いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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「そら、あれやがな」

▲ 日中は半袖姿の人をみかけることもあるし、そうかと思うとコートが恋しいくらいに冷え込む日もあって。暑いも寒いも、それにきもちのええ陽気の日も。全部まぜこぜ。何かようわからん季節やね。
そう言うたら、かの兼好センセも900年以上昔に『春暮れて後(のち)、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず……夏よりすでに秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。』(『徒然草』第一五十五段)と書いてはる。ほんま。秋には夏の名残りと冬の気配が同居しているなあと思う。冷房も暖房も要らないちょっとの間のええ季節。

▲ この間からおとなりの桜の木が紅葉し始めた。買い物からの帰り道、家が近づいて向こうに紅いものがぽつぽつ見えると、なんか知った子に会うたみたいに頬がゆるむのは 桜の山の育ちゆえ、やろか。
もう二十年近く前のことになるけれど、母方の祖母が亡くなったとき電話で母が「いま山(吉野山のことを麓の町ではこう呼ぶ)は桜の紅葉で みごとやさかい、たのしみに帰っておいで」と言うてきた。そんなん(紅葉)なくても、しょっちゅうハガキのやり取りをしてたおばあちゃんとのお別れなんやから、少々無理してでも帰省するつもりだったけど。今おもうと、母のその物言いがちょっとせつない。

▲ まだ下の子は二歳前で頻繁に病院通いのさなかだったから、そんな遠出は初めてだった気もするが、車で親子四人信州から吉野山へと向かうのだった。春にはぜんたいが桜色に染まる山やから、秋の紅葉も母がいうようにみごとだ。それでも当時のわたしたちは、一足先に目もさめるようなスケールの大きい信州の山々の紅葉を見終わったあとだったから「なーんや。やっぱり開田のほうがすごいよなあ」などと言いながら(木の種類がちがうから、その趣もまたちがうということを 後に気づくのだった・・)くるくる酔いそうなS字カーブの山道をのぼった。

▲母のジッカもまた旅館だったので、祖母は旅館のおかみ、ということになるが。
歯科医だった祖父と結婚して 母が女学校のときまで大阪暮らしだったから、旅館(祖父の生家)を継ぐため一家で「山」に帰ってもずっと「歯医者のオクさん」然としていたようで。
気の毒なことに周囲から「気がつかん」とか言われながらも、たっぷりした白髪のきれいな ハイカラでチャーミングなおばあちゃんだった。
わたしもよくハガキを書いたが、祖母もよく返事をくれた。手元に残る祖母からのハガキの宛名(住所)がみごとにバラバラでおかしい。(←わたしらがなんべんも引越したんやからあたりまえ・・・苦笑)

▲ たいていは足が痛いのでどこにも出かけられません。家の中で杖ついて歩く練習しています。(←旅館やから長い廊下あり)◯ちゃんは元気にしてますか?(上の息子が小さい頃テレビの時代劇をよく二人並んで観てた)とか、ほぼ変わらない内容ながら、わたしが近況報告するたびにはがきを書いてくれていたようだ。そのうちブルーブラックか黒のインクの文字は徐々にふるえるような頼りない筆跡となって。
当時はそんなにふかく考えることもなかったけど、いま改めて読むと最後まで田舎暮らしも旅館も合わなかった祖母のさみしさが あぶり出されるようで、ちょうどいま同じ年頃の母と重ねて「年をとる」ことの意味をしみじみ思ったりする。

▲ ハガキといえば、一昨日読み終えた本『富士さんとわたしー手紙を読む』(山田稔著 /編集工房ノア2008年刊)は著者の山田稔氏と故・富士正晴氏との間で交わされたものすごい数のハガキや手紙をもとに、その頃の京大人文研の「日本小説を読む会」のこと、"VIKING"同人の作家のこと、富士家(大阪・茨木市)を訪れるひとたちのことが綴られるのだけど。
万年筆のインクの色がブルーブラック、というくだりがあって「やっぱり!」と思うのだった。その昔ミーハーなわたしは(今もやけど・・)「物書きの万年筆言うたら、モンブランかペリカン。ちょっと太字で、インクはブルーブラックやろ」とか思ってて。そのころ親戚の人にもらったハワイ旅行のおみやげのパーカー(細字)が若干不満だったのである。(まったく。かっこから入る、で。かっこばっかし、で。はずかしい。)

