いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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▲ 年のせいか、たまに寝ている間に足がつる。
そういうときって、なんか伸びをするような体勢になっている(気がする)。夢の中でしっかりモンのわたし(笑)が言う。「あかん、あかん。ここで”伸び”したら、足つるで~」 けど、すかさずもう一人のわたしが「そんなこと言うたかて、いま、思いっきり伸び、したい感じやねん」と返すのと、布団の端っこまで腕と足をぐーっと伸ばすのが同時で、あっという間にふくらはぎ辺りに激痛が走ったとこで目が覚める(泣)。

▲相方は「そういうときはな、寝ながらでも意識を集中させて”伸び“をやめるねん~ボクはこの頃それで免れてる」とちょっと得意気に言うんやけど。それが、なかなか思うようにいかへんのよね。
きゅううと絞り込むような痛みがきたら、身を縮こませて、じっと嵐が去るのを待つ。たいていは数分でおさまって、またしらんまに寝入ってる。
ところが一昨日は伸びたとたんに、こむら返りだけでなく、腰が、加えて翌々日には寝ちがえで首がおかしくなり(泣)。マイッタ。


▲ この間ご近所仲間が集まった折に「この頃は足腰も快調やねん。いろいろあったけど、やっと更年期終わったかなあ」と言うたら「けど、つぎはちゃんと老年期がはじまる」とセンパイの絶妙のツッコミに「そ、そんな~」って、大笑いしたとこなんやけど。
いやはや。生まれてから少しずつ「できる」ことがふえて、やがて年をとり少しずつ「できない」ことがふえてゆく、のはここ数年の母をみていて痛感しているはずが、どこかで、自分にはまだ「老年期」も「できない」も先の話と、無邪気に思い込んでるフシもあって。

▲それでも、こんな風にちょっと腰や首が変になっただけで、落ちたものは拾いにくいわ、洗濯物を高いところに干せなかったり、寝てるときも、どっち向いていいのか落ち着かなくて。「不自由」であること、からだが思うように動かない、ことについて思う。

▲ 自分がなってみて初めて「わかる」。
たしかに「痛み」も「不自由」も当事者でないとわからないことや見えてこないことが多い。けど「なった者でないと」ほんまに理解できないのか?自分とちがう特性をもつ人(厳密に言えばみな「ちがう」もんね)とどうやって、助けあい、関わっていくのか?

▲ちょうど、この間も(前回ブログ/追記その2に)書いた
『リハビリの夜』
という本を読んでいたこともあって、これまで考えたことのない「身体」についてあれこれ考え中。ゆっくりいきつもどりつ、唸りつつのこの本、今日ようやく読了したんだけど、いやあ、はじめから最後までとても刺激的で、本にも頭の中にも!付箋がいっぱいで。いっぱいすぎて、どこから話していいのか、途方にくれている。

▲まずは著者の熊谷さんのプロフィールを本書「著者紹介」から抜き出すと
【1977年生まれ。小児科医。新生児仮死の後遺症で脳性まひに。以後車いす生活となる。幼児期から中学生くらいまでのあいだ、毎日リハビリに明け暮れる。小中高と普通学校で統合教育を経験。大学在学中は地域でのひとり暮らしを経験・・(以下略)】
となる。でも、本のタイトルとこのプロフィールを見て、多くの人がなんとなく想像する本の内容とはちがうと思う。

【「脳性まひ」だとか「障害」という言葉を使った説明は、なんだかわかったような気にさせる力を持っているが、体験としての内実が伝わっているわけではない。もっと、私が体験していることをありありと再現してくれるような、そして読者がそれを読んだときに、うっすらとでも転倒する私を追体験してもらえるような、そんな説明が欲しいのだ。つまり、あなたを道連れに転倒したいのである。】(p22 第一章「脳性まひという体験」)

▲いきなり「あなたを道連れに転倒したいのである」にノックアウトされる。熊谷さんの視点や表現はユニークで、本を読んでいる間に、自分の中で知らんまに凝り固まったもの(とくに意識せず疑わなかったもの)が砕かれる感じがする。それは「今のとこ自由に動ける身体をもつ自分」の視点でしかなかったのかもしれないと思う。
このあとで熊谷さんが「障害」について
【「障害」という体験は、ある社会の中で多数派とは異なる身体的条件をもった少数派が、多数派向けに作られた社会のしくみ(ハード、ソフトの両方)になじめないことで生じる、生活上の困難のことである。】
(p83「脳性まひリハビリテーションの戦後史」より抜粋)

