いま 本を読んで いるところ。


by bacuminnote
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<   2015年 10月 ( 3 )   > この月の画像一覧

"such a gorgeous day !"

▲その日は見上げるたびに「おお」と声が出るような空の青で。
ちょうど何日か前に、若いころシアトルで暮らしてた友だちから、
"雨の多いシアトルで 青空にきもちのよい風の吹くような日には、道で会ったひとに"such a gorgeous day!"と言うんです。知らない人にでも。大阪のおばちゃんみたいやね(笑)" と、メールがあって。
それ、それ。
道で会う人ごとに「ええ天気ですねえ」と、声をかけたくなるような真っ青な空、穏やかな風。ゴージャスデイ!
じつは前の晩 よく眠れなくて、朝方はぼぉーっとしてたんだけど、このお天気のおかげでしゃきーん~となった。 天気と元気はつながってるよね。

▲その日の待ち合わせは空港内の喫茶店。
道中 今日初めて会うLさんとの出会いを ふと思い返してみる。
イギリスに暮らすLさんとはお互いのブログを通じて、親しくなったのだけど。それって、いつのころからだったろう?
きっかけはkちゃんのブログのコメント欄なんだけど。さかのぼって考えてみるに、Lさんもわたしもどうしてkちゃんとこに行ったか、というと
じつにいろんな偶然が重なって、のことで。
しみじみと出会いの妙をかんじる。

▲そうして知らんまに知り合った(笑)Lさんとはいつのまにか、たまにスカイプで(←彼女におしえてもらった)むこうがお昼、こっちが夜の時間帯に話したり、
時にメールや手紙をやりとりするようになった。どれも頻繁に、というのでなく「思い出したころに」なんとなく、ゆるーく。そして、いつも本の話で始まる。

▲母にLさんの話をすると「へえ。すごいなあ。そうでっか〜えらいもんやなあ。へえ。外国に住んではる人とパソコンで知り合うて、ほんでパソコンで話するんでっか?」と目を丸くする。〜びっくりする母の顔をみるのはたのしい(笑)
いや、ほんま、ちょっと前やったら考えられんことやよねえ。

▲根が生えたみたいに家でばかりいるわたしが、ネットで近く遠くの人たちと知り合って。
それが「オン」でも「オフ」であっても。
さいしょ「会えた」のはネット上ってことで。
いまのわたしは行動範囲がうんと狭く、ブログにも毎回おなじようなことしか書けなくて。アクティブな人の弾むようなブログを見るたび、読むたびに、そのことにちょっと凹んでたりもするけど。
それでも「書くこと」で、ひとにも、そのひとの好きな本や音楽や映画にもつながってゆけるのは、何より贈りもんみたいなもので。つづけてきてよかったなあとおもう。

▲さて。
空港の件の喫茶店は「英國屋」というなまえであった。
英国から来はるひととの待ち合わせには、あまりに「まんま」で笑える。
いや、ほんま言うと笑えないくらいわたしはキンチョウしていたのである。
スカイプで何時間も、何回もしゃべっても、いつも「画像なし」の設定で、写真の交換もしたことないから。
わかっているのは声。それから文章とおしゃべりから感じる雰囲気だけ。
わあ〜なんかどきどきするなあ。

▲そうそう、もうひとつの「どきどき」は、Lさんの英国人のおつれあいと、わたしの中1レベル英語でどう話したらいいのか。
初めは "nice to meet you"やろか?~とか。その悩みも英語力も中学1年生である(苦笑)
それなのにやっぱりなんか自分でしゃべってみたい「人好き」おばちゃんだ。
そうだ。
おつれあいもまた音楽好きな方やと言うてはったし。わたしも音楽はukのんが好みやし。あ、けど、この頃忘れっぽくていきなりミュージシャンの名前出てこーへんし、ノートに書いておこう。

▲・・・と、前夜おもいつくまま、高校生のころ聴いてたエルトン・ジョンからピンクフロイド、キング・クリムゾンにエマーソン・レイク・アンド・パーマーにソフト・マシーン・・・ちょっと前やったらRadiohead にBlurや Mogwaiもかな・・・あ、せや。アイルランドのんもすきなのが多いし、書いておこう~とか思い始めると、もうどんどん目が冴えるのであった。

