いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2014年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

空も、すがしき。

▲ もうじき6月やというのに、家の中はひんやりとして、いつまでも冬とあまり変わらない格好ですごしてる。せやからね、出かけるときは必ず上着1枚減らして、レッグウォーマーも外して(←あたりまえ)行くんやけど。ちょっと歩くともう汗ばんで、明日こそ、もうちょっと薄着にしようと思うのであった。
街ゆくひとの夏服の爽やかさに思わず立ち止まり、振り返っては眺めてる。
すゞかけもそらもすがしき更衣』(石田波郷)
そんなわけで、たいてい買いもんの帰り道は ふうふう言うて、さっき通ってきた居酒屋の生ビールのポスターがちらちら浮んで「とりあえず生中(なまちゅう)!」なーんて注文するとこを夢想しながら(←我ながらあほらし・・)坂道をのぼってる。ああ、しんど。

▲この間 とあるインタビュー記事を読んでいたら「優勝劣敗」という熟語がでてきて、はっとする。見慣れぬこの言葉は、しかしその昔わたしが通った小学校校歌に出てきた忘れられない言葉。
壊されて久しいけど、小学校は古い木造のお寺みたいなものすごいりっぱな校舎で、とりわけその広ーい瓦屋根はすばらしくて。放課後ガッコ裏の山に登っては子ども心にもすごいなあと思ったものだったが。
校歌もまた古かったのである。
曲調も軍歌とか寮歌みたいで、歌詞は子どもにはまったく意味不明だった。わたしは入学前から姉3人に教えてもろたり、母と授業参観に着いて行ったりもして、何度も耳にはしてたけど。まるで外国語のように響いていたんだろうなと思う。

▲ いつやったか、姉たちと集まったとき、この歌の話になったものの誰一人正確には覚えてないことが判明(苦笑)
金峯の峰は雲を吐き 吉野の流れ岩をかむ 天地自然の活動は 千秋万古たゆみなし これぞ我等の教訓(おしえ)なる いざや学ばんもろともに
「くもをはく」も「いわをかむ」も、小学生には難しすぎ~「せんしゅうばんこ」なんていうのになると、わたしは「選手の番号」と、なんとなくゼッケンを想像していたんよね。姉たちも然り。みな自分の中のイメージに頼って歌ってたみたいで大笑い。
そういえば『野ばら』の歌詞を長いこと「野中のばら」ではなく「夜中のばら」だと思ってたという向田邦子さんの有名なエッセイがあったっけ。

▲さて、前述の「優勝劣敗」がでてくるのは二番目。これはもっと難易度が高くて。
世界の事物何ものか 日進月歩ならざらむ 我等優勝劣敗の 競争場裡にたたんもの いかでおくれを取るべきか いざや きたえん心身を
今これを書きながらも、こんな歌詞を意味もわからないで小学生が歌ってたんやなあ~と複雑な思い。調べてみたら小学校は明治のはじめに開校。この校歌は1917年(大正6年)に制定されたらしい。つまり第一次世界大戦(1914~1918)の間のことと知って、唸る。

▲ちなみに「優勝劣敗」とは「力の強い者が勝ち残り、劣っている者が負けること。特に生存競争で強者・適者が栄え弱者・不適応者が滅びること」(大辞泉)とあって、再び唸る。
記念文集を読むと、この難解な歌詞の校歌がなつかしいと書いてる昔の卒業生が何人もいてはって。わたしの祖父も父も、叔父叔母たちもみな、わたしが子どものときのように、やっぱり(意味もよくわからずに)無邪気に歌ってたんやろなあと思う。

▲ところが、六年のとき学校は統合されて新しい校歌が誕生するんよね。(よかったぁ・・)
こんどの歌は曲調もまったくちがって歌詞もまた 竹中郁さんによる明るい歌だった。それで、統合された三校合同の校歌発表会で六年生が合奏することになって。
わたしは「おはよう、みんな~はげもう、みんな~」というところがすきで、ガッコ帰りに友だちと歌ったり、家でも何度も自分のパート練習したことを思い出す。発表会のあともしばらくピアノで弾いたり歌ったりしてたんやけど。
それでも六年生の一年間だけのことやったからか、いま覚えてるのは「おはよう、みんな~」のとこだけなんよね。ほんま、記憶ってどうなってるんやろなあ。
ユウショウレッパイの方はいっこも忘れてへんのに。