と語っているのだけれど、わたしはこの『「障害」という体験』という表現がずんと心に響いた。
「障害者」「健常者」(←この言い方には思うところいっぱいあるのですが)という括り方ではなく、人間やその身体そのものを見るなかで「障害」という体験を通した、著者の思いや考えに「初めて知る」ことが多かった。

▲ じっさい、本書で語られる「障害」という体験、は人間のいろんな問題に重なってるんよね。インタビュー記事にもあった自立とは「依存先の数を増やすこと」「薄く広く依存すること」にも思い当たることがたくさんある。
そういえば、第六章『隙間に「自由」が宿るーーもうひとつの発達論』では著者が十八歳くらいのとき、とある専門家に自身の運動機能を見立ててみらった話から始まって。

【私は絨毯の上に置かれ、指示に従ってもぞもぞと動いた。しばらく観察した後、彼は言った。「君の運動発達は、そうだな、両生類と爬虫類の中間くらいかな」】(p206)
ある意味ショッキングなこの発言も熊谷氏は【じゃあ、これから何万年もかけてリハビリをして、進化の過程をたどった末に、ようやく人間になれるということだろうか。そう思ったらなんだか可笑しくなった】と語る。

▲が、そこでストップしないのがこの方のすごいとこで。
トカゲやイモリの生活は不自由そうに見えなくて【それに比べて私の体は、周囲との協応構造を取り結ぶのに困難をきたしている。私の動きを単体としてみたときには、両生類や爬虫類の動きと似ている部分があるかも知れないけれど、環境との協応構造があるかないか、確立した運動を持っているかどうかという面で見たら、私より彼らのほうが、ずっと適応がよいのである。】(p206~)
と、「人間の不適応」について考えをすすめていくんよね。

▲ 人間は【生まれてすぐに寝返りを打ち、数時間のうちに自立歩行ができるようになる仔馬』みたいなわけにはいかないけど、『この不適応期間があるからこそ人間は、世界との関係の取り結び方や、動きのレパートリーを多様に分化させることができたとも言える。】(p207)

▲身体内協応構造にしろ身体外にしろ、ひとはつながろうとしても なおつながれない「つながれなさ」ゆえに、その「隙間」を埋めるように 他者とつながるために言葉をつむぎ、外界にあるモノをイメージしていく。
こんなふうに考えると、最初にわたしが書いた「できること」「できないこと」も空気がかわってくるよね。
著者はこう結ぶ。【できるようになっていくことや、より適応していくことだけを「発達」とみなす従来の考え方は、どこかに重大な落とし穴があるような気がしてならない】

▲ あらあら。ブログというより、わたしの乱雑な読書ノートメモみたいなことになってしまったなあ。これを書きながら、わたしの理解能力をこえる難しい話も多かったのに、最後まで読んだのはなんでかなあって思った。それは身体の動きを言語化されることへの新鮮さとおどろき。著者の知性とユーモア、管理や強いものへの疑問と憤り、と同時に弱いものへのやさしさ、に共感したから。
でも、なかなかその思いがうまく文章にできず、書いたり消したり。そんな情けなさのなか~本で、もらった種は光のあたる場所に植える、水をやる、を繰り返すしかない、と「こんなもんしか書けなかった」自分にそう言い聞かせてるとこ。

【そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係は細かく分節化され、深まっていく。それをわたしは発達と呼びたい。】(p232~234)




* 追記
その1)
いやあ、読んでる間も考えて、読後も考えて、それでなくても容量の小さいわたしのHDは満杯(からだはでかいのに)結局書きたかったことの何分の一しか書けず、書名の「リハビリ」についても、まったく書けずじまいでしたが。わたしが本からもらった種をシェアーできたらいいなあ、と思う。もしも、ここ読んで関心をもち 本を手にしてくれはったら、ものすご うれしいです。

規範を設け競争すること、それに勝つことを求めながら、一方で何かというたら、金子みすずさんの「みんなちがって、みんないい」(『わたしと小鳥とすず』)を安直に引用してる人らにも読ませたい。


その2)
このあいだ詩人の 吉野弘さんが亡くなられたことを知りました。ここにも書いたことあるけど、高校生のころ背伸びして『ユリイカ』や『現代詩手帖』を脇に抱えて歩くのが、かっこいいと思ってたわたし(←軽い)。

