いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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わたしのよしの。

▲ 夕ご飯の後、たいていはその勢いで 食器さっさか洗って拭いてざーっと後片付けをしてしまう(この「さっさか」「ざーっと」ゆえ、かつて息子2が食器拭き係やった頃「おかあ、汚れ落ちてへんで」と戻されたことがよくあった・・)。今は相方と二人やし、食事内容もシンプルやし(苦笑)そんなに時間もかからないし。
で、あとは寝るまでゆっくりする。

▲早い夕飯のあと、少しづつ空の色が濃くなってゆくのを窓越しに眺めつつ、すきな音楽聴きながら本を読む(あるいはDVDを観る)だいじな時間だ。窓を閉めきってた冬には聞こえなかった街の音が、夕方のひんやりした風といっしょに入ってくる。たまたまモノレールが走ってゆくのに気づいたときは、つい立ち上がって窓辺にはりついて。わたしが電車に乗った時そうするように、車窓から誰かこの家の灯りを見てるかなあ~と、手を振りたいような気分になる。

▲ 日曜日、思い立って吉野に行ってきた。
先週くらいから、久しぶりに行こうかな~と思いながら、電話で母のようすをそれとなく伺い、よろこびそうな物をちょっとづつ買いためてみたり。相方の予定を聞いてみたり。そんな「準備」ができたら前夜に「明日行こうかなって思ってるねんけど」と電話してみる。そうして当日朝、電車のホームから「今から乗るし、ね」と伝えて。なんか まどろっこしいけど。あんまり早い約束は時間までに母がくたびれるのがわかってるので、これくらいがちょうどいいように思う。

▲この間『父の生きる』(伊藤比呂美著・光文社刊)を読んでたら~あ、これはカリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんが熊本でひとり暮らしのお父さんを、遠くアメリカと日本を何度も行き来し、いろんな人の助けを得ながら介護する三年半の記録なんだけど~こんな一節があって頷く。

《「こんどあんたがこっちに来るときはさ」と父が言った。
「こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない」と。
》(2012.3.27 カリフォルニア)
もう誰かのところに行くことはなくなって、誰かが来るのを待つ時間、というのは長いんやろなあ。

▲さて、 "ハルカス"で湧く日曜日の天王寺周辺のものすごい人の波の中をぬけ、例によってデパ地下であれやこれや買って特急電車に乗り込む。
通路挟んでわたしの横は70歳くらいのご夫婦らしきカップル。まだお昼にはだいぶあるのに、手作り風のお弁当をひろげ、缶酎ハイを開け、盛り上がってはる。
ときどき二人声あげて笑ってほんまに楽しそう。それにしても、あの年頃で途切れることなく話してる夫婦って、ええよなあ~と、聞くともなしに笑い声に耳を傾けてたんだけど。
もしかしたら恋人同士なのかも。いや、それなら尚よし。ええ休日を!と降りるときもなんか話して笑いながら、二人並んで歩く後ろ姿をみながらおもう。

▲ やがて、わたしが降りる駅に着いて。いつものことながら駅に降り立つと、緑のにおいがつめたい山の風にのって、からだの中を通りぬけてくようで。「ああ、帰って来た」と思う。
単線の長閑な駅だけど、むかしは駅前から大台ケ原()行きのバスが出ていて、大きなリュックを背負った登山客も一杯やったんよね。駅前には売店に食堂も何軒か並んで、今からは想像できないくらいに賑わってたのになあ。

▲それでも川べりの道を走ると、色とりどりのテントや車が見え始め、河原でバーベキューしている家族連れがたくさん見えた。「にぎやかですねえ」と言うと、タクシーの運転手さんがぼやく。「せやけどね、あの人ら、ちょこっと、ここのコンビニで物買うくらいで、あとはゴミだけ残して帰らはる。鮎釣りの人も減ったしねえ・・・」
タクシーに乗るたび運転手さんはちがうけど、たいてい同じ話して、「ほな、ごゆっくり」「おおきに」と降りる。

