いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2011年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲ 寒い。
今日はほんまに寒かったなあ。歩いてると、耳も手も指も鼻もほっぺたも 外に出てるとこぜんぶ冷え切って。
街ゆく人たちも首すくめて、口閉じて、肩にもぎゅうっと力が入って、身を縮こめて。そして、みんな揃って早足だった。
冷えたせいか、わたしも膝がぎしぎし痛むのに、寒ぅてゆっくり歩いてられなくて、早う早う、と(という思いだけでじつは足はついていってない・・)家に帰ってきた。
それでも、そんな冬がすきだ。
けど、それは身を覆ってくれる暖かいコートがあり、急いで帰って来れる家があり、熱いお茶が飲めて「外、寒かったわ~」と言える家族のいる暮らしやから・・・と、いつにも増しておもう年の暮れ。

▲ この間からぽかぽか陽気の日がすこし続いたので、思い切って障子の張り替えをした。室内物干器を出し入れするたびに、あっちにもこっちにもぶつけて障子紙が小さく破けてすきま風が気になっていた。なにもこんな寒くなってからせんでもええのに、と相方は言うけど。それはそうなんだけど。暑いときは開けっ放しやから、気にならへんのよね。

▲とはいえ、開田高原で住んでたころ障子の張替えは 毎年お盆休みの恒例だった。あの地で冬に戸を外すなんて考えられないもんね。
古い大きな家だったので、大きな障子戸は9枚もあり。ひとつづつ順番にはずして外に出して洗うのだけど、夏とはいえ水道の水はそれはもう冷たくて、そのうち手がしびれるようで。そんな冷水だから桟にこびりついた糊もコチコチに固まってきれいにとれなかった。

▲ 「パン焼いてるかと思って」と訪ねてくれはった遠来のお客さんに「休みですねん、すんません」と謝りつつ、ホース持って長靴姿で桟を洗いながら、初めてあう人たちと開田のことやパンの話、酵母の話、そして互いの仕事や家族のことまで。途中水道の栓を閉め、障子戸をほっぽり出して話し込んだりしたものだ。
話がはずんでそのまま家に上がってもらって一緒にごはん(あ、パンも・・笑)ということもあったし、遠くから車でひとり来てくれた若い女の子を急遽泊めてあげたこともあった。開田高原という、あの場所ならではの人と人のつきあいだったなと思う。そしてあの場所、あの時間は、いまもわたしの中でひかりを放ってる。

▲ さて、障子張りだ。
どんなことでも丁寧にするより、早いこと「達成感」を味わいたい「~してんよ」と周囲に自慢したい(苦笑)わたしのことだから、今回もその作業ははじめから終わりまで、ええかげん。
水に濡らすと汚れのうき上がってくる古い障子紙を剥がし、新しいものを張るといっぺんに部屋が明るくなった。
昼間の障子の白は、時々はっとするほどきれい。鷹羽狩行の句に『午後といふ不思議なときの白障子』というのがあるけど、ところどころ、ひきつり波打ってはいるものの(苦笑)あらためて、障子ってええなあと思う。

▲ せっかく作業がノッテきたとこに、日が陰り寒くなったり、紙が足りなくなったり、中断したりで、じつはまだ完了してないんだけど、どうもこのまま越年(越冬?)しそう。
このことひとつ見ても自分を現してるようやなあと、苦笑。「達成感」いうても「ほどほど」でまんぞくしてるんよね。ふうう。

▲身辺にはうれしいできごともいくつかあったけど、大きな地震と原発事故で、黒雲は空気中にも 心の中にも重くたちこめたまま、今年もあと4日。
何を読んでも観ても、何を書いても、どこか「現実」から遊離してるみたいな気持ちのまま時間がすぎて、早かったのか遅かったのか。あの日以来とまったままだったのか、なんだかわからないままの一年だった。
こんなしょぼいブログひとつ書くのに難儀するときが何回もあって。それでも、ほんまにいつも読んでくださってありがとうございます。
いつも年の暮れにおもうことひとつ。来年こそ、来年こそ よき一年となりますよう。
年のおわりにすきな句ひとつ。『みかん黄にふと人生はあたたかし』(高田風人子「日本大歳時記・冬」)
すきな音楽ひとつ。(by Henning Schmiedt )
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by bacuminnote | 2011-12-27 11:48 | 開田村のころ | Comments(0)

