いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2012年 01月 ( 2 )   > この月の画像一覧

▲ 底冷えのする一日だった。歩いていると冷気がからだに吸い付いて離れないようで。「あるもんで すましといたらよかった」と買い物に出てきたことを後悔する。おまけに帰りはみぞれみたいな雨がぱらぱら降って、スーパーの暖房でやっと温もったからだがみるみる冷えていくのがわかった。
そうして家に着くなり台所に買うてきたもんを置くと、コートも着たまま、まずお湯を沸かす。こんな日こそ葛湯だ。

▲ 子どものころから風邪ひいてもお腹こわしても、吉野の子は葛湯で育つ(あ、おなかの時は「陀羅尼助 だらにすけ」も)。その時分は小さな雪平で母が練って拵えてくれた葛湯をお匙で「食べた」けど、いまはもうお湯を入れたらできる葛湯のもとを、ちょっとゆるめに溶いて「のむ」のが好き。しっかりぬくめておいたマグカップにしゅんしゅん沸いたお湯を注いで、スプンでぐるぐる混ぜて、初めは白く濁った葛がすきとおってきたらできあがり。この葛湯は中からぷくっと白いあられが浮き上がって桜の花みたいでかいらしい。両手で熱いカップを包み込んでほんのり甘い湯気を顔にまといながら、ふうふう言うて、ああ、おいし。ぬくもった。

▲ そのむかし。
ちょっとの間 お茶を習いに行ってたことがある。70年代も終わり頃になってもなお、わたしの生まれ故郷では女の子は「嫁入り」前に「お茶お花」のお稽古して~というような時代で。そもそも、わたしは「嫁入り」ということばも気に入らんかったし「嫁入り支度」?何ですか?それ~とか思ってた。
でもでも。そんなんやのぅて。お茶も和菓子も、お茶碗や器も茶花もすきだったし、着物姿にはあこがれもあって。今から思えばそのころの自分の中途半端な思いやこだわり、反抗っぷりがちょっと恥しくもあるんだけど。そんなわけで周囲の同級生たちが行き始める年頃からはずいぶん遅れて(時期をずらす、ということで気持ちに折り合いをつけたのか・・)家の近く、母の叔母さんのところに習いに行くことになった。

▲通い始めて(すぐに)わかったのは、わたしがすきなのは、センセ(母の叔母)や長年通ってはる年配の方たちが流れるような所作でたててくれるお茶や、おいしいお菓子をいただくこと。道具立て、その日の茶花、軸の話、そして茶室のふんいき・・であって、自分がお茶をふるまえるようになる、って事じゃなかったようだ。というかほんまに作法を「覚える」ことは大の苦手で、いつまでたっても進歩はなく、お点前の途中で何度も横目でセンセの方を見て「つぎは・・・」の指示を待っている劣等生であった。唯一すきだったのが、器や茶筅に自分で「銘」を考えて言う、というので。「ご銘は?」と聞かれると前の日から季語集や茶道の本を読んで熟考!の「成果」を披露。すると、みんなが「ほぉ」と言うてくれはる ほんの何十秒かのその時間(苦笑)

▲ それでも親戚のよしみか、センセはいつもやさしくて「くみちゃんはお道具の話はよう覚えてるのになあ」と呆れながらも、ほかの生徒さんがいないときはお茶やお菓子のおかわりもさせてくれたんよね。(←結局そこですか?と自問・・)おばさんちは醤油と葛食品の製造業で(つまり、さっきのんだ葛湯もここのもの)茶室は醤油蔵の奥にあった。茶室のほんとうの玄関は川の方にあったんだけど、わたしはいつも蔵を通って行った気がする。だから、いまでも醤油の瓶を開けたとき つんと来るにおいに、暗くてひんやりした蔵や、おばさんの着物姿の小さなまるい背中と、あの茶室をなつかしく思い出す。

