いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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川はラムネの瓶の色。

▲ 暑い、暑いというてた日がうそのように、涼しくなって。
ああ、ようやく秋かと思ったんだけど。これがすっきり退場とはいかず、なかなかにしぶといお方である。(←夏が)
「秋隣(あきとなり)」というすきなことばがある。まだ陽射しは強いけど朝夕に秋の気配を感じることをいう「夏」の季語ながら、今はまさにそんな感じやなあと思う。
さっき、うっかり「あきどなり」とキーを叩いたら「秋怒鳴り」というのがでてきて大笑い。まだ暑い日が続くようやったら、それこそ「秋が怒鳴ってくる」かもしれへんなあ。
今日も綿菓子をちぎって薄くうすーく伸ばしたような雲と水色の空がうっとりするほどきれいで、ついつい買いもんに行く途中 立ちどまって上見てると「何やろ?」とつられて空見上げる人がいるのも、たのし。

▲二、三日そんなこんなのエエお天気がつづくけれど、この間の台風のときはほんまにこわかった。
あんなに台風がこわいと思ったのは、久しぶりのこと。夜中じゅう続いたすごい雨音と風によく眠れないまま、川の傍(はた)で育った子ども時代~台風のよしの川を思い出していた。
夏休みに毎日泳いだラムネの瓶の色した静かな川が、台風が来ると、まるで人が(川が?)変わったみたいに、土色に濁って、唸り声あげ、太い束のようになった水が どどぉーっとものすごい勢いで流れて来て。

▲ そんな中を野菜や倒木、壊れた家具や屋根、たまに自転車なんかも流れてきたっけ。
はじめのうちは姉たちと二階の窓から身を乗り出すようにして、波の間に見え隠れするタンスが踊るようだとか言うてはきゃあきゃあ騒いでたんだけど。そのうち、橋脚がみるみるうちに短くなって、橋ぜんたいが川に飲み込まれるかもしれない、とはらはらして。いつのまにか みな無口になった。

▲ 何より、橋のむこうにある旅館にいるお母ちゃんやお父ちゃんは、橋が壊れたらもうここへ帰って来れへんのとちゃうか、とわたしは心配でならなかった。「なんせ伊勢湾台風のときは橋がまっぷたつになったもんなあ」と、台風のたびに大人たちが言うてたのと伊勢湾台風当時の幼い記憶ながら(わたしはまだ5歳にもなってなかった)「ただごとではない」雰囲気と伴って、自分の中で大きな不安として在ったんやろなと思う。じきに、遠回りさえしたら帰って来れるとわかるようになるんだけど。

▲当時ウチには鮎舟が何隻かあったから、台風が来ると舟が流されないように上の道まで引き上げないといけない。台風の進路と様子をみながら、いよいよと判断すると、母が船頭さん(というても、普段は別の仕事持ってはる人たち)に電話して集まってもらう。「すんまへんなあ。すんまへんなあ」と電話にむかって悲壮な顔して、なんべんもなんべんもお辞儀していた母の姿はわすれられない。
いま思えば、船頭さんもたいてい川べりの家に住んではるから、自分ちの台風の準備で一杯一杯なのに、雨のなか舟を上げに皆来てくれはったんやなあ~としみじみ。

▲ この間の台風で、水浸しになってる馴染みのある地、よく知っている川が氾濫しているようすをニュースで、息詰まる思いで見ながら、かつての故郷の川がうかんできた。
たのしい川も、夏のたびの辛く悲しい事故も、台風の被害も。川の表情はじつにさまざまだ。ニュースによると、まさかあの川が、と思うところまでかなり増水したようで。
川も生き物なのだ。長いこと忘れかけてたけれど。
被害にあわれた地域のみなさまに心からお見舞いもうしあげます。

*追記

わかい時くりかえし聴いたランディ・ニューマンの"ルイジアナ1927"を、ひさしぶりに。これは1927年のルイジアナの大洪水をうたったもの。その頃意味をわかって聴いてたのか思い出せないのですが。
Louisiana 1927-Randy Newman