難解な現代詩もいっぱい読んだ。「わかってるんか?」と問われると「フィーリングで」(と今書いて、このことばがいつのまにかすっかり古びてしまったことに気づく)。感じることが詩やもん~とかエラソーに、おなじくエラソーな詩的女子友と(苦笑)語り合ってたんよね。(今思うと赤面場面満載)

そんな中、高田渡の唄から山之口貘や金子光晴や黒田三郎、吉野弘に(まだまだいっぱい)の詩にも出会いました。当時は唄を口ずさみ「わかりやすい」と思った詩たちが、ほんまはとても深いものであることに、そのうち気づくのですが。
のちに『ガリバー』という本に出会い、著者の村田栄一さんが自身の学級通信「ガリバー」(1969年の一年間の学級通信)の扉にいつも挙げてはった詩の中にもこれらの詩人の名前をみつけます。

吉野弘さん訃報から、いろんなことを思い出してネットで見ていたら、このガリバーの村田さんも二年前の1月21日に亡くなってはることを知りました。件の学級通信を出していた小学校教員をやめたあとスペインでセレスタン・フレネの教育にふれ、その後、自由教育運動をなさっていた方です。いま調べたらわたしの持ってる本はもう廃刊となり、増補改訂版 (1999/04)が出ていますが、これももうないようで。図書館で読んでみてください。

その3)
何年か前に映画『空気人形』で、吉野弘さんの詩「生命は」が流れました。劇中「人間の心」をもつようになった空気人形(ペ・ドゥナ)が空き地のベンチにすわっていたら、隣のベンチの老人から、この詩をおしえられる場面。バックにはわたしのすきなバンドworld's end girlfriendの”river was filled with stories / 水の線路”が流れるだいすきなシーン(←you tubeでは 2'32"から詩の朗読がはじまる)ですが。このしずかな老人を演じてらした高橋昌也さんの訃報もつづき。なんだかさみしい1月です。
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by bacuminnote | 2014-01-24 13:23 | 音楽 | Comments(0)

雪の粒になって。

▲ 一昨日お昼ご飯のあと片付けをしながら、夕飯の粕汁をこしらえた。二人暮らしになってじき二年になるのに、相変わらず大鍋でいっぱい作るから、何回も温めて食べることになるんだけど。(っていうか、それも目的)

▲そういえば、年末に会った相方の旧友で 一人暮らしのm氏も粕汁は「大きな寸胴で大根は一本使って作って、ほんで一週間食べ続ける」って言うてたなあ。
こういうのはいっぺんにたくさん作ったほうがおいしいし、何回も火ぃ入れてどろっとなったんもまた旨い。

▲とはいえ。「ええっ!一週間も食べるん?」と料理上手だがモノグサでもある いかにもm氏らしい発言に、皆で大笑いした。でも、おんなじもんが毎食一週間続こうが、自分の食べるものを自分でおいしくこしらえてるm氏、かっこええなあと思う。

▲ というわけで、わが家も昨日は三回目になる粕汁を強い味方に、夕方から一人で京都まで出かけた。
しつこいようで申し訳ないけど、ちょっと度をこえた方向おんちやから 道に迷わへんかという恐怖で(←おおげさ)元々の出無精に拍車がかかるという循環ゆえ(あ、でも別に「悪」循環とはおもってない)家からほぼ2km圏内生活をしてるのだけれど。
そんなわたしにも腰をあげることがたま~にあって。昨日はなんと京都に、しかも「夜の部」という難易度の高い外出となった。(どきどき)

▲ 行き先は旧日銀京都支店。
地図でみたらなつかしい場所の近くで。あまりにわずかな期間やったから恥しんやけど(苦笑)そのむかし四条烏丸の○○ビル(忘れた)にあった英会話の教室に通ったことがあるんよね。

▲なんでちょっとの間やったかというと、河原町から歩いてその教室に行く途中に錦市場があり(ここに「冨美家」という当時珍しい女性客専用のおうどんと甘いもん屋さんがあって。そのすぐ先には皆が「ななし」と呼んでいた「名前のない喫茶店」というロックやフォークのレコードをかける気に入りの喫茶店があったのが、続かんかった原因やと思ぅてる。(←責任転嫁)