▲そういうたら昔、海外旅行で同じ宿になったアメリカからの若い子と互いの国の知ってる単語を言い合ったっけ。
わたしはアメリカのミュージシャンに作家(その頃のことやから、アップダイクとかサリンジャーとかやったと思う)の名前。
むこうはお決まりのSUZUKI、HONDA 、TOYOTA から始まって、ミシマにカワバタ、映画監督のクロサワとか、なんかそういうの。そんな些細なことでも、一瞬でも「通じた」実感はうれしかったんよね。

▲あれやこれや思うてるうちに空港に。
airport〜空の港ってええよね。ことばも場所もすきで、家からけっこう近いこともあって、飛行機には乗らへんけど(!)ここには たまに来るんよね。
ぶじ「英國屋」にも着いて(空港は広いしね〜前もって空港内マップを念入りに何度も確認。当日はカウンターのおねえさんにも教えてもろて)店の前で立ってる方がわかりやすいかも~と思ってたんだけど、そのうちに到着ゲートにひとが溢れだしたので「いかんいかん、席とっておかないと 座れへんかも〜」と先に入店。

▲テーブルから人の往来をキョロキョロ(どきどき)眺めてたら、少ししてひとりの女性がやさしい笑顔で近づいて来られて「cuminさん?」「は、はい!」と起立するわたし。
てっきりご夫婦で登場~と思い込んでたんだけど(←相変わらずそそっかしい)今回はスケジュールやチケットの関係でLさんお一人の帰国となったらしく。
大阪弁でOKとわかったとたん、残念と安堵で肩のちからがぬける。で、もちろん最初は本の話。
つづいてイギリスと日本〜音楽、政治の話、若いころのこと・・・しゃべってもしゃべっても話は尽きず。予定よりはるかに長く(長旅で疲れてはったやろうに。すみません)たのしい時間となった。

▲とうとうバスの時間がきて。
Lさんがバスに乗らはるのを見送って、来た道をゆっくり思い返しながら(なんとか迷わず)わたしも駅へとむかう。
空はいつのまにか淡いブルーにと色を変え、肌寒くてショールを肩に巻く。
Lさんは思ってたとおり知的でおもしろく、加えて(わたし同様に)あわてんぼさんだとわかって、うれしかった。

▲家に帰って、郵便受けを開けたら広告に混ざってエアーメイルが届いていた。
フィラデルフィアの大学の博士課程で学んでいるというsちゃん(会ったことはない)やっぱりここを読んでくれてはるひと。
大学で、日々の課題はとても大変らしいけれど「知的な刺激にあふれたこの場所がなかなか心地よい」とあって。
ええなあ~とおもう。その若さやパッションがまぶしいようで。sちゃん、とおく大阪から声援をおくってるよ。
それにしても。
ああ、なんていい一日〜。おおきに。 gorgeous な一日でした。



*追記
その1)
知ってる単語を言い合う〜で思い出したのがピエール・バルーの『Le Pollen 花粉』というアルバムの表題作→
ピエール・バルーと高橋幸宏(いま調べたら、もうひとりJAPANのデビッド・シルヴィアンとありました)順番に好きな人の名前を挙げてゆくんよね。

これを聞き取るのもたのしくて何度もくりかえし聴いたっけ。
ジャン・コクトー  グスタフ・マーラー   ヘンリー・ミラー  ヨーゼフ・ボイス  ルキノ・ヴィスコンティ エリック・サティー  藤田嗣治  ブライアン・イーノ ・・・と途中つまったのかコクトーの名前がもう一度でてきたり!たのしそう。最後の歌詞は「そして全ては僕たちを培ってきた花粉」という意味だそう。

このピエール・バルーの「花粉」といえば、以前印象にのこる彼の文章が あるブログで紹介されていたので孫引きですが(加えてちょっと長くなるけど)書きうつしてみます。


【私は今でも絶えず知らない人に話かける。それが未知の扉を開くことに他ならないから。
どこにどんな人がいるかわからないではないか。いつも言うのだが、恥ずかしがるというのは知的怠惰のひとつでもある。
怠け者になってはいけないと自分に言い聞かせる。

