いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

<   2014年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

さんしゅゆのきいろ。

▲大きな雨音で目が覚めた。
窓の外が薄ぼんやりと明るいのを確かめて、目を瞑ってみたけど眠れへんかった。きのう読んだ本、姉と電話でしゃべったこと、ホスピタルパーク歩くのが日課っていうあの人はがっかりしてるんやろなあ~とか。とりとめもなくあれやこれや思っていたら、それでもいつのまにか寝入っており。ふたたび雨音で目が覚めて、いちにのさんで起き上がった。

▲今日は洗濯日やのに。(洗濯はキホン二日に一回)「昨日はあんなにええ天気やったのになあ」と溜息つきながら庭の洗濯干し器を家の中に移動。
すっかりはだかんぼうになった梅の木にかわって、いつのまにか山茱萸(サンシュユ←恥しながらこの間まで知らんかった)のひかえめな黄色が雨の中、なんだかいとおしい。
あと一週間で4月やのに、ストーブと膝掛けの朝。外はつめたい雨ふりつづく。

『さようなら、オレンジ』(岩城けい/ 筑摩書房)という本を読んだ。ずいぶん前に図書館に予約してたもののなかなか来なくて、そのうち何故読みたかったのかも忘れてしまってた。だから、図書館のカウンターで手渡されたとき、オレンジ色のその装幀がちょっと好みやなかったので(すみません)なんでリクエストしたんかなあと思いながらバッグに入れた。

▲図書館のあと買い物をして、家に帰って、買ってきたものを冷蔵庫に入れて、洗濯物かたづけて。お米研いで、菜っ葉ゆがく大鍋にお湯沸かしながら、台所の丸い小さい椅子にすわってワインと相方の焼いたグラハム一切れかじり。「せやせや。あれがあった」と件の本を出して読み始めたんだけど。

▲ とまらなくなった。
日本人が書いた本だけど、舞台が外国ということもあって翻訳小説のようでもあり、映画を観ているようでもあり、物語の中に引き込まれる。ぱっぱとご飯つくって(苦笑)かけこむように食べて、大急ぎで片付けて、またつづきを読んだ。

▲『さよなら、オレンジ』は、オーストラリア(と思われる)田舎町が舞台。「追い立てられるようにして」「新しいすみかを吟味しているひまはなく」「生きる、それがなによりも優先され」アフリカから一家でここにやってきた難民のサリマは、いつのまにか帰ってこなくなった夫にかわり女手ひとつ、言葉もわからない国で働き息子ふたりを育てている。

▲ 職場は夫が辞めたスーパーの肉や魚の加工部門。朝の三時前には家を出て、白い作業衣に血を染ませながらひたすら肉や魚を捌く。あるとき、捌き方の教育係が彼女にたずねる。朝三時前に歩いてスーパーにむかうあんたをだれが見送ってくれるんだい?と。
だれもいなかった。息子たちは同じ住宅に住む友だちに連れられて学校に行く。彼女は「お月さま、霧」と答える。そうしたらその人がこう言うんよね。

そうかい。ひとりじゃないんだね。よかった
サリマはだれかに「こんなにやさしい言葉をかけられたのは生まれて初めて」で。
だから、この教育係を喜ばせたい「この女の望み通りに上手にむだなく、すべてを捌いてみせたい」と思うようになる。

▲必要最低限の言葉は習得できたし、職場には同じように国を離れた仲間がいる。けれど、サリマはここの言葉を理解するために、仕事の合間に学校へ行くことを決心する。
難民や移民には無料で英語の勉強ができる、と移民局の人が言ってたのを覚えていたけれど。夫がいるときは「女はバカだ」と言い続けていたし、息子たちの宿題のノートを横目に質問しても「母さんは英語なんて読めないじゃないか」とはねつけられて。

▲でも「いままで知っている苦しみはおそらく、自分がいかに駄目な人間かと思い知ることだったけれど、そんな自分にいつまでも馴染めなかった」から。「この尖った言葉をきれいに捌いてやろう」とサリマは決心するのだった。(尖った言葉というのは、ブロック体で書かれた角張ったアルファベット)

