いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2013年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

とくべつなこと。

▲最初はてっきりいつもこの時季にやってくる花粉のせいかと思ってた。
だから、喉が変で、くしゃみや鼻水でゴミ箱がティッシュの山になっても「鬱陶しいけど、まあ寝るほどのことはない」とがまんしてたんだけど。
そのうち起きてられへんようになって。風邪やったんか~と気づく。
そういうたら、先月おなじような症状で医者に行った友人から「免疫低下の花粉症で いつも鼻に鼻水がある状態では菌も繁殖しやすいらしわ」とメールがあったことを、ラップをぐるぐる巻きされたようにぼーっとした頭で思い出しながら、持ってゆきどころのない倦怠の大きなかたまり(←わたし)は布団の上で、あっち向いて、こっち向いて、ごろごろしては、だれにというのでなく大きな声で「ああ、しんど」と言うのだった。

▲ 年のせいか、もともと堪らえ症がないのか、そのどちらもか しらんけど、とにかくヒイヒイ言いまくる二日間がすぎると、ちょっとずつ元気をとりもどし。すると、とたんに活字がこいしくなって寝床読書の始まるのもいつものこと。子どものころは寝床で本読んでたら「この子はもぉ、本読むのにガッコ休んだんとちゃうやろ」と怒られて、掛け布団の中はもちろん敷布団が盛り上がるほど、下に本やマンガを一杯隠してたもんやけど。
大人は自由でええなあ~(笑)本読もうがiPodで音楽聴こうが平気。そのかわり、この程度の風邪ではだれも(って相方しかおらんが)サイダーも白桃の缶詰も、水枕も持ってきてくれることはない。くわえて時々は起き上がり家事(最低限度)もすることになるんやけど。

▲ まあ、そんなこんなの数日間。まだ本調子じゃないけど今朝はフツーに起きてきた。おかげでこの間から読みたかった本ぜんぶ読めたし、まんぞく。
それに、寝ながら本を読んでると、ああ、こんなん書けるとええなあ。あんなん書きたいなあ、とかことばと物語が次々とわくようで、ご機嫌。ところがいざ元気になって書き始めたら思うてるようには いっこも書けなくて。ああ、やっぱりあれは妄想の世界だったか、とがっかりする。つまりは病気のときだけの「ねどこパラダイス」(←とわたしは呼んでる)なんよね。

▲ というわけで、毎度前置きが長すぎるけど、そんな中でもいちばん心にのこった一冊のことを。それは『沈黙の殺人者』(ダンディ・デイリー・マコール著 / 武富博子訳/ 評論社2013年刊)。このタイトルからもシリーズ名「海外ミステリーBOX」からも、自分ではまず選ばない本。というのも、わたしはみかけによらず怖がりのアカンタレなので「殺人」とか「暴力」とかが本でも映画でも苦手で、そのむかし息子と映画館に行っても、DVD観ても、そういう「こわい」場面になるとキャーキャーうるさいので「もうおかあとは一緒に見ん!」と宣言された過去がある(苦笑)。だから、当然そういうキーワードの多いミステリーも読むことがめったにない。

▲ だけど、信頼する林さかなさんのブックレビュー「いろんなひとに届けたい こどもの本」(『「書評」のメルマガ』)に、すぐにでも読みたくなったのである。アカンつもりで図書館に予約いれたら待たずに届いたこともラッキーだった。
物語は主人公のホープっていう十六歳の少女の語りではじまる。彼女の二つ上の兄ジェレミーが野球チームの監督を殺害した容疑で拘束され、裁判に。やさしい兄がそんなことができるわけない、と無実を信じ、なんとか真相を追求したいとおもう妹。

▲ ところが兄ジェレミーは一言も話さない。九歳までは普通に話し歌をうたってたのに、あることがきっかけで選択性緘黙(かんもく)といわれる症状に陥るんよね。筆談だけはできたのに、今回はそれすらもしない。
ホープは言う。

ジェレミーはずっと特別だったの。変わってるといいたくなくて特別っていう人がいるのは知ってる。でも、わたしにとっては特別ってすてきなことなの。不思議がいっぱいって感じ。ジェレミーはずっとそんな感じだった。ジェレミーは鳥が歌ってるのを何時間だってじっと聴いてられるの。ほとんどの授業で二分もすわっていられないのに

