いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2015年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

▲暑い。
昨日図書館にあがるエレベーターを待っている間も(ここはいつも時間がかかる)扇子をぱたぱたしてはる人や、ノースリーブのブラウスの人、汗いっぱいかいてる小さい子にママがバッグから水筒取り出してはったりして。
壁に貼ってある図書館カレンダー眺めながら、もうすぐ6月やもんなあ〜と、なっとくの暑さをわたしもハンカチ出して拭う。
と、そのときママに抱っこしてもろた男の子と目が合ってにっこり。
いつのときも、シアワセなきもちになる瞬間だ。

▲かれは手にもったハンカチがどうもご自慢のようで、ひらひらして見せるので「何の絵かなあ?」と聞くと、それには答えず(苦笑)幼稚園の年少組ってこと。Tシャツに書かれたじぶんの名前を、一文字ずつ指さして、○○○〜と読み上げてくれる。
Tシャツの次はハンカチの名前を。そしてその後ご自慢のハンカチの絵〜ミキサー車のおはなしに。
そうしてるうちに、エレベーターが着いて乗り込んで。いつのまにかママの手から降りた男の子はわたしをみあげて話す。「あのね、それでね、おばあちゃん…」
と、そのとたん、ママが慌てて「わあ。すみませーん」と謝らはって。同時にたのしいひとときがおわって。じきエレベーターのドアが開いて「バイバイ」と手を振り合った。

▲「おばあちゃん」というたら(苦笑)この間旧友Yと「還暦同窓会」をした。
1月と2月の近い日に生まれたので、その辺りに(二人ともあまのじゃくやから高校の同窓会には行ったことがないけど)
二人で「還暦祝い」を、と話していたのだった。ところがこの年にはこの年頃のいろんなこと〜老親のことも、家族のことも、自身のことも あって、冬から春をすぎ初夏になってしもたんやけど。
相談の結果 Yんちに初訪問させてもらうことになって。で、その数日後「善は急げで、26日に来ぃひん?」とお誘いの電話。そんなわけで、久々の再会、遠出はとつぜん決まった。

▲とはいえ、新大阪→岡山は新幹線に乗ると、たったの45分なのであった。よしのに帰るより、よっぽど「近い」。わたしは日頃出かけることが少ないから、こういうときはかならず「遠足前の子ども」状態。留守の間の相方の食べ物補給もして、お風呂にも早々と入り。かばんの中身を点検して、入れたり出したり、加えたり。コーフンしてなかなか寝付けなかったのに、朝は目覚まし時計が鳴る前に起床…というおきまりの展開だ。
その日も朝からええ天気。ゴミ出しの日やったから、ご近所なかよしさんらに「行ってらっしゃーい」と海外に行くかのように(苦笑)見送ってもろて出発。

▲道中、予定より一本早い新幹線のほうが乗り換えに都合がいい〜とYからメールがきて、ホームを小走りで乗車したもんで(長いこと新幹線も乗ってへんから自由席が何号車か、とかすっかり忘れており)席に着くなりどっと汗が出た。
クーラーがよく効いて、ああええきもち。でも目ぇつむったら、ねぶそくの身ゆえ熟睡してしまいそうやなあ。博多まで行ってしもたらあかんしね〜持ってきた本(『べてるの家の「非」援助論』医学書院刊)を開く。2002年6月1日の発行やから、もう13年も前の本で。

▲「べてるの家」のことも、この本も、わたしらがまだ信州開田高原にいたころに時折聞いてはいたものの、なんとなく読みそびれていたのだった。
これ、何回も書いてるけど、ほんま人でも本でも映画でも、いろんな出会い方があって。幸せな出会いも、ときに不幸(苦笑)な出会いも。そしてそれは、何かのはずみに反転することも、全然違う方向に広がったり、飛んでゆくこともあって。
せやから「出会う」っておもしろいなあと思う。