"ルイジアナ ルイジアナ
あらゆるものが我々を押し流そうとしている
あらゆるものが我々を押し流そうとしている
"
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by bacuminnote | 2013-09-22 09:51 | まち歩き | Comments(0)

とどけなかったもの。

▲ 朝の日差しの柔らかさに気をよくして、「秋!」とか思って(←安直)午後から長袖着てタイツはいて出かけたら。暑いの、なんの。まだまだ、しっかり、どんと居座る夏に、ため息つきながら汗だくで帰ってきた。
それでも。
空の青が深く濃くなってくる頃には、虫の音が聞こえ始め、これ以上きもちのよいものはないって、ってくらいのええ風が吹きはじめる。そろそろ素足から靴下に、半袖から七分袖。冷奴は湯豆腐に、冷たい水は熱いお茶になり。ビールはワインに。ああ、あと少し。もうちょっと。秋が来るのを待っている。

▲ このあいだ図書館で『ひとりひとりのやさしさ』という絵本に出会った。(原題は『EACH KINDNESS』ジャクリーン・ウッドソン作 /さくまゆみこ訳/E.B.ルイス絵/BL出版2013年刊)
物語のはじまりは冬。『そのふゆは、ゆきがふりつもって、せかいが しろく かがやいていた』そんなある日、校長先生につれられて転校生の女の子マヤがやってくる。この頁の絵のアングルが、ちょっと変わってる。ななめ下から二人を見上げたように描かれているから、うつむいたマヤの不安でいっぱいの硬い表情がみえて、おばちゃん(わたし)はたぶんこれから起きるのだろうよくないことを想像してしまう。

▲ 案の定あたらしいクラスメートを前にあたし(クローイ)の眼は、マヤの着ている服がみすぼらしいことや、靴が夏用でしかも片方は紐が切れてるところも捉える。あたしの隣の席に座ったマヤは、さっそくあたしに笑いかけてくるんだけど、あたしは笑顔を返さない。それだけじゃなく、自分の椅子や持ち物をマヤから遠ざけて。マヤがこっちを向くと窓の外の雪を見るふりをするんよね。

▲ あたしには仲良しの友だちケンドラとソフィーがいて。休み時間にはいつも3人一緒に遊んでる。ある日、3人でいるところにマヤが遊ぼう、と誘いにくるんだけど、3人は断る。それどころか3人寄ると、笑いながらマヤのことをあれやこれやとうわさする。マヤの着てる古びた服や靴、へんなお弁当、時々もってくる古いおもちゃのことも。
やがて、季節はかわり、ある日マヤは可愛いワンピースとおしゃれなくつで学校に来る。でも、それは多分だれかのお古と思えるもので。3人はげらげら笑う。マヤは縄跳びを持ってたけど、もう3人を誘わない。ひとり縄跳びしながら校庭をぐるぐる回る。こっちを一度も見ないで。

▲ その次の日のこと、マヤは学校に来なかった。その日担任のアルバート先生が洗い桶を持ってきて、そこに水を入れる。そして先生は小さな石を水に落とすんよね。
おちた こいしから さざなみが ひろがった。
アルバートせんせいが いった。
「やさしさも、 これと おなじですよ。わたしたち ひとりひとりの ちいさなやさしさが、さざなみの ように せかいに ひろがっていくのです。


▲それから先生は子どもたちに小石をわたして、だれかにやさしくしてあげたことを話しながら、石を水の落としてごらんなさい~と言う。おばあさんのためにドアを押さえてあげた子、弟のおむつをかえてあげた子。でも、あたしは小石をもったまま黙ってつっ立ってた。「なにもかんがえつかなかった」から。
その次の日もマヤは来なかった。『きょうこそ あたしはえがおを かえすんだ』と思ってるのに。そのまた次の日もマヤは来なかった。
ある日先生が、もうマヤはもどってこない「おひっこし したのですよ」と話す。