▲ そうしてジェレミーのこの「特別」なかんじの描かれ方がとてもいいんよね。
書き手の(翻訳者も)ジェレミーにたいするやさしさと、ホープみたいにその「特別」がすてきで愛おしく得がたいものと、思ってはるのが文章のあちこちからしずかに伝わってくる。
前に読んだ『ことり』(小川洋子著 /朝日新聞出版 2012刊)のお兄さんと弟のことをふと思い出す。

▲さて、物語は真実を追うなか、ホープに協力してくれる友だちTJとチェイスも加わって、それぞれの家族が抱える複雑な問題もあぶり出され、ほのかに恋もめばえたり。
訳文がとてもええ感じなので、ゆっくり味わいたいと思う気持ちと、どうなるんやろ?ほんまにジェレミーは無実なんやろか?と筋を追うのに走りそうになる衝動とたたかいながらも、とうとう最後の頁に。

▲ふうう。この本を閉じるときの何ともいえない思い。
著者と翻訳者に、この本を紹介してくださった本友・さかなさんに感謝。
さっそく前に『ことり』をすすめた友にも知らせる。昨日だったか寝床の携帯に「本買いました!」とメールがあったから。いまごろはきっと夢中になって頁を繰ってるやろなあ、と想像しては頬がゆるむ。
そして、英語から日本語に。本から本に。友から友に。だいじに手渡されてゆくものを思いつつ。



*追記

その1)
ああ、今回はすっかり更新がおくれました。こんなだらだらブログでも「たのしみ」「まってる」とか言うてくれはるそこのあなた、ほんまおおきにです。うれしい。上にも書きましたように「ねどこパラダイス」で読んだ本もおもったこともいっぱいあるので、また近いうちに書きたいと思います。

その2)
いつも、このひとの書く文章にじんときます。映画のいち場面をみてるようでもあります。プレディみかこさん。
これ(最近のコラム)にも
これ(2011年のブログ)
にも。

その3)
そして、その2のコラムにもでてくる wonderwallひさしぶりに聴きながら。
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by bacuminnote | 2013-05-26 15:03 | 本をよむ | Comments(0)
▲ 外は つめたい雨がしとしと降っている。
こういう日は雨の中の緑を窓越しに、ぼぉーっと眺めてるのがすきなんだけど。近くでは高層マンションの建設が始まっていて、今日も朝早くからカーン、ガチャーン、ドーンと大きな金属音にトラック誘導の笛のピーピーがひびきわたる。

▲それは雨音や鳥の鳴き声、道行く人の話し声や、いつも間近に聞こえてくるちいさな音たちの上に覆いかぶさって、容赦なくかき消してゆくんよね。
耳がきんきんして書きかけの手紙もはがきもほっぽったまま。いらいらしながらえんどう豆をさやから出していたら、あちこちに飛びはねた。

▲ この間の連休のこと。
駅前のショッピングセンターにリニューアルオープンしたビルがあって、街は連日ベビーカーやスリングで抱っこのママやパパでいっぱい。どうやら今度ねらっている購買層はわたしらみたいなおばちゃんやのぅて、若いファミリーらしいから、ちょっと疎外感をおぼえながらも(苦笑)なっとく。
けど、ファミリーいうても、買い物したい(する)のは親で、子どもはこんなとこで長居してもおもしろくないよね。

▲最初はものめずらしくても、そのうち ぐずる→泣く→怒られる→拗ねる→きょうだい喧嘩勃発→ひとりが泣く→怒られる→ふたり大泣き・・という予想通りの展開をあちこちで見かけた。泣いたり怒ったり、怒られたりして。とおい自分の子育ての時間を懐かしみつつ、反省しつつ、眺めてたんだけど。
時に「それはあかんやろ」とおもう激しい怒り方をしている親もいて。そういうときは罵倒する親の子どもになったような気分で、くつくつと怒りの炎をもやし(苦笑)やがて、しょんぼりしてしまうんよね。