▲少しして汗がひくと、こんどは肌寒くてカーディガンを羽織ろうとしたんだけど。三人席の真ん中で、両隣は足下にスーツケース置いてはって、思うように身動きとれず。
座席で腰浮かして、デカイ身を縮こませつつ(ツリそうになりつつ)袖は何とか通せたものの、身頃がなんか変てこになっており。
それでも、まあ寒いの凌げたらええか〜と思ってたら、
右隣の年上の(たぶん)女性が「あらあら、ぐちゃぐちゃになってるよ〜」と笑いながら直してくれはって。
それきっかけに話始める。

▲下関のご実家に帰るところだそうで。
そのむかしの夜行列車のこと〜いつも夜11時45分発に乗ったのよ。
母がいるときの下関と家、いなくなってからの下関と家はちがうんよねえ。なんていうか空気がちがうというのか、気配がちがうというのかなあ〜
お母さんはご健在?そう、いいわねえ。
今日はどこまで?お友だちとこ?いくつになっても友だちはとくべつよねえ。
たった45分の乗車の、10分にも満たない会話だったけど。旅の気分を味あわせてもろて。
「ほな、気ぃつけて」と岡山駅で下車。

▲改札のむこうで手をふる友だち。
何年ぶりかなあ。大阪に戻ってから一度来てくれたし10年近いかも。
久しぶりの再会のあいさつは「かわらへんなあ」だ。(←つねづね、おばちゃんたちのこの「決まり文句」には息子らから「あほらし〜」と笑われるのであったが)
この日はまず倉敷に寄ることに。
高1のおわりの春休みに、クラスメイト4人で倉敷や鳥取砂丘に旅行したのであった。このころ創刊したての『an an』にたしか倉敷特集があったんよね。それまでの旅行案内とはまるっきりちがう街歩きのガイドで、くまなくチェックして出かけたんよね。大原美術館に喫茶「エル グレコ」、蕎麦「あずみ」〜って、「まんま」やん〜やけど、友だちだけで旅行は初めてやったしうれしくて終始浮かれてた。

▲宿泊は倉敷ユースホステルで。ユースホステル〜というのがその頃の若者の旅のジョーシキで。
大原美術館にあやかって各部屋には画家のなまえがついており、わたしたちの部屋はたしか「ルオー」だったと思う。さっき調べたらここは《大原美術館分館や倉敷市庁舎なども設計した著名な建築家 浦辺鎮太郎が、蔵の街をイメージして設計した》建物らしい。
大人になってからは苦手だったユースホステル名物のミーティングも、16歳の少女たちには刺激的でたのしみに参加した気がする。
そうそう、翌朝チェックアウトのときカウンターに並べてあった会員証で、わたしと同姓同名のひとが宿泊してはることがわかって、記念撮影したり。
バックパックの大学生のお兄さんと知り合ってはしゃいだり。

▲まあ、そんな かいらしかった女子高生的旅の日を思い出しながら、友と倉敷のまちを歩く。倉敷はしっとりおちついたまちだけど。近頃はどのまちも、ほどほどに洗練されて、どこもよく似ており。それより何より、おば(あ?)ちゃんらは長いブランクの間の積もり積もった話だ。
11時前に岡山に着いて夕方4時に最寄りの駅へYのおつれあいのMさんが迎えに来てくれはるまで、みごとにしゃべり通し。

▲じつは彼女たちケッコン数年目の新婚さんで。でもそのやりとりを聞いてると、時にきつい冗談もとび出すものの、底には温かなものが流れてて おたがい素顔で「ええかんじ」に暮らしてはるのが伝わってきて。さすがジンセイの達人同士、長く暮らしてきたカップルのような貫禄もあって。
わたしも初めておじゃまするお家のように思えなくてリラックスさせてもろた。
リビングにはなつかしい薪ストーブ。さっきまで薪割りしていたというMさん〜道むこうには小川が流れその川辺で薪割り、とか。ええなあ。