▲ その日一人で家に帰ったあたしは池のそばにすわりこむ。
マヤに いえなかった ことばが、のどもとまで こみあげてきた。マヤに とどけなかった やさしさが、こころの なかに あふれだした。
あたしは こいしを なんども なんども いけになげこんだ。そして、さざなみが ひろがっていくのを じっと みつめた。


最後の頁は池のそばにぽつんと立って、池のさざなみを見つめているクローイ。緑で埋め尽くされたうつくしい水彩画のなか、戻ってこないマヤを思いながらクローイの後悔やかなしみが、友だちができないまま引っ越していったマヤのさみしさと一緒にしずかに、でもじんと伝わってくる。
なかよしになってお終いではなく、なかよくなれるチャンスを幾度も逃しながら、物語は主人公がじっとさざなみを眺めているところで終わる。

▲この本を読んで、思い出したことがあった。
小学生のとき。夏休みや冬休みが終わったあと新しい学期が始まると、きまってセンセが「休みのあいだにどこかに行ってきましたか」と聞かはるんよね。うれしそうに何人かが手をあげて「天王寺の動物園に行った」とか「親戚の家に泊まりに行った」とか発表する。うつむいてたり、ふてくされてる子は、だいたいいつも同じ顔ぶれ。どこにも連れてってもらえなかった子どもたち。そして、わたしもそのうちの一人で。

▲ あるとき、どういうわけか「なかま」のほとんども挙手しており、残るはわたしともう一人の男の子だけだったんよね。離れた席にいたその子がこまったような笑顔で振り返ってわたしを見たのと、わたしが手を挙げたのは同時だった。用事で出かける父に付いて行った帰り道、親戚の家に寄ったことを思い出したから。といっても、ほんまにちょっと寄って、おばちゃんにジュース出してもらって飲んで帰っただけの事だったから。手を挙げるかどうか迷って、もじもじしてたんだけど。

▲ わたしの挙手にその子の「えっ?!」というような顔が、いまでも記憶にあって。それは一瞬のことだったし、もしかしたらわたしの思いちがいかもしれない。
今から思えば、そもそも、なんでセンセがいつもそんなことで手を挙げさせるんよ?うつむいてる子がいるのをセンセは見てへんかったん?とか。
いや、センセはただ季節のあいさつみたいに軽く聞いてただけかもしれないのを、うれしい報告をしたくて子どもたちが競うように挙手して発表したのかもしれないな~とか。でも、何よりその子と二人「どこにも行かなかった」組にされたくなかったそのときの自分がずっと残ってる。

▲ 『ひとりひとりのやさしさ』の作者ジャクリーン・ウッドソンの書く物語には、いつもいろんな問題を抱えた家庭環境にある子や社会のいろんなマイノリティーの人たちが登場する。テーマは重く深い。それでも、時々すいーっといい風がふいて、知らないうちに物語のなかの子どもに微笑んでる自分を感じる。そして本を読んだあと、アルバート先生じゃないけど、わたしの中の水桶に小石が投げられたような気持ちになって、しばらくさざなみを前に考えることになる。さくまゆみこの訳も大すき。そしてこのお二人にE.B.ルイスの絵の絵本も、どれもすばらしい。おすすめです。
時間はゆっくりと静かにやってきます。
 そしてしばらくのあいだ、そばにいてくれます。
 でも、こっちがまだ支度さえできていないのに、
 もう過ぎ去って いってしまうのです。

『あなたはそっとやってくる』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳)より

*追記
その1)
ジャクリーン・ウッドソンの本のことは前にも何回か書いています。
ここには『レーナ』についてすこし。

その2)
Jacqueline Woodson.com→
ここのQ&Aみたいなとこの最後はこれ。
Q: Do you think you’ll ever stop writing?
A: When I stop breathing.

その3)
しずかな朝。今日はこれを聴きながら書きました。Waiting For The Lark-JUNE TABOR
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by bacuminnote | 2013-09-10 11:13 | 音楽 | Comments(0)