▲ そして、わたしの習い事はお茶にかぎらず、ちっちゃい頃からたいていこんな感じで、いろいろ首つっこんだけど長続きしないから。いま観ている連続ドラマ『カーネーション』で三姉妹が声揃えてしつこく要求してるピアノも、他人ごとながら「あんたら ピアノ買(こ)うてもろても ちゃんと続くんけ?」(なーんて「糸ちゃん」風に・・笑)言いたくなる。ウチではわたしだけじゃなく姉たちもみな続かんかったんよね。センセが弾いてくれるのを聴いたり、持って来てくれはるレコードを聴くのはものすごく楽しみだったけど、練習は大嫌い。おけいこの日も友だちんちで隠れてたりで、いっこも進まへんかったなあ。

▲ いまのわたしやったら「月謝はだれが払ってると思ってんねん!」と、それこそ「糸ちゃん」みたいに頭から湯気出してたにちがいない。だいたいが、ガッコも習い事にも向いてないのかもしれないなあと思う。
それなのに。こんな年になってもこりずに「大人の音楽教室~サックス」とか「ティンホイッスル教室」の案内を見ると、きまってチラシを貰って帰っては家族にあきれられてる。
[PR]
by bacuminnote | 2012-01-21 21:16 | まち歩き | Comments(0)

そう言うときながら。

▲ 新しい年がやってきた。(もう9日もすぎてしまったけど)
「去年」が「今年」に変わるのを(子どもの頃のイメージは「変わる」というより野球場の点数板がひっくりかえる、あの感じだったな)見届けるまで、と「紅白」から「ゆく年来る年」まで、 眠くてもがんばってテレビの前で姉たちと起きてたのは何歳くらいまでやったかなあ。

▲いつからか「紅白」より自分の部屋にこもってレコードを、という年頃になり。そのうち家を出て、ケッコンしたり子どもが生まれたりで、相方の親の家に揃って帰り、ごちそう作ってみたり、福笑いや双六(すごろく)凧揚げ、とお正月らしい時間が戻ってきたときもあったけれど。

▲ いまはもう、ほんまにフツーに冬休みの一日、ってとこかな。それでも東京にいる息子とパートナーが年末から帰省して、3人が5人となり。笑い声がわきおこるにぎやかな食卓はおいしくてうれしくて。こういう日のだいどこ仕事はほんまたのしい。あとかたづけもみんなであっという間やしね。

▲そういえば唯一 「お正月」の空気をはこんできてくれたのは元日に届いた年賀状かもしれない。けど、今年は「おめでとう」と書いてるひとがすくなかった気がする。そして2012年という年は、そんな中で始まったんやなあ、と、改めて思った。

▲一昨日は母の顔見に下の子と吉野へ。
2両きりの近鉄特急はけっこう人が多くて驚いてたら、息子に「そら、三連休なんやから。まだ少ないくらいやろ」と言われて納得。ほんまはね、吉野山だって、ふもとの上市だって、宮滝、国栖(くず)のあたりも、冬の吉野はしみじみとよいところなんやけど。

▲枯れた山も凍ったみたいにしずかな吉野川も。でも寒いし、なんか暗いし、派手に気を引くものなんて何もないし。観光客はどうしても春に集中して、冬は吉野じゅうが がらーんとしてる。でも、わたしは人に聞かれると「そら春もえええけどね、秋が仕舞うころから冬はもっともっとええんよ~」と答えてる。そして、そう言うときながら、こころのどこかで「どうか、このまま冬も人が集まりませんように」なんておもってる。

▲ いつもは川が見える右側のシートに座るのに、一昨日はたまたま指定席が左側で、読みかけの本をバッグから取り出した。
岩瀬成子(いわせじょうこ)さんの 『ピース・ヴィレッジ』(2011.10偕成社刊)は、基地の街にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理の物語だ。

▲岩瀬さんは1977年デビュー作の『朝はだんだん見えてくる』に、1984年には『額の中の街』(ともに理論社)にも基地のある街と子どもを書いていて。
きびしい現実と思春期にある子どもを、時に痛いくらいにまっすぐに描いてはる。だから、読後感はけっして軽くはないんだけど、人もモノも社会の動きも、真剣に見る(知ること、考えること)からこそわかること、聞こえてくるものを思い、熱い旨いスープが器いっぱい満たされた、そんなきもちになる。そしてだれかにいい本だと伝えたくなる。