▲お家には理系エキスパートなMさんの手があちこちに入り、歩くのを追うように電灯がついたり消えたり、どこからか時報が聞こえたり、人が入ってくると音が鳴ったり。
屋根の上には自作ソーラーシステムが、とぐろを巻いており(長いパイプに汲み上げた井戸水が200Lたまるようになっているらしい←お風呂用)夏には屋根の熱をとるべくスクリンプラー(これも井戸水を使って)から注水されるようになっていて。ほかにも床下や壁中にもいろんな技が内蔵(!)されてるらしい。
いやあ、どんな修理にもガムテープ一本ですましてるわが家(苦笑)からは考えられない「発明の館」であった。Mさんの本来のご専門の話も興味深く、その他にも驚嘆、賞賛、抱腹絶倒なおもしろいエピソードをいっぱい伺ったのだけど、ここで披露できないのが残念。
Yが彼のことを「とうちゃん」「センセ」と呼んでいるのにも納得。

▲夕食は料理プロ級なYが前日から「おいしいもん」をいっぱい仕込んで拵えてくれてあった。(大皿一枚ドーン〜なわが家とえらいちがい…)
そういえば、学生のころ住んでいた家(いまでいうシェアハウス)に、彼女が来て、ハンバーグとコンソメスープを作ってくれたことがあったんよね。
一緒に住んでいた友だちもわたしも、めちゃ無精モンで、台所も不便やったし(冷蔵庫がなかった、ということもあるけど)当時はご飯炊いてふりかけか海苔〜レベルの自炊やったから、おいしくて大感激したことを覚えている。

そうそう、仕事からもどった息子さんは小麦粒のリゾットを作ってくれはって、これもおいしかったぁ。
のんで、たべて、しゃべって、のんで。
このお家のなか〜Yがたいせつな存在なのだということをあちこちで感じて、とてもうれしかった。自分のたいせつなひとがたいせつにされてることを知るのは シアワセだ。

▲次の日、Yが「おかあさんがクミちゃんの声聞きたがってたし〜」と電話をかけて、久しぶりに「おばちゃん」と話す。
そのむかし、親とけんかして家出てきたわたしが Yの家に泊めてもろたこともあったそうで。
ううう〜そんな恥しい過去があったのか(すっかり忘れてた)ていうか、Yのお家にはしょっちゅうおじゃまして、ご飯をごちそうになってた。
考えてみたらわたしって、ちっちゃなときから大きくなるまで、いつも、どっかのお家でご飯食べさせてもろてるんよね。

▲自分ちが家族の温もり〜のようなものからは遠い家やったからかもしれんけど。
近所や友だちんちで「おいしいもん」「あったかいもん」ごちそうになって、 自分のすきまを埋めさせてもろてたのかもしれない。
いまさらながら、ご飯食べさせてくれたあちこちのお家の人たちに、こころからおおきに〜とおもう。
おばちゃんが言う「友だちはええもんやなあ。なかようしたってや〜」は、母がわたしの友に言うことばとおんなじや。娘をおもうきもちにじんとくる。

▲話しても話してもつきない話は、しかし、とくべつなことなど何もなくて。
しんみりと話したあとに突然、服の話。鏡のぞきこんで大爆笑したり。
古いアルバムみて若い自分らの写真に「かわってへん」ことはない(!)のを確認したり。
帰りは岡山駅までフウフふたりで送ってくれはった。
道中、ドライバー(夫)に「こっち行った方がええのに」とか何とか 文句つける妻(笑)の図は、漫才見てるみたいで、おもしろくて、ほほえましかった。
ありがとう。ええ同窓会。ええ旅でした。


*追記
その1)
『an an』の一年後に『non no』が出て、旅案内の特集の雑誌を片手に旅行するひとたちは「アンノン族」とか呼ばれ始める→


その2)

今日はこれを聴きながら。
Grand Funk Railroad初来日1971年7月のライヴ。
これ、Yと二人で今はなき難波球場まで行きました〜 下記utubeのコメントにも、わたしたみたいな人のコメント載ってるけど、初めての野外のロックライヴで(当時はコンサートって言うてた)帰り道じんじんする手(←叩きすぎて)で、道いっぱいにロックな人たちと歩いて夢のようでした。
音はよくないけど、当時の熱気がつたわってくる音源です→
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by bacuminnote | 2015-05-29 13:35 | 出かける | Comments(0)

