いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2015年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

合わせないけど。

▲ 庭の梅咲く。
白いのは満開。紅いのんも見るたびに蕾がそぉっと開いてて、かいらしい。細い枝の合間から見える空の色〜青にも灰色にも、雨さえもよく合うて、ほんまきれい。
そして「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」よ〜(←いっぺん使ってみたかった・笑)ああ、もうじき春やなあ〜とうれしくなる。いや、これが「じき」というわけにはいかんことくらい、もう十分わかってるつもりが。ぽかぽか陽気が二、三日続くと、つい期待してはあっさり裏切られることになるんやけど。

▲いつも春ちかくなると思い出す『家守綺譚』(梨木香歩著)の主人公 綿貫サンみたく《季節の営みのまことに律儀なことは、ときにこの世で唯一信頼に足るもののように思える。
ていうか、その自然や季節の営みさえ”人の手”で壊し、無茶苦茶にしてしまってるこの国に、もはや「信頼に足るもの」なんてあるのやろか。

▲ 昨日今日と急に暖かくなって、買い物に出たらダウンジャケットを腕にかけて歩いている人を何人も見かけた。それでもお陽ぃさんがちょっとかげるとたちまち冬に戻るから。わたしは開けていた上着のファスナーをあわてて上げる。そうやって何度かファスナーを上げ下げしながら歩いた。
首をすくめることもなく、背筋伸ばして颯爽と歩きたいとこだけど、残念ながらここんとこ膝の調子がもうひとつやからぼちぼち。

▲ ゆっくり歩いてると、ゆっくり歩いてる人たちがよく見える。
ベビーカーから降ろしてもらって、嬉々として、でもよちよち歩きのちっちゃい子とママ。どちらか足がご不自由なのか、かばうように腕組んで歩いてはるご夫婦(らしきカップル)は街路樹を見上げながら小鳥のなまえについて話してはる。
杖ついて、手押し車(シルバーカートと呼ぶらしい)押しながら途中何度も休憩のお年寄り。顔見知りの方が通ると「ちょっとぬくぅなってきましたねえ〜」と声をかけて。
ううーむ。閑人のくせに妙にせっかちなわたし。痛いとこがなくても、たまにはゆっくり歩こうと思う。

▲ ゆっくり、というたら、この間、建築家の井口勝文さんという方の講演を聞いて来たんだけど。イタリアで学び(おつれあいの画家・純子さんとも互いの留学中に出会ったそうだ)イタリアに通ううちに、古い家を探し始め、10 年後にようやく廃屋同然のすてきな「家」に出会い購入。以来、お金を貯めてはイタリアに飛び、地元の職人さんの力を借りながら15 年ほどかけて少しづつ改修してきとか。じつにゆっくりゆっくりのお話だ。

▲ その家は中部イタリアの山の中〜メルカテッロ・スル・メタウロという人口1500人の小さな町にあるそうで。美しい山と町。何かというと老いも若きも皆集まっておいしいものを食べて、ワイン飲んで〜スライドで町の写真を見ながらの講演はとても楽しかったんだけど。この日わたしの心に一番残ったのは、ハムでもチーズでもワインでもない。(←もちろん、これにはものすごくひかれるけど)

▲ この町では前述のようにいろんなお祭やイベントがあって、そのつど皆で準備のための話し合いをするのだけれど。井口さん曰く「彼らは”皆に合わせよう”という気が全くない」んやそうで。
それぞれが自分の意見を譲らないので、話し合いはいっこうに進まなくて長引く。
「日本やったらね、先ずそれぞれが皆に合わせよう、合わせよう〜とするでしょう」と井口さんは苦笑する。
でも、彼らはどんなに時間がかかっても話し続ける。

▲ ここで会場の人らの間に「そら、困ったことやなあ」的な笑いが起こるんやけど。井口さんは続けてこう言う。
「それがね、意見があわなくても、みなけっこう和気あいあいとして家族のようなんですよ。で、そうやってる内になんか話は決まってゆくんですよね〜」と。
しかし「簡単に人に合わさない、そういう気質が異国人である我々を受け入れてくれる。”ちがい”を受け入れてくれるんです」

▲ おお!それ、それ!とわたしは膝を打つ。
他人に擦り寄らない。
合わせないけど、だからといって決して排他的にはならなくて。それが自分と「ちがう」人を受け入れる基(もと)になる。差異を知る、学ぶことの意味。
ずっとずっと考えていることの答えに会ったようで、どきどきした。