▲ この本には子どもたちのほかにも気になる人たちが何人か登場する。楓のお父さんは国道と基地にむかう道路が交わるところで、亡くなったおじいちゃんの跡をついでおばあちゃんやお母さんと一緒に「スナック・タキ」というお店をやっている。

▲場所柄アメリカ人のお客さんも多い店だ。最近東京から戻ってきた花絵おばさんはお母さんの妹でジャズシンガーだったこともある料理研究家。紀理のお父さんはスーパーの仕事の休みの日には決まって街で一人反戦ビラをまいている。

▲そして、この本のタイトル「ピース・ヴィレッジ」と呼ばれる所に集まってくる人たち。テーラーショップで働くインド人のモジド、昔となりに住んでてまた戻ってきた悠ちゃんは最近写真に夢中で。海兵隊員のトニー、館長のニコラスさんと事務室の森野さん。基地に反対の人も基地ゆえに生活が成り立ってる人もいて。そんな基地の街の何重にも重なった複雑な問題は、子どもの眼にも届き、映ってる。

▲ ある日、紀理のお父さんが病気で入院して、紀理は初めてお父さんが配っていたビラをしっかり読み、かわりに自分がビラをまこうとするんよね。そうして楓にも手伝って欲しいと言う。守衛さんに怒られ、追いかけられたりしながらも基地の前でビラを配るふたり。
無関心な人、すぐにまるめて捨てる人。しかめっ面してののしる人。その紙には英語で「あらゆる核に反対する。あらゆる戦争に反対する。軍事基地はいらない」と書かれているのだ、と楓は紀理におしえてもらう。

▲ 暗闇のなか手さぐりで出口を探すようなもどかしさも不安も焦りも。思春期というトンネルはかつてわたしも通ってきて。そんな中でいつも支えになった音楽や本、そして出会った人々のことを思いながら本を読んだ。
最後の場面、独立記念日の花火と、そのあとふたりで行く楓のおじいちゃんの友だちがやってるバーの場面では思わず嗚咽。

▲ここでふたりが聴くのはエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」。紀理が言う。【やっぱり、大きい音できくといいっすね】わたしも言う。「せやろ。せやろ。クラプトンぐっとくるなあ」って。
ぐるりとあたり見渡せば、横にも前後にもすでに乗客はなく、斜めむこうの息子は爆睡しており。もう一回泣いた。

▲本を閉じて、はっと「もうじき吉野ちゃうかな」と顔をあげると、ちょうど車窓から吉野川が見えるあたりで。あわてて荷物掴んで、席を移動する。うかうかしてたらすぐ又トンネルやからね。
読後の余韻でまだどきどきしながら流れる景色を追う。冬の青灰色の吉野川。
線路沿いに続く竹林の隙間から川がキラキラひかってるのが、見えた。




*追記 *

Eric Clapton -Tears In Heaven - Unplugged
(youtubeにはいろんなバージョンがあるけど、わたしはこのころのクラプトンがすきです)

■上に書ききれなかったんだけど、ふかく残った紀理のことば。(本文p180~p181より抜粋)

【父さんのくばってる紙にはね、「あなたもわたしも同じ立場にいる」と書かれているの。「わたしたちは力をもたない市民だ」と。「だから、政府の力で戦場に送り込まれて、人を殺してはいけない。また殺されてもいけない。わたしたちは一人の市民として、起きていることを知ろうとしなければいけない。自由に自分の考えをあらわさなくてはいけない。人間の誇りをうしなってはいけない」
と、そんなことが書いてあったんだ。
父さんが入院してからわたし、ぜんぶの言葉を辞書でしらべたんだ。けっこう時間がかかったけど。
それから言葉をつなぎあわせて考えているうちに、すこしずつ意味がわかってきた】

■以前も ここに岩瀬成子さんの『オール・マイ・ラヴィング』のことを書きました。
[PR]
by bacuminnote | 2012-01-09 13:47 | 本をよむ | Comments(0)