いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

<   2015年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

きれいな風。

▲雨と強い風に古い雨戸がガタガタ揺れる音と、6月とは思えない肌寒さに昨夜は何度も目が覚めた。
それなのに、今朝は時計のアラーム音が鳴る前から起きてしまって。朝一番外を見たら、薄暗い庭で雨にうたれた緑がいっそう濃くなってじいっとこっちを見てるみたいで。ねぶそくの眼がびっくりして一気に開く。
こんな日の熱い珈琲はしみじみと旨い。

▲このあいだ『イタリアのしっぽ』(内田洋子著 集英社2015.5刊)を読んだ。
帯に「エッセイのような小説、小説のようなエッセイ」~とあったけど。共感。
内田洋子さんの本を読んでいると、イタリアの海辺や山の風景、料理やワイン、著者が出会った一癖も二癖もある人たちに「へえ」「ふーん」と外から眺めたり覗きこんだりしてるうちに、いつのまにか同じアパートのひとつ上の階に、あるいは同じ村に暮らしてる気分になっており。
最初はエッセイを「軽く」読んでいるつもりが、読み応えのある短編小説や映画を観たあとのようで。読後もけっして「軽く」はない。
そうして、一篇読むごとにだれかに語りたくなって。なら下手なおしゃべりよりは音読を、ということになって。この本も寝床で台所で、と相方に15篇の中から2篇「読み聞かせ」(苦笑)した。

▲内田洋子さんといえば「料理と人」の話がサイコーだけど、今回は全篇 動物と人とのかかわりが描かれている。犬、猫、馬にうさぎに蛍、タコまで。どこに行くにも四六時中 サルと一緒〜っていう青年も登場する。
動物を飼うきっかけもその種類もさまざまだけど、共通してるのはその人の支えになる家族の一員であり、時には「人間の家族」以上にかけがえのない存在となっていること。そして、人と同じように出会いのよろこびから、つらい別れまで。

▲「音読」した2篇は、ローマ郊外の小さな映画館を営む家に生まれ、子役・端役の後、ドキュメンタリー映画を撮るようになったマリーノが飼うタコの話(「釣り上げて、知る」)と、ミラノ郊外の不便な場所で、売れるあてのない大きな鉄の彫刻を創りつづけるエンリコとその息子と犬の話(「開いた穴」)だった。
ふたりとも、今はもう そこそこの歳ながら、その道で高名でもなく裕福でもないんだけれど。マリーノが映画の世界から海に飛び出して、やがて人ではなく海を撮るようになる過程も、つねに芸術と真摯にむきあう中で家族をうしない、再びべつの形で家族と「会う」ことになるエリンコにも、一筋縄ではいかないジンセイの深くあまく苦い味が、黙読、音読のあとも舌のうえに残っているようだ。

▲どの本を読んでも思うことだけど、彼女が人や動物やものに出会うて(でおうて)ゆく、そのときの状況もあとの関係性も、いつもとてもエキサイティングで興味深い。
偶然の出会いであれ、だれかの紹介であれ、何かと関わってゆく繋がってゆくことが…そのおもしろさ愉しさ、こわさや煩わしさもふくめて「出会うてゆく」ことが、ほんまにすきなんやろうなと思う。何よりむかう相手の扉をすーっと開けさせる何かが彼女にはあるんやろね。
そんでね、それを文章化するとき彼女は黒子に徹していて、カメラを通して対象を観てるような。しずかで抑えた筆致のなかに込められたものが、読んでるうちに圧縮ファイルが解凍してゆくみたいに「多弁」になってゆく気がする。

▲そうそう、この本の「あとがき」もよかった。
著者が幼いころの話だ。
神戸の祖父母宅ですごしたとき〜夕方になって須磨海岸を祖父と著者と犬で散歩しながら、砂浜でしばし遊ぶ時間。
夕刻のがらんとした砂浜に、大きな音で波が寄せてくる。
橙色に染まっていく海の西の端を見ながら、「大きくなって、あの向こうまで行けるといいね」祖父は言った。太平洋の洋をとって〈洋子〉と私に名付けたのは、祖父だった。