▲ その膨大な往復書簡(山田からの194通、それに対する富士からの返信169通)は、1954年4月から1987年2月まで。お互いの家に「電話」がない時期も長くあって、メールのやりとりみたいに結構頻繁。おしゃべりしてるような感じの文面が多い。でも、やっぱりメールとハガキはちがうなあ、と本の中に何枚か富士からのハガキの写真を見て、あらためて思った。もちろん「富士正晴の字」の魅力というのも大いにあるけれど。
そんなおしゃべりの合間に同人誌をめぐるあれこれや、作家のエピソードが挟まれたりで、とても興味深かった。とりわけ60年安保のころの話や70年前後は京大の学生運動の話、それに"VIKING"同人でもあった高橋和巳のこと。編集者・坂本一亀(サカモト「教授!」のお父さん)の名前も出てきた。73~74年あたりになると、わたしも知ってる京都が出てきて前のめりになる。
何より、その書簡についての山田稔さんの注釈がほんまに豊かで味わいふかくて、ええ感じで。おもしろさの勢いと返却期間(近くの書店にも図書館にもなくて、府立図書館からの貸し出しの為、期間延長不可だった)のこともあって、走り気味で読んでしまったのをいま悔いているところ。(もう一度だいじに味わいたい本です。どこで手に入るのかなあ)

▲わたしの中では70年代は今よりまだマシと思っていたのだけど、今と重なるところがいくつもあって、唸る。つまり、どんどん、ますます、ひどくなってる、ってことやろか。山田さんから富士さんへのたよりの中にも70年3月に『日本以外の国に住みたいということをしきりに考えています』とあり、翌年にもこんな一文があった。
『日本は確実に、ますます急テンポで嫌な国になりつつあるようです。どうしたら日本から脱出できるかといったことを考えるのですが、その頭の構造が日本化しているので、堂々めぐりです』(p299二十一・1971年 より抜粋)

▲そうそう、この本にはお酒・・特にウイスキーが出てくること、出てくること(笑)
というわけで、読了後すぐにわたしも一杯。
527頁もある重たい本で、本を持つ手がしびれたけど「読んだぁ」という満たされた思いに、こぽこぽグラスに注ぐええ音、それにああ琥珀色のなんとキレイでうまいこと!
お酒にともなって(伴わずとも・・)でてくる富士さんの大阪弁も絶妙だった。
いや、わたしもふだん使ってるんだけど富士さんが呟かはると、ほんまにおかしい。
曰く「そら、あれやがな」(これサイコーやなあ。でも大阪弁の使い方の説明はむずかしい・・笑)
「もうええやろ」(←これは対談のおわり頃に)
ということで、「山」の話から祖母の話、ハガキからこの本の事、ウイスキーまで、すっかり長くなってしまったけど。「もうええやろ」とだれかに言われてる気がするからこのへんで。



*追記
その1)
茨木市・富士正晴記念館→
もうずいぶん前から話に聞きながら行く事のないままでしたが、この本を読んで興味津々。近々行く予定。たのしみ。

その2)
だいすきウイスキーのうた♪
「ウイスキーがお好きでしょ」
石川さゆり 
ハナレグミ(34秒だけ)

「すきなCM」ほいほーい♪ 
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by bacuminnote | 2012-10-29 14:40 | 本をよむ | Comments(0)
▲ 日の暮れるのが早くなった。
取り入れるのが遅れた洗濯物はひんやりつめたく。台所にたちのぼる湯気があたたかい。ビールよりワイン。冷奴より湯豆腐。半袖は長袖に、コットンはニットに。秋だけど、すぐうしろには次の季節がときどき見え隠れして~たんすを開けたら相変わらずの服がならんでるけれど、羽織るたのしさ、重ねて着る愉しみ。熱いお茶のしみじみとうまいこと。ああ、ええ季節やなあ。
『秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙』(日野草城『花氷』所収)