▲なんでも「みんなと一緒」を求められてちょっと息苦しかった学校時代。
話し合いの会では「みんな好き勝手に言うたんでは話がまとまらないでしょう」と先生か生徒のだれかが必ず言い出して。
そりゃ学級会の時間はもうこれで終わりだけど。次の時間も引き続き話したらええやん〜とむくれてたっけ。何かちがうと もやもやしながらも、当時はちゃんと反論できなかった気ぃするけど。
そもそも話し合うって、いろんな人がそれぞれの意見を言うのが目的であって「まとめる」ためのものやないんよね。せやから、話し合いというのは時間がかかる。
そして、めんどうくさくても、人と人のかかわりの中でこの「時間」はとても大事と思う。くわえてその「時間」の教育もまた。

▲何より印象的だったのは、話し合いを町の人たちが楽しんではるってこと。「楽しむ」「楽しめる」ってすばらしい。
そういうたら、5年に一度くらいは大雪になるというメルカテッロで、町の広場に除雪した雪が積まれると、自然発生的に!若者たちが集まってきて雪でカウンターみたいなのを作って、ろうそくとお酒持ち込んでバール(bar)が始まってるとこや(←たのしそう!)ワインとハムとチーズだけで友だちの家に気楽に寄り合ってる写真も見せてもらった。
井口さんは「お客さん招くいうても、こんな簡単なものですよ。パンだけは家で焼いたものだったりするけど。日本でいうたら竹輪とかまぼこ切って並べて、酒、みたいなもんですよぉ〜」と笑ってはったけど。ええなあ。ええよね。「語り合う」のが何よりのごちそうなんよね。



* 追記 (すまんが 今回も長いです・・)
その1)
ネットで調べてたら動画がありました。
2011年5月明治学院での井口勝文さんの講演→「再生・メルカテッロの町家」

それから、井口氏はコーポラティブハウスを建てて住んではるのですが、そのことをめぐっての対談集も、おつれあいの純子(すみこ)さんが中心になって地域で新聞発行してはった話(1978年頃)とかも、おもしろかったです。(webで文字の大きさや色を変えてはるのが、読みづらかったのが残念)→

もうひとつ、大事なこと書きそびれてしまいました。講演の中で日本とイタリアのちがいの井口氏のお話メモから二点〜
「イタリアも日本の敗戦国。それで、敗戦後1970年までは同じような復興への道を歩んだけれど、この辺りを境にイタリアでは、このままでよいのだろうか〜と古い町を大事にしようと方向転換をした。しかし日本はそのまま高度成長、バブル経済へと突進。結果、町が見る影もなくなってしまった」
「イタリアでは古い家を壊さない。修理して修理して住む。だから町には修理屋さんがいっぱいいる」

その2)
最近読んだ本。
わたしにしたら珍しく東京創元社の本です。シーラッハは前に初めて読んではまってしまいました。
『禁忌』(フェルディナント・フォン・シーラッハ作 /酒寄進一訳/東京創元社2015年刊)「日本の読者のみなさんへ」と言う著者のメッセージが最後にあって、冒頭に良寛の句「裏を見せておもてを見せて散るもみぢ」が〜 
わたしにはなかなか難解でしたが、おもしろかった〜っていうか不思議な本。何てことのない文にも何か深い意味が潜んでるような気もして(謎解きとかいうのやなくて)レビュー読んでたら、何度も読み返してる〜という人がいて、納得です。

たとえば
主人公が写真家になる過程で 中古のハッセルブラッドで撮影する場面があるのですが、
彼はこのカメラが好きだった。写真を撮る側がモデルを直接見ないですむ。視線はミラーを介するので、それほど容赦ないものではない。
この「写真を撮る側がモデルを直接見ないですむ」という一文からも主人公の感じが伝わるようです。そういうたら、ハッセルは相方もカメラマンだったころ愛用しており、わたしはハッセルをのぞきこんでる姿がすきでした。パン屋になってずいぶん後に、ハッセルも他のカメラも売って パソコンや、えっーとあとは何買ったのかなあ。生活費になったんやったのかなあ(苦笑)