花粉が飛んで芽を出すように、どこでどんな一言があなたを冒険に誘うか、また、あなたの一言が誰の心に一粒の種を蒔くか。
すべては他人への一言から始まる。
私はいつも赤の他人に救われ、多くの人のお陰で今の自分ができあがった。

***

ヴァン・ゴッホやアルチュール・ランボーの天才を褒め称えるのもいいが、
私が興味あるのは毎日、駅やカフェですれ違う人々だ。私と同じ時代を生き、同じ空気を吸っている人々。
彼らの中にゴッホも北斎も必ずいる。知らないだけなのだ。
五感を開いて、未知のものに向かって、いつもスタンバイでいよう。
過去の天才の放った『ポレン(花粉)』は私たちを養ってくれたが、私たちもまた花粉を飛ばす。
花粉は肥沃の大地があれば、必ず芽を出し根を張る。
出会いがすべてだ。 】 
 ピエール・バルー  『サ・ヴァ、サ・ヴィアン 目をあけて夢みる者たち……』より 
*以上ブログ"people"より写させてもらいました。



その2)
膝が腰が・・というてたら、ほんまどっこも行けへんしなあ。わたしにはたまにちょっと「無理する」ことも必要かも〜とこの間、朝になって思い立ち ひさしぶりのみんぱくゼミナールに。
興味ふかい言語学のお話『言語の遺伝子をたどる〜ことばの変化と人の移動』〜話者はみんぱく(国立民族博物館准教授)の菊澤律子さん。
この方の講演は以前にも聴いたことがあって(このときの話は→)とてもおもしろかったので。

そして、この講演と今読んでる『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎訳)のことを一緒に書くつもりが、案の定 時間切れ(苦笑)。次回(たぶん)。

とても有意なたのしい外出だったけど、帰り道はやっぱり足ひきずってふうふう。
「無理」の加減はムズカシイ。
帰途 わたし、けっこうまなぶの好きかも・・とか、若かったらなあ〜とか 詮ないことをふと思ったりしたけど。いや、いや。若かったら、またべつのものに走るんよね。きっと。(←経験済み)

その3)
きょうはこれを聴きながら。
‪M. Ward - Involuntary‬→
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by bacuminnote | 2015-10-22 11:21 | 出かける

渡るのをまっている。

▲秋は一年中でいちばん好きな季節だけど、なんや ぼんやりしてる間に気がついたら冬になってしまってるのは、ゆったりきもちよくぼんやりできる季節(!)やからかもしれへんなあ~と、ノーテンキなこと思いながら、まだ片付けていない扇風機や夏服に無言で急かされながら。
見て見んふりをして(苦笑)熱いほうじ茶をすする。ああ、おいし。
「秋立ち、秋欄(た)て、秋仕舞う」〜やからね。
「ぼんやり」は捨てがたいけど、後回しにしてばかりいるあんなことやこんなこと、ええかげん始めないとわたしが「冬」になってしまう、とおもう秋ナリ。

▲このあいだ買い物の帰り、本屋さんと図書館に寄った。(いつものコースだが)
絵本のコーナーに 『淀川ものがたり お船がきた日』小林豊 文と絵/2013年岩波書店刊)があったので買う。
友人の孫に、若い友人に・・とおくって、今回はやっと自家用。でも、すぐまたどこかに旅立つかも。手から手に、本とひとがつながってゆくのはうれしくて、何より愉しい。

▲この本は300年ほど前の江戸時代〜大坂のまちに唐国(朝鮮)から役人をはじめ、学者、画家、医師、僧侶、軍人から音楽隊、芸人まで、総員500人もの人たちが「通信使」として船をつらねてやって来たときのお話だ。
その日、トメと市という男の子たちも大人にまじって船見物するんだけど、この船は対馬から瀬戸内海を海路で、大坂から淀までを川船で、その後江戸までを陸路で、沿道の大歓迎をうけながら往復したそうで。
異国の人を見たこともない人たちも、それどころか「川のむこうぎしだってしらん」この子らにとっての異国の人たちと船、そしてその音楽も踊りも、どんなにか驚き、コーフンしたことやろう〜と想像するだけで、わたしまでどきどきしてくる。