▲初級も中級も上級もなくごちゃ混ぜの教室で、サリマは自分と同じく英語を母語としない人たちに会う。一人は地元の男性と結婚して30年になるイタリア人女性、もう一人は大学で研究をする夫と当地に来た日本人女性。この二人は「お金や時間で解決できないなにかを求めているように」見えたんよね。

▲実はこの本にはもうひとりの主人公がいて、それがこの日本人女性(サユリ)で。
サリマの物語のあいだにこのサユリが恩師ジョーンズ先生に宛てて近況をしらせる手紙が挟まれて、自身のことや、彼女の眼からみたクラスメイトの印象が描かれる。この辺りの小説の仕掛け(というのかな)に、ちょっと戸惑ったけど、ばらばらに見えたピースも集まってくるとその全貌が少しずつ見えてくる。

▲ 教室ではなかなか英語は上達しなかったサリマだったけど、家に持ち帰ってアルファベットの書き取りや単語の穴埋め問題を、息子たちにばかにされながら、夜遅くまでかかって解く。
慣れないことに骨を折りながらも、知らない事への恐怖が知ることの喜びにかわるのを夜の静けさのなかで味わった
そうして、ある日の夕方サリマはスパゲッティを茹でていて、袋に印刷された「調理方法」が目に入る。そう文字がちゃんと読めたのだ!サリマの飛び上がらんばかりに喜ぶ姿がうかぶようで胸がつまる。
この前ここに書いた故アリス・ソマーさんのことばを思い出す。「学んで知るということは、誰にも奪われない財産を蓄えること。

▲ さて、日本では大学も卒業し英語の「読み書き」のできるサユリと、母語は部族語で、アラビア語も習ったことはあるが、学校には満足に通えなかったサリマとは、語学における能力の差は大きく、やがてサユリはその能力ゆえに大学内にある英語クラスを勧められ、二人は会う機会をなくすんだけど。あるアクシデントがあって(これは書かないでおく)思いもかけず彼女がスーパーでサリマの下で働くことになる。

▲そうそう。だいじな人を忘れていた。サユリのアパートの階下に住むトラックの運転手。彼は上半身に刺青の迫力満点の大男なんだけど、サユリがなやまされるべつの部屋のドラマーの騒音に一喝してくれたのがきっかけで、頼まれごとをもちかけられる。階段に新聞紙ひろげて座って、そこで新聞を読んでほしい、って。「音読」はその後も続いて、あるときは別れた妻と暮らす息子が読んでいたという『シャーロットのおくりもの』を。大きなからだのくせに涙もろい彼は「俺の息子はこんないい本をひとりで読めるのか」と言うてチャプターごとに泣くんよね。

▲ ことばって何なんやろ。
この本を読んでる間も、いや、前からこの問いかけはずっとあるんだけど。日頃、あたりまえみたいに母語をつかい、いや日本語しか使えないから余計に、考えてるつもりがいつのまにか忘れてるし、日本で暮らしてるから忘れてたって何の支障もなく日常は過ぎてゆく。でも、自分の母国語や母語(母国語が母語とは限らないのだ・・)を意識せざるを得ない状況や環境にあったとき、その問いかけの意味はとてつもなく大きいし深い。本書最後にサユリが母語を「祖国からたったひとつだけ持ち出すことを許されたもの」と語っていてどきんとした。
この本が第29回太宰治賞受賞作品だと、あとになって知った。著者は「受賞のことば」をこんなふうに書いてはった。

これから先永く異邦人でいなければならないと知ってから、足下のおぼつかなさを庇いながら歩くたび、たえず靴の底に入った小石のように私を苛んだのは、日々、異国語に吸い上げられていく母語、私という人間の軸である日本語が瘦せ細っていくことでした。
 多民族、多文化を背景にさまざまな価値観が息づく国に住み、英語特有の論理的思考を大事にする語順や表現のなかに、実直さや明確さを掘り起こしていく楽しみを見つけつつも、静かな低音のように終始一貫して私を貫く言葉は、やはり日本語でしかありませんでした。そこには深い霧につつまれたような模索の時間があり、迷い、羨み、失望することを繰り返してきました。
」(全文はここで→

