いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2015年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

さくら、さくらの道。

▲ 昨日今日の暖かさで近所の桜は一気に花開いた。
桜が咲くとその周辺までぱあっと華やいで、少ぅし残ってた冬も一掃、風景はすっかり春になる。
みんなが「さくら、さくら」と言うのが わたしにはちょっと かなんのやけど。(毎年同じこと言うてすまん→
うれしいような鬱陶しいような顔して(←たぶん)桜 、桜の道を歩いてたら、今日も道路脇にロングボディの引っ越しトラックが二台とまってた。花の季節は引っ越しの季節でもある。
あれして、これして、それから〜とてきぱき段取りを伝えてる社員風の人と、そのつど明るく軽く?(苦笑)「はーい」と返事してる学生アルバイト風の若い男子数名〜マンションの前の通りを台車で何度も行き来してはる。

▲明日はもう4月やもんね。
新入学に新学期。新入社員、新人、新生活・・・。「新しい」ことが、ええかんじで始まりますように。
その昔 下の子が小学校入学式の前日「ボク保育園に行かへんかったらよかったなあ。保育園に行ったらから卒園して、そんで次に小学校に入学するんでしょ」と真剣な顔して言うてたんをふっと思い出した。
「新しい」や「きらきら」が渦巻くなかで、どんより重い気分になってる子どもたちに(大人にも)4月の風がその子の窓をすこぅし開けてくれますように〜とおもう。

▲この間『おでんの汁にウツを沈めて』(和田靜香著・幻冬舎文庫2015.2刊)〜という本に出会った。「44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー」という副題のとおり作者 和田さんのコンビニ店員デビュー記なんだけど。表紙の「自分が揚げたアメリカンドッグをときどき買う」「おいしい」「ぜいたく」というキャプションつきの絵(作者の和田さんが描いてはるらしい)がおかしくて、かいらしい。
作者プロフィールを見ると、ラジオ番組への投稿から音楽評論家のアシスタント、その後音楽ライターに、とあって。思わずひゃあ〜と声をあげてしまう。

▲ せやかてね、その道って、昔のわたしのあこがれた道やったから。ラジオ番組にせっせとはがき書き、授業中も音楽(ロック)雑誌を教科書の上に置いて熟読していたし。おまけに名前がシズカさんとは。(俳句と短歌の某誌投稿欄に出すとき用に咄嗟につけた名前がシズカなのでした)他にも心配性で虚弱体質なとことか、ね。(←見かけによらず・・苦笑)いろいろ共感することがあり。数行のプロフィール読んだだけで、何だかもう他人とは思えなくて(笑)読む前から一人盛り上がるのであった。

▲ さて、和田さんの本業はライターなんだけど、CD不況もありレコード会社や雑誌からの仕事依頼が激減したことで心身ともに低迷。《倒れんばかりにヨレヨレと行った病院で主治医にポツリ「私、バイトした方がいいかな」と言うと、先生が我が意を得たりという口調で「うん、和田さんはバイトした方がいいよ。薬よりそれがいい」と断言するから、「じゃ、やることにする」と即答》しはったらしい。

▲ とはいえ、実行に移すまでには少しのあいだ逡巡。やがて「悩むより動け」とバイト募集の張り紙のあった近所のコンビニで働くことになる。
わたしは、そもそもコンビニのないところで16年余り暮らしていたし、ここに越してからも「コンビニ払い」と「メール便」(←今日が最後でした!残念!)くらいしか行かないので、置いてあるものもよく知らなかったんだけど。その扱い品目の多さから、営業時間の長さ(というかずーっと開きっぱなしなんやもんね)から考えても、お客さんの層は厚く、ゆえにいろんな人が集まってくる場所ということで。「考える種」のいっぱいある、なかなか奥深い場所のようだ。

▲ くわえて仕事の内容も、物品の販売や品出しだけではなく、表紙絵にあるような揚げものをしたり、お弁当をレンジで温めたり、公共料金の支払から通販の支払い、宅配便にメール便、店まわりの清掃・・といっぱいあって。
和田さんは初日《商品を袋に詰めることさえろくすっぽできないまま》たった4時間・3200円の賃金労働に心身ともにぐったりするんだけど。
自分を打ちのめしてくれるものに、初めて出会った》気がするのだった。そして店長マダム(と、和田さんが密かに呼ぶ)をはじめ「できるオバちゃん」「かわいいオバちゃん」「おしゃべりオバちゃん」「ロックオバちゃん」〜と、先輩パートのオバちゃんたちにサポートしてもらいながら徐々に仕事に慣れてゆく。

