いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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浮き輪は音楽と本で。

▲ いつも冷蔵庫のドアに貼ってる来年用のカレンダーを買う。もう何年もずっと同じものを使っているから、もしかしたら前の年のと替わってても気がつかないかも、ってくらいに相変わらずな わが家の日常なんだけど。
それでもね。
やっぱり少しの変化はあって。汚れたカレンダーをぱらぱら見ていると、数字の横に乱暴に書き込んだ文字が目に留まる。家族の誕生日、お米が届く日。息子に仕送りの日、友人が訪ねてくれた日、めずらしく遠出した日、とかいうのに混じって不燃ゴミの日から図書館の休館日まで。
過ぎていった時間の小さな束がなんだかとても愛おしく思えるのは、そろそろ年が暮れてきたから?いや、それとも歳のせいやろか。

▲ この間中学校のカンレキ同窓会というのがあって、これまで同窓会には無縁だったけど初めて出かけてきた。
首からぶら下げた名札をたよりに、長い人では45年ぶりの級友との再会は、皆おおきな歓声付きで。名前がわかったとたん、おばちゃんもおっちゃんも一気に中学生に戻るとこが可笑しいし、かいらしいよね。ええ感じに歳重ねたあの子にカンパイ。すっかり雰囲気のかわったあの子にもカンパイ。
わたしは当時自分では憂い顔のブンガク少女のつもりが(笑)外目には、ただただよく喋り、いつも笑ってる子やった、とわかって(それやったら、今とかわらんやろ?という声も聞こえてきそうやけどw)ちょっとがっかりして、それからちょっと安心もした。

▲中学生くらいといえば、世の中のことが少しはわかってるくる年頃でもあり、大人の建前や本音も透けて見え始め。わたしは親やセンセにも反抗して口いっぱいのことを言う一方で、思うようにクラブも勉強もすすまんかったり、自分の容姿や性格が嫌やったり、と思いだすのはマイナスなことばっかりだったから。
そういうたら、わたしのすきな本のジャンルはY.A(ヤングアダルト)なんだけど。Y.Aの定義とはtwelve up〜つまり12歳より上の子たち、といつだか 翻訳家の金原瑞人さんが書いてはった。
大人からみたらまだまだりっぱに子どもで。けど、子どもにしたら、子ども時代から少しづつ、確実に離れてゆく年頃なんよね〜ムズカシくてあほで(苦笑)感受性がぴりぴりしてて、ときどきつらくって。でもおもしろい年頃。せやから、ほんまもんの大人になった今も(笑)わたしはYAの物語がすきなんやと思う。

▲もうひとつ。同窓会でうれしかったのは、この歳になっても十代半ばのつづきみたいに、グレイトフル・デッドやニール・ヤングの話ができる子ら(←「子」はないか・・苦笑)に再会できたこと。自分の中のことばにならない思いや考えに、アップアップしてた頃、つめたくて深い海に投げ込まれた浮き輪はいつも音楽と本やったし、ね。
いまも続けてるというバンドの話も、NY出張帰りに楽器店に走ったという話もサイコー。「キミらも変わらへんなあ」とわくわくした。

▲ そうして、集まりのあと一緒にウチに泊った小学校の頃から友人mとはもう喋っても喋っても、どこまで喋っても尽きない話に声をからした。
長いブランクの間にそれぞれが歩いてきた道にはどこにも共通点はないのに。
山や川のはたで大きいなった者同士(ついでに mとわたしは"大きいモン同士"でもある)からだの底に流れてる川は、それぞれの家の窓から見えた同じ吉野川なんやなあ、としみじみ。それがおもしろぅて、そんでうれしかった。

▲ そんな濃密な時間のあと、しばらくぼんやりとしたり ちょっと体調崩したりしてたけど、またいつもの生活、いつもの時間がもどった。
その間(かん)読んでいた本(『わたしの心のなか』シャロン・M・ドレイパー著 横山和江訳 すずき出版)の主人公はじき11歳になる女の子で。彼女メロディはわたしやmがかつてそうだったように、心の中に、家族のこと友だちのこと、かっこいい服や音楽・・・溢れるような思いを抱く少女なんだけど、ちがうのは彼女はそれを「話す」方法を持っていなかったこと。