▲p160あまりの薄い本で天地の余白も大きくて、あっというまに読んでしまったけど、 書かれてることも問いかけられることも深くて、重層的で。その「構成」に至っては本を閉じてからも考えてて(いまも続行中)容量の小さな頭をなやますことになった。
そして今朝はもう一度読み返し始めたんだけど。いやいや、そんなリクツは横においやって。本を閉じてからもなお登場人物が自分のなかでいきいきと動きまわってる。ほんまええ本読みの時間で。
外国での暮らしの経験のある友だちや知人(現在暮らしてるひとたちも)のことを思いながら、彼女たちの話をあらためて聞きたくなった。


*追記

その1)
■は、母語についてあるいは、母語以外の言語で書かれた本のことを書いた拙ブログです。
ジャミル・シェイクリー
イーユン・リー
母語がちがうカップル『いつもふたりで―Happy Old Two』

その2)
ブログ書いてるあいだじゅう雨。これを聴きながら。今日はどこにも出なかった。
Svante Henryson (cello) - Ketil Björnstad (piano)
Reticence

その3)
文中に書けなかったんだけど、ていうか、書き過ぎたらまだ読んでないひとのたのしみが半減するかも、とやめたのですが。やっぱり、これは引いておきたいので書き加えることにします。
サユリがスーパーの生鮮食品加工の求人をみて店員に尋ねたとき、自分の「言葉遣いとアクセントを耳にして、嫌な笑い方」をされたことについて、ジョーンズ先生への手紙に書かれた一節。

英語がこれほどまでに権力をもった現状において、この巨大な言葉の怪物のまえに、国力も経済力も持たない言語はひれ伏します。しかしながら、二番目の言葉として習得される言語は必ず母語をひきずります。私たちが自分の母語が一番美しい言葉と信じきることができるのは、その表現がその国の文化や土壌から抽出されるからです。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言葉を養うことはできません。そうして積み上げられた第二言語(私たちESLの学生にとっては英語)に、新しい表現や価値観が生まれてもよいのではないでしょうか。どんなにみっともなく映っても、あのような嫌な笑い方の報いを受けるべきではありません
(p77より抜粋)

[PR]
by bacuminnote | 2014-03-26 16:17 | 音楽 | Comments(0)

バスの春。

▲ 今日は天気予報が外れてぽかぽか陽気の午後になったので、春物のコートを着て出かけたんだけど。まだまだ風はつめたかったなあ。それでも背筋伸ばして ぱかぱか大股で歩いてるうち、温もった頬にその風もここちよくて。あわてて飛び乗ったバスの暖房が暑いくらいだった。あんまり早足で歩いたせいで、思ってたのより一本早いのに乗ってしもたから、バスはすでに満員で、座るとこないまま出発。

▲乗降口の冷たいポールをつかんで、息上がったまま扉の外を見る。わあ~この位置から見る景色は新鮮。バスで立ってるのなんて久しぶりやしね。
そういうたら、中学生の頃は(←いきなりえらい昔話に飛ぶ)バス通学で、わたしの住んでたとこは ぎりぎりバス通学が認められている地域やったから。わたしが乗る頃にはすでに席は埋まってて、いつもガッコまで立ったまんま。
ガッコに着くまでの間すきな子が鞄持ってくれたとか、バスが揺れて肩や手が触れたとか、言うてどきどきしてたことが、このわたしにもあったんよね~あはは。かいらしかったなあ。可笑しいなあ、って一人笑ってるうちに(←あやしいおばちゃんだ)目的の停留所に着いた。