▲「しらん」といえば、しかしこんなふうに自分のよく知ってる町でも朝鮮の人々との交流があったなんて、わたしもこの本で初めて知ったんよね。
船見物の群れのなかには、【さきの太閤さんの壬辰のおり、朝鮮国よりつれられてまいった者の末で 百年もむかしのこと、もはやかえるところもなき身でござる】という「平蔵さん」とその一行もいてはる。(1592年豊臣秀吉(太閤)ひきいる日本軍は朝鮮に攻め入った。文禄・慶長の役。朝鮮では壬辰倭乱という)
一頁ごとに細かく描き込まれた絵のなかには、そのころの人たちの暮らしや空気まで立ち上がってくるようで・・読むたび見るたびにだれかに薦めたくなる一冊だ。

▲図書館では同じ作者の『えほん 北緯36度線』(1999年ポプラ社刊)を借りる。この絵本を見て一瞬「北緯38度線」かと思ったんだけど、38度ではなく36度だ。
見開きには地図が書いてあって、その上に北緯36度上に赤い線が引かれており、著者の手書き文字で「ぼくの36度線地図」とある。
へえ、おもしろいなあ〜と地図のにがてなわたしも、興味津々眺め入ってしまう。こんなふうに地図を見た(考えた)ことがなかったなあ。ひさしぶりに地球儀の埃をはらって、くるくる回してみる。

▲お話は【ゆうぐれどき、大きな鳥は、まちの時間のなかからあらわれて、ぼくたちを、ちょっとした「たび」にさそいだす】と始まる。
日本から中央アジアに~つまり36度線上のさまざまな土地で暮らす人々を訪ねる旅というわけだ。
そもそも緯度も経度も〜東西南北すらよくわかっていない地理おんちのわたしだけど、こういう旅はたのしそう。
東京(ここが、おおよそ北緯38度らしい)から西へむかい、海をこえ、着いたところは韓国~キョンジュ(慶州)あたり。どこか日本のお家に似てるけどちょっとちがう。時刻は東京とおなじ19時30分。家に灯りがともり夕ご飯を食べてる様子はどこもいっしょ。今日一日のことを話す声、笑い声が絵の中から聞こえてくるようで、頬がゆるむ。

▲つぎのページになると、まだ明るい街角が描かれてる。
道端で子どもが遊んで。時刻は18時30分。煉瓦づくりの家は中国~ルオヤン(洛陽)かシーアン(西安)かな?
そういえば、前に観た映画『胡同(フートン)のひまわり』にも こういうお家出てきたなあ。「四合院」と呼ばれる伝統的な住居。中庭ではやっぱりここでも家族が大きなテーブルを囲み、夕ご飯を食べている。
庭に揺れる色とりどりの洗濯物。鶏がえさをついばんでいる。
ページをめくるたびに、こんどはどこに飛んでゆくのかなあ、とわくわくする。そして、何度となく見返しの「北緯36度線地図」に戻っては、地名を確認。地図帳と虫眼鏡(!)も出してきた。

▲砂漠の果てにはうつくしい村。
つぎの頁には、戦争の傷跡、爆撃で破壊された建物。銃を掲げる兵士たちのそばを母子が手をつないで歩く。それでも広場では子どもたちがケンケンしたりひき車を引いて遊ぶ。木の枝に架けたブランコを女の子がこいでいる。
べつの頁には難民キャンプも〜ここでも子どもたちは元気にボールを蹴り、地面に何か書いて、遊んでる。