あと、もう一冊。
マンモTVのインタビュー‪に登場してはったフォトジャーナリスト林典子さん→の写真・文『キルギスの誘拐結婚』

その3)
この間何気なくyoutubeみてたときにメリー・ホプキンを発見。
この方の歌を聴いたのは中学生のころ。当時の田舎の中学生には音楽の情報源はラジオしかなかったし。その頼みのラジオも山間部でうまいこと入らへんかったりして。途中でザァーって雑音入りだして。ダイヤルつまみをグルグル回して、チューニング合わそうとするのにあかんときの、あの無念さというたら。(いま思い出しても、ううう〜ってなる)

Mary Hopkin -The Fields Of St. Etienne  →
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by bacuminnote | 2015-02-28 00:53 | 本をよむ | Comments(0)

よだきぃ。

▲ その日は朝からうっとりするような 冬青空。
ええな。ええよね、こういう空〜と、うきうき。洗濯物いっぱい干して、息子が夜に帰ってくるというので、ついでにお布団も干して。用事で出かけなあかんけど午前中で戻ってくるし(大丈夫やよねと〜自分に言い聞かせ)大急ぎで支度してバスに乗った。
ぽかぽか陽気のこんな日は 車中あっちでもこっちでも居眠りのゆらゆら頭が見えて、ええな。ええよね〜と頬がゆるむ。

▲わたしは持ってきた文芸誌(『群像』2014年9月号→)を開く。目的は掲載されている『九年前の祈り』(小野正嗣)。芥川賞にはあんまり関心ないんだけど、受賞作の舞台が学生のころ何度も訪れた友だちんちのけっこう近くだと知って、すぐに読み始めたのに。何故だか なかなか先に進めなくて、そのままになっていたのだ。
けど、バスでも電車でも、その適度な振動と車内の雑音がええのか「乗り物読書」はいつも すすむんよね。加えて、この日は文中に旧友が昔しょっちゅう口にしてた「よだきぃ」(大分でめんどくさいなあ。だるいなあ〜というような意味の方言)が出てきたあたりから物語が近くなった気がする。

▲ 作品には地元のおばちゃんたちの会話が何度も出てくるから、他にも方言はいっぱい語られているんだけど。「よだきぃ」はわたしにとってちょっと特別。これ、彼女と彼女の地元の友だちも皆しょっちゅう口にしてたんよね。「よだきぃ〜」「よだきぃのぉ〜」と今これ書いてても、何かいうたらこのやりとりしてた友人たち(笑)が浮かんでくる。(そうそう、著者も彼女たちが通ってた高校の出身らしい・・・てことは、彼も高校生の頃はガッコ近くのあの書店〜夏葉社の『本屋図鑑』表紙に描かれてる"根木青紅堂書店"に通ってはったんやろか〜と想像したり・・・)
いつもせっかちで答えを急ぐ関西人(←わたし)とちがって、南の友たちはみな悠々としており。そのどっしりゆったりのんびり感に、若いころは時に苛立ったり、うらやましかったり。

▲何度も乗った電車〜日豊本線や、佐伯駅から彼女んちまで〜くねくねとリアス式海岸沿いを走る車の窓からみた海も重なって。海のない奈良県の山育ちやからか、その景色はいまもあざやかに残ってる。訪ねるたびに大事にもてなしてくれた彼女のご両親も、いまはもう亡くならはったけれど。長いことみていないあの海がしみじみなつかしい。

▲はじめに書いたように、最初この小説にはすーっと入っていけないものがあって、それが何なんやろ?とずっと頭の隅っこで思いながら読んでいたんだけど。
「よだきぃ」に出会ってから、ねっとりとした潮風を肌に感じながら、海辺の小さな町の急な階段や、狭い路地に突っ立ってるような。いつのまにかそんな空気の中にいて物語を「見て」いるような気がした。
受賞発表の日、著者が言うてはった(→)《小説は土地に根ざしたもので、そこに生きている人間が描かれると思うんです。あらゆる場所が物語の力を秘めている。それを切り取って書くことが、普遍的な力を持つと。》を思い出しながら、大分県南海部郡に(みなみあまべぐん/いまは佐伯市)そして海をもたないわたしにとっての「土地」にも。あらためて思いを馳せるのだった。

▲さて、思いのほか用事も早くすんで、行き帰りのバスで件の小説も読み終え、予定通りお昼前に最寄りの駅に到着。いやあ天気がいいと自然に姿勢もよくなるね。友人のブログでみて思い出した「アマリリス」♪ソラ ソド ソラソ〜ララソラ ソファミレミード〜なーんて、ええ調子で鼻歌うたいながら歩く。
朝早くからバタバタ動いておなかもすいたし、さっと買い物して帰ろう〜とビルの地下のスーパーに。野菜売り場にて、おひたしは菊菜か小松菜か、と迷ってたら、すぐとなりで「大根か丸大根か」と大根談義のおばちゃん二人がいてはって。くくっと笑いをこらえてたんだけど。
次の瞬間フリーズした!
「外、えらい雪降ってるんやろなあ・・」「せやろなあ」