▲ ここの病院は大きくて、コンビニにカフェや食堂、うどん屋に郵便局、医学書書店に美容院に理容院まであって。患者さんも職員も見舞いの人もいっぱいいてはって、まるでひとつの街のよう。元気でいると忘れてしまってることを思ったりしつつ、目的地に着いてなお道に迷うわたし~(苦笑)
ようやく病室に到着すると「おお。来てくれたんか~」と手をあげる友人。はつらつ笑顔にこっちが元気づけられる。

▲「ちょうど散歩に出ようかと思ってたとこやし」というので、デイルームに移りコーヒーを飲む。大きな窓越しにぽかぽか陽ざし。家族が来てにぎやかなテーブルあり、テレビに映るくだんの記者会見を見ながらお菓子食べてる人、電話で病状の報告をしてる人、ひとり窓の外をずーっと見てる人。
パジャマを着てなかったら、いつもとかわらない友人と、やっぱりいつものように、真剣な話も冗談も混ぜこぜ~話は自由自在(笑)あっち行ったりこっち行ったり。笑うて笑うて「ほな、またな」とわかれた。

▲ 病院からでたら、外の寒いこと寒いこと。
帰りもうまい具合に発車前のバスが停まっていて飛び乗る。この間からの心配が少しづつ溶けて、肩のあたりの力が抜けてくのがわかる。「ああ、よかったよかった」とおばあさんみたいに独り言いいながらぼーっと窓の外を眺める。小さい子とママ、学生、おばちゃん(わたし)にお年寄り。車内はええかんじに空いてて、温くてのんびり空気。五七五と指折りながらいねむりしそうになる。「バスの春 ツギトマリマスと子が真似て」

▲ さて、駅に着いて、買い物前に図書館に寄る。リクエストしていた 『モーツアルトはおことわり』(マイケル・モーパーゴ作 / マイケル・フォアマン絵 / 岩崎書店刊)がとどいてた。さくまゆみこさん訳の本は迷わず手がのびる。原題は ”The Mozart Qustion”ブルーが基調のきれいな絵本だった。
家に帰って買ってきたもの冷蔵庫に入れ、洗濯物入れて、お米しかけて、菜っ葉茹でる鍋に湯を沸かし、丸椅子に腰かけてワインとパン一切れ(相方の焼くグラハムブレッド)かじって、本を開いてみる。

▲物語の語り手である「私」は現在作家のようで。彼女がまだ若く、新聞社に入って三週間しかたってない新米の記者時代のときの思いがけない仕事の話から始まる。
世界的なバイオリニストのパオロ・レヴィへのインタビューに 怪我した上司にかわって、ロンドンからヴェニスまで行くことになった「私」。一年以上も説得しつづけて、ようやくOKをもらったというインタビューに、上司は「モーツァルトの件についての質問だけはしない約束よ。だから、それはきかないでね。わかった?うっかりきくと、インタビューが中止になるわよ」なんて言うんだけど。「私」はどういう意味か聞き返すこともできないまま、どきどきしながらヴェニスに飛ぶことになる。

▲ レヴィ氏の家に着くと彼自身がミントティーをいれてくれる。「私」は前もって何頁にもわたってノートをとり、質問だって何十個も考えてきたのに、本人を前にして何をどう言っていいのかわからなくなり。つい「あの、モーツァルトの件についての質問はだめだと言われました。どうしてかは知りませんし、モーツァルトの件そのものが何かを知らないので、質問のしようもありません」なんて「言うべきでないと思ってることを、べらべらと口走って」しまうんよね。しかも、そのすぐ後に、バイオリンを弾くようになったきっかけを問うてしまう。プライベートな質問もNGって上司に言われてたのに。
不機嫌そうに目をつぶってしまうレヴィ氏。「出て行け!」と怒鳴られるかもと思ったのに、彼は「秘密は嘘と同じだと言う人もいる。とうとうその嘘をやめるときがきたようだな」と「私」に父親のことを語り始める。