▲ 一昨年、昨年と母は不調つづきで、本人がいちばん辛かっただろうけど、一緒に暮らす姉はもちろん、離れて何もできないでいるわたしらも重たい時間だった。
前述の『父の生きる』とは、父と母の違い、一人っ子と四姉妹のちがいはあるけど、年老いた親のきもち、娘の思いに、「そう、それ。そうやよねえ」と思うところが一杯あって。そのつど、一緒に怒ったり、しんみりしたり、切なさに胸がつまったりした。

▲とりわけ、伊藤さんがカリフォルニアにいるときは毎日お父さんに電話する、その様子に共感するところが多かった。話してても楽しいときばかりじゃないもんね。当たり前だけど、離れていると電話の前にどんな状態だったかわからない。こっちがうれしいことがあってごきげんなときでも、向こうは不調なときもある。会話が続かないときだってあるし、同じことの繰り返しの日も。

▲だから次のこの一節には苦笑い。
せやかてね、結局気になって、あまり日を置かずにこっちから又電話してしまうんやから。
《「今晩はもう電話したくない。明日もしたくない。しばらく電話しなければ父もなつかしくなって話したいと思うだろうか。しかしそこに何の保証もないから困っている。話したいと思わないかもしれない」》(2012.3.8カリフォルニア)

▲いちばんせつなかったのは、この一節。
「今日仕事がおわったからほっとしてるの」と私が言ったら、
「おれは終わんないんだ」と父が言った。
「え?」とつい聞き返したら、
「仕事ないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることない。なんかやればと思うだろうけど、やる気出ないよね。出ないんだよね。なんにもやる気が出ない。いつまでつづくのかなあ。ま、心配ないよ。へんな話だけど、あんたから電話かかってくると、おしっこもれそうになる」
「むかし、おとうさんに算数教えてもらってるとき、すぐトイレに行きたくなって叱られた、あれと同じようなものね。トイレ行った方がいいわよ、また明日ね」
「じゃ明日ね。ありがとう」
》(2010.10.12カリフォルニア)

▲わが母のことに話をもどすと、今年に入って息を吹き返したみたいに元気になった。一昨年の膝の手術や昨年の思いがけない入院、転院などが想像以上のストレスになって、退院後も尾を引いていたのかもしれない。
いまは趣味の手芸や字を書くことにも、意欲が戻ってきたようで。歳相応にあちこち痛いとこも抱えてるものの、ずいぶん若返った。
最近は「オリンピックの年まで・・・」なーんてことばが母の口から出てきたりして。
「ええっ?東京オリンピックのこと?言うとくけど、わたし、それには反対やからな。・・・けど、2020年いうたら、あと5~6年やし。お母さん、まだいけるんちゃうか~」と冗談返せるほどになった。

▲ この日はわたしが着なくなった白い綿レースのブラウスを持って行ったら、喜んでさっそく着替えて、ついでにデイサービスに着てゆく服をコーディネートして、ファッションショーで(笑)もりあがる。
明日何着ていこか~と思う気持ちがもどってきたのは、なにもかも「今日」でおしまいにしたい、などと思ったりした人が、又明日のことを考えられるようになったってことで。

▲これから先のことはわからないけれど。でも、とりあえず、たったいま、の母の笑顔がしみじみとうれしい。《いつか死ぬ。それまで生きる。》と本の帯にあったけど。
母の生きている時間が、ちょっとでも長く愉しいものであってほしい。

▲ ジッカの二階には大きな窓があって、窓いっぱいに庭の古い桜の木が見える。
薄曇りの空をバックに葉っぱの緑が際立って、さわさわ、さわさわ、しずかに揺れて。川のざーざーがずーっと聞こえてる。ああ、これ。これ。この音が「わたしのよしの」と思う。
帰りは姉に車で駅まで送ってもらう。忙しい間のわずかな時間だったけど、姉とも喋って笑って。映画みたく大げさにハグしてわかれる。