*追記 相変わらず長くてすまんです。

その1)
この間ふとカレンダーみてびっくり。25日で、パン屋やめてここ大阪に越して10年。わあ、もう10年にもなるのか~考えてみたら引っ越してきたとき、わたしはまだ40代だったんよね~(最後の年とはいえ)
「パン屋のおばちゃんから、ただのおばちゃんになります」・・なぁんて書きながら、なんか、ずっとすわりの悪さの中にいて。"Who am I ?" をくりかえしてた。夢中で小説を書いた、書こうとした時間もあった。(←過去形にしてええんか?・・)義母のことにいっしょうけんめいやった時もあった。子離れにあえいだときもあった。そんなこんなの うろうろ落ち着かん10年やったけど。どの時間もなかなかええ時間やったなと思う。何より、どこに在っても
いつも温かい隣人と友にめぐりあえて。そしてこの10年間ネットを通してであった人たち。じっさいに会えた人も、まだ会えないままの人も。世界ひろがりました。おおきにです。
さて、来年は暦がひとまわりの年。おばちゃんは、どんな道歩いてゆくんやろ~。

その2)
例によって書きそびれた本のこと。
絵本
『古くて新しい椅子~ イタリアの家具のしゅうりの話』
(中嶋浩郎 文/ パオラ・ボルドリーニ 絵/ 福音館書店)
イタリア・フィレンツェに住む10さいのマルコは、身長が伸びてきてこれまで使ってた机が小さくなります。
お父さんは、家にマルコにピッタリの机があるよ~とものおきにマルコを連れて行き、こわれた時計やおもちゃや埃をかぶったテーブルの中から、古い机と椅子をみつけ運び出します。椅子にはってあるワラはボロボロ。机の引き出しもひとつ足りないし、足は欠けてるのもあって。もちろん塗装もすっかりはげています。
お父さんは家具修理の職人パオロさんのところをたずねます。

さあ、そこで机は(読者が想像通りに)よみがえるわけですが、こんなだろうなとその過程を想像するのと、見るのとは大違い。もちろんわたしら読者は直接見ることはできないんだけど。
伝えられた、伝えられてゆく技術に、ひとつひとつの行程に目を見張ります。
そうか~椅子のワラはこんな張り方をするんだ~ 引き出しの把手は(これは金具職人のランベルドさんちに持ち込まれるのですが)こんなふうに作られるんだ~と、その「再生」のさまは感動的です。

椅子やないけど、姉にもらった麻のスーツ(20年近く前のもの)の上着が小さくなった(いえ、わたしが大きくなった!)のと、デザインがちょっと古くなったので、この間リフォームやさんに持って行きました。ここでは古いけど大事にまだまだ着たい服をなんども再生してもらっています。いつもながら丁寧な仕事で、ジャケットは生まれ変わり。感嘆。こういう腕をもつひとに、不器用を絵に描いたようなわたしはしんそこ憧れます。すごいなあ。すごいなあ~と思いながら、うれしくて、袋いれてもらうの断って、ちょっと暑かったけど(苦笑)着て帰りました。

その3)
今回書いた校歌のことを考えるきっかけは「蛍の光」の三番以降の歌詞を知ったこと。→wiki 「歌は世につれ世は歌につれ」っていうけれど。
かんたんには、つれられていったらあかん、と思う。

その4)
詩の意味、ということで、前に書いた「朗読」のことを思い出しました。 ↓ブログ最後のほう、辺見庸氏『永遠の不服従のために』の辺りから読んでみてください。

その5)
今日は繰り返しこの歌聴いて、ちょっとセンチメンタルな時間。
Over The Rhine - All My Favorite People
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by bacuminnote | 2014-05-28 20:39 | 音楽 | Comments(0)

五月はえんそく。

▲ その日は朝から薄暗くてひんやり。ごみ出しに行って、ご近所さんに「お昼からは雨降るみたいやよ~」と聞いて「ほな、今から」と思い立って出かけることにした(笑)
閑人なんやから、わざわざ雨の降りそうな日に行かんでも~という声が聞こえてきそうやけど。
予定とか約束とか苦手なほうやから 朝起きて気分がよくてお昼に食べるもんが何かある日(昼の支度せんでもええ日)1人ふらっと出かける~というのが気楽ですき。でも、そんなんやから行き先は近所。つまり、例によって「あそこ」ってことになるんやけどね。

▲ 今回の目的はみんぱく(民族博物館)やなくて 大阪日本民芸館。ちょうど割引券もあったし、折りたたみ傘とクラッカーと白湯(←この日はお茶沸かす時間がなくて!珈琲淹れたのこりのお湯があったのを・・・苦笑)もって、出発。
わたしのイメージでは平日やし、今にも降り出しそうな曇り空、人も少なくてしずかな万博公園~やったんよね。でも、家を出て駅に着いた地点で読みが甘かったことに気づく。そう。5月は「えんそく」の季節であった。

