いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2013年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

はやびき の午後に。

▲ 寒いから。雨降りやから。雪が舞ってきれいやから。肩が痛い。無理せんとこ。足元から冷える・・と、まあ、毎日毎日 日替わり定食みたく理由つけて掃除をさぼってたら、今朝、部屋のすみに大きな綿ぼこりが舞い舞いしてるのと目が合ってしまった。(苦笑)
というわけで、ようやく重い腰をあげて本日は掃除デイ。
掃除は先にがまんできんようになった方がする、と(←なんちゅうフウフやねん)暗黙のうちに了解し合ってるんやけど。敵はよっぽどがまん強いようで、たいていはわたしがすることになる。

▲ 昔は子どものアレルギーのこともあり、まめに掃除してたもんやけど。その子も成人し今は ほこりだらけのアパート(たぶん)でもなんとかやっていける体となったようで、ほんまありがたい。
こうしていろんなことが大変やった季節をこえ「ふりだしに戻り」わたしはまた元のナマケモノへと変貌中。
「なんやの?本やら何やら本やら。もう部屋ン中いっぱいでんがな。あんたは ほんまに どうらくやねんから」(※道楽=なまけ者が転じて、故郷では整理整頓のできない人をこう呼ぶ)~子どものころ飛んできた母の嘆き声が再び聞こえてくるような今日このごろ。はい。わかりました。わかりましたがな~

▲ 小学生時代しょっちゅう保健室のおせわになったことは前にも書いたけど。
授業中、具合が悪くなると手をあげてセンセに言うと、保健委員の子が保健室までつきそってくれた気がする。授業の途中、堂々と教室を出ていける保健委員とわたしに みんながちょっとうらやましそうな目でみる中、教室をぬける。広い廊下はいつも薄暗くてひんやりして静かやったから、ふたり黙ってそろりと保健室にむかった。

▲この学校、1904年(明治37年)に建てられた古くて、それはりっぱな木造二階建て校舎で、その大きな瓦屋根は子どもの目にもみごとだった。
そういうたら、校歌も寮歌風のメロディで(昔の校歌はどこもよく似ている)当時子どもらはみな、全く意味不明なまま歌っていたから、大きくなって改めて歌詞をみて(とりわけ二番)びっくりした。「世界の事物なにものか /日進月歩ならざらむ / 我ら優勝劣敗の /競争場裡にたたんもの / いかでおくれをとるべきか / いざやきたえん心身を」
作詞者がわからないんだけど、「われらゆうしょうれっぱいの きょうそうじょうりにたたんもの」って!

▲このころ「時代」が教育に求めていたことが何だったのかをおもわせるような歌詞で、「学校」の成り立ちを考えるうえでは興味深いけれど。わけもわからず大きな声で歌ってたことを思い出して複雑だ。
この校歌はわたしが六年生になったとき、町内の数校が統合されたことでお終いになって。あたらしい校歌は ♪おはようみんな はげもうみんな ~と一転してやさしい歌詞(作詞:竹中郁)にかわり、急に目の前がぱあっと明るく開いたようだった。

▲ さて、話は保健室にもどって。
磨き上げられた薄暗い廊下をそろそろ歩き職員室の前を通って、保健室に行くとセンセが、またあんたかという顔でベッドに寝かせてくれる。委員の子は「ほんなら」と教室に戻っていく。
狭い部屋にベッドがひとつ。薬品いれのガラス戸棚と先生の机ひとつ。保健室は、わたしの小中高の思い出に必ず登場するだいじな場所である。
けれど、当時の保健室には長居はできず、一時間ほど休んで様子みて、あかんかったら早引き、ときまっていて。低学年のときは親が迎えに来た。

▲なぜかそれはいつもお昼すぎのことで、それでなくても昼時は忙しい家業のなか、電話の呼び出しに仕方なしに母が駆けて来る。
保健室のセンセに「おかあさん、教室のもん持って来てあげてください」と言われて、母は教室のわたしの席に行く。ランドセルに教科書を入れようと机の中みたら教科書やらノートやら本やらごちゃごちゃ。ランドセルの中もぐちゃぐちゃで。保健室に戻ってくるや「ほんまに、クミちゃんはどうらくなんやから。はずかしわ」ときまって情けなそうな顔をするんよね。
まあ、そんな風におこられても、母と並んで歩いて家に帰るのは「びょうきではやびき」ということも忘れてうれしかった。それに家に帰ったら布団にもぐりこんで、本だって読めるしね。