▲駅のホームの隅っこ。トンネルに近いところに立って電車を待つ。ここはわたしの一番すきな場所。
思春期以降は息詰まるばかりに緑深いここから逃げ出したくて、トンネルのむこう 点のように小さく見える明かりが希望だった。
ここを抜けたら、抜けさえしたら、と思ってた。そうしたら、何かべつの、もうひとつの世界が待ってる気がしてたんよね。
果たしてトンネルの先にはやっぱり知らなかった広い世界があって、ええことも、おもしろいことも、そしてしんどいことも、いっぱいあって。でも、いまも、ここはわたしにとって とくべつな場所やなと思う。


*追記
その1)
今回もまた書きそびれたことがいっぱいあります。
ドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』や、梨木香歩さんの新著『海うそ』のこと。これはまた次回にでも、と思っています(つもり)

その2)
『父の生きる』に思いがけずパティ・スミスの「ラジオ・エチオピア」がでてきて、音量あげて聴いたあと、この曲思い出して聴く。
Patti Smith - This Is The Girl 

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by bacuminnote | 2014-06-19 00:12 | 音楽 | Comments(0)

それは たからもの。

▲ ストーブもしまわないまま、あまりの暑さにあわてて扇風機を出してきたのに。
昨日今日の風の冷たいこと。両手でカップをつつみ熱いお茶をゆっくりと飲んだ。
雨あがりの庭はうす暗くて、昼間なのに夕暮れ時のようでもあり、日々繁殖中の濡れた緑たちが妖し気に光ってきれいで。そうやってしばらくぼぉーっと立っていたら、いつか読んだ梨木香歩さんの小説みたいに、庭の木々が ひそひそ話してるような気がしたり。
「どくだみや 真昼の闇に 白十字」(川端 茅舎)

▲ 六月は思い出ふかい月である。
毎年、その日にはカレンダーに赤丸つけて、それとなく?アピールしてるものの、誰も気づかないままで。そのうちわたしもケッコン記念日なんて忘れてしまうかもなあ~とか思ってたんだけど。
二年前。ちっちゃい時からの友だちの夫君が亡くならはって。その日は忘れられない日になった。
昨夜ひさしぶりに友に電話して、また六月が来たなあ。やさしかったなあ。ほんま ええ人やったなあ。かっこよかったよなあ~と彼のことをひとしきり話す。けど、ただひとつ。なんぼなんでも、遠いとこへ早うにいきすぎや、と電話のむこうとこっちでめそめそして。それから、いつものようにあほな話して大きい声でわらって。「ほな、またな~」と切ろうとしたら「ありがとう」と言われて堪えてたものがながれた。

▲ 一昨日『いとしきエブリディ』(”Everyday”)というイギリス映画(DVD)を観た。物語は朝早く起きて、お母さんのカレンが子ども4人(長女8・長男6・次男4・次女3歳)ぞろぞろ連れて田舎道を歩いて、歩いて。そんでバスに乗って、電車に乗って出かけるところから始まる。
そんな遠いとこにいったい何しに行くのかなあ、と思ったら「塀の中」のお父さん(夫・イアン)に会いに行くんよね。

▲ 監督(『ひかりのまち』のウィンター・ボトム)はこの映画の完成まで5年かけたらしい。父母役は俳優が演じてるけど、子どもたちはほんまの姉妹兄弟の4人やそうで。お家も彼らの暮らす家。だから、彼らの5年間がまるでドキュメンタリーのように流れて、「父不在」の中での子どもらの成長のようす、その間のカレンの奮闘や迷い。小さなよろこび、苦しみが淡々と描かれて胸がつまる。
けど、このお父さんていうのがほんまに子どもや妻が愛おしくてならない、って感じなんよね。なんで、ここに居るん?と思ってみていると(映画では直接言及されてないけど)どうも麻薬密売みたい。

