いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2013年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

石蕗の花はきいろ。

▲ 夕方うっかり取り入れるのが遅くなると、せっかく乾いた(であろう)洗濯物がつめたく湿気ってる。ふと薄暗くなった庭の隅を見ると、石蕗の花の黄色が、ぽつぽつと浮きあがって。そんなころモノレールは濃くなった空を横切って白く発光しながら走ってゆくんよね。
灯りのともった電車でつり革を持った乗客がすいーっと流れるようにみえて。自然のなかを人工物がとおりぬけるさまは ふしぎ。モノレールは高いとこを走るからよけい。そしてそれはすっかり見慣れた光景ながら、たまに どきっとするほどきれい。

▲湿気った洗濯物はストーヴを点けたばかりの家の中に干す。タオルやシャツやパンツがひらひらして、とたんに部屋は所帯じみてしまうけど。そもそも「所帯」そのもののおばちゃんとおっちゃんが居るわけやしね。そんな洗濯モンと(老)夫婦はよく似合う。やがて部屋が温もってくると、どちらからともなく長い欠伸ひとつ。今夜も鍋にするかな。

▲ さて、この間書きそびれた 『さよならを待つふたりのために』原題”THE FAULT IN OUR STARS” (ジョン・グリーン著/ 金原瑞人・竹内茜 訳/ 岩波書店2013年刊)のことを。
16歳の女の子ヘイゼルは本と詩のすきな16歳。オーガスタスはひとつ年上の元バスケット選手で、向こう側まで透けて見えそうな青い目をしたかっこいい男の子。ふたりは初めて会ってすぐ恋におちる・・・って、書くとベタな純愛モノみたいでつまらない。
かといって本の紹介にあるように
ヘイゼルは16歳。甲状腺がんが肺に転移して、酸素ボンベが手放せないまま、もう三年も闘病をつづけている。骨肉腫で片足を失った少年オーガスタスと出会い、互いにひかれあうが……。』(amazonより抜粋)となると、よくある「泣ける話」かと思って、いったん手にした本を元に戻してしまいそうだ(苦笑)

▲というか、どちらも事実なんだけど。物語はつまらないものではなく「泣かせる」ために書かれた話でもない。
それは、本のなかで『私が死んだ時、私について語ることが、がんと勇敢に闘った話しかないかも。まるで私が生きているあいだにしたことが、がんになったことしかないみたいに』なんてことをヘイゼルがはっきりと拒否してることでもわかる。

▲二人は出会うなりひかれ合う。それは病気があろうとなかろうと同じで。出会った場所がクラブや学校やCDショップではなく、たまたまガン患者のサポートセンターだったってこと。
この二人ほんとによく話すんよね。電話で、会って、メールで。お互いにすきな本のこと、詩、ゲーム、友だち、家族について。
ヘイゼルの話し方が知的で、皮肉も毒舌も。ときにブラックなユーモアもあるんだけどとても魅力的。それに応えるガスも軽妙でたのしい。二人とも自分の箱にことばをいっぱい持ってる。もしかして、それは若くして死を意識するような病気になったことや、そのことで「独り」の時間をすごしたことが大きいかもしれないなと思う。

▲ お互い気に入りの本を貸して電話で感想を話してる場面がよかった。若いときって話しても話しても尽きないんよね。
「いつまでしゃべってるの!」「どれだけ電話代かかると思ってるねん」と親に怒られた昔のことをなつかしく思い出しつつ、ヘイゼルのいう「三つ目の空間にいっしょにいる」感じを想像する。
オーガスタスが同じ部屋のすぐそばにいるような気がした。でもただそばにいるだけじゃない。私がいるのは私の部屋じゃない。オーガスタスも自分の部屋にはいない。私たちはもろくて目にみえない、電話のときだけ入る三つ目の空間にいっしょにいるそんな気がした。』(p81~)

▲ 二人は共通のお気にいり本となった『至高の痛み』の続きが書かれてないことから、オランダにいる著者に手紙やメールを出しているうちに、とうとう著者本人に会いに行くことになる。病気の子どもの願いをかなえてくれる財団に申し込んでのオランダ行きは、もちろん体の心配があるからヘイゼルの母親が付き添っての旅となるんだけど。
病気をしたことで我慢したり諦めてきたことを抱えた二人がオランダで、夜一緒にでかけ(←お母さんの計らいに拍手)キスをする場面には胸がいっぱいになる。そんな二人に運河を行く船から「素敵な恋人たちは素敵!」と声がかかって。