▲ レヴィ氏が子どもの頃、お父さんは床屋だった。
でも、ほんとは素晴らしいバイオリニストだったことをお母さんから聞かされるんよね。けどお父さんがリズミカルに鋏を動かしてるとこは知ってても、バイオリンなんて弾いてるとこ見たこともないし、第一何故いまは弾かないのか、お母さんに聞いても涙を浮かべるばかりで教えてくれなくて。
何度も聞いてるうちに、とうとうお母さんはたんすの上にかくしてあったバイオリンを見せてくれる。楽器に魅入られた彼はある日の夜、窓の外から聞こえるバイオリンの音に惹きつけられて、パジャマのまま音のする橋のたもとに出ていくんよね。そして、そこでバイオリンを弾いているおじいさんバンジャマンに出会う。

▲ ここは、わたしがすきな場面。
その昔、ケベックに行ったとき宿で、夜が更けてからも窓の外、ストリートでだれかが演奏してる音楽が近く遠くにきこえてきて、パジャマ姿の息子と階下に降りて行ったときのことをふっと思い出した。
そうしたら、あとがきに著者がこの本を書いたきっかけのひとつに、ある晩ヴェニスの橋のたもとで、男の子が三輪車にまたがってパジャマ姿で、辻音楽士の演奏に聴き入ってたのに出会ったこと、と書いてはって。なんか映画のいち場面みたいなそのシーンが浮かんで、なんとも愛おしいきもちになる。

▲そうしてレヴィ氏はそのおじいさんと親しくなって、おじいさんにバイオリンを教えてもらうために家からバイオリンをこっそり持ちだす。やがて、子どもの秘密は両親の知るところとなり。
ある日、おじいさんと両親が顔を合わせることになるんだけど、なんと三人は昔ナチスの強制収容所のオーケストラで演奏させられていたバイオリニスト仲間だったことがわかる。
なぜ収容所で音楽が?というと、ナチスはまずは自分たちの楽しみのために、収容所の中から演奏できる者を選んで演奏会を開き、そのうち汽車が到着するところで演奏させるようになる。汽車から降りるユダヤ人の恐怖を和らげ、見せかけの安心感を与えるという目的で。三人やオーケストラの団員はこのとき、何度も何曲もモーツァルトを演奏させられたという。

▲この前、ここの追記(その4)に書いたピアニスト故アリス・ソマーさんもホロコーストの生還者で。本の三人のように楽団で演奏させられたのだけど。彼女のいた収容所ではナチスが諸外国に対して
「収容所は快適であり、中にいるユダヤ人は幸せに暮らしている」と見せるための場所だったそうな。

▲バイオリンを続けることになったレヴィ氏は、しかし父親が自分の前では「モーツァルトはおことわりだ」と言う約束を守っていたんだけどね。その父親も亡くなり、自分の五十歳の記念コンサートでは形見のバイオリンでモーツァルトを演奏するつもりだ、と「私」に語る。「あの三人がどこにいるにしろ、喜ぶような演奏にしたい」。それから、かつてあのおじいさん(バンジャマン)が演奏していたように「音楽は路上のもの」だとも。そうだ!と思わずわたしは本にむかって言う。音楽は、芸術は、自由だ。
だれからも強制されず、まして制限や禁止されることもない。路上の人~ひとりひとりのものだ。
最後の頁には船着場で上を見上げ手を振る「私」と、それに応えて二階の窓辺でバイオリンを抱え弓を持った手を高くあげるレヴィ氏が描かれている。画面いっぱいのブルーがとてもきれいで、染みる。


*追記
その1)
本のなかに出てきたモーツァルトのメヌエットひさしぶりに聴いてみる。この音楽が「そんなことに使われていた」と思うとたまらない。
Mozart - Divertimento No.17 In D Major, K 334 Menuetto


その2)
今回のタイトル~
バスの帰り道はこの歌口ずさみながら~
曽我部恵一「魔法のバスに乗って」
[PR]
by bacuminnote | 2014-03-15 17:10 | 本をよむ | Comments(0)