▲ 件の木造校舎は、その後だいぶ経ってからこわされ公民館になった。
そのおりに記念の写真の冊子がつくられたとかで同級生が送ってくれた。なつかしい校舎や、広い大きな瓦屋根。教室の写真が続く中、一枚の写真に手がとまった。
写真が古くて、子どもたちの顔が不鮮明だったけど。校舎内にあった木のすべり台の裏側は、わたしのお気に入りの場所だった。
で、そこの棧におサルのようにぶら下がり、鉄棒みたく前転しようとしてパンツまる見えの女の子のはいてるスカートにはたしかに見覚えがあった。
とても保健室常連さんには思えない 元気いっぱいのお転婆娘がそこに写ってた。
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by bacuminnote | 2013-02-26 15:10 | yoshino | Comments(0)

わたしの椅子。

▲ この間58になった。
友だちや姉からの「おめでとう」が届いて。いくつになっても誕生日はなんかそわそわする。
いつもの癖で(←家族にアピールする癖)カレンダーには だいぶ前から赤丸を入れておいたが、例年通り 家族は記念日にまったく無関心で。やっぱりなあ、と諦めてひとりワインを飲んでたら下の子から電話があった。
「えっと、今日って おかあの誕生日やったよなあ・・・」
「うん。ハッピーバースデイ!」(←自分で言うてどーする?)
「・・・」
「そんで何?」
「いや、それだけ」
「え?それだけ?」
「・・・・」
ええの。ええの。それだけで。

▲ それにしても、ええ年やねえ。
いまちょっと計算してみたら母が58のときは、すでに孫がもう9人もいて、しっかり「おばあちゃん」しながら、けど仕事場ではバリバリの現役で、朝早くから夜おそくまで店に、厨房に、と立って働き、冬の暇な時期には海外旅行にもよく出かけてた気がする。
そんなことを思うと、わたしは相変わらずぼぉーっと暮らしてるなあ。息子からはしょっちゅう「自分(関西弁でいうところのyouの意味)暇やん」と言われるけど。暇のなにがあかんの?と、ぼそぼそ。どっこも行かへんでも、退屈せんとたのしくやってるねんから。わたしはわたし。これでええの。(と思ってる)

▲ ところが、先日ちょっと心ゆさぶられる映画を観た。
それは『ドーバーばばぁ』というドキュメンタリー映画で。先週だったかtwitterのTLに関西での上映会案内が流れたので、その強烈なタイトルに「どんなんやろ?」と興味津々、予告編見たら、いっぺんでノックアウトされた。上映会場は遠かったんだけど、DVDも通信販売していると知って即申し込んだ。

▲ そうしてこの間DVDとうちゃく。
ジャケットには50~60代の女性たちが水着姿でガッツポーズをして笑ってる。当然のことながら(泳ぐんやから)スッピンやし、水着姿やし、しかもハイレグやし。その体型は水泳で鍛えているとはいえ、やっぱり年相応で(苦笑)ナイスバディトはとても言いがたいんやけど。だが、しかし、堂々と胸張ってる彼女たちのその笑顔のすばらしいこと言うたら。

▲『ドーバーばばぁ』とは、文字通りドーバー海峡を泳いで渡ろうとする54~67歳まで、東京立川周辺に住む主婦たち6人の二年にわたる記録映画で。イギリスとフランスの間にあるこの海峡は、直線距離だと34キロ。それでも潮の流れが早いので流されることも多く、しかも水温が低いしね(彼女たちが渡った9月だと12℃~15℃)かなりハードルの高い挑戦だ。そうして渡英するまでの二年の間にいろんな練習を繰り返すんだけど、その間にもいろんなことがあるんよね。

▲そういえば、以前観た映画『君を想って海をゆく』でもドーバー海峡を渡るのが、いかに大変か描かれていた。
この映画は、イラクからイギリスに移り住んだ恋人を追って、フランスの最北端の港町カレから単身ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド難民の青年が主人公。この青年に泳ぎを教えることになるのが、元メダリストの市民プールの監視員で。つらい結末と共にいまも深く残る映画なんだけど、しかし、「織姫(おりひめ)」たち(ばばぁチーム!の名前)はいくら6人とはいえ、ほんまに大丈夫なん?と「成し遂げた」ことを前もって知ってるのに、最後までどきどきしながら観た。

▲ みんなそれぞれに仕事や家庭や介護、自身の怪我や健康問題を抱えながらも、ただ泳ぐのがすきな女たちが集まってる。
メンバーの中、ドーバーを渡った経験のある人は二人だけ。介護だけでも大変なのに何故泳ぐのか、という問いかけに、いや泳ぐから介護ができる。介護があるから泳げる、と。
30年前に息子のぜんそく治療で始めた水泳に付き添ったのがきっかけ~なんて話を聞くと、とても身近にかんじる。