ひるねさめ。

▲ ええお天気の日が続くから。
青い空と夏みたいな陽気に なんか背中押されるように連日ドタバタしてる。客用冬布団を干して圧縮。こたつの上掛けに毛布、セーターにストール、手袋、帽子、スカートにずぼんの洗濯と片付け。あ、ダウン類もまだ残ってる〜ああ、しんど。

▲けど、家やと きつい洗剤は使わへんし気持ちいいし安上がりやし。とは言え、もう少し(もっと)洗濯量を減らすためにも、あれこれ着散らかすのはやめよう。そうして気に入った服を少しだけ、長くだいじに着よう。(と、衣替えの季節のたびに思ってる・・)

▲ この頃アイロンをよく使うようになった。相方もわたしもほとんど綿や麻の服で、前はシワも気にならなかったんだけど、いまは本体が(!)シワになりつつあるから、服はちょっとだけシワ伸ばし。いつもめんどくさいなあ〜と思いながら掛け始めるのに。途中から気分よく鼻歌〜やがて無心。
そうしてコンセント抜いたあとも余熱のあるうちに、とハンカチやらエプロン出してきて、当てたりしてる。

▲ そういうたら、中高生の時の制服 プリーツスカートは布地がテカるアイロンよりもっぱら「寝押し」だった。いつだったか若い人に言うたら「なに?」って顔されてしもたけど。敷布団の下にひだを揃えてスカートを置いて、寝ている間に自分の重みでプレス〜というじつにエコな方法だ。

▲ただし、眠くて ひだをきちんと揃えないでええかげんに置いた時や、ていねいに揃えたつもりでも寝相のせいで、朝起きたら折り線が新旧2本になってたり。プレスがききすぎて(!)畳の目が模様のようについてる朝もあったりするんやけどね。

▲ 几帳面なんだか、大雑把なんかよくわからん性格はこのころから変わってない。そうそう、ハンカチはお風呂に入った時ついでに洗って、アイロンがけのいらんように窓ガラスに貼り付けたっけ。これもまっすぐ貼ったつもりが乾くと菱型になってたりしたんよね。
「星空へハンカチ貼って生きむかな」(岡本眸句集『午後の椅子』)
ハンカチのむこうに星空か〜ええなあ。

▲ この間ひさしぶりに墓参にでかけた。
しばらく足も体も。あちこち不調で いつにもまして篭っていたのだった。
が、その日はぐっすり熟睡できて気持ちのいい朝やったから。朝いちばん窓開けて 青い空見上げて「よし、行こう」と思いついた。春の佳き日の「よし、行こう」が墓参というのがなんかアレやけど。まあええことにしよう。草抜き道具と軍手に、帽子、お茶とおにぎりとビスケットなど袋に入れて、いつものバスにのりこんだ。

▲ ところが外に出たら、ええ天気どころか真夏のような陽気で。バスにも窓越しにその熱気が伝わって暑いの何の。いつもなら席に着いてすぐ本を読み始めるのに、しばらくぼぉーっとしてたんだけど。そのうちきもちのいい風が入ってきて 珍しくうとうと 夢まで見て。「次は◯◯駅〜」のアナウンスに、びっくりして目が覚めた。

▲「昼寝覚電車戻ってゐるやうな」(原田暹)という俳句があるけど、一瞬「ここはどこ?」状態で焦る。口の周りを拭いながら、寝言とか言うてへんかったよね?と自問自答(苦笑)

▲ 昼前の墓地に着くと誰ひとりいなくて。マンガによくある「しーん」と書いた場面を思ってみたりしながら、ちょっと心細い自分(←見かけによらず あかんたれ)をはげます。
が、そんなことなどすぐに打ち消されるほどに、その日の陽ざしはお盆前の墓参のようで、ひと動きのたび汗だくになった。

▲洗い場は桜の木陰。ここにどっしりと しゃがみ込んで花入を洗ってると、すぃーっとええ風が吹いてゆく。ああ、ええきもち。ちょっと休憩のあと又もくもく草を抜き、水受けを洗って、墓石に水かけお線香あげて。ほな、また来ます〜と墓地を出る。