「そらのみぢんに」

▲ 窓の外、いまにも降り出しそうな薄灰色の空に梅の紅がきれいな朝。
珈琲を飲みながら、相方とウチの梅は白いのと紅いの いつもどっちが先に花咲き始めるか、でモメる。(あほらしくてすみません)お互い自説を曲げないので話がおさまらず「それでは」と、このブログの過去記事を検索してみた。(←便利)

▲あった!2011.2.19の冒頭に「庭の梅も白いのは ほぼ満開で、紅いのは蕾が細い枝いっぱいについて、空の水色をバックにほんまにかいらしい。」と書いてある。
ん?つまり白いのが先(陽当たりがこっちの場所の方がいいらしい)ってことで、相方の説が正解とわかった。「いつも咲き始めたら、すぐに一輪挿しに生けてるからよう覚えてます!」なんてエラソーに言うてたひとは、ちょっとだけ声が小さくなる。

▲ ひょんなことから読み返した自分のブログだったけれど、そこには息子2の入試がぶじ終わったこと、義母のホームをたずねたこと、春を待ちながら日々のあれこれをよろこんだり、ふうとちっちゃなため息をついたり。なんてことのない日常が在って。

▲まさかあの大きな地震と原発事故が一ヶ月もたたない内に起きるなんて、思いもしていなかったし。あたりまえのように思っていたのどかな空気が、遠い日のことのようで、胸がつまるようだった。自然は人間の力の及ばないものだけど、原発はその人間が作ったものやから。再稼働なんて、輸出なんて。とんでもない。

▲ この間『死を想う われらも終には仏なり』(平凡社新書)という石牟礼道子:伊藤比呂美の対談集を読んだ。
2007年刊で、まだ伊藤比呂美さんには入院中で寝たきりのお母さん、自宅でひとり暮らしとなったお父さんがいてはって、カリフォルニア~熊本を行き来していた頃の対談だ。あとがきで伊藤さんはこんなふうに語る。

【親を見ていると、ふたりとも、格別死ぬということを考えているようには見えず、いつか死ぬだろうが、まあ今ではないというふうで、生きているのもつまらないが、死にたいわけではなく、死ぬに死ねず、死に方もわからない。】

【宙にぽっかり浮いているみたいに、日々をほそぼそ生きながらえて、どうもやはり、お迎えを待っているとしか思えないような生き方をしている。】

【自分のときは、ぜひもっと前向きに、死に取り組みたい。楽しく(というわけにはいかないだろうが)いそいそと死ねたらいい。それには、死というものについてもっと知らないといけない。死とはどういうものか。】

それで
【半生をかけて、死者を、病者を、書いてこられた石牟礼さんなら、ご自身の死えを見据えて、あけすけに語ってくださるのではないか】と対談の話をもちかけたらしい。

▲本書のさいしょの頁に対談中のお二人の写真があるんだけど、石牟礼さんのご病気(パーキンソン症候群)もあってか、声が届きやすいようにか、卓を挟んで向かい合うのでなく、すぐ真横に母娘みたいに 並んではるのがええなあと思った。
そしてつぎの頁~石牟礼さんはまえがきで「比呂美ちゃん」のことを

【彼女は家族たちを小脇にひっ抱え、デリケートな陽気さで、変容ただならぬ俗世に詩的なぐりこみをかけ、陣中突破をして来たかに見える】(p9)とあって。その「デリケートな陽気さ」という表現にじんとくる。

▲ 対談は老いと介護。病や家族、親しいひとの死、自死を考えたときのこと、戦時中のこと、『正信偈』(しょうしんげ)から『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)の歌の話へと繋がってゆく。
『梁塵秘抄』はかの「遊びをせんとや生まれけむ・・」がよく知られている平安末期の歌謡集。若いころそのリズムがすきでよく読んだけど、また読みたくなって物置から出してきた。

▲お経の「正信偈」の「偈(げ)」というのは歌(詩)だと石牟礼さん。むかし滋賀県で暮らしたころ、ご近所のお通夜の席にはいつも百軒近い字(あざ)の人等が集まって正信偈を読経したんだけど、そのとき長い詩をみんなで合唱してるような感じがしてたことを思い出した。