だいどこで。

▲ このところ相方と二人だけの夕ご飯の日が増えた。息子(その2)があとから帰って食べるときはともかく、はじめから「今日は食べて帰る」とわかってる日は煮物や湯豆腐・・と、とたんにあっさり「肉気」ぬきの地味食となる。が、しかし、これがしみじみと旨い。(苦笑)
くわえて、日中ほとんど使わない居間(兼 食事部屋)が温まるのを待つより二人だけやし、煮炊きものでぬくもっただいどこ(台所)で食べよか、と、この間からは小さなテーブルで向きあって夕餉。流しの横の一升炊きの炊飯器がなんだか大きく見える。

▲パン屋の頃、店売りよりも地方発送が多かったんだけど。
週一回、隔週に、月に一度と、たくさん注文してくださるおウチが何件かあって。箱は小・中・大・特大と四種類用意して、できるだけ送料がかさまないよう、一つの箱にパンが潰れないよう、最大でどれだけ箱詰めできるか、図形の問題解くみたいに(←わたしは大の苦手)頭をなやませてた。あと一個が入らない、とどっちかがモタモタしてると「ちょっと、のけてみぃ。俺が(わたしが)する」と出てきてパッキングの腕(笑)を競い合ったりしたものだ。

▲ それでもウチのパン屋の年数が増えるのと一緒にお客さんの家族構成にも少しずつ変化があり。子どもが進学や就職で家を離れ、結婚で離れ、おばあちゃんが、おじいちゃんが亡くならはって。そのうち夫婦だけになった~とパンの箱もだんだん小さくなることが多かった。夫婦は家族をつくり、また夫婦に、やがてはひとりに戻っていくんやなあ。煮物がことこといういうのがちょっとさびしくもあり、ええ音やなあ、とおもう湯気のぼる夕方のだいどこ。

▲ふと、この間読んだ米朝句集のなかの一句がうかぶ。
『夜は雪という予報あり酒にする』(『桂米朝句集』岩波書店刊)
テレビの天気予報見ながら師匠は だいどこのおかみさんに「きょうは酒にしとこか」って言うてはるんやろか。たぶん夫婦のほかに誰もいない気がする。
「へえ雪でっか?寒いはずでんなあ」とか言いながら、おかみさんは小芋でも煮てはるんやろか。暖かな部屋、白障子のむこう 露のつたう窓ガラスまで、つぎつぎ情景がうかぶようで。よろしなあ。
何より。
まだ雪も降ってへんのに。のむ理由が「天気予報の雪」というのが、なんとも可笑しくうれしく、わたしもだいどこにて「酒にする」。

▲ この句集にはちょっと艶っぽい句もいくつかあって、なかなかたのしい。
『マニキュアの爪でむく桃のみずみずし』なんていう句には、子どもの頃、住み込みの若い仲居さんがピンクのマニキュアの爪でキスチョコレート(←大好物)の銀紙を上手に破かずはがしてくれたことを思い出す。
そんなこんなを相方に話してたら、講談社の『本』に『米朝が教えてくれた』(by堀井憲一郎氏)という連載がこの間から始まったで」と教えてくれた。(笑)

▲ 初回は「上方と江戸」で、あとは「大阪の商家の空気」「歌舞伎の噺」「落語ハンター」と興味深い内容でおもしろく読んでいる。わたしはとくに落語好きというわけでもなく、考えてみたら寄席にも行ったことがないんだけど。
信州のころテレビなしの暮らしの中 友だちが息子(その1)に、と送ってくれた「桂米朝上方落語大全集」のカセットテープを、息子が気に入って、それはもう何度も何度も繰り返し聴いていたんよね。

▲ 彼が小6のとき、親子で待ち望んでいた学校がようやく開校して。寮のあるその学校に和歌山まで息子を送り届けた帰りの新幹線の中、手持ち無沙汰でウォークマンに入ったままのテープを聴いた。
息子は初めての寮生活や自由なガッコに、お母ちゃんと別れるなんて「へのかっぱ」って感じで、早くもできた友だちと楽しそうで嬉々として「バイバイ」って手を振ってたけれど。わたしはよかったなあ、と安堵する一方で、大丈夫やろか、それに家に帰ったら相方と二人だけやなあ(下の子の誕生はその一年後)と思うと さびしくてさびしくて。米朝さんの落語聴きながらおいおいと泣いたことを、今思い出した。あのとき聴いたあれは何の噺やったんやろなあ。