▲ ひとつひとつのエピソードがドラマチックで、和田さんのキンチョーしてる様子や その誠実な人柄も、だからこそのしんどさや切なさにも共感。で、そこに添えられた絵が又ええ味なんよね。
困ったお客さんの話にも、怒るばっかりやなくて何故そうなるのか〜と考える目や、コンビニで扱う食品について(おにぎりの味に食傷してしまった話など)素直な感想を書いてはって好感を持てた。

▲ この本には和田さんがバイトをしていた間(2009.10〜 2011.10)のことが書かれていて。大震災直後のコンビニの混乱ぶりの記録もあり、とても興味深く読んだ。
でも何より一番こころに残ったのは、ふだんやってくるお客さんとのエピソードだ。

大晦日に一人で買い物に来てお酒やらつまみを一人分買って 、「今日は紅白観見るよね?」なんて話ししかけてきてくれてからずっと親近感を持っている。 いつも白飯やおかずを一人分だけ買い「あっためてね」と言う。オバさんは間違いなく一人暮らしだ。 特段オバさんと何かを話すわけじゃない。「今日暑いね」「もうだめよ。年だからね」「これおいしいわよ」とか、そんなほんの一言を交わすだけ。 
でもオバさんが気のいい人なのも、どっかちょっと変わってるのも伝わってくる。オバさんが何の仕事をしてるとか、いや、もう仕事は辞めてるのかとか、何も知らないけど、そんなことはどうでもいい。

(p84〜第2章「コンビニのお客さんに考える」 )

▲ わたしは先日ここに書いた図書館の貸出カウンターのことを思い出していた。前はよくお年寄りが館員さんと言葉をかけあってはったんよね。今はまだ自動化したばかりでで「わからない」人が多くて、そばに付いて教えて貰ってはるけど。そのうちマシンに慣れてしもたら、誰にも一言もしゃべらんと帰って来ることになるんやろなあ。(いや、図書館って「しゃべる場所」ちゃうやろ〜と言われたら確かにそうなんだけど。市民図書館は子どものコーナーも含め、少しくらいはざわざわしてるのがええとわたしは思う)

▲ そういうたら、よく行くレンタルビデオの店でも、常連さんがカウンター前で、誰からも聞かれてへんのに「こないだからなぁ、風邪引いてしもて、しばらく来れんかってん」と家の中で篭ってた日々を語ってはったりする(笑)
連続ドラマを「今日は◯巻から5本借りる」とか言うて、従業員の若い子に「それ、もう観はったんとちゃいます?」と返されて大笑いしてるのを、順番待ちのわたしもつられて笑うたりする。

▲ 和田さんは言う。
私は仕事でいろんな有名人にインタビューをするけれど、そこで1時間とかする濃密なようでいて実は上っ面をなぞってるだけの話なんかより、オバちゃんと何気ない一言を日々積み重ねていくことの方がずっとずっと濃厚に思える。》(p85〜第2章「コンビニのお客さんに考える」 )


*追記
その1)
小学校の入学式から行きたくなかった息子2は、しかしその小学校でええ「校長センセ」に会うことになります。ひとがひとと出会うのって大きいこと。3年のときこの先生の異動を「離任式」で知った息子は式の最中に号泣したそうで。
離れるのがさびしくて号泣するようなセンセと出会えた彼も、校長という生徒たちからは ちょっとキョリのある立場で、子どもに号泣されたセンセも。ええなあ。シアワセやなあ〜と思う。

その2)
この間観た映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』(監督:行定勲)→
原作は(西加奈子さんの『円卓』)未読やったし、この主人公を演じてる子がちょっと苦手やったんで 観てなかったんですが、先日『西加奈子と地元の本屋』→という冊子を読んだら(とくに西加奈子✕津村記久子が語りたおす「大阪を書くことはほんまはしんどい?」)めちゃおもしろくて。ここにこの映画の紹介も載ってたのでDVDを借りてきました。