▲ とにかく、カレンは4人の子ども抱えて暮らしてゆくだけでも大変。昼間はスーパー、夜はパブで働く。それでも、休みには子どもを連れてまた遠路、夫に会いに行くんよね。そうして仮出所の日、それはそれはたのしそうな一家。二人もまた久しぶりに恋人に戻って愛しあう。ところがイアンは刑務所に戻るときにハシシを持込んだのが見つかって。次の回の面会はガラス越しに。カレンの落胆と怒りと不安は、一時べつの男性へと傾くことにもなるんだけど。
子どもたちも成長して、父親不在の意味を知り、友だちに父親のことを言われたり。とりわけ上の二人はただ無邪気にお父さんに会いに行ってた頃とは変わってくる。
それでも、カレンも子どもたちもイアンのことが好きなんよね。

▲ お父さんが長いこと刑務所にいる、というのはそうあることではないけど、子どものいる家庭の生活はどこに在ってもよく似たもので。なんてことのないフツーの毎日とお父さんに会いに行く日が交互に描かれる。
ちょっとハラハラする場面もあったけど、それに、これから先どうなるのか心配はあるけど、とりあえず家族6人一緒に暮らせるようになったところで、映画はおわる。

▲劇中 両親が抱き合いながらダンスしてるのを、ちょっと照れたような恥しそうな、でもうれしそうに子どもらが眺めてた場面が今も心に残っている。
というのもね、その昔、家庭を思うことの少なかった若い頃の父が、なぜかクリスマスには家にいてケーキを切り、ワイン(というても下戸だったので赤玉ポートワイン)を皆のグラスに少しづつ注ぎ、応接間で(←こんな呼び方の部屋があった時代・・)レコードをかけると、母とダンスをし始めたんよね。子どもらはそんな二人がうれしくて、恥しくて。下向いたり、チラチラ見たりしてるうちにレコードは終わってしもたんやけど。
わずか数分のそのできごとを、わたしはその後 何度も何度も記憶の箱から宝物を取り出すように思い出していたから。映画の中に入ってあの子どもたちの横にすわってる気分だった。

▲ さて、その次に観た映画も子どものきょうだいの話だった。
ドキュメンタリー『三姉妹 雲南の子』(”Three Sisters”)この映画は中国の雲南省という標高3200mの高地、どこまでも段々畑が広がる小さな貧しい村に10・6・4歳の三姉妹が子どもらだけで暮らしている。お母さんは家出して行方がわからない。お父さんは生活のため出稼ぎに行っている。
10歳の長女インインは母親がわりに妹らの世話をしてるんだけど、食べることは主に近くに住む祖父と伯母の世話になってる。でも伯母さんからは厄介者扱いされてることが画面のあちこちに見えてつらい。

▲そうして子どもに課せられた仕事の多いこと。
豚と羊、鶏の世話。畑仕事。着のみ着のままで、顔も手も真っ黒。ただ黙々と草を刈り、羊を追い、家畜の糞を拾い(燃料か肥料だろうか)、松ぼっくりを大きなカゴ一杯集める。(松ぼっくりは松脂が多いので燃料用に使うらしい)インインの性格もあるかもしれないけど、ほんまに笑う場面がないんよね。

▲ 一回だけ笑顔がみえたのは、おなじように母親が家出して親戚で世話になってる友だちの男の子と糞拾いしてるとき。「あとであんたの家に遊びに行っていい?」とか冗談を言って(じっさい、このことばが冗談にしか聞こえないほど、そういう余裕のない生活なのだから)笑ってて、ちょっとほっとした。
でも、あとは、もうずっと仕事。
唯一学校だけがインインにとって「子ども」でいられる場所かもしれないと思った。でも、家に帰って勉強をしてると、祖父(66歳)は外から大きな声でインインを呼び「勉強なんかして。もし誰かに羊を盗まれたらどうやって暮らす?」とつめたく言い放つ。