▲ 怒る、ってどういうことやろ。
この間「怒る人」の映画を観た。(『思秋期』パディ・コンシダイン監督・脚本/ 原題:Tyrannosaur イギリス映画)主人公のジョセフは、いつも眉間にシワ寄せて十秒に一回くらいはファッキンなんたらというて怒ってはる。妻を亡くし職も失った彼は怒りを抑えることができない。

▲その怒りはほんとうにからだの底からとめどもなく「湧き上がってくる」かんじ。もうジョセフという存在ぜんたいが「怒り」の塊のようで。あげく、だいじな愛犬にまで蹴りを入れてしまう。だのに、酔っ払って空が青くなる頃に 家まで一人とぼとぼ歩くジョセフの姿のさみしいこと。

▲ ある日ジョセフはバーでいつものように喧嘩の後、通りの店(教会がやっているチャリティーショップ?)に逃げこんで、古着のいっぱい掛かったハンガーラックの後ろに隠れる。店の主であるハンナという女性は驚きつつも「ハロー」と声をかけ名前を尋ねる。そうしたら彼は苦虫つぶしたみたいな顔して「ロバート・デニーロ」って応えて。

▲そんな人をくったような返事にもハンナは動じず「お茶はどう?ロバート」と話しかける。が、この誘いにもハンガーの影でファックオフ(あっち行け)と言ったり、ハンナの住んでる地域を聞いて、彼女の親切も金持ちの道楽のように言って傷つけるんよね。

▲ それでもハンナの笑顔とやさしさに、ほんの少し心が揺れるジョセフ。
一方 信仰をもち豊かに平穏に 夫とふたり暮らしてるふうに見えたハンナにも、じつはとても深い闇と恐怖心を抱えてることが、だんだん明らかになってくる。くわえて、ジョセフの住む家の周辺の住人たちの貧困と暴力。とりわけ彼になついてる小さな男の子のかなしみも。

▲ほんまにね、もう全編通していつもどんより曇り空やし、どっちむいても暗くてつらい映画なんだけど。すこしずつ殻をやぶってゆくひとたち。ジョセフの親友が亡くなったあと、みなでお弔いにパブでビールのんで歌って踊る場面の弾けるような笑顔。わたしもきゅうっと緊張した肩のあたりの力がぬけていくのを感じる。

▲だけど、このあと思いもよらなかった事が発覚するんよね。
生きていると決してきれいごとではすまないことだらけ。けど、何か、だれか、どこかに、一つでも心の拠り所があることが 人に生きる、生き続けるちからを与えてくれる、とあらためておもう。

▲最後のハンナの生まれかわったかのような清々しい笑顔のきれいなこと。光さす道。
観終わったあと、このジョセフのキャラクターは監督の実父をモデル、と読んで、ふたたび胸がしめつけられる。
観てほしいとおもう。


*追記
その1)
この映画、すきなケン・ローチをおもわせる作品で、じっさい主人公ジョセフは彼の「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(予告編日本語字幕じゃないのですが)でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したピーター・ミュラン。だいぶ年とらはった感じするけど。


その2)
エンディングに流れるうた。すくわれるおもい。
‪The Leisure Society‪ - We Were Wasted‬

その3)
かんじんなことを書き忘れていた。
この映画のジョセフとハンナのように、互いの不器用さや凍ったこころを溶かすものって何やろ?と考えてたんだけど、ちょうど読み始めた本 『大事なものは見えにくい』(鷲田清一著 / 角川ソフィア文庫 2012年刊)にあった「聴く」ということに言及した一文にしばし立ち止まっている。(同書「納得」より抜粋)

聴くというのも、話を聴くというより、話そうとして話しきれないその疼きの時間を聴くということで、相手のそうした聴く姿勢を察知してはじめてひとは口を開く。

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by bacuminnote | 2013-05-11 15:21 | 音楽 | Comments(0)