▲この間は父の年回忌でジッカに帰る。
平日のけっこう早目の時間帯ながら吉野行き特急はいっぱいで、わたしの座席のすぐそばには同窓会か何かに出かけるらしいご年配のグループがそれはにぎやかだった。しかも、停車のたびにお仲間が乗り込んで来る。「今日は年わすれて楽しもや~」とだれかが言うて他のみなが「せやせや。◯ちゃんの言うとおりや」と応えてはる。同じ年(たぶん)とはいえ、若づくりの人、地味な装いの人、元気溌剌な人、静かな人、腰のまがった人・・と、当たり前やけど様々で。それぞれどんな人生送ってきはったんやろなあ、と思ったり。「すんません。ごめんやっしゃ~」と、着物姿の女性が通路を抜けてトイレに行かはったあと、ぷーんと樟脳のなつかしいにおいがして、しばらく残る。
そのうち寝入ってしまったのか、気がついたら車内はしんとしており、窓の外はもう吉野川。窓におでこくっつけてきらきら宝石みたいにひかる水面に見入る。

▲父は60代前半に肺癌で逝ってしまったんだけど、先日読んだ『ブルックリン・フォーリーズ』(ポール・オースター著/ 柴田元幸訳/ 新潮社刊)は60歳、肺癌で手術後の男性が主人公だった。
この本 いきなり『私は静かに死ねる場所を探していた』という文で始まってどきんとする。保険の辣腕セールスマンだった主人公のネイサンは癌を患い、仕事もリタイアして家族とも離れ、ひとり生まれ故郷のブルックリンに引っ越してくる。自分に課した仕事はひとつだけ。これまで自分が犯したあらゆるヘマや粗相といった失敗談を書き出し整理して「人間の愚行の書」(ザ・ブック・オブ・ヒューマンフォーリーズ)を書くこと。つまりタイトルは「ブルックリンの愚か者」とでもいうような意味やろか。

▲ はじめの一文で、たぶん「静か」じゃないネイサンのこれからが、なんとなく想像できるんだけど。
まず、長らく会うことのなかった甥のトムに、思いがけず近くの古書店で出会うのだった。再会の場所が古書店っていうのがいいな。ところが、その昔は成績優秀でアメリカ文学研究者として前途洋々だったトムは見る影もなく、みにくく太って「敗北の空気が立ちのぼる」店員になっており。そこへもって、かつてはシカゴで画廊を経営していたという店主(じつは詐欺師)のハリーが加わって、三人の物語が展開してゆく。

▲ そしてこの三人が出会う人たちと・・夫婦の、親子の、兄妹の、夫のいる女性への思い、ゲイのカップル・・と、いろんな愛が描かれる。彼らも皆それぞれに哀しくて、おもしろくて、そして愛おしいおろかもの。喜劇と悲劇。人が生きてる間はどっちにだって行くけど、またもどってくるんよね。泣いたり笑うたり。でも、懲りないで、へこたれないで、またくりかえす。
ブルックリンの街の空気が彼らを通して、まるで映画を観てるように読者にとどく。それは、ずいぶん前に観た映画『スモーク』や『ブルー・イン・ザ・フェイス』(脚本はこの本の作者ポール・オースター)で映し出された街の雰囲気(とてもよかった!)や古書店をおぼえてたから、ってことだけじゃないと思う。とにかく、すっぽりブルックリンの物語の中に入り込んでしまったわけで。

▲ その日、わたしは午後から郵便局や買い物に出かける用事があったのに、「もうちょっと」「あと、これだけ」とか思っているうちに、とうとう最後のページまでたどり着く。ああ、よかった。すばらしかったなあ。
こんなふうに途中でやめられない本は久しぶりのことだったから、本を閉じてなお興奮気味に、ちょっとふわふわした感じのまま郵便局へと走った。
あたりを見わたすとここはやっぱり大阪で(あたりまえ・・)ブルックリンじゃなかったが、郵便局の窓口で順番を待ちながら、いつか、ネイサンみたいになじみのあるどこかの街で一人暮らす、というのはどうだろう~とか、ふと思ってみたりして。(←相変わらずの妄想癖・・・苦笑)

▲『人はみな自分のなかに何人かの人間を持っている。たいていの人間には、自分が何者かすら知ることなく、ひとつの自己から別の自己へと跳びうつりつづける。ある日はアップ、次の日はダウン。朝はむっつり黙りこみ、夜はケラケラ笑ってジョークを飛ばしまくる。』(p128~129)