▲ええっ!?ゆ、雪ふってるんですか・・・?
大急ぎで菊菜をつかんでレジに直行。走るように地上に出ると、あのまぶしいような冬青空が一変して暗く灰色に染まり、白い雪が舞っていた。
大変。早う帰らんと布団が、布団が・・と思いながら、いや、慌てて濡れた地面で滑ったらあかんと言い聞かせながら。急いでるようなゆっくりなような複雑な足取り(苦笑)でペタペタ音たてて(たぶん悲壮な顔して)歩いてたんだけど。
そのうちはげしく吹雪き始めたのを機に、布団のことはあきらめた(泣)


*追記

その1)
この間読んだ『ポケットに物語を入れて』は角田光代さんによる書評や文庫の解説によせた文章を集めたものですが。今これを書きながら、このことばを思い出しました

作家がある場所のことを書く、その言葉がその場所の持つ本質を、意識的でも無意識的にでもとらえてしまえば、それは古びない》(p27より抜粋)

その2)
観た映画(DVD)
ドキュメンタリー『椿姫ができるまで』2011年エクサン・プロヴァンスで上演されたヴェルディのオペラを、作り上げてゆく過程を撮った作品です。
音楽は広く好きだけど、オペラは「食わず嫌い」でしたが、何年か前に友だちが連れて行ってくれて「おいしい」ことを初めて知りました。
いや、でも、このドキュメンタリーはとくにオペラ好きじゃなくても、見応えのあるすばらしい作品です。
オペラって演劇なんやなあ〜と改めて思いました。舞台を作ってゆくことの、それぞれがそれぞれのパートで積み重ねるたゆまない努力も、何度も何度も繰り返す稽古の様子も、ほんま感動的です。
そうそう、映画のはじめにでてくる大道具さんの工具類に釘付け。すてき!おもわず画面の写真を撮りました。

その3)
ジェイク・バグ()のインタビューを何気なく読んでいたら、彼が《初めて‘好き’と思える音楽と出会った》というのがドン・マクリーンのヴィンセントやった、って書いてあって。ものすごく久しぶりに聴いたけど。ええなあ。
ヴィンセントとはVincent Willem van Goghのこと。最初の♪Starry Starry Night〜という歌詞はゴッホの「The Starry Night(邦題:星月夜)」という絵に由来するそうです。
Don McLean - Vincent →
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by bacuminnote | 2015-02-15 20:58 | 本をよむ | Comments(0)

「ふりだしにもどる」

▲ なんとも重い気持ちで2月が始まった。
さすがの「しゃべり」も無口になり知らんまに用事の手をとめて考えこんでしまう。くわえて日頃は籠りがちなのに、めずらしく続けて外出したのがこたえたのか体調も冴えず、昨日は終日寝たり起きたりしてた。
それでも夜にはだいぶ元気になったので、借りて来てそのままだったDVD(『フランドル』監督ブリュノ・デュモン/2005年)を観たら、これが予想以上に重くて。またまた考えこんでしまった。

▲これは フランドル地方を背景に、寒村で暮らす若い男女と、その中の青年たちが戦場に就いてからの物語。主人公の女の子の奔放な性は、でも、そこによろこびがあるようには思えなくて。ただ肉体に向ってるだけで空虚だ。彼女の男友だちはやがて戦場に行くのだけれど。そこで青年たちの殺したり殺されたりも。あたりまえのように村の女性を襲う場面も。どの地における戦闘なのか、具体的なものは何も表現されず 全体が寓話のように描かれるものの、胸のあたりがずっと苦しかった。
映画は虚構の世界だけど、昔も今もなお現実にはこんなことが(あるいは、もっと大きな規模で)あちこちで繰り返されているし、また愚かにも再び始めようと目論む人たちもいて。人間ってほんまにどうしようもない生き物なんやなあと暗澹たる思いに陥る。

▲なんとか最後まで観終わったあと、以前読んだ辺見庸『永遠の不服従のために』の中で紹介されていた詩句を思い出していた。氏が埴谷雄高『罠と歯車』の中で出会ったというフルク・グレヴィルの戯曲「ムスタファ」の台詞だ。