▲ メロディは脳性麻痺ゆえに歩くことも言葉を発することもできない。それで(というか、それだけを根拠に)周囲の多くの大人たちはメロディが何も考えていないように思ってる。彼女が内面で苦痛に思ってることも、周囲のひとへのありがとうも、すべては発言されないとなかったことにされている。
でも、ママやパパはメロディの「主張」を感じている。やがてママ・パパの仕事で都合がつかなくなったとき、近所に住むヴァイオレットが駆けつけてくれて。以後ときどきメロディの世話をしてくれることになる。彼女はメロディが生まれて病院から家に帰ってきたとき、最初に会いにきてくれた人で、ママ曰く「ほかの赤ちゃんと同じように抱っこしてくれた」はじめての人だ。

▲ パパの言う「この子の潜在能力を、発揮させてやりたいんだ」っていう言葉にヴァイオレットは「ちょっと、やだわ!」って即答の後こう言う。
障害のある子について書かれた本で出てくるような、そんな感傷的な言葉にとらわれちゃだめよ。メロディは学ぶ力のある子だし、わたしのそばにいれば学べるわ!
そうしてメロディが六歳を過ぎたころ彼女が必要なものに、ヴァイオレットがようやく気づいてくれる。それは彼女がケーブルテレビのチャンネルを変えて、スティーヴン・ホーキングのドキュメンタリー番組を見せてくれたことから始まる。

▲ホーキング博士はALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気で、歩くことも話すこともできなくなった理論物理学者だ。番組を観終わってヴァイオレットはメロディがホーキングと少し似てると思わない?と聞く。
メロディはボード(文字盤)の「必要」を指さしてから「読む」を示した。「必要」「読む」「必要」「読む」と。
それからヴァイオレットは車いすにはりつけてあった言葉を全部とりはずし、テーブルいっぱいに「ものの名前や人の名前、よく使う質問、いろんな分野の名詞、動詞、形容詞をはりつけて」くれたので、メロディは「文章に近いものを組み立てられるように」なり。これまで考えられなかったコミュニュケーションがとれるようになってゆく。

▲やがて、それはメロディ専用のコンピューターにと替わり、思っていることをマシンを使って「話せる」ようになるんよね。そのマシン(メロディはお気に入りの曲から「エルヴァイラ」って名付ける)を通じて、インクルージョンクラスへの参加やクラスメイトとの交流も増える。
それで楽しいことも一気に増えるけど、ひどいことをいうクラスメイトもいて。
メロディは家でいるときそのエルヴァイラに言葉を登録する。一文字ずつ押してたら時間がかかるので予想されるフレーズは予め登録しておく、ってわけだ。で、いちばん質問の多い「どこか悪いの?」「具合悪いの?」「痛いの?」「なおるの?」にはふたつ答えを用意するんよね。
心から心配してくれる人に対しては《わたしには痙性四肢(けいせいしし)まひ、またの名を脳性まひがあります。そのせいで体に不自由さはありますが、心は自由です》そしてクレアやモリー(差別的なことを言う子たち)みたいな人たちには《だれにでも障害はあるでしょ。あなたのは?

▲ そうしてメロディが8歳のときに妹ペニーが生まれる。自分ができたらいいな、と思うことを赤ちゃんのペニーがかんたんにできるのを見て、時々メロディはむかむかするんだけど、やっぱりかわいい妹にちがいない。
彼女の出現で両親はもっともっと忙しくなって、けんかも増えるんだけど。何度も何度もけんかしながら、でも娘たちの前に「戻ってくる」ふたりがいい感じ。そんなふたりを見てるメロディもまた。
ママとパパはキッチンで抱きしめあい、ふうっと息をついて、時間ぴったりに家を出る

▲その後、学校から「ウィズ・キッズ・クイズ大会」というのにメロディも参加することになって。高得点をあげることで、次の大会に・・という話になってゆくのだけど。
終盤ショッキングな事件がふたつ起きる。
リアルな世界で「思いもしなかったことが起きる」のは当たり前のことで。それは子どもの世界であっても、障碍をもってる子どもの上にも、起き得ることだから。ショッキングなできごとを前にして、もう一度読者(わたし)はきれいごとじゃない現実、自分ならどうする?という問題に向き合わされることになる。10歳の女の子になったりその母親になったり、立場で見えてくることも押し寄せてくる感情もちがうんだけど。ああ、でも、でも、やっぱりまだ「別の、他の、展開があったんとちゃうかなあ」と今も考えて続けてる。
メロディのこれからの物語も読んでみたいな。

