いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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その音が聞こえたら。

▲ 今日もきもちのいい秋空がひろがる。
洗濯物を干していると、ご近所から声が聞こえてきた。どうやら年老いたお母さんとその娘さんが庭そうじしてはる様子。「ええお天気やねえ」「ほんまに。きもちよろしなあ」二人の声のうしろに聞こえる しゃかしゃか いうのは落ち葉掃きの音だろか。
わたしはしゃがみこんで日向ぼこ。考えなあかんことや、考えてもどうにもならんことや。不安に憤り。ああ、あれも、これも。せや、せや、今は洗濯干しの途中やった。でも、けど、しかし。ちょっとの間こないして、十月のうす青色の空眺めて。しゃかしゃかしゃかを聞いていよう。

▲ この間『ヤコブへの手紙』(クラウス・ハロ監督)というフィンランドの映画(DVD)を観た。「手紙」のでてくる話がすきで本でも映画でもよくみている。
というか「手紙」好きなのである。
小さい頃は仕事で夜遅い母に宛てて広告の裏に。かわいがってくれた住み込みの仲居さんにも書いたし。小学校もなかば位になると「文通」というものを知って。はじめは2つ年上のイトコと。次は近所の友だちんちに毎年夏休みに遊びにくる大阪のイトコと、やがてその友だちとまで文通の輪は広がった。東京のガッコに行った一番上の姉に、京都のガッコに行った二番目と三番目の姉に。毎日教室で会うのに友だちにも手紙を書いて。そのうちすきになった男の子にも書いた。いったい何をそんなに伝えたいことがあったんやろか。しゃべってもしゃべっても尽きないおしゃべりの自分には、我ながらほんま閉口する。けど、手紙を書くのも、もらうのもやっぱりすき。

▲さて『ヤコブへの手紙』の話だ。
ヤコブはフィンランドの片田舎の年老いた牧師。目が見えない彼は、雨漏りする古びた牧師館で一人質素な暮らしをしている。でも彼を慕って多くの信者が毎日のように相談の手紙を送ってくる。
で、この手紙を自転車で配達しに来る郵便局員がちょっと離れたところから大きな声で歌うように呼びかけるんよね。フィンランド語の再現はむずかしいけど「ヤコーブ!手紙だよ。手紙が来たよ~」というような感じかなぁ。ヤコブはその声や物音がすると、ぴくんとしてとたんに頬がゆるむ。郵便が来るのってうれしいもんね。まして訪れる人の少ない暮らしをしてると、郵便でも新聞配達でも、その音が聞こえたら「あ、来た!」って思うもの。

▲ 手紙の内容は孫の就職口がない、とか学校が嫌でたまらない、とかというようなことから夫の暴力への相談ごとまで、実にさまざま。で、これまでは盲目の彼にかわって近所に住む老婦人が手紙を音読し、彼のいうことを代書して返事を出していたのだけど。その方が老人ホームに転居したので、かわりの人が必要になった。
やってきたのは、殺人の罪で終身刑だったが、恩赦によって12年で刑務所を出たレイラという中年女性。彼女は「恩赦」になることなど頼みもしない。ずっとあのまま刑務所の中だってよかったのに、と思っている。でも行くあてもないので、請われた牧師のもとに身を寄せることになるのだけど。

▲レイラは与えられた仕事がすきになれない。郵便配達人もうっとうしく思うし、彼のほうもそんなレイラに不信感を持つ。そのうちレイラは届いた手紙の束から何通か抜いては捨てる。
ヤコブが紅茶をいれてあげようとすると自分だけコーヒーを入れる。笑わないし、おしゃべりもしない。彼女のこわばった表情は、まるで憎しみや悲しみや孤独で出来ているかのようで。よろこびや笑い、ひとを愛おしむきもちもも、ぜんぶ封印してしまったかのように見える。

▲ あるとき、何故か突然手紙が届かなくなって。窓際に立ち、待っても待っても郵便配達の人の「ヤコーブ」と陽気に呼ぶ声もなく、ヤコブは「そんな日もあるさ」と言いながらもさびしそう。彼にとっては手紙だけが「社会」とのつながりだったのに。そして、もはや自分は人のために役立つことができないのか、と深く落胆する。
日に日に弱ってゆくヤコブを前にして、レイラのきもちもすこしずつほどけてゆく。そうしてある日、届いてはいないけれど、手紙を読むふりをしながら誰にも話したことのない 自分の子どもの頃のつらい思い出、母親や姉のことを話し始める。

