いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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知ること。話すこと。

▲ ここ大阪でも真っ白な数日やったし、かの地はドカ雪やろうな・・と思っていたけど。いわゆる豪雪地帯でないところまで大雪だったそうで。ネットに次々寄せられる「地元情報」に、やがて多くの点が線となって被害の大きさが見え始めて。
はじめ自分が想像してたのより、もっと広い範囲の深刻な被害にことばをうしなう。日頃は元気な若い人でも、この厳寒期 大変な状況下で身動きがとれず消耗してはるやろう。ましてお年寄りや心身に持病のある人、治療や投薬の必要な人たちの不安はさぞかし、と思う。昨日からやっと国も動き始めたようだけど(遅すぎ!)どうぞ、どうか、みな怪我なく体調を崩すことなくぶじ救出されますように。
 
▲ 災害のニュースをみているといつも気になることがある。
それは救援物資のたべもの。昨日も「やっと届いた!」という、おにぎりや菓子パンの写真をみながら、ああ、よかったなあ、という安堵のきもちと、アレルギー患者の子ども(大人も)にも食べられるもの、あるのかなあ~という心配が入り交じる。
そういえば、子どもがちっちゃかった頃は、出先で食べるものが何もなかったときのために、いつもバッグにお茶とおにぎり(中になにも入れてないただの塩おむすび)や、さつま芋の焼いたんとか、何か「食べられるもの」を入れてたなあ、と思い出す。患者にとっては「自助の備え」も必要だけれど、それさえも失くすような災害時にはどうしたらええんやろと思う。

▲ 悲しくやりきれない給食での事故もあって、最近は、ときに命にかかわることもある食物アレルギーとその患者のことも少しは理解されるようになったけれど、まだまだ単なる好き嫌いや、贅沢、わがままみたいに思っている人も多く。ましてこういう緊急事態に行政の配慮は期待できるのか。
日本小児アレルギー学会では3.11の震災後『災害時のこどものアレルギー疾患対応パンフレット』を発行しているようで。→ここに「食物アレルギーのこどもたちへの配慮のお願い」という項目があって、「お世話される方々に」「周囲の方々に」「行政の方々に」それぞれに向けて配慮してほしいことが、たとえばこんなふうに書かれている。

たとえ貴重な支援食であっても、原因物質が含まれていれば患者は食べられませんので、周囲の方々への周知をお願いします。
配給や炊き出しをする側から、その都度「食物アレルギー患者はいませんか?」「アレルギーで食べられないものを教えてください」などと積極的に声がけをしてください。

▲どんなことでも「知って」対応するのと「知らない」で対応するのとでは、物心両面で大きな違いがあると思う。
おにぎりひとつでも海苔や昆布を巻かない、中に具を入れない、ただの塩むすびだったら食べられる子(人)も多いんよね。でも、なかなかコンビニでは売ってないし、災害時の配給食でも具のないおにぎりがなくて困った、というアレルギー患者の親の声を何回か目にした。
でも、なんかね、こういうことを言うたり、書いたりすると「めんどくさいなあ」って顔しはる人がいてるんやけど。そんで、若いときのわたしは、子どもが食物アレルギーで周囲に世話をかけることに「すんません」と思う気持ちがいつもあった。あ、もちろん配慮がうれしくて「ありがとう」のきもちはあるけど、くわえて「迷惑かけてごめんなさい」みたいな。

▲でも、そんなことでうじうじしてたら、命にかかわることもあるんやから、とあかんたれのええかっこしいの自分(苦笑)を奮い立たせて、保育園でも小学校でも担任や校長、保健室の先生、栄養士さん、給食の調理員さん(ウチの場合はキホン家からすべて持参していた。「鍋かこみ給食」なんていう小さい学校ならではの楽しい給食のときは事前に話し合って、みんなと一緒に鍋を囲んだ)やお母ちゃん友だちと、本を持って行ったり(園や保健室でも購入してくれはった)何度も何度も話した。そのうち、自分ですること、してほしいこと、がはっきり言えるようになった気がする。友だちはもちろんのこと、センセたちとも未だにええ感じにおつきあいが続けられるのは、みなさんのやさしさや誠実さもさることながら、そのころ 共に学んでたっぷり話した時間のおかげやなと思ってる。