▲ わたしはこの本みたいにYA(ヤングアダルト:12~19歳のことをいう)とよばれる小説が好きなんだけど、読み出したのは大人になってから。で、その頃はまだ息子たちは小さかったから、主人公に子どもを重ねるというよりは、自分の10代を思い出しながらの読書だった気がする。でも、子どもの成長と共にいつのまにか「親」の眼で読んでいることもあり。主人公の少年少女が親を批判したりしてると、うっかり?「そうだ!」と共感したあと、子どもに「おかんも同じやん」と、言われてるような気分になってちょっとしょんぼりする。

▲ 今回もそんな風に子どもになったり親になったり、視点を移しつつの読書だったけど、病気をもつ子の親のきもちが、わたしにも少しはわかるから、ヘイゼルの母親の言動に、共感も反発もあって。でもどっちにも胸がはりさけそうな思いがした。
親の心配が子どもに重荷になることや、子どもが自分の世話をやくことより親自身のたのしいことをみつけてほしいと願うきもちもよくわかってる。(つもり)

▲親の立場からは、からだに弱いところがあっても(いや、だからこそ)人生に積極的であってほしいとのぞみながらも、一方では波風立てず(波風が子どもの「今の体調」を奪うかもしれないから)退屈でも安定した日常であってほしい、と願ってたり。でも、その矛盾の中でまた自責の念に陥るんよね。
だから、最後のほうでヘイゼルの母親が、自分の娘のように病気を抱えた子どもに何かできるように、と勉強を始めたくだりには、娘以外の世界をつくろうとする彼女の決意がとてもうれしかった。

▲ 翻訳がほんとにいい感じで、若い二人とその友だちの会話や空気が映画を観てるように浮かんで引き込まれた。(あ、そういえばいま映画化されているらしいです)とりわけヘイゼルの語りには、何度もはっとさせられた。その中のひとつ~彼女がオーガスタスの家をしばらく眺めながら。
家って不思議だ。外から見ると中でなにかが起きているようにはほとんど見えない。私たちの生活がほぼ丸ごと入っているはずなのに。そういうのが建物の重要なところなのかもしれない。』(p149)

▲ いい本だったから、急いで読まず、かんたんに泣かず、と思ってゆっくり読み進めたつもりが、途中からどちらもこらえきれなかったけど。とうとう物語にはおわりがきて、そして思いもしなかった別れもやってくる。
鼻すすりながら、あなたたちのことはずっと忘れない、なんて言ったらヘイゼルに『誰かが死んでも、自分だけは死なないと考えてしまうこと自体 死の副作用』と、フンって笑われそうだけど。

『さよならは言わないつもり揚雲雀(あげひばり)』(川島由紀子『スモークツリー』)



*追記 (いつも長い・・)

その1)
なんでか、この本の紹介がとてもむずかしくて(上にも書いたけど「親」の眼が入りすぎたせいかもしれない)昨日はどこにも出かけず、書いたり消したり、いろんなことを考えこんでいました。
あ、そうそう、途中で諦めて新しい本を読んだりもして。

そしたら、この本『コリーニ事件』フェルディナント・フォン・シーラッハ著/ 酒寄進一訳/東京創元社刊 (『さよならを・・』と同様、翻訳者がすきで手にとった)200頁ほどの本なのであっという間に読みきったのですが、内容がものすごく重く「余韻」というよりは読了したその直後から、また自分の中での読書が始まる・・みたいな感じで。ミステリー/法定劇ということもあり、なかなか紹介が難しいけど、おすすめです。そんなこんなで昨日は文字通り「本の一日」となりました。

酒寄進一氏の訳で印象深いのは『ベルリン』三部作。なかでも一番先に日本で出版され、いま又読み直したいと思うのが『ベルリン1933』です。この本について氏の大学内ブログであとがきが載っています。→