言葉が、わたしのまわりに舞い落ちてくる。ひらひらひらひらと、まるで雪のように。どのひとひらもこわれやすく、ちがう形をしていて、手にふれる前に消えてしまいそう。》(p325より)

二歳になるころには、記憶のすべてに言葉がともない、言葉は意味をもった。
 でも、それは、わたしの頭のなかだけのこと。
 生まれてからずっと、たったひとつの言葉すら話したことがない。
 わたしはもうすぐ十一歳になる。

 (p326より)





*追記

その1)
すずき出版のこのシリーズ→はええ本、読みたい本が多いです。(いまは『はじまりのとき』を読んでいるところ)
そして、この本はせりふがいきいきしてよかった。(翻訳もすばらしいということかな)
ヴァイオレットのいう「メロディには人をひきつる、すばらし物語があるわ」とかね〜ひきつけるのが「力」やなく「物語」というのがええなあと思いました。

そうそう、本の最後に「鈴木出版の海外児童文学 刊行のことば」〜この地球を生きる子どもたちのために〜があって。最後にこう書かれている。”共通の家(ホーム)”というのにじんときます。

本シリーズによって、子どもたちは人間としての愛を知り、苦しみのときも愛の力を呼び起こし、複雑きわまりない世界に果敢に立ち向かい、生きる力を育んでくれることでしょう。そのとき初めて、この地球が、互いに与えられた人生について、そして命について話し合うための共通の家(ホーム)になり、ひとつの星としての輝きを放つであろうと信じています。

その2)
この本に何度かでてくるホーキング博士〜ちょうどレンタルショップでDVD『ホーキング』をみかけたのでさっそく。こんな風に本からいろんなことが「始まる」のがすき。 

予告編→ホーキングが「閃いた」ときの場面は(その何たるかが、わからないわたしでさえ・・苦笑)感動。


その3)
この本を読みながら、以前読んだ『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著)のことを思い出していました。
今年初めここにも書きました。→
「障害」という体験は、ある社会の中で多数派とは異なる身体的条件をもった少数派が、多数派向けに作られた社会のしくみ(ハード、ソフトの両方)になじめないことで生じる、生活上の困難のことである。』(熊谷晋一郎『リハビリの夜』p83「脳性まひリハビリテーションの戦後史」より抜粋)

最近 佐々木千津子追悼文集『ほぉじゃのぉて』と言う冊子を知人からもらって読みました。佐々木千津子さんは、生後1週間で脳性マヒになり、20才の頃コバルト照射による不妊手術を強制的に受けさせられたそうです。この冊子の中に佐々木さんのドキュメンタリー映画『ここにおるんじゃけぇ』の紹介があって。
この映画の英題が"Yes, Iam here" ずーんとくるタイトルです。→

その4)
なつかしい友だちに会うたことやし、今日はなつかしい人がいっぱい出てるこれを聴きながら。
The Last Waltz (The Band) -I Shall Be Released - 1976→

それから、いまのニール・ヤング。年取ったニールもいい。とってもいい。
Neil Young- When I Watch You Sleepin'

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by bacuminnote | 2014-11-30 18:59 | 本をよむ | Comments(0)

11年。

▲ なんだか急に冷え込み始めた朝、俵万智さんの『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 』がツイッター上に何度も流れてきた。RT(リツイート)してはる人が多いのは、そんな「あたたかさ」が恋しい人?それとも今その「あたたかさ」の中にいる人やろか?
そんなTLみながら浮かんできたのは「誰か居るごとくに今朝の寒さ言ふ」(岡本眸『卒業歌』)という俳句。じんとくる一句だ。