▲病気にしろ、障碍にしろ、いや、身体のことだけでなく、家庭の事情にしろ、自分の身に何かあるとその問題について考えたり、専門家の意見を聞いたり、また本を読んで調べたり、知識も得て、問題はぐんと「近く」なるけれど。「知らない」うちは自分とは「関係ない」でスルーしてしまうことが多い気がする。
家族や友人、だいじな人が抱える問題や病気を知って、今まで「当たり前」と思ってたことが「たまたま」のこと、やったんやなあと思う。たしかに当事者でないとわからない痛みはあるけど、自分とはちがう他者との関わりは「知る」ことで、そのキョリを縮め、想像することはできると思う。
この前も書いた熊谷晋一郎さんの『リハビリの夜』のことばをもう一度。

そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係は細かく分節化され、深まっていく。それをわたしは発達と呼びたい。



*追記

その1)
熊本日日新聞(2005.9.22)に、こんな記事がありました。『災害時のアレルギー患者対応 自治体の認識まだまだ』→

『アレルギー支援ネットワーク』「アレルギっ子の災害対策」

その2)
今回は『本当はひどかった昔の日本 古典文学で知るしたたかな日本人』(大塚ひかり著 新潮社刊)の紹介をするつもりで書き始めたのですが。残念。例によってたどり着けませんでした(苦笑)
人間って昔も今も『放っておくと自己中心的で残酷な生き物』っていう作者のことばに大いに共感。そりゃ、便利を得るために捨てたものはめちゃいっぱいあって、そういう意味では「昔はよかった」になるのですが。
そのときはそのときで、後々の事を考えずに当時の「便利」に走ったかもしれず。
キホン、人間ってサイテイなのかもなあ、と痛感するこの頃です。でも、少しはええとこも、かいらしいとこもあるんよね~(と、信じたい)。
戦争や差別にむかわないためには、耳ざわりのええことばに騙されない、しっかり学ぶ、知る・・かなあ。
いろんなことを考えて、いつもいきつくのは教育なのですが。(学校だけでなく家庭や社会ぜんたいの)

この本の書評→『「昔はよかった」幻想の罪と罰』(稲泉連)『波』2014.2月号より


その3)
前々回『リハビリの夜』のことを紹介したら「図書館で借りて読んだ」「買いました」と、いろんな人から反応があり。うまく書けへんで落ち込んでたけど、本を何人かのひとたちにバトンタッチはできたんや~とうれしかったです。息子1の小学校のセンセ(とは呼ばずNちゃんって、みな呼んでたんだけど)は「ブログ読みました!」とひさしぶりに電話くれはってカンゲキ。現在は福祉施設の職員であるNちゃんが現場で思ってること、人との関わりのなかで思うことなど、本の話から始まっていっぱい。
まえにも書いた気がしますが、ウチの子は二人とも「学校に行ってない」時間が長いです。(このことはそのうちゆっくり書きたいと思って、早や幾年・・)
それでもなおセンセたちと、しかも子どもぬきで繋がってゆけるのっておもしろいなあと思う。それは子どものおかげ、センセのおかげ~というのもあるけど、↑にも書いたように、やっぱり一番はお互いに「よく話してきた」ことかな~と。

その4)
どうも追記がだらだら長くてすみません。
このまえTwitterのTLでジャニス・イアンの"at seventeen"にリンクはってくれた人がいて。すっかり歳とらはったジャニス・イアンの歌う「十七歳の頃」に聴きいりました。
その後、こんどは映画『十七歳』(フランソワ・オゾン監督)の予告編みたら、劇中フランソワ・アルディのうたが何曲か使われてると知りました。もはや十七歳からは、わすれてしまうほどうんと遠くに来てしもたけど。わすれることのないmy 十七歳のころ、ではあります。
このうた↓は映画で流れた曲ではないのですが、ひさしぶりに、やっぱり歳とらはった彼女の歌に、しみじみ。
Francoise Hardy- Pourquoi vous? 
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by bacuminnote | 2014-02-18 15:34 | 音楽 | Comments(0)

なんども、なんどでも。

▲ 今年も誕生日がきて、この間ひとつ歳をとった。長年の癖で誕生日にはカレンダーに◯印付けておくんだけど。やっぱりアピール力なかったなあ(苦笑)。
それでも、近く遠く、女ともだちや姉たちからお祝いしてもらって。いつもは殺風景な玄関に、いまはお花がいっぱい咲いて。そこだけ春!
「歳とったら誕生日なんかどうでもええやろ?」と息子らは言うけど。いや、むしろ若いときより「おめでとう」と言うてもろぅて弾んでる気がする。