▲子育てが落ち着くと、こんどは更年期がやってきて、やがて親も高齢となり、「できない」理由なら いくらだって浮かぶ年頃やけど。
だからこそ、自分の時間や自分だけの椅子が大事なんよね。
それが彼女たちにとっては、たまたま水泳で、ドーバー海峡を渡るという目標だけど、好きなことを持つ、好きなことを続ける、ということなら「わたしも」とちいさく手を挙げたい。
イギリスからドーバー海峡を渡りぶじ牽牛(ひこぼし)のいるフランスまで泳いだ織姫たちのエンドクレジットを観ながら、わたしもすきなこと手放さへんから、と画面の前 背筋伸ばして正座するのであった。



* 追記

その1)
と、そんなこんなを思ってるなか、同じく58歳 旧友のはじめてのCD が先週末(2.9)出ました。
ずっとうたをつくり唄ってきた友だちのCDが、ずっとマンガや絵を描いてきた友だちのイラストのジャケットを
まとってリリース。うれしい。
『彷這バラッド/足立大輔』

「彷這」は「ほうぼう」と読んで、これは足立くんの造語やそうです。→
プロデュースは彼の親友「ゴンチチ」のチチ松村。
イラストは、ここでもよく登場の 悪友(笑)うらたじゅん。
(彼女も「うらたじゅんの道草日記」に、じんとくるCD紹介を書いています)あ、それからCDにある「手には何を持たない」という曲は、わたしのブログ(2006.5.7)を読んでつくった曲やそうです。そういえば、と読み返したらコメント欄に『「手には何も持たない」という唄を作って唄いたい。』という彼のコメントがありました。うれしい。

♪ 乾杯しよう すきになれるものが こんなにあることに (彷這バラッド「ASA80のソネット」より)

その2)映画『君を想って海をゆく』予告編

みんぱく映画会での記事→
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by bacuminnote | 2013-02-12 00:38 | 音楽 | Comments(0)

「とりわけ嫌ひは」

▲ とっくに気ぃついてはるかもしれんけど。
わたしは「おしゃべり」だ。(ちょっと上品ぶって「お」をつけてみたけど、なんか変。やっぱり大阪的感覚では「しゃべり」やな?)一方相方は寡黙に見えるようだけど、何かテーマがあると、わたし以上に饒舌。そんなフウフやから、朝 目がさめるや布団の中で どちらからともなく「そう言うたらなあ」と、昨夜から考えてたことを話し始めて、とまらなくなったりする。
だいたい彼は疑り深く(苦笑)わたしが感動したものをしょっちゅう「そら、そんな単純なもんちゃうで」と否定しにかかるのでムカッときて。しかし即座にきちんと反論できない口惜しさもあり「なんやのん。ひとの言うことに、いちいち反対ばっかりして」と、捨て台詞を残しバタバタと起きて部屋を出ることになるんだけど。

▲ 後で、冷静になって考えたら「そうかもしれない」と、自分の浅はかさに気づくこともあるし、なんぼ考えてもやっぱりむこうが間違ってる!と再度話し合いを挑むこと(←大げさ・・・)もある。
「そう言うたら」むかし ♪信じたいために疑いつづける~という歌があったなあ。当時は歌詞がまっすぐすぎて恥し~とか思ってたのに。何故かよく覚えていて、だれもいないのをええことに図書館への道々口ずさむ。
♪いつの間にか私が 私でないような ~(と、歌い始めてやっと「自由への長い旅」だと気づく・・)

▲ さて、図書館に着きカウンターで本を返し、予約本を受け取ったあとは「今日返却された本」という棚を見るのがお決まりのコースなんだけど、ときどきこの棚で本から呼ばれたような気がして手がのびることがあるんよね。
自分から選んで立つ書架じゃないし、まだ整理される前のいろんなジャンルの本がバラバラに並んでる棚で。だからこそ、ときどき思いもかけない出会いがあって愉しい。

▲ その日は早川義夫さんの『たましいの場所』(2002年晶文社刊)という本に呼ばれた(気がした)。この本は最近文庫化されて最終章を追加、かの七尾旅人さんが解説を書いてはる~とどこかで見て「文庫版も読んでみたいな」と思っていたところだったので、ちょっとびっくりした。
立ったままぱらぱら。前にも読んでるはずなのに忘れてしまって、一番はじめ「歌を作る」に金子光晴の『反対』という詩があって、どきんとして立ちすくむ。

▲もちろんこの本は借りたのだけど、引いてあった詩の一節『なにしに生まれてきたと問はるれば、
 躊躇なく答へよう。反対しにと。
』をぐるぐる考えながら家に帰った。買い物袋もほっぽって、あったはずの詩集を探したけどなくて(こんなんばっかし)ネットで調べてみる。
(ちょっと長くなるけど全部書き写してみます)