▲ そういえば母が一人で暮らしていた頃「寒いときの方が独り言が多い気ぃする」〜と言うてたなあ。冬は「一人鍋に決めてるねん」と友だち。寒いとひとりは堪えるけど、温もると元気がでると言う。
ウチも冬は鍋の出番が多いけど、いつかわたしらも一人になるんやな、と日々届く「年賀欠礼」のはがきにおもう。
寄せ鍋やいづれひとりとなるふたり」(宮武章之 私家版句集『松山城』)

▲ きょうは相方のお父さんの命日だ。あの日(→)からもう11年になる。息子2にメールしたら「ぼくは、ちょうど人生の半分長野で、もう半分が関西って感じになるんやね」と返って来て。この子は信州生まれ信州育ちって思ってたけど。そうか〜もう彼のジンセイの半分が関西になったんか、となんかしみじみ思いながら、ぽかぽか陽気の日曜日いつものバスで、お茶もってビスケットもって、本持って、お墓のあるまちまで冬の遠足。

▲ 日曜日ながら、お昼時だったから墓地にはわたし一人で、なんだか心許ない。
腰をかばいながら(その前日鍼灸院でみてもろたとこやったし)しゃがんで花入れを洗ってたら、70代くらいのご夫婦が来はって「こんにちわ」「今日はええお日和ですねえ」「ごくろうさん」。交わすことばは決まってるんやけど。いつものことながらほっとするような時間だ。
さっき書いた岡本眸さんの句に「墓掃除一途になつてをりにけり」というのがあるけど、草抜きしてたらすっかり夢中になって腰のこと忘れてて、いかんいかんと切上げた。

▲帰りはゆっくり歩く。いつもの喫茶店の前を通ると白い張り紙。あれ?臨終休業かなと思ったらなんと閉店のお知らせだった。それで驚いてるわたしも入ったことないんやから「さみしい」なんて勝手なこと言えないけど。やっぱり何も思わずに通り過ぎることはできない。もう一軒シャッターの降りた小料理屋さんは「諸般の事情で」もうちょっと待っててくださいね〜とあって。「諸般の事情」がどうか早く解決しますように、と思う。

▲ 駅までの道はそのまま商店街で、ご多分に漏れずここでもシャッターの降りてる店がいくつもある。
その昔、義父と義母によくここに連れて来てもらった。お魚の新鮮な店。お肉やさんのコロッケ。海苔と昆布。買い物の最後にはいつも義父の好物のうどん玉をいくつも買った。引っ越してもなお、長らく暮らしたまちに、時々たまらなくなって買い物に行く義父母だったから。帰りは一杯ビニール袋かかえて車に乗り込んだ。

▲ 駅前に着いたら、高校生か大学生のロックバンドが演奏しており。聴衆は少なかったけど、友だちらしき女の子たちが音楽に合わせて踊ってた。
ちょうどうまい具合にバスが入ってきて、乗りこんだら行きと同じ女性のドライバーだった。持ってきたビスケットはとうになく(苦笑)ペットボトルに入れてきた朝の残りの珈琲をのみながら、本を読む。この間読み終えたから再読。東直子さんの『いとの森の家』(ポプラ社)
「いと」とは福岡県糸島のことだと知ってすぐに買った。糸島には友だちがいて(糸島を訪ねたときのことはここに書きました→)山の中のとてもすてきなところで暮らしてる。

▲けれどこの本に惹かれたのは、糸島だけでなく、主人公の少女が会うおハルさんという女性。フィクションなんだけど、このおハルさんこと白石ハルさんという女性は実在の人物らしい。《福岡の受刑者の慰問をし、たくさんの手紙を交わしたことで知らせる女性》やそうで。主人公の少女が福岡のまちから引っ越して一年間だけ暮らした糸島の山の中の家での生活を縦軸にそこで出会った友だちやその家族、おハルさんとのことが綴られてゆく。
まちから田舎暮らしというのは、わたし自身もじゅうぶん体験してるから、うんうん頷きながら読んだけど、田舎に在っておハルさんという人との出会いはとても大きかったやろなあ、と想像する。