▲ そのくせ自分が主人公になる場っていうのが相変わらず苦手で。お花をかざりながら一人照れている。
旧友があらたまって「よくぞ生まれてくれました」なんてメッセージくれると、わあ。いまさら、なんちゅうはずかしことを~とか言いつつ、内心ちょっとじーんときてたりするんよね。
ほっとかれると拗ねるくせに、だいじにしてもらうとどっかに隠れたくなる。
ええ年してほんま、いったい何やねん、キミ?と、自分で自分につっこみながら、ちっちゃい子どもみたいに贈り物を並べてはながめてる。ありがとう。

▲ 一昨日はダウンジャケットが暑くて、途中で脱いで歩いたのに。昨日はつよい風がふくたびに、体の熱が一気に奪われる感じがして足がすくむようだった。
大阪でこんな寒いのは初めてかもしれないなあ。道ゆく人もみな縮こまって早足で。歩道橋渡りながら、息子2のお産もこんな日やったなあ~と、雪がしんしん降る信州の夜を思い出しながら、ふっと上見たら一面それはみごとなブルースカイ。思わず「わあ!」と声がでた。寒くてずっと下むいて歩いてたら、気ぃ付かんかったんやね。たちどまって、深呼吸ひとつ。息のカタチに「おお、さむぅ」とまた歩き出す。橋のむこう、グレイのモノレール4両、青空を横切ってゆっくり走っていった。

▲図書館で 『12種類の氷』(エレン・ブライアン オベッド文/バーバラ・マクリントック絵/福本 友美子 訳 ほるぷ出版2013.9刊)という絵本を読んだ。
そのタイトルに惹かれ手にして、立ったまま読み始めたんだけど、そのうち傍の丸椅子に腰掛けて、読了。ひざの上で小さな本を閉じても、目を閉じても、その寒い村のようすが浮んで。なんだか目を開けたら夢がさめるみたいで、少しの間じっとそうしてた。

▲「12種類の氷」って何?っておもってたら、最初は「初氷」。左頁に文。右頁にはペン画。(表紙絵はカラーだけど中は白黒。この絵が周りの風景だけじゃなく、子どもの表情や服装もとてもていねいに描いててとてもいいかんじ)
初氷が見つかるのは、納屋においてあるヒツジ用のバケツの中   まくが、はったようにうすい氷で、さわるとわれてしまう。
弟がうすい氷の表面にちいさな両手をひろげて、すぐ上のおねえちゃん(この子が主人公)もさわろうとしてる。いちばん上のおねえちゃんは腰に手をかけて、のぞきこんでるんよね~もうこの場面だけで「寒いとこ」の話に弱いわたしは、わくわく。
頁をめくると『つぎの氷』。こんどはいちばん上のおねえちゃんが、もう少し厚みのある丸い氷を顔の前に持ち上げて、透かしてみてる。その後わざと固い地面に落としてこなごなに割れるのを眺める。やっぱり!そうくると思ったよ~子どものときのわたしも、ウチの子らも何度も何度もした遊び。

▲ こうして12種類の氷のいみが、少しづつわかってくる。そのうち畑が凍り、小川が凍り。お父さんは車で30分ほど走って大池に連れてってくれる。子どもたちは池の桟橋に結んであったスケート靴を履く。
かがみのような黒い氷に、青空や雲や水ぎわの木々がうつる。くるくるまわりながらすべったあとや、スケートぐつのブレードがキラっと光るのや、あたらしい手袋もうつる。
この場面がサイコー。
氷の下には底に沈んだ木の枝や、冬眠中のばけものみたいな魚が見える。後ろ向きにすべってブレードが氷の上をきざむ音や、寒さで氷の体積がふえてピシっと鳴る音がして。この辺りになるとじっと椅子に座って本を読んでられなくなる。そう。スケートはできないけど、おばちゃんは子どもになり、心は森の中の池に飛んでってるんよね。

銀のスピードが出るまですべると、肺と足が、雲と太陽が、風と寒さが、みんないっしょにきょうそうしているみたいになる』(p18~19「黒い氷」)