▲地図の上のなつかしい「通り」の名前に、その頃のまちが浮かんできて。もう40年も昔の話やのに、ちょっと甘いおつゆの鍋焼きうどん「冨美家鍋」やかき氷。「ななし」の開店を待って悪友と座った階段とか、あ、そういえば珈琲のイノダもあのへんやったな~と、次々うかんできて。ああ、今回のお出かけは楽勝かも、と思うのであったが。

▲ 目的は旧東ドイツ出身のピアニスト、 ヘニング・シュミート(以前ここの追記にyoutubeリンクしたことあります)のコンサート。会場の 京都文化博物館別館は元・日銀京都支店(辰野金吾設計・1906年竣工)ホール。重厚で落ち着いたふんいきはヘニング・シュミートのピアノにぴったり。季節でいうたら冬。天気でいうたら雪、の人のピアノをあちこちで雪の舞った、積もったというその日に聴くことになった。

▲6時半の開場に相方が「ここ何時頃出るんや?」と聞くので「4時」と答えたら「えっ?そんな早うから出るのか」と呆れられる。このひとには、どっかに出かけるとき、場所や電車調べに余念がないわたしは「お、ニューヨークにでも行くんか?」とよくからかわれるのだけど。友人にこぼすと、そう言われたら「ベルリンまで、と応えよう」とすばらしいアドバイス(笑)

▲ お隣さんに用事で寄ったら「今日はものすご冷えるらしいよ。持ってる服でいちばん温いの着て出かけてください~ってテレビで言うてはったで。温うして行きや~」と聞き、服装計画も練り直し(おおげさ)ようやく夕方になって出発。
駅の近くでいつもの方からビッグイシュー買って(今回は加古 里子さんのダルマちゃんとてんぐちゃんが表紙→)「いってらっしゃい」と送られて。なんやわたし、ほんまにベルリン行きみたいやなあ~

▲ さて、この日車内で読んだのは、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著・くぼたのぞみ訳『アメリカにいる、きみ』(でも、この本のこと書き始めたら京都まで行き着きそうにないので、またこんどにします)

▲四条烏丸で降りて路上にでると、道むこうになつかしのパン屋SUZUYAの看板が見えて。久しぶりの町で旧い知り合いに出会ったみたいに、ほぉ~とする。わたし、ここのカスクートが大好きやったんよね。
今もあるやろか~あ、でも道向こうに渡って迷ったらあかん。

▲ 今日の目的は文化博物館や~と頭にたたきこんだ地図(念のためノートに地図コピーも貼り付けてきた)を思い起こしながら、高倉通りを行く。昔ながらの京都らしい静かな通り。紙屋さん、文具店、ユニフォーム屋さん、京人形の店、宝飾店その間にガレージ、法衣佛具店がならぶ。

▲観光客みたいに右みて左みて、たのしんでたけど。もうそろそろ着いていいはずなのになあ、と不安になって若い女性に聞いたら、指ささはった先にレンガ造りの建物がみえた。道向こうにはパンのPAULだ。お、今日はパン屋づいてるな。夕食はあそこで大好きなセイグルとスウプにしよか。

▲ ホールにはおだやかなオレンジ色の灯りがともり、スタッフが準備してはるようだった。
じゅうぶん余裕をもって出てきてるから、開場までまだだいぶある(苦笑)別館から本館になんか迷路みたいな廊下通って出ると、りっぱな(明るすぎる)本館の玄関ホールが現れた。

▲そうしてわからんままにぐるぐるまわってたら「ろうじ店舗」という江戸末期の京の町屋再現というお店が並んでて。うう~む。時代劇のセットみたいな作りもんはなあ・・とか思ってるうちに、PAULへの戻り方が分からなくなって。仕方なく作りもんのろうじの中の店の一軒に入って、夕飯。ふうう。

▲時間がちょっと早かったこともあるけど、お客さんがだれもいなくて。
「どうぞ、どこでもお好きな席で」と言われても、一人で広いテーブル席に座るのも気が引けて。結局カウンターの隅っこにて湯葉カレー丼とやらをぼそぼそ食べる。あああ、こんなことやったら、早めでも家で粕汁の温めたんや厚揚げと三度豆の炊いたん、菜っ葉で、すませてきたらよかったなあ。