いまの小学生があんなディープな大阪弁しゃべってるんか〜わからへんけど。
観てる間じゅう子どもに戻った気分。こっこちゃんの世界に共感。おもしろかった。
それにしても。劇中子どもらがランドセルやらサブバッグやら何やら一杯持ってるのに、走る、走る。子どもって元気やなあ。
原作も読みたくなりました。(←そして、この文庫解説は津村記久子さん)

その3)
今日はこれを聴きながら
Jackie Oates - Waiting For The Lark (Live BBC Radio 2)→

その4)最後になりましたが。
友人うらたじゅんの個展がもうじき始まります。
http://junmilky.exblog.jp/
【京都】
出町柳・トランスポップギャラリー
「ミリオン通り」
2015年4月2日(木)~12日(日)

【東京】
南青山・ビリケンギャラリー
2015年5月9日(土)~20日(日)
詳細は後日


その5)
「春の夜 鬱という字の迷路かな」(しずか)
[PR]
by bacuminnote | 2015-03-31 17:59 | 本をよむ | Comments(4)

一冊の本が。

▲十日ほど前には雪が降ったのに。
ここ数日の陽気というたら。まだ、もう一回くらい寒くなりそうやけど。ほったらかし庭(あいかわらず・・)の木瓜の紅い蕾も花蘇芳(はなずおう)の濃いピンクの蕾も少しづつやわらかくなって。ああ、じき春やなあと思う。
昨日はとうとうブラウスとカーディガンで買い物に出た。時々つよく吹く風もすっかり春のそれで迫力がない(笑)

▲だからか、道端にちっちゃなソックスが落ちてるのを二度も見かけた。
ぽかぽか日曜の昼下がり〜ベビーカーの子どもが足をこすり合わせるようにして、するするソックス脱いでるとこが浮かぶようで頬がゆるむ。
ぷくぷくの素足をベビーカーのバーの上にでーんとのせて、きもちよさそうに寝入ってるちいさなひとを見ると、ふんわりしあわせな気分になる。
「をさなくて昼寝の國の人となる」(田中裕明)という好きな俳句がある。
もっとも「昼寝」は夏の季語らしいけれど。春は子どもも大人もあくびと居眠りの季節だ。この間から何べんも横断歩道で信号待ちの向こう側〜大あくびの人を見かけるもん〜オツカレサマ。

▲ さて、買いもんの前に図書館に予約本が届いたので借りに行く。
この間から自動貸出システムとかいうのが始まり、わからなくておろおろしてはる年配の方に図書館員さんが横に立って説明してる。歳とってから新しいこと覚えるのは大変。「そうか〜」「ややこしいなあ」「かなんなあ」という声がもれ聞こえて、思わず「ほんまや!」と共感の声をあげそうになる。

▲ たしかに機械相手だったら「恥しい本」(ん?)も平気だ。(つまりプライバシーは守られる。)一冊づつバーコードを通さなくても、そこに借りたい本を重ねて置いただけで一瞬で全冊「読み取る」って、すごい!早い!
でもね、これ、なんとかビーム(苦笑)が出てるんちゃうやろか。なんか気になるなあ〜。
本を借りる時も返す時も、カウンターで館員さんとちょっとした挨拶や笑顔をかわしたり。本が人と人の間にあるのはええなあ、とつねづね思ってる。
検索や予約はコンピューターが入って、ずいぶん便利になったけれど。
ううむ。やっぱり「本の森」にマシンは似合わへん、と思うなあ。

▲ この日、カウンターの図書利用カードを作るコーナーで、4〜5歳の女の子が両親と一緒に「じぶんのカード」を作ってもらってるのを見かけた。館員さんから渡されたカードに「やったぁ!これで自分で借りれるんだよね」と小躍りして、さっそく子どもの本のコーナーに走る女の子。
お母さんもお父さんも「よかったねえ!」「すごいねえ!」と一緒に喜びあってる姿がほほえましかった。

▲遠い日、息子らがそれぞれ図書カード作った日の得意そうな笑顔を思い出して。そばで見ていたわたしはうれしくて、女の子と一緒に走り出したくなるようやった。
ああどうか、これからも本の世界は誰からも、何ものにも、じゃまされることなく、自由であってほしい〜と、入り口に掲げられた『図書館の自由に関する宣言』をあらためて眺める。