▲ 帰る道々わたしの頭の中はアイスとビールでいっぱいで。(でもいつだったか、帰途寄った たこやき&生ビールのせいで 酔うて 暑うて 。家に帰り着くまでひいひい言うて歩いたから)
駅に着くなりソフトクリーム !歩きながらアイス食べるおばちゃんのシアワセそうな顔いうたら(←たぶん)それから発車前の待ち時間におにぎり食べて、一息ついて。

▲持ってきた本を開いたものの バスの中で読む本やなかったかなあと、一旦閉じて。ああでもやっぱり、と又開いて読んだ。 『子どもが語る施設の暮らし2』(『子どもが語る施設の暮らし』編集委員会編・明石書店2003年刊)この本は題名の通り児童養護施設で暮らす(暮らした)子どもたちの聞き取りなんだけど、施設に入る前に児童相談所〜一時保護所での時間があったり、里親の元に行く子や、場合によっては教護院(児童自立支援施設)に行く子もいて。

▲ 子どもたちの生の声といっても、刊行からすでに12年もたってるから、「今」の状況とはちがうことも多いと思う。何より12年の間のこの国の変化といったら。子どもを取り巻く環境は良くなるどころか、どんどんひどいことになっている。
それでも、家庭内での虐待に苦しめられた子が「ここは大丈夫」と連れて来られた施設で、職員や先輩の虐待に会うた話も、家よりここ(施設)のほうが安心できた、という子のつぶやきも、里親に引き取られたけど、合わなくて施設に戻った子も。一方今も施設の職員が懐かしいという子や、教護院での生活は財産だった、という子もいて。
そのさまざまな経験談も、何の説明もなく施設に入れられた不満や、親への恨みも恋しさも、どこかの施設にいる子らの「今」にも重なるとおもう。
 
▲本の中で、施設を出て現在は親と暮らし始め美容学校に通ってるという子が「おとなたちに言いたいことがあります」とこう語っている。

やはり施設の職員はひとりの人間として子どもと向き合って、子どもの味方であって欲しいです。上司の言うことばかり聞いて、子どもの言うことを聞けないような人は問題外です。子どもが困っていることを受け止めて、ちゃんと解決してくれる人。そういうことをきちんと上司に伝えて、頑張ってくれる人。そういう職員がいないと、子どもは「何を言ってもだめだ」「結局は何も変わらない」とあきらめてしまって、何も語らなくなってしまいます。》(p70より抜粋)

東京都では「お金がかかるから」という理由で、施設を無くして里親を増やそうという動きがあるそうですが、よくない里親に引き取られた子どもの方がずっとかわいそうです。簡単に施設を無くすべきではないと思います。密室の虐待なども、ぜったい施設の方が少ないはずです。 
そもそも「お金がかかる」という理由が納得できません。ほとんど利用者のいない高速道路や建設物をつくったり、税金を私物化する役人や政治家がいる方がよっぽどお金の無駄遣いです。
子どもたちが施設で暮らさなければいけないのは、子どものせいではありません。おとなたちのせいなんです。だから、おとなたちにきちんと責任を取ってほしいと思います。

(p71より抜粋)

子どもたちにとって心から信頼できる職員や里親も、人間不信に陥るようなひどい職員や里親も、その両方存在するのが現実かもしれないけれど。どの子にも心安らぐ場がどこかにあってほしい。そして、子どもらにその「であい」はただの「運」任せであってはならないと思った。ここに書かれた職員へのねがいは、そのまま社会や政治への願いに繋がるよね。
最後の「おとなたちにきちんと責任を取ってほしい」が強く突き刺さります。

* 追記
その1)
児童養護施設に暮らす子どもを描いた本(『10歳の放浪記』『サラスの旅』『チャーシューの月』)や映画(『僕がいない場所』『少年と自転車』『冬の小鳥』)は前に ここで紹介しています。
リンク先など書いていますので、よかったらチェックしてみてください。→