▲ 電車の中でも、駅下りてからも、いくつもの子どもの団体さんに会う。黙ってる子はおらんのか?というくらい皆口々になんかしゃべったり叫んだりしてる。
そんな小学生に囲まれるようにして、ぞろぞろ駅の坂をくだる。その昔はいつも人がいっぱい並んでた遊園地前~閉園の後は農園?になり、いまはそれもなくなり更地になってひっそり閑として。
売店の前を通ると、ソフトクリームの看板に子どもらはお決まりのセリフを大きな声で言う。「センセ。アイス買(こ)うてー」。ここ、帰り通るときには、水筒も空になって「センセー。ジュース買うて~なぁ」に変わるとこでもある(笑)
今にも走りだしそうに、うれしいてたまらん、という子や、つまらんそうに たらたら歩いてる子。うるさい男子におこってる女子。そんな弾けるような若い空気(ちょっと若すぎるけど)を吸うてたい気もしたけど、だんだん耳がきんきんするので、コースからはずれるおばちゃん。

▲ とはいえ、入園するや幼稚園、保育園、小学校、それから中高年各種小団体さんやら結構な人出。それでもそれ以上に公園は広いから、みなさんあちこちに散らばってゆく。
そうそう、この時期はバラ園の季節でもあった。色とりどりの薔薇の間、写真撮ってはる方の間をぬって歩く。パークロイヤル、フラワーガール、マスケラードにペール・ギュント、ゾリナに天津乙女。毎年のことながら、薔薇のなまえはおもしろい。

▲ふと、バラ園の前のモニュメントで足が止まる。何べんも来てるのに、こんなのがあることすら気にもとめてなかったんよね。寄附した団体の名前と「平和を求める人類とその平和の為にこれを捧ぐ」とあって、聖書から一節が(イザヤ書2章4節)引かれ刻まれて。
こうして彼らは そのつるぎを打ちとかし、 すきとし、 国は国にむかって つるぎをあげず 彼らはもはや戦いの ことを学ばない』(英文も別の面に→”And they shall beat their swords, into plowshares, nation shall not lift up swords against nation, neither shall they learn war anymore.”)
兵器を農具に~というこの話をノートにメモしながら、いまやったら剣を打ち溶かしてる間に、だれかがまた新しい兵器作って売りに来るような世界やなあ、と思ってしまう。

▲ さて、ようやく民芸館に。
ここはいつ来てもひっそりしてる。この日もわたし一人だった。係員さんに「どうぞごゆっくり」と言うてもろて、そのとおりゆっくりと鑑賞。
特別展『インドの染織と絵』は3月8日から始まってるので、前から気にはなっていたんだけど、インドの染織というたら「あんな感じ」やろなあ~などと自身の安直なイメージで「まあええか」的に思ってた。
チラシの冒頭に柳宗悦氏のことば「工藝にはそれぞれの故郷があるではないか。異なる種類や変化やその味わいには、異なる故郷が産むのである」(『工藝への道』)が紹介されており。インドいうてもその広い国土には自然環境も宗教も民族も慣習も文化のちがいを持つ人たちが暮らしているわけで。「あんな感じ」などと簡単に括れるものではなく、じつに多様で、その細かな手仕事で描かれる素朴なくらしぶりにじーんとくる。
何より。頭の中で「思うてる」のと、実際足をはこんで「観る」のとではちがうよね。来てよかった。

▲サリーもフルカリ(インド北部の「フル=花」「カリ=仕事、刺繍」の意味を持つ布。女性の被布)もすばらしかったけど、わたしが惹かれたのはカンタと呼ばれる刺し子。日本のそれと同じように使い古した布にべつの布を重ねて、補強のために縫って、身近な動物や花をモチーフに刺繍してるんよね。これが物語のようで、絵本読んでるみたいで、あれこれ想像しつつ長いこと眺めてた。
ワルリ族の描くワルリ画というのも絵のモチーフがたのしかった。絵の具は白一色。あとで学芸員さんに質問したら昔は米粉を溶いたものを使って、祈願をこめて家の中の壁に描いたそうで。生活の中に、いのりと共にある絵画、というのがいいなあと思った。
ゆっくり鑑賞後は、砂漠地帯でミラー刺繍(鏡を縫い込んだ刺繍)をするラバーリーの女性たちのビデオを見て、その細かな手仕事と美しさにうっとりしながらも、女の子たちが早くに結婚する(させられる)ことや、急速なインドの社会変化のことなどいろいろ考えながら、席を立ったら、若いひとがサリーの前でじっと見入ってる。よかった。こんなええとこに、わたし一人きりでは もったいなさすぎます。