その2)
この本を読みながら思い浮かべたのが映画『永遠の僕たち』(原題"Restless"ガス・ヴァン・サント監督)でした。
というわけでSufjan Stevensの Wolverineを聴きながら→
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by bacuminnote | 2013-11-24 12:30 | 音楽 | Comments(0)
▲ 朝、ふと見上げた空が何だか くっと息のむようなブルーで、そんな中を白い飛行機雲が幾筋か すいーっと走ってて。
『小春日や こはれずに雲 遠くまで』(柴田美佐句集『如月』所収)~前にノートに書き写した句がすいーっと浮ぶ。
じめじめ、しんしん冷えた昨日と大違い。ああ、どこかに行きたいなあ~とさすがの出不精も思うて・・・で、来週行くつもりだった墓参に。
急いで支度して、仏花買うて、ビスケットと缶コーヒ持って、いつものように1時間のバス遠足なり。(←しかし「どっか行きたいなあ」が墓参になるとは・・苦笑)
 
▲ バスの中はぽかぽか。強烈にねむけをさそう陽気に、むかしの教室の窓際の席を思い出しながら、大きな欠伸ひとつ。と、前の席の人もふぁーーとやってはるのが見えて、声だして笑いそうになる。慌てて出て来たから本を持ってくるのを忘れて がっかりしてたんだけど。街路樹の紅や黄色ががうしろへと走ってゆくのを窓越しに眺めながら、しばし五・七・五と指折って、ことばあそびもそのうち飽きて(あきらめて)知らんまにうとうと。気がついたら終点。(あ、乗り過ごしではなく目的の駅です)

▲ タクシーに乗って「◯◯墓地までお願いします」と言うたらドアが閉まり。が、そのうち閉まるかと思った後部座席の窓が開いたままで。いくらええ天気いうても、窓開けて走る季節やないしね。
「あのぉ窓 閉めてくれませんか?」って言おうと思ったその時に、「いやあ、今日は暑ぅおますなあ」と運転手さん。(←大阪でこういう話し方しはる人はかなり高齢者)えっ?何?「温い」やのぅて「暑い」って?・・と思いながらも「え・・あ、はい」とか曖昧に返事して、窓閉める件を言い出せなかった後部座席の乗客(苦笑)

▲ でも、そのうちほんまに窓からの風がここちよいくらいに車内は温かく(窓開けてるしね「暑く」ではなかった)。「昨日はあないに寒かったのになあ」「ほんまに~あんまりええお天気やから今日はお墓参りしよ、思って」「へえ?お墓参りでっか」「いや、だから◯◯墓地に、って・・・」
あれ?だいじょうぶかな、と思ったんやけど。案の定、曲がるべきところを通過。おっちゃん(というより、おじいちゃん)しっかりしてや~(笑)

▲平日の午前中は閑散としてるこの墓地も、今日の陽気ゆえか、三々五々おばちゃんにおばあちゃん、おじいちゃんがお参りに来はる。顔あうと「こんにちわぁ~ええ天気ですねえ」とどちらからともなく挨拶して。隣接するお家のベランダから干した布団をぱんぱん叩く音が聞こえて。お昼前やしね、煮物や炒め物のにおいもどこからか流れてきて。
つくばって草むしり。尾崎放哉やないけど、墓のうらに廻って。また草むしり。墓石に刻まれた文字に、義父が亡くなって今年で10年だと気づく。そうか~もうあれから10年になるのか。

▲『その日、いつものように相方は夜中二時半すぎに起きて、パンを焼き、わたしはあちこちに発送準備をし、お送りするお客さんに便りを書いて。
それから、袋詰めするまでの間にホームページ「麦麦通信」に この日一段ときれいやった朝のことを書いてアップした。

【パン焼きの日のスタート時はまだ星空ですが、朝6時頃になるとようやくあたりが少うし明るくなってきて。
それでもまだ空は深いブルー。そんな空をバックに黒い山々の稜線がシャープです。こんなすばらしい光景を 相方と二人だけで見てるのがほんともったいないと思う。そのうち山々も眠りから覚めるように色を帯びてきて。
こういう景色を 当たり前に見ることのできる 日常に、心からありがとう!と思う朝なのでした】(2003.11.18/麦麦通信)

まさかこの日が最後のパン焼きになり、最後のパンの発送になるなんて、思いもしなかったのに。
さっき改めてこれを読んでたら、なんか どこか「当たり前」じゃなくなる日を予感してるみたいで、どきんとした。