*追記
その1)
『スモーク』予告編

その2)
『スモーク』というたら、エンディングはトム・ウェイツのこの歌~"Innocent When You Dream"→
これ聴いてたらもういっぺんこの映画観たくなりました。
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by bacuminnote | 2012-10-19 11:02 | 音楽 | Comments(0)

おとうちゃん。

▲ 日中はまだまだ「残暑」がなかなかしぶといものの、見上げた空はもうすっかり秋の青色。そんな中にすいーっと白い雲がたなびいてきれい。「ああ、秋」としばし立ち止まる。買い物帰り、長袖シャツにびっしょり汗かきながら「まだこんなに暑いけど、ほんまに、もう秋やよね?」と念を押してるような自分がおかしくて一人笑ってしまう。

▲こんなふうに秋の始まりはぼんやりしている事を、暑い長い夏のあと、いつも忘れてしまってる。
この間の夕飯には今季はじめての鍋、一昨日は鶏肉と大根と小芋の炊いたんを拵えてみる。これがもうじーんとくるくらいおいしくて。ちょっと前までは湯気の出るたべものが欲しくなかったのに。やっぱり秋やな~(←しつこい)

▲十月は思い出ふかい月だ。
滋賀・愛知川(えちがわ)でパン屋を始めたのが1987年10月8日。父が逝ったのはその前の年の18日。だから父の一周忌には 開店間もない営業日で帰省できず、そのかわりお供えに箱いっぱいパンを送ったっけ。

▲そして今年は早や二十七回忌やねん~と先月母から電話があった。
大きな手術を何回もしてたし、最後はものすごくしんどそうやったから。長い闘病生活がお終いになって、こころからおつかれさま、という気持ちだったけれど。自分や相方がその年に近づいてくると、なんぼなんでも64歳は早かったなあ、とおもう。しみじみ そうおもう。

▲ もうここにいない人の悪口を言うのもナンやけど(言いたいことは山ほどある・・)うちのお父ちゃんは究極のジコチューな人やったから、妻をだいじにする、子どもをかわいがる、という意識がみごとに ぽこんと抜けてる人やったんよね。
子どもの頃の写真をみると・・・もっともわたしは四女(末っ子)ってこともあり、写真が少ないのだけど、父と一緒に写ったものは一枚もない。けど、気難しい人かというとそうではなくて、痩せてて長身で笑顔のええ人で、知らん人はみな口をそろえて「やさしそうなええお父さんやねえ」と言わはる。

▲ 日野草城(ひの・そうじょう/ 1901~1956)に『秋風や つまらぬ男 をとこまへ』(『花氷』所収)というのがあって、この俳句にはじめてであった時、思わず大きな声で笑ったあと、いちばんに浮かんだのがお父ちゃんの笑顔やったんよね(苦笑)

▲生家は郷土鮓と旅館をやっていて、父はたしか調理師のはずだったし白衣姿もきりりとかっこよかったけど、厨房に立ってたのは板前さんや ぼんちゃん(見習いさん)と母。父はたいてい帳場で座って「しんせい」をすぱすぱ吸いながら、甘い紅茶のみながら(下戸で甘いもん好き)日経新聞とか開いてた気がする。
で、ときどきはいなかった。

▲父がいないと皆が「だんなさんは又大阪へシュッチョウでっか?」と言うので、幼いわたしは「出張」という仕事してるんや、とばかり思っていたが、いつからか どうやらそれは「大阪に遊びに行ってる」という意味でもあると知る。

▲ 遊ぶ、いうてもね、子どものそれとは違うことくらいは、おませなわたしは熟知してたから、そのうちお父ちゃんは「シュッチョウ帰りに舶来のチョコレートや豚まん買ってきてくれる人」から「世界一嫌いな人」となった。

▲とにかく家業は年中忙しくて、親にはかまってもらえへんし、で 寂しい思いをすることも多かったけど、何よりのすくいは、住み込みの仲居さんや板前さんやらがみんな可愛がってくれたことやと思ってる。当時の仲居さんはいろんな事情を抱える人が多くて、我が子と離れてウチに住み込んでる人もいて。だから余計に幼いわたしをだいじにしてくれたのかもしれない。