▲ 時代背景は著者の年齢からすると1974年頃だろか。銀行員の父、母姉と福岡市内の静かな住宅街にある団地(社宅)に住んでいた一家は、あるときお父さんの発案で「いと」と呼ばれる田舎に家を建てることになる。
「さあ、今日はいとへ行くぞ」父も母も、そこを「いと」と呼んでいた。日曜日になると、たびたび「いと」に連れていかれた。家族五人で行くこともあれば、姉と私だけがついていくこともあった》(p22)
子どもの意見を聞かず田舎暮らしに入ったのはわが家もおなじで(いや、そういうことを書いた本ではないんだけど)何でもない文章の中にも、「行くぞ」というお父さん、「連れていかれ」「ついていく」子どもに、ちょっとどきり。

▲ せやからね、主人公の加奈子や姉が 最初はまちでの暮らしとのギャップに、とまどいながらもじきに「いと」での暮らしの愉しみをみつけて、ほっとする。
そうして、そんな中出会うのがおハルさんだ。森の家に一人で住むおハルさんはアメリカ帰りで、田舎ではめずらしいクッキーやケーキを焼いてくれる、おちゃめでハイカラなおばあちゃんだ。
そのおハルさんがなんで死刑囚の人に手作りのお菓子を持って会いに行ったり、手紙を書いたり、そればかりではなくお骨までをお家で預かったりするのか。加奈子も友だちの咲子ちゃんもおハルさんに話を聞きながら、子どもなりにいっしょうけんめい考える。

▲ おハルさんが加奈子たちに教えてくれた死刑囚の人たちが残した俳句。
冬晴れの天よつかまるものが無い
最初読んだときノートに書き留めた。冬の青空の日だから、よけいにずんとせまってきて胸のあたりが苦しい。
けど、おハルさんのことを好きなひとばかりではない。友だちの高子ちゃんちのおばあちゃんは、よく思っていないことを加奈子たちの前ではっきり口に出して言うんよね。

▲ 子どもたちがおハルさんの楽しさとやさしさに惹かれるきもち。波立つきもちも、わからなさも又いとおしい。
まだ子どもだからわかってないのでなく、まだ子どもだから見えているものがある。すっかり大人になってしまったわたしは、おハルさんのことばを反芻する。
ありがとう、かなちゃん。あなたには、残酷なできごとが起こりませんように。しあわせな人生でありますように。》(p218)
私は、たくさんの人が踏みつけていった雪の上を、さらに踏みつけて歩いたの》(p221)

▲ そうそう、なぜ加奈子たち一家「いと」での生活が一年間だったか、は本で。
子どもに戻ったり、親のきもちで、いきつもどりつ本の世界に没頭してるうちに、バス停に着いた。と、くうう〜と大きな音がして焦る。時計みたら2時過ぎ。ハラヘッタ。やっぱり今回も〆はたこ焼き屋で。



*追記
その1)
文中にでてきた俳句は『異空間の俳句たち』(異空間のはいくたち編集委員会/海曜社)から引用されたものだそうです。

その2)
東直子さんは小説や絵本も書いてはりますが(この本の装画も著者によるもの)歌人です。
このあいだ某誌で東直子さんが選者の短歌投稿欄がはじまったので、おもいきって出してみたら、自信作はあかんかったんやけど(苦笑)ひとつは佳作に選ばれました。うれし!
郵便受けに届いた封筒を家に入る前に、立ったままで開けて「うしろから読む」〜ドキドキ感は高校生以来なり。

「となりの子花を数える声やんで九月の朝顔青いのひとつ」(しずか)←俳句と短歌のとき用のなまえ(笑)

その3)
今日書けなかった本。
写真で読む『水俣を忘れない』桑原史成(草土文化)→

『おとうさんといっしょに』『おとうさんといっしょに おばあちゃんのうちへ』『きよぼう きょうは いいてんき』三冊とも白石清春さんの文、西村繁男さん・いまきみちさんの絵(きよぼう・・の絵は西村繁男さん)福音館の絵本です→


その4)
今日はこれを聴きながら。いつもいつまでもすき。
Neil Youg -Plastic Flowers→
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by bacuminnote | 2014-11-18 22:52 | 本をよむ | Comments(0)