▲帰リ道、ぽつりぽつり雨が降り始めた。
さすがに(わたしにしたら限度越えの一万歩)足がちょっと痛かったけど、わずらわしいマスク(花粉症)も外して、緑緑緑の道をゆっくり歩く。途中「この木はなんでしょう?」というプレートがあって。前来たときもここで立ち止まって「正解」を見たんやったなあ~と思い出しながら、木や葉っぱをみて「あ、サンシュユ(山茱萸)!」と声だして返答。プレートを開けると「さんしゅゆ」とあって「正解~」と自分で言うとく。(笑・・あほらし。前も書いたようにウチの庭にもあるのです)
あ、そういうたら、この雨で遠足組はどないしてるんやろなあ?と思いながら、わたしの楽しい「えんそく」は空腹と(クラッカー食べそびれて)足ひきずっての帰り道となった。センセ、アイス買うてーな。


*追記  今回は(も?)長いですがぜひ。

その1)
家に帰ってから、例の聖書のことばをネットで調べてみました。
このイザヤ書2章4節は、宗教や文化を超えて世界平和の理想を表す言葉としてよく知られ、NYの国連本部前にもこの句に基いたモニュメントが置かれているのだそうです。
たまたまみつけたキリスト教会(札幌北部教会)のHPの中で「剣を鋤に、槍を鎌に」という題でイザヤ書のことと、憲法制定後文部省がつくった教科書『あたらしい憲法のはなし』の一節を紹介していました。

そういえば、この本の「六 戰爭の放棄」の絵は大きな釜で軍用機を燃やして、そこから電車や船や消防車が出てきて、まさに「剣を打ちとかし 鋤とし」です。
青空文庫やその他のところでも全文読めますので、今こそ、ぜひ。→青空文庫
以下すこし長くなりますが「六 戰爭の放棄」から引用してみます。

(略)そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
】 『あたらしい憲法のはなし 文部省』~六 戰爭の放棄~ より抜粋


その2)
今回紹介しそびれた本 『ヨハネスブルクへの旅』(ビヴァリー・ナイドゥ作 もりうちすみこ訳 橋本礼奈画 さ・え・ら書房008年刊)
作者は1943年イギリス領南アフリカ連邦に生まれます。白人家庭に育って、黒人の召し使いが、子どもをもつ母親でありながら家族と離れて暮らしてることにも 疑問を持たずにすごしてきたそうです。
大学に入って差別の実態に気づき、反アパルトヘイト運動に。1964年に56日独房に監禁されたそうです。

この本が南アフリカで出版禁止になったことに怒った11才の少女が、著者に送ったという手紙が訳者あとがきに紹介されていました。
わたしたち子どもだって、この世界でおこっているほんとうのことを学びたい。どうして、それを制限するのでしょう?わたしたちが早く知れば知るほど、わたしたちは知性的な強い人間になる。それが、この世界を平和にする方法なのに

子どもの本で文字も大きくてすぐに読めるけど、内容は重く深いです。表紙の絵がとてもいいです。こちらもぜひ。


その3)
Sweet Sweet Moon のなが~いタイトル
"I See Things That You Don´t See And That Is Blue, Blue, Black And Dylan"
これ何バージョンかyou tubeにアップされてるのですが、これは彼らの演奏をスカイプでみてる各地のファンの顔が。めちゃ楽しい。皆ええ顔~ていうか、音楽はひとのきもちをつなぐよね~ →
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by bacuminnote | 2014-05-18 16:33 | 音楽 | Comments(0)

あんたのいらんもん。

▲ 今日は朝起きたときからひんやりして、家の中では寒いくらいだったので薄いセーターで出かけたら、暑いナンのって。せやからね、向こうから歩いてくる若い子の白い半袖シャツがなんともまぶしくて、清々しくて。思わず振り返って眺めてしまった。
ビジネスマンも腕に上着をかけて歩いてる。赤ちゃんはぷくぷくの足をベビーカーのバーにどーんと のせて昼寝の国のひと。歩道のほぼ真ん中で日傘さしながら立ち話も長いおばちゃんたち。木陰のベンチで遅いお昼ごはん食べてはる作業服の若い子。隣のベンチは本を読むひと。
空の青も、雲の白も、樹々の緑も、あちこちで咲きほこる花たちも。そして、うっとうしいマスクも(花粉症なり)。ああ、春やね。
「しゃぼん玉 尼僧の列を 乱しけり」(土肥あき子句集『鯨が海を選んだ日』所収)