▲そうそう、先日この句『夜は雪という予報あり酒にする』をTwitterで紹介してみたら、おもいもかけず反応がいっぱいあって、うれしかった。とりわけ息子周辺の若い男の子たちに米朝(落語)贔屓がいておどろいた。
そんなわけで、あちこちにほったらかしの『本』のバックナンバーを相方がかき集めてくれて「米朝が教えてくれた」以前のおなじ堀井氏の連載「落語の向こうのニッポン」も、知らんかったことばかりでたのしく読み始めており、今から物入れを探して落語のテープがいっぱい詰まった箱を開けてみようか、と思っている。
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by bacuminnote | 2011-12-14 12:11 | 開田村のころ | Comments(0)
▲ 今日は朝からずーっと上天気。ぬくい。ねむたい。
買い物に出ると、すれちがうベビーカーの中 ちいさきひとたちは たいていすやすや、くたっとお昼寝中で。よだれ垂らしたそんなねがおに会うたび、たぶんわたしの顔はゆるゆるになってる。
『をさなくて昼寝の國(くに)の人となる』(田中裕明 /別冊「俳句」現代秀句選集)なんてね。すきな俳句をおもいだして、もう一回にっこり。

▲ もっとも「昼寝」は夏の季語らしいけど。今日みたいにぽかぽか小春日の昼下がりこそ「昼寝どき」とおもう。
今時分は電車の中で、教室の窓際に、こっくりこっくりの人いてるんちゃうかなあ。とりわけ電車の中はねむりの園。うとうと眠りから覚めた人の慌てぶりは、申し訳ないけどおかしくて声出して笑いそうになる。
『昼寝覚め電車戻ってゐるやうな』(原田暹/「天下」)。よだれ垂らして起きて焦って、どうか降りる駅をまちがったりしませんように。(←経験者語る)

▲ とまあ、はんこで押したみたいに単調なわたしの毎日だけど、こういう時間は、しみじみええなあとまぶしいほどの陽射しのなか歩いてたら、帰途この前の選挙のポスターがまだあって。いきなり「現実」に引き戻されてしまった。ポスターの候補者たちがこっちむいて微笑んで腹立たしい。こういう結果をはじめは「もしかして」と思い、次は「たぶんそうなるかも」になり、「やっぱりなあ」になってしまった。けど、「やっぱり」とか言いながらも自分の中にはまだ希望や期待があったらしく、テレビで思いもかけず早い時間の速報「当確」のテロップに悔しさとやりきれなさに胸がつまった。

▲ しかし2011年って何という年なんだろ。今年わたしの周りであったうれしくてあたたかさに満ちたできごとも。空や木々や花のうつくしさも、おいしいもんも。日々のささやかな喜びも、おもしろいことも。ぜーんぶ。よろこんだすぐあとから圧倒的に力をもつ黒雲にぐるり囲い込まれたように、身も心も縮こまってしまう。いやいや、大人があきらめたり縮こまってたらどうするねん、と自分の中で声がするんやけど。

▲元気なくした帰り道も、街路樹のゆりの木の黄色と朱色の葉っぱになぐさめられる。落ち葉の始末がたいへんやからと人間の都合だけで無茶苦茶にぶつ切りにされた木々(以前ここに剪定のことを書きました)はそれでもまた芽を出し葉を茂らせ花が咲いて紅葉し落葉している。
そういえば『自由の目的はほかの人を自由にすることだ』と、どこかに書いてあったなあ、と思いながら落ち葉が風でかさかさいうのに耳をすました。
  
▲それからもうひとつ思い出した本は何年か前に読んだ飛幡祐規(たかはた・ゆうき)さんの『それでも住みたいフランス』。この本のあとがきにこうあった。
『わたしに住み続けたいと思わせるフランスの魅力とは、お金では買えない、ひとことで言ってしまっては空回りするような成熟したしたたかな精神である。それは、たえまなく対立・抗争を重ねた歴史の重みから生まれ、数々の矛盾を呈しながらも、しなやかなユーモアを編み続ける。幼稚きわまりない二元論がのさばる今、このしぶとさとユーモアこそ貴重なのではないだろうか。』
他の箇所にも『微力ながらもしぶとい抵抗』ということばがあって。いま改めて「しぶとさ」「抵抗」「ユーモア」のことばにうなずいている。

*追記
上記「自由の目的は?」をどこで読んだか考えてて、思い出しました。
『ミラクルズボーイズ』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳 理論社刊)で「母さん」がすきな作家( トニ・モリスン)の本を読みながら言う場面です。いま手元に本がないので詳しく書けなくてすみません。
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by bacuminnote | 2011-12-01 13:09 | 本をよむ | Comments(0)