▲ この間『お手紙レッスン』という本を読んだ。P143の薄い本だからすぐに読み終えたけど、しばらく豊かなきもちの時間をすごす。本でも映画でも。読み(観)終えたあとのこういう時間がすきだ。
9歳の男の子マックスはおじさんにD.J.ルーカスという人の『でっかいいじめっ子なんかこわくない』という本をクリスマスにもらう。これがとってもおもしろかったので有名作家である著者にファンレターを出すんよね。

▲ で、その手紙にD.J.が返事をくれて、二人の文通が始まる。
マックスは「大きくなったら作家になりたい」って少年なんだけど《どうやって書きはじめたらいいのかわかりません。おかしくて、いろんなことがおこって、おもしろいキャラクターがたくさん出てくる話にしたいと思ってます。手をかしていただけませんか?》なーんて書く。一方D.J.も行き詰まっているときに、マックスとのやりとりでアイデアが湧き出したり。会ったこともない40ほど歳の差のある二人が創作について、家族や友だちのことを語り合う。この本はその書簡集だ。

▲ ふたりの手紙を読んでると、マックスの学校でのいじめのこと、自身の病気や亡くなったお父さんのことなど少しづつわかってきて。最初うすぼんやりとしたイメージだった二人の姿が、だんだんピントが合ってきたみたいに、近く感じるようになる。
そうして、最後は二人それぞれの作品を仕上げるんよね。
そうそう、本の表紙にD.J.ルーカス作と書かれた下に(AKAサリー・グリンドリー)と意味不明の表記があったんだけど。訳者千葉茂樹さん(この方の翻訳本はすきな作品が多いです)のあとがきによるとAKAとは「別名」のとか「またの名は」という意味のことらしい。つまり、この本はマックスとのやりとりをD.J.(最初ルーカスって名前から男性かと思ってたら、女の人だった!)が本にしたという体裁になっているわけ。

▲ 自分のお気に入りの本の著者に手紙を書く、と言ったら、この間観てきた映画『きっと、星のせいじゃない』の中にも、主人公の二人がアメリカから、自分たちの好きな本の作家のいるオランダまで会いに行く話が登場するんよね。(この映画〜原作本『さよならを待つふたりのために』がとてもよかったので、どんな風に描かれているのか気になって観て来ました。あ、この本については以前ここに書きました )

▲ そうだ!わたしもまた前に作家に手紙を出してお返事をもらったことがあるのだった。(そのときの顛末はここに書きました)昔は本のうしろに作者の現住所が載ったりしていたもんだけど、今はもうそんなことはどこにも書いてないので、わたしは出版社宛ての手紙に同封して、作者に渡してほしい〜とお願いしたのだった。その方(装丁家の坂川栄治さん)がわたしへの手紙に書いてくださったことはいつまでも忘れられない。ああ、やっぱり本は人から人に手渡されるものであってほしい。

一冊の本が送り手と受け手をつなぎます。まさにこの手紙がそうです
(坂川さんの手紙より)

*追記
これ書いてるあいだに、温い→寒いになりました(泣)
今日も昨日のつづきみたいな格好で出かけたらめちゃ寒かった。

その1)
『きっと、星のせいじゃない』予告編(例によってあえて英語版です。)→ 

これとは全くちがう世界なんですが、ずいぶん前に読んだ『悪童日記』→(アゴタ・クリストフ作 / 堀茂樹訳)〜とても印象深い作品だったので、映画化には関心があって観ました。
映画『悪童日記』予告編

その2)
古い本を整理してて見つけた(つまり、本の整理はこれでストップした・・苦笑)
『資本主義って何だろうか』→(リウスの現代思想学校3/山崎カヲル訳/晶文社1982年刊)リウスはメキシコの漫画家。表紙の子どものフキダシに「買うことが生きることなの?」にギクリ。もう絶版みたいなので図書館ででも。


その3)
日曜日の昼下がり〜というたらこれ。
Randy Newman - Dayton, Ohio - 1903→
[PR]
by bacuminnote | 2015-03-23 16:49 | 本をよむ | Comments(0)