▲お経といえば、対談中 伊藤さんが『あやとりの記』(石牟礼道子著 福音館)を持参して、ここにおさめられているという石牟礼さんが創作したお経のような詩の話になるんよね。

【十方無量 じっぽうむーりょ
百千万億 ひゃくせんまんのく
世々塁刧 せーせーるいごう
深甚微妙 じんじんみーみょう
無明闇中 むーみょうあんちゅう

 流々草花 るーるーそーげ
 遠離一輪 おんりーいちりん
 莫明無明 ばくめいむーみょう
 未生億海 みーしょうおくかーいー】
 (『死を想う』p205第四章 いつかは浄土へ参るべき~より)

▲おもわず、くりかえし音読してしまう。「流々草花 」がきれいで哀し。
対談の最後のほうで伊藤さんに請われ 正信偈のようにこの詩を石牟礼さんが詠むところがあって。氏のやわらかな熊本弁まじりの声が聞こえてくるようで、しんとしたきもちになった。

▲二人とも「表現」においては激しく熱いものを持ってはるけど、やりとりは終始穏やかで。かと言うて交わされる話は、ときにどきんとするほど冷徹で深いんよね。お互いを思うしずかなやさしさを感じる。

▲そうして石牟礼さんから話を聞き出す伊藤比呂美(←突然よびすて・・苦笑)の「デリケートな陽気」にしみじみ。以前、講演を聴いたとき()にも思ったけど、「へんこ」のにおいはするものの(←ほめことば)ほんま やさしい人なんやろなあ。
なんかね、お茶碗もって隣に座ってお話を聞かせてもろてる気分で、話題はずっと「死」なんだけど。ふしぎにあかるい光のなか、途中いっしょに声もあげて「 るーるーそーげ」と言うたりしながら読み終えた。


*追記

その1)↑に書けなかったけど、心に残ってる一節。(p147より抜粋)

石牟礼 【生命って草木も含めて、あなたがよくおっしゃるけど、風土に満ち満ちている生命、カニの子供のようなものから、微生物のようなものから、潮が引いていくと遠浅の海岸に立てば、もうそういう小さな者たちの声が、ミシミシミシミシ遍満している気配がするでしょう。そういう生命ですね】

伊藤 【それに対して感じる気持ちは、畏れ?】

石牟礼 【畏れというか、融和しているというか、自分もその小さな生命の中の一つで……。宮沢賢治にありますね、「このからだそらのみぢんにちらばれ」(詩「春と修羅」)というのが。それと「宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」(「農民芸術概論綱要」)というのにもありましたし。(以下略)】


その2)
この本が出てから、伊藤比呂美さんのお母さんもお父さんも亡くならはったそうで。
新刊『父の生きる』(未読です)帯のことば~

【父の悪いところばかり見えてくる。 しかしそれは父の本質ではなく本質は老いの裏に隠れているのだ。
父の本質は私を可愛がってくれて自分よりも大切に思ってくれて 私がたよりにしてきたおとうさんだ。】

その3)
60年前の今日は(これを書いてる3.1)アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験をした日。
遠洋マグロ漁船 第五福竜丸は多量の放射性降下物(死の灰)を浴びて、無線長の久保山愛吉さんはその半年後に亡くなる。
【「久保山さんのことを わすれない」と人々は いった。
 けれど わすれるのを じっとまっている ひとたちもいる。】

絵本『ここが家だ  ベン・シャーンの第五福竜丸』より(アーサー・ビナード文/ ベン・シャーン絵/集英社2006年刊)

その4)
ピアニスト、アリス・ソマーさん(先日110歳で亡くなられたそうです)のドキュメンタリー の予告編。
インタビューにあった言葉が忘れられません。
【学んで知るということは、誰にも奪われない財産を蓄えること】
Alice Herz Sommer - The Lady In Number 6

[PR]
by bacuminnote | 2014-03-02 17:10 | 音楽 | Comments(2)