First of May

▲ じーんと足元から冷えてストーヴの朝。
珈琲をごくりと飲みこんだあとの 熱い道すじがわかるようで、わざとゆっくりゆっくり飲んでみた。ちょっと温もった気がして洗濯物干しに外に出たら、あまりにつめたい風に思わず首をすくめる。
ほったらかし庭にはツツジが三色。ほそい枝にぎゅぎゅう詰めに赤白ピンクが咲きほこって「どうよ?」と言うてるみたいで(そんなこと言うわけないが)あんまりすきやない。
あとは日々勢いよく育つ!草と木々の緑が光ってる。花より団子、団子より最中(笑)のわたしだけれど。おちつくところはやっぱり緑か~いいねえ。きれいやねえ。
First of May。きょうから五月。

▲ それにしても。
春なのに、寒く。春やというのに、鬱陶しくも不穏なニュースが、これでもか、というように続く。
考えられないようなことが、しかし、いつの間にか「あたりまえ」の顔して大きな声をあげており。ときに両手まで挙げており。
こういうときはどうやって怒ればよいのか。言うてもわからん人には、言うてもわからんのやろ。でもだからといって、何も言わなかったら「これでよかった」と思われるにちがいない。

▲ 買い物に出たら、連休で若いファミリーがいっぱい。いまは親も子もおしゃれでかっこいいんよね。みんなおんなじ風なのがちょっとつまらんなあと思うけど。
いや、しかし。かつての「ニュー」タウンも、子どもたちが巣立ちすっかり「オールド」タウンになっていたものの、ここ十年ほどの間にマンションがいっぱい建って、若い家族が越してきて、子どもの声がもどって。
街ぜんたいに活気がでてきた気がする。年寄りもいて、中年もいて、若いひと、ちっちゃい子がいて、ええなあと思う。ショッピングセンターには時節柄(苦笑)あっちにこっちに「子どもの日」と「母の日」の派手なポップが目に入る。ううむ。いつのまにか「~の日」はみごとに「お店でなんか買う日」になってしもてるなあ。

▲そういうたら子どもの頃、毎年5月5日には地域の子ども会でバス遠足があって、遊園地や潮干狩りに行った。
まだ車のある家も珍しい時分やったし、どこかに出かけると言っても故郷は山間部で交通費もばかにならず、多分みなで毎月少しづつ積立して遠足に行ったんやろね。親子参加がほとんどだったけど、ウチみたいに親が仕事で出てこれない子も何人かいたと思う。手をつなぐお母ちゃんが横にいなくて、行きはちょっとさみしかったけど、バスに乗ったらもう平気。子どもは子ども、親は親でしゃべって、食べて、うたってサイコーの一日だったなあ。
一年に一回きりのことやから、よけい記憶に残ってるのかもしれへんね。写真の少ないアルバムみたいに。そのかわり一枚一枚にいろんなものが詰まってる。

▲ とはいえ、昔はよかった、とは決して思わない。
とりわけ弱いもの~「女・子ども」に対する「男・大人」からの扱いはほんまにひどかったと思うから。
ていうか、いつだって、今だって、子どもはたいへん。大人による大人のための政治にふりまわされて。選挙権も発言権もなく。
「児童は、人として尊ばれる」「児童は、社会の一員として重んぜられる」「児童は、よい環境の中で育てられる」
毎年この季節になると児童憲章のことばを思いだす。(2008年5月にも ここで、その全文を書いていますのでぜひ読んでみてください)
制定されたのが1951年(昭和26年)5月5日だから、もう62年。人間なら還暦もすぎしっかり認知されている年頃やのに。相変わらず子どもを取り巻く環境は、原発事故その後のこともきちんとケアされないまま、軍隊だ徴兵制だなどというブッソウなことばがとび出すこのくにで、それでも憲法と共にこんなすばらしい児童憲章を掲げてるのだから。絵に描いた餅にならんように、うやむやにされないように。大人は子どもを守っていかなあかん、と改めて思う。


*追記
その1)
『大人のために児童憲章』求龍堂刊 残念ながら絶版。図書館などでどうぞ。

その2)
First of MayいうたらBee Geesのこれ。映画『小さな恋のメロディ』で流れてたうた。

同じ頃観た『フレンズ』も、忘れられない映画。うたはちょうどその頃(1971年)初来日した(←行きました!)Elton John
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by bacuminnote | 2013-05-01 14:31 | 音楽 | Comments(0)