このあと、すこしして病院から義父危篤の知らせを受けて、わたしたちは大急ぎで大阪に向かう支度をしたのだった。主治医のことばから、最悪の事態を覚悟しながらの帰省となったので、道中 初めての携帯電話を契約して車内で説明書を読みながら、親戚や親しい人に連絡をして。そして、大阪まで まだ2~3時間はかかろうかという所で「たったいま」と知らせを受けた。
』(2006.11.18拙ブログより抜粋)

▲いま思ったらわたしはまだ40代のおわり頃で。相方は、息子たちは何歳やったなあ・・と思いをめぐらせる。そら10年経ったんやから、当時は「マイナス10歳」で当たり前なんだけど。自分自身の変化(更年期もふくめこの10年は大きかった)、それにあらためて、この間の子どもらのこと、義母の病気や入院、あれやこれや思い出してなんや胸がいっぱいになった。

▲さて、そんなふうに物思ってぼんやりしてたからか、草ぬきに思いのほか時間かかったからか。いつのまにかお昼すぎてみんな帰らはったみたいで、あたり見渡したらわたし一人。お腹はすくわ、腰は痛いわ、なんや心細いわで、掃除もぼちぼち終わりにしてお線香あげて、墓地をでる。
帰りはいつもどおり徒歩。タクシーの運転手さんが言うてはった「このごろは又シャッターが上がりだした」商店街をゆく。おまんじゅうに味噌団子、刃物研ぎに、味噌屋に佃煮屋。婦人服に靴屋に額屋と本屋。いま街からどんどん消えてゆくという「~屋さん」がいっぱいで。ところどころに昔ながらの純喫茶~ええなあ。こういうごちゃごちゃとした感じ。すきやなあ。「木曜は休みの店多い」って聞いたけど、それでも人通りもけっこうあって、あちこちからええにおいが あふれてる。(←空腹におもいっきり堪える)

▲ようやく駅に着き、バスに乗るや出発までの短い時間に後ろの席にて こそこそとバッグから取り出してビスケット+缶コーヒ。この時分になると車内は温いより暑く。さっきのタクシーの運転手さんやないけど、窓開けて走ってほしいくらい。だんだん気持ち悪くなって、ストールを外しカーディガンを脱ぎ、とうとう薄いブラウス一枚になった(こんな格好はバスの中でわたしひとりであった・・)
暑さと空腹で(←しつこい)長く感じた帰途だったけど、ようやくバス停に着き、降りるなり深呼吸。ああ、すっとした。ていうかハラヘッタ!(笑)
家に走って帰って昨日のハヤシライスの残りを食べるつもりだったけど。予定変更。たこ焼き屋に直進だ。
カウンターにて一皿。目の前に貼りつけてあるメニュウの「ビールセット」の派手なロゴを見ながら(見るだけ)ひっさしぶりの熱々たこやきを頬張った。ああ、おいし。

*追記
その1)
開田高原をおもいだしながら、前にも貼ったたことあるけど、だいすきなCDから(ジャッケトもすき)
the winter-Balmorhea


その2)
今回 この前読んだ本『さよならを待つふたりのために』と映画(DVD)『最初の人間』のこと書きかけてたんだけど、ええ天気にさそわれて途中でほっぽって墓参に出たら、全然ちがう話になりましたが。こんど(こそ・・忘れんうちに)書くつもり。
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by bacuminnote | 2013-11-15 11:12 | 音楽 | Comments(0)
▲ 出不精である。(←いまさら・・笑)
家で居ることや、ウチでできることに結構まんぞくしてるのかなあ、とか思ったりもするけど、多分そのことに大して意味はない。単にモノグサなのと、知らないところに出かけるのが臆病なだけかもしれない。

▲ブログやTwitterで、あちこちに出かけて行く人の報告や写真、それにびっしりと計画と約束で埋まった手帖を見せてもらうと、すごいなあ~とその行動力と紙面にうっとり。(手帖好きとしてはやっぱりこれくらい書き込みがないとなあ・・と思うのであった)
わたしなんかせいぜい1日1イベントが限界。二箇所まわっただけで翌日は へたってしまう軟弱モンやから、手帖はいつだって白いとこが多い。そのくせ毎年いま時分になるとそわそわして文房具屋さんに走るんだけど。(わたしの手帖好きは「片思い」みたいなもんやなあ~)