おお、堪えがたき人間の条件よ。
一つの法則の下に生まれながら、他の法則に縛られて、
虚しく生まれながら、虚しさを禁じられ、
病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて、
かくも相反する法則によるとせば、自然の意味とは、そも何か。


▲この本、わたしが読んだのはハードカバーだったけれど、いまネットで文庫版をみたら帯に《愚者として従うか 賢者として逆らうか》とあって、どきんとした。自分はどちらかと問われたら、まちがいなく愚者だけど従いたくはない。が、どうやって逆らうのか?どこまで逆らえるのか、と自問してまた唸る。まったく唸ってばっかりやな・・。

▲ 長いため息をつきながら、この間ついに60歳になってしもた。還暦とは生まれ年の干支に還るということらしいから、すごろくで言うたら「ふりだしにもどる」ってことやろか。
シミ、たるんだ皮膚、物忘れに集中力の欠如。足や膝や腰の弱さを思うと、若返るのはちょっと魅力やけど。ううむ、やっぱりわたしは振り出しになんか戻らず、いまのわたしで(が)いいと思いなおす。(←いや、だれも若返らせてはくれへんのですけどね)

▲ メイ・サートン著『独り居の日記』に出会ったのは息子2の保育園の保護者のための『豚豚(とんとん)文庫』の本棚だった。あいにく本が手元にないし、もう20年近く前に読んだので忘れていることのほうが多く(たぶん)古ノートのメモをたよりにこれを書いているのだけれど。
一番印象に残っているのは〜たしか、50歳をとうにこえた隣人が新聞記事にでる自分の歳を若くごかまして書かせた、という話を聞いたメイ・サートンが驚いてこう語るところ。
私は五十八歳であることに誇りを持ち、いまだに生きる夢だの恋だのと関わりあい、かってないほど創造力もあればバランスも保ち、可能性を感じている。肉体的な凋落のいくつかは気にならないことはないけれど、つきつめてみれば気にはならない

▲ とても印象深い本だったけど、当時はまだ40代の初めだったわたしが、どれくらい感じ入ってたのか今となってはわからない。ただ前回も書いたように、そのころは下の子のお弁当やおやつを限られた食材で拵えて毎日保育園に届け、パンの発送準備やお客さんへの手紙を書き(パン焼き仕事ができなかったのでせっせとお便りを書いて、パン屋とは思えん立派なペンだこ!ができていた)長い冬の雪かきや薪運びも、大変な毎日だったにはちがいないけれど。そして保育園で出会うお母さんお父さんは、わたしらフウフよりみな軽く十歳は若かったけれど。若く見られたい、などという思いが皆無だったのは、それでもまだ「若かった」からかもしれない。

▲ けれど今は彼女のいう《私から年齢を奪わないで下さい。働いて、漸く手に入れたのですから》が沁みる。(これは『ロバと詩人』という小説のなかで、ロバに語らせている台詞らしい)
ぜひ再読したいと思う。
そして、それはいつだったかあるサイトで読んだ”You’re not young”は成熟、ということばと重なる。(ここにも書きました→
まだまだわたしの中身は「成熟」から程遠いけど、自分なんかあかんあかんと言うてんと、背筋のばして前むいて歩こうと思う。
賀状にも書いたし、あちこちで言いふらしてるから(苦笑)またか〜と笑われそうやけど。この句がわたし(や、同世代の友たち)の 今年のテーマソングです。

御降り(おさがり)や もうわがままに生きるべき
(小沢昭一 句集「変哲」所収)

* 追記
その1)
本も映画もいっぱい書きたいことが溜まったままの今日このごろです。
とりあえず映画のことを備忘録代わりに〜
まず本文中に書いた『フランドル』についてはここで

『スリング・ブレイド』(ビリー・ボブ・ソーントン主演・監督・脚本/1996年アメリカ) がとてもよかったので、その繋がりから彼が出演している最近の作品『パークランド― ケネディ暗殺、真実の四日間 ―』を観て、引き続きケネディ暗殺への関心から『JFK』(オリバー・ストーン監督1991年)を。

その2)
『コーヒーをめぐる冒険』(原題はOh Boy)
も珈琲をのみそこねた青年の一日が白黒で描かれておもしろかったです。
劇中に流れる音楽もよかったな。
Tom Schilling - Fischer's Song 
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by bacuminnote | 2015-02-04 13:41 | 映画 | Comments(2)