象の小川。

▲寒い。
いったん春めくと、からだも気持ちも一気に緩んでしまうからか、ここ数日の寒さが堪える。一昨日は晴れたかと思うと急に曇り、その後いっときは歩くのもこわいほど吹雪き始めて。いつものことながらこの時季の気まぐれ天気にはほんま泣かされる。
できるだけ「洗濯物は外で乾かしたい」派(!)のわたしはそのつど洗濯物を外に出したり入れたりしており。
そうして、洗濯干し器を移動させるたびに障子戸にコツンコツン当て、ゆえに障子は穴ふさぎの「桜」が派手に舞っているのであった(苦笑)

▲少しづつ散り始めた白梅のそばの山茱萸(さんしゅゆ)の黄色いつぶつぶが一杯ついているのに、この間気づいた。よく見ると はぜた花火のように小さく開花してるのも混じって、かいらしい。一枝切って一輪挿しにいれたら、ぱっとそこだけ春になったようでうれしい。
黄色い花がすきになったのは、信州暮らしのころ、まだ雪の残る軒下にクロッカスの黄色い花が咲き始めたときの感激が忘れられないからかもしれない。
春が近いことをしらせてくれる黄色はとくべつやもんね。

▲ 昨日は京都に住む息子2と途中合流で吉野に行って来た。
昨日の朝も前日の寒さをそのまま持ち越しており、外に出るやその冷たい風にきゅうと音がでるくらい(笑)縮こまりながら駅まで歩く。母にはお菓子や食欲のないとき用のフリーズドライの軽食。それに頭の体操プリント(!)を数枚と、あとネットでみつけた母が読みそうなコラムをプリントしたものも入れた。
道中電車の乗り換えがわたしは1回、息子は3回もあるので、前日時間調整して合流する電車を決めたんやけど。「ちゃんと早起きできたんやろか〜」と地下鉄の中でふっと思ったちょうどそのとき「ごめん。寝過ごした!一本後の電車に乗ります」メール。がーん。

▲ この日バッグに入れてきた本は『丹生都比売(におつひめ) 梨木香歩作品集』(新潮社2014年刊)この本、表題作ふくめ9篇の短篇がおさめられている。最初に表題作が単行本で出たとき(1995年)梨木本ということや、舞台が吉野と知って気になりながらも、このタイトルにひっかかって長らく手が伸びなかったんよね。というか、吉野というと、この本の背景にある「壬申の乱」のように「皇位継承」にまつわる争いの話がよく出てくるのが、わたしは かなんのであった(苦笑)
と言いつつも、その辺りの歴史をよく知らないのも確かで(この本はフィクションなんだけど)何となく読みたくなったのは、今がわたしにとって"読み頃"だったのかもしれない。たぶん本にも旬みたいなもんがある。

▲でも、政争の渦中にいた主人公も”闘う人”ではなく、繊細で心やさしい小さな男の子、草壁皇子で。光をあてる人が梨木香歩さんらしいなあと思う。
初めて父・大海人皇子から弓矢の手ほどきを受けたときも、異母兄弟である大津皇子は《生まれてこのかたずっと扱ってきたといわんばかりに、一度で見事に的を射た》のに、草壁皇子というたら弓を持っただけで(弓が山櫨の木でできているせいか)手がまっかにかぶれてしまい《そのことを心中深く恥じて》いるような。伯母に《この世が、どうにも肌に合わぬのじゃなあ》と同情されるような子で。

▲ 大人の目には姿の見えない〜もの言わぬキサという女の子とも、そういうやさしい子やから、であえたのだろう。
皇子は言う。《キサといると、語ることより語らぬことの方が、ずっと貴いことのように思えてくる》キサという名前は(彼女は何も語らないので)草壁皇子が目の前にそびえていた《象山(きさやま)のキサ、喜佐谷のキサ》から名づける。

▲ わたしにとっては、なじみ深いこの山や地名を目にして、もう長いこと行ってない宮滝付近の風景や「象(きさ)の小川」の流れがそれでもすぅーっと浮かんできて。そのことにどきんとする。
この辺りは万葉集にもよく出てくるところ。古典は大が五つくらいつくほど苦手で無知なわたしだけど(せやからね、まちがってもわたしに万葉集のこととか聞かんとって下さい)大すきなところで。ひさしぶりに寄ってみたくなった。

▲ この草壁皇子の醸し出す空気は他の短編にでてくる子どもたちにも重なり、つながるものを感じる。いや、この本だけではなく梨木香歩というひとが描く子どもの周りにはいつもこんな風が吹いて《涼しい鈴の音が立つ》ようで。胸をつかれるんよね。そうそう、本文中、吉野の山にも春がきた〜という場面に《そこここに春を告げる山茱萸の木が目立つようになりました》とあって、頬がゆるむ。