▲ そんなわたしがこの間ひさしぶりに遠出してきた、というても、行き先は京都。同行者は旧友Jである。
もうずいぶん前から思い出多い「七条あたりにいっぺん」と話して、そのままになってたんだけど。去年だったかJがバスで近く通ったとかで、なじみの喫茶店Aの写真を送ってきてくれて。「せや、久しぶりにあそこで珈琲飲もうや」ということになったんよね。

▲ が、そもそも類が類を呼んだ関係ゆえJもまた約束事やスケジュールに弱いタイプで(とはいえ、彼女はマンガ家・イラストレーターであり、わたしとは違って出かける先は多い)
しかもお互い優柔不断。
加えて、どっちかと言うたら、自分のことより相手のことを心配してしまうココロやさしい性格なので(←ほんまか?・・笑)
「この暑いのに出てくるのしんどいんちゃうやろか」とか、「歩き回るコースはアカンやろなあ」(←これはわたしの脚力のなさで)とか言うてるうちに、どんどん時間はすぎ、別の予定がはいったりして。
そうこうしてるうちに「寒なったしなあ」「もう年末やし」に突入しそうで(苦笑)「よっしゃ、明日にしよ」と決まったのだった。

▲ その日は予報通りの曇り空。
Jは相方に「いつでも会えるのに、わざわざ今日みたいな天気の日に・・」と笑われたらしいけど。曇ってても、雨降っても、今日でええの!ってことで、京阪特急電車2号車にて落ち合った。
「きょうは きょうとに きゅうゆうと とっきゅうでんしゃで でかけました」と小学生の遠足気分。途中彼女が乗ってくる駅が近づくと座ってられなくて、中腰で窓の外をみる。
さて、二人ぺちゃくちゃしゃべってるとあっという間に目的の七条駅に。けど、この駅は二十数年前から地下にもぐっており、ちっとも「七条に着いた」気がしなくて、もうちょっとで乗り越すとこやった。

▲ 地上に出て、鴨川みて七条大橋みて、橋のむこうに京都タワーの赤いてっぺんが見えて、ああ、七条や~としみじみ。
そういえば京都タワーはずっとロウソクの姿って思ってたけど、「市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの」(by wiki)らしい。
知らんかったなあ。

▲駅降りてすぐパチンコ屋の七条ホール(むかしよく行った・・苦笑)はマクドになっていたものの、かつて市電⑥の乗り場前だった本屋さんも健在。通りのお店は見覚えのある所も多くて、歩くたびに、どんどん時が遡って若返ってゆくような(!)気がした。

▲ まずは件の喫茶店Aに。
十代のおわり・・今思ったら親のすねかじりのくせに、珈琲なんかウチで飲めよ~なんやけど、あの頃は下宿で飲むのはインスタントコーヒー。旨い珈琲は喫茶店で。
ロックやジャズを聴くのも、友だちとあほな話も、侃々諤々議論の場も、デートもまた喫茶店~という時代であった。

▲そのかわり一杯の珈琲で何時間も居座って。
せやから思い出の場所はガッコより「各所目的別喫茶店」が断然多くて(苦笑)
いまだに地名より喫茶店のなまえ聞くほうが、その「街」がぱっと浮かんでくる。というわけで東山七条地区ではA。

▲ 当時のマスターのことをたずねるのに「あのーわたしら、えーっと40年ほど前にここによく来てましてん・・」と自分で言いながら40年!とびっくりする。そう、Jと会ってもう40年にもなるんである。
その昔、サイフォンのボールに珈琲が残ると黙ってカップにお代わり入れてくれはった蝶ネクタイの似合うマスターは5年前に亡くならはったそうで。
「その頃たしか、お嬢ちゃんが中学生で・・」と言うと、カウンターの常連客らしいおっちゃんが「マスター、そのお嬢ちゃんとケッコンしたんがこの私ですねん~って、言わんかいな」と言わはったので、そこにいた皆で大笑い。そうやったんか~と頬がゆるむ。

▲ よく食べた卵トーストサンドと一緒に、ちょっと濃い目のなつかしいブレンド珈琲をブラックで。ああ、おいしかった。また来よう。
Aを出たあと国立博物館のショップをのぞき、思いつきで 『三十三間堂』に。じつ言うとこの歳になるまでわたしもJも入ったことがなかったのだ。拝観料を払って入る、なんて若いときには考えもしなかった。拝観料払うくらいやったら珈琲のんで、文庫本一冊買うて~やったんやろね。