そうして海からの帰り道おじいちゃんは路地を折れ、一軒の玄関口で立ち止まり「シィッ」と犬と著者に目配せをしてその酒店でコップ酒を嗜むんよね。

海を越えて、もうずいぶんになる。
異国での毎日は、唸ったり、歯を剥き出したり、腹を見せたり、甘噛みしたり、遠吠えしたり、の繰り返しである。
伝手も所属する組織もなく、言葉は通じても気は許せず、ネタを追いかけての移動続きで、文字通り一匹狼のような暮らしをしてきた。

ある晩、帰宅し灯りを点けようとして、ふいに寂しくなった。
友人たちとの食卓でそれを話すと、数日後に中の一人から連絡があり、「小学校へ行くように」と言われた。
待っていたのは、生まれたての犬だった。須磨海岸から半世紀ほど経って、うちに犬が来た。

(p228〜230「あとがき」より抜粋)


*追記
その1)
6月はいろいろしみじみと もの思う月です。
ケッコン記念日も(36年!)
4年前のおなじ日に遠いとこにいってしまった 旧友のだいじなひとのことも。
そして、このあいだ彼女からとどいた娘ふたりに孫3人との写真は〜女6人のにぎやかな笑い声が
すぐそこに聞こえてきそうで。しんそこ うれしかった。

「六月を奇麗な風の吹くことよ」(正岡子規)

その2)
今日はこれを聴きながら。 
Balacade - Ghost Car→
[PR]
by bacuminnote | 2015-06-20 10:52 | 本をよむ | Comments(2)

思いどおりにならん箱。

▲6月になったとおもったらここ数日急に冷えこんで、先日洗濯して仕舞ったばかりの綿毛布、レグウォーマー、上着に…と、冬物いろいろひっぱり出してくることに。
天も地も(人も)。ほんま どないなってるんやろね。
今日は終日いまにも降り出しそうなひんやり灰色の空で。薄暗い庭に日々繁殖のドクダミは濃い緑のなかに白十字が光って見える。紫陽花は白にピンクにブルー。淡いのんやら濃い色のんやら、つぎつぎ咲き始めて。この花に「水の器」という名をつけた人のことを考えながら、指先についたドクダミのにおいを嗅ぐ。

▲この間からiMacが不調の極みで。若い友の力を借りていろいろ試みるも「買い換えたほうが賢明かも」という結論になった。それで迷いに迷った末、長いこと使い慣れた(つもりの)Macから思い切ってwindowsに変えることにした。
やっとのことで新しいマシンを買って(レジで並びながらまだ迷ってたけど・・)いろんな設定が一通り終わったものの。あるトラブルが一向に解決せず、サポートセンターに何度も電話して尋ねたり、試行したりのあげく、まさかの再セットアップ~という展開(号泣!)
いっぽう、一日のうち何回も強制終了をくりかえし息も絶え絶えだったiMacが、新人(windows)がやって来たとたん、なんや張り切りだして。ただいま低め安定 けっこう活動中、の妙。
ふうう~パソコンはわたしにとっていつまでもラビリンスだ。

▲と、パソコンを使うようになって以来ずっと振り回されっぱなしなんやけど。この(いっこも思い通りにならへん)箱と窓のおかげで、どれだけ多くの愉しい出会いがあったことか。
そもそもの始まりは「パン工房麦麦(ばくばく)」のホームページの開設だった。
なんせ山の中の小さなパン屋のことで、少しでも販路を広げられたら、とホームページを開くことにしたんだけど。かんじんのマシンがない。予算も少ししかない。くわえて、パソコンの知識は皆無~のないないずくし。
ある日、友だちに電話でその計画を話したら、おつれあいの使ってないノートパソコンがあるから「そんなことなら、送ってあげるよ」と思いもかけずうれしい返事に飛び上る。すごーい!
そうして翌々日にはまだ新しいマシンが和歌山から信州のわが家に届いたのだった。