ビュウと音たてて。

▲ この間友だちと会った。
同じ大阪に居ながら、なかなかゆっくり会うということができない。とはいえ、今はツイッターやブログで見かけては「お、元気にやってるんやな〜」とわかるから(ていうか、わかった気になって)長く会ってなくても、さみしいとか思わないけど。
でも、やっぱり実物(ほんまもん)はちゃう(笑)
笑ったり、すねたり(!)すぐに反応あるし。いや、逆に顔見てるだけでしゃべらんでも通じるものがあるというのが、ふしぎ。おもしろいなあと思う。

▲ さて、方向オンチに加えて、優柔不断なJとわたしゆえ、いつ、どこに行ってもたいてい珍道中となるんよね。この日は講演会に行くのが一番目的で、その前にちょっとしゃべろか〜ということになって、時間よりだいぶ早目にI駅で待ち合わせたのはいいんだけど。その後どこでお昼ごはん食べるか決まってなかったので、駅周辺の階段やエスカレーターを上がったり下ったり。
さんざん歩きまわったあげく、駅出てすぐのうどん屋さんにてきつねうどん二人前〜なり。
それでも、小雨まじりのこの日に熱々のうどんはおいしかった。(Jは猫舌やからさましてから食べてたけど・・笑)
加えて、わたしらよりセンパイと見受けられる女性たちがカウンターの中で、白い長靴履いてきびきびと立ち働いてはる姿がええ感じやった。

▲ うどんの後は場所かえて珈琲。
Jが持ってきてくれた『マーガレット手帳』(1965年版)を見せてもらう。これ、少女マンガ『マーガレット』(集英社)から当時発でたもので、たしか『週刊マーガレット』に付いてるシール何枚かにプラス200円で買えたのだと思う。
マンガ家のわたなべまさこさんがイラストやカットを描いてはって、間に日記のページとファッションの写真とか入ってて。どれも見覚えがあってなつかしかった。

▲ この手帳がほしくて大阪と吉野に住む少女ふたり、それぞれにせっせとシールとお小遣い貯めてたんやろね。Jは「1月9日 わたしはとうとうこの手帳を手にいれた」と 大真面目に手帳に書きこんでて、笑うてしもたけど。
”じぶんだけのひみつのノートをもつ”それは、なんとすばらしいことでしょう。なんだか、ちょっと大人になったみたいで、胸がときめくかんじですね》と、わたなべまさこさんが書いてはって。その「ひみつのノート」っていうのに、どきどきしてた大昔の自分たちが可笑しくて、そんで、いとおしい。

▲ 昔話にひとしきり笑ったあと、バスで講演会会場の茨木市立中央図書館にむかう。
長いこと連絡しなくても平気なくせに(苦笑)いったん話し始めると、あれもこれも、と話は尽きることがない。
二年前このバスに乗ったときは、思いもかけず作家の山田稔さんがわたしのあとから乗って来はって、一人あわあわ、そわそわ(苦笑)したんよね(その日のことをここにも書きました→)そして、この日の講演の演者はなんとその山田稔さんなのである。

▲ 同館内にある富士正晴記念館の特別講演会というのが毎年あって、今回山田さんの演題は「富士さんについて、いま思うこと」。講演はきらいで引き受けることが殆どない、という山田さんの講演やからか、ちょっと席外して戻ったら満席になっていた。あとで聞いた話では定員80人のところ100人の参加があったらしい。
山田さんは(センセイと呼ばれるのが嫌やそうで。そういうところも山田稔作品にあらわれていると思う)しずかに富士さんの生い立ちや来し方を語り始めはった。

▲いちばん心に残ったのは魯迅の話だ。
富士正晴の『植民地根性』というエッセイから。
ある公園の前に「犬とシナ人は入るべからず」という立て札が立っている。魯迅はけんかする力がないから、その立て札を抜き捨てることが出来ない。そこで彼はステッキを振り上げ、立て札を力一杯叩くだけだ。

この魯迅のステッキがいつもわたしの頭の中でビュウと音を立てている気がする。そして、その音は、魯迅のこころの中で絶望的に聞こえたように、わたしの中でも絶望的にひびいているのかもしれない。しかし、ステッキはビュウとひびかなくてはならない。一人一人の国民の頭とこころの中でビュウ、ビュウとひびいていなくてはならない。
『富士正晴集』戦後エッセイ選 7 影書房p10より抜粋)