▲ 登場人物は牧師、レイラ、郵便配達人のほぼ3人きり。75分という短い作品で、タイトルの「ヤコブへの手紙」は新約聖書にある「ヤコブの手紙」に重ねたものだとは思うけれど、そのあたりのことはよく知らない。ただ、信仰をもたないわたしにも「届く」ものがあった。それに、映し出されるフィンランドの森も空も雨も光も、しみじみとうつくしくて、だからこそ、人のこころの中にひそむいろんな思いまであぶり出されるような気がした。
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by bacuminnote | 2011-10-21 11:27 | 映画 | Comments(0)
▲ 扇風機に団扇に蚊帳、色褪せた半袖Tシャツ、かごのバッグにサンダル、・・・まだまだ夏物にしっかり囲まれつつ、昨日一枚、今日一枚と、セーターや上着類をちょとづつ出し、冬布団を出し、とうとう電気ストーブも出してきた。
ついこの前まで、お風呂上がりには「あっぱっぱー」(笑・・・これって、なんで「あっぱっぱー」なんやろ?・・と思って調べたら語源は”up a parts”やそうな。→ wiki)着て、少し涼んでからパジャマに着替えていたのに。いま夜更かしのときは、ソックス履いてパジャマの上にフリース着てる。

▲ この前、ひさしぶりに映画館で 『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)を観てきた。去年冬から順次始まった全国公開もそろそろ終盤で、DVD化を待つしかないかな(でも、DVDになるかなあ・・)と諦めていたところ、思いもかけず近くの映画館での上映を知った。
原作を読んだのは何年前のことだったか。著者、佐藤泰志氏は北海道の作家で、何度も芥川賞などの文学賞候補になりながらも 受賞かなわないまま21年前のちょうど今頃41歳の若さで自らいのちを絶っている。

▲小説は「海炭市」という架空の街(モデルは彼の故郷である函館)を舞台にした物語だ。これを読んだ友人が「小声でつぶやくような短編の連続」とtweetしてたけど、ほんまそんな感じ。時に怒りの声が飛び散るものの、たいていは雑踏の中では埋もれてしまうような小さな声が、ぼそぼそと人生のかなしみ、おかしみを、語る。でも、耳をそばだてると人びとの動悸まで聞こえてきそうな、そんな小説だとおもう。

▲ 映画はこの短編からいくつかを紡ぐように描いており、海炭市の造船所縮小で解雇された兄と妹が、大晦日にすこしばかりのお金を持って初日の出を見にいく話から始まった。
わたしはもう最初の場面から、冬の空や降る雪を見ただけで泣きそうになった。「寒いとこ」の映画や話にはよわいのだ。
兄と妹が山の上から見る夜の街は、星空が落っこちて広がってるみたいに、まばゆくきれいで。でも、ふたりの視線も、見ているわたしですら、どこかもう戻れない自分や自分の家を見下ろしているようで。いろんな思いが去来して、胸がしめつけられる思いがした。

▲ 映画館は平日の午前中ということもあるのだろうけど、いつもどおり閑散としていてさびしかった。でも、空席のならぶシートをながめながら、そのさびしさはやがてスクリーンに登場する小さなプラネタリウムと重って。それはとてもいい雰囲気だったのだけど、この映画館のこれからを思うと、そんなことでよろこんでられへんよね。

▲ さて、朝から始まった映画だけど152分とけっこう長く、終わったら1時近くになっていた。
胸いっぱいになって映画館をあとにしたのに、夕飯の買い物をしてるとぐうぐうお腹がなってパンをひとつ買った。人通りの少ないほうの道を歩き、立ち止まってはパンをつまんで、映画のこと「物語」のことを考える。
あの日以来ずっとことばを読むのも 発するのにも、どこか臆病になっていたけど。ひとにとって「物語」はだいじなもの、と改めて思った。

▲忘れられないのは やっぱりずっーと映し出される冬のグレイの空と海。そしてあの兄妹がのぼった小さな山だ。
佐藤泰志氏は海炭市の春や夏も書くつもりだったらしいけれど、書く人をなくして「海炭市」はずっと寒いままだ。いや、寒いから、一杯のお茶や人の吐く息や涙さえ温いのだろうけれど。
でも、佐藤泰志氏の描く「海炭市」の芽吹きの時や真っ青な空はどんなだったか、読んでみたかったなあとおもう。


*追記
■佐藤泰志氏については『函館文学散歩』というHPの中にコーナーがあります。

■現在、上記リンク先の本は絶版となっており、2007年に 『佐藤泰志作品集』(クレイン刊)が、2010年には小学館文庫から 『海炭市叙景』が出ています。

■ 映画は11.3にDVD&ブルーレイが発売されるそうです(セル・レンタル同時リリース)
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by bacuminnote | 2011-10-07 21:21 | 本をよむ | Comments(0)