【きっと 大きな鳥は しっているのだ。 にんげんが、じめんに 線をひき、その線を、なんども ひきなおすことを。その線をこえて生きることの、よろこびを。】

▲行く先々で人々の暮らしが、その営みが描かれて。そのあたりまえさに胸をうたれる。どこに在ってもみんないっしょ。
だいじなことはごくシンプルなこと。ごはんを拵えたべて、仕事をして、子どもたちは遊び学ぶ。
旅のおわりは地中海と大西洋を隔てるジブラルタル海峡~ここは東京が夜になったばかりのころ、ま昼(12時)をむかえるんよね。
【東と西がであう海 太陽は、ちょうどぼくたちの まうえだ。】

そうして「ぼくたち」は地球をひとまわりして、また東京にもどってくる。
【こんにちは、たくさんの ともだち】
【いつかきっと、きみに あいにいくよ】

▲前述の『お船がきた日』のあとがきに作者がこんなふうに結んでいる。

【通信使との交流は、トメや市のような川のむこう岸さえ知らない人たちが、よその国を知り、思い描き、理解するための橋を渡してきたのです。時代の波は、幾度もこの橋を危険にさらしてきました。しかし、いまもこの橋はあります。わたしたちが渡るのをまっているのです。】


*追記
その1)
『胡同のひまわり』予告編→

その2)
今回紹介できなかった絵本がもう一冊。おなじく小林豊さんの『ぼくの村にジェムレがおりた』(理論社2010年刊)この本の見開きもまた地図が描かれています。この本は「大地とくらす ぼくの村」シリーズの一冊。

【人はむかしから、世界じゅうでその土地に合ったくらしをきずいてきました。今、気候の変化や、国のつごうなどでそのくらしが変わろうとしています。そんな中で、子どもたちは、今を生き、あしたを生きようとしています。】(本書カバーより)


その3)
この間あまり期待せずに(苦笑)観た『はじまりのうた』が、とてもよかった。人と人の間に音楽があるのはすてき。
劇中、夜の街をミュージシャンの主人公グレタとプロデューサーのダンがお互いのプレイリスト聴きながら歩くシーンがすき。
恋人がイヤホンを片耳ずつ、みたいに甘くなく、近すぎないキョリで、それぞれのイヤホンでグレタとダンが同じ曲を聴いて(二股のイヤホンジャック使って)ノッてる〜っていうのがいいなあ。

というわけで、今日はこのサウンドトラックを聴きながら。
Keira Knightley | "Tell Me If You Wanna Go Home" (Begin Again Soundtrack) →
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by bacuminnote | 2015-10-13 00:18 | 本をよむ | Comments(0)
▲目が覚めたら、障子戸を通して白い光が入ってきてた。
さすがの怠けモンも、こういう日は朝からてきぱき〜青空に背中押されるように動き出す。
お湯わかして珈琲淹れて。ご飯炊いて出かける相方におにぎり。
一昨日、昨日とできなかった山盛りの洗濯物も〜
洗濯カゴ持って 縁側から見上げた空があまりにきれいやったから、サンダルをつっかけるのももどかしく庭に出るも、なんとサンダルの中は雨水が一杯たまっており(!)履いたばっかりのソックスがぐしょ濡れになった。

▲あんなに夜じゅう激しい雨風やったのに。
青空にうきうきして、ほんの数時間前のことをすっかり忘れてしまってる。
元々ぼんやりしてるせいか、歳のせいか(その両方やろな)最近なんでもすぐに忘れる。
いや、この「忘れる」があるから生きていける気もしてるけれど。
「忘れたらあかん」こともいっぱいあるのを、ほんま心しなければ。
「天高くみんなで道をまちがえる」(火箱ひろ) 〜なんてこと、ないように。

▲昨日は映画『岸辺の旅』が全国で封切りになったらしく、Twitterのタイムラインにはこの映画の監督・黒沢清さんや、原作者・湯本香樹実さんの名前もでてきて。
この作品は『文學界』で発表当時読んでおり(湯本ファンです)黒沢清監督がどんなふうに描いてはるのか気になってるんだけど。
あれこれネットでみてたら、思いがけず同じ湯本作品の、そしてわたしが一番すきな『ポプラの秋』も映画化されて(大森研一監督)先月から上映が始まってることを知っておどろく。予告編みてたら たまらんようになって、本棚から『ポプラの秋』を抜き出す。手にしたとたんその場に座り込んで、結局最後まで一気に読んでしまった。