▲ この間『トラブゾン狂騒曲』というドキュメンタリー映画を(DVD)観た。監督は在ドイツ、トルコ系移民二世のファティン・アキン。このひとの『そして、私たちは愛に帰る』や『ソウル・キッチン』がとてもよかったので、前知識もなく見始める。
副題の「小さな村のゴミ騒動」には、小さな村でのちょっとしたドタバタ騒動~みたいな、なんだかほのぼのした印象があるけど。まちがいなく“怒り”の映画だと思った。(←ほめことばです)

▲ 映画は最初に みどり、みどり、みどりの丘陵地帯を映す。これがほんまにすばらしくて。どこまで続くの~と思うくらいに緑(茶畑)にあふれてる。
このトラブゾン地方の村チャンブルヌはトルコの黒海沿岸にあり、監督の祖父母の故郷なのだそうな。監督は『そして、私たちは愛に帰る』の撮影時にこの美しい村を訪れ、ゴミ処理場建設の話を知って衝撃を受け、2007年~2012年まで5年かけて撮影したという。

▲で、そのゴミ処理場はチャンブルヌの銅鉱山の採掘場跡地に建設されることになり、地域の人は皆猛反対。すごいと思ったのは市長も環境安全基準を満たしていないこの計画には、建設許可を出さなかったこと。いや、それで当然なんだけど。そうでないことの方がわたしたちの国には多いから(苦笑!)毅然として反対の意見を言う市長におどろいた。けど、政府は市長を提訴。結局裁判で負けてしまって、仕方なしに許可を出すことになってしまう。

▲ 条例ではゴミ処理場の建設は住宅地から1km離れなければならない、となっているのに。設定の距離は1kmでも、ここに但し書きがついていて、丘陵・傾斜地その他の地形を含む場合は1kmより短い距離は許容されることになっており。こういうのって、ため息つくほどによくある話だけど、むこう側に都合よく、いくらでも「自由に解釈、操作」されてしまうんよね。まったく・・・。で、結局50mか100m以内にある家が「住宅地」という分類から外れ「柔軟な」法の解釈のおかげ?で建設は「合法的に」始まる。
ところが、この建設というのがものすごく杜撰で。こんなことでいいのか?と疑問を持ち抗議する人もいるんだけど。やがてゴミが捨てられ始めると、案の定ひどい悪臭。住民が臭いというと、芳香剤を噴霧~というその場かぎりの処置しかしなくて・・・こういうの、どっかで聞いたような話やよね。

▲ 現場の係員は抗議をうけて言う。「まあ徐々に収まるだろ」「なんとかなるだろう」
が、そのうち汚水は滲み出し、ある日大雨が降って、水はあふれて海へと流れていく。政府も施設側も「こんな大雨が降ることはこれまでなかった」「ここまでの雨は予測できなかった」という。視察の政府の役人たちはスーツ姿で現場に来て、遠巻きに処理場を見ながら鼻をハンカチで押さえるばかり。
それどころかゴミの山を見て知事は「これで海岸はきれいになったことだろう」「ゴミ廃棄場はどこかに必要なんだから」とうそぶく。
そういえば、昔、行った和歌山の山中にゴミ捨て場みたいになってる場所があり。そこに地域の方が立てはったのであろう立て札があった。その文句がふるっていていつまでも忘れられないでいる。
いわく「あんたのいらんもん、わしもいらん」

▲汚されたのは海だけではない、美しくみごとだった茶畑に、ゴミ処理場に集まるものすごい鳥の群れが糞を落としてゆくんよね。お茶が台無しだと憤る生産者。一方製茶工場では「だいじょうぶ。問題ない」とその茶葉を使う。
そして相変わらずの悪臭。住民は怒る。女たちが知事や役人に詰め寄る。たぶん、これまでのしずかで平和な生活にはなかったかもしれない「抗議する」という行為。

▲そうそう、子どもたちが施設見学に行って二酸化炭素排出のことメタンガスのことなど、質問する場面は拍手したい気分だった。しかし職員はそれに満足に答えられなかったんよね。「学ぶ」「知る」ことで、疑問は次々出てくる。
それに対して大人たちはごまかさず、誠意をもって応えなければ、と改めて。
終始 原発事故その後のことを重ね 唸り 考えながらの映画だった。原題は「Der Mull im Garten Eden」~エデンの園のゴミ。

*追記
その1)
ドイツ版予告編。日本版とちょっとちがいます。→

その2)
「そして、私たちは愛に帰る」予告編→

その3)
ひさしぶりに聴く。Portishead - Roads→
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by bacuminnote | 2014-05-10 00:50 | 音楽 | Comments(0)