▲店員さんは感じよくて、お茶のおかわりをいれながら「どうぞごゆっくり~」と言うてくれはったけど。喋る人もおらんし、ご飯もめちゃ少なかったから(外食すると、普段いかに大食らいかよくわかる)あっというまにお茶碗は空っぽになったし。しかたなくお店を出て別館に戻って開場を待つことにした。

▲だれもいてへんかなと思ったけど、わたしみたいに気の早いひとも何人かいてはって寒風のなか待つ。(本館と別館の間の中庭みたいなとこ)寒いなあ。でもヘニング・シュミートの音楽は冬のイメージやしなあ、この感覚はだいじかも~とか、あほなこと結構真剣に思ったりしながら待った。なんと前から3人目。そのうち次々人が集まって列ができる。

▲ 6時半、ようやく開場。
太い丸柱に壁の白。高い高い天井。古い照明器具の灯りもやさしくて。おとこまえのグランドピアノ(←なぜか男性名詞)がしずかに座ってる。待ったかいあったなあ。こんなとこで聴けるんやなあ、とここに至るまで、おおさわぎした時間がいっこも「おおげさ」でなかった気もして。迷いながら、一番まえの席に座った。

▲そして、開演。シュミートさんが登場。笑顔がすてき。お話は英語だったのでわかったような、わからんような。けど、ええ人やなあと思った。せやかてね、聴衆にthank youって言うときも、ほんまに心からありがとうって言うてはるのが伝わって、思わず椅子に座ったまま おばあちゃんみたいにお辞儀を返してしまう(笑)

▲ 演奏が始まると、ホールの空気がとたんにぴーんと張る。
ピアノの一音一音が雪の粒になって、きらきら光って飛んでゆく。地面をころがる。
開田村に降ってた雪みたいに、さらさらしたパウダースノウ。
なぜか黙々と雪かきしてるところを思い出す。雪まみれになってスコップをふるっているところ。くたくたになって雪の上に大の字になって寝転び雪原に沈みこんでいるところ。
灰色の空。だれも通らない道。どこも真っ白。
雪が降ってると、しーーんという音がするんよね。

▲今年春で大阪にもどってきて10年になるんだけど、親子でしょっちゅうスキーに行ってた頃のこと、かいてもかいても降り積もる雪や、かちんこちんに凍った雪をツルハシで泣きながら割った日々、子どもと雪あそびの時間も。なにもかも、ぜんぶ。自分のなかに、いつまでも溶けることのないたいせつな雪の箱がある、とおもった。

▲シュミートさんご自身、長い間雪に覆われる旧東ドイツのエルツ山脈の地方で9歳まで過ごしたそうで。
外は吹雪いてるのに、家の中に入ったら薪ストーブのぬくもりが待っててくれるような。温かいピアノは、シュミートさんゆえか。
気がついたら、じぃっと目をつむって聴いていた。

▲せっかく一番前の席で、すてきな演奏者がすぐ前にいてはるというのに。
そう思うのに、また新しい曲がはじまると「雪を見よう」と目をつむってしまう。
『ダ・カーポ』の記事に「会場に雪を降らせますーー ヘニング・シュミート来日。」とあったけど。
ほんまに雪、降ってきた。

*追記
その1)
2014年はじめてのブログです。
新しい年を子どものときみたいに、まっさらなきもちで「おめでとう」と言えなくなってひさしいけれど。
おだやかに、すこやかに、にこやかに、佳き一年となりますように。
今年も笑顔でまいります。どうぞよろしくおつきあいください。
前にも書いたけどわたしのすきな福寿草の句をふたたび。
『咲くことは笑ふことにて福寿草』(鷹羽狩行)

その2)
今回は本のこと書けなかったけど、もう一冊いま読んでる『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著 医学書院)のことを少し。以前からよく見ている「マンモTVインタビュー」→が今回この小児科医・熊谷晋一郎さんで(#332 人生の指針とは何かと問うとき、多様でありえる自立が始まる)はっとするところや、考える種がいくつもあってさっそく本を読み始めました。著者が言語化する身体やその動きがじつに哲学的で、興味深いです。そしてこれまで自分のなかにあった身体観がいかにうすっぺらだったか気づきました。
というわけで、このインタビュー記事ぜひ~

その3)
今回は、やっぱりこれを聴きながら。
"Henning Schmiedt - meine Hand und deine Hand

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by bacuminnote | 2014-01-11 23:30 | 音楽 | Comments(0)