▲なんべんも読んでるくせに、毎回泣いたり笑うたり。湯本さんは年寄りと子どもを描くの〜うまいなあ。たちまち付箋だらけになった文庫本を抱えて。
ああ、もうこんな時間に。(夕飯支度どうするつもり?今日はあるもんですまそ〜と自問自答。苦笑)やっぱり、この本はわたしにとってだいじな一冊だ。

▲お父さんが亡くなった後、心身ともにおちつかないお母さんに連れられて、じきに七歳になる千秋は毎日のように、あてもなく電車に乗って、降りて、歩くんよね。
ある日みつけた大きなポプラの木のそばに建つ「ポプラ荘」というアパート〜ここに引き寄せられるように何の縁故もない町に越してくることになって。

▲階下には、不気味で近寄りがたい大家さん(おばあさん)が一人で暮らしてる。上の階には千秋母子、タクシーの運転手・西岡さんと、衣装会社に勤めている女性の佐々木さんの三組だけ。
隣人、西岡さんと佐々木さんのキャラクターもええ感じなんやけど、なんといっても一番魅力的なのは階下のおばあさんで。大人になった千秋が思い出して曰く

【正直な話、私はおばあさんに対してこわいもの見たさに似た興味も感じていないわけではなかっが、「こわいもの見たさ」と言ってしまうにはあまりにも、「こわい」と「見たさ」の釣り合いが悪かった。おばあさんは、とにかくこわかったのだ。】と。

▲そういうたら、子どもの時分わたしにも近所にこわいおじいさんやおばあさんがいたことを思いだす。いや、もっと身近にも。ウチのおじいさんだって相当こわいひとだった。
大きくて(昔の人やのに180cmはあった)いっつも灰色の服着て、眉間に皺寄せて角火鉢のそばに座って火箸持ってる〜イメージがあって。だれとでも話したくてしょうがなかったわたしも、この人には余程のことがない限り話をしに行かなかった気がする。

▲そんでね、おじいちゃんの部屋の箪笥の一番上の引き戸には、いつも河道屋の蕎麦ぼうろか泉屋のクッキーの缶があって。それ狙って姉たちとこっそり貰いに(取りに)行くんだけど、一枚だけと思うのに、めちゃおいしくて。「おじいちゃんって、こんなおいしいもん一人で食べてはるねんなあ。 わたしらにはいっこもくれへんで、ケチやなあ〜」と、ヒヤヒヤしてるわりには大胆にも、もう一枚もう一枚と、踏み台から手を伸ばしてたんよね。

▲だから。
一番上の姉はその戸棚のお菓子を自由に食べてたことや、大阪にいる(わたしよりはうんと年上の)孫たちや、その母親(娘)に、仕事で大阪に出かけた帰り ぱりっとキマった格好で寄って、おいしいものや服を買って届けてはった〜という話をあとで聞いて、ものすごくびっくりした。
わたしにはケチでこわい人やと思ってたけど。おじいちゃん、やさしい、ええとこもあったんやなあ〜べつに全身が「ケチ」と「こわい要素」(笑)で埋まってたわけちゃうねんなあ〜と小学生なりに納得したことを覚えている。
今やったら、聞いてみたい話も言うてみたいことも、いっぱいあって、けっこう仲よくできたかもしれんけど。そのときには、たしかに壁があったんよね。

▲さて、
千秋のお母さんはようやく仕事を見つけて、千秋もまた学校に行き始めるんだけど。
お父さんの死や、新しい生活の中、お母さん自身もまだまだ不安定だったこともあって、千秋は
【寝る前にランドセルの中身を三度調べ、朝起きてから家を出るまでに、また点検しなくては気が済まなかった。(中略)重すぎる荷物に背中を丸めて、毎日同じ道を行き来する私の姿は、守銭奴の老婆みたいだったにちがいない】と。
そうこうしてるうちに、朝になると熱を出すようになって学校に行けなくなる。はじめは仕事を休んでそばについてくれてた母もそんなには休めなくて。そこで階下のおばあさんが日中 千秋のことをみてくることに。