▲はやる気持ちで荷をほどいたあとは、黒い箱を前に唸る。
最初とりあえず原稿は自分で書き、あとの作成は村内でいち早くホームページを立ち上げてはった「ロッジ上天気」さんに全面的に助けてもらって(改めて感謝!)ホームページ始動。いまから17年前~1998年のことだ。
日々更新、いや、時々刻々と発信の今から思えばうそみたいな話やけど、そのころのお店のホームページって、どこもまだ更新回数が圧倒的に少なくて。とりあえず開設して、あとはそのまんま。いつ見てもパンフレットの様相~というところが多かった。でも上天気Kちゃんの「せっかくのインターネットなんだから、できるだけ回数多く更新した方がいいよ」の進言もあって、じゃあ、ウチは月三回「麦麦通信」をアップしようときめたんよね(←しつこいようですが、その頃はこれでもけっこう多かったのでした・・苦笑)

▲そうしてすこしずつパソコンの扱いにも慣れ、アクセスも徐々に増えたけど。ホームページを開いて「麦麦」がとつぜん有名になったとか、売上が劇的にアップした、ってことにはならなかった。でも、おかげでゆるゆるとながら各地から注文がきて、遠いところではなんとシカゴやウランバートル(モンゴル)からの注文もあって。(さすがに現地宛てというのではなく、日本のご実家に送るというご注文でした)それがきっかけでやりとりが始まったり。山の中の暮らしながらいろんな人たちと繋がって、エキサイティングやった。

▲そうそう、当時はインターネット接続もダイヤル回線で、一回線しかないウチでは電話とそのつど切り替えてたんよね。当然通信速度もめちゃ遅かったし、電話代を気にしながらネットに繋いでたので、ネットサーフィンなんてこともほぼなく。パンの注文の電話などかかる時間帯には使えなかったから、更新やメールの送受信は夜、もっぱら家族が寝てからのコドクな作業となった。

▲いつだったか、息子1の友だちが遠方から遊びに来てくれたときのこと。
駅に着いたら車で迎えに行く約束だったのに、時間になっても一向に連絡がなく、待ちくたびれて「おかしいなあ。どないしたんかなあ」と息子が言うたそのとき「もしや?」と、電話の切り替え器をチェックしたら案の定スイッチがパソコン回線のままで、通話不可状態になっていたのであった。きゃあ大変!えらいこっちゃ!
「待ちくたびれてる」のは息子の友だちのほうではないか。
大慌てで相方と息子らが駅にむかい、わたしはスイッチを電話に切り替えて自宅待機。まだ駅にいてくれてるかなあ?どうしてるかなあ?とドキドキ。なんせ彼が知ってるのは降りる駅とウチの電話番号だけなのである。

▲「ぶじ会えた」と駅から電話があって、胸をなでおろす。
N君いわく~公衆電話から何度電話しても繋がらないから。もしかしたらウチに「不測の事態」が起きて家族で留守にしてるのかも。それなら、とりあえずわたしらが帰ってくるまで待つしかない~と、途中、時間つぶしに町を散策しては又電話ボックスに戻る~ということをひたすら繰り返してくれたそうで。いやあ、なかなか冷静な判断、行動に感心・・・してる場合やないか(苦笑)
彼には、ただもう平謝り。それでも、何度もその話で盛り上がっては大笑いしたっけ。
携帯もない頃のなつかしい思い出だ。

▲それにしても。
みごとに何もわからないままの見切り発車で、周囲のひとたちにはほんまお世話になり。最初のマシンを譲ってくれたKさん、ホームページの基盤を作ってくれた上天気さんはもちろん、お客さんで岡山在住のウェブデザイナーTさんには 思うようにできなくて半泣きパニック状態のときも、何度もメールで丁寧にやさしく教えてくれはって、そのつど助けてもらった。「みんなそうして泣きながら覚えていくんですよ~」のことばにはほんと支えられました。この方はご家族で信州への旅のおりウチにも寄ってくれはった。パソコン教室も主宰されているらしく、きっと的を得た指導をしてくれはる、おもしろくてええセンセやろなあ~とおもう。