▲ 秋の京都は平日とはいえ、曇り空とはいえ、観光客でいっぱい。この日も堂内には団体のバスが次々にやって来る。ここは同じ東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂。三十三間堂っていうたら、毎年「通し矢」でニュースにも出てたし、写真も見てたはずだけど、お香のにおいの中 うす暗いお堂に入ってすぐに目にとびこむ大勢の(?)千手観音さんは衝撃的だ。

▲ コーフン気味に進んで行くと、中央に丈六坐像の本尊。その左右に十段の階段があって、そこに50体ずつ千手観音さんが立ってはるから・・全員(?)で千体並んでるさまは、じつに壮観。
さわがしい修学旅行の小学生たちも、皆うおーっと声あげてちょっとの間しーんとする。この「しーん」の間、それぞれの胸にきっと何かきざまれるんやろなあ。おばちゃんはその様子みて じんとくる。
後はすぐにもう「こんなとこで、じっとしてられへん」いつもの子どもたちに戻って。なんべんも鼠色の作務衣の若い寺務員さんに「キミら、もうちょっと静かに」って、注意されてたけど。

▲ 千手観音さんの前にいてはる二十八部衆像も、時にしゃがみ込んでひとつづつ丁寧に説明を読み見入る。(ここがおばちゃんと小学生のちがうとこ)どれも興味深く見たけど、とりわけ翼を持ち横笛を吹く迦楼羅(かるら)王像が印象に残った。迦楼羅とは梵語ではガルーダ(金翅鳥 こんじちょう)のことらしい。半人半鳥で、口元は天狗みたいでちょっとこわいけど、このひと?の吹く横笛の音はどんなやろうねえ。

▲見学者には外国の人も多く、そのつどグループやカップルに付いたガイドさんの英語や中国語も耳に入ってきて、なかなかコスモポリタンな空間でおもしろかった。
説明のなかに「オン バサラ ダルマ キリ ソワカ」という真言(呪文)が書いてあったのをみて、ふたり機嫌よく「オン バサラ ダルマ・・ソワカ、ソワカ・・」と暗誦しつつ堂を出た。

▲ 本堂の前で同じような二人組みおばちゃんに写真撮ってもろた後は「三十三間」由来の柱の数を数えて、ああでもないこうでもない、と小学生のように騒いで。
休憩にもう一軒の喫茶店に入って又しゃべってしゃべって。外に出たらすっかり薄暗くなって雨が降り始めてた。「ほな、帰ろか」と席をたつ。

▲むかしは毎日こんなふうにしゃべってしゃべって過ごしてたんよね。明日になればまた会えるのに。
京阪七条駅では乗り場を間違えて、大笑いして反対方向に歩いたつもりが、あろうことか、また同じホームに出てしまい。いやはや、方向音痴二人組らしい遠足の終わりであった。

▲家にかえってから、お互い「三十三間堂」について復習したようで、メールにてその成果をさっそく披露(笑)
「オン ダルマ キリソワカ」は
『「祈りましょう。大切な人のために。そして、生きとし生けるものの幸せのために」という本尊・千手観音さまの真言(お祈りの言葉)』とあったので、彼女とこのことばをおくりあってメール終了。
J、ええ一日やったなあ。

『コーヒ店 永遠に在り 秋の雨』(永田耕衣)




*追記

その1)
三十三間堂の中で祈願のところにおなじみの「家内安全」「大願成就」とかに並んで「頭痛平癒」とあるのが珍しいなあ、と思ってメモして帰ったんだけど、調べてみたらここを創建した後白河上皇が長年頭痛に悩まされていたそうで。「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された、とあって、頭痛持ちは時代を越えて~とおもうのでした(わたしもそのひとり)
そういうたら
『梁塵秘抄』
(←すき)の編者はこの頭痛もちのお方でしたね~

その2)
京都市電⑥はたぶんいちばんよく乗った電車。京都駅、七条、岡崎公園、百万遍~なつかしい→

その3)
Lou Reedにはちょうどそんな年のころにであいました。さみし。
"Walk On the Wild Side"→

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by bacuminnote | 2013-11-02 15:06 | 音楽 | Comments(0)