▲ さて、いつものように途中から川の見える席に移動し外を見ると、ちょっと前まで晴れていたのに、空はいちめん灰色で吹雪き始めたんよね。雪が舞い舞いしながら電車を追いかけて、吹き飛んでゆくようすに見入る。そのうつくしさに吸い込まれそうになる。
「花の吉野」と言われるけれど、わたしのすきなんはこんな日の吉野やなあと思う。人の姿のない川原、薄緑色の川のさざなみ、枯れ草に枯木も。そうして材木屋の煙突から立ち上る煙が見え始めると「ああ帰って来た」と思う。

▲ 激しく雪の降るなかホームに降り立って、そう言うたらあの子、こんどこそ間に合うたんやろね?〜と気になってメールしてたら、一台とまってたタクシーがお客さん乗せてすいーっと走り去ってしまった。仕方なく強風に飛ばされそうになりながらタクシー乗り場に立ってたんやけど、人も車も見えず。
♪Tombe la neige あなたは来ない〜(←なーんて歌うてる場合やない・・泣)
こんなことは初めてなので、駅員さんに聞きに行ったら「たまたま出払っただけで、そのうち帰って来ますやろ」と間延びした声が 切符売り場のガラス戸越しに返ってきて。「そのうち」って、どのうちよ?・・・と、もぞもぞ言いながらも元の場所で震えつつ立っていたら、ようやく一台戻ってきて乗車。よかった!

▲家に着いたら玄関口に「寒かったやろ。ようお帰り」と母がいて、その後ろ〜大きな壷には姉が活けた山茱萸が小さな黄色い花火いっぱいつけて 枝を伸ばしてた。まさかここでも春の黄色にあえるとは。
やがて一本遅れで息子も到着して。にぎやかに話す間にも窓の外は吹雪続けていた。話の合間、大きく窓を開けてみる。とたんにぴゅうっと吉野川の冷気が入って来て。暖房でほてった頬にそのつめたさが心地良い。
「ええなあ。川の空気そのまんまやなあ」と悦に入ってたら、うしろから「わかったし早う閉めてくれへん?」と言われてしもた。


*追記
その1)
母に地元の造り酒屋さんの歴史を紹介した蔵元さんによるコラムをネットでみつけたのでプリントして持ってゆく。
その中に当時蔵元さんのご先祖が大塩平八郎たちを匿った旨の記述があり。「大塩平八郎の乱」(←《江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂(現・大阪市)で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎(中斎)とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱》by wiki→)についてはガッコの歴史授業程度の知識しかなかったので、母にレクチャーのためにわか学習(苦笑)
飢饉は天災ではなく人災である》とは氏のことば。
上記wikiにも書いてありましたが、《奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた》とか。もうちょっとくわしく知りたくなりました。

その2)
山茱萸 wiki→

その3)
この間から観たふたつの映画のローマ〜

ひとつめ『グレート・ビューティー 追憶のローマ』→
冒頭セリーヌの『夜の果ての旅』の一節が流れます。
《旅は有益だ。想像力を誘う。あとは幻滅と疲労のみ。(中略)すべて見せかけ、つまり小説、作り話。辞書にもそうある。しかも目を瞑れば誰にでもできる。そこは人生の彼岸》
セリーヌもプルーストも(いや、プルーストは出てきませんが・・)未読のわたしは、いきなりここで挫けそうになるのですが(泣) そうしてその後も「ああ、もうちょっとわかりやすい映画観たかったんだけどなあ」とか思ったりしてたんだけど(苦笑)エンディングまでたどり着いて(観て)ほんまよかった!

ふたつめ『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』→こちらはドキュメンタリーです。
ひとつめの映画が強烈だったので、その後に観たこちらは淡白な感じがしたけど。
救急隊員。アパートの老紳士とその娘、シュロの木に寄生した害虫の世界研究の植物学者〜よかったです。

その4)
きょうはニーナ・シモン。ボブ・ディランの曲のカバーです。
Nina Simone -''Just Like Tom Thumb's Blues''
[PR]
by bacuminnote | 2015-03-12 20:09 | yoshino | Comments(4)