▲やがてわたしも大人になり、父はその頃から次々と大きな病気をするようになり。それに、いっこも仕事をしていないようにみえた父の、しかし頭の中には仕事へのあたらしいアイデアが一杯あり、それなりの仕事をしていたのだ、と知るようになる。
「こんどな、お父ちゃんこんなんしようと思うねんけど、くみちゃんどない思う?」とか言うてね、よく広告の裏に下手くそな絵を描いて自分のアイデアをうれしそうに披露する父だったけど。じっさい結構ヒットを飛ばしてたなあ。

▲ 父の法事の知らせにこんなことをつらつら思い出してる中、一昨日『少年と自転車』という映画を(DVDで)観た。ベルギーのこの監督(ジャン=ピエールと弟のリュックの兄弟)の作品には厳しい環境で育つ子どもたちがよく描かれる。
いつだったか彼らへの会見のインターネットの記事の中で「何故少年少女・・若い人を取り上げるのか?」という質問に、監督が「少年や少女には、変われる可能性があるから」と答えた、というのをよく覚えている。それはわたしがよく読んでいるヤングアダルトの本に感じる希望とかさなっている。

▲主人公のシリルはもうじき12歳になる赤いシャツのよく似合う少年。父親は自分をホーム(児童養護施設)に預けて姿を消す。じきに迎えに来てくれるはず、と思っているシリルはすでに父は「引っ越した」と告げられても信じることができず、繋がらない電話を何度もダイヤルする。あげくこっそり抜け出してかつて住んでいたアパートに探しに行くんだけど、当然だれもいなくて。それに、父に買ってもらった自転車もなくなっている。

▲ ある日、この自転車が彼の元に届けられて、物語は「少年と自転車」だけでなく、自転車を探して(父が売り払ったものを買い戻し!)ホームまで届けてくれたサマンサ~のちに彼にたのまれて「週末だけ里親になる」ことを承諾した美容師との物語に展開してゆく。
わたしは前に ここで書いた『サラスの旅』( シヴォーン・ダウド 著/尾高薫 訳/ ゴブリン書房刊)を思い出していた。
親子は一緒に暮らせるに越したことはないけど、子どものそばに寄り添う人は必ずしも「生物学的」な親じゃなくてもいいんよね。

▲いつも思う。ここでも何回もくり返して書いてることやけど。
子どもの世界は自分の意思で動ける範囲がとても狭いから、家とか親とか友だちや学校がそのすべてみたいに思いがちだけど。それらは子どもにとってワンノブゼム(one of them)。子どもの元気の素になれる人や場所が、どうかひとつでも多くありますように。そして傷ついた子どもが救われるためにも、「変われる可能性」のためにも、弱い立場の側に立つ(寄り添う)社会や政治でなくては、と改めて強く思う。


*追記 (いつも長くなりますが)
その1)
シリルを演じた少年は演技経験のない子らしいけど、自転車でいつも走って走って走る赤いシャツの姿に、どこにも留まることのできない不安をかんじて、ぎしぎしと胸が痛かったです。それから劇中一度も(たぶん)出て来なかった「ママ」ということばも。
それだけに最後のほうでサマンサと二台に自転車で走る場面では 映画ということも忘れて、ほんまにうれしくて泣きそうになりました。ただ、物語はその後また思いもかけない方にひろがっていくのですが。

この映画のもう一人の主人公(と思った)サマンサ役のセシル・ドゥ・フランス~ 足も腕もけっこう筋肉質でたくましく、ちょっと肝っ玉母ちゃん的雰囲気ながら、きれいで、哀しくて、温かな母性をかんじて、すばらしかったです。
この方は『スパニッシュ・アパートメント』の頃から好きな俳優さんです(この映画のことは以前 ここにも書きました)あ、前作の『ヒア・アフター』のときもよかったです。

その2 )
二年ほど前の映画になりますが、『冬の小鳥』という作品も(DVDあり)児童養護施設が舞台の物語で。監督はご自身も養子として韓国からフランスに渡った経験をもつひとです。
このことも書きたかったけど、例によって書けませんでしたが、ぜひ。
(←シネマトゥデイHP)

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by bacuminnote | 2012-10-07 14:45 | 本をよむ | Comments(0)