▲人と人の壁は、たぶん、こんな風に思いもよらなかったことがきっかけ崩れてゆく。いや、わたしと祖父のように崩れないまま別れてしまうこともあるけど。
そんなわけで、最初、入居のさいには「子供お断り」と言うてた大家のおばあさんが千秋を母が帰ってくるまで自室に寝かせておくことになるんよね。

▲千秋の目がとらえた年寄りの暮らしぶりが、とてもおもしろい。
おばあさんのポパイみたいな顔(!)や、部屋のしつらい、におい。一枚しか開けない雨戸~その薄暗い部屋も。おばあさんが「うちの先生」と呼ぶ長い白髭のおじいさんの遺影、入れ歯、毎日のように食べてる蕪のみそ汁、好物の「西川屋の大福」「栗羊羹」。それから、金の把手のついた黒い箪笥〜そこに入ってる(らしい)おばあさんがあの世まで届けるってことで、いろんな人から預かってる手紙も。

▲そうして千秋も死んだお父さんに手紙を書いておばあさんに託すようになるんよね。
三通目までは「おとうさん、おげんきですか。わたしはげんきです。さようなら」としか書かなかった(書けなかった)んだけど、その後は自然にいろんなことを書きはじめる。
こんなふうに話したら、老人と子どもの ほのぼの暖かな交流の話〜と聞こえるかもしれないけど、そうやないんよね。温かさと冷たさと。湯本香樹実さんの描く老人と子どもには、いつもうそがない。だから好き。

▲そうそう、西岡さんの離れて住む息子が冬休みに来て、千秋と友だちになってくところもいい。
西岡さんが起こしたトラブルのことで、おばあさんが示談に出て行くとき【樟脳のにおいのする着物をひっぱり出して着替え、入れ歯をはめるべきかどうか少し迷ってから、入れ歯なしのまま出かけて行った】とこなんかも、ね。
ああ、好きな場面あげたら、次々と ぜんぶしゃべってしまいそうやから。ぜひ読んでほしいです。
おばあさんと女の子というたら、梨木香歩さんの『西の魔女は死んだ』に通じるものもあるけど、決定的なちがいはポプラ荘のおばあさんはキホン子ども嫌いなとこ(笑)

▲物語はこのおばあさんの訃報に、大人になった千秋がポプラ荘を訪ねる場面からはじまり、お葬式でなつかしい人たちと再会し、手紙を読み、空の高みを見つめてるところで終わる。
それにしても。
思いがけず「得た」ええ読書の時間やったなあ。きっかけをくれはったsさん、ありがとう。わたしもまた、秋の空みあげて「書く」ことの意味を、その時間がつくってくれるものを、いま、もう一度、思っているところ。


*追記

その1)
きっと前にもこの本のこと書いてるだろうな、と探してみたら、意外にも一回だけでした。今回書けなかった「あとがき」について書いています。→

映画『ポプラの秋』公式HPによると 監督は学生時代にこの作品に出会い「今まで幾度となく読み返し、”一字一句”暗記している大好きな小説」とか。
わたしは「観てみたい」と「観るのが不安」を行き来してるところ。

『岸辺の旅』湯本香樹実さんへのインタビュー記事がよかったです。→「本の話web」



その2)
この急な読書で(苦笑)今回書くつもりだった『シェフを「つづける」ということ』(井川直子著 ミシマ社刊)書きそびれましたが、また、こんど。

それから映画(DVD)『パレードへようこそ』と『間奏曲はパリで』もよかった。

『パレードへ・・』の中〜炭鉱組合の人が“LGSM(炭坑夫支援レズビアン&ゲイ会)”のメンバーに応援してくれることへの感謝のスピーチが心にのこっています。
【自分よりはるかに巨大な敵と闘っているときに、どこかで見知らぬ友が応援してると知るのは最高の気分です。ありがとう。】

その3)
今日はこれを聴きながら。
egil olsen - ooo this happened (on a cold summer night at ocean sound recordings)→
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by bacuminnote | 2015-10-02 19:57 | 本をよむ | Comments(3)