▲この部分を読み上げはった後「まさに今の日本の状況に重なります」と言う山田さんの細い声がよけいに沁み入るようで。しばらく耳元に、そのビュウビュウという音が聞こえてくるようだった。

それの養成法は割合楽である。絶対の権力を行使すればよい。強力さを絶対と思いこませればよい。すべての発言が命令の形をとればよい。上品な様子をしたければ、おすすめの形をとればよい。忠告・希望・期待、そうした甘味をちょっぴり微笑ませればよい。背後にキラメク強力な武器がこわいから、微笑は恩恵とすら見えてくる。そこまで来れば奴隷・植民地根性はほぼ十分な完成をとげたと云うことが出来るのだ》(同書p10〜11より抜粋)
わたしが生まれた1955年『思想』に書かれた富士正晴のこのエッセイを、2014年の今読んで 背筋が凍りつくような思いをしてることが怖い。とても怖い。

▲ 山田さんは富士の本を読むのには気力が要る、とおっしゃってたけれど、軟弱なわたしなんかは前述のエッセイだけでも打ちのめされそうやな、と思う。でも、たのしいエピソードもいくつか紹介してくださった。
富士正晴の「学校嫌い」の話には笑ったり、共感したり。いや、それでも三高に合格する氏の秀才ぶりを思ったりするのだけれど。
曰く《勉強なんかさほど重大ではないかもわからん。大学校は上へばかり卒業するものとちごぅて、横へ卒業する仕方がある。》結局、富士は三高文科(いまの京大)を中退することになるんだけど。「横へ卒業」というのがええなあと思う。

▲ 最後に「川は流れるが杭は残る。流れの中に残る「杭」としての富士さんの中に、たえず魯迅のステッキの音が響いていたのではないだろうか」ということが山田さんが「富士さんについて、今思うこと」だと。
わたしは前々回の講演の前に『富士さんとわたし 手紙を読む』(山田稔著 / 編集工房ノア)を読んだのと、その折記念館でであった詩がきっかけで『心せかるる』を読んだきりだったけど、お話を聴いて他の本も読みたくなった。

▲講演のあとの懇親会にもJのおかげで参加。山田稔さんがテーブルを回って来てくださり、なんと氏の向かいでお話できるという夢のようなひとときをすごした。
けど、ほんまの夢やったら、すらすら話せたんやろうけど、現実は緊張とビールによる弛緩がごちゃ混ぜとなり(苦笑)つまらんことをペラペラしゃべった気もして。あこがれの人の前では閉じた貝のように寡黙になるか、もうやめとけ、というほど饒舌になるか、ほんま難儀な性格である。それでも山田さんはていねいに応えてくださって、ありがたかった。(が、それゆえに、再び凹むのであったが・・)

▲ とか、思ってたら山田さんの真横の席だったJも「何かしゃべらなあかんと思って、焦ってしょうもない話をしたり、ちょっと自己嫌悪に陥りそうになった」そうで。
お互い舞い上がったり、凹んだりの一日で。ああ、けど友よ〜ほんま有意義で、そんで愉しい時間やったね。
富士正晴らが戦後島尾敏雄らと始めた かの『VIKING』は東京の文壇に出てゆくための文学誌ではなく「存続することを唯一の目的とする」同人誌で、発行は月一回。今はもう767号やそうな。
帰途、その日出会ったひとたちのこと、聴いたり話したいっぱいのことを思い返しながら、「続ける」ことの力を思いながら 夜道を歩いた。
しかし、なんやかんやとよう歩いた日で、家に帰ったら歩数計は11795歩。人形がバンザイをしていた(一万歩こえると歩数計の人形のバンザイマークが出現するようになってる・・笑)
家に着いたら緊張がとけたのか、急におなかがすいて、おでんの温め直しにワインを少し。ええ夜でした。


*追記
その1)
『富士正晴集』この本の出版社影書房の松本昌次氏が(2014.11.1)レイバーネットに「富士正晴と言う人がいた」という文章を書いてはります。→

図書新聞2014.5.17 『富士正晴集』書評 鈴木慎二氏(BOOKS隆文堂)→


その2)

今日はこれを聴きながら。
Jennifer Castle "Nature"→
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by bacuminnote | 2014-11-07 21:44 | 本をよむ | Comments(0)