▲やがて夏に野菜を植えていた菜園が冬にはスケートリンクになる。
かつて暮らした開田高原でもそうやったけど、畑で作物がとれるのは秋まで。お年寄りのいるお家では夏の終わりから ぼつぼつ薪ストーブに火が入り、秋になると畑の作物はじきに霜でやられて、早い冬が今か今か、と出番を待ってる。
開田村で生まれ育った友だちも、むかしはスキーより畑につくったスケートリンクが遊び場だった、って言うてたなあ。畑に杭を打って紐をかけて木の枠をつくって、水をまき凍らせるんよね。

雪がふってきたら。リンクの氷をつくる。まずは雪をかためることからはじめる。これはおとうさんもおかあさんも、おにいちゃんもおねえちゃんも、弟も、みんないっしょにやる。ブーツの底で雪をふみつけ、シャベルでパタパタたたく。スキーをはいて雪をふみつける。』 (p23「リンクの氷」)

▲ この場面を読んでて、上の子が家のまえの雪原(牧草地)に雪をいっぱい集めて、ちいさな弟のために滑り台を作ってやったときのことを思い出した。雪ふる中、長靴で何度も足踏みして、水をかけたり、スコップでパタパタやってはソリを滑らせ、ならしてたっけ。
着ぶくれて、ころんころんになった下の子が、赤いソリの紐ひっぱってよろよろ歩き、おにいちゃんに「もいっかい」と何度も、何度でも滑らせてもらってた。
そういえば、この子が通った保育園の冬のもちものは、スキーウエアーと手袋とソリだったんよね。ソリというても買ったものやなく、肥料の袋に古着とか詰め込んで紐でしばったもの。保育園前の短い坂をそれでもヘビロテ(!)するもんやから、シーズン中 何回か破けるんだけど、そのときはまたご近所から空き袋もらって作る。

▲ 『12種類の氷』に話をもどそう。
家族でつくったリンク「ブライアンガーデンズ」は縦30メートル、横15メートル。「リンクができた!」の声は通りから通りへ、家々へとまたたくまにひろがって。みんな集まってくる。夕ごはんのあと、「わたしたち」が宿題をしてるとお父さんがみんなの滑ったあとのキズや窪みや穴に水を撒いて補修してくれる。その前に、お父さんはちょっとスケートして、二階の窓から見てる弟とお母さんんために、おどけてほうきを相手にワルツを踊ってみせたり、ホースの水を噴水みたいにして脱いだ帽子に入れて飲むまねをしたり。二階の二人の笑い声に「わたしたちも」宿題をやめて窓からお父さんのショーを見るのだった。やさしくておもしろくて。ええお父さん!
もう、こんな光景は「むかしばなし」になってしまってるかもしれないけど。寒い土地やからこそよけいに 親子の温かさがしみるようだ。

▲ しゅくだいが終わったあと、夜のリンクをおねえちゃんと二人ですべる場面もいい。
こんなことができるのも、自分ちのすぐそばでリンクがあるからやよね。
自然の贈り物。でも、寒いところには寒いところの厳しい現実もいっぱいあって、かんたんに寒いとこの、田舎の生活がすばらしい、とは言えない。それに、どんなとこでも、子どもは子どものたのしみをみつけるし、ね。
けど、田舎であれ都会であれ、子どものときに「お金で買えないもの」に接することは、とてもだいじなことと思う。いや、子どもだけじゃなく、大人だってそう。この前にも書いたとこやけど わたしも「いつまでも溶けることのないたいせつ雪の箱」もってる。

▲ さて、たのしいスケートの季節にも終わりは来て。
温かくなって氷もだんだん溶けてくる。「とけてきた氷」はとうとう「おしまいの氷」になって。冬の間になくした手袋やホッケーのパックや、スケート靴のカバーとか顔出して。さいごは、溶けることのない「ゆめの氷」が残るんよね。つぎにまたヒツジ用のバケツの中でうすい氷ができるまで。
ああ、なんてすてきな読書の時間。
本を読みながら、本の世界に入り、思い出の世界を行きつ戻りつして、またバケツの氷にもどった。
そして、いま、なんと大阪の空にもめずらしく雪!   
~息子の誕生日の朝に。

 
*追記
その1)
著者のHPを見たら、ご自身子ども時代にこんな経験があるようです。

「黒い氷」の挿絵がとてもいいです。これは絵のマクリントックさんのサイトから~上から二点目の白黒の作品→


その2)
きょうはこれを聴きながら。「カノン」by Janis Crunch & haruka nakamura
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by bacuminnote | 2014-02-05 15:47 | 音楽 | Comments(0)