▲会ったことのないペンフレンドが、そこでは売ってないかも~と「困ったときに開く」ガイドブックを買って送ってくれたこともある。
お客さんから友人に~の三重県の種苗屋さんは自作パソコンを「さつまいもの苗」と書いた段ボール箱に入れてプレゼントしてくれはった。(←つまりHDがさつまいもの苗の箱に入ってる〜というスタイルのマシンで。わが家では「さつまいものパソコン」と命名〜笑)
Macに替えてからはSさんにいつもサポートしてもらい、修理までしてもらったし。ここに引っ越し後は若い友に頼りっぱなしで。ほんま、わたしらはいつも周囲のひとたちに助けてもらってばっかりやなあと、今これを書きながらしみじみ。あらためて、いっぱいいっぱいおおきにです。

▲さて、長いこと続いた悪夢(修行?)のような時間がすぎ、ようやく好きな本や映画の時間をとりもどして。ああ、シアワセ。さっそく観た映画(DVD)は『ショート・ターム』(原題:”Short Term 12” デスティン・クレットン監督)と『イロイロ ぬくもりの記憶』(原題:”Ilo Ilo" アンソニー・チェン監督)。とくべつに意識して選んだわけじゃなかったんだけど、たまたまこの2本は、若い監督が子どもと親以外のだれかとの関わりを描いた作品で、女性を描いた映画だとも思う。『ショート・ターム』はアメリカの映画。問題を抱えたティーンエイジャーをケアする施設の子どもたちとそのスタッフの、『イロイロ』の舞台はシンガポール。メイドとしてスペインからやってきた(そして、自分の赤ちゃんは母国で妹に預けてる)女性と、そこんちの一人息子(小学生)のお話。

▲想像どおりの展開といえば、そうなんだけど。状況や背景を変えても、何回観ても、わたしは子どもが(ひとが)自分のことをだいじに思ってくれるひとと出会って、かたく縮んだこころを柔らかくさせ、扉をすこぅしずつ開こうとする様子にうれしくて胸があつくなる。
そしてそのとき、解放されてるのは子どもだけやなく、向き合ってるひとだって救われてるんやろなと思う。

▲映画を観たあと、『ショート・ターム』の監督のインタビュー記事を読んだ。「なぜ、監督になろうと思ったのですか?」というありきたりな質問だったんだけど(苦笑)監督のじつにストレートな答え「ただ楽しかったからです」がいいなあと思った。

≪よく分かりませんが、ただ楽しかったからです。稼ぎがなくても、映画を作っていたのだと思います。
部屋で一人ずっと物語を書き続け、それが終わると大勢の人を集め、社交的な雰囲気の中で撮影に取り掛かります。そして撮影を終えると、今度は私ともう一人のスタッフで編集ルームに入り、作品を仕上げ、最後はまた皆で集まり映画を観る。私は映画制作における、このプロセスがとても好きです。≫"FASHION PRESS"監督インタビューより抜粋


*追記

その1)
今回書けなかった本~『べてるの家の「非」援助論』(2002年医学書院刊)
この本は医学書院「シリーズ ケアをひらく」の一冊です。以前読んで衝撃を受けた熊谷晋一郎著『リハビリの夜』2009年刊(以前ここにも書きました)もこのシリーズ~どちらも読みごたえのある本。

「べてる」とは 
≪ドイツに古くから障害を持った人々が受け入れられ、暮らしている同名の街(ドイツ名: ベーテル)があり、第二次世界大戦中、ナチスが「優れた人間のみが生きる権利がある」との思想から、障害者を抹殺しようとした時、住民が「彼ら・彼女らを連れて行くのならば、私たちも連れて行け」と、命懸けで抵抗した。1984年、浦河教会の牧師だった宮島利光がこのドイツのエピソードをもとに、「べてるの家」と命名。≫(名前の由来 Wikipedia→より抜粋)

その2)
今日はこれを聴きながら。ウクライナのキエフで活躍している4人組バンドらしい~ということしかわからないのですが。ふしぎな魅力。すきです。
DakhaBrakha: NPR Music Tiny Desk Concert
[PR]
by bacuminnote | 2015-06-09 21:37 | 映画 | Comments(0)