その2)
今回書きそびれた本。『クララ先生、さようなら』(ラヘル・ファン・コーイ作 石川素子訳 いちかわなつこ絵 徳間書店2014年刊)
原題は"Klaraus Kiste"といって「クララの棺」という意味らしい。どきっとするタイトルだけど、訳者のあとがきにあるように《ファン・コーイの文章は、実にリアリティに富んでいます。しかし、あくまでも淡々としていて、センチメンタルなところがありません。それでいて、とてもあたたかで、ユーモアがあるのです。》まさにそのとおり。子どもだけでなく大人にも読んでほしい一冊です。

その3)
音楽の思い出はわたしのアルバムとそのまま重なります。
この間B.B.Kingが亡くならはったことを知り。その時々のことをいろいろ思い出しながらひさしぶりに聴き直したりしてます。

そういえば信州でいた頃、息子1が帰省したとき「おみやげに〜」とB.B.KingとClaptonの"RIDING WITH THE KING"というCDを買ってきてくれたことがありました。
その中の一曲  "Come Rain Or Come Shine Subtitulado "→

その4)
これを更新してる間に「大阪都構想」住民投票の開票がありました。
否決!よかった!!と、よろこんだあと考えこむ。
僅差で反対となったけど。僅差で賛成となる可能性もあったということで。
安易な多数決は怖い。どんなに時間がかかっても、議論に議論を尽くさなければ、と改めて。

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by bacuminnote | 2015-05-17 22:03 | 出かける | Comments(4)
▲もともと弱い喉なのに、今はいろんなもんが飛んでるせいか、ここんとこ調子が悪い。前は耳鼻科にかかると「何か声を使う仕事してますか?」と聞かれたりして、一瞬「!?」となったっけ(さすがに「ただのしゃべりです」とは答えられへんかった〜苦笑)でも考えてみたら、もうずいぶん長いこと耳鼻科のおせわになっていないなあ。
最近の医院はどんな診療科でも一様に明るく清潔で、待合室も診察室も どこもよく似た内装だけど、昔の耳鼻科って耳鼻科独特の雰囲気があった気がする。とはいえ、ほな眼科や皮膚科とどこがちがうん?と聞かれても、あのルゴールの匂い以外には違いがうまく説明できないんやけど。

▲ ルゴールといえば、わたしはあれを喉に塗るのが得意やったんよね・・・まあ、そんなこと何の自慢にもならへんけど。いっぽう相方は子どものときから眼科通いが多かったから、目薬を差すのがうまい。「ひょっこりひょうたん島」の博士みたいな子どもの頃の彼が(笑)ひとり電車に乗って隣町の病院に通う姿を想像すると頬がゆるむ。
昔の子どもの医者通いは嫌々とはいえ、ハンコで押したように同じ毎日の中いつもとちがう場所に行って(時にはバスや電車に乗って)待合室の古いマンガ読んだり、ちょっとドキッとするような大人の週刊誌を(いまから思ったら大したことないんやけど・・笑)こっそり見たりするのも楽しみで。

▲なんでこんな話をしたかというと、この間読んだ「海の夜店」(『冬のプラネタリウム うらたじゅん作品集』北冬書房刊)というマンガの主人公の小学生タローは中耳炎やったから、で。というか、作者のうらたじゅん自身かつては耳鼻科通いの子どもやったそうで。
あの『ガロ』や つげ義春作品に初めて出会ったのが耳鼻科の待合室だった、というのが いかにもじゅんらしい、というか『ガロ』らしい(笑)というか。
そうして『ガロ』に反応できる中学生の感性もすごいと思うし、その頃すでに『ガロ』を購読してはった耳鼻科医ってどんな人やったんやろかなと想像してみたり、興味は尽きない。

▲マンガ「海の夜店」(『幻燈』2008年8号初出)はその少年タローが夏休みに母親と、おばあちゃんちですごす物語だ。すきだったおじいちゃんが亡くなったので、お家にはおばあちゃん一人が住んでいる。
盆踊りのおまつりに出かけた夜のこと。突然どこからか「まだ耳痛いん?私と一緒に踊らん?」という声が聞こえてくる。ふりむいたら誰もいてないんよね。
おかあちゃんに言うたら「空耳や。中耳炎のせいや」と、とりあってもらえない。

