲ そういえば映画『ゴジラ』もわたしたちと同じ頃に生まれたらしい。残念ながらわたしは観たことはないのだけど、この作品は1954年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作されたという。海底深く潜んでいた太古の怪獣ゴジラが水爆実験によって目を覚まし東京を襲撃するというストーリーは「今まさに起こってるいること」と重ねて、考え込んでしまう。
その「ゴジラ」の映画初公開の数日後うまれた旧友でマンガ家の うらたじゅんが去年の夏によんだ俳句は、原発事故後いっそうじんとせまってくるものがある。
『空焦がす ゴジラの嘆き 熱帯夜』 (「京大俳句会会報」3号 2010.9 所収)

▲さて、まきさんの鍼で身もこころも軽くなって帰途に。帰りもまた寒い電車にゆられ、次の電車に乗り換えるべくエスカレーターのところに行くと「節電のためこの時間帯は止めてあります」の張り紙に凍りつく。ここの階段は長いのだ。わたしの前を歩くお年寄りもふうふう言いながら手すり持って、休憩しいしい上ってはったし、膝の弱いわたしもつらかった。まいった。
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by bacuminnote | 2011-07-05 20:31 | 本をよむ | Comments(0)