 「反対」     金子光晴
僕は少年の頃
学校に反対だった。

僕は、いままた
 働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
 正義とかがきらひなのだ。

健康で正しいほど
 人間を無情にするものはない。
 


むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。

いつの政府にも反対であり、
 文壇画壇にも尻をむけてゐる。
 
なにしに生まれてきたと問はるれば、
 躊躇なく答へよう。反対しにと。

僕は、東にゐる時は、
 西にゆきたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
 袴はうしろ前、馬は尻をむいて乗る。

人のいやがるものこそ、僕の好物。
 とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
 唯一つの立派なことだと。

反対こそ、生きてゐることだ。
 反対こそ、自分をつかむことだ。
 (『金子光晴詩集 岩波文庫』

▲ 金子光晴のこの詩を茨木のり子は『あまのじゃくの精神が旺盛で、二十二歳の処女作のなかに、すでに後年の金子光晴の反骨を思わせるものがはっきりとあります。すぐれた芸術家は、若いころの処女作のなかに、一生かかって成しとげる仕事の核を、密度高く内包しているものだと言われますが、この詩はそのことを痛感させてくれます』
(さ・え・ら伝記ライブラリー『うたの心に生きた人々』茨木のり子著 1967年刊 より抜粋)と、言うてはるけど、ほんまに。
今「反骨」とかいうと「なに?それ?」とか言われそうな空気漂う中、ミーハーな金子ファンながら あらためて、かっこいい、と思う。

▲ ・・と、今回のブログはそれでおしまいにするはずだったんだけど。
昨日twitterで教えてもらった詩人アーサー・ビナードさんの講演の動画を観て、ビナードさんにもこの「反骨」精神を感じた。
2012年 東海村であったという講演会の演目は「這っても黒豆の原子力」。
「這っても黒豆」とは諺だそうで、なんか黒いものが這い出しても、虫であると認めず、黒豆であると言い張ること。間違っていても、現実を直視せず自説を曲げないことのたとえ~らしい。

▲ 知らんかった。で、「這っても黒豆」な御仁がエネルギー関係に多いとおっしゃる。
ビナードさんの日本語について書かはったエッセイは好きでよく読んでるけど、いつも「目のつけどころがビナードさん」。おもしろくて、そして鋭い。
この講演も「ジャックと豆の木」の話から大豆の話に、そして「這っては黒豆」から原子力の歴史、核開発の話に。順を追って丁寧に何故こんなことになったのか、という事をユーモアたっぷりに、しかし決して冗談や笑いでごまかしたりせず、とことん、きびしく問題の核心に切り込んでいく。さすが。
「原子力の歴史の中で原子力発電はひとつのカモフラージュ。本質から離れてる」と。
ぜひ。


*追記

その1)
『うたの心に生きた人々』(さ・え・ら伝記ライブラリー)は十代の子ども向けに書かれた本のようで。残念ながら絶版ですが、かわりに今はちくま文庫から出ています。
金子光晴のほか、山之口貘、与謝野晶子、高村光太郎、と四人の詩人を紹介しているのですが、
そこは書き手が茨木のり子さん
「全くタイプのちがう、それぞれの生きかたをした詩人を選んだのに、たくさんの共通点があることに、書きながら気がつきました。」
「いずれおとらぬ貧乏の経験者であること。  みんな、なんらかの世俗にたいする、もうれつな反逆者であったこと。 世わたりがへたで、さんざんへまをやらかしていること。 考えてみると、世の親たちが「わが子にだけはこんな一章は送ってもらいたくない」とおそれているような人生を歩いた人ばかりです(中略)」
「これらの詩人たちによって、人間そのものの純粋さが守られ、人間そのものの真実がきらりと光ってるところを、みなさんくらいの年になれば、知る権利があろうと思ったからです」
と、この詩人たちへの深い思いを感じる紹介です。
そして「あなたが詩を読むのが好きで、詩を書きたいと志しているのであったら、なおのこと、弾力のある心で読んでください」とメッセージを寄せてはります。
「弾力のある心」いいなあ。

その2)
講演の中 米国で1954年(日本の原発の予算が通った年)に売り出されたという Atomic Fireball アトミックファイヤーボール (原爆の火の玉)って名前の飴玉のこともはじめて知りました。
聴いてる時間がない、とおっしゃる方に この講演内容を箇条書きしてらっしゃる方のブログをみつけました。→「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」

前にもここで紹介したことある(たぶん)アーサー・ビナードさんのweb『日本語ハラゴナシ』「風下っ子」
も考えさせられます。
『日本語ハラゴナシ』バックナンバー
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by bacuminnote | 2013-02-06 16:15 | 本をよむ | Comments(0)