▲ つぎの日、おばあちゃんとおかあちゃんがお寺さんに出かける。一人で留守番することになったタローは、そのうち退屈して、外に出ると近所の女の子から「あそぼ」と誘われて。
しどろもどろに「で・・でも知らん子と遊んだらあかんて先生にいわれてる」と返事すると、女の子はフン!と笑うや「靴のかかと踏んで歩いてたら先生に叱られるで」返してくるんよね。この年頃の男の子の単純さと(笑)女の子のしっかりしてる その差がなんとも可笑しい。そうして、ここまで来ると、もう仲良くなるのに時間はかからない。

▲ タローは死んだおじいちゃんの話をする。
おじいちゃんが煙になって「空のうんと高くまで昇っていった」こと。「空の上にはまた海があるかもしれへん」と。すると女の子はこう言う。「空の上にまた海があるなら 海の底にはまた空があるかもしれんね・・
いやあ、なんてすてきな会話なんやろ。

▲二人で風船ガム噛んでふくらましたり、遊んでるうちに、いつのまにかタローは迷子になって。気が付くと派出所で泣いており。そこにおじいちゃんが迎えに来てくれて。二人手をつないで家に帰る途中にあの女の子に出会うんよね。どうやらおじいちゃんと女の子は幼なじみらしく・・・???と、読者も知らんまに うらたじゅんのワンダーランドの中にいて。
岡山弁(たぶん)がええ雰囲気かもしだして、だいすきな作品です。

▲ 子どもにしか見えないもの、聞こえないもの、感じることができないもの、ってあるんよね。わたしにもそういうアンテナはあった気がするけど、歳と共に錆びついてる。それやのに、うらたじゅんというたら、ええ歳になってもなお(笑)子どもと大人のその間に 時空をこえてするりと入ってくんよね。わたしは友が描いたものということを忘れて、子どもに、そして少女に戻って どきどきしたり共感して絵やマンガを読み終える。(そう、絵も「読む」)そして、あらためて友をほこらしく思うのだった。



*追記
その1)
うらたじゅん作品集『冬のプラネタリウム』は表題作ともう一作が書き下ろし。
あとは以前『幻燈』誌などで発表された作品が収められています。
表題作の絵が表紙カヴァーに。
初雪が 積もった朝 生まれて初めて キスをした」と、ちょっとどきんとするせりふが書かれています。
詳細は→

★うらたじゅん個展「絵のプラネタリウム」
〜作品集『冬のプラネタリウム』発売記念〜
5月9日(土)~20日(水)
南青山・ビリケンギャラリー  月曜日定休
営業時間12時~19時
うらたじゅん在廊予定 9日、10日 14時〜

その2)
今回書きそびれた本。
『STONER ストナー』(ジョン・ウイリアムズ著 東江一紀訳 作品社刊)
最初1965年に刊行されたアメリカの小説なのですが、その後著者がこの世を去った後は、ほぼ忘れられていた作品だそうです。ところが、2006年にNYの出版社から復刊され、その後フランスの人気作家による訳書が出てベストセラーに。やがて口コミで評判がひろがり、近隣各国で次々翻訳出版が・・・と、この本自体が物語のようでもありますが。

小説はとくに何か大きな事件があるわけでもなく、地方大学で一生を送った先生を描いた、静かで、とても味わい深い作品です。
わたし自身ストーリーだけを聞けば「ふーん」と思って、読まなかったかもしれないけど。
出だしから引き込まれました。そして久しぶりに「文学」を実感する、読書の時間でした。
読了後、布施由紀子さんの「訳者あとがきに代えて」を読んで、ここにも物語があったことを知りました。

その2)
今日は内田光子さんの弾くこれを聴きながら。
SCHUBERT D 959, Piano Sonata No 20 in A 2 Andantino →


その3)
『ふらんす堂通信』「しののめ集」東直子氏選。
今回の題詠は「千」〜佳作でした。
相方には「千」の使いかたが安直やなあ〜と笑われたけど。うれし。

「春うれひ千里の丘に立ってはる太陽の塔は今日も猫背で」(しずか)
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by bacuminnote | 2015-05-06 22:05 | 本をよむ | Comments(2)