▲ やがてお父さん(32歳)が出稼ぎから戻り、まちに子どもらを連れてゆく相談を祖父とするものの、結局下の二人を連れてまちで再婚?という展開に。インインは祖父と二人暮らしとなる。
なんて言ったらいいのか。それでも人の温もりが、とか動物との交流がとか、子どもたちのきれいな瞳が、とか。そんな観てる者がかんたんに救われるようなもの(!)は何もないのである。ただ、働いて食べて寝て起きて、また働く。土間しかない家、湿ったワラの寝台。高地やからね、しょっちゅう風の音がひゅひゅう聞こえる。インインはたびたび咳をしてる。冬になったら、どれほど寒いことだろう。

▲ 2時間33分。ナレーションも音楽もないけど、そんなに長く感じなかったのは、それでも人が生きて暮らしている、という生物としての強い生命力、現実に圧倒されるからか。
あるいは、もうちょっとしたら何か、小さくても、光の感じられる結末になるかもという希望ゆえか。でも結局その願いはかなわず、映画は終わる。
最後のほうで次女のチェンチェンがどこで覚えてきたのか♪私のママが一番ステキ ママの子はなんて幸せ~と歌ってたのが、かなしかった。とうとう着替えられることのなかったインインの泥だらけのパーカーの”Lovely Diary”というバックプリントの文字が忘れられない。

▲ あとになって、この映画を撮るきっかけとなった監督のエピソードを読んだ。
監督がある作家の墓参帰りに長江上流域を通りかかったら、家の前で泥まみれで遊ぶ三姉妹に出会って。話してかけてみると三人だけで暮らしてるという。家に入ると想像をこえる貧しさで、それでもインインが家で唯一の食糧のじゃがいもを煮て出してくれたそうで。
映画の中では妹たちの母親役、子どもとはおもえない働きをして「しなければならない事」に追われるような暮らしのなかで、通りすがりの人にじゃがいもを煮るインインに、胸が詰まる。そんなきもち(余裕)があったことを知って、うれしい驚きだった。








*追記
その1)
いやあ、いろいろ考えることの多い二本の映画でした。どちらもDVDレンタルしているので、ぜひ。
じつはもう一本『マイネームイズハーン』("My Name Is Khan")というインド映画を(”みんぱくワールドシネマ" ~映像に描かれる〈包摂と自律〉ー多文化を生きるー)観てきたことを書くつもりが、例によって書ききれませんでした。日本未公開の映画ですが、DVDは発売されているようです。この作品も162分とけっこう長尺+上映後研究者のレクチャーありで。翌日腰痛なり。でも、ここの映画会ではいつも「考える種」をいっぱいもらって帰ります。

ここを読んでくれはる方はもうお気づきかと思いますが、わたしは外で映画を観ることが少ないです。それは腰痛やら方向オンチや、まあその他にも個人的理由があるのですが。かつての田舎暮らしの経験もあって、なかなか映画館に行けない人にもDVD なら観る機会もできるかも~という思いもあります。

その2)
今回はじめに書いた梨木香歩さんの本とは『家守綺譚』ですが、いま読んでいる新著『海うそ』は人文地理学者が南九州の島に赴いて、の話。最初から梨木香歩の世界にひきこまれます。が、ゆっくり読んでいます。うまいこと言えへんのですが「早う読んだらあかん」的(苦笑)チカラが働く本やから、と思います。

その3)
長くなってしまいました。
最後までおつきあいくださっておおきにです。
きょうはThe Smiths - ASLEEPを聴きながら→
動画の映像にもあるように、これは映画『ウォールフワラー』("The Perks of being a WallFlower")でも流れてたなつかしい曲。
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by bacuminnote | 2014-06-08